長い地下闘技場の歴史においても前代未聞。
仕合中の闘技者による空手の指導。しかも空手の代名詞たる、愚地独歩が教わる側だというのだから、驚きも一入である。
愚地独歩に空手を教えるなどと、余人が言えば一笑に付されること間違いなし。
しかし侮ることなかれ。大言語るは愚地克巳。
義父より継いだ神心会館長たる立場。なにより独歩を追い詰めている今の状況が、俄かに現実味を帯びさせる。
何か、何かあるのだ。
あの天才、愚地克巳が編み出したナニカが、絶対に。
――進化した空手ってのは、一体どれほどのものなんだ?
観客の頭はこの疑問で埋め尽くされ、期待に胸が膨らんだ。
激しい攻防から一転、闘技場は凪いでいた。
主役は愚地親子から、愚地克巳単独へ。
彼の一挙手一投足を見逃さぬように、観客も、徳川も、範馬親子も集中していた。
無論、愚地独歩も。
時間にすれば呼吸が一つか二つ。克巳が動いた。
今にも転げそうな不安定さが消えると同時に、どっしりとした安定感だけが残った。両脚がしかと体重を支え重心を固定させる。
気合の咆哮が静寂を破る。
拳を突き出す。蹴りを放つ。
闘技場で突如として始まったのは、空手の演武。
次々に繰り出されるのは最高峰とも呼ばれる空手の型、転掌。身体に染み付いたそれを克巳はなぞる。演武は動きを確認するかのようにゆっくりと。そこから徐々に加速し激しさを増し、しかして雑さを感じさせることは一切ない。
あまりに流麗。
(……あれ?)
あまりに自然。
(……あるじゃん!)
そのため、観衆はその不自然さに気付くのが遅れた。
(――
生 ピ
え ッ
た コ 腕
! ロ ふ
? ! 透 っ
? け と
嘘 だ ろ ! ? て !
ね
?
あまりに予想外。あまりに想定外。
闘技場を包む空気が、観客の驚愕を物語っていた。
空前絶後の神業を熟す若者の顔は、いっそ憎たらしいほど涼しかった。
(容易い……なんと容易いことか)
人はイメージにより負傷し、イメージにより関節を増やせる。
存在しない物を。常識では有り得ない物を。人間は想像力によって生み出すことが出来る。
であれば――元より存在していた右腕。二十年共にしてきた右腕。苦楽を分かち合ってきた右腕を生み出すことなど、存在しない関節を増やすことに比べればなんと容易いことか。
人類初。イメージによる右腕の復活。ここに成るッ!
いつの間にか克己は独歩の目前まで移動し、閉塞立ちで演武を終える。
「義父さん。かつてアナタは俺のことを『空手を終わらせた男』と称したことがあります」
丹田の前で組んでいた
「……空手が完成しただァ? バカを言うなッ! まだ始まったばかりだッッ!!」
――放つッッ!!
百戦錬磨、愚地独歩の身体が反応する。
選んだのは回し受け。炎すら捌く絶対の防御が克巳の攻撃を防ぐ――ことは出来ず。
イメージによって生み出された右腕である以上、物理的な接触は不可。
当然、防御をすり抜け、独歩の顔面を打ち抜く。
「カハッ!」
イメージの右腕であれば痛みはないのでは? その答えは、痛みに呻き仰け反る独歩を見て理解した。
確かに傷を負うことはない。だが殴られたという錯覚の痛みは神経へと伝わる。
肉体的な損傷はない。ただダメージのみが募っていく。
続いて迫るは左中段回し蹴り。
この攻撃も、独歩は止めること能わず。
肉を持つ左脚ではなく、想像で作られた脚が独歩の肝臓に突き刺さる。
そう。もはやイメージは右腕に留まらず。克己は全ての四肢を想像し終えていた。
防ぐことのできない珠玉の空手家の剛拳豪脚が、何憚ることなく独歩の身体に突き刺さっていく。
『武神』独歩に訪れたのは、久しくなかった滅多打ち。
空手に捧げて何十年、愚地独歩。全身に激痛奔る中、ここにきて新たな気付き。
(なるほど……空手ってのは……そういう意味かぁ~~ッッ!!)
武器を持たぬこと、程度の話ではなかった。
明確なイメージによって作り出された右腕、否、四肢による当てない打撃。
防御不能の攻撃を打ち出す
すなわちこれが
納得する。これは空手の進化系であると。
いつかの時に思ったはずだ。血が滲むほどに巻き藁や竹を打ち続けた時に思ったはずだ。
両の拳が、なくなってしまえばいいのに、と。
あれが正解だったのだと、遅まきながら気づいた。
(空手とは両の拳がなければ、地面に立たなければ。そのような不自由な格闘技ではないッ! 極めてしまえば、肉と骨すら不要となるのだッッッ!!!)
納得と共に悔いる。この空手に辿り着けなかった己に。
機会はあった。死刑囚ドリアンに手首を落とされたあの時。あの先にあったのだ。この空手が。
一生の後悔。
(まだ……まだだ……
だがそれより先に、彼にはやるべきことがあった。
これは進化した空手。愚地流空手の先にある空手。
個性によるものではない、教え伝えることのできる空手であると、克巳本人が言っていたことだッ!
(全く……なんて孝行息子だ)
であるならば、愚地独歩に、出来ない道理はないッッ!!
(伝えてやらにゃならんな……感謝をッッ!!)
独歩の
克巳の終わらない攻撃を遮ったのは独歩の拳。
一方的に殴られるだけだった独歩から、強烈なカウンターが放たれた。
いや、殴ってない。彼の両腕はダラリと下がったままだ。
「ハハッ、流石は愚地独歩」
殴られたはずの克巳の顔はキレイなまま。
どうやって殴ったのか? 決まっている。観客たちの目にもハッキリと映っているのだ。
独歩の
「空手、学ばせて貰ったぜ。センセイ♡」
「はっ! 言ってろ!」
空手に捧げて何十年。彼ほど基礎が出来ている人間はこの世にいない。
足りなかったのは開拓に足る発想力のみ。先人が開いた道を歩くだけならば、苦労しないほどの苦労を積んだ。
故に至った。愚地克巳と同じ高みへ。
愚地独歩。齢60を超えて最新の空手、
両者、共に満面の笑みを浮かべ。
同じ構えを取って、拳を突き込んだ。
義親子の戦いは最終盤を迎えていた。
振るう拳は防御不能。それゆえにノーガードで打ち合った。
独歩の拳が頬を撃ち抜き。
克巳の手刀が鎖骨を砕く。
武神の肘が鳩尾を潰して。
最終兵器が甲を踏み砕く。
元館長が膝を蹴り壊して。
現館長を喉を貫手で穿つ。
それは
打たれる音は響かず、鼓膜には砂利が軋む音のみ届く。
なれど伝わる痛みは生々しく、舞い散る血すら幻視する。
使われる技は空手であり、振るわれる全てが全力であった。
どれをとっても一撃必殺。打点を僅かにズラして受けねば、早々にどちらかが地に伏していた。
打って打たれて。ズラして凌いで。また打って。
より鋭く。より最適に。これ以上はないと言えるほど培った空手が、さらに磨き抜かれていく。
それはまさに、この義親子にだけ許された比べ合い。
範馬親子の喧嘩が単純明快、純粋なまでの
この義親子喧嘩は複雑怪奇、巧緻を極めた至高の空手の応酬である。
見ているか範馬親子よ。これが極限まで磨かれ研ぎ澄まされた
……なんて、
見なよ。ド突き合う二人のツラを。
ホンットーに、イイ笑顔浮かべてんだから。
永劫に続くかと思われた空手家二人の
切っ掛けは独歩の貫手。
背中まで貫通しかねない腹部への一撃は、克巳の鍛え上げられた腹筋に遮られ、第二関節で停止した。
浅い一撃。否。
空手の表と裏、全てを駆使する技巧の祭典と化した闘技場。
そこに独歩が混ぜ込んだのは、裏より深い
――空手には、存在してはならない
腕が勢いよく引き抜かれ、
故に
一瞬遅れて克己に訪れる、未知の苦痛。
剥がれる肋骨と肉の痛みに悶絶する。
声すら上げることのできない苦痛に、彼の動きが刹那止まる。
その隙を見逃さず独歩、禁じ手の連打。
掌底が喉仏を潰し、睾丸ごと恥骨を砕いた。
肉親相手には、否、たとえ地下闘技場の試合であっても決して使われてはならぬ
想像してはならぬ、想像を超える、想像の
涙が溢れ、尿を漏らし、泡を吹いて。克巳、辛うじて意識を繋ぐ。
その隙を見逃すようでは『武神』などとは呼ばれない。
独歩は
トドメの一撃は決まっていた。
想像により作られた拳。
武の心得のない一般人でも
何十年と言う時を経て愚地独歩が至った珠玉の拳。何人もの回避を許さぬ菩薩の拳である。
繰り出される必殺の一撃。
防御不能に加えて回避不能。すなわち絶対。
あと瞬きもしないうちに、その拳は敵の顔を穿ち、意識を断つ。
最早これを防ぐ方法など存在しない――否。一つだけある。
菩薩の拳が届くより早く、
速いってどれくらい? 神速? 光速? そこまで無茶は言わないさ。
ただ、
いやいや、生身で音速を超えることも無茶ってもんでしょ――出来るんです、それが。
この男、愚地克巳なら。
さらなる
肉と骨を持たぬ身体がゆえに、その作業はかつての時より遥かに簡易。
100%
関節の数が増えていく。十。百。千……増えすぎてもはや
愚地克巳という天才が生み出した究極の一撃。
――凄まじい衝撃音が地下闘技場に響き渡る。
音の正体は、物体が音速を超えた時に発生するソニックブーム。
地下と言う密室空間で発生した音波は、内部で反響し何倍にも増幅された観客たちの鼓膜を全て破るほどの轟音へと変貌していた。
しかして、彼らの鼓膜は一様にして無事。
彼らが聞いたのは、イメージによって作られた衝撃波。
それは彼の真・マッハ拳が、万人が共有するに至るほど強烈なイメージで作られた証左に他ならない。
ソニックブームの爆心地。そこには当然、二人の男が。
激痛に顔中から液体と言う液体を流しながらも立つ克巳。覚束ない足取りであれど、両の足でしかと大地を踏みしている。
気を失い、天を仰いで倒れる独歩。人類の歴史において、ピクル以外は知らぬはずの痛みを受けた彼は、されど満足そうな笑みを浮かべていた。
両者共に、目立った外傷はなし。これほどまでにキレイな身体のまま終わった仕合がかつてあっただろうか。
そんなことは関係ない。傷だらけだろうが無傷だろうが、立っている者が勝者で、倒れている者が敗者なのは古今東西変わらぬ答え。
「~~~勝負ありッッッ!!!」
「~~~~~~ッッッッッッ!!!!!!!」
審判役を務めた小僧の絶叫と共に銅鑼が鳴り響く。
無音のソニックブームという衝撃から立ち直った観客たちも、己が鼓膜が破るのだとばかりに絶叫を上げ、勝者たる克巳を称える。
徳川に宣言した通り、義親父越え、ここに相成るッ!
「……オイラの負け、かぁ」
反響する観客の声に起こされたか、独歩は起き上がり古座を掻く。
「ああ。俺の勝ちだ」
気負いもなく、青年はただ淡々と答える。
「満足したかい?」
「……どうだろ? まだ何かフワフワした感じだな――一つ言えることがあるとするならば、この経験は必ず生きる。俺が館長の務めを果たす中で、必ず」
「そうか」
独歩はじぃっと克巳を見上げる。
彼は思案する。
本気の愚地独歩とただヤリ合いたかった、というのは間違いない。
同時に、館長として空手家としての
もしかしたら単純に、範馬親子のようなぶつかり合いがしたかっただけなのかもしれない。
本当の所は分からない。
だが例え何であろうとも、また義息子が一つ大きくなった。
それだけは疑いようのない事実であった。
「んだよ?」
「イヤァ、オメェさんもいつの間にやら、デカくなったなぁって思ってよ」
「なんだソレ。ボケるにはまだ早ぇよオヤジ」
「クッ! 違えねぇ」
「ほら、いつまでも『人喰い大蛇』が座ったままで居るんじゃねぇよ」
差し出される克巳の手。
独歩は掴み立ち上がる。
万雷の拍手の中、交わされる両者の手は義親子の絆のように、固かった。
短くも長く続いた義親子喧嘩。
ここに決着ッ!
次回、エピローグは本日21時ごろ投稿予定です。