久方ぶりの満足がいく食事を終えたオーリ達は学園に戻り、クエストを受注するべくその足で〈図書室〉へと向かった。
図書室は普段、学徒連中が授業を受ける学園本棟を抜けて裏の別館に位置している。
もっとも過去の冒険者たちが経験によって得た知識の記録のみならず、様々な時代と地域からかき集められた蔵書や文献が溜まりに溜まり増え続けた結果、それらは狭い一室に留まることなく別館に存在した部屋のそこかしこを侵食し、溢れかえり、ついには別館の全てを図書室として占領するまでに至っているので、実質的に〈図書館〉と云うべきである。
夜の学校とかいうあんまし長居をしたいとも思えない闇の中を進み、図書室(と言い張る図書館)の明かりが煌々と灯っているのを確認したオーリは胸を撫で下ろした。業務時間は過ぎたかと思ったがどうやらまだ間に合うようだ。
足早に到着したオーリが出入り口の扉を潜りすぐ脇にある受け付けカウンターに目をやると、同年代のヒューマンの女の子が分厚い手帳に、しかつめらしい顔でなにがしかを書き込んでいるのが見えた。
ツーサイドアップにまとめた柔らかな緑色の髪を可愛らしいリボンで飾ったその少女へ、オーリはやや遠慮がちに声をかけた。
「お仕事中すんませーん、ちょっといいですかあ」
「うん? ……あら、こんな時間に誰かと思ったらオーリじゃない。キミがここに来るなんて、いつぶりだったっけ」
「おこんばんわ、サラちゃん。クエストを受けたいんで照会と手続きお願いしたいんだけど、まだ受け付けてもらえるかな?」
「はいはーい、ちょっと待っててね。これを片したらすぐにそっちも済ますから、それまで提示板でも眺めてて」
そう言って緑髪の少女───サラは手帳に書き込む手を早めた。よく見れば革表紙がなんとも重々しく、さらにはその分厚さも相まって百科事典と間違えそうな代物だ。
彼女はオーリと同学年の図書委員で、暇さえあれば図書室に足を運んで自主的に委員の仕事をこなしており、今では新米看板娘として評判を博している。実際、オーリのクラスメイトにも彼女目当てで用もないのに図書室に足を運ぶ酔狂者がいるくらいだ。
またこれは余談だが彼女は学園に所属してるだけで別に冒険者志望というわけでもなかったりする。
学部やカリキュラムの中には斬った張ったとは無縁な、冒険者に関わる各機関やら取引先の職員等を輩出するための高等教育を施すものも存在しており、彼女はそれを求めてやってきた一人というわけだ。
オーリは言われた通りにカウンターから少し離れたところの壁にある、クエストの依頼書が貼り付けられた掲示ボードに目を通していった。
そうしてしばらくすると書くのを終えてカウンターから出てきたサラに声をかけられた。
「お待たせ───って、アレ? キミ一人なんだ。最近はずっと、あのめっちゃ綺麗なフェアリーくんと一緒だったのに」
「あー……途中まで一緒だったんだけどさ『ぼくが顔出すと何かと不便や迷惑をかけるだろ』つって、部屋に戻っちゃったんだよね」
「へぇ、そりゃあ助かるわ。前にあの子がここに来たときなんて困ったもんだったからね。うっかり直視しちゃった連中が───私も含めて───半日ほど“ぼんやり”して使い物にならなくなっちゃってさ」
その時の醜態を恥じるかのように、やや皮肉なものを浮かべて少女は笑った。
「でも意外だね、あの子にも気を利かせるとかできるんだ。それとも、気を遣ったのはあくまでキミに対してかな?」
「……人の相方に向かって、よくもまあひどいことを」
内容からすれば怒ってもいいはずだったが、少なくとも邪気と悪気はない口調と笑顔につられたせいだろうかオーリは失笑するに留め、さすがに言い過ぎたと思ったのかサラもすぐに謝罪をしてきた。
「おっとゴメンゴメン、もう言わないよ。それよりも今受けられるクエストについてだけど……えーっと確かキミ、転科してからこないだの探索でもう準マスターまでいったんだっけ?」
「相も変わらぬ地獄耳ですこと。まだ教務課にだってレベルアップの届け出はしてないのに、なんで知ってんだか」
「ふふー、ひみつ」
コケティッシュな微笑みにウィンクを添えて少女は
吹けば飛ぶよな一学徒の個人情報を手に入れるなぞ、彼女にとっては息をするのと同じことである。
図書委員としての業務の他に、各種クエストの手配・受け付けも担当しているウワサ好きの情報通。快活で可愛い図書室の看板娘───というのは表向きの話。
その本性はパルタクスで絶対に怒らせてはいけない輩の一匹、興味を引いた物事のためなら聖者の墓すら暴いてのけるゴシップの悪魔として学園に名を轟かせる危険ブツ。
嘘か真か彼女が常に肌身はなさず持ち歩くさっきの手帳(通称・外道の書)の中身が1ページでも流出したが最期、大陸の津々浦々が首を吊るもので溢れかえるとまで言われている。
少なくとも学園に入学してすぐの頃、ウカツにも彼女に絡んだガラの悪い学徒達が二言三言、なにがしか言葉を交わしただけで泣きながら逃げ出したのを目撃して以来、オーリ(と、居合わせた連中)は何があってもコイツにだけは逆らわないようにしようと心に決めていた。
「んーと……今受け付けてるものだと、そうだね……」ひとりごちつつサラはボードの真ん中に貼られた依頼書を指さした。
「これなんてよくない? 生徒会長様直々のご依頼。ちょっと苦労しそうな内容なもんで他の子は受けたがらなかったんだけどキミならやれると思うし、なにより名前と顔も売れるチャンスよ」
「生徒会長……確かマクスター先輩だっけ?」
つぶやく少年の脳裏に、入学式の際に遠目で見かけたっきりな〈セレスティア〉の先輩の人品卑しからぬ麗貌が浮かんだ。
セレスティアというのはご先祖様が天使だとか言われてるうそくさい種族のことだ。背中に純白の翼を生やし先天的に美男美女が多いという、なるほどいかにも衆生の想像する天使様といった風体を特徴とする。
そして当代におけるパルタクス学園の生徒会長を務めるマクスターは文武両道・品行方正・眉目秀麗と、まさに非の打ち所なき全学徒の模範にして理想的セレスティアというべき傑物として知られている。
それほどの人物の名を口にしながら眉根をしかめさせる寸前まで寄せるという、この少年には珍しい反応を見たサラが訝しげに訊いてきた。
「あら、キミって会長さんのこと嫌いなの?」
「うんにゃ、普通に凄い人だって思ってるし尊敬もしてる。ただ……ああいう身も心も大した
「なにかと思えばそんなこと。聞いて損したわ。嫌いだろうが親の仇だろうが、取引中なら笑顔で握手が商売の基本なんだからね、しっかりなさい」
「別にそこまで嫌ってないから。ちょっと苦手ってだけで……」
「男の子が言い訳するんじゃないっつーの。つべこべ言ってないでとっとと受けろっつーの。あと依頼人に会うときゃ間違ってもさっきみたくな顔みせんな営業スマイルも忘れんな」
まくしたてる少女の剣幕に、オーリは無条件降伏の白旗を上げるしかなかったという。
「あいあい、俺が悪うござんした。じゃあこれと……あとせっかくだしこっちの、〈保健委員〉からの依頼を受けるよ」
「ん、わかった。手続きは済ませておくから明日になったら、依頼主に顔を出しておいて。ああ、それと───今回は大目に見てあげるけど、次からクエストを受けるときはちゃんと時間に余裕を見てちょうだいね」
「あい、気をつけます」
オーリは小さく頷き、ボードから剥がした二枚の依頼書をサラに手渡してから図書館を辞した。