―――皇帝『マルクス・アウレリウス』
「…よし、移送準備完了しました。」
激戦の夜が明け朝日が照らし始めた合宿所グラウンド。
ナギサの待機命令解除を受け駆け付けた正義実現委員会の隊員たちがネイトに制圧されたミカを拘束し担架に乗せ移送する準備を整えていた。
「………ミカ。」
そんな彼女に先生は声を掛けようとする。
私利私欲でトリニティを巻き込み身勝手な理由で師匠であるネイトすら亡き者にしようとしていた。
正直言って…人として彼女のことを許すことはできない。
それでも、彼は先生でミカは一人の生徒だ。
話を聞かなくては…先生はそう思った。
だが、
「…先生。今はちょっと…なにも聞きたくはないなぁ…。」
担架に乗せられたミカはそう力なく呟く。
「………。」
「…そんな顔しないで、先生…。悪いのは…シャーレを巻き込んだ私なんだから…。」
「…でも。」
それでも何とか言葉を捻り出そうとする先生だが…
「…ありがとう、先生…。こんな私の…味方になってくれて…。」
「…!」
「私…とっても嬉しかったよ…。」
力なく微笑み礼を述べるミカを見て、
「………!」
何も言えなくなった。
「…バイバイ、先生…。」
「では、移送します。」
そんな彼に別れの言葉を掛けられたタイミングで正義実現委員会の隊員たちが彼女を移送していった。
「………。」
「そんなしょげた顔するな、先生。」
それを見送り俯く先生にネイトが声をかける。
「…ネイトさん。」
「あの夜に言ったろ。『信じる』っていうのはソイツの何から何までひっくるめて受け止める『覚悟』だってな。」
「…ハイ…。」
「だったら…腹をくくれ。俯いている暇はないぞ。」
この先…ミカは途轍もない非難に晒されるだろう。
トリニティを引っ掻き回しただけでなく様々な方面からの信用を失墜させた張本人だ。
何が起こるかは想像に難くないが…その範疇は予測できない。
ただ一つ言えることは…トリニティのほぼすべてが彼女の敵になるということだ。
「まだまだだが…それでもちゃんとお前は前に進んでいる。だから、しっかりしろ。」
未熟さを指摘しつつ成長していることも褒め彼を激励するネイト。
「…分かりました。」
その師匠からの檄を受け先生もようやくしっかりと顔を上げた。
「ま、お前ならやれるさ。」
「え…?」
「X-02を着た俺の前に丸腰で立ちはだかったのは先生が初めてだった。」
「あっあの時は無我夢中で…!」
「そう言う無鉄砲さもお前の欠点であり美点だ。その気合をコントロールできれば…半人前は卒業だな。」
「…精進します、師匠。」
朝日が照らしグラウンドで見かけはそう年の離れていない師弟はそんな会話を交わすのであった。
その後、駆け付けた正義実現委員会の増援やシスターフッドの手によって制圧されたアリウスの生徒達も拘束されたのちに移送されて行き…
「あ…あうぅ…もう色々ありすぎて…疲労困憊です…。」
「ようやく落ち着きましたねぇ…。」
「うん…。」
「あぁ~…徹夜なんか何時ぶりだっけか…。」
「私も…たぶんスランピアの調査依頼ですかね…。」
合宿所の一角にあるベンチで二人と補習授業部の一行はようやく一息ついていた。
すると…
「………。」
フラッ
「コハルちゃん!?」
「はッ!?ご、ごめん…。なんだか力が抜けちゃって…。」
コハルが疲労からかうとうととし体勢を崩しかけた
「一晩中走り回りましたし仕方ないですよ…。」
「それどころか後半はずっと撃ち合いだったもんな…。」
「それにここ一週間、余り睡眠もとれてないですからね…。」
「ホントに皆お疲れ様…。」
ネイトや先生はともかく女子高生の補習授業部にはこの一週間はかなりハードな物だった。
すると…
「……ネイトさんに皆。無事でよかった。」
「おぉカレン。そっちも平気なようだな。」
正義実現委員会の生徒達をかき分けカレンも合流。
「よくやってくれた。一個中隊を足止めしたんだって?」
「……うん、皆の力になれたようでよかった。」
「お疲れ様。…おいで。」
「……うん。」
そう言い、カレンは座っているネイトの胸に少し身を屈めて入り込み…
「……褒めて、ネイトさん。」
「あぁ。頑張ったな、カレン。流石は俺自慢のスナイパーだ。」
「……ムフ~。」
穏やかにすり寄りそんな彼女をネイトもそっと撫でて労うのだった。
「いっ一個中隊を狙撃手一人で…!?」
「やはり…カレンはすごいスナイパーだったのか…!」
サラッと二人は流したが…コハルとアズサにはそれがとんでもない事だとすぐに理解でいた。
相手はただの不良などではない。
訓練され容赦を捨てたアリウスの部隊だ。
おそらく、一般正義実現委員会に匹敵する戦力なのは過言ではない。
それをカレンはたった一人で、それもボルトアクションの狙撃銃一丁で制圧したのだ。
アズサも似たような事をやったがそれはブービートラップを用いての籠城戦だ。
一概には言えないが…アズサと同等かそれ以上のことをやってのけたのだ。
「一体、カレンちゃんって何者なんでしょうか…?」
謎が謎を呼ぶカレンの実力だが…
「まぁ、三人とも。今はいいじゃないですかぁ♪」
「うん、カレンのおかげで私達もとても助かったんだからね。」
ネイトに甘える彼女を見ながらハナコと先生は微笑みながらそう告げた。
そうだ。
カレンが自分たちの大きな助けになってくれたことに違いはない。
今は…その事実だけで十分だ。
「ナギサ様も安全が確保されましたしこれでようやく…」
何はともあれ全員無事に乗り越えることができ安堵するヒフミ。
だが…
「何を言っているの、ヒフミ?」
「…え?」
「むしろここからがスタートだ。」
そんな彼女にきょとんとした表情でアズサが指摘する。
そう、別にアリウスの襲撃を乗り越えたからといって…
「そっそうでした…。第三次試験が…。」
「忘れてたわ…。」
別に自分たちが追試を合格したわけではない。
しかも、
「現在時刻は午前7時50分。」
「…あれ、確か試験会場て…。」
「トリニティ校舎第19分館だったか?」
試験会場はこの合宿所からそこそこ離れた距離にある。
そして、試験開始は午前9時。
つまり…
「試験会場まで1時間で着かないと。」
なんともギリギリのタイムスケジュールなのだ。
「走ろう。」
「えぇッ!?走るんですか!?」
なんともアズサらしいシンプルな提案が飛び出た。
が、
「まぁ待て、B.B.E.。」
「む、教官?おしゃべりしていたいけどもう時間が…。」
「わざわざ走って向う必要はないだろう?」
そんな彼女たちを呼び止め…
「おぉ~い、レイナにカノン!」
「なんだぁ、アニキ?」
「七転八倒団からバイクを五台とドライバーを用意して先生と補習授業部を試験会場まで送ってくれ!」
「お安い御用さ!あんた達、行くよ!」
近くで待機していたレイナたち七転八倒団に声をかけ…
「いろいろとありがとうございました、ネイトさん!」
「本当にありがとう、教官。絶対に合格するから。」
「見てなさいよ!私だってネイトさんみたいなエリートになって見せるんだから!」
「ウフフ♡このお礼はたぁっぷりとお返ししますねぇ♡」
「俺が手を貸せるのはここまでだ。後は頑張れよ。それから先生、後は頼む。」
「はい!必ず全員を合格させて見せます!」
「んじゃ、行くぞ!」
「しっかり掴まってなよ!」
ヴォオオオンッ!!!
補習授業部と先生たちは七転八倒団のバイクに載せてもらい試験会場へと向かうのであった。
彼女たちを見送った後…
「イツツ…!」
「全く…今回も随分無理をしましたね。」
「疲れてるところすまないな、シホ…。」
「…構いませんよ、ネイトさん。」
T.A.G.の基地から戻ってきたシホとも合流し合宿場の一室を借りネイトは上着を脱いで応急処置を受けていた。
酷い怪我こそないがやはりミカを相手にして無事で済むはずがない。
彼女の神秘が込められた攻撃をX-02の装甲越しに食らったか所は赤紫色の拳大の痣になっている。
「見たところ少し重めの打撲のようですね。」
「……スティムパック使う、シホちゃん?」
「いいえ。これくらいなら『ヒーリング・サルヴェ』を塗って保護すればすぐに治りますよ、カレンちゃん。」
そう言い、シホは愛用のバッグから包帯とガーゼに円筒状の容器を取り出し中の薄緑色の軟膏をネイトの痣に塗り始める。
「なんだかんだ…『連邦』の薬品の扱いにも長けてきたな…。」
「驚かされる効果ばかりですけどお陰様で治療がスムーズになりましたね。」
「……私のお茶もネイトさんの植物入れると…また違った味になる。今度また頂戴。」
「分かった分かった。」
そんな会話をしつつシホの治療は進んでいき、
「…ハイ、服着てもらって平気ですよ。」
「ありがとう、シホ。」
手慣れているからかかなり手早く治療を終えたシホなのであった。
そして、
「…補習授業部の皆さん、大丈夫ですかね?」
「……間に合ってはいるだろうけど心配だね。」
「さぁなぁ…。こればっかりは俺達は何もできない…。」
今まさに退学をかけたヒフミたちが挑んでいる第三次特別学力試験に話題は移る。
泣いても笑ってもこれが最後だ。
もし、これで合格条件の9割以上の点数が獲得できなければ…。
「ネイトさん…。」
「……ヒフミさん達、不合格になっちゃったら…。」
心配そうな表情で見つめるシホとカレン
短い付き合いとはいえ補習授業部とも二人は仲良くなった。
そんな補習授業部がそんな瀬戸際ともあれば心配するのも無理はないだろう。
が、
「心配するな。あの子たちは大丈夫さ。」
ネイトは微笑みながら答えて見せる。
「二人も見ただろう?補習授業部のガッツは俺達にだって負けてない。」
「それは…そうですけど…。」
「それに…あの四人は大切な物のためなら凄まじいパワーを発揮する。ともすれば…俺達をも上回りかねないほどの、な。」
「……うん、そうだね。皆…すっごく強かった。」
「…えぇ、アリウスの部隊に一歩も引きませんでしたもんね。」
そんな彼の言葉を聞きカレンとシホの表情を和らげた。
「それに…もし心配しているようなことになってもアビドスで受け入れるつもりだ。」
「あッ!それいいですね!」
「気を抜いちゃいけないからまだヒフミたちには言ってないがな。」
そして、次善策も用意していると聞けて笑顔になるシホだが…
「……ネイトさん、大丈夫?」
「大丈夫って何がだ?」
「……ヒフミちゃん、モモフレンズグッズありそうな廃墟見つけたら…。」
「………あ。」
カレンのそんな指摘を受け…
「………だ…大丈夫…だろ…?」
「そこは自信持ってくださいよ!?」
こればかりは確信をもってこたえきれないネイトであった。
なんせペロロのためならテストを投げ捨てるのがヒフミだ。
断言することなどできるはずがない。
「ま…まぁ一番はちゃんと試験を突破することだ。そうなったときはなったで考えよう。」
「で…ですね…。」
「……うん、退学にならないのが一番。」
なのでひとまずはこの話は置いておくことに。
「よし…そろそろ俺達もアビドスに帰るか。」
「ホシノ先輩たちも首を長くして待ってるでしょうしね。」
「……問題もかなりの部分が片付いてよかった。」
そう言いながら上着を着直すネイト。
ここから先はトリニティが対処すべき事案だ。
事情聴取などは応じるつもりだがこれ以上深く首を突っ込むつもりはない。
ミカは捕らえられ黒幕の正体『アリウス分校』のことも知ることができた。
2週間の滞在で得られたデータとしては十分だろう。
「帰ったらマスターの店に行くか?」
「私ももうお腹ペコペコですよ。」
「……私モーニングセット大盛りね。」
「分かった。デザートもサービスしよう。」
そんな会話を交わしつつ三人はベルチバードが止まっている駐機場へと足を向ける。
こうして二週間にわたるネイトとカレンにシホのトリニティの任務と調査を目的とした滞在は幕を閉じるのであった。
―――――――――――――
――――――――
―――
「…はぁ~疲れた。」
時は進み日がとっぷりと暮れネイトの姿は根城の技術室にあった。
あれからアビドスに帰還し『Cafe Franklin』を訪れモーニングを済ませてからアビドス高校に到着した三人。
トリニティでの出来事と黒幕のミカの報告を受け…
「へぇ~…トリニティのお嬢様が…ねぇ…?」
「嘗めた真似してくれるじゃない…!」
「D.U.の一件まで関わっていたんですねぇ…!」
「ん…この報いは必ず受けさせる…!」
「一先ずすぐに動かせる部隊の選定を…!」
「落ち着け、お前ら!戦争止めてきたのにまた燃やそうとするんじゃない!!!」
アビドス生徒会の面々がやる気満々となり宥めるのに相当苦労した。
幸い、今すぐに攻め込むという方針はすぐに取り下げたが抗議に関する書類の作成など今の今までずっと書類仕事に追われていたのだ。
「はぁ~…明日からはまた現場だなぁ…。」
トリニティの仕事が終わったがW.G.T.C.の仕事はまだまだ続く。
「…あと二日…アリスに会える…。」
この二週間、電話ではいつも話していたがやはり会えないのはネイトも寂しい。
(決めた…。明後日仕事終わったらすぐにミレニアムに飛んでアリス達と夜更かしして遊び倒そう…。)
そう決心し、
(…そう言えば…アイツの輸送体制も…考えなきゃ…。)
思考がどんどん鈍くなっていくのを感じ…
「…Zzz…Zzz…。」
久しぶりに安心してネイトは眠りに落ちるのであった。
…さて…以前も紹介したが…普段、ネイトは夢を見ない。
それこそ、瞬きを一回したら起きる時間というほど毎日ぐっすりだ。
夢を見るのは大概ユメが出てきて何かを伝えたりする時くらいである。
それ以外は本当に寝ている間の記憶はない。
だからこそだろう。
「………またか。」
目の前に広がっている既視感のある光景にネイトはそう漏らしていた。
例えるなら…どこかの屋敷のテラスのような場所だった。
周囲には明かりが灯った歴史を感じる街並みが広がっている。
ということは…
「なんだ?足掻いて『予知』を外させたクレームを言うにしては…随分遅かったな。」
ネイトがそう呟き振り向くと…
「まさか…占いが外れたからと言ってお客にクレームを付ける占い師はいないさ。」
以前にも夢で出会った少女が上座に座っていた。
「まぁかけてくれ。」
「失礼する。」
彼女に促され近くにあった椅子に腰かけるネイト。
「で?二大校の衝突を回避し仲間を宥めてヘトヘトの俺の夢に出てきて一体何の用だ?呼んでくれるんならでっかいケーキとコーラでも用意して欲しかったものだな。」
彼女に皮肉交じりにこの夢の目的を尋ねるネイトに…
「…フム、では君の心配の種を一つ減らしてあげよう。」
彼女は肩をすくめながら微笑み…
「…補習授業部の皆はしっかりと自分たちの力で合格を勝ち取ったよ。」
ヒフミたちが第三次特別試験に合格したと明かした。
「!…そうか。」
「おや?随分あっさり信じるんだね?」
表情を和らげるネイトに彼女は意外そうな表情を浮かべる。
彼女の知る彼は…『都合がいい事をすぐ鵜吞みにはしない』、それほどの用心深さを持つ人物だ。
そんなネイトが…初めて頭から自分の話を受け入れた。
彼女の疑問に…
「お前はまどろっこしい言い方をするが…言っていい嘘と悪い嘘の区別はつく賢さは持っている。」
「ほぉ?」
「そんな嘘をここで吐いて俺を怒らせるようなリスクを…素での俺に負けると自称するお前が取る訳がない。」
彼女の癖と性格にリスクヘッジを鑑みての判断と明かされ、
「………やれやれ、随分と斜め下の信頼を得られたものだね。」
「全幅の信頼を得られるとでも?」
「確かに。せん無き事ではある。」
とそんな二人の関係の整理も終え…
「…うん、今の話に嘘偽りはない。」
彼女は表情を和らげ…
「コハルはこの後…晴れて正義実現委員会に戻れるはずだ。」
コハルの復帰、
「ハナコもいつの間にか自分をさらけ出せるようないい友と大人を見つけられていたようだね。おそらく…今は少なくとも学校をやめようとは思っていないだろう。」
ハナコの精神の安定、
「アズサはこれからもきっと様々なことの学びを続けることができる。」
アズサの学校生活、
「そして…真摯に努力を積み上げてきたヒフミは今までの日常に戻れるだろうね。」
ヒフミの日常への帰還という未来を告げる。
「そうか。それは何よりだ。」
ネイトもそのことを喜ばしく思う。
だが…
「…ミカは学園の監獄に幽閉された。」
続いて彼女が述べ始めたのは打って変わって暗い話題だ。
「もしかしたら…二度と会えないかもしれない。」
表情に真剣さを帯び彼女はネイトを見るが…
「当然だろう?最低でも殺人未遂二件に過重暴行やら内乱まで加わるんだ。普通だったら学生とか関係なしに電気椅子か首に縄括られるかだ。」
特に気にするでもなく、むしろ甘い処分だと断じるネイト。
「…それが君の考えかい?」
「あくまで俺の中の常識では、ってことだ。それとも何か?殺しに来た奴にあの場で『殺さなかった』以上の情けを掛けろとでも?」
おおよそキヴォトスでは非常に苛烈なネイトの意見だが…
「…いいや、それは君の正当な権利だ。私がとやかく口を出せる権利はないよ。」
彼はあくまで被害者、ミカへの心情を彼女が否定することはできない。
「話を進めよう。ナギサは予定通り…エデン条約に調印しに行くだろう。」
続けて、ネイトも関わり護ったエデン条約の顛末について述べる。
が、
「あっそ。」
「…軽く返してくれるね。」
「事実、アビドスは部外者だからな。」
あいも変わらす軽く返すネイト。
ネイト、ひいてはアビドスにとって『エデン条約』はその程度のものだ。
「やれやれ…二大校の同盟に近い事なのに…。」
「喧嘩売られたら容赦しないが手を取り合って仲良くやってくれるんならこっちも他所に気を向ける必要も減るってもんだ。」
ゲヘナとトリニティという二大巨頭が握手を交わす『エデン条約』。
決して円満な条約ではないが距離が縮まるということはより互いを注視せざるを得ないということだ。
つまり、こちらに向ける余裕が減る為アビドスとしてはのびのび復興にまい進できる。
その上、ゲヘナの治安もよくなるのであれば願ったりかなったりだ。
が、別の締結しなくてもこれと言った不利益もない。
「さて、狼を引き連れた羊は檻の中に納まり牧場主は晴れて平和を取り戻した。世はこともなし、あとはカーテンコールを待つだけだな。」
背もたれに体を預けかかりネイトがそう呟く。
すると、
「…そうだね。うん、ここまではよくできたお話だ。」
彼女はそんなネイトの言葉に頷き…
「…でもまだ、エンドロールには早すぎる。」
真剣な眼差しを向けてきた。
「ほぉ?この劇には…まだ続きがあると?」
「むしろ…本当の結末は…まだ全貌を現していない。」
「………。」
「そして、このお話が例えどんな風に転がっていこうと…。」
そして、その表情に愁いを帯びさせ…
「全ては…『破局』へと収束していく。」
彼女は椅子から立ち上がりネイトに近づき…
「『暗雲』、誰の手にも負えないような…二度と太陽を拝めるとは思えなくなるような…そんな暗雲が今ゆっくりと押し寄せてきている。」
彼の間近に立ち止まり顔を覗き込むように近付けそう告げた。
「それなのに…君は…エンドロールすら見る前に劇場を後にするのかい?」
おそらく10人中10人が美少女と答える可愛らしい顔立ちが間近に迫っているが…
「俺はポップコーンを食って眺めている観客だぞ?」
一切動じずにその視線を真正面から受け止めて答えるネイト。
そうだ。
ネイトはエデン条約から見れば蚊帳の外の存在だ。
暗雲云々聞かされようとそもそも手出しのしようがない。
スクリーンに映る映画にどう反応しようと映画の内容が変わるはずがない。
「そうだ。君は観客だ。私もそう思っていた。」
ネイトの返答に肯定して見せる彼女。
「私も自分の予知は『映画』のような物だと思っていた。すでに結末が決まった予定調和でしかないと思い込んでいた。」
だが…と彼女は言葉を区切り…
「君は言った。『カーテンコール』…と。」
「映画か舞台かの違いだろ?結局は予定調和…。」
何か確信めいた様子で復唱する彼女に指摘するネイト。
だが、
「映画と舞台の違うところ…分かるかい?」
「…フィルムを流すかそこで演じるかだろ?」
畳みかけるような彼女の問いかけに少したじろぎながら答えると…
「そうだ…!そうなんだよ…!」
彼の肩に手を置き彼女は…
「私の予知は『映画』じゃない…!『舞台』なんだ…!」
何か憑き物が落ちたような表情で話を続ける。
「舞台にも確かに予定調和がある…!でも…それは崩せるんだ…!」
無論、普通の舞台ならばそうはいかない。
演目にはちゃんと経過と結末が決まっているものだ。
だが…これはあくまでも比喩表現だ。
なぜなら、
「現に君はやって見せた…!私が知る結末のその先に進み…予定調和の悲劇を打ち破って見せた…!」
ネイトは彼女の見た結末…
「君はあのホテルで死ぬはずだった…!だが、ヒントがあったとはいえ君は行動し盤上を引っ掻き回し…君は生き延びたんだ…!」
それを踏み倒し予定調和すらも超越して見せた。
「だから…!この未来もきっと…!」
ならば…そう希望に満ちた言葉を発しようとしたその時…
「おい。」
「…ッ!」
ネイトから低く重い声が漏れ…
「言ったろ?俺は観客、演者以外を舞台に上げるつもりか?」
「え…?」
「それに…だ。自分が動かずに…他人を動かせると本気で思っているのか?」
彼女の話の穴を指摘する。
そう、彼女の話で例えるとあの日のネイトは舞台上の演者の一人だ。
つまり、演者がアドリブを利かせまくり演目の結末すら変えてなお劇として成り立ち大団円を成立させたということだ。
だが、彼女の言うエデン条約に関してはネイトは観客の一人だ。
例え結末を変えることができる演目であっても…観客が舞台に上がれば『劇』は滅茶苦茶になる。
「カイザーはアビドス奪還。ミレニアムはあの子たちへの恩。ビナーは越えなければならない壁。D.U.は俺の命。そして…トリニティはその清算。」
ネイトが今まで引き起こした大騒動。
「分かるか?どれも俺がど真ん中に関わっていた。だから、動いたまでのことだ。」
それは全てネイトは当事者だった。
だから、その演目を最期までやり切るのは義務だった。
しかし…
「で?今はもうエデン条約とは関係ない俺がどうやって劇を動かすんだ?」
ネイトは舞台を降りて客席に座っている。
「ただの成り行きでそんな狂騒劇に突っ込んでいくのは…俺もまっぴらなんだよ。」
この場ではただの『観客』の自分にそれらと同じことをしろというのはあまりにも筋が通らない。
それが彼女が見たような滅茶苦茶になることが決まっている劇ならなおさらだ。
「分かるか?観客を演者にするには…それ相応の儀式が必要だってことだ。」
静かに、それでいて抗えない圧がこもった声で彼女に告げるネイト。
「………すまない。君の言う通りだ。」
その言葉で冷静になったか彼女はネイトから手を放した。
「確かに…君が私の予知に出てきた時は…いつも君は被害者だったね…。」
ネイトをいざこざに巻き込み舞台に引きずり出したのは他でもない、トリニティだ。
D.U.での件も、昨日のことでもだ。
「我ながら滑稽だ…。結末が気に入らないからと…私は何もせずに観客の君に縋ってしまった…。」
そんな彼が観客になっているというのにこれまで以上に乱れることが確定している舞台に上がれ、と?
それはあまりにも不条理極まりない暴論だ。
「君もあの人も以前言っていたのに…。行動を起こさず…他人にそれを押し付けようとは傲慢にも程があったね…。」
なのに、自分はそれをネイトに押し付けようとした。
しかも、自分は生身ですらない夢のなかで何もせずにただ言葉だけで…だ。
頼み事をするにしても真摯さなどまるでないのにネイトが受け入れるわけがない。
しかし、
「でも、理解してほしい…。君が見せたその可能性は…目がくらむほど眩しくて希望に見えたんだ…。」
そう言い、彼女は少し泣きそうな表情を浮かべた。
彼はその演目をやり遂げ…予知とは少し違う未来にしてみせた。
予知の改変など…以前の彼女では考えもしなかった。
たとえどんなに辛い未来でも黙して受け入れるしかない、ずっとそう思ってこれまで生きてきた。
ネイトはそれに立ち向かい…その全てを踏み越えてきた。
それが彼女にとってどれほど理不尽で…どれほど鮮烈に映ったか彼女自身でも言い表せられない。
彼女は一歩下がり…
「…なら、1つ聞かせて欲しい。」
その表情のままネイトに問いかける。
「キヴォトスには『七つの古則』というものがある。」
「ふむ。」
「その5つ目…それが『楽園』…こちらでいうと『エデンの園』に関する質問だ。」
「ほぉ?いったいどんな質問だ?」
ネイトもまだ知らないキヴォトスの古の公案に彼も少々興味がわいたかその質問の内容を尋ねると…
「その内容はだね…。『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか?』…と言うものだ。」
彼女のその質問の内容を聞き…
「…なるほど、随分捻くれた質問を昔のキヴォトス人は残したものだ。」
その矛盾しかない質問の真意に気付いた。
「おや、聞いただけで分かるのかい?」
「これでも経験だけは積んでるんでね。つまり…『そんな楽園に辿り着いたのにどうしてそいつは帰って来たのか?』…そう言うことだろ?」
「…そう、この質問は一見すれば少々理解に困る言葉の羅列だが…解釈の一つには『楽園の存在証明に対するパラドックス』だと見ることができる。」
ネイトの言葉に満足そうに頷き彼女はこの5つ目の古則の真の意味を明かす。
「仲間や大切な人に伝えて一緒に楽園で過ごしたかった…なんて単純な答えではないだろ?」
「そう。いかにその人物が楽園の有り様を語ろうと…聞いた者たちはこう考える。『その楽園から出てきたのであれば…それはつまり真の悦楽を得られるような『本当の楽園』ではなかった』…とね。」
「だったら…楽園に到達した奴は決して帰ってこず、帰りを待つ者たちがソイツの状況を感知することができずに楽園の存在も把握できるはずがない。そう言うことだろ?」
『パラドックス』、簡単に言い換えれば『あちらを立てればこちらが立たず』という板挟みの問答だ。
どういう答えを用意しようとその文言の中に矛盾を起こしたり結果的に受け入れがたい結論に至ってしまう。
「全く…楽園と言いつつ『悪魔の証明』を残すとはな。」
「皮肉だろう?つまりこの五つ目の古則は…始めから証明できないことに関する『不可解な問い』なのだよ。」
「で?そんな意地悪問題を何でわざわざキヴォトス人のご先祖は残したんだ?」
古則というからにはこの質問はキヴォトスの根幹に根差した問いかけなのだろう。
そんな言葉遊びをするために仰々しい言葉で『古則』としてわざわざ残す?
ネイトにとってそれは…あまりにも非生産的なことだった。
すると、
「私もそう思う。そしてこうも考える。証明できない真実は無価値なのだろうか?この冷笑に近い文章を通じ…何か真に問いたいことがあるのではないか…とね。」
彼女はこの古則が問いたい真の答えがあるのではないかと推測する。
「ふん、まどろっこしいものだな。」
「簡単に分かられてはつまらないとでも思ったんだろうね。」
面倒そうな表情を浮かべるネイトに同調しつつ…
「『エデン』…経典に出てくる『楽園』。どこにも存在せず探すことも能わぬ場所。」
遠くを見る視線でテラスの外を見て…
「夢想家たちが描く…甘い甘い虚像…。」
「『シュガー・ボム』にも負けない甘ったるさだな。」
「ほぉ君の世界のお菓子かい?興味はそそるが…どうだい?そう聞いてみると『このエデン条約』そのものが…まさしくそんなもののように思えてこないかい?」
皮肉にも同じ名を冠する『エデン条約』も…この古則の中の楽園のような存在に等しいと言い放ち…
「………ネイト。」
「ん?」
「君は…この古則をどう解釈するんだい?」
まるで縋るような視線となりネイトにそう尋ねるのであった。
「…はぁ~…牧師のような説教は得意じゃないんだが…。」
ネイトは頭を掻き…
「そんなのは決まっている。俺の答えは…。」
真剣な眼差しとなって彼女に答える。
「万人に受け入れられる単一の『楽園』なんてまやかしだ。そんなもの…例え創造の神であっても作れっこない。」
「…ッ!」
それは…彼女にはあまりにも残酷な答えだった。
「古今東西…単一の規格で構成された物は必ずどこかに致命的な欠陥を抱えるものだ。人でも物でも組織でも…だ。」
「………。」
「『万人の楽園』?それ自体がまず欠陥に満ち満ちた存在の他ならぬ証左だ。エンジニアとしてはナンセンスな設計で頭が痛くなる。」
にべもなく楽園の存在を否定するネイトの言葉。
それを聞き彼女も沈痛な面持ちを浮かべるが…
「………そうだね…。君の言う通りだよ。」
どこか納得したような思いも負っていた。
「結局…人はその真実から目をそらし『楽園はある』と信じ続けるものだ…。どこまで悲しくて…苦しくて…憂鬱になるような…ただただ後味だけが苦い…そんな話なのに…。」
彼女は達観した表情を浮かべ…
「しかし、同時に…紛れもない真実の…。」
この話に結論を出そうとした。
その時、
「おい、俺はまだ答えを言い切ってないぞ。」
「…え?」
「式の途中で答えを勝手に出しちゃ減点だぞ?」
ネイトは呆れたような表情を浮かべ彼女の言葉を切らせた。
「こ、答えは今…。」
「俺が言ったのは『楽園』自体は今なお存在しないっていうだけのことだ。」
「それがどういう…。」
「『今後絶対にできない』…なんて言ったつもりはないぞ?」
「………え…!?」
楽園の存在を否定しかつ肯定するようなネイトの言葉に彼女は目を見開く。
「ま、これも夢物語に等しい夢想家の戯言みたいなものだがな。」
ネイトはその答えを切り捨てようとするが…
「まっ待ってくれ!いったいどういうことなんだ!?」
彼女はネイトに詰め寄りその先を求める。
例えそんな戯言でも…この古則の今までになかった解釈であることに違いはない。
それを…聞き逃すわけにはいかなかった。
必死な彼女を見て…
「『万人の楽園』は存在しない。だがな…一人一人が思い描く『理想郷』は作ることができる。」
「さ…『理想郷』…?」
昔に思いをはせるようにネイトは語り出し…
「その一人一人の『理想郷』を互いに認め合い尊重する。そうすればどうだ?さっきの古則の答えも矛盾しない。小さな『理想郷』が集まり誰しもが幸福になれる『楽園』を互いに観測できるとは思えないか?」
「~ッ!!?」
雷に打たれたような衝撃だった。
「それだけが…楽園が存在しうる唯一の可能性。俺はそう思っている。」
「そ…そうか…!そう言うことなのか…!」
彼女も納得がいった。
「楽園は『客観的な終着点』じゃない…!主観的なプロセスを経て『内面から構築される関係性』こそ…!」
『万人の楽園』、言い換えればそれは『救済の押し付け』のような物だ。
当然、その型から外れる者も出るし…画一された幸福は本当に幸福なのかという疑問も生まれる。
ゴールとしては…あまりにも物悲しすぎる。
だが、各々の『理想郷』を認め合い尊重し合えばどうか?
言うなればそれは『相互理解の到達点』だ。
人の有様を否定するのではない、互いに受け入れ大切にしあうというごくごく当たり前の事。
何のことはない一言で言い表せることだ。
「思いやり…!それが…楽園に至る…!」
見るからに興奮しその先を口走ろうとする彼女に…
「言ったろ、これも夢物語に等しい夢想家の戯言だってな。」
「…!」
「それができたら…この世の中もっと過ごしやすくなっているだろうさ。」
今度はネイトが達観した様子で言い放った。
「こっちはあっちと…私とあなたは違う…。その考えで…一体どれだけの血が流れてきた?」
「それは…。」
覆せない事実だ。
その思考でどれだけの人・国・大陸…そして『世界』が燃えたことか。
ネイトはそのことを今まで散々見てきた。
だから決して断言しない。
それでも…
「…だがな。」
「?」
「俺は今でも…心のどこかで『それでも』…なんて思ってしまう。」
決して諦めることができないのもネイトの中にある事実だ。
「まぁ、凝り固まった老人には無理なことだ。」
そう言ってネイトは席を立ち…
「あとは今を生きる若い子たちに託すことにするよ。」
背中を向けテラスの出口へと歩を進め始める。
「…行くの…かい?」
「あんまりのんびりしてたらどっかのチーズ好きな爺さんが来そうでな。」
「…フフッそれは確かに勘弁願いたいものだね。」
かつて共に卓に着いたあの狂乱の王子を互いに思い出し彼女は思わず噴き出した。
「なぁ…ネイト。」
「ん?」
「…また…会いに来ても…いいかな?」
「俺の知り合いがたまに混じるかもしれないが…来たければ来い。できれば生身でもな。」
「うん、いつかきっと…ね。」
そして、互いに再会の約束を交わしテラスの出口に手をかけ…
「あぁそれからな。」
「なんだい?」
「…枯れた俺でも熱くなるような『誘い文句』でもあれば飛び入り参加はやぶさかでもないぞ。」
「ッ!?そ、それは…?!?」
ネイトの言葉に驚く彼女をしり目に…
「じゃあな。今度はちゃんとティータイムを楽しませてもらうさ、『百合園セイア』。」
「~ッわっ分かって…!?」
今まで一度も発さなかった…彼女の名前を発し扉を開けたのだった。
その瞬間、ネイトの姿は消える。
テラスに残された彼女…ティーパーティーの最後の一人『百合園セイア』は…
「…ありがとう…!ありがとう…ッ!」
顔を両手で覆い方を震わせ何度も感謝の言葉を述べていたのであった。
心は場所や時には左右されぬ。心には己の場所がある。そして心は自らのうちに地獄から天国をつくり、また天国から地獄を作り出す。
―――『失楽園』より