「実のところ、私はそこまで“補習授業部”の行く末に期待はしていない」
淡々と語る少女の瞳は、どこまでも透き通っていて澱みが無く、その内容の冷酷さはこの際置いておくとして、少なくともそれが嘘偽りのない本心であるのは十分に窺える。
ただそれ故に、そんな発言が本心からの言葉となると、こちらとしてもやはり違和感を抱かずにはいられない。なにせ、補習授業部には彼女が大切な友人と言って憚らない存在も所属しているのだ。それなのに他でもない補習授業部を立ち上げた一人である彼女が、まだ結論を出すような段階でもないのに、まるで希望を切り捨てるような、期待を捨てたかのような発言をするなどと、少女が人並みの情を有する人物であると認識していたからこそ、素直にその言葉には驚くしかない。
私がそう思っていたのが表情にも出ていたのだろう。少女は一言「おっと」と呟くと、「期待はしていない、というのはやや語弊のある表現だった。私の悪い癖だ」と続けて、
「諦めてる、というのも少し違う気がするね。……言うなれば、“見守っている”というのが表現としては近いだろう。要するに私は、ハナコがどのような選択をしようとも、その決断を徒に否定したくはないのだよ」
「……。それが、貴女にとっての不都合であっても?」
「私の存在が彼女にとっての重荷であるのなら、悲しくはあるがこの身を引くとも。……こう言うとアレだね。まるで私が彼女の恋人だとかそういう……まあ何だ、こう見えても私にとって、彼女の存在は相当のモノであり、それ故に傷付けたいとは思わない。しかし、純真な彼女には、この学園に蔓延る権謀術数はそれほどに耐え難く、ならば私の我儘で押し留めても、それは彼女に深い傷痕を残すだけだろう」
「………」
権謀術数というのは、この学園の権力争いのことを指しているのだろう。パテル派、フィリウス派、サンクトゥス派──学園のトップである生徒会長が何故か3人もいるという時点でそのややこしさは推して知るべし。私が言えた話ではないが、自治区の住民にとって見れば、その学園のトップの座はあまりに権力として魅力的で、まして学生の身分ともなれば、学園の中が世界の大半と言っても過言ではない。
そうなると当然、中には卑怯な手を使ってでも成り上がりたいと考える人間が出るのは自然な話。悪評を流す程度は可愛い方、誰かを傷付けたり蔑めたり、果ては退学に追い込んだりと、それこそティーパーティーに選ばれたら、それを大々的に行っても面と向かって咎められない程度には絶大な権力を得られる。
ある意味では、“補習授業部”もその政策の一つなのだろう。ほんの少しだけセイアさんの気が変わって、「やはりハナコにはこの学園は相応しくない」と判断すれば、彼女たちは即座に補習授業部の全員を退学に出来るだけの力を有している。もちろん、シャーレに組み込まれた今はそんな横暴は一筋縄ではいかないだろうが、それはただ面倒であるというだけだ。適当な理由を添えて、それっぽい罪状をでっち上げて、自主退学という形を迫れば。所詮は外部の人間である私に口出しできることはない。
『学園の空気が合わなくて自主退学ってのは、退学の理由としてはダントツ☆』
ふと、数日前に聞いた聖園さんの発言を思い返す。僅かに匂わせる程度で、それ自体はなんら変哲もない言葉。“外”であればあっさりと流されるだろう一言。実際、私もあの時は『そんなものか』と受け取っていた。しかし、このキヴォトスにおける“退学”という言葉の重みを理解していればその印象は劇的に変わる。
ここキヴォトスの“学園都市”という呼び名は伊達ではなく、真の意味でこの街では学生を中心として回っている。ならばその中で“学生”という肩書を失えば、どうなろうか分かろうと言うもの。
各種公共施設の割引を受けられないのはもちろん、そういったはみ出し物を追い払う目的で、学生以外には法外な値段をふっかけるレジャー施設もある。定食屋の一つにしても、学生証の提示を前提とする店が多数ある。これでも一例に過ぎず、兎にも角にもキヴォトスにおける“学生”の立場はそれほどに重要で、ましてトリニティほどの規模ともなれば、競合するような学園も周囲に無く、その選択は事実上自治区を去ることと同義となる。
キヴォトスで頻繁に見かける、ヘルメット団と呼ばれる犯罪者集団。彼女たちはどうして顔を隠して活動しているのか、おおかたの予想は付く。そもそも興味本位で何人かの身柄を確認したことがあるのでまあ何というか。同情してたらキリがないので私はあまり考えないようにしてる。
そのようなことを考えていると、百合園さんは紅茶を一口嚥下すると、いつしか握られていた大きめのクッキーを見せびらかすようにして語る。
「ただ、補習授業部での活動そのものは、彼女にとっても良い刺激となっているようだ。ここ最近になってハナコと茶会を開く際、彼女は余ったお茶請けを欠かさず持ち帰っている」
「? それが何か……?」
「君は疑問に思うだろうが、面倒な慣習があってね。この茶会ではお茶請けの使い回しは許されず、そのくせガツガツ食べるような真似も咎められると来た。故に余った菓子は普段、片付ける際に分派の末端が分け合うなり持ち帰るなりをしているわけだが、別に持ち帰ることがマナー違反というわけでもない。ミカはもちろん、ナギサでさえ会議が白熱した故にテーブルにも並ばなかったロールケーキを『勿体無いから』とそのまま持ち帰ったことがある。私も少食でたまにケーキを1ピース全てを食べ切れない時があり、そういう時は流石に包んでもらっているよ」
ああ、なるほど。つまりは遠慮していたか他の理由か、ハナコさんはそれまでお茶菓子を持ち帰ることはなかった。なのにここ最近になって急にそれを始めた。状況から考えて、それは補習授業部が原因で間違いはないだろうと。思い返せば、ハナコさんからお菓子を頂いたことが幾度かあったかもしれない。この学校には『放課後スイーツ部』なんて部活まであるし、そういった趣味の友達から頻繁に貰っているのかな、と私は思っていたのだが、出どころはここであったと。
多分、彼女は他の補習授業部との会話に悩んでいるのだろう。そもそも自分はその気になれば勉強なんていくらでも出来るのに、周りは真剣に勉強に際して思い悩んでいる。勉強以外の話ではそんな彼女たちの妨げになるかもしれないと、その取っ掛かりとしてお菓子を用意した。とりあえず知らない人には“今日は良い天気ですね”と切り出すのと似たようなものだ。不器用というか何というか。そういう意味では、誰が相手でもペロロ様の話題で場を繋げるヒフミさんは彼女にとって非常に眩い存在なのかもしれない。
(ん? じゃあもしかして、ハナコさんは割と頻繁にここに来ている……?)
ちょっと野暮な思考が湧き出たが、ハナコさんについては今後考えよう。ハナコさんと似たような立場の人間を補習授業部に放り込む……なんてのは単純過ぎか。でも私に出来るメンタルケアなんて“根性叩き直す”的なアレなので……そのおかげかシャーレに鞍替えさせた元不良なんかからは“姐さん”呼ばわりされるくらい慕われているけど、ああいう繊細な子相手は本当に難しい。
ちらっと見た百合園さんの顔に、憂いの類は感じられない。それは彼女が有する“未来視”に由るものか、それとも私に対してそれほどの期待を寄せているのか。
(………)
まあ、とにかく彼女に関してはこの学園における事実上の頂点が味方なら如何様にもなると信じたい。実際のところどうするかは後で考えるとして、今日の本題は──
「──アリウス分校の構成員を一人捕えた、という話だったね」
「……ええ」
いよいよ切り出したその話に対して、なるべく真剣な顔をして返す。私は容姿が理由でどうも迫力が出せないのでやや締まらないが、それはあちらも同じこと。まあ立場だけならどちらも無駄に厳ついんですけどね。
「偶然……とは言えませんね。罠を仕掛けて、釣れたらラッキーくらいの気持ちでした。如何にトリニティが広大と言えど、学園レベルのモノを隠すとなれば自ずと場所は絞られる。トリニティの場合は如何にも怪しい
シャーレにティーパーティー、この地区のトップとこの街の頂点の支持があれば、ヴァルキューレや正義実現委員会、自警団から野次馬まで大々的に動かせる。仮にも“分校”を名乗るなら、その人数はかなりのもののはず。怪しい目撃情報の一つでもあれば、『シッテムの箱』経由で行方を辿れる。
「しかしきっかけが単なる目撃情報とは……そう簡単に見分けの付くものではないと思うが」
「いえ普通に腰のベルトに校章付きで
「…………………。…………もしかすると、隠すつもりも……ない、のかもしれない」
しばらく無言で天を仰いで、絞り出すかのように百合園さんは言葉を紡ぐ。随分と歯切れの悪いその発言は、普段の妙に自信に溢れた態度とはまるで異なり、それだけ彼女が困惑しているのが見て取れた。
「……トリニティがいわゆるお嬢様校という話は前にしたね」
「初日のことですね。ええ、確かにそのようなことを──」
「言い方は悪いが、そんな金持ちの娘を預かるトリニティで、不透明な経歴を有する人物が転校してくる、というのは決して容易いことじゃない。攫われて、騙されて、拐して、誑かして。その手の問題はどうやっても付き纏う。私が他者との交流を避けているのは、私自身が口下手というのもあるが、それ以上に親の圧力を恐れているからだ。本当に何の自慢にもならないが、ある店舗の前で石に蹴躓いたからと、その店舗を潰すくらいなら私の一存で行える」
わーお。
いや、もしかしてこれ、似たような経験あったり……? これはちょっと茶化せそうにないな。もしかしなくても百合園さんがこの学校のトップにいるのはそういう理由なのだろうか?
流石に反応に困った私に対し、百合園さんは更に言葉を重ねる。
「それでもなお、審査を潜り抜けたとなると……まあ、おおかたミカの仕業だろう。彼女らしいと言えばその通りか。思い返せば、君が失踪するより少し前、ミカがそれらしい話をしていた記憶がある。あの時は何を馬鹿なと鼻で笑ったが……そうか、彼女はあの話を大真面目に……」
「それらしい話とは?」
「“アリウスと和解したい”……そのような絵空事さ。一方的に銃を突きつけた相手に対し、上から目線で『そっちが謝るなら許してあげる』と宣うようなものだ」
それはきっと、無茶で無謀で無駄な試みではあるのだろう。しかしながら、アリウスがトリニティと敵対していたのは遥か過去のこと。通常の国家であればともかく、住民──学生の移り変わりの激しいこの学園都市において、10年もすればすっかりそんな出来事も過去の記録に成り果てる。
「そう……だな。我々が気にし過ぎた、という可能性は確かに捨て切れない。案ずるより産むが易し、拙速は巧遅に勝る──少なくとも、こうしてただ手を拱いているよりは、よほど建設的だ」
そう言うと、百合園さんは手に持ったクッキーを一口で飲み込み、席を立ってそのまま告げる。
「アリウスの取り調べの件、私も同行させて貰おう。元はトリニティの問題だ。まさか否とは言わないね?」
当然、私はその提案を断ることはなかったが……というより、そもそも私の許可が無くても彼女クラスの立場があれば他に面談の機会を設けるなりどうとでもなったはずだが、彼女がわざわざそのような提案をしてきたことは意外だった。
☆☆☆
槌永ヒヨリは焦っていた。
というのも、今日はその日行われる任務を全て終え、日課である雑誌集め……という名のゴミ拾いに励んでいたところ、その様子を見咎めたらしい誰かに通報され、あれよあれよとそれはもうビックリするほどの手際の良さで、そのままヴァルキューレの拘置所まで身柄を連行されてしまったからである。
正直な話、アリウスがトリニティ転覆を企てている時点でいつかこんな目に合う可能性は憂慮していた。しかし、それを実行に移す前というか、単なる不審者として捕まるのは想定外にもほどがある。それ以前に普通に情けなくて涙が出る。
(うぅ……どうして私がこんな目に……)
幸いと言っていいのか、私は所詮ゴミを漁っていただけの不審者。まさかその程度でいきなり実刑判決がされるはずもなく、それにしては妙に丁重に扱われたような気はしたが、それはここ最近で急激に改善した治安が影響しているのだと思う。
(厳重注意か、罰金か……いやお金とかありませんからボランティアとか……? いずれにしろ、どう言い訳をすれば……)
この際コテンパンに怒鳴られるくらいは許容するとして、罰金なりボランティアに参加するよう言われたら本当に困る。ただでさえ時間の合間を縫って雑誌を集めていたくらいなのに、ボランティアともなると果たしてどれほどの時間が必要になるのか。ああ、どうせなら実刑判決でも下されて、言い訳も何もないレベルになってしまえば──
「さて、だいぶお待たせしてしまいましたね」
「い、いえいえ。こちらこそお騒がせして申し訳ありませ………え?」
とりあえず誠心誠意謝れば注意くらいで済ませてくれるかもしれない。そう考えて取り調べ室に入ってきた人物に対し、即座に叩頭して謝罪の言葉を紡ぐ。しかし、再び顔を上げてその人物の姿を窺った途端、思わず驚愕の声が漏れ出てしまう。
だってそうだろう。そこにいたのは私を連れてきたヴァルキューレの生徒でも、もっと言えばとても同年代の人物とは思えなかった。椅子に座った状態の私とほとんど変わらないような背丈に、児童特有の高く舌足らずな声。而してその印象を全て塗り替えるほどの堂々とした立ち振る舞い──何故、どうして。そんな疑問を呈する間もなく、少女はそれが当然であるように名乗り上げる。
「私は連邦捜査部シャーレ代表、連邦生徒会長代理のアロナです。少々お話を伺っても?」
「は……はいぃ……!?!」
まさか“否”と言えるはずもない。こんな場末のヴァルキューレ駐屯地なんかには、あまりに不釣り合いな大物の登場に完全に萎縮してしまう私。流石の私も、いや私たちのような立場の人間だからこそ、彼女のことが分からない筈が無い。
元連邦生徒会長にして、現在は連邦生徒会の特殊組織の代表を務める女傑、アロナ。何故か“先生”を自称する謎の少女。このキヴォトス全体に波及した混乱を、たった一週間で全て鎮圧させた正真正銘の怪物。どう間違っても私なんかでは、太刀打ちさえ出来ない存在だ。
「そこまで卑屈に成らずとも……おっと失敬。君はとても感情豊かで表情が読みやすいね。それはそうと、ひとまず安心したまえ。我々は君と、少しばかりの雑談をしたいだけさ」
「そ、それはつまり“身体に聞く”ということで……? 石を抱かせて上に乗ったり、山羊に足を舐めさせたり──い、いえ、貴女はトリニティの……? でしたら爪を剥がすとか──」
「……他にも不穏なネタはいくつかあるはずだが、何故かその話だけは妙に一人歩きしているね。それはそれとして、別に危害を加えるつもりもない。尤も我々が何を言おうとも、君には信じられないだろうが……」
思わず椅子を引いて壁の方まで後退れば、そこでようやく“先生”に連れ立って、トリニティでも最上位の生徒に与えられるという豪奢な刺繍入りの制服を着た少女の存在に気づく。こちらもまた見覚えがある。というか、ある意味では連邦生徒会長以上に忘れられるはずがない。彼女の名は百合園セイア。我々アリウス分校の宿敵トリニティ総合学園の頂点にして、最優先の駆除対象として広く知れ渡っているのだから。
(ど、どうして彼女たちがこんなところに……??!?)
連邦生徒会長とティーパーティーの現ホスト。仮にこの場で始末できればエデン条約なんか関係無くアリウスの悲願が達成されたも同然の存在。しかしながら、今は状況が極めて悪い。武器も当然没収されているし、部屋の四方には監視カメラもある。ほんの少しでも怪しい動きを見せれば、私が再び娑婆に戻れる可能性は消失すると言って過言ではない。
「さて。先に自己紹介をしておこう。私はこのトリニティ自治区の生徒会、ティーパーティーのホストを務めている百合園セイアだ。君自身には心当たりが無いかもしれないが、君が所属しているであろう学園と我々には浅からぬ因縁があってね。今回はその認識の擦り合わせをするためにこの場を訪れたというわけだ」
つらつらと冗長に語られる言葉。こちらを見下しているわけでもなく、常日頃から使っているだろうことが窺える使い慣れた尊大な口調は、幼い容姿の彼女には不釣り合いなもののはずだが、先の連邦生徒会長とはまた違った方向性で不思議と違和感を感じさせない。
ますますどうして、私はこんなところにいるのだろうと疑問が湧いてくる。如何に容疑者と捜査官という間柄とは言えど、私が彼女たちと同じ空間にいること自体が何かの間違いだとしか思えない。月と鼈、提灯に釣鐘──彼女たちは私に何か聞きたいことがあるようだが、私の知ってることなんてホントにごく僅かなことでしかない。何を言っても“それはもう知ってます”なんてことにならないだろうか。ううう、息が苦しくなってきた……。
動揺を隠し切れない私を見て、連邦生徒会長は何を勘違いしたのか。あるいは単純に自らの都合か、または今の時間帯を考慮してのことなのか。彼女は取調室のドアを開くと、あまりにあっさりとこんな提案をする。
「このような場所ではアレですし、軽く何か摘みながら話をしましょうか。貴女は何か好きな食べ物とかはありますか?」
「へ?」
奢りますよ、などと続ける少女。何を言い出すかと思えば、まさかまさかの外食の提案である。あまりに当然のように言われたので、最初は意味を理解出来なかった。つまりは目の前の少女は、仮にも軽犯罪の容疑者である私に対して、あろうことか無防備にも拘留を解いてまで、一緒に食事をしようと言っている。
「そ、それは……その……」
チラリと窺った少女の表情に、不安らしきものは感じられない。それもまた当然のこと。流れる噂が正しければ、彼女はどれほど油断をしてようと、私なんかは軽く一捻りできるような怪物。彼女は私が逃げる心配も、まして奇襲の可能性も憂慮さえしていない。
おそらくその根底にあるのは絶対の自信。私が何をどう足掻こうとも、本当に容易く片手間で対処出来るからこその──
「な、なら、せっかくなので、その、ハンバーガー、というのを……」
「おや、その程度でいいのですか? 別に遠慮などせずとも──」
「いや、待ちたまえ“先生”。話の内容が内容だ。いずれにしろ、いわゆるファストフード店の中で話すような件でもないだろう。少し待ってくれ。ハンバーガーか……この時間ならあの店が──」
どちらにせよこの場から離れられるならと、結局は腹を括って、この前たまたま有名なファストフード店の前を通った際に、非常に唆られる匂いをしていたのを思い出してそう提案する。
別にハンバーガーに対して何か特別な思い入れがあるわけでもない。単に突然のことで他の選択肢が思いつかなかっただけのこと。でも、考えたらファストフード店であれば周囲の目もあるしそう厄介なことにはならないだろう……などとタカを括ったのが悪かったのだろうか。それから私たちは少しの移動を挟んで、
「──こちら、キヴォトスプレミアムクラシックバーガーです」
「は──はぃっ……!」
下手したらこの自治区で一番デカいんじゃないかと疑うレベルの、ホテルの最上階に位置するフロア一層をまるまる使用したレストラン。しかしそれほど雰囲気のある場所にも関わらず、何故か利用客は私たち3人しかいない。
もしかしなくても、これは“貸切”というやつなのでは。そもそもハンバーガーなのに皿に乗っていて、ナイフとフォークを使って食べる時点で何かがおかしい。変な冠詞が沢山付いてるし、ハンバーガーというのはもっとこう、手に持って歩きながら食べたりするものなのでは……?
「見ての通り、ここには我々しかいない。テーブルマナーなどは気にしないで結構だ」
百合園セイアはそう言うが、マナーも何も私はナイフの使い方すら碌に知らない。さっき軽くパンにナイフを沈ませたら驚くほど切れ味が悪く、まあそれは安全のためなのかもしれないが、こんなナイフでハンバーガーを崩さないように食べるのは普通に難易度が高い気がする。
しかし、連邦生徒会長や百合園セイアはそれはもう慣れた様子で綺麗に形を崩さず切り分けている。とりあえずそれを見様見真似で、どうにか切り分けてフォークに突き刺した一欠片を口に運ぶ。もぐもぐ。
(お、美味しい……!!!)
次元が違う、とでも言うのか。まるで一切の誇張なく、文字通り飛び上がるような美味しさ。パンもお肉もお野菜も、絶妙な味付けを施されてそれはもう見事に調和している。掛け値なしに、これまでの人生で最も美味だと断言できる食べ物。こんなものがこの世にあるなんて。いや、ここにはそれが、ごく自然に溢れている……?
「……一つ、お聞きしてもいいでしょうか?」
「ふむ? それは全然構わないよ」
「このハンバーガー……これは大体、ここでどれくらい頑張れば手に入るものなのですか?」
「そうですね、みっちり5日間は……と言いたいところですが、流石にこの店のハンバーガーは色々と規格外なので考慮しない方がいいかもしれません。
なので、少々グレードを下げて、とりあえず1日一万円を稼げると仮定して、1食千円もあれば値段的にはやや過剰なくらいですかね。……ちなみにこのハンバーガーは、DUにもあるチェーン店で今評判のトリプルチーズバーガーと比較するのなら、100個買ってもお釣りが出ます」
「ひゃっ……?!?」
100個買ってもお釣りが出る。即ち単純計算で、このハンバーガーはそのトリプルチーズバーガーとやらの100倍の価値があると。道理でこんなに美味しいはずだ。そも単なるお冷ですらこれまで飲んできた水が泥混じりに思えるほど喉越しが良い。確かにこの店は参考にしない方が良さそうだ。
でも、それでもたった一日も働けば、ここに住む人が十分に満足する量を10食分も食べられる。4人で分けても2〜3日分。しっかり食べた上で貯金に回す余裕さえある。全員が働くとなればもっともっと稼げる。少なくとも、ひもじい思いをすることは無くなる。
「お代わりはどうですか?」
「……頂きます」
夢中になって平らげて、すっかり空になった私の皿を見ながら、連邦生徒会長はそんな提案をする。先に述べたように、このハンバーガーは軽々しくそう言える値段ではないはずなのに、当然のようにそれが出来る財力が妬ましい。羨ましい。こんなにも美味しいものを気軽に食べられる人がいるのに、どうして私はこうなんだろう。辛くて。苦して。惨めで。全て無駄であるはずなのに、私は今日も、無意味に誰かを恨み続ける。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。とはいえ、事は簡単なことだ。白洲アズサ……彼女について、何か知っていることがあれば教えて欲しい」
「………!?!」
そわそわしながら次のハンバーガーを待っていると、そこが機と見た百合園セイアがそのように話しかけてくる。その内容は無難というか、わざわざここまでして聞くことなのか?とは思った。なのでその旨についてまずは聞いてみると、
「君がこのハンバーガーを気に入ったように、価値観なんてものは人によってそれぞれ異なる。仮に君が“何も知らない”と答えたとしても、その情報だけで私にとっては値千金の価値があるのだよ。巨万の富が眠る宝の地図も、大富豪からすれば単なるボロ屑と変わらない。故にここの支払いについて、君はなんら気兼ねする必要は無いさ」
「……そう、ですか」
それもまた、“持ってる者”の傲慢だろうと。いっそ口悪く罵ってやろうとも思ったが、この場で話をややこしくするのは得策ではない。どうにか穏便に、当たり障りなく、何事も無かったかのように終わらせて──
「……はて?」
きっと私の選択は間違いではない。対応としても完璧とは言わずとも、十分に及第点だったはずだ。ただ、強いて問題点を挙げるとするなら──目の前の二人が単なるそこいらの金持ちではなく、そんな私の思考なんて容易く見通すことが出来るような、奸智術数の頂点に立つ化け物であったという一点。
「……。……これは独り言ですが」
そんな前置きと共に、“先生”を名乗る少女は語り始める。ただ一人、たった一人でこのキヴォトス全域に多大な影響を齎す少女は、まるでこの都市の全てを見通しているかのように。
「貴女は、あるいは貴女たちは日々の食事も満足に取れないような環境下にある。それがトリニティ総合学園に由るものか、はたまた別の理由なのかは存じませんが、そういうことであれば、連邦生徒会として取れる手段は大きく分けて2つ。
ひとつ。素直に通報する。特にシャーレの窓口、すなわち私の方に直接仰って頂く場合は、少なくとも無碍には扱いません。事実関係を確認し、悪戯であるなら注意を、真実であるなら誠実な対応を行います。幸いにも、最近の治安維持活動が実を結び、今はそういった些事に回せる人員が増えていますからね。自治区の一つ、あるいは学園一つの存亡くらいであればどうとでも出来るはずです」
無論、正当な理由がないと流石に厳しいですが、と続けて、しかし決して無理とは言わない少女の権力の凄まじさに戦慄する。学園一つの存亡ともなれば、即ち国の存亡を左右するような状況に等しい。それなのに、ただでさえ私の事情、というよりトリニティの事情のややこしさは理解しているだろうにそう断言できるということは、つまりは本当にそれだけの力があるのだろう。
「ふたつ。騒ぎを起こす。如何に干渉が難しい自治区内とは言えど、その中で暴動でも起こされたら、こちらとしても
「それは──」
前者も大概ではあるが、後者は少なくとも治安維持に携わる人間が提案していい内容ではないため流石に戸惑う。物言いからして、少女はおそらくアリウスのおおよその事情まで把握しているらしい。だから二択を提示したものの、どちらも内容は似たようなもので、実質“アリウスを裏切れ”という一択。通報するにしろ暴動を起こすにしろ、なんやかんやと理由を付けて最終的には後者の方向に持っていくつもりなのは明白だ。
「………」
何という悪辣さか。何と意地の悪いことか。おそらく私は、この場に座った時点で詰んでいた。仮に交渉そのものを断ったとして、それならそれで別の屁理屈を押し通せるだけの力が彼女にはある。
──連邦生徒会長が善側の人間じゃなければ、キヴォトスはとっくに滅んでる。
誰かが言ったその言葉。誰かが声高に主張せずとも、あっという間に広がった共通認識。
理性の楔から解き放たれ、色々なしがらみを振り切って、その並外れた能力を以て、キヴォトスに平穏を巻き起こす台風のような少女。学園都市の頂点。
(……彼女、なら──)
ほんの僅かな面談であっても、彼女を謀ろうなどと土台無理な話だった。それでいて、今のような卑怯で卑劣な手段も時として選ぶ。そんな彼女であれば、あるいはあの
「……一つ、条件があります」
「はい、何でしょう?」
「アリウスには……私の仲間が、とても大切な、何事にも代え難い、唯一家族と呼べる人たちがいます。私はどうなっても構いません。ので、どうか、どうか、彼女たちは。どうか──」
「約束しましょう。必要であるなら、誓約書も用意します。それに、元より事を荒げるつもりはありません。こう見えて私は、騒ぎを収めることにかけては誰も右に出る者はいませんので」
揺るがぬ瞳で、堂々とした口調で。傍目からなら単なる子どもの戯言。しかし彼女には、そんな外観の印象を悉く塗り潰すほどの圧倒的な実績を有している。それは頼もしいのか恐ろしいのか。まるで悪魔と契約したかのような気分だ。今更のように後悔や不安が押し寄せる中、そんな私の様子など気にも掛けず、百合園セイアが「話は纏まったようだね」と中々に節穴なことを告げると、
「そういう話になったのなら、そうだね……ふむ。私が主催という形にして、トリニティ自治区内の催しにシャーレが招かれる、という適当な名分を立てた方が最終的には収まりが良くなるだろう」
「そ、それはつまり、トリニティの生徒を、アリウスに招き入れると……?」
「おや、もう隠す気も失せたようだね。助かるよ──その通りだ。遠足、見学、良い名前はパッと思いつかないが……偶然にも、トリニティには退学の危機にある生徒を集めたお誂え向けの部活がある。アリウスを
頬が引き攣る。あまりにも無茶苦茶な理論だ。そもそも無断で敢行する気満々な癖して、いざ文句を言われたらそんな暴論を押し通すつもりであると。如何にもトリニティらしさに溢れた横暴で内心ドン引きする。
しかし、そんな百合園セイアの同類である連邦生徒会長は、当然のように彼女の発言に「なるほどなるほど」などとわざとらしく囀ると、
「そうですね──“学園交流会”なんて如何でしょう?」
「ふむ……採用だ。それで行こう。正実の方には私から話を通しておく」
「今日明日はそれぞれ補習授業部とアビドスの方に先約があるので、決行は明後日の放課後。ちょうど翌日が土曜日ですし、せいぜい派手にやりましょうか」
「そこらの心配はしていない。君の手腕は信頼している。ハナコにとっても良い刺激になるだろう」
あーだこーだ、あれはそれはと、もはや私をそっちのけにして盛り上がる2人を眺めながら、私はようやく届いた2つ目のハンバーガーを頬張る。これほど思考がごちゃついていても、ハンバーガーは相変わらず美味しくて──その味を噛み締めながら私は、せめて食事さえまともなら、私もあの人を裏切らなかったのかなと、そんな風に責任転嫁して自分を誤魔化すのだった。
実は時系列は前話の後半よりも前の話。というか直前の話。実は冒頭は前話に差し込む予定だったけど違和感あったのでやめました。