生徒に舐められていると勘違いしているけど、実は裏で生徒全員からめちゃくちゃ慕われている魔法学校教師 作:アスピラント
「お、お久しぶりですね……クラヴィスさん」
「は、はい……まさかこんな再会になるとは思いませんでしたが……」
例のスケベ事変――後にフランチェスカが命名――がありつつも、ローズとクラヴィスは気を取り直して学内に入っていった。恥ずかしさのあまり爆裂しそうになっていたローズも、貞淑な雰囲気をビャンビャンに振りかざすぐらいには回復していた。
「――にしても私たちも入っていいなんて……」
「ノリでクラっちに会いに来ただけですよ……?」
「クラヴィスさんの教え子なら問題ないと思いましてっ。まぁ学長には連絡しないといけないですけど」
ユスティとメアはちょっと申し訳なさそうにしていた。
流石に入れないだろと思っていたが、ローズの優しさと聖ディヴィアンヌの寛容さが予想を超えた。
「さて……」
白い回廊を進みながら、ローズはくるりと振り返った。
「ではまず、学長にご挨拶へ向かいましょう。そこでクラヴィスさんの研修内容について、詳しい説明がありますので」
「……学長さん、か」
クラヴィスは思わず天井を仰いだ。高いアーチ状の天井には淡いステンドグラスがはめ込まれ、夕暮れの光が静かに差し込んでいる。
(懐かしいな……)
厳格で、少し怖くて、それでいて妙に面倒見がよかった人物。規律にはうるさいが、道を踏み外しかけた若者を決して見捨てない人だった。
(あの人に会うのも緊張するなー……)
胸の奥に、微かな緊張と、同時に安心感のようなものが湧き上がる。とは言えちょっと怖い気持ちもあった。
その時……後ろを歩いていたユスティが、少し遠慮がちに手を挙げた。
「あの……ローズさん。私たちは、どうしたらいいんでしょうか?」
ユスティの声にメアも頷く。
「流石に研修について回るのは無理だよね?」
フランチェスカとアラニカも、きょろきょろと周囲を見回しながら様子を窺っていた。
ローズは足を止め、柔らかく微笑む。
「そうですね……研修そのものは難しいですが、学内の見学くらいでしたら問題ないと思いますよ」
「え、ほんと?」
ユスティの表情が一気に明るくなる。
「ここは学校であると同時に教会でもありますから。普段から巡礼者の方や、他校の関係者、町の方々が出入りしています」
そう言って、ローズは回廊の先にある礼拝堂の扉を示した。
静かな祈りの空気と、学び舎としての生活の気配が、不思議なほど自然に混ざり合っている場所だった。
「外から来た方々と話をすることで、考え方の違いや価値観の多様さを知る。それも大切な学びのひとつなんです」
穏やかな声だったが、その言葉には確かな信念がこもっていた。
「閉じた場所で知識だけを積み上げても、人の心までは育ちませんから。人と人とのコミュニケーションを通して、迷い、傷つき、時には失敗しながら……それでも前に進んでいく。それが聖ディヴィアンヌの方針なんですよ」
フランチェスカは感心したように目を細める。
「とても……素敵な考え方ですわね」
「生き方を教える場所って感じが近いのかな」
アラニカも珍しく真面目な顔で頷いた。
メアも腕を組みながら、にやりと笑う。
「なるほどねー。だからクラっちみたいな先生が生まれたわけだ」
「褒め言葉だよな?」
何だよみたいなって――とクラヴィスはじっとりと睨むがメアは口笛吹いてそっぽむく。そんなやり取りを見ていたローズはくすりと笑った。
「……本当、よかったですね……」
◆
ローズに案内され、回廊を抜けた先にあったのは、ひときわ重厚な木製の扉だった。
扉の前で、クラヴィスは深く息を吸い、吐く。
(落ち着け……落ち着け俺……)
肩は明らかに強張り、背筋は不自然なほど伸びきっている。
めっちゃ緊張してる証だ。
「……顔変」
ユスティが小声で囁く。
「なんか試験前の生徒みたい」
「いや、下手したら処刑前だぞ」
「縁起でもないこと言うな!」
そんなひそひそ声もむなしく、ローズが扉をノックした。
「学長、ローズです。クラヴィスさんがお見えになりました」
「……お入りなさい」
クラヴィスはごくりと喉を鳴らし、扉を開けた。
部屋の中は落ち着いた香の匂いに満ち、壁一面に古い書物と聖典が並んでいる。中央には大きな机、その向こうに一人の老婆が背筋を正して座っていた。
白髪をきっちりと結い上げ、深い皺に刻まれた表情は厳格そのもの。だが瞳の奥には、鋭さと同時に深い慈愛が宿っている。
聖ディヴィアンヌ学園学長――エウラリア・グランセル。
神学校と魔法教育機関を束ね、数十年に渡って数え切れぬ人材を導いてきた、まさに生きる伝説のような人物だった。
「……お久しぶりでございます、学長」
クラヴィスは背中が折れそうなほど深く頭を下げた。
「ええ、本当に……随分と立派になられたようで……」
そう言いながら、学長はゆっくりとクラヴィスの後ろ――つまりユスティたちの方へと視線を向けた。
「と言いたいところでしたが」
一瞬、空気が凍る。
そして。
「……なるほど、なるほど――」
にっこりと笑っていたが、目つきは猛禽類のそれだった。
「まさか、自分の生徒を引き連れて旅行とは。そんな軟派な方になるとは、思ってもいませんでしたが」
丁寧語なのが却って恐ろしい。
何故クラヴィスが緊張していたのか、瞬時に理解した。
「「「ひぇ……」」」
ユスティ達が喉を鳴らす。
「ち、違います!!」
クラヴィスは反射的に声を張り上げた。
「こ、こいつらが勝手についてきたんです!! 本当に!! 俺は止めましたし、説得もしましたし、常識的に考えて――」
「クラっち!?」
「売ったなこの教師!!」
「ひどい……私たちの純情を……」
「裏切り者ー!!」
ユスティたちは若干涙目で一斉に抗議する。
だが――
「……お静かに」
学長の一言は、魔法でも何でもないのに、場の空気を完全に制圧した。
ピシャリ、と乾いた音がしたかのように。
ユスティたちは口を開きかけたまま凍りつき、そのままそっと閉じる。
「……はい……」
四人が揃って背筋を伸ばす。
ローズは内心で(さすが学長……)と目を輝かす。
「冗談ですよ。半分ほどは」
「半分ですか!?」
「ええ、半分です」
どの半分なのかは、誰にもわからなかった。
学長は小さく咳払いをし、柔らかく――ほんの少しだけ柔らかく声を落とした。
「遠いところ、よく来てくださいました。研修の件、歓迎いたしますよ。あなたがどんな教師になったのか……直接見るのを楽しみにしていましたから」
「……ありがとうございます」
クラヴィスは深く頭を下げた。
その横で、ユスティたちはこそこそと顔を見合わせる。
(こわ……)
(でもなんか、かっこいい……)
(ラスボス感すごくない?)
内容は割と失礼ではあったが、皆はエウラリアに対して畏敬の念を抱いていた。
「さて研修内容に関してですが、簡単に言うとローズ先生の担当するクラスのサポートに入ると言った内容です」
「なるほど……」
だから彼女がいたのか――とクラヴィスは思った。
そして同時に、今回は今までやってきた授業とは違うと察した。
「ということは……親元から離れた子達が多いんですかね?」
「はい、様々な理由で親元……または家族を持たない子達に向けた授業になります」
その一言を聞いて、ユスティたちは黙りこくった。
普段はふざけたりする元気な子達だが、ちゃんと常識やモラルがある。茶化していい内容じゃない時はきちんとする子達だなとクラヴィスは褒めてやりたくなった。
「他の学校では今夏休み期間ですが、ローズ先生のクラスを筆頭に、一部生徒は休み期間でも学校で過ごします」
「……帰る場所がないからですよね」
「その通りです」
エウラリアは悲しそうに目を伏せた。
「学校が閉じれば、彼らは孤児院か、あるいは……行き場のないまま放り出されかねない。ですから、授業という形を取りつつ、生活そのものを支えています」
つまりこの学校は家でもある。
子供たちを絶対に1人にさせない――そんな優しい意志を、クラヴィスだけじゃなくユスティたちもヒシヒシと感じていた。
「聖ディヴィアンヌは……そうした恵まれない子達にも充分な魔法教育、社会で生きていく際に必要な知識、またはモラルの教育に力を入れています。そこで得られる経験はこれからの教師人生に役立つはずです」
「……まぁ、俺もそのサポートに救われましたしね……」
クラヴィスがローズを見ると、彼女は恥ずかしそうに笑う。
まるで甘い恋人みたいな空気を醸し出している。
ユスティたちは額に青筋浮かべ、こいつシスターと懇ろかよとつぶやいた。
「簡単には行きませんが、クラヴィスさんなら可能だと信じていますよ」
「はい……!」
これはいつも以上にしっかりしないとなと、クラヴィスが気合いを入れる。繊細な子供たちと向き合うのは簡単な話じゃない。だけどかつて自分が当事者だったから、不安はなかった。
「そして……クラヴィスさんの生徒たちですが」
「「「!」」」
エウラリアの目がユスティたちに向くと、少女たちはピシッと姿勢を正す。
「良ければ我が校の生徒と交流しますか? こちらも一般の生徒は休みなので、親睦を深めるのもありかなと」
「ぜひ!」
「お願いします!」
「早いな返事が、まぁいいけどよ」
何故かノリノリな彼女たちを、クラヴィスは不可解に思っていた。ただ段々とまぁコミュ力はある陽キャな性質上、友達増やしたいと思っていただけかと彼は自分の中で納得した。
だが実際は――
(シスターさんが好きなら、この機会は逃せない!)
(性癖もインプット大事っていいますし……)
(パワーアップするチャンスだね!)
シスターさんと知り合う事で、クラヴィスを落とすための下地作りに活用しようと考えていただけである。何ともまぁしょうもないインプット作業である。
なおエウラリアは何か妙に気合い入ってる彼らを見て「なんて学びに真摯なのか」と見当違いな感心をしていた。
「ではローズ先生、彼らに学内を案内してあげて」
ローズがぺこりと一礼し、穏やかな笑顔で振り返る。
「それでは皆さん、まずは校内を一通りご案内しますね。寮や礼拝堂、授業で使う教室など……見ていただきたい場所がたくさんありますので」
「おおー、観光だ観光!」
「聖なる学園ツアーだね!」
「シスターさんガイド付きとか豪華すぎない?」
さっそく遠慮という概念を置き忘れてきた三人に、クラヴィスが即座にジト目を向ける。
「お前らな、さっきの話聞いてたか? ここはテーマパークじゃねぇんだぞ」
「だ、大丈夫です。ちゃんと真面目に見学しますってば~」
「本当かよ……」
あんまはしゃぐなよと注意したのち、ローズ先生による学内ツアーがスタートした。
◆
「まずはこちら、寮棟になります」
ローズが指し示したのは、白を基調とした三階建ての建物だった。
「生活の場なので、騒がしくするのは禁止ですよ。特に夜間は――」
「夜間……」
「生活の場……」
「白い建物……」
ユスティたちが同時に意味深な声を出した。
思春期すぎるにも程がある。
「……何を想像してる」
クラヴィスが即座にツッコむ。
「い、いや! 健全な想像ですよ!?」
「修道院の夜って静かそうだなーって!」
「お祈りとか! お祈り!」
「そうですね。夜は祈りの時間を設けています」
ローズがにこやかに頷く。
「日中に感情が揺れた子は、ここで気持ちを落ち着かせることも多いですね」
「感情が揺れる……」
「心を落ち着かせる……」
「夜に……」
「お前ら一回黙れ」
「「「いだだだだ……!」」」
クラヴィスがユスティたちの頭に拳をぐりぐりして、無理矢理黙らせる。このままだと自分だけじゃなく学校の評価が落ちると危惧したからだ。
(仲良いですね、クラヴィスさん。私も見習わないと!)
そんな葛藤してるとは知らないローズは、平然と説明を続ける。
「ちなみに男女は階が分かれていますし、部屋の前には結界も張ってありますから、不埒なことは起きませんよ?」
ローズがさらっと言う。
「結界……」
「強固な……」
「守り……」
「「「「やるじゃん」」」」
「なんでそこで感心するんだよ……」
――更に学内ツアーは続き……。
「次はこちら、礼拝堂です」
空気が少しだけ張り詰める。
流石にここではふざけられないと察したのか、ユスティたちも声量を落とした。
「ここでは毎朝の祈りと、週に一度の集会を行っています」
「強制ですか?」
「いえ。信仰は押し付けるものではありませんので」
ローズは即答する。
「ただ、祈る場所があるという事実が、子どもたちの心を支えることもあります」
「……」
クラヴィスは小さく頷いた。
(ここは変わってねぇな)
かつて、自分もこの場所で何度も救われた。
言葉にならない不安を、吐き出す先として。
――その感傷を、次の瞬間ぶち壊す声が響く。
「シスターさん、ここで懺悔とかするんですか!?」
「え、えっと……希望があれば」
「やった!」
「何する気?? お嬢さんたち」
嫌な予感がしたクラヴィスが即座に割り込むと、彼女たちは無駄にシリアスな顔をして言った。
「お前ら、何を懺悔するつもりだ……」
「え、日常的な煩悩?」
「クラっちへの不純な感情?」
「もはや自首だろ、あと本人を前にしてよく言えるな! 外でそんな発言したら、問題になるのは俺なんだけど!」
ちょっとギリギリ――どころかアウトな発言をした生徒たちを叱責する。気のせいか通りすがりのシスターが、クラヴィスのことを虫を見るような目で見ている。
まずい、早く誤解を解かねば社会的抹殺まっしぐらだ。
「ローズさん、こいつらが勝手に言ってるだけですからね……!」
「わかってますよ、クラヴィスさんが生徒に手を出す
「…………お、おう」
ニパニパしながら鬼畜という強い言葉を使うローズを見て、クラヴィスは自然と背筋が伸びた。
「内容によっては……私ではなく、別の神官を紹介しますから……ね?」
とやんわり線を引いたが、それすらも怖い。
(ガードが……堅い……)
(だが、それがいい……)
(修行だね……)
「…………本当調子乗るなよ、お前ら……」
◆
「次は教室棟です」
「お、授業風景見れる?」
「今日は生活指導が中心なので、魔法は使いませんが……」
「逆に気になる!」
ローズは歩きながら説明を続ける。
「ここでは一般教養と魔法理論、あとは感情制御の授業を行っています」
「感情制御?」
「はい。魔法は感情と密接に結びついていますから」
クラヴィスが少し補足する。
「感情が暴走すると、魔法も暴走する。特にここにいる子達は……」
「事情あり、ですね」
「……ああ」
ユスティたちは珍しく茶化さなかった。
魔力の暴走というのは実は結構深刻な問題だったりする。
生まれつき魔力がかなり多く、それでいて制御する手段を知らない子供は、精神的な揺らぎで暴発――周囲に甚大な被害を齎してしまう不幸な事故が起きてしまうのだ。
「そうならないためにも、私たちが魔術的なケアとメンタルケアを行い、ちゃんと自分の意思で力を扱えるまでサポートも行うのです」
「……素敵な仕事ですわ」
フランチェスカは胸の前で手を握りしめて、心底感動していた。無理もない……彼女の
◆
「最後は中庭ですね」
ローズが案内した先は、子どもたちが自由に過ごす場所だった。
「ここを利用するのは幼い子達が多いですけどね」
「だから遊具も……」
「はい、教会に通う子達もよく使っていきますよ」
その言葉にクラヴィスは少し目を細める。
聖ディヴィアンヌはメガロマギア高等魔法学校とは違い、通う生徒の年齢は低い。大人として一歩を踏み出す高等教育ではなく、人格形成に主軸を置いた初等・中等教育が彼らの本分だ。
ローズは中庭を見渡し、少しだけ声の調子を和らげた。
「そこでスティさん達への頼み事ですよ」
「ん?」
「ユスティさん達はここを使ってもいいので、我が校の生徒達と遊んでほしいのです」
その言葉に、ユスティたちは一瞬きょとんとするが、この頼み事がエウラリアが言っていた内容だと思い出して、はっとする。
「遊ぶ……って、普通に遊ぶ感じで問題ないですか?」
「はい。鬼ごっこでも、球遊びでも、何でも」
ローズは両手を胸の前で重ね、穏やかに続けた。
「この子たちは、どうしても人との関係が閉じがちなんです。事情が事情ですから……外部の方と触れ合う機会も、決して多くはありません」
「……」
「だからこそ、今のうちに“知らない人と関わる”ことに慣れてほしくて。怖くないんだと、楽しいこともあるんだと、身体で覚えてほしいんです」
押しつけがましさはなく、ただ子どもたちを思う気持ちだけがそこにあった。
ユスティは一拍置いてから、ぱっと表情を明るくする。
「もちろんです! 任せてください!」
「即答だな」
「だって、遊ぶのは得意分野ですし!」
胸を張るユスティの横で、メアも親指を立てる。
「年下の相手なら、なおさら慣れてるよ。ほら、私たち面倒見いいし?」
「面倒見てるのは俺だけどな」
「うるさー、クラっち空気よめー」
クラヴィスが呆れ半分に突っ込むが、ローズは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます……本当に」
「そんな改まらなくても大丈夫ですよ」
「そうそう。普通に一緒に遊べばいいんでしょ?」
「ええ、それで充分です」
フランチェスカは少し遅れて頷いた。
「……子どもたちにとって、“自分を知らない誰か”と笑い合う経験は、とても大切ですものね」
「はい。怖がらずに人と関われるようになる、その第一歩です」
そのやり取りを聞いていたクラヴィスは、腕を組んで小さく息を吐いた。
(こいつらにとってもいい経験かな)
理屈じゃなく、感覚で覚えさせる。
実にこの学校らしいやり方だ。
メガロマギアとはかなり異なる教育方法を前に、クラヴィスは素直に面白さを見出していた。
「……俺もたまには一緒に付き添いますよ」
「クラっちも?」
「お前らだけに任せるわけないだろ」
流石にずっとは無理だろう。
だけど監督役としてちゃんと見ておく必要はある。
ローズはそんな彼を見て、安心したように微笑む。
「ありがとうございます、クラヴィスさん」
「……昔、俺がやってもらったことを返すだけです」
中庭の奥から、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
まだこちらには気づいていない、無邪気な声だ。
「さて……施設の注意事項ですが――」
それから彼らはローズから簡単に注意事項を聞いた後、研修期間の間だけ宿泊する学舎へと向かって行った。
◆
学舎の一室は、思っていたよりもずっと質素で、けれど不思議と落ち着く空間だった。余計な装飾はなく、木の香りがほんのり残る机とベッドが整然と並んでいる。窓の外からは、夜風に揺れる木々の音と、遠くで鳴る鐘の余韻が微かに届いていた。
ユスティはベッドの上に腰を下ろし、勢いよく仰向けになる。
「はー……思ったよりおしゃれだよね、ここ」
「ね。もっと堅苦しい場所かと思ってた」
「教会って聞くとどうしてもねー」
メアはパジャマ姿のまま、部屋の中をうろうろと歩き回りながらそう言った。尻尾がぱたぱたと機嫌よく揺れている。
「そういやさー」
と、ユスティがごろんと寝転んだまま続ける。
「親に連絡したとき、めっちゃ怒られなかった?」
「怒られましたわよ。『勝手に予定を変えるんじゃありません』って」
「でも結局、許してくれたんでしょ?」
「ええ……ちゃんと連絡はしなさいと念押しされましたけれど」
フランチェスカは苦笑しながら、きちんと畳んだ上着を椅子に掛ける。
「うちも似たようなもんかなー」
アラニカが窓際に寄りかかり、外を眺めながら言った。
「怒られたけど、“経験になるなら行ってきなさい”って」
「フィオレは?」
「……最初は反対されたけど」
フィオレは小さく肩をすくめる。
「クラヴィス先生が一緒なら、って」
「信用されてるなー、クラっち」
「当の本人は胃痛になってそうだけど」
くすくすと笑い声が広がる。
完全に“お泊まり会”の空気だった。
しばらくは、今日見た校舎の話や、ローズのドジっぷり(メアが誇張しまくった)で盛り上がっていたが、やがて少しずつテンションが落ち着いてくる。
そんな中、フランチェスカは膝の上で手を組み、ぽつりと呟いた。
「……わたくし、少し頑張ってみたいですの」
その声は小さかったが、部屋の空気を変えるには十分だった。ユスティが身体を起こし、メアも歩みを止める。
「頑張るって?」
「今日、ローズ先生から聞いたでしょう……聖ディヴィアンヌの子供たちのこと」
「うん」
フランチェスカは、視線を床に落としたまま続ける。
「魔力の問題を抱えて、心のケアが必要な子たち……わたくし、正直に言うと、胸がぎゅっとなりましたの」
「……」
「いつもは、ちょっとふざけて、冗談言って……軽く見せていますけれど」
そこで一度言葉を切り、顔を上げる。
「ちゃんと向き合いたいと思いました。真剣に」
一瞬の静寂。
次に口を開いたのはユスティだった。
「……フランチェスカの夢だもんね」
「え?」
「学校の先生になること」
「あ……」
フランチェスカは目を瞬かせ、そして小さく微笑んだ。
「よく覚えていましたわね」
「そりゃ覚えるよ。いつも言ってたし」
ユスティは照れたように鼻を掻きながら言う。
「本来なら、こういう職業体験ってもっと後でしたけど……」
フランチェスカは、少しだけ拳を握る。
「この機会、逃したくないですの。実際に子供たちと関わって、何ができるのか……知りたい」
その決意は、背伸びでも気負いでもなく、自然なものだった。
「じゃあさ」
メアがにっと笑う。
「こっちはサポート役に回る?」
「ええ?」
「フランチェスカが前線、私たちは後方支援! 完璧じゃん」
「それ、遊ぶ気満々じゃない?」
アラニカが呆れつつも、口元は緩んでいる。
「でも、悪くない」
「フィオレも賛成?」
「……困ったら、助ける」
短い言葉だったが、十分だった。
フランチェスカは一人ひとりの顔を見回し、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
「……ありがとうございます。皆さん」
「改まるなって」
「そうそう。仲間でしょ?」
ユスティがベッドから立ち上がり、両手を広げる。
「じゃ、決まり! フランチェスカ先生(仮)のサポートチーム、結成!」
「その呼び方やめてくださいまし!」
笑い声が弾ける。
学舎の夜は、静かで、穏やかで、どこか希望に満ちていた。
明日から始まる研修が、簡単なものではないことは、皆わかっている。
それでもひとりじゃないという事実が、フランチェスカの背中を、そっと押していた。
◆
一方――クラヴィスはというと……。
割り当てられた学舎の一室にて、クラヴィスは簡素な机の上に小型の魔導具を置くと、しばらく待つ。すると淡く脈打つ魔力回路が、起動の合図とともに光を帯びる。
「……よし」
クラヴィスは軽く息を整え、魔力を流し込んだ。
空中に円形の投影陣が展開され、そこに人影が浮かび上がる。白髪交じりの老人――メガロマギア高等魔法学校の学長、ノイエルだった。
『おお、クラヴィス先生』
「……お疲れ様です、学長」
思わず背筋が伸びる。
この人を前にすると条件反射のように姿勢が正されてしまう。
「ええと……本題ですが。研修先の聖ディヴィアンヌに来たところで、少々想定外の事態が起きまして」
『想定外?』
ノイエルは面白そうに眉を上げる。
「……俺の教え子たちが、勝手についてきました」
『ほう』
「止めたんですよ? 本当に。説得も――」
『ああ、その件ならもう聞いている』
あっさり遮られ、クラヴィスは言葉に詰まった。
「え?」
『親御さん方には、すでに話は通してある。こちらとしても問題はない』
「なんと……」
『というかあの子達が先に親御さんに話を通し、後から学校の元に連絡が来たのだよ』
その一言で、クラヴィスの肩から一気に力が抜けた。
「……はぁ……」
『そんなに心配していたのか』
「当たり前でしょう……。もし何かあったら、俺の監督責任ですし」
深く息を吐き、椅子に腰を下ろす。
胸の奥に溜まっていた重たいものが、ようやく少し溶けた気がした。
「……とはいえ」
クラヴィスは頭を掻きながら、ぼやく。
「あいつら、勝手に動きすぎなんですよ。本当に。相談もなしに決めて、話進めて……」
『確かに、注意すべき点はあるな』
ノイエルはゆっくりと頷いた。
『だが』
「……?」
『以前に比べれば、ずいぶん変わったと思わないか』
その言葉に、クラヴィスは黙り込む。
『最初の頃はどうだった? 遠慮が先に立ち、本音を隠し、教師の顔色を伺い、自分さえ良ければいいとさえ考えていた』
「……」
思い当たる節は、嫌というほどあった。
最初の頃はかなりピリついていたから無理もない。
『今は違う。多少無茶でも、自分たちの意思で動き、失敗するかもしれない選択を自分で選んでいる』
「それは……」
ノイエルは穏やかな声で続ける。
『少なくとも、教師である君の前で“素”を出せるようになった。それは間違いなく、良い変化だ』
「……そう、ですかね」
否定しきれなかった。
今日一日を思い返せば、確かに彼女たちは遠慮なく笑い、怒り、無茶を言い、そして真剣な話もした。
信頼がなければ、成立しない関係だ。
『それに』
ノイエルは、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。
『クラヴィス先生も、本当は少し嬉しかったのではないかね』
「……ぐっ」
図星だった。
「……そ、そんなことは」
『会えて、顔を見られて』
「……」
『一緒に来たと聞いて、内心ほっとしただろう』
クラヴィスは視線を逸らし、咳払いをする
「……そらそうですよ、大切な生徒ですから」
『はは』
ノイエルは静かに笑った。
『まあいい。君は昔から、気を張りすぎるきらいがある』
「自覚は……あります」
『今回の研修もそうだ。力を入れるのは結構だが、力みすぎるな』
「……はい」
『程よくリラックスして、学んできなさい。聖ディヴィアンヌは、君にとっても特別な場所だろう』
「……ええ」
老人は、最後に穏やかな目でクラヴィスを見つめる。
『期待しているよ』
「……ありがとうございます」
投影陣が静かに揺らぎ、光が薄れていく。
『では、また』
「失礼します」
通信が切れ、部屋には静寂が戻った。
クラヴィスは椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。
「……あの爺さんも、余計なこと言いやがって」
ぼやきながらも、口元はわずかに緩んでいた。
教え子たちの顔が、次々と浮かぶ。
勝手で、騒がしくて、手がかかる――それでも。
「……悪くないか」
小さく呟き、立ち上がる。
窓の外では、聖ディヴィアンヌの鐘楼が静かに月光を受けていた。
「さて……」
クラヴィスは一度だけ気合いを入れるように肩を叩き、
「明日から、頑張りますか」
穏やかな笑みを浮かべて、灯りを落とした。