ネロですが、なにか?   作:グランドマスター

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1 プロローグ

 

 私は幸せを知らなかった。

 捻じ曲がった無限螺旋(むげんらせん)の延長線上、一時の安寧こそあったが、どれも長続きせず、その先に待っているのは、延々と繰り返される終わりの見えない絶望だった。

 

 私は幸せを知らなかった。

 あの人と一緒にいた時は幸せだったかもしれない。けれどいつも、私は彼に本当の自分を打ち明かすことができなかった。偽りの幸せに、いつか終わりが来ることを知っていても。

 

 私は幸せを知らなかった。

 あの子の母だというのに、私はあの子を憎んでしまった。己が不幸をあの子のせいにし、あの子を傷つけてしまった。あの子は私と同じく、運命の囚われだというのに。私は、母親失格……

 

 無数の生を体験し、無数の生を諦めた。

 果たしてそこに「私」がいるのだろうか。

 

 そもそも、私は誰なのか。

 私に様々の名前や称号が与えられた。

 暴君ネロ、最強の魔人、裏切り者のアンチクロス、もう一人のマスターテリオン、(ヨグ=ソトース)の子の母胎、C(クトゥルフ)の巫女、エンネア……

 本当の私は、いったい誰なんだろう。

 ううん、結局のところ、本当の私は何処にも存在していないのかもしれない。

 

 そして、それを知らぬまま、無限螺旋は砕かれた。

 希望と未来を信ずる祈りによって、怒りと憎悪を叫ぶ咆哮によって。

 

 私は(すべ)ての宇宙から追放された。

 

 

 目を覚ます。

 耳障りのアラームを止めたら、トントンと、ドアをたたく音が聞こえた。

 

「エンネアぁ、もう起きたァーー?」

 

 部屋の外から(エンネア)を呼びかけたのは、私ーー大十字久遠の、その兄である大十字九郎。

 

「うん、今起きた」

 

 ベッドから(からだ)を起こし、九郎に返事をした。

 エンネアというのは、九郎がつけてくれた私の愛称。

 初めて私のことをそう呼んだ時、泣きそうになるくらい驚いてしまったが、なのに今になっては、もはやそう呼んでもらわないと機嫌悪くなるぐらい。

 

「朝ごはんできたから早く降りろよ」

「はーい」

 

 両親は私のことを久遠と呼んでいるなので、エンネアという名で私を呼ぶのは九郎一人だけ。

 小学生のころアメリカへ旅行に行ったとき、遊び半分で横文字の名前を考えてもらった。

 

 それにしても私が「9」という数字好きなだけで「Ennea(エンネア)」って、英語の名前と言ったなのにギリシャ語というのはどうなんだろうと、九郎もしかして中二病まだ卒業してないのかと、九郎のことをいじりまくった。

 ちなみに九郎が自分自身につけた英語名は「Titus Crow(タイタス・クロウ)」。

 正直センスないのは言わぬが花。

 

「久遠、今日の朝ごはんパンケーキよ」

「やった!ママだーい好き!」

 

 一階へ降りると、ママはさりげなく今日の朝ごはんは私の好物だと伝えた。

 パパのほうはコーヒーを飲みながらタブレットをいじっている。

 

「おはよーうパパ」

「おはよう、久遠」

 

 さりげない挨拶だが、私はそれを楽しんでいる。

 

「早く食べないと遅刻しちゃうぞ」

「九郎こそ、休みだからって一日中だらだらしないの」

「しねーっつうの、この後出掛けるんだよ」

「約束でもあるの?まさかガールフレンド?」

「だぁああああやめろやめろっ!んなわけねえだろ考えただけでめちゃくちゃ虚しくなるぞっ!」

「あははははは」

 

 九郎は今アメリカの大学に通っているが、休みを利用して日本に戻ってきた。

 九郎には内緒だが、実は私、久しぶりに毎日九郎と会えることで少しはしゃいでいる。日本にいない時もいつでもスマホで連絡取れるのに。

 

 家族と一緒に食卓を囲み、九郎と一緒に歯磨き。

 部屋に戻って制服に着替え、カバンを手に九郎と一緒に出掛ける。

 行ってきまーすっと、パパとママに声をかけ、九郎が私をバス停まで送った。

 

 これが私の、一日の始まり。

 

 

『相変わらずのブラコンっぷりね、マスターは』

 

 バスの席に座りながら、脳裏に私とそっくりな声が響く。

 

『うっさいわね。この程度普通だよ普通ーっ』

『ふふーん?じゃあ今度クロウの夢に潜って悪いことしちゃおっかなー』

『やったらシュレッダー行きね♥』

『うぉ、こーわっ』

 

 声の主が、私がカバンに入れているノートに偽装された無名の書物。

 『無銘祭祀書(Nameless Cults)』。

 外道の知識が記載された、この世にもっとも悍ましい魔導書の一冊。

 

 無限螺旋に囚われたころ、『無銘祭祀書』は精霊を持たず、そして無論今のように意思の疎通ができない。当時の私は『無銘祭祀書』を魔導書として扱うのと同時に、自分の分身として人の形を与え使役している。

 今世、小学生頃のあの旅行の時、ダンバースという町の古本屋で、私はこの黒き無銘の書と再び相見え、再度契約を結んだ。まるで、運命に導かれたように。

 そして契約がなされた瞬間、『無銘祭祀書』から精霊が誕生した。

 口枷こそ付けていないものの、頭部に拘束具を被り、露出度の高い赤いコートとショーパンを着ているその姿は、かつての暴君ネローーすでに捨て去られた、嘗ての我が貌と瓜二つだった。

 

 彼女、『無銘祭祀書』の精霊ーーネム(Nem)は、まさしくもう一人の私。

 

『で、今日もワカバヒイロの監視なの?』

『そうよ。せっかく見つけた分霊(アバター)なんだから』

『この世界だと分体(ぶんたい)ね。ほぼ人間レベルとはいえバレない保証はないよ』

 

 若葉姫色(わかばひいろ)、この地球で見つけた唯一、神の色を持つ存在。

 発見した当初は平静を保つだけで精一杯だったが、幸い相手は自分を人間の範疇に制限したようで、こっちのほうが観測されずに済んだ。

 その後は、この世界から逸脱したエーテルーー字祷子(アザトース)で構成された『式』により作られた使い魔で、なんとか若葉姫色の追跡に成功した。使い魔からの情報から、彼女は現在マンションでほぼ顔合わせもしない『両親』と共に住んでおり、平進高校に通っていることを突き止めた。

 本来この宇宙に存在しない力、外部ツールを利用しているようなもので、そうそうバレることはないと思うが、相手はこの世の理を超越した神ならば、油断はできない。

 

『バレたらその時はその時。ろくでなしの神様ならいずれやり合うときは来るだろうし』

『血気盛んだねマスター。相手はかの【這いよる混沌】に彷彿とさせるような存在だよ。慎重に越したことはないじゃない』

『いざとなれば道連れにすればいいだけの話でしょ』

『ネムはいやだよ。せっかく目覚めたのにたったの数年で消去(デリート)されるなんて』

 

 あの腐れニンジン*1とは無限螺旋にて飽きるほどに対面した。

 九郎とアルが旧き神と化した/九郎とアルが地球に戻った後でも、いろんな私はいろんな世界で、いろんな分霊に出逢い、殺し合った。

 毎度のごとく手も足も出られず、無数の私が弄ばれた。本当に運がよかった場合、九郎とアルは私が殺される前に、先にアレを昇滅したこともあるけれど。

 単独でアレから勝利を()ぎ取ったことは終ぞなかった。

 

 しかし、今の私なら、昇滅させることはできなくとも、魂と魔導書と鬼械神(デウス・マキナ)の三位一体を代償に、アレをこの宇宙から永遠に追放することができるはず。

 

 若葉姫色の本体はアレとは違う存在なのだろう。似ているのはただ、匂いだけ。

 それでも、警戒しなければならない。

 この世界の九郎のためにも、パパとママのためにも頑張らなければ。

 

『とりあえず今は気付かれないように監視を続けて』

『はいはい、わかったよ』

 

 平進高校付近に生息している昆虫に監視用使い魔化の魔術を施した。監視の都合上、複眼をもつ昆虫などのような視野が広い生き物が使いやすい。

 周辺の昆虫は若葉姫色のいる教室に近づけば使い魔と化し、その複眼で観た情報を無銘祭祀書に転送する。教室から離れた挙動をすれば使い魔化は自動的に解除される。

 複数の昆虫が同時に観測可能範囲内に存在する場合、逆探知の可能性を考慮し、若葉姫色からより離れた昆虫のほうを使い魔化する。

 

 教室内に飼われたあの蜘蛛を利用することも考えたが、観測の結果からどうやらあの蜘蛛は割と頻繁に若葉姫色の視線上に入るようで、それを使い魔化した場合、バレる可能性がかなり上がるためすぐに断念した。

 

 使い魔から転送したデータの処理はネムに任せている。

 分霊ーー分体を監視する場合、直視は避けなければならない。観ることは観られることとほぼ同義するためだ。よって使い魔が獲得した視覚情報は常に術式により暗号化され、ただの二進数列としてアウトプットされる。

 ネムはその二進数列を解読し、文字情報として私に伝える。

 

 観測対象は使い魔の視界に入るすべての動体。保険のため、使い魔が若葉姫色の視線上に接近するときだけ、若葉姫色を観測対象から外し、その情報だけをシャットアウトする。視線上から離れるとき再び若葉姫色を観測対象に入れる。

 人間程度までに存在規模が縮小された分霊は、概ね「観られていない」ことに気付きにくい。

 悪食デブ女*2を視界に入らせないよう頑張ったとき偶然にもこのことに気が付いた。

 この弱点はこちらの世界における神の分体にも適応できるかどうかはわからないが、今のところは大丈夫そう。

 

 平進高校にいるときを重点的に監視しているのは、若葉姫色が一人暮らしなため。さすがに、自分の住んでいる部屋は常に監視されていることは気付かれやすい。

 一応マンション周辺にも監視の目を張ったが、正直気休め程度。

 

 それでも、やらなければならない。

 邪悪は、何匹たりとも許せない。

 

 

 中学校の授業は正直退屈だが、クラスメートと駄弁ることは結構好き。

 そして授業中でも授業の合間でも、ネムから送ってきた情報を随時確認している。

 魔術師(メイガス)にとって、分割思考は割と必須技能。

 

 数学の授業は比較的に楽で、授業を聞かなくても、先生に質問されたときは問題を見ただけですぐ答えがわかるから、思考を()く必要すらない。

 だからこそ、これは幸運かもしれない。

 遠く離れた別の町に位置する平進高校、若葉姫色がいる教室に異変が訪れるのは、丁度私が数学の授業を受けている時だった。

 

『なにこれ、爆発?』

 

 ネムからの情報を受けたその瞬間、私は思考を加速させた。

 一瞬が何千何万倍にも引き延ばされ、ほぼ停滞された時間の中、ネムとの会話を再開した。

 

『状況は?』

『ワカバヒイロがいる教室は攻撃を受けた。時空間の亀裂も発生している。おそらく魔術による別次元からの攻撃ね』

『目的は……若葉姫色の抹殺かな』

『うん、ネムも同意見。クラス全員が巻き込まれたのに肝心のターゲットは無傷ねー。こりゃひどい。まさかこの平和な日本にこんな惨状を観る日が来るとは思わなかったよ』

 

 教室内で観測を行ったハエの使い魔も巻き込まれた。急遽教室外の昆虫を使って新たな使い魔を作ったが、むやみに若葉姫色しか残っていない教室を観測できなかった。

 術式を改竄し、観測対象を動体からこの宇宙におけるエーテル体に変更。

 逆探知されるリスクは上がるが、今はそんなこといちいち気にする場合ではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()。爆発に巻き込まれた魂を蒐集(しゅうしゅう)した。何らかの魔術を組んでいるようね』

 

 魂の蒐集?

 若葉姫色は神の分体だ。反撃したいだけなら、魂を蒐集する必要なんてないのに。ならばおそらくこれは攻撃魔術の下準備ではないのだろう。

 再び若葉姫色を観測対象から外し、術式に対する観測に専念する。

 

『一度星気(アストラル)領域に入ろう。若葉姫色の術式に備える必要がある』

『おっけー』

 

 霊体を躰から離脱させ、ネムと共に星気領域へと上昇した。

 光の速さに至るこの領域でなら、いつでも若葉姫色の術式にハッキングできる。

 

 一息に、ネムは若葉姫色が組み上げている術式の正体を判明した。

 

「これは……転生に干渉する術式!?」

「転生?魂を転生させるために力を行使しているってこと?何のために?死にゆくものの魂なら自然にこの世界の輪廻(りんね)に入るはず……」

 

 以前ネムが私に語ったこの世界における転生の仕組みを思い出しながら思考を進める。

 別次元からの攻撃、魔術、巻き込まれる命、蒐集される魂、転生……

 まさか……

 

「「若葉姫色(ワカバヒイロ)はあの教室にいる魂を全員別次元へ転生させるつもりね!」」

 

 私とネムは同時にこの答えにたどり着いた。

 

「巻き込まれた使い魔の魂もあの中に混ざっているはず」

「でもハエだよねー。霊質が軽すぎて、見落とされちゃうかも」

「大丈夫、ちゃんど若葉姫色の術式にも巻き込まれている……でもこの様子だと、術式に濾過される可能性もあるよね」

 

 星気領域から観測を進める。

 術式が魂を保護し、同時に時空間の亀裂をも広げている。

 もはや十中八九、魂を別次元へと放り込むつもりだろう。

 

「ふーん、あのクモちゃんの魂に手を加えているねえ。情報(コード)を書き込んでる」

「前世の記憶を忘れさせないための術式も、全員の魂に付与されている」

「やっぱ使い魔の魂が濾過されちゃいそう、ていうか気にも留めてないみたい」

 

 とはいえ、あの使い魔の魂はすでに術式に入り込んでいる。

 ならば、この状況を利用しないほうが勿体ない。

 

 攻撃の元であるあの別次元は、おそらく若葉姫色と何らかの因果があるだろう。

 あの次元へ行けば、若葉姫色に関する情報をもっと探れるかもしれない。

 

「使い魔の魂に残留してる字祷子を使って『式』を再構築する。使い魔の霊質をさらに希薄化させたら、若葉姫色の目を誤魔化し、彼女の術式に混入し、裂け目の向こうの別次元へ転生させる」

「へー、面白そー」

 

 やるならば全力でやる。

 というわけで……

 

「マジ?初招喚(しょうかん)をハエの転生に使っちゃうの?」

「ごちゃごちゃ言わない。行くわよ!」

 

彼方(かなた)より伝えよう、力なき鼓動、声なき叫び

 死せる魂に応えなど無い

 祝砲(しゅくほう)を轟かせ、温もり無き生を受けた我らに

 奏でよ、響き渡れ、名もなき讃美歌(さんびか)ーー』

 

 私とネムの二重詠唱と共に、星気領域に存在しえないはずの物質(マテリアル)が密かに降臨した。

 星気領域に無理やり入り込んだ絶大の質量、本来なら招喚より発生する空間震が星気領域の特殊性により解消されたが、超新星爆発にも匹敵するエネルギーが一瞬で放出され、招喚呪法と同時に展開した結界内部のすべての霊質を昇滅させた。

 結界内、私とネムと、眼前にある巨大な影以外の領域に、霊質の真空状態が作り出される。

 

 影は刃金(ハガネ)なり。影は踊り子なり。

 機体に脚部を持たず、冷徹な金属でできた下半身はまるで荘厳な(しょう)、飾られたような玲瓏な上半身とアンバランスさを醸し出す。

 人に近い両腕のほか、二本の副腕が腰あたりから生え、副腕の上腕部に奇形なユニットが装着され、質量だけで敵を鏖殺(おうさつ)する凶器を形作る。

 嘗てC計画の中枢となった機体、かの法の書(リベル・レギス)にも匹敵する機神(きしん)荒唐無稽(こうとうむけい)な結末を経、無限螺旋を超越し、(あらた)たな力を得て蘇った。

 それは、全高三百メートルをも超えた鋼鉄の巨人。

 神を模して造られ、(あたら)しき神に成りかけた人影。

 

鬼械神(デウス・マキナ)ーーネームレス・ワン=エルダー』

 

 これこそが、魔術師の最終奥義。

 無銘祭祀書に記載された最強呪文ーー機神招喚(きしんしょうかんm)

 

「急ぐわよ!」

「りゃじゃ!」

 

 ネムと私は機体内の亜空間に位置するコックピットに乗り入る。

 その瞬間、(メイガス)(グリモア)(マキナ)の三位一体がなされた。

 これこそが、我らの全力、我らの全身全霊。

 

 静かにも力強く、虚ろにも素早く。

 星気領域に情報を刻み、意味を形成し、可識(かしき)領域を超える。

 我らの『式』は無数なる魔術文字となりて、字祷子が複雑に絡み合い、幾重にも螺旋を描く。

 言霊を蛮名と化し、魔術を発動する。

 現世の術式と重なり合い、観測不能領域にて、結果だけを書き換える。

 我らの意思こそ此世の真実なり。

 

「「情報改竄(ファルシファイ)!」」

 

 ネームレス・ワン=エルダーによる権能・名もなき霧(The Nameless Mist)の代行。

 神の眼差しをもってしても、我らの仕業を見破ることが不可能。

 

 今更だけど、こんな大掛かりな魔術を行うまでして、やってることはたった一匹のハエを転生させるとか、我ながら奇想天外(きそうてんがい)である。

 

「上手くいったねー」

「ええ」

 

 我らの字祷子を混ざりこんだハエの魂は、若葉姫色に気付かれることなく転生術式に組み込まれた。これで、その魂は別次元へと転生され、別次元の世界で新たな使い魔として生まれ変わる。

 新たな使い魔を通じて、別次元の世界、異世界を探索できるはず……

 

「あ、次元を又いたら使い魔とのパスが切れてしまうかも」

「……それを先に言え!」

 

 パスが切れてしまう、つまり使い魔を送ったところで指示も出せないし情報も収集できない。

 今まで監視し続け、待ち望んだ若葉姫色を更に知るチャンス。大量な魔力を消費し、鬼械神まで招喚して、なのに今までの努力が全部無駄になってしまう……

 

 いんや、まだだ。

 まだ方法があるはず!

 

 観測範囲を拡大し、より多くの情報を集める。

 何としてても対策を見つけ出す。

 

 若葉姫色の権能による転生術式は未だに続行している。

 光速の領域にいながらも、現世の時間は刻一刻(こくいっこく)(きざ)まれていく。

 

 転生を安定化させるため、時空間の亀裂がゲートとして固定され、向こうの異次元とこちらの世界は一時的に繋がれる。

 ゲートの向こうはもう一つの星。

 その形は歪で、星の大半は崩れ、残った部分が辛うじて正常を保っている。

 あれこそは、爆発に巻き込まれた魂たちの転生先、新たな人生を送る始発駅となる異世界だ。

 

 ゲートにより、二つの宇宙から境目が消え、常人の目に見えぬとある粒子の交換が発生する。

 それは神の権能をもってしても止められない粒子の奔流。あるいは若葉姫色も、この奔流を止めるつもりはないだろう。

 粒子の名は標船子(ヒュプノス)、すべての星々、すべての知性による意識と無意識を繋ぐ実体と非実体が重なり合う情報子。

 標船子の潮流=ヒュプノス・ストリームの速度は、光速をも遥かに超えている。

 まさしく物理法則をも無視した神の偉業。

 

 まだ無限螺旋に囚われているころの私なら、標船子を観測することなどできないだろう。

 しかし、三位一体に至り、旧き神と外なる神の権能を一部取り込んだネームレス・ワン=エルダーなら、ヒュプノス・ストリームを観測するだけでなく、潮流に乗り超光速の航行も可能となるだろう……

 

 神の…権能……

 

「……今のネームレス・ワン=エルダーなら、もしかして分霊を作れるの?」

「分霊……鬼械神が持つ霊質の一部を受肉させるってこと?」

「神様を模して造られ、神様の権能を持った人形ならば或いは……なにより、分霊は次元を又いてでも、本体との意識が繋がれるはず」

「そうは言ったって、そんなこと今まで一度も試したことはないじゃない」

 

 最強の魔人だったとはいえ、今まで一度たりとも魔人を超克し、真なる神の位階へ踏み入ることはなかった。

 私は結局、新しき神に成し得ない。神の玩具(おもちゃ)でしかない私は。

 それでも……

 

「九郎とアルが邪悪な意思を乗り越え、最も新しき神となり、何度も私を助けた。あの子とエセルドレーダが囚われ続けた宿業(しゅくごう)をも利用し、私を無限の輪廻から解放した。ならば……」

 

 ここで立ち留まるなど決して許せない!

 

「現世にゲートができたのなら、二つの次元の星気領域、その間にも繋がりができたはず」

 

 初めてだろうと、真なる神の位階だろうと、試してみなければ分からないじゃない!

 

「次元の障壁をぶち壊して、向こう側に転生した使い魔を利用して、ネームレス・ワン=エルダーの分霊を作り出す!」

 

 ネムは興味深そうに私を見ている。

 今まで、彼女が誕生する前にも、私は一度もこんな賭けに出たことがなかったから。

 

「本当にやるのー?下手したらネムたちもしばらくこちらの宇宙へ戻れなくなるかも」

「覚悟の上よ」

 

 ネムはこれ以上聞かなかった。

 軽く頷き、コックピット内に無数の魔方陣を展開した。

 

「チャンスは一度きり。現世のゲートが閉じる前に終わらせば戻れるはず」

「ええ、素早く済ませよう」

 

 機械仕掛けの巨神が動き出す。

 超巨大の機影は、その鈍重(どんじゅう)さに反して、一瞬で目的座標へと辿り着いた。

 ここは、現世にあるゲートに対応する場所。

 

 まずは道を作り出す。

 

「「術種選択:魔剣・古式(ソードスペル・エルダー)!」」

 

 副腕部の先端から、高密度の魔力でできた刀身が伸び、星気領域を歪ませる。

 

「「切り開け!」」

 

 魔剣が眼前の何もない領域に切り込み、星気領域に充満する霊質を時空間ごと切り裂いた。

 切り裂かれる領域、その向こう側にあるのは目的地である別次元の星気領域。ゲートがなかったら、亀裂の先は見知らぬ別次元、あるいは超空間・超時間の領域になる可能性もあるだろう。

 

魔錨(アンカースペル)、射出」

 

 帰還をスムーズに行えるよう、ネムはアンカーをこちら側の星気領域に固定した。

 アンカーがあっても、ゲートが閉じたら繋ぎは次元の断層に切断されてしまう。

 若葉姫色のように手軽くゲートを維持できるほどの力は、今のネームレス・ワン=エルダーはまだ持っていない。

 

 或いは将来、世界の法則に対する理解を更に深めば、できるようになるかもしれない。

 こちらの世界と邪神が跋扈(ばっこ)する元の世界に法則上の共通性があるとはいえ、未知の法則や細部が異なる法則も数多く存在している。

 より深く、魔道の深淵へと潜らなければ。

 とはいえ、それも将来の話だ。

 

 現世、転生術式に組み込まれた魂はヒュプノス・ストリームに乗せられ、超光速の潮流により、時間の流れをも感じ得ない一瞬で異世界へと辿り着いた。

 これから、すべての魂は転生術式によって、異世界各地で新たな命として生まれ変わる。

 私たちが潜り込ませた使い魔の魂も含めて。

 

 そして私たちも、亀裂を通過し、向こう側の星気領域に踏み入った。

 次元を超えた矢先、霊体と肉体の繋がりが薄まった気がした。

 このままゲートが閉じれば、現世にある肉体は植物人間になってしまうだろう。

 応急措置として、現世の肉体にオートマタ化と自動消滅の術式を組み込んでおいた。

 

「転生先を特定する。座標分析。情報蒐集に並行して解析。風景照合:スラム街、路地裏、人間種の死体、死体に寄生する卵。転生先:ハエに類似する昆虫(孵化中)と確認」

(はえ)はハエに……霊質の重さからして妥当かしら」

 

 とはいうものの、シャンや這うもののような種族ならまだしも、同じ昆虫に分類できても、ハエは霊質が軽い分、分霊の受肉先として不適切だ。

 その周辺でさらに受肉先を探すしかない。

 

「この世界の生き物、魂に余分なものがついてるね。生まれ変わった使い魔の魂にも似たようなものを発見したよ」

「監視用の術式かな。そこにも手を加える必要があるみたい」

 

 若葉姫色はまだゲートを閉じていない。

 まだ転生の進展を確認しているようだ。

 こちらも急いで動かなければ。

 

 使い魔に付与した術式を再構築。

 その周辺にもっとも受肉に適した生命体を見つけ出す。

 

 中世のスラム街のような町、路地裏のあちこちに死体が転がっている。

 ティベリウスの真似事は好きじゃないが、適当にどこかの死体をゾンビにするのも……

 

 不意に、何かに惹かれたように、私はある妊婦(にんぷ)の死体を見つけた。

 その手にはナイフを、その首には傷跡を。

 血液が傷跡から垂れ落ち、妊婦は自殺したばかりであることを物語っている。

 

 そして、信じ難いことに、或いは奇跡というべきか。

 正しく風前の灯、けれども、死した胎内にある小さな命が未だに……

 

 脈打っている。

 

 妊婦は何を考えて自殺したのか、私には推測しえない。

 けれども、この瞬間、私は決めた。

 その胎児を、我らが分霊(わけみたま)の受肉先とする。

 

 意思疎通は必要ない。

 ネムはすぐに私の考えを理解し、機神が再び翔り出す。

 向かうは微かに揺らいだ火花の元。

 

自己命令(セルフオーダー)ーー霊質分割。再定義。再構築。魂魄創成(こんぱくそうせい)

 

 (くおん)、ネム、そしてネームレス・ワン=エルダー。

 互いに共有した霊質から一部を分割し、新たな魂を創り出す。

 

 星気領域から使い魔と胎児の間にパスを繋ぎ、使い魔の全霊質を生贄(いけにえ)に、胎児に生を注ぐ。

 この奇跡を決して無駄にしない。

 

「魂魄回収。魂魄投入。分霊ーー受肉せよ!」

 

 胎児の魂はネムに収納され、無銘祭祀書に保管された。分霊は入れ替わるように胎児の躰に入り、瞬く間もなく受肉が成功した。

 続いて、周囲の魔力を吸収し、分霊と結合した胎児が急速に成長する。

 

 それは、嘗てどこかで目にした光景。

 残酷に、無慈悲に、凄惨に。

 子は母の腹を食い破り、母の血を一身に浴びる。

 産声もなく、子は母の死を乗り越え、この世に生を受けた。

 

 賛美する者はいないだろう。

 歓迎する者はいないだろう。

 けれど、私は……

 

「戻るよ、マスター!」

 

 ネムの声に我を返り、機神を操縦する。

 ゲートは閉ざされづつある。

 光の速さで、黒鉄の巨人はついさっき通った亀裂へ向かう。

 

「「間に合え!!!」」

 

 間一髪で、機体は亀裂に通過した。

 正直閉じた裂け目に真っ二つされることも覚悟したが、次元の歪みによって損傷こそされ、大破することなく元の次元へと戻れた。

 

「ギリギリセーーーフッ!」

 

 私たちの一連の動きは、運よく若葉姫色に気付かれていないようだ。

 もし気付かれたら、今頃気味の悪い視線でも感じたのだろう。元の宇宙で何度も体感したことあるのですぐに分かってしまう。

 魂の根源まで見透かされるような名状し難い感覚。

 あんな気分は二度とごめんだ。

 

 役目を終えたネームレス・ワン=エルダーは光の粒子と化して召還された。

 分霊との意識共有はゲートと鬼械神が消えても途切れていない。

 今のところすべてが順調。これでようやく一息……

 

「マスターッ!?」

 

 ーー暗転(ブラックアウト)

 まるで堕ちるかのような錯覚に襲われ、私は意識を手放した。

 

*1
化身(アヴァタール)闇吼者(ダークホウラー)

*2
化身(アヴァタール)膨れ女(ブロウテッドウーメン)




大十字久遠
「邪悪は、何匹たりとも許せない」
 魔人(ホラー)黯黒聖母(ブラックマドンナ)。秩序にして闇。永劫(逆位置)
 本作の主人公。愛称エンネア(九郎限定)。
 九郎にエンネアと呼ばれているが、エンネアでもなくネロでもないただの『私』。
 大十字家の長女であり、大十字九郎の妹。原作と違って髪色は黒で、ヘアスタイルも至って普通のショートカットだが、ネコミミヘッドホンを愛用してネコミミスタイルは維持されている。とはいえ流石に語尾に「にゃ」を付けなくなった。
 九郎とのスキンシップは原作に比べかなり大人しめである。
 神の落とし子を産み落とすことを運命付けされたが、その運命はマスターテリオンの敗北・解脱とともに消滅され、闇の聖母(Lady of Darkness)としての位格だけが残されている。
 汎ての宇宙から追放されたのち、何らかの手違いでこの地球に転生し、無銘祭祀書との再会を経て魔人としての力を取り戻した。
 この宇宙からすべての神々を放逐することを目論んでいる。

ネム
「相変わらずのブラコンっぷりね、マスターは」
 魔導書(グリモア)幼子(イノセンス)。混沌にして光。希望(正位置)
 ダンバースの古本屋に眠っていた無名の書。大十字久遠に触れられた途端(とたん)無銘祭祀書に変化し、そこから魔導書の精霊ネムが誕生した。
 『ネームレス・カルツ』だから『ネム』っていう安直なネーミングだが、本人は割と気に入っている(『ナナシ』という案は流石に断った)。
 目覚める前、精霊なしの状態で暴君ネロと契約している時代の記録も持っているが、実稼働年数は数年程度で、魔導書の精霊としてはまだ駆け出しもいいところ。
 人格もネロをベースに形成されたもので、やや小悪魔より。
 頻繁に久遠を揶揄(からか)うが、久遠の最も忠実な味方である。

ロボット ネームレス・ワン=エルダー
 操縦者:大十字久遠
 魔導書:無銘祭祀書

 本作の主役機。旧神(エルダーゴッド)外神(アウターゴッド)の力を取り込んで進化を遂げたネームレス・ワンの新たな姿。
 外見はネームレス・ワンとほぼ同じだが、元の銀白色から黒鉄色に変わった。
 巨大な質量をもち、その密度は中性子星なみ。物理空間に壊滅的な影響を及ぼさないように、大半の質量は名もなき霧の権能により霧散された。
 元来の兵装に加え、旧神の力により強化された呪文や最大奥義情報消滅(デリート)の派生である情報改竄(ファルシファイ)、名もなき霧に関連する呪法兵装を所持している。
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