傷ついた2人の客が風呂に向かう様を見てから、さくらどらごんは番台から立ち上がった。口の中にはハッカの飴が含まれていて、彼女の吐く息はどこか涼しげだ。
「今日は、少し貸し切り」
出していた暖簾を仕舞い、貸し切り、という札を表に出した湯守。確かに、彼女らの状態はどうにもこうにも異常だ。こういう時は、きっと、厄介な客が来てしまうと彼女の勘が告げているし、彼女の経験則からきっと当たっているだろう。
「もし」
そら、当たった。湯守は少しだけ目を細めながら、声のほうへと首を向ける。
「なに。今日は、貸し切り」
そう言った彼女の目の前には、馬から降りた一人の女性騎士と、その後ろには数十名の騎馬の姿があった。全員、どこか殺気立っていて、穏やかではない雰囲気だ。
「それは…残念ですね。それと、つかぬことを伺いますが…こちらに、2人組の女性は来ていませんか?」
「来てないよ。今日は、男連中の寄り合いだから、立ち入り禁止」
「左様でしたか。……では、また近いうちに再訪致しますね。ドラゴン様」
「ん」
大人しく引き下がる騎士の集団。だが、その中には納得のいかない者もいるようで、女性騎士へと疑問を投げるものもいた。
「よろしいのですか。隊長」
「よろしいもよろしくないもあるか。ここはドラゴンの湯。彼女の言葉がここではすべてなのだよ」
女性騎士の言葉に、言葉を発した騎士は少々納得のいかない表情を浮かべたのだが、その表情を見逃さなかった女性騎士は、顔に怒気を含ませ言葉を投げた。
「貴様はそれとも、ドラゴンの逆鱗に触れて、貴様の故郷ごと、丸ごと、この国を滅ぼしたいのか?」
「は、失礼しました」
「それに、あそこに通じる道は一本。文字通り、王手には変わりはない。賊がドラゴン様の宿を発つまでしばらく待つぞ」
皆一様に顔を見合わせ、頷いた。野営地に戻るその道中では、誰も言葉を発することは無い。
■
あくる日の早朝。まだ日が昇る前の事。湯守は掃除の前に、その体を湯舟に沈めていた。普段であれば人の姿であるのだが、流石の温泉。角と尻尾が出てしまっている。
「んふー」
気持ちよさそうに目を細めながら肩口まで浸かる湯守。と、その時だ。ふと人の気配を感じた彼女は、ちらりと視線を向けた。
「良くなった?」
「はい。おかげさまで。少々……強張りがありますが」
そこに居たのは、女性2人組の片割れの巫女と呼ばれた女性であった。体の傷は殆ど消え失せ、辛そうだった顔も今では穏やかだ。すでに、湯治で一週間はこうして宿で過ごしているからか、湯守と巫女は近しい間柄のように、無言であっても嫌な空気には、なることはない。
そうやってしばらく、静かで、ゆるやかな空気が流れる。湯が樋を通り、滑り落ちる音が耳に心地よい。
「匿っていただき、誠に感謝いたします」
唐突に口を開いたのは、巫女だ。この巫女という女性は、少々訳ありで国から逃げてきた女性で、その供として女性騎士を従えている。先の騎馬隊はそれを討伐するために送られた軍人であるのだが、幸い、ここがドラゴンの持ち物であるため手を出されていない。ちなみに巫女の身長は湯守よりも高く、一見すると親子か、はたまた姉妹のようだ。
「ん。命、助かってよかった」
とはいっても、この宿から出て、街道に出る道は一本しかない。そこで待ち伏せされてしまえば、それでこの巫女の命は途絶える。それをわかっているのだろう。巫女と女性騎士は、ゆっくりと、この宿でのひと時を嚙みしめている。
それはもちろん、湯守であるさくらどらごんも
「目、つぶって」
「…?はい」
「少しびっくりするよ」
すると、湯守は巫女の顔にすすすと近づく。そして、自然体にその小さな唇で、巫女の唇を覆う。
「んむ!?」
「んー」
そして、彼女は巫女に軽く息を吹き込んだ。正確に言えば、さくら色の炎を彼女の体に与えた。彼女の息吹は強い生命力を帯びている。これで、きっと、巫女の不調は完全に夜の彼方に吹き飛ぶことだろう。それが証拠に。
「はっ!?ドラゴン様。一体何を」
「ん、強張り、とれた?」
「…確かに…」
ぐるりと首やら、腰やらを回すと、先ほどまであった違和感や引っ掛かりが消え失せていた。巫女は感動するとともに、もう一つの事実に気づく。
「…あれ?髪の毛が…」
巫女の髪の毛は本来黒髪であるのだが、なんと、今の巫女の髪の毛は色がついていた。しかもよく見ると、花弁すらも見えてしまうような、不思議な桜色に染まっていた。
「私の炎は桜色。しばらく、そのまま。若々しくて、健康だよ」
「しばらく…?」
「うん。100年ぐらい」
「ひゃ…!?」
巫女は驚きの声を上げた。それはそうだ。この世界の人間は長く生きても100年と言われている。その間ずっと、健康で若々しく居られるというのだ。驚くほかないであろう。
「何があっても死なない。それに、私の力が使えるよ」
「ドラゴン、様の?」
「うん。強い。何かあっても大丈夫」
ぽふ、と妙な音をさせながら、桜色の炎を軽く天に吐き上げた。それが少しづつ崩れていきながら、さくらの花弁が湯舟を満たしていく。桜色の温泉の出来上がりだ。
「んふー」
満足そうにしながら、巫女から少し距離をとって、湯守は湯舟に鼻まで浸かる。行儀は良くは無いのだが、ここの湯はこの湯守がルールである。それを見た巫女も、どっぷりと湯に浸かる。
「…あの、ドラゴン様」
自らの桜色に変わった髪を不思議そうに弄びながら、巫女は湯守へと声をかけた。
「なに?」
「私の、私の騎士様にも、炎を授けてはいただけませんか」
ふむ、とさくらどらごんは湯舟から顔を出し、風呂の淵へと背をあずけた。湯守のさくらどらごんとしては、別に構わないと思ってはいる。それに加えて、お客が途中の軍隊によって足止めを食らっている様は、どうしても許容できる物でもない。
「いいよ」
親切心、そして、打算を加えて湯守は頷いていた。さくらどらごんの力は、並大抵の人間では太刀打ちできない。その力を宿した2人が、軍隊を押しのければ、お客がこちらに来れるのだから。
「ありがとうございます。ドラゴン様」
頭を下げた巫女は、すう、と息を吸い込む。そして、少し大きな声で、騎士の名前を呼んだ。
「パタータ!こちらへ来てください!」
脱衣所に向けられた声に反応するように、物音が近づいてきた。彼女の騎士は、誰も湯舟に入らないように見守っていたのだから、名前を呼ばれて大急ぎ、こちらに向かっている様が容易に想像できる。
そして、露天の風呂の扉が開かれると、そこには重々しい鎧を着こんだ女性の姿があった。
「お呼びでしょうか、ムロン・ドー様」
「急に呼んで申し訳ありません、パタータ。せっかくなので、一緒にお風呂に入りましょう」
「いや、私は……」
「いいのです。ここはドラゴン様のお宿。護衛は、必要ないでしょう」
「……ムロン・ドー様がそういうのであれば」
女性の騎士は、膝を折って巫女の言葉に答えている。パタータと呼ばれた女性は、言葉のまま、鎧を脱ぎ捨て、湯舟へとつかる。騎士の彼女はムロン・ドーよりは背は低い。そして、2人を比べてみれば、流石に騎士とだけあって、鍛え上げられたパタータの体が見て取れる。対して、ムロン・ドーは豊満といった井出達である。
「んー」
湯守は少々、硫黄の湯に浸かる自らの体を見つめ、そして、諦めたように溜息を吐いた。まぁ、人よりも私は寿命もあるわけだし、成長はゆっくりなわけだし、ゆっくり、きっと、ちゃんと、成長する。そう自らの心に言い聞かせながら、力強く頷いていた。
■
桜色の髪をなびかせた巫女と騎士は、穏やかな顔で湯舟に浸かっていた。気づけば、湯守の姿は湯舟にはない。その代わりに、何か魚を焼くような香ばしい香りが漂ってきている。どうやら、昼餉の準備に向かったらしい。
「驚きました。まさか、ドラゴン様に唇を奪われるとは……」
「私もです。ふふ、でも、柔らかくて心地よいものでした」
顔が赤いのは、湯に当てられたという理由だけではない。さくら色の、非日常の体験をしたからに他ならない。
「しかし……確かに、力が張ります」
赤い顔を振り払うように首を横に振ってから、騎士は自らの両の手を見下ろした。姿かたちは変わってはいない。しかし、明らかに奥底に感じる力は、先ほどまでの自分の力ではない。それこそ、握力だけでも大きな岩を持ち上げ、砕くことが容易に思えてしまう。
「本当ですよね。私も、あの騎士達に負けることはあり得ないと、そう思ってしまいます」
巫女の頭の中でイメージしたものは、巫女自らが騎馬隊に追い付いて、そのまま殴り殺す幻想だった。現実味のないそれだが、しかし、体の内からあふれる力は、可能だと告げてくる。
「パタータ」
「はい、巫女様」
「明日の朝に、出立します」
「は、承知致しました」
頷き、首を垂れたパタータに、優しく頷きを返した巫女。と、その次の瞬間だ、良い香りがより一層強くなり、彼女たちの腹を鳴らしていた。
「……ひとまず、ごはんにしましょうか」
「はい、巫女様」
■
浴衣と呼ばれるゆるやかな布を纏い、巫女と騎士は、すいかの部屋で粗熱をとっている。開け放った窓からは心地よい風が流れ込んで、上気した肌に桜色の髪がなびき、心地よい吐息が2人からは聞こえている。
「ここにきてから既に7日……。完全に、毒された感があります。パタータ」
「ですね、巫女様」
「2人の時はムロンで良いのですが、癖ですかねぇ」
「申し訳ございません、ムロン様」
「様も不要です。私たちの仲なのですよ?」
「…わかりましたよ、まったく、ムロンったら」
2人は吹き出すように笑い合う。青白い顔で血塗られた巫女ムロンを抱えて、必死な形相でこの宿に来たパタータの姿はない。2人共に体には傷は無く、さくらの加護も相まって、その体の調子といい、力といい、人生で最高潮だ。
と、その時。ノックの音が部屋に響いた。食事の合図だ。
「どうぞ」
パタータがそういうと、す、と扉が開かれ、大きなお盆を持った湯守が頭を下げていた。
「ご飯だよ」
「お待ちしておりました」
今度はムロンが頭を下げると、湯守は小さい笑顔を作りながら頷く。そして、すす、と歩みを進め、用意されているテーブルへと食事を置いていく。
「今日は、寿の食事」
コトリと置かれた皿には、見慣れない料理が並ぶ。このドラゴンの宿は、毎日違う料理が楽しめるのもまた一つの特徴だ。しかもそれをこの湯守一人で作っているというのだから、驚きだ。
「鯛のおかしらつき」
ほう、とふたりは息を吐いた。湯気立ち上がる皿の上には、鮮やかな桜色の魚が、まるのまま置かれていたからだ。
「おかしらつき、とは?」
「ん。魚のあたまと、しっぽは普通は取り除く」
頷く二人をみてから、湯守はさらに言葉を続けた。
「でも、これはつけたまま。頭と尻尾までついているから、モノゴトの初め、頭から、物事の終わり、尻尾まで全うするという、縁起。それにタイも、お目出度い(鯛)という語呂合わせ」
「そうなのですね」
巫女は改めて鯛を視界に収める。なるほど、たしかに言われてみれば立派な鯛であるし、これならば縁起物と言われても納得だ。
「サツマイモの天麩羅」
「さつまいもの、てんぷら、ですか」
「ん。サツマイモはどこでも育つ、荒野でも。だから、どんな困難でも打ち破る縁起がある。天麩羅も、油で揚げる。だから、運気が上がるっていう縁起をこめた」
他にも、タコ(多幸)の刺身、とり天(幸せなどを「とり」込む、点を「とり」に行く)、昆布の煮〆(よろこぶ)、錦卵などのゲンを担ぐ料理ばかりが並べられた。これから死地に向かうであろう、巫女と騎士への湯守の気遣いだ。
「あと、お蕎麦」
「お蕎麦、とは?」
「ん。蕎麦の実を石うすですり潰して、練り上げたものを、細く切ったもの。香りがよいよ。このタレを少しつけて食べると美味しい」
「へぇ…美味しそう」
「それに、蕎麦はほかの麺に比べて切れやすい。だから、悪い縁を切るように願をかけてある」
コトリと、薬味の皿が置かれて、夕食が出そろった。
「しっかり食べて」
湯守はそういうと、腰を折って部屋を後にする。その足音が遠くに消え去るころ、巫女と騎士は静かに食事に手を付け始めていた。
■
翌日、ようやく薄明かりが見え始めたころ、巫女と騎士の姿は外にあって、さくらどらごんも付き合うように、眠い眼を擦りながら彼女らの前に立っている。
「ありがとうございました」
そういって、頭を下げた巫女の髪は夏の海のような青色に。
「何から何まで、本当に、感謝いたします」
騎士の髪は秋を感じさせる赤色に変わっている。昨日までは桜色の髪の毛だったのだが、それは、さくらどらごん曰く。
「その髪は、私の力がちゃんと使えるようになったから。すごくつよい、きっと、2人を守る力になる」
ということらしい。ドラゴンの力が手足のように使えるとなれば、きっと、追っ手を蹴散らす事など、彼女らにとって造作もない事だ。
「重ね重ね、感謝致します」
巫女は再び頭を深々と下げ、合わせるように、騎士も頭を深く下げた。それを見た湯守は頷いた後、もう一つの心の動きを口にした。
「で、出来ればでいいけど、ここへ来るお客さんの道中を、邪魔している奴ら、蹴散らして」
そろそろ湯守の我慢も限界である。大人しくお客を通せばいいものを、どっかの軍はそれをせき止めてしまっている。複雑な理由は頭では判るが、湯守の気持ちとしては面白くは無い。本来は説得のために出向いてもいいのだが、まぁ、何かの縁である。彼女らの力に任せてみようと、湯守は心に決めている。
「……ふふ、あはは。承知しました、ドラゴン様。その命、しかりとお受けいたしましたわ、ドラゴン様。ね?パタータ」
「は、ムロン・ドー様。必ずや成し遂げて見せましょう。そしてドラゴン様に一つご質問がございます。我々はまた、こちらに訪れてもよろしいでしょうか?」
湯守は何でもないという顔で、一つ、首を縦に振る。
「もちろん」
その湯守の姿に満足したのか、2人は綺麗に礼をして、血塗られ、歩み、そしてこの宿へとたどり着いた道を、踵を返すように堂々と歩く。
巫女と騎士の背中を見送りながら、湯守は竹箒を手に取った。数日たてば客がやってくる。お客様を迎える準備は、滞りなく。それが、この、ドラゴンの湯だ。
■
お客様を迎える準備は全く無駄ではなく、むしろ必要なものだったと言える。
それを証明するかのように、彼女たちがこの温泉を発って数日後。大量の怪我人がこの温泉に足を運んでいた。もちろん、あの女騎士隊長の姿もあった。彼女も腹に大きい傷があるようで、少々苦しそうだ。
「お金は後で良いよ。温泉、傷がよく癒える」
「感謝します。まさか、他のドラゴンから襲撃を、受けるとは」
湯守は少しだけ目を逸らす。ドラゴンからの襲撃という事実は、あの巫女と騎士をさりげなく見守っていた湯守も知るところ。
顛末としては、力を得た彼女たちであったのだが、やはり軍の数と練度に押され始め、湯守がこれはいよいよ一度介入するかと身構えたとき、まさかまさか、巫女と騎士が大型のドラゴンに変身したのだ。その物珍しさと言えば、長い年月を生きている湯守の顔も思わず引きつるほどだ。
「…予想外だった」
まぁ、つまり、ドラゴンの力を得た巫女と騎士が、ドラゴンの姿をかって軍隊を蹴散らしたと言うことで、これはドラゴンの力が、巫女や騎士に完全に定着し、あらたな龍種が誕生した、ということに他ならない。正直問題は山積みだ。
それはともかくとして。今は、何とか、目の前の問題を片づけるとしようと、湯守は頭を切り替えた。
「それは大変だった。お金いらない。好きなだけ癒す」
「え!?いやそれは流石に」
「お金いらないと言った」
いいね?と有無を言わさぬ圧をぶつけて、女の騎士を黙らせる湯守。湯守の内心は、控えめに言っても結構焦っている。彼女の内心はこうだ。
『邪魔な奴らを退かしてとはいったけど、まさか、ドラゴンそのものになって人間を蹴散らしているとは予想外。私の力は、人間にいくら与えても、ドラゴンになることは無いはずだったのに。あの二人はよっぽど私と相性が良かったみたい。……少なくとも、今、この人たちには黙っておこう。有耶無耶にしよう』
うん、と強く湯守は頷いて、目の前の女隊長にともかく、風呂に入れと指さした。
余談ではあるが、無事に逃げおおせたパタータとムロン・ドーは、後の世ではこのドラゴンを姉と慕い、仲良く過ごすこととなる。それは、時代によってはスイカドラゴン、おいもドラゴンとも呼ばれ、人々に親しまれた心優しいドラゴンであったらしい。