私にとって、“天才”という言葉は、私自身を指しての言葉では無かった。
思い返してみれば、この世に生まれ落ちたその瞬間から、私の成功は約束されていたのかもしれない。素質・才能・環境・状況・仇敵にまで恵まれ、その全てを当然のように乗り越えた。何度も挫折したし、天運が味方していたとはいえ、これが恵まれていなければなんなのか。私の努力を知る誰かはそれを否定するが、私にはどうも自分の人生そのものが、何かの後押しを受けていた気がしてならない。
それなりの理由と、そこはかとない陰謀と、それ相応の努力の果てに、私という存在に組み込まれていた才能は、余すことなく存分に発揮された。伸び率とはどう考えても不釣り合いな鍛錬で、私の力は成長と共に膨れ上がっていった。勿論、だからと言って努力を疎かにしたことは一度もないのだけど。
困難を乗り越えるため、道半ばにして果てた友との約束のため、そしてなにより私個人の意地として、流されるままに強大な勢力を屠り、厳しい戦いの中にその身を投じていた。同世代の“天才”とは比較にもならない無数の体験と、相応の経験を積んできた自負は確かにある。
『ああ、貴方があの例の“作品”の一人ですか──』
『………』
別にそんな自分の人生を悔いているとか、あるいは忘れたいと思ってるだとか、そういう話では断じてない。傍目にも波瀾万丈過ぎる自覚はあるし、ちょっと悲惨では済まない過去もあったりなかったりと、しかしまあ何というか、私自身はそんな私の軌跡を嫌ってはいなかった。むしろ気質に合っていたと表現するのが妥当なのか、上背で周囲の誰にも劣るこの私が、実力でその場の全員を跪かせて見下ろす光景というのは興奮すら覚えたほどだ。
そうしてそれなりに名が売れて、芋蔓式に敵も増えてって、いつしかそれら全てを顎先でコキ使えるレベルにまでなって、そして唐突に疑問に思う。即ち、私の人生、果たしてこのままでいいのだろうか、と。
というよりも、この命題は私の課題として、事あるごとに浮上してくる疑問の一つだった。特に人を殺す時、あるいは誰かを貶める時、それらを効率よく熟すとなれば、相手の嫌がることをどこまでも機械的に、冷徹に行うのがやはりその最適解となる。となると私の存在意義とは何なのか? そんなの機械にでも任せるべきなのではないだろうか?
なまじ自分が機械の成り損ないであればこそ、私の生き様のその先に機械の存在がチラついた。実際はそう単純なことじゃないとはいえ、それは私という人格の否定であるような気もした。その度に何かが虚しくなった。
Vanitas vanitatum et omnia vanitas──誰かが告げたその言葉。人生の意味。生きている価値。そんなことを考えることこそが無駄だ。けれど、全てを無駄と断じるのも、これまた違うような気がした。
人を殺すために生まれた私。人を壊すことが存在意義な私。そして、その肩書に相応しく、他の誰よりもそれが得意だった冷酷で残酷な私。私が生きていると誰かの不幸を招く。歩く災害。戦場の死神。血染めの太陽──何を馬鹿なと思った。私はそんな大それたものじゃない。人は誰もが死を厭う。私はそれを導くことが得意で、だからこそ異質に見える。誰もがそれを異端に思う。故に避けられる。それは仕方ない話ではある。
“先生”と呼ばれるようになったのは半ば成り行きからだった。他に良い呼び名が無かった、と言うのが正確な表現だろうか。今でこそ主に『ボス』と呼ばれている私だが、正式な軍隊というわけでもなく、当時は所詮は成り上がりの私に相応しい肩書など存在しなかったためである。
先生お願いします。先生ここは頼みます。先生さえいれば。先生の力なら──気付けばそう呼ばれることが常態化していて、私も私で自然と受け入れるようになって。良くも悪くも聡明な私は、ある時ふと唐突に当たり前にこう思う。「あれ? これって“先生”の仕事ではないのでは?」と。
何を今更。そう思うかもしれない。というか私自身が実際にそう思った。先生どころか「魔女」なんて職業にもなってない呼び名の人物も居たし、酷いのになると「脳筋」だの「木偶」だのともっと直球で罵倒されてるだけの奴もいた。私の“先生”呼びも、たまたま私に実力が伴っていただけで、本来の意図としては“頭でっかち”とかそんな感じなのだろう。
しかしそうして一度気になってしまえば後は一直線だ。問題解決は得意だった。それ以前に、“天才”としてデザインされた私に不得意なことはあんまり無い。故に時間的な猶予を作ることも容易であり、また私には戦場で無駄に培われた行動力が伴っていた。キチンとした後ろ盾さえあれば戸籍を用意するのも難しくはない。試験については余裕だった。数年組織を空けることに関しては……まあ、半分くらいは私の独裁組織になってたし、デトックスには丁度良いだろうと思考を放棄した。なお案の定当然のように乗っ取られて後に壊滅させる手間が増えた模様。
そんなこんなで、真に“先生”と成るための勉強を始めた私だが、正直教員免許を取るだけであれば、わざわざ組織を留守にする必要もなかったということを今更のように知った。というか大学という場所そのものが自由度が高いというか、割と好き勝手に過ごすことが出来ることも入学してから知った。
おおよそ2年。ほぼ最短で免許を取得し、けれどそれ以降も勉強したり、バイトに手を出してみたり……我ながら経歴の割には結構真面目な学生生活を過ごしていたように思う。学友もそれなりに出来た。筆頭があの
『もちろん、それがアロナちゃんの役に立つならね!』
『………』
今にして思えば、彼は私の気を惹きたくて必死だったのだろう。出自が特異というのも理由としてはあるが、当時の私は嘘偽りなく彼を上回る24歳。彼は性癖こそ歪んでいたが良識人であり、少なくとも、性欲を満たすために女児を襲うなんてことは絶対にあり得ないとこの私が断言できるほどだった。
……もしも私の肉体が本当に女性であったのなら、あるいは私が彼に惚れる未来もあったのかもしれない。けれど私は良くも悪くもその手のフェチズムを持っていなかった。全裸の男性を見てもそれが筋肉質であれば感心する程度で、あくまで興奮の対象は肉感的な女性に限られていた。
彼は私の友人だ。それだけは真実だと断言できる。故に幾度となく説明した。懇切丁寧に、私が彼の意に沿う存在ではないことを。けれどそれで納得されるはずもなく、そも彼にしてみれば私は、それこそ文字通りに彼が人生で初めて出会った理想の女性(?)。となると執着するのも理解は出来るし、加えて得られるものが将来の伴侶ともなれば、それには人生を賭ける価値があるのだろう。
正直な話、こんな私が誰かを幸せに出来るのなら、それでもいいかと気の迷いを起こしたことも一度や二度では無い。しかし結論としてはやはり性別の壁は如何ともし難く、またその罪悪感からか彼とも疎遠となってしまった。男友達で抜くとかむーりー。
逃げるように、避けるように。遠く、遠くに駆け抜けたその先。この世のあらゆる神秘がその内に閉じ込められた街──キヴォトスへ訪れる機会が生まれたのも、その頃の話だった。
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……………………………
……………………
「私が、私がやらなきゃいけないって、そう思ったんです」
血に濡れた女性はそう告げる。誰とも知れぬ少女。豪奢な服装を無惨に自らの血で染め上げる美しい女性。その肩書も聞いたが、私には分からない。ただ、彼女の命が既に尽きかけていることだけは、経験から容易に察せられた。
「キヴォトスを守るために、連邦生徒会長として──力が及ばなかったのか、私を貶める誰かの意思が働いたのかは分かりません。けれど結果はこの有様で、私は取り返しの付かない失敗をしてしまいました」
力無く笑う少女に、肩書に見合うような覇気は感じられない。すっかり削がれてしまったか、今が意気消沈しているだけなのか。何にせよ彼女の後悔は本物で、そうでなくても血塗れのこの状態で冗談を言える人種なんてそれこそ私のような異常者だけだろう。
「あはは。何を、言っているんでしょうか私。初対面の貴女に、こんなことを話しても──」
「……少し、昔話をしましょうか」
「え?」
言いながら、彼女と対面している座席より立ち上がり、懐から取り出した薬を彼女の傷口から挿入する。この薬は気付けの一種というか、私のようなデザインベビーが万一の保険として備えているかなりの劇薬ではあるが、キヴォトスという特異な都市の出身で、且つまだ喋れるくらいの元気があるなら、応急処置には十二分だろう。
「私は、壊すことでしか自らの価値を示せない。食料は奪うもの。資産は自然と消え行くもの。周囲の人間は敵か駒かの二択。信用は虚飾、信頼は罠。疑心暗鬼に囚われながらも、けれどそうして自らの価値を示さないと、自身の生存すら保証されることはなかった」
「………」
手拭いを破り、胸元の傷を塞ぐ。豪奢な制服を盛大に引き裂いても、彼女は羞恥に悶えることもない。薬の影響で意識が既に朦朧としているのだろうか。私の言葉が通じているのかどうかも分からない。
「私の人生には、“失敗”なんて言葉は存在しなかった。あるいはその単語は“死”と同義だった。だって私はそのように作られたから。私が、私に出来ることだけが私の人生には用意されていて、達成できなかった“私”は悉く朽ち果てていった」
ドクドクと流れ行く血液。赤い色。命の結晶。その熱が失われないよう、必死にそれを押し留める。止血の方法なんて最低限しか知らない。というより、傷付けることだけに特化したこの身は、恐るべきことに傷の治療などこれが初めての経験だった。今はそれが何よりも悲しく、どこまでも疎ましく思う。
「だから、守る──なんて、そんなこと。私は考えたこともなかった。もちろん、結果的にそうなったことはたくさんあるけれど、私に出来ることはあくまで壊すこと、人を殺すことだけに特化していて、一つの技能が極まれば万能になるように、私のありとあらゆる行動は、元を辿れば人を貶める行為から派生したものだった」
衝動、気紛れ、気の迷い──理由は色々と。何を今更、という疑問はそれこそ飽きるほどやった。人生の意味、人生の価値。私の生きる意味。彼女が生きた証。何故、どうして? そういうものがごちゃごちゃになって、自分が何を言っているのか、一体何をするつもりなのかさえ分からなくなっていく。
「私は何をやっているのか。私はどうして生きているのか。何故、何故、どうして。どうして貴女が、どうして私が。貴女のことは何も知らないけど、
「なに、を──………」
もしも神なんてものがいるのなら、どうして私が赦されているのだろう。神なんてどこにもいないと、私を造った悪魔たちはそう告げた。けれどきっとそれが真実で、この世の摂理。
「もし──このまま貴女が復帰して、しかしそれでは元の木阿弥。その傷が偶発的な事故ではない以上、いずれ貴女は同じ憂き目に遭う。だから……だから、私が」
真に私が“天才”であるのなら、私にだって出来るはずだ。相手が人間じゃないから何だ。そんなのは私だって似たようなものだ。化け物らしく、怪物のように、彼女をここまで傷つけたもの、彼女をこれから脅かすもの、すべてすべて壊し尽くして。そうすれば、そうすればきっと。
「貴女になら、貴女のためなら、貴女のようなヒトのためなら。きっと。私はきっと、頑張れる。だから、だから──」
運命なんて信じないけど、まるで彼と同じように、私はこれまでの人生において、初めて“美しい”と思えるヒトに出会った。きっとそれには意味がある。無いなら無いで、
中途で言葉を止めた私に、彼女は何を思ったのか。あるいは既に聴覚も失われてしまったのか。焦点の合わない瞳で、けれど確かな力で絞り出すように、
「これを──」
「? これは一体……?」
「この端末は……未練です。いつか私の、いずれ私の……“身代わり”となる誰かを用意するための──……ずっとずっと温めてきた、
静かに語る少女は、熱に浮かされた私とはまた異なる理由で、もはや自分が何を言っているのかも理解できていないのだろう。“死”とはそのようなものであるのだと、どういうわけか私は身に染みて実感している。死神、とかつて踏み躙った誰かに言われた気がした。どうでもいいことだ。
「私はずっと、この都市のことが嫌いだった。けれど同時に、この都市に住む人たちを愛していた。どうして私が。どうして私だけが。どうして、どうして、どうして。だったらいっそ何もかも……ずっと。ずっとずっと……そんなことばかり考えて。けれど、どうしても実行は出来なかった」
譫言のように、睦言のように。恨みつらみを語る少女は、傷口の凄惨さと相俟って、とても見ていられるものではなかった。しかし、不思議と彼女から目を離せなかったのは、果たして同情からなのだろうか。もっと悲惨な境遇の相手の死体を、跨いで踏んで進むのが日常であった私が。
「名を、連邦捜査部S.C.H.A.L.E……ふふ、名前の由来はちょっと言えませんが……拠点はキヴォトスでもトップクラスの粋が詰め込まれた、凄い建物なんですよ。屋上は雲よりも高い場所にあって、流星群がとても綺麗で──」
端末ごと、彼女よりも二回りは小さい手のひらを握られる。おそらくは彼女にとっての精一杯の掌握。しかしその力はあまりに儚く、私の頼りない手のひらはおろか、その間に挟まれた端末にさえロクなダメージを与えられない。
「………」
こんなにも弱い彼女が、これほどに誰かを傷つけることが苦手な少女が、それでも「壊れてしまえ」と願う都市。彼女をここまで追い込んだ場所。
学園都市キヴォトス。学園──と聞いて、あるいは私の故郷よりかはマシだと決めつけて、しかし現実は果たしてどうだろう。少なくとも銃はあるらしい。あとは仮にも最高権力者である彼女がこうして瀕死で追い遣られている時点で色々と察せられる。
「私はアロナ。“先生”のアロナ。如何なる依頼も、このスーパーアロナ先生にお任せあれ──なんてね」
強がりのように呟いて、いくらか出血がマシになった少女を、レンジャーロールを応用し担ぎ上げ、列車の先頭の方へと運んでいく。
幸いなことに、少女の身体は未だに軽く、即ちそれはまだ意識を完全には失っていないということ。ヒトは無意識下で痛みを避ける傾向があるため、意識の有る無しで体感の重さがまるで違う。この重さが“荷物”になるまでが、おそらくは彼女にとってのタイムリミット。尤も、私も私で動揺をしていたのか、結局は彼女を医者に委ねるまでイマイチ違いを感じられず、最終的にはかなり焦って取り乱していたのは内緒である。
☆☆☆
「ヒッヒッヒッ、嬢ちゃんは運が良い。あるいはその頑丈な身体が例の“キヴォトス”とやらの住民の特徴なのかえ? さっきまでは無かったはずの頭のソレも気になるところだがね。とにかく今は幸運を噛み締めることさ」
その老婆の第一印象は、“魔女”であった。
しわしわの顔。ぼろぼろのローブ。嗄れた声に漂う薬品の匂い。腰の調子が悪いのか、常に簡素な杖を携えていて、雑に大釜でも隣に添えれば、それだけで映画のワンシーンを作り出せそうなほど。
サウラと名乗ったその老婆は、まさしく物語の中から飛び出てきたような人物だった。私自身に関しても、熱でも有るのか、どうも頭がはっきりしない。現実感の無い光景とも相俟って、私がしばし混乱したのは言うまでもないだろう。
やがて頭を整理して状況を掴み始めると、私はどうも彼女によって助けられたことに気付いた。どれだけ頭が茹っていても、私とて流石に自身が致命傷を負ったことくらいは覚えていて、その傷が当時の凄惨さを示すかのように深い傷跡となって胸元に残されている。
「なんだい。一丁前にお礼ってかい? あの状態から回復してすぐ出歩けるなんて大したモノだがね。そんなことするヒマがあるなら一秒でも長く寝て身体を治してからにしたらどうだい」
せめて礼をと出向いた私に、老婆はこちらを見ることもなくそう告げる。随分と嫌味ったらしい口調ではあるが、言ってることはご尤も。しぶしぶとベッドのある部屋に戻る私に、語りかけてきたのは2mを越すような巨漢。何故か上半身が裸であり全身傷だらけ。隻眼に片腕を欠損と、キヴォトスではまず見られない風貌の人物。もちろん初対面である私に対して、彼は如何なる要件で──
「ひ、ひぇぇぇ!! ぼ、ボス、戻ってやしたんですかい!? い、いえ、それよりも大変です! ボマードの奴がまた性懲りも無く暴走して、今度こそアンタを抹殺してやると息巻いて──んん??」
突然メートル単位で後退り、かと思えば唾を撒き散らして詰め寄り、更には顎に手を当ててこちらを吟味する男性。やたら大仰なリアクションもそうだが、そもそも大人の男性に、しかもこれほど肉体的な主張が激しい人物に怯えられたり、まして至近距離まで詰め寄られるなんて初めての経験過ぎて戸惑ってしまう。
男臭さと呼べばいいのか。彼の出す咽せ返るような汗の香りに、動揺から反応もできず硬直していると、突然彼は何かを納得したように、
「も、もしや遂に悲願を……これまでも散々サウラの婆さんに無茶振りしてやしたが、よもや本当に根性で背を伸ばすなんて……あっしは涙で前が見えません!!」
そうして滂沱の涙を本当に流す大男。……とりあえず、悪いヒトでは無さそうではある。あと彼はどうも私のことを誰かと勘違いしているらしい。身体的欠損を抱えた人物、となるとキヴォトスにおいては本当に馴染みのない存在ではあるが、この距離で人違いを起こすとなると、彼も相応に苦労をしているのだろう。
(──そんなわけありませんよね)
いくら病み上がりだろうと、ここまで材料が揃えば流石に現状の把握くらいは出来る。
『例のキヴォトス』『身体を治す』『背を伸ばす』──そして、目の前の彼の発言を鑑みるに、“『ボス』が成長した姿”=私、となると、考えられる可能性は、
(あの子が──いや、あの人が)
こうして“目を覚ました”時点で薄々と察していた。先の記憶、意識が途切れる直前に経験したとある会話に出てきた少女。あまりに私に酷似していたからか、過去の自分が私の選択を咎めに来たんだと、そう考えて内心を全部赤裸々に喚き散らした。
これで最後──そう思っていたからだろう。その内容は自分でも驚くような感情の吐露。確かに
そんなはずはない。幾度となく否定しようにも、どこかでその感情を認めている自分がいる。私はキヴォトスのことが嫌い。認めたくはないが、不思議としっくりくる。けれどキヴォトスの住民のことは好き。これは一見すると矛盾しているようにも思える。これらはどちらも正しくて、きっとどちらも間違えている。つまりは、
(私は、私の好きな人を傷つけるモノ、苦しめるモノが嫌い──)
おそらく、真相はこういうことだろう。例えば世界のどこかで男尊女卑が極まった結果、女性を道具としか扱わない都市があると聞いたとしても、それが私とは縁もゆかりもない場所であるのなら、ただ不快に思い眉を顰めるだけに終わる。でも、その都市に私の友人が囚われたなら? 私の大好きな人たちが、その都市で虐げられていると知ったならば? ──大なり小なり似たような感情が、日頃のストレスで積み重なっていた。思えば常から頼れる部下たちに、大好きな友達に負担を強いる毎日。いっそキヴォトスが無くなってしまえば──無意識のうちにそう考えてしまう。なんとも情けない話だが、きっとそういうことなのだろう。
笑える。超人だなんて持て囃されても、根底にあるモノがこの有様ではテロリストと大差ない。実行に移していないからセーフ? 確かにそれも正しいのだろう。私は何も出来なかった。私は何も成さなかった。だからと言って許されるのか。それに──
(あの端末は……連邦捜査部は、つまりあの子に──)
巨漢の彼を振り切り、再びサウラ老の居た部屋へと向かう。私の来訪を予期していたのか、彼女は私の姿を認識すると、むしろ待っていましたとばかりにニヤリと嗤って、
「なんだい。随分と遅かったじゃないか。ふむ、今がアンタが起きてから20分。これを基準に20日だ。時間は時に何よりも重い──だから
「………!」
魔女め、そう思った。
常日頃からこの調子なのか、ニヤリと嗤う老婆からは、その言葉が真実か否かの判別は出来ない。20分の遅刻だから20日分と、明らかにその場で決めた日数の若さ、即ち寿命をそんな風に都合良く削るなど、まして奪い取るなんて出来るわけがない。のに、
「……冗談さね。アンタについてはボスにしつこく言い含められてるよ。あの冷血が珍しい事もあるもんだ。けれどアタシも暇じゃないんでね。ホラ、早く言いな。焦らすんじゃないよ」
「………」
けれど私は、彼女の口から実際にその言葉が出るまで、彼女に対して一切気を緩めることが出来なかった。上記の通り、頭ではキチンと理解しているはずなのに、それでも油断など出来ようはずもなかった。老獪、年の功──呼び方は何でも良いけれど、こういうヒトは、力の多寡など関係なく恐ろしい。
「では……」
何はともあれ許可が出たのは間違いないので、私はひたすら慎重に、なるべく言葉を選んで簡潔に質問をする。
ここは何処か。───キヴォトスから国境をいくつか跨いだ先にあるとある国。
貴方たちは何者か。───この国を根城とする武装組織、つまりは傭兵の一種。
どうして私を助けたのか。───ボスの気紛れ、あるいは偽善に由るもの。身柄を利用してどうこうという話は聞いていない。
ボス、即ち私を助けたヒトは何処に。───私と入れ替わる形でキヴォトスに。
「アンタを見てると、ボスがアンタを“運命”と評した気持ちが分かる気がするよ。単なる偶然にしては出来過ぎている。アンタがボスのオリジナルなのか、あるいは先祖がそうなのか、はたまた単なる偶然の一致か──ボスはアンタの容姿に関して特に言及はしなかったけれど、わざわざキヴォトスなんて七面倒な場所に行く辺りで分かりようものさ」
ケタケタと嗤う老婆。今は随分と機嫌が良さげに思えるが、ふとしたきっかけで激昂しそうな危うさも感じられる。これ以外にも聞きたいことはあるが、迂闊に踏み込まない方が良いだろう。
「さて、そうと決まったら行った行った! さっきアンタを寝かせてた部屋、あそこの机にボスの身分証が置いてある。自慢じゃないけどウチはあちこちで恐れられていてね。“ウチの所属”ってだけでどいつもこいつもビビってロクに応対もしない。それでも流石にアンタの写真がアタシのような老婆だと咎められるだろうけどね、ボスとアンタだったら“背が伸びた”でいくらでも押し通せるだろうさ」
黙する私に、何を思ったのか老婆はそう告げてぐいぐいと私を部屋の外へ追いやろうとする。待って、まだ聞きたいことが──とは言っても、パッとその内容が思い付かないのもまた事実。辛うじて路銀について尋ねてみるも、老婆は「ボスの部屋を漁れ」の一点張り。仮にもボス、つまりは組織の長の部屋なのにそんな空き巣まがいの行為をして大丈夫だろうか。金庫を開けた途端に後ろから撃たれるとかは流石に勘弁してほしい。
しかし、そんな心配も杞憂でしかなく、ひとまず言われるがままに漁った部屋の中心には、身分証や多額の金銭、見覚えのある携帯食がやたらと詰め込まれたバッグが置いてあって、添付されていたメモ書きには、几帳面そうな文字でこの拠点からキヴォトスへの経路や、それぞれの所要時間が丁寧に纏められている。このバッグを見越しての発言だったのならあの老婆も大した役者だが、おそらくは単に“ボス”が抜け目ない人物であるというだけだろう。
そんな人物にあの端末を渡してしまったことに、今更のような焦燥感を覚える。かと言って出来ることがあるわけでもなく、とにかく準備はこの荷物で十分だと急いで施設を後にする。
「ゔっ……」
直後、施設の入り口の前。学舎の校門を彷彿とさせる立派な門構えの扉の片隅に、至極当然に
まるでゴミか何かのように、あるいはこの施設の人員にとっては事実ゴミと同義なのか。とにかく
地獄のような──まさしくこの場所は、そう形容するのが適切な土地だった。トリニティの政争や、ゲヘナの紛争地帯を指して揶揄する言葉ではなく、真の意味での地獄。道端では餓死者の死体に痩せ細った子どもが群がり、虚な目をした青年がいつまでも狂ったように嗤う。
あの老婆は、自らを傭兵だと評した。また同時に、その所属というだけで幅広くの人間に怯えられるほどと。それは要するに、それだけこの地域には紛争の影響が色濃いということ。魔女といい隻腕といい傭兵といい死体といい、もはやこれが現実かどうかさえ疑いたくなるような光景。
(……本当に?)
それは違うと、私の内心が訴えていた。私は既に、この光景を知ってるはずだと。目を逸らしていた、目を向けようともしなかっただけで、世界の何処かでは、未だ紛争が絶えない地域があることを、キチンと知識として理解していたはずだろうと。
「………」
この世界では、毎日沢山の数のヒトが誕生し、またそれに匹敵する数のヒトが地に還る。具体的な数字は覚えていないが、その数が100や200では済まない数なのは間違いない。キヴォトスという限られたコミュニティにおいてすら年間数百人の行方不明が発生する。その全てがそのまま不良になるわけもなく、中には生活に困窮して死を選んだ生徒もいるのだろう。
死は誉であると、そういう価値観は私には分からない。死ねば終わりだ。それは先の体験で存分に思い知った。だから前を向け。目を逸らせ。咽せ返るような死の匂い。その全て関わっていたら、今度はお前が引き摺り込まれるぞ。
「ッ……」
赤黒い大地を踏み締めて、脇目も振らずに走り出す。時々つま先に感じる柔らかい感触が何なのか、意図して考えないよう全霊を尽くしながら。
☆☆☆
D.U.にある空港から降りてしばらく外を歩いていると、知らないうちに随分と街の景観が様変わりしていることに気づく。
否、景観ではなく雰囲気と評した方が良いだろうか。何よりもまず驚いたのは、街全体が驚くほど静かなこと。いや、これもまた適切な表現とは言い難い。溢れる人混みに、飽和する無数の声、無限に詰み重なる足音と、流石はD.U.と言うべきか、その雑踏加減、賑やかさは健在だ。
けれどそれでも驚かされたのは、その賑やかさに銃声が混ざっていないからだ。相当離れた距離であっても、銃声というのは耳に残る。その影響たるや、難聴の原因になるからと、わざわざ耳栓を付けて登校していた生徒も散見されるほど。しかし今はそれがない、どころか時折武器を携行していないヒトの姿すら見受けられる。これは一体どういうことかと、しばし私が混乱したのは言うまでもない。
「ああ、それはあの例の若返った連邦生徒会長のおかげだよ。アンタはさっき観光客って言ってたけど、そのヘイローはもしやここの卒業生かい? なら驚いたことだろうね。春から夏、まだ季節の移り変わりも体感していないようなこの短期間で、今やDUでの犯罪率は、“外”でも治安の良いところに匹敵するようになるなんて」
立ち寄った定食屋の大将はそう語る。春から夏に移り変わる程度。具体的な時間にしておよそ3ヶ月。それほどの間、たったそれだけの期間で、すっかりキヴォトスの日常は過去のものへと変貌していた。
もはや、“悔しい”“嫉妬”とかそれ以前に、そういう感情よりも先に尊敬の念が湧き出てしまう。いくらそれを生業としていたからと、このキヴォトスの常識を覆すのは並大抵のことではない。道中で身分証を提示するたび実感せざるを得なかったその手腕。各地の傭兵をその身一つで纏め上げた絶大なカリスマは、キヴォトスという特異な土地であっても健在であるようだ。
「………」
どこか現実味がないままに、結局は夕暮れ近くまでのそのそとそのまま歩き続けて、少々早い時間ではあるが、ホテルに入って休憩することに決める。長旅での疲れが残っているのもあるが、いざ戻ってみるとどうも気力が湧き立たない。明日、明日になったら頑張ろう──この調子でズルズル引き伸ばしてしまったらどうしようかと、自分のことながら不安になってくる。
私がいなくてもこの街は回る。私が思っているよりも、その事実が響いているのだろうか。まるで自分の努力が無駄であったかのように思えて、どうにもこうにも遣る瀬無い。
結論から言えば、そんな考えはまるで杞憂どころか、直後の出来事に全て吹き飛ばされた。異変を感じたのは、ホテルの部屋の鍵を開けてすぐのこと。部屋を借りた直後ということで、当然、誰もいないはずのその部屋に、何やら怪しい人影が佇んでいることに気づいてからである。
「えっ……?」
私が悲鳴を上げなかったのは、単に頭の認識が追いついていないからだ。例えば私が肌を晒している状態であれば、私はこの状況にもっと慌てふためいていたことだろう。
そんな私の内心を知ってか知らずか、件の人影はこちらの方へ向き直ると、一度聞いたら忘れられないような独特なイントネーションで、この上なく事務的な口調で語りかけて来る。
「……こうして顔を合わせるのは久方振りですね。お待ちしておりました、連邦生徒会長」
随分とダウナーではあるが、間違いなく女性の声。そして想定よりも二回りほど小さい体躯、長い髪と、如何にも少女然とした人相を確認して目をぱちくりさせる私。ひとまず暴漢の類ではないことに安堵して、しかしその人物があまりにも見覚えのあるというか、この場に居てはいけない存在、否、むしろ
「心機一転、ということで改めて自己紹介を。私はシッテムの箱に常駐するシステム管理者であり、メインOSの『A.R.O.N.A』──現在は主に“連邦生徒会長代理”の業務を担っています。以後お見知り置きを」
何もかもが矛盾に満ちた台詞。それをあまりに淡々と告げるものだから、まるで自分の方がおかしいのかと錯覚してしまいそうになる。
シッテムの箱のメインOS──間違いなく、彼女は自身をそのように称した。シッテムの箱とは言わずもがな、連邦生徒会が所有するオーパーツの一つであり、タブレット端末に酷似した演算装置のこと。実のところ、容姿こそ今の姿とやや異なるが、画面越しに彼女──『A.R.O.N.A』こと、少女の姿をしたOSと会話したこともある。先程“久方振り“と発言したように、『教室』と呼ばれる仮想空間で面と向かって会話した経験も……もしや。
「いえ、この身体は“
曰く。
まず前提として、OS……つまりはデータ上の存在である彼女に肉体は存在しない。その上で現実に干渉するために、少女は“複製”と呼ばれる技術を使用した。“複製”とは蜃気楼の塊のようなモノ──要するに幻覚を不特定多数に見せることであたかも彼女がその場にいると誤認させ、また触覚を含むそれら現象を適宜操作することで事実上の顕現を成していたそうなのだが、ある日不測の事態が連続で発生しその“複製”が消滅。見た目が完全に例の“先生”と同じというのもあってか結構な騒ぎになる。
「計画は中断と思われましたが、しかしどうしてか“私”という存在の確立に拘泥していた“先生”は、やがて連邦生徒会長が遺したもう一つの遺産、“クラフトチェンバー”に目を付けました。彼の持つ、決して表には出せない
そうして出来たのが今の身体。けれどそれでは足りなかった。肉体に限らず、何かを駆動させるためには必要なものが無数にある。代表的なものが燃料に機構、そしてプログラム。そもそも動力が無ければ始まらない。動力があっても動くように出来てなければ動かない。ただ動いてもそれだけでは意味がない。特にプログラムに関しては、なまじ肉体を完璧に用意したために、複製のような概念的なものではなく、もっと直接的に動かす必要が出来てしまった。
「目処が立ったのはそれから直ぐのこと。当時の彼は、街に巣食う“ゲマトリア”という組織を追っていて、その中でも唯一公的な身分を持つ“黒服”を名乗る人物の捕縛に成功しました。しかしその身体は漆黒を塗り固めたような、明らかに尋常の存在ではなく──紆余曲折の後、最終的には“黒服”の“異形の身体を操作する技術”を簒奪。そうして“私”という個人が誕生するに至った──という経緯になります」
「………」
“設計図”だの“簒奪”だの、ちょっと考えるのが怖い単語混じりであったが、丁寧に語ってくれたおかげで彼女がここにいる理由は理解した。でも、そんな彼女がどうしてここに──
「本日、1134のD.U.新第3空港着航空機にて、“先生”の本名に合致する乗客の情報を確認。周辺の監視カメラの映像から貴女の姿を視認しました──彼は貴女の現状について、頑なに語ろうとはしませんでしたが、命に別状はないこと、重症ではあること、意識を取り戻していないこと、それだけは一度教えて頂いたことがあります。流石に、既にこうして出歩けるほどに快復しているとは思いませんでしたが……」
それはそうだろう。私が意識を取り戻したのはつい先日。時間にして一週間も経っていない。原因となった傷こそ深い傷跡を残しつつも塞がってはいたのだが、それから昏睡から覚めるまで実に2ヶ月の時を必要としたと聞いた。通常、こういう植物状態は最長でも5週間が限度とされており、それ以降に意識が回復して後遺症も残らなかったのは奇跡的だとサウラ老は言っていた。あるいは、私がキヴォトスの住人だからなのか。……自分の身体の頑丈さが云々なんて、生涯知りたくなかった情報である。
そして空港の名簿に監視カメラ。これは私が迂闊だったというか、彼女が“シッテムの箱”そのものであるのなら、当然その程度の情報は容易く抜ける。せめて偽名でも使えば気付かれなかった可能性はあるが、その気になればこの街を掌握できるほどのOSを相手に、私がどれほどの時間抗えたのかは不明だ。
「この部屋については、シャーレの権限を用い、“外”からの人物を取り調べる、という名目でお借りしています。“先生”が“外”だと知る人ぞ知る危険人物というのもあって、許可を取るのは簡単でした。まあ同時に、そんな人物と二人きりで会って大丈夫なのかと心配されましたが……」
「………」
“先生”というのは、文脈的に今の私の表向きの身分である“ボス”のことで間違いないだろう。というか当然なのだが、やっぱり“外”では普通に危険人物扱いなのかあの子。見た目だけなら本当に私の幼い頃の姿に瓜二つだったのに、何というか色々と複雑な気持ちである。
「その、どうしてそこまでして……」
「……。……貴女は、自身の失踪がどれほどの騒ぎを起こしたのか理解していないのですか? そこいらの生徒が退学して不良になるのとは訳が違う、キヴォトスの根幹とも呼べるサンクトゥムタワー、その意義を根底から揺るがしたのですよ?」
それは……確かにその通りだとは思う。不可抗力であったのは間違いない。けれど迷惑をかけたのもまた事実だ。私のせい、とは言わないまでも、私とてそういう立場であったわけで、責任感がどうこうという話であれば、私だって心苦しく思っている。
「貴女に責はありません。そう、貴女には罪はない──即ち、貴女の失脚を目論んだ誰かがこの街には存在する。それが何者なのかを貴女に伺うことがまず一つ」
「それは……」
「当然、それを認知していれば真っ先に連邦生徒会を訪ねるはずなので、次が本題です──貴女は、連邦生徒会長に復帰する気はありませんか?」
「え?」
淡々と。先程までの全く同じ調子で。一切の抑揚もなく。サラッととんでもないことを提案される。何を今更、こんな私が、私なんかが──様々な言い訳が頭を過ったが、まずは真っ先に聞くべきことから。
「……現在のキヴォトスは、私の統治していた頃よりも遥かに、恙無く業務が回ってるように思えましたが」
「ええ、それは確かに。貴女が遺したシャーレの強権。それは連邦生徒会という組織の変革にも役立ちました。
「……!」
そ、れは……確かに、“外”からやってきた人間であれば、気になるところではあるのだろう。キヴォトスにおいては、行政において現状如何なる場合もサンクトゥムタワーを通す
必要がある。それは逆に、一度サンクトゥムタワーの承認が降りてしまえばそれ即ちその内容を覆すのに数倍の手間が掛かることを意味する。
数字の記載を漢数字で統一する、というのがその代表だろうか。明日使用する施設の使用申請をするための書類を、誤字やら修正やらで数日を要し、結局はおじゃんになるなんてことも珍しくはない。自慢じゃないが私は統括室の中でその手の書類の処理が抜群に上手で、地位が向上して書類の管理を任されるようになってからは全体における差し戻しの回数も激減し、その功績によって私が連邦生徒会長を任されるようになったのだが、
「手続きが煩雑。書類の訂正で休日が潰れる。見直しだけで業務が終わる。という事態が常態化していた連邦生徒会において、それらの辞令は驚くべき早さで浸透しました。しかし、その煩雑さにも理由があり、それら書類の最終判断を行うのは、サンクトゥムタワーの管理人である連邦生徒会長ただ一人。故にその肩書はあまりに重く、手続きの簡略化は即ち連邦生徒会長の負担に繋がる……そのことは、他でもない貴女が一番ご存じかと思います」
「………」
「しかし“
「えっ、と──」
自虐なのかそうでないのか、淡々と語る少女の感情は分からない。ただ、これまでの語り口から、少女が真実を語っていることだけはひしひしと伝わってくる。
だからこそ解せない。手続きを簡略化し、負担もシッテムの箱を活用することで軽減し、それで上手く回っているのなら、なおさら私に頼る必要など無いのではなかろうか。
そのように考えていると、少女はこほんと小さく咳払いをして、
「……簡略化しているということは、すなわち穴も多いということ。意思があるとはいえ私はOS。想定された機能を超えることは難しく、また善性を伴って産み出された私は、“悪意”に関してはどう足掻いてもヒトを超えることはできません。諸経費、手数料、雑費、積立金……これはあくまで一例ですが、予算の一つに限ってもそれぞれに『摘発するほどでもない許容範囲』が設定されていて、その限度額を見極める、あるいは摘発したところでスケープゴートを用意して責任を逃れる、というやり口に関しても、我が事ながら不安は残ります」
あくまで淡々と語られるため感情は読み難いが、どこか悔しそうに少女は告げる。OSだから機能以上のことは難しい──それはまさしくその通りで、むしろ“不可能”とは言わないあたり彼女の非凡さが現れている。
ただ、
「その件は、“先生”には……」
「彼は……実は、この件に関してむしろ心を躍らせています。現時点、つまりは真っ先に“穴”を突いてきた企業を独自に、寝る間も惜しんでそれはもう楽しそうにリスト化していて……そう遠くないうちに、キヴォトスでは大粛正が起こるでしょう。ですが、その時になれば、今の彼……“みんなに慕われる先生”としての彼の立場は終わりを告げます。私は、それを阻止したいのです」
「ええ……?」
予想外の返答。気を遣ってるとか分かっていないとかじゃなくて、このままだと粛正が起きるから事前に止めたいと。多分行動からして“先生”はこの展開になるのを見越していて、不穏分子を炙り出す段階までがセットであった。しかしそうなるとこれは余計なお世話という話になるのでは?
「余計なお世話……では、あるのでしょう。彼自身も、むしろ今がイレギュラーだ、みんなに嫌われてこそ箔がつくんだ、と。……厚意で差し入れなどを受け取る際、毎回困ったような表情をされていたので、おそらくはそれが彼の本音なのでしょう。ですが、私はそんな、“先生”として振る舞おうとする彼を好ましく思っていて、その先の……貴女が“外”で知ったであろう、過去の彼には戻って欲しくはないのです」
「…………」
正直な話。
“外”での評判や扱いを鑑みるに、“先生”が割とキヴォトス内部で好意的に捉えられているのは予想外ではあった。私も私で「流石にブラッディサンはどうなんだろう」と思っていたし違うそうじゃなくて、まあ普通に色々と酷いことになってると思っていた。それで、私はあの子が滅茶苦茶にしたキヴォトスの、その復興に身を捧げるのが贖罪であるとかそんな悲痛な決意があったりもした。
あるいは、彼女の言うブラッディサン──ではなく、“過去の彼”のままであれば、そのような未来もあり得たのだろうか……というか先程から一貫して“彼”呼びだし、身分証でもそうだったけどやっぱり本当に男性なのかあの子。あの見た目で。幼い私に瓜二つで。何気に一番の衝撃である。
(………………)
彼にどのような心境の変化があったのか分からない。けれど彼は“先生”として、少なくとも現時点では皆に慕われるほど懸命に努力している。しかし、それはやがて彼を覆う“悪意”によって覆ろうとしている。そして、その悪意の出どころとは他でもない、かつて私の管理していたキヴォトスからなのだ。
私の所為──というのは少々飛躍し過ぎだが、責任の一端があるのは間違いない。何より、この少女が慕う“先生”としての彼を、このキヴォトスが原因で曇らせるというのはあまりに忍びない。結論として彼女の提案に頷くことにした私は、少女に連れられて荷物もそのままにサンクトゥムタワーの方へと駆け出す。街を巡った時に感じた足の重さは、気づかないうちに消えていた。
……………………………………
…………………………
…………………
「あ、会長。お戻りに………会長!?!!?!」
受付で対応した役員の生徒は、二人で並ぶ私たちに対して飛び上がらんばかりに驚いていた。まあ気持ちは分かる。大きい私と小さい私、あるいは過去と現在の私が並んで戻ってきたのだ。それはまあ驚きもするだろう。
一応は外部の人間ということになる私に対して、最低限の案内役として受付をしていた彼女がエレベーターまで付き添う形になったのだが、その時も彼女はこちらを頻繁にちらちらと見続けていた。しかし我ながら何だろう。連邦生徒会長(本物)を連邦生徒会長(偽物)と共に連邦生徒会長(偽物)の下に案内するとか、あまりに意味不明な状況過ぎてそれは動揺もする。
「あ──」
エレベーターを降りた直後、視線の先で、ちょうどそのタイミングで執務室の扉を開け放った見覚えのある女性──私の親友である七神リンと目が合う。実時間にして3ヶ月強、しかし私の実感としてはたかが一週間ではあるが、毎日顔を合わせて共にキヴォトスの運営を担っていた身としては思わず泣きそうになる。しかし、彼女にとっては当然そうでないようで、こちらに気づいたリンちゃんはツカツカと私たちへと歩み寄ると、
「会長?! もしや遂にお身体が──いえ、もしかしてまたもや分裂を? こちらとしては人手が増える分には助かりますが、あまり危険な実験に手を出すのは──」
「ご安心を。“複製”の件に関してはこれで打ち止めです。……見た目で察せられるかもしれませんが、彼女は記憶の復元にも成功したので、過去の四方山話は今後彼女を通すよう願います」
「え? いえ、それでは貴女や“先生”は……?」
「私たちに関しては、いずれ
「そう……ですか。いえ、了解しました。……会長、またいずれ」
リンちゃんが最後に言った「会長」は、どちらを指して言った言葉なのかわからなかった。まあ何にせよ、元気そうな様子で安心した。特に彼女には負担を強いてきた日々だったので、壮健であるならそれに越したことはない。
「思いのほか、薄い反応で不服ですか?」
「へ? い、いえ、そんなことは──」
「素直に泣かれるのとどちらが良かったのかは……貴女自身にお任せします」
「………」
泣かれるのは……そっか。本来ならそれが当たり前なんだ。本当にたまたま、偶然奇跡的に彼と私の容姿が瓜二つだったというだけで、本来は私と入れ違いで、謎の人物がキヴォトスを牛耳っていたのだから。
そうしてやたらと堅牢な扉を開けて、およそ3ヶ月の時間を隔てて、遂に私は彼と対面する。
「──キヴォトスへようこそ、先生」
合っているのか間違っているのか。何故か執務室の机の上に腰を掛けた状態で、どこかおかしい台詞をぶち込んでくる彼。むしろその言葉は私が言うべき台詞じゃないのか、と困惑している私に、彼は続けてこう語る。
「今のキヴォトスは、きっと貴女がいたころとは色々な事が違っていて、最初は慣れるのに苦労するかもしれません。ですが貴女なら、それほど心配しなくてもいいでしょう」
机から降りて、ツカツカと歩み寄ってくる彼の動きに澱みはない。久々の再会だというのに、何かしら気負った様子も見られない。それは彼が見た目通りの年齢でないことの証明のようで、私の身体に緊張が走る。
「貴女に自覚はないとしても、私は貴女に救われた。貴女ならこうするだろう。貴女であればああするだろう。そんな不出来で見様見真似の行動が、私に様々なことを気付かせた。冷酷で残酷な機械であった私に、最後のピースを与えてくれた」
両手で手を握られる。男性にこれほど積極的に迫られるのは初めてで、どうしたものかと困惑してしまうが、彼の容姿の関係もあってか、不快感の類は感じられない。あとは単純に、不純な目的ではない事が感じられるのもあるだろうか。表情を見るだけで、今の彼は私に対して有名人に握手を求めるとか、おそらくはそんな感覚だろうことがありありと伺える。
「嗚呼──今ならば、彼の気持ちも分かる気がします。我が憧憬、我が理想、我が運命。 貴女が協力してくれるのなら、私は更に上へと至れる気がします……!」
「……………」
こ、好感度が高過ぎる……!? 何だこれ。もうこんなのゲームとかだと完全に攻略完了しているレベルなのだけど……!
なんか気付かないうちに、“外”で恐れられる彼から想像の数百倍くらいに慕われていて困惑する私。彼にしてみればこの厄介極まる街を命懸けで守って3ヶ月もの間昏睡して、半ば神格化みたいなことをしていたのかもしれないが、私の体感だと一週間やそこらしか経っていないので割と恐怖体験である。
「あ──……っと、これは失礼を。ま、まあ積もる話は次の機会として──今は、キヴォトスの現状についてですね」
我に返ったように私から距離を取り、照れ臭そうに頬を搔く彼。その姿は仕草から何から如何にも少女然としていて、性別のことを理解していても騙されそうになる。
「実際のところ、確かに私の活躍は輝かしく思えることでしょう。いつの時代も、開拓者は過剰に評価されがちです。けれどそれは今だけの話。やがて憧れは畏れへと変貌し、畏れはいずれ恐怖へと変化し、恐怖は憧れを反転させる。幸か不幸か、私にはそれを押さえ付けるだけの力を有していた。また同時に、私は異端だからそれでもいいのだと考えていた。でも」
それでは嫌だと告げる人がいた。彼が色々と怪しい技術を用いてまで、わざわざ身体を用意するほどに肩入れする少女が、そんなのは嫌だと言い放った。だから──
「私は壊すことしか知らなかった。だから私は、貴女の生き様に憧れた。何かを守るために身を捧げる──彼の目指す“先生”のように、そんな風に生きる事が出来たなら、こんな私にも価値があるのだと、それを示す事が出来ると思った。
不出来な私。不器用な私。結局はいつものように、恐怖で誰かを従わせるしかないのだと半ば諦めていた。けれど──そんな道化の私を、惜しんでくれる人が居たんですね」
僅かに微笑んだ彼は、そのまま無言で隣にいる少女に近づき頭を撫でる。その場では空気を読んで黙っていたが、彼らの見た目や服装が何もかも同一のせいで、目を離した隙に彼らは互いに抱き合った姿勢になっていて、どちらがどちらか分からなくなってしまったのは内緒である。
──そうして私の長きに渡る旅は終わりを告げる。あまりに唐突で、何もかも突然で、波瀾万丈に満ち溢れたひとときの奇跡。失ったものはあまりに多く、しかし得られたものはそれ以上に大きい。
これから、私たちは苦労を重ねることだろう。キヴォトスの運営。学園間の調整。ゲマトリアの台頭。デカグラマトンの脅威。私の暗殺を目論んだ謎の存在──不安要素はキリがなく、また解決の目処も立たないまま。
けれど、どのような問題も。一人じゃないなら乗り越えていける。絆、友情、努力、勝利。そういうモノを守るため、そういうものに守られて、私はこうして戻って来たのだから。
これにてこの作品は完結です。
実は最終回の構想だけは先に決まっていた作品。コンセプトは「どうして連邦生徒会長はシャーレなんてキヴォトスを脅かす化け物組織を創ったのか?」という当然の疑問から。
作者が答えとして用意していたのは、「キヴォトスという都市が嫌いだったから」。だから雑に権力を盛り、それまでの体制をガン無視する組織を組み上げた。まあ二次創作特有のとんでも設定である。
次回があれば番外編というか、後日談的な話になると思います。少なくとも3人に増えた後の掲示板回は出すつもりです。
それでは、お目汚し失礼しました。
この作品のアロナは男性……それをコピーしたプラナちゃんの身体はつまり……?