【完結】範馬刃牙 史上最強の義親子喧嘩   作:和尚我津

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愚地流空手

 『武神』愚地独歩と『空手界のリーサルウェポン』愚地克巳がリング中央で対峙しているという事実に、観衆の昂りは早くも最高潮を迎えようとしていた。

 拳まで2歩、脚の間合いまで1歩という距離。両者にとっては有って無いような僅かな空間。そこに押し込められるは、超雄2匹が発する闘気。

 濃密すぎる気配(それ)により断熱圧縮でも起こしているのだろうか。まるで砂漠に浮かぶ蜃気楼のように、人々は空気の歪みを幻視した。

 

 この空間が無になり、溜め込んだ気配が弾ける瞬間こそが、それすなわち史上最強の義親子喧嘩の幕が開く時。

 

 今にも始まりかねない()()()()()への期待感に歓声は徐々に鳴りを潜め、代わりに生唾を飲み込む小さな音がそこかしこから連鎖して聞こえる。

 

 準備は万端。あとは始まりの鐘の音を鳴らすだけ。そう判断した坊主頭が銅鑼を叩こうとしたその寸前。

 

「皆さん、今日は俺たち義親子の喧嘩にわざわざ足を運んでいただきありがとうございます」

 今か今かと待ち構えている最中に、突如として克巳が感謝の言葉を述べ始めた。

 観衆一人一人と視線を合わせる様に周囲へ視線を巡らせる。

 

 彼の思わぬ行動に困惑する観客たち。

 そんなことを知らぬとばかりに克巳は謝意を示し続ける。

 

 言葉は遂に見知らぬオーディエンスたちから神心会門下生へと移っていく。

「生徒の皆もありがとう。館長という見本になるべき立場でありながらこのような私闘を――」

 

 克巳は彼らに向かって振り返った、その瞬間――独歩が音もなくフワリと跳ねた。

 

 世界を脅かすような鬼気など端から無かったかの如く自然に、まるで久々に会う旧来の友人の肩を叩く様にさりげなく、克巳の無防備な後頭部に向けて――左足刀を放った!

 

 観客の誰もが予想だにしていなかった形での、開戦!

 

 克巳の視線が切れたと同時に流れるような不意打ち。観客の驚愕すら置き去りにした強襲。常人ならそれだけで絶命しうる一撃。

 開始の合図は未だ響かず。悪いのは始まりを無視して襲い掛かった独歩か?

 否。非は敵を前にして視線を切るという愚行を犯した克巳にある。

 隙とは突いた方が悪いのではない。晒した方が悪いのだ。

 

 始まる前に終わらせるような見事な一撃。

 

「――そ~うこなくっちゃ♡」

 

 不意打ち(それ)を克巳は僅かに首を傾げることで、何でもないかのように軽く躱した!

 

 後ろに目でも付いているかのように最小限の回避。

 動きはそれだけに留まらず。バレリーナのように克巳の全体重が右足親指の指先に乗る。

 接地面積は最小限にして回転。股関節の可動域を最大限利用して放たれるは、高く飛び上がった独歩を払いのけるような軌道の、左内回し蹴り!

 

 奇襲に対するまさかのカウンター。常人であれば想定外の一撃を、独歩は中空であっても何事もないようにガードを固めて受けた。

 

 飛ばされる独歩。反動で後ずさる克巳。両者の距離は奇しくも対峙当初へと戻る。

 

「へっ! 誘ってたってわけか」

「ああ。間違いなく今のアンタは、俺が求めた完璧な愚地独歩だ! 不意打ちを行う絶好調(ベストコンディション)の愚地独歩! これを万全と言わずなんと呼ぶッッ!!??」

 

 何を気にすることなく構えを取る両者。

 開始の合図はなく始まった二人の喧嘩。

 

 これは喧嘩。義親子喧嘩なのだ。義親子喧嘩に開始の合図など有るわけない。

 

……っ! うおおおぉぉッッッ!!!

 

 いきなりの攻防は観客の認識を置き去りにしたが、ついに理解が追い付き、突如として始まった極上の義親子喧嘩に歓喜の雄叫びを上げる。。

 

 世界に轟けとばかりの歓声。されど当事者二人の耳には入らず。

 義親子はもはや、互いしか見ていなかった。

 

 克巳は猫足立ちで半身に構える。右足を引き、前手となる左腕は窮屈にはならない程度に折りたたまれている。

 一方の独歩が取るは前羽の構え。どっしりと地に足を付け、正面から相対する。防御を主体として受ける姿勢を崩さない。

 

 空手の組手にしか見えぬ対峙。この形こそが二人の()()()()()

 

 

 先に仕掛けるは……愚地克巳。

 

 踏み込みと同時に打ち込む刻み突き。顔を狙って放たれたそれはあっさりと撃ち落とされる。

 続けて放たれる右の回し蹴りも同様。有効部位をずらして受けられる。

 

 克巳の攻撃は続く。

 正拳、裏拳、手刀、掌底、猿臂、孤拳。

 内回し、外回し、後ろ回し、前蹴り、膝蹴り、足刀。

 肝臓、水月、人中、眼球、喉仏、金的。

 

 数多ある空手の技が、数多ある急所に向かって止めどなく放たれる。

 

 当たれば悶絶必至の一撃はしかして、どれ一つとして当たることはない。

 観客たちは称賛する。回し受けを初めとした愚地独歩の守備能力の高さを。武神と呼ばれる卓越した技巧を。

 

「おおぉぉぉ~~ッッ!! 流石は独歩じゃッッ!! 己すら超える才を持つと言っておった克巳の攻撃を全て跳ねのけておるとは、まさに神業じゃわいッッッ!!!」

「……フン、茶番だな」

 

 推し(ファン)である独歩の活躍に興奮する徳川光成。隣に座る人物はその喜びに水を差す。

 その人物とは範馬勇次郎。地上最強の生物であるオーガであった。

 

「ちゃ、茶番じゃと!? この戦いのどこが茶番だと言うんじゃッ!?」

 聞き捨てならぬことを耳にした徳川は思わず問い返す。

 勇次郎からの返事はない。

 

「克巳さんは今闘っちゃあいない。ただひたすらに()()を伝えているンだよ、ジッチャン」

 返答は反対側に座っている範馬刃牙から。

 

「か、感謝~~ッッ!? それは一体どういうことじゃッッ!?」

 皆目見当が付かぬといった様子の徳川。

 問答の最中であっても、両者の視線は正面からズレることはない。

 

「そのままの意味さ。前提として独歩さんは勿論のこと、克巳さんが今使っている技も全て()()()()()だ」

「うん? それの何が可笑しいんじゃ?」

「可笑しくはないさ。神心会の館長同士の対決。そうなるのが自然の成り行き。そして二人のうち愚地流空手が()()()のは、何を隠そう克巳さんの方」

「独歩じゃのうてか!?」

「そう。『空手を終わらせた男』と呼ばれるほどの男の才能は伊達ではない、ということ」

 克巳の技量(わざ)が己を上回っていることは、独歩自身も認めている。最高にして最新の空手の使い手こそが愚地克巳なのだ。

 無論、努力失くして今の技量を手に入れたわけではない。幼少の砌より血の滲むよう鍛錬を積んだことで手にした至宝ともいえる空手。

 

「だがその力も元を辿れば独歩さんが授けたものに他ならない」

 刃牙にとっての拳の握り方と同じように。

 愚地克巳の空手は、愚地独歩から教えて貰ったもの。

 

「まあつまりは……『義父さんから貰った空手が上手くなった』と、伝えたいだけなんだろうね――素直じゃないんだからなァ~~克巳さんも」

 刃牙は眼前の()()()()()()に思わず笑みを浮かべる。

 独歩も心意気同じくして先の不意打ちから一転。ひたすら攻撃を捌き続けていく。

 無論、両者共に本気。本気で打ち込み、本気で捌く。

 演武のように互いが何をするか分かり切ったような攻防が続くのは、同等かつハイレベルな技量(わざ)を持つ者同士であるがため。

 

 眼前の攻防はさしずめ、愚地流の()()()()()

 

「なるほどのう。これこそが二人のコミュニケーションということか。本気の喧嘩などと言っときながら、なかなかニクいことをしよるわい」

 刃牙の説明により理解の色を見せる徳川。だが口振りとは裏腹に、克巳の内心や事情などについては余り気にしていなかった。ただ愚地義親子という超雄同士の対決を見られるというのであれば。

 彼からすれば、目の前の闘争が全てなのだから。

 

 刃牙は苦笑を、徳川は興奮と共に仕合を眺める。

 対して勇次郎の瞳は、どこまでも冷たかった。

「――だが奴は()()()だけ。片腕という()()には変わりない」

 勇次郎は片腕(弱者)特有の新たな工夫すら見せぬ克巳(弱者)の姿に、失望の念を抱いていた。

 

 

(義父さん、俺の空手はどうですか? 義父さんから教えてもらった俺の空手は?)

(……見事だ。その若さでよくぞここまで昇りつめたもんだ)

 

 交わる拳を通して成される義親子の語らい。

 今まで以上に本音で話せていることを二人は理解していた。言葉を介さない原始的なコミュニケーションには、血縁の有無など関係ないのかもしれないと克巳は感じている。

 

(――だからよう…‥ちゃっちゃと本気、見せてくれや!)

 

 ドッ!

 

 衝撃音が歓声を突き破り闘技場内に響き渡る。

 腹に突き刺さる拳の音としては、余りに重かった。

 

 突きの威力を物語るように、大の男が10メートル近く吹き飛び地面を滑っていく。

 

 独歩は打った拳を引いて残心を取って。

 克巳は打たれた痛みを堪え立ち上がる。

 

 菩薩の拳。

 殺気が籠らぬ不可避の一撃。

 

 猛攻を続けていたのは克巳。その勢いに些かの衰えはなかった。

 されど一撃を打ち込んだのは彼ではなく独歩であった。

 

 目の前の順当な結果に、勇次郎から失望の色が零れた。

「分かり切っていたことだ。空手の技量が同等(条件が同じ)ならば、隻腕の克巳(小僧)より両腕のある独歩(ジジイ)の方が強い。子供でも分かる単純な道理だ」

 

 勇次郎や刃牙の言う通り、空手の技量だけで言えば克巳は既に独歩を超えている。しかしその差は極端なものではなく、さらに言えば闘争とは技量(それ)だけで決まるものではない。

 積み重ねた経験値や精神的要素、そして何よりも身体的要素。

 たった数キロのウェイト差、たった数センチのリーチ差が勝敗を分かつ闘争の場において、フィジカルの重要性は言うに及ばず。

 いわんや片腕という不利(ハンデ)は、もはや致命的。

 

 独歩の防御が神業? そうではない。左腕しか持たぬ男の攻撃など『武神』にとって防げて当たり前のことなのだ。

 

 戦う前から分かり切っていた事実。何か秘策でもあるのかと思いきや、見せられたのは喧嘩に見せかけた茶番。極上の争いとあれば乱入すら躊躇しない傍若無人な男であるが、詰まらぬ戦いを見るほど酔狂でもない。

 彼からすれば目前で繰り広げられるのはまさにその詰まらない戦いであった。

 

 

「~~~フゥゥッッ!!! 流石は義親父。大した威力の突きだ」

 呼吸法によって痛みを無理矢理和らげた克巳が、何事もないかのように話しかける。

 

「へっ! 咄嗟に後ろに跳んでダメージを抑えるとたァお前さんもやるもんだ。だがよぅ克巳、今のままじゃあ……死ぬぜ、お前?」

「だろうな。義親父と同じ愚地流空手(ワザ)じゃあ、片腕しかない俺じゃあまず勝てない」

 

 地下闘技場が驚愕に包まれる。当然だ。挑戦者本人の口から、敗北宣言としか捉えようのない言葉が聞こえたのだから。

 

「くだらん。俺は帰るぞ徳川――」

「まあ待ちなよ親父」

 克巳の発言に、もはや見る価値無しと断じて席を立とうとした勇次郎を止めたのは、実の息子である刃牙。

 効いたのか、フラフラと体を揺らす克巳。刃牙の目線は彼から未だ離れない。

「勝負はこれからだ。これから見れるのさ、愚地克巳の空手が。愚地克巳が手に入れた個性(オリジナル)が」

 その瞳は期待の色で満ちていた。

 

 

 克巳は思う。不肖の我が身なれど成長は示せた、と。

 義父から授かった空手を丹念に丹念に、誰よりも丹念に磨いてきた。

 そして手に入れた、珠玉の宝。

 感謝と共にその大事な宝物を父に見せることができ、遂には褒めてすらもらえた。

 義父の空手を教え伝えるに足る、と。

 

 だから、もう、十分だ。

 

「愚地独歩の後継者、愚地流空手を伝える者としての戦いは、もう十分」

 

 それゆえに、ここからは愚地独歩の後継者ではない。

 愚地独歩の養子という愚地克巳、一個人の戦い。

 すなわち――

 

「――待たせたな義親父(オヤジ)ぃ、ここからが正真正銘、本気の義親子喧嘩だ!」

 

 ――義親子喧嘩(勝負)はまだこれからなのだと。

 

 力強い宣言と共に、愚地克巳はゆらりと構えを取った。

 アップライト気味に構える姿は空手の型と言うよりボクサーの構えに近い。

 だがそのステップワークは、お世辞にも軽快とは言い難い。

 

「その意気やよし。だが足がフラついてるぜ」

 

 独歩の言う通り、近寄る彼の足取りは余りにおぼつかない。

 千鳥足で一歩一歩進む様は、さながら終電を逃した泥酔者。

 見る者一同を不安にさせるような安定感のなさ――。

 

「――?」

 

 そう。一見すると安定感などまるでない。

 不安定な状態とは?と質問が来れば、この場の誰もが今の克巳を指すだろう。

 

 だというのに、何故だろうか。

 今の克巳は不安定であるが、どこか安定しているかのようにも思えてならない。

 

 不安定なのに安定。安定なのに不安定。目の肥えた観客たちは克巳の姿に相反する二つの状態をどうしても感じてしまう。

 

 それは対峙する独歩も同じ。いやそれ以上のナニカを彼に与えていた。

 チグハグな印象を与える克巳に、彼の警戒心は最大限まで高まる。

 歴戦の経験が告げている。今の克巳は(ヤバい)と。

 

 10メートル以上あった距離があっという間に縮まり、再びの対峙。

 蹴りの間合いを侵し、拳の間合いに入った所で、克巳が左拳を奔らせる。

 空手家に似つかないジャブのように軽く速いパンチ。

 

 マニアという言葉では足りない格闘技フリークである観客たちにとっては、余りに見慣れた見えない攻撃。

 

 最速の攻撃と呼ばれるそれは独歩をしても回避することは不可。とはいえ意表を突いた攻めでもなければ警戒するような威力もない。

 躱せないのなら受ければいいとばかりに、独歩は防御を固め――。

 

 ドンッッ!!

 

 ――それゆえに、その有り得ざる衝撃に驚愕した。

 

 手打ちで威力に乏しいはずのジャブには、腰を入れ全体重が乗った正拳突きのような力強さがあった。

 

 耐える独歩。開いた間合い。逃さぬように克巳、一歩詰めての前蹴り。突き刺すような鋭さはなく、間合いを確保するためだけの軽さと早さ。着弾。

 

 ズンッッ!!

 

 ただの前蹴りのはずが、後ろ回し蹴りの威力を伝える。

 今度こそ独歩は耐えられず地面を滑り後方に転がっていく。

 独歩の一撃を浴びた先の克巳の焼き直しのようであった。

 

 観客たちに戦慄が走る。

 見た目通りに早く、見た目にそぐわぬ力が籠った攻撃。

 我が目を疑うも二回連続で続けば、タマタマやマグレなどでは決してない。

 

 吹き飛び横たわる独歩を追って克己は歩く。

 先ほどとは異なりしっかりとした足取りで。

 されど人々は、今にも倒れそうな克巳を錯覚する。

 

 ギュルンッッ!!

 

 不用意に近づいた克巳を咎めるように、腹這いの姿勢から高速回転。全身のバネを弾き地を這う大蛇が空に跳ね、鋭い()を覗かせる。

 身体ごと振り回すような飛び回し蹴りが、克巳の頭部に喰らいつく。

 

 回避? 防御? もはや間に合わず。

 昏倒必至の一撃が側頭部に直撃。

 克巳の身体が地に叩き付けられ――何事もなく戻っていく。

 立ち上がったのではない。戻ったのだ。

 ビデオの逆再生でも見るかのように。倒れたダルマが起き上がるかのように。

 

 何も起きなかったかの如く、元の位置に戻ったのだ。

 

 想像絶する挙動に驚愕し、大衆は言葉を失う。

 降りた沈黙の空気など知らぬと、克巳は自慢げに笑みを浮かべる。

 

「どうだい? 俺が手に入れた個性(オリジナル)は?」

 ――『安定した不安定』の味は?

 

 




次回は翌5/25の12時ごろ投稿予定です。
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