私にとって、音を聞くというのは、生きていく上で必要なものでした。
「こんにちは、ミス・コーンブルメ」
長い白髪、首元は真っ青なマフラーを巻き、レザーワンピースとコートは黒に近い色彩で、髪の毛とマフラーの色を良く映えさせています。
「こんにちは、羊のお嬢さん」
少し曇り空の昼下がり、私は窓の外を眺めるミス・コーンブルメに出会いました。彼女はそっとヘッドホンを外して首に掛け、私の方を見ました。
20世紀80年代にドイツ民主共和国───所謂東ドイツで生を受けた神秘学家。資料から読み取る性格は・・・・・・真面目で不真面目と言ったところでしょうか。
「私は『UTTU』編集担当のメェプルです」
私がそう言うと、彼女はチラリと私の方を見ました。
観察する目といえばいいのでしょうか、ミス・コーンブルメの一瞥は、目の前の相手───つまりは私を分析しきりました。
「なるほど、記者さんか」
道理で───という小さい呟きが続く。視線は私の、『UTTU』のバッジを捉えたのでしょう。
私が頷くと、ミス・コーンブルメはまた視線を窓の外へ向け直しました。
「何を見ているのですか?」
ペンのインクを水に溶かしたような、澄んだ紺色の瞳が向いている先に、私も視線を延ばすのですが、そこには何も無いように思えます。
んー? とミス・コーンブルメは生返事。時折動く瞳の動きに対応するようなものを窓の向こうに探すのですが、やはり見つかりません。
「・・・・・・もしかして、揶揄っていますか?」
私が疑問をぶつけると、彼女はクスクス笑って、ごめんねと言いました。
彼女のデータに悪戯好きという面を加筆しなければいけません。
「君があまりにも私のことを見つめるものだから、ちょっと揶揄いたくなっちゃった」
彼女は可笑しくって堪らないというように、お腹を押さえながら言いました。
私はムッとしてみますが、特に効果は無いようで、ひとしきり笑った後、彼女は私の方を見て言いました。
「それ、何を聞いてるの?」
ミス・コーンブルメは、私の耳に刺さったイヤホンとそこから伸びるコードの繋がった先に興味を示して尋ねました。
「───カントリーミュージックです」
ただし、聞いているのは生きるためです。無論嫌々聞いている訳ではないですが、化学繊維アレルギーの私が喘息を起こさずに居られるのは、カントリーミュージックの持つ癒やしの力のおかげです。
「・・・・・・ふぅん?」
私はこの視線の意味を知っています。『好奇』と呼ばれるもの───生まれてから様々受けてきた視線です。
「───なんだか、私たちは似てるのかもしれないね」
『興味』『親近感』『期待』彼女の顔には幾つかの感情が浮かんでいます。
ミス・コーンブルメ。私の口からは次の言葉が出てきませんでした。何を答えればいいのか、私には分かりません。
「君は、耳に痛みを覚えたことがあるかな?」
彼女の言葉は『唐突』という形容が正しい。けれど、何か『核心』を突くことも多い。そう頭の中のメモ帳に加筆しました。
「君は、声を拾い上げたいタイプなんでしょ?」
私は頷きました。それが確かに私に合った答えだったからです。
「だったら、君は私と同じ、そうでしょ?」
のぞき込んだ瞳には『確信』が浮かんでいる。そして、それは、私の瞳にも浮かんでいるのでしょう。
「・・・・・・ミス・コーンブルメ、貴女も生きていく上で、音を聞き続けて居たのですね?」
彼女は頷いた。
脳裏に浮かぶデータ。彼女はシュタージ、秘密警察の一員だった。彼女の神秘術と傍受・盗聴は組み合わせが良く、手放されることは本来無かったはず───しかし、その環境に停滞すること無く、ささやかながらも反抗した・・・・・・。 それは確かに、生きるために音を聞き続けてきたと言えるでしょう。
───であれば。
「ミス・コーンブルメ、貴女は記者に向いていると思います」
私がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をしました。まるで、そうなのか? と問うように。
「・・・・・・もし、新しい職場を探しているのであれば『UTTU』の記者を推薦しますよ」
「───ふふっ、確かに前から転職は考えていたよ。私としては深夜ラジオのパーソナリティだって、いいと思うんだけどな」
彼女はそう言って、再び窓の外に視線を戻しました。遠くには薄曇りの空と建物による人工的な山脈。しかし、目下には、緑の発色豊かな芝生。そこにシルクハットを被った女性が立っているのが見えます。
「・・・・・・けど、今は転職を考えてないんだ。相棒を手伝ってあげなくちゃね」
彼女の口元が、悲しそうに、しかして嬉しそうにも歪みます。『笑顔』と形容する形ですね。
窓を見上げたシルクハットの女性に優しく手を振るミス・コーンブルメ。シルクハットの女性もそれに気づいて、手を振り返した。
「───そうですね、ミス・コーンブルメ。私もささやかですがご協力します」
ミス・コーンブルメは、窓から離れる。目線は階段に向かう。私もそれに続きます。
きっと、何か記事になるような出来事を聞くことができるという『確信』を胸に抱きました。