飲んだのは自分が先のはずだ。
にも関わらず、相手の方が先に倒れて苦悶を浮かべたのは如何なる計らいか。
口角に泡を浮かべ、顔色がまともに生きて死んだらとてもなりそうなものにないものに変わり、目が飛び出さんばかりに見開いた、意図的にそのような醜悪極まる末路にするようにした毒で悶える男を見下ろす余裕が出来たことにだけは、神とやらに感謝した。
あとほんの少しで、自分の番だ。
その前にこの束の間の慈悲でやるべきことをやらねばなるまい。
悶え苦しむ男の目に見えるように女性が移る写真を放り、言うべき情報を告げた。
「私の本名は胡蝶しのぶ………あなたが殺した胡蝶カナエの妹ですよ。
結婚詐欺師。」
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鬼との闘いは、大正を上回る凄絶なものとなった。
当初は安穏な時代を経て力が大きく衰えた鬼相手に、その滅亡すら視野に入るレベルの殲滅をなし、ようやく鬼に縛られる幾世幾代もの因縁、鬼殺隊としての宿願が果たされるかと思われた。だが。
先日、同胞の隊士が謎の交通事故で死亡した。
この間は突如の爆破で幾人もが死んだ。
その前は高層ビルからの落下。
この間は日常生活を送っている中の唐突な狙撃。
そして個々の事情や圧力によって鬼殺の道を断念せざるを得なくなった者。
「弱い」鬼が、鬼であることのプライドも、下等生物である人間への傲岸も捨て、真っ当に戦うことを避けて鬼殺隊へ行い続けた様々な襲撃は、鬼との闘いの果ての死という鬼殺隊としての誇りすら許さなかった。
つい先日、鬼との闘いの果てに討ち死にして殉職した形となった隊士を見た時、
口に出すことは憚られたものの「羨ましい」という感想が真っ先に出て、周囲を見回すと周りの者達にも悲壮の中に確かにそのような感情が渦巻いているのが見て取れた。
そしてそんな現代の「鬼」との闘いにおいて、蘇った童磨の存在はまさに危急存亡の事態であった。
現代の鬼の在り方、そして鬼の長の度量や有能さから考えても
策謀と鬼としての力の強さを兼ね備えた童磨が鬼との接触で何かの拍子に記憶を取り戻して向こう側についたなら、その脅威は大正とは比較にならないだろう。
しかも厄介なことに犯罪者として巧妙に逃げ隠れしている奴は、産屋敷の力を以てしても捉えることが至難の技だ。
いや、何よりも。
そんな枝葉末節な大義とは全く別に、しのぶは彼を殺さなければならなかった。
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どうして記憶を取り戻したのが自分だけなのだろう。
どうして記憶の代わりに、奴との最悪な「縁」だけは残したのだろう。
胡蝶しのぶは人ならざる経験から人知やこの世を超えた「あの世」や「来世」、そして「神」の存在は何となく確信しつつもその「慈悲」は全力で否定した。
もし、姉にもう少し早く記憶が戻ったなら、
絶対にあの男に騙されることはなかっただろう。
甘い言葉や見目麗しい容姿、この社会を生き抜き、人を魅了して操る手練手管によって与えられた偽りの幸福と、裏切りと、絶望の果てに命を落とすことなどなかっただろう。
偽名による奴との何気ない接触、吐き気を堪える交友。
嘘で塗り固めるだけではなく「私の姉は鬼のような奴に弄ばれて殺されたの」という仄かに混ぜた真実と「かわいそうにねえ」とぬけぬけと言ってくる奴へ堪えるのに必死だった衝動。
多くの女からの恨みや修羅場を潜ってきて、殺意や謀略の意図に敏感になっていた奴を殺すには、たんなるすり替えやさり気ない調合というレベルではなく、自分も地獄に落ちるしかない。
雨の日。深刻な、相手にのみ打ち明けたい悩みを抱えている風を装ってあの男の家を訪れ、遠慮がちに自ら淹れた本音と意趣帰しを満載したお茶を目前で飲み干し、相手に黙って淹れてやり全神経を集中させた、永遠に思える時間。
それが結実した果てである、見悶え、全身を苛む苦痛と不快の中、意識を凝らして見届けた毒によって醜く彩られた男の表情は。
笑顔だった。
そして、その最後の表情で童磨が自分に告げた最後の言葉。
それは、恨みでも、悲痛でも、懺悔でもなく。
「ねぇ………一緒に………地獄に………行こうよ………」
「………」
「あの世」や「生まれ変わり」を知っているしのぶは確信している。
自分は姉のいる所には行けない。
鬼ではなく人間を、それも外道とはいえ本来なら法で然るべく裁かれるはずの者を殺した自分は地獄行きだ。
そしてこの結婚詐欺師の、「こんな気持ちになったのは初めて」「本気で好きになった」などという言葉が、決してそれまでの相手に行ったような虚飾ではなく、当人にすら予想外で理解できないくらいの本心だったことも。
この男と死後も居続けてしまうことなどそれこそ地獄極まりないが、罪人の自分の訴えなど聞き入れられるはずなく、むしろそれが最大の苦痛となったら否応なくそうなるだろう。
だから自分も応じる。
罪人である自分に相応しい、いぎたない、最低の遺言を。
「ええ。みちづれだ糞野郎。」