狂信者+ダンジョン=農家栽培 作:ストマフィリア
時間は昼時、ここはじゃが丸くんを販売している屋台。
あなたとアイズは偶然にもじゃが丸くんの魅惑に釣られて出会ってしまった。
「……こんにちは?」
こんにちは。
何故か語尾に疑問的な何かが付いていたのはよく分からないがこんにちは。
ぱちくりと、お互い見つめ合う時間が続いて早秒。
別に目と目が合い好きになる瞬間が来るわけでもなく、あなたとアイズ、そしてきょとん顔のラーニェはじゃが丸くんの完成を待っていた。
「あいよー、じゃが丸くん小豆クリーム味おまちどうさん! そっちのカップルさんはプレーンと抹茶ね!」
会話が挟まることもなく、早々に提供されるじゃが丸くん各種。
店主から手渡された紙袋には出来立てらしい温かさがほんのりと伝わってくる。
袋の中から漂ってくる匂いは鼻腔をくすぐってくる。今のも入り口を開けば、爆弾のような香りが襲ってくるだろう。
あなたの隣からは唾液を飲み込む音が聞こえてきた。
音の出どころはラーニェである。なお女性にしてははしたないなどとどうこう言うつもりはない、かくいうあなたも手に持つ美味なる食べ物に若干意識を奪われているのだから。
早い安い旨い。
3拍子が揃ったコレはまさに最高の食べ物だ。
そんな、あなたがじゃが丸くんの素晴らしさに浸っている最中の出来事である。
「……それじゃあ、またね」
代金を払って、アイズが別れの挨拶を口に出した。
さも当たり前のように踵を返して去ろうとしている。
出会って3秒別れに3秒。
急な台詞にあなたも少々動揺してしまう。
「は?」
あまりにすんなりとした別れの言葉にラーニェも困惑している。
先程までじゃが丸くんに心酔していたとは思えない程、正気か疑う様な「は?」であった。
……まあ、思えばあなたとアイズは同じじゃが丸くん愛食者とは言え、関係値としてはそこまで深くない。
会話が弾んだことなど1度も無く、共に行動したことなどあの
「いや、それにしてもだろ……なんだあの人間、ドライなのか? 俗にいうドライって奴なのか? 冷めきった人間ってああなるのか?」
酷い言われようだ。とても初対面の人間に言う感想ではないだろうに。
初めて見るタイプなのかラーニェはアイズの独特な会話のペースに付いていけてない。
本来あなたに発揮する毒舌すら出ているくらいだ。珍しくあなたが関係していない事で困惑しているのは目に見えてわかる。
あなた以外の人間に対して興味を抱くようなリアクションを取ったのは、果たして良い事と捉えるべきか。若干引き気味な視線を向けているラーニェに、あなたは腕組みをして喉を唸らした。
……とりあえずは去り際のアイズに話しかけに行くべきか。
せっかくじゃが丸くんの愛食者がこうも集った偶然を勿体ないと思ったあなたは、アイズを引き留める為に走り出した。
今日はもう仕事も無いのだ。
帰り道がてら、話し相手くらいにはなってほしいものである。
ゴロゴロ、ゴロゴロと。
木製で作られた荷車の取っ手を引きながら、あなたはオラリオの街並みを歩く。
昼頃の快晴な天気の下、健康的な温かい日差しが心地よい。
多くの屋台や
流れるように周囲を見渡せば、大道芸人が通行人を楽しませたり、吟遊詩人が弾き語りを行っていた。勿論聴衆が投げた石が詩人や芸人の頭蓋を粉砕し、真っ赤な花が咲いたりはしない。
ノースティリスとは異なるオラリオ特有の、とても平和な光景がそこには広がっていた。
「……もぐもぐ」
「もぐもぐ……ん~!」
そしてあなたが背後に気を向ければ、金髪の少女と白髪の女性がじゃが丸くんを食べている。
荷車に腰を据えてじゃが丸くんを黙々と食べる美人2人。
表情を淡々としたままもぐもぐするアイズと、結構恍惚とした表情でもぐもぐしているラーニェがあなたの引く荷車に座っていた。
唐突に開催されたソレはじゃが丸くん愛好会、とでもいうべきか。
あなたは購入したじゃが丸くん抹茶味を頬張りながらそんなことを感想を抱いた。
「……あの、よかったんですか? 私の
ごくんっ、と頬張ったじゃがの塊を飲み込んだあなたにアイズの問いが届く。
それは数分前、あなたがアイズをロキ・ファミリアの拠点に送るという提案についてだった。
あなたは別にいいと、心配も気遣いも無用とアイズに返した。
あなたの家はオラリオの北西にある。ロキ・ファミリアの拠点もあなたの覚え通りなら同じ方角にある。要は物のついでというものだ。
それに元はと言えば、同じジャガ丸くん愛食者としての話し相手が欲しいと無理に引き留めたのはあなたの方である。
それを考慮すればこの程度の苦労は許容の内だ。別に今更女性一人という荷物が増えたところで気にする事は無い。
「ん……ありがとう、ございます?」
「さっきから気になってはいたが、なんで返しが疑問形ばかりなんだ……」
そこに関してはあなたは何も考えないことにした。
きっとアイズは会話のテンポが少々独特な人間なのだろう。多分、メイビー。
ただこれに比べれば毒電波ばら撒き神でおなじみエヘカトルよりマシだと思える。
*うみゃ?* *うみみやぁ!* *うみみみみみみ!*
などと頭に響く電波を流してくるあのエヘカトルよりは全然マシだ。
ふと思い出し電波を食らったあなたはこめかみを抑えてしまう。
狂信者であり、あらゆる神に対して過多な敬意を持つあなただからこそ言うが、あれは会話こそ通じるが言葉が通じないのだ。
心を込めて祈った際に*たらばがに!*と返される信者の気持ちを想像できるだろうか。少なくともあなたにはできない。事実、一度クミロミに殺される覚悟で信仰してみたものの、あなたには茫然とすることしかできなかった。
そしてあなたは無事天罰として殺された。大鎌で首ちょんぱである。慈悲は無い。
ともあれ、そんな神と比べたらアイズはまだ接しやすく会話のしやすい部類に入る人物だ。
「……えっと、農家さん。隣の人、誰?」
「……あ」
そう言えば、アイズには彼女の事を紹介していなかったか。
初対面同士な2人を後ろに積ませていた事を忘れていたあなたは、思い出したようにラーニェを紹介する。
あなたの友人であることや同居者であること。もちろん異端児であることはだんまりのまま。
ていうか、2人してじゃが丸くんを頬張っていた時は普通に会話していた気がするのだが。
あれか。じゃが丸くんパワーが成せるコミュニケーションバフだろうか。
「ラーニェさん、でいいの?」
「ラーニェでいい。さん付けされるような身分でもないしな」
「それじゃあ、私もアイズでいいよ。みんな、そう呼んでる」
円滑に呼び名を決めていく彼女達を横目にあなたは荷車を前に引く。
にしても身分の違いとは言い得て妙である。元異形の人外と一人の少女がごく普通に会話している光景はこの世界ではまずありえないものだろう。
それに元はといえ人間を嫌っていたあのラーニェが自ら人間に関わりを持ちに行くとは、なかなか感慨深いモノである。
なにせ1年ほど前まではあなたにと出くわした瞬間に見下すような視線を向けていたのだから。
相当な心境の変化があったに違いない。あなたとの出会いが影響しているのか、それともそうじゃないのかは分からないが。
――さて、あなたの思考は数分と続き、そんなあり得ない光景を生み出していた2人は。
「確か、それはじゃが丸くんの……小豆クリーム味だったな。私はまだ食べたことが無いんだがどんな味なんだ?」
「どんな……? うーん、小豆とクリームの味?」
「そ、そのままだな」
「うん」
じゃが丸くんトークを開始していた。
というか、そもそもラーニェは小豆やクリームの味の想像が付かないのではないか。ダンジョンなどという穴倉過ごしではそんなものお目にかかる機会は無いだろう。
チラリとラーニェの表情を見てみれば何とも神妙な顔をしていた。
「次に食べる時はそっちの味を頼んでみるか。プレーンも悪くないけど……そうだな、オラリオに沿った言い方で言うなら、これも冒険って奴だ」
「うん。おすすめ、だよ」
しかし、味に対する疑問よりも好奇心が勝ったようでラーニェは顎に手を当てながらそんなことを口にした。
なるほど、次に買う時はラーニェは小豆クリーム味と。
あなたは念のためにそれだけを記憶して荷車を引くことに意識を向けた。
そこからというもの、あなたの引く荷台の上で繰り広げられる2人の会話は衰えを知らないまま続いていた。
会話の内容は8割がじゃが丸くんに関係するものでまとめられていたがそれ以外の、他愛のない話も所々で出されていた。
他愛のないと言っても、日々過ごしていて何が起こったとか、ダンジョンで苦労したことなど。あとはアイズ談によるとロキ・ファミリアの主神のスキンシップが若干うざったいとか、そんな軽い愚痴も絡んでいた。
因みにあなたは、あの神意外とちゃらんぽらんな所があるな。などと苦笑しつつ耳を傾けていた。
そんなとても平和で、ラーニェもアイズの会話のペースに慣れてきた頃合いである。
目元を隠しながら会話をするのもあれだと、日の光を遮っていた麦わら帽子を外し、白髪と白い肌をあらわにしたラーニェを見たアイズが、何を思い出したのかあなたに問いかけた。
「……あ、そうだ。農家さん、ラーニェさんみたいな白い髪と赤い眼の男の子、知らないですか?」
白い髪。赤い眼。男の子。
身に覚えしかないが、唐突な問いかけに疑問を覚えたあなたは何故そのような事を聞いてきたのかを逆に問う。
「この前、私が倒し損ねちゃったミノタウロスに襲われてた男の子がいたんですけど。助けた時に、怖がらせちゃって。いっぱい迷惑をかけたから、謝りたくて」
シュン……と気を落とした金髪の少女。
なるほど、自責の念からその少年を探しているのだとあなたは解釈した。
「あー……なあお前、もしかして」
そして、あなたとラーニェはぱちくりと互いに目を合わせる。
何せ覚えしかない。ミノタウロスに襲われたという経験を持つ少年。
加えて容姿が白髪の赤い目とくればあなたの脳裏にはたった一人の姿しか思い浮かばない。つい今朝に両腕の骨にひびを入れ、ボッコボコに鍛錬を施した少年しか。
あなたと同じく想像が付いているラーニェは、アイズに対してその少年の印象を聞いた。
「なあアイズ。その男って言うのは、もしかしなくても割と幼い顔立ちをした奴か?」
「? うん。少なくとも、ベートさんよりは、全然強面じゃないよ?」
「逃げ足が速そうとか」
「……そうかも?」
「兎っぽいとか」
「あ、うん」
アイズの中では白髪赤目の少年は兎のイメージが立っているらしい。
哀れなり、この前の鍛錬での会話で密かに思いを寄せている少年の心情を若干知っているあなたは今のアイズに
――内心で両手を合わせ合掌はするとして、さておき。
「……えっとだな。間違いじゃなければ、その人間に心当たりがあるんだけど」
「っ! ほんと、ですか?」
あなたがラーニェと視線を合わせ、コクリと頷くという以心伝心染みた行動を起こした後ラーニェはアイズにそう告げる。
アイズはアイズでラーニェの発言に驚きの様子を見せ、食いつくようにラーニェの言葉の真意を問いかけた。
「ああ、ただ私はまだここにきて日が浅いからな。詳しい事はコイツに」
どうやら問いの解答権はあなたに譲られたようだ。
鼻息を軽くついた後、あなたは荷車を止めて後ろで体操座りをしているアイズへと向き合った。
あなたはアイズの語った少年の印象。そして容姿。
それがあなたの想像している知り合いの1人に一致すること。
そしてその少年があなたの住む家の隣人であることを告げる。
「お隣さん、なんですね」
あなたの言葉に少し落ち着きを見せないアイズの姿が目に映る。
ラーニェなんか、体操座りのままゆらゆらと体を揺らすアイズを見て温かな視線を送っている。まるで初めて人肉を食そうとするペットを見守るような微笑ましい目だ。
あなたとてラーニェと同じような視線を送っているに違いない。
少女らしい初々しい様子に、あなたの脳裏にはあなたのペットである妹猫が思い浮かんだ。
間違っても*妹*ではない、*妹猫*の方だ。
お兄ちゃんヒステリックストーカーではない。ただ鬼ごっこをしたがりで構って欲しがりがちな妹の方である。
ノースティリスにいた頃、初めて妹猫をペットにしたあの日と同じようなアイズの初々しさにあなたは懐かしさに浸れたような感覚を得ていた。
と、懐かしなペットの話は置いて置き。
あなたはアイズはその少年に会いたいのだろうか、と。
ずっと疑問に思っていた言葉をかけた。
「え……えっと、はい。分かりますか?」
まあ、やけにソワソワした雰囲気と先程の話から分かり切ってたことではある。
そしてあなたとラーニェは再び視線を合わせ、フッと笑みを浮かべた。
言葉は必要ない。お互い、意思は同じようだ。
そのことを確認したラーニェはアイズに向けて声をかける。
「なあアイズ。これは余談なんだが、コイツその隣人に鍛錬をつけていてな」
「?」
「余程の都合が無い限り、必ず日が出始めて少し経つくらいまでは鍛錬を続けているんだ」
「……うん。それが、どうかしたの?」
さも雑談のように語り始めるラーニェの意図にアイズは気づいていない。
意外と察しが悪いのか、疑問符を浮かべる彼女にあなたも口を開いて言葉を返した。
返した内容は非常に単純で簡潔である。
――その少年に会いたいなら、早朝あなたの家まで出向けば会えるぞ、と。
そんなたった一言であった。
翌日の早朝。
「私達が誘っておいて今更なんだが、こんな早朝にファミリアのホームから出ても大丈夫だったのか? ロキ・ファミリアの事情はよく知らないけど、それなりに忙しいんじゃ」
「……大丈夫。遠征はちょっと先の事だし、私は戦闘員で、事務の事はリヴェリアとかがやってるから」
「それならいいんだが……」
この日、オラリオの北西と西の間に位置するあなたの家、その大きくない中庭の上にてラーニェとアイズが芝生の上に座って雑談をしていた。もちろん家主であるあなたも隣にいる。
昇る朝日に照らされながら芝生で会話を続ける美女2人。
実に絵になる光景だ。あなたは狂信者な冒険者故、オラリオで偶に聞く青春だとかアオハルなどに縁は無いが、そういう趣向を好む者がこの一幕を見れば、さぞその者の唾液腺を刺激することだろうと感じた。
あなたも、あなた以外の人間の知り合いが出来たラーニェの姿を見て少し表情を緩めている。
「……なにニマニマしてるんだお前」
「……なんで、笑顔?」
どうやらあなたの視線に気づいていたらしい。
何でもないと一言入れて、きょとん顔のアイズと若干引き気味なラーニェの表情を横目に、あなたは見知った気配が近づいてくるのを感じた。
日の登りよう的にそろそろベルが来る時間だろうか。
そう察知したあなたは立ち上がり玄関先の扉を先んじて開けておくことにした。
「あ、
と、思ったよりも駆け足で来たのか扉を開けた途端にベルと相対することになった。
大きな声で挨拶をしてくるベルにあなたも挨拶を返しながら、彼の頭をポンっと撫でる。
そして早速ではあるが、あなたは雑談抜きにベルに対して客がいることを告げた。
「え? 僕に、ですか?」
身に覚えはないだろうが客がいるのは事実だ。
鍛錬は彼女との話が終わってからにするとして、とにかくあなたはベルを来客者の元へ連れていく。
誰なんだろう、と独り言を口にするベル。
目的地にはすぐに到着する。あなたの家の中庭でラーニェと話をしているのであろうアイズの事など知らぬまま、ベルは前へと足を運び――
「え――」
「あ」
見開かれる
ラーニェと雑談を交わしていたアイズの視線と、少なからずとも思いを寄せているだろう相手の姿を確認したベルの視線が交差する。
「……」
途端に何を思ったか、ベルはぐるりと回れ右。
向かう先は先ほど出入りしたあなたの玄関先の扉だろうか。
「あれ?」
「ん?」
そして、戸惑いの呟きがこぼれたその瞬間ベルは全力疾走を開始した。
脇目も振らないようなスタートダッシュである。一瞬横顔が見えたが、ベルの表情には必死さが垣間見えた。なんなら顔真っ赤である。白兎ならぬ赤兎といったところだろう。
逃げ足はそれほど早くはない。あなたの
とはいえ一般人からはかけ離れた俊敏性なのは確かだ。あの速度ならば3秒と立たずに扉を抜けるだろう。
――しかし、ここにはあなたに迫るほどの速度の持ち主が一人いた。
「【
「は!? ちょ、まて!?」
駆けだしたベルを追いかけるが如く、アイズは魔法のような詠唱を一言。
そして自身の体に風を纏い一息に疾走した。
追いかけっこのつもりだろうか、表情の薄いアイズの顔からは若干ワクワクしてそうな雰囲気を感じられた。
ちなみにラーニェはアイズの魔法の詠唱の一言を聞いた瞬間に全力で横に跳躍。なんとか避難を成功させていた。
……人の家で無断に魔法を詠唱するのは倫理観的にどうなのか、と苦言を垂れることになるのはこの一件が終わった後のラーニェの一言である。
これについてはあなたも同意した。勝手に家の真上でメテオられてはたまったものではない。
そんなこんな、あなたの横を通り抜ける一筋の風。
あなたと同等レベルの速度で駆けるアイズは、おおよそベルの10倍の速度である。もちろんアイズとて全力ではないだろうが、今にも扉を抜けようとするベルの3秒には余裕で手が届くだろう。
そして、手が届く刹那の一瞬。
「え」
「……え?」
(この子……私が見えてる?)
恐らくアイズの内心ではこのような驚愕の言葉が出ている事だろうか。
ほんの一瞬ではあるもの、間違いなくベルはアイズと視線を交わしている。
二度語るが、アイズの速度はあなたに迫るほどだ。
常人であれば視認することすら不可能な速度の差。例え冒険者であろうとも、まだ初心者なベルでは到底その姿をとらえる事など出来はしない。
出来はしない……はずが事実、ベルはアイズの姿を肉眼で視認した。
多分、あなたが施した鍛錬の成果だろう。
あなたが施した鍛錬の一部には、あなたがベルを肩車して
オラリオの壁上を駆けまわるあなたの肩の上で、ベルはあなたと同じ景色が見えたことだろう。
当然、最初は吐いた。目を回し、三半規管がぶっ壊れて、血涙すら浮き出るくらいにはボロボロになっていた。
しかし、繰り返していくうちに慣れてきたのだろう。
耐久の無さから血涙が浮き出るのはしょうがないとして、徐々にベルの視界には一本線上に見えていたはずの景色が、まともに見えてきたのだという。吐くことも少なくなった。
その経験を踏んだ今のベルならば、微かにアイズの姿を視認できることにも納得は行く。
まあ、ただ、体が反応に追いつくかは別の話だが。
「あっ」
「……えっ」
瞬時に追いすがったアイズの姿を見て、ベルは逃げることが不可能だと瞬時に判断できるわけもなく疾走を続けていた。
何分、あなたがベルに施したのは最速に値する景色を見せたことだけだ。もっと言えば、ベルの動体視力を強化しただけ。瞬時に判断できるほどの思考の強化については触れていない。
というか本来、高速戦闘等の技術は経験の期間によって身に付くものだ。あなたでさえ通常時の廃人と同じ
むしろ、短期間であなたと同じレベルの速度を発揮するアイズを見切ったベルを褒めるべきだ。
そしてアイズは元々、ベルの正面に立つ気満々だったのだろう。
ベルの側面を追い越し、彼の真正面に立ちふさがろうとする。
つまりは、止まることが不可能な暴走兎と、身体能力が兎よりも高く側面から真正面にダイブする金髪少女。
結果としてどうなるかと言えば。
「う、わぁ!?」
「……っ」
ドムッ、ドサリ、と激突と倒れる音に加えてあなたの中庭の芝生の上に落ちた草の音。
激突の瞬間に何とかアイズが傷つかぬよう庇おうとしたのだろうか。己の身をクッションにすることが間に合ったらしいベルは、距離感ゼロで迎える黄金の瞳を真正面に捉えた。
女が男を押し倒すという稀有な状況が完成したのである。
この場合、食べられるのは白兎なベルの方だろうか。となればアイズは兎を襲う金髪の獅子ということになりそうだが。
なんにせよ朝早くからお熱い事である。
*わーお!**ブラボー!*
あなたは密着する2人を揶揄うように口笛を一吹きした。
「……だあああああああ!?!?!? ごっごごごごごめんなさぁい!!!!」
「……暖かかった」
あなたの揶揄いを受け、羞恥からかようやく再起動したらしいベルが顔を真っ赤にしてアイズを手放し、全力謝罪をかました。
実に素早い謝罪であった。間違いなくいつもの鍛錬よりも速度が出ている。
もしかしてベルは羞恥に晒されると速度が上がるフィート持ちだったりするのだろうか。
「何の話ですか!? ていうか
「……むぅ。逃げちゃ、だめ」
「え、ってはいぃぃ!? てっ、手掴まれて……っ!? は、放してくださいぃ!?」
「離すと逃げちゃうから、ダメ」
どうやらあなたの問いに答えられるほどの余裕はないらしい。
ベルはもう顔が真っ赤っか。動揺と困惑で放たれる言葉は詰まり気味。
対するアイズはもう逃がさないぞとばかりに力強くベルの手の平を握っていた。なお、そのせいでベルが挙動不審になっているのに気づいては無い。アレはあれで天然さが出ている。
「わ、分かりました! 逃げませんから、手は放してくださいぃ!!」
そんな割と混沌めいた状況が続く中、あなたは少年少女の初々しい光景を眺めていたのだった。