この手を汚した日は、酷く眠かった日だった。
病院を飛び出し、ハルカとカヨコの遺品を持ち出してから数日経った。
私の失踪に気づいた先生は、ヴァルキューレを通して捜索願いを出していた。
行動範囲は狭まったけど、元より後ろ暗いことしかしないつもりだったから、そう大した影響にはならなかった。
便利屋68のモットーは『金を貰えば何でもする』こと、今じゃ形骸化した私の古巣のモットーは、元々は私自身が考えた主義だった。
そう、金さえ貰えば何でもする。
そして私が今成すべきこと、その最たる近道はこの手で誰かの命を奪うことだった。
依頼を受けるためにブラックマーケットに出入りした日、その日はよく後ろ指を指された。
きっと便利屋68が崩壊したことをみんな知っているんでしょうね、きっと悪名高かったでしょうから。
『ねぇ、あれって便利屋の……』
『あの馬鹿デカい企業に粛清された子だよな……まさか生き延びてたなんて……』
『こんなところにまた来て……死ににくるようなもんじゃない、怖いもの知らずね……』
だから、後ろ指を指す連中は全員型にはめた。
私の築いたルールで、私自身のルールで。
私を守ってくれていたハルカがしたように。
ただのチンピラでも、見上げるぐらいに高い富裕層でも、私は平等に断罪を下した。
死にかけにするぐらいの粛清、それはあくまで『ギリギリ生かせれる範囲』を探るためのものでもあった。
勿論怨みは買った、だけど襲いかかって来るならば全員蹴散らして、私の力を思い知らせた。
「いくら、なんでも……これはやり過ぎだろ……!」
「あなたたちから手を出してきたのによく言うわね、もう一本腕を折られなきゃ分からないのかしら」
蹴散らした相手は徹底的に痛めつけた。
少しでも軽口を叩くなら腕をへし折り、生意気な口を利かせれない体にした。
それでも抵抗しようとする輩には、喋れないように顎を砕いて膝の関節を破壊した。
そしてたったの数日で、私に後ろ指を指す人は消え、私から目を逸らすようになった。
そんな荒んだ日々を一週間ほど繰り返した頃、ようやく私の元に依頼が舞い込んできた。
殺しの依頼を受けるためには、それなりの悪名と容赦の無さが必要だ。
私が成してきた行き過ぎた粛清はすぐに意味を成し、普通ならば受けたくないような仕事がやってきた。
依頼の内容は企業の重鎮の殺し。
それも名だたる大企業の中でも上位に位置する企業の重鎮をだ。
初めての仕事にしてはかなり難易度の高い仕事ではあったけど、別に不可能ではなかった。
重鎮ともなれば警備は厳重だ。
その警備の合間を如何に突くかが、この仕事を成功させるための鍵となる。
便利屋68のとき、こう云う仕事は絶対に受けないようにしていた。
アウトローになると言っておきながら、下らない倫理観の線引きで受けないようにしていた仕事。
殺すだけの簡単な行為で大金が手に入るのに、どうしてやろうとしなかったんだろう。
殺していれば、みんなが苦しまずに済んだのに。
依頼を受けた日から、私は企業の動きを調べるために多大な時間をかけた。
出社してくる時間、その際に使う車の種類とナンバー、退社する際の帰路のパターン。
殆ど眠ることはなかった、盗撮用の小型カメラを使って、朝から夜までひたすら監視を続けていた。
食事をする時間も眠る時間も惜しい。
故に自然と食事は流動食のみになり、眠気を誤魔化すために苦過ぎるブラックコーヒーを飲み続けた。
きっとカヨコなら、これぐらいの事前準備は楽に熟していただろう、なら私もそれぐらいできないと。
一週間、いや二週間以上は監視を続けた。
それだけ目を凝らし続ければ、隙も見つかるものだ。
決行日を決め、その日までには準備を整えた。
私の手が血で濡れた日。
あの感覚は今でも忘れない。
血が噴き出て、生暖かいものが私の体を濡らす。
私は何度も懺悔することになった。
キヴォトスの人間は銃弾だけでは死なない。
迫撃砲や手榴弾の爆発を受けても、それなりの傷を受けて済むだけで、生命活動に支障は及ばない。
私たちの身に危険が及ぶ場合は、出血多量による生命維持の困難か、医療では再生不可な程の重傷。
ならば、最も生命活動を揺るがし得る武器とは何か。
銃でも兵器でもない、刃物だ。
いくらキヴォトスの人間が外の世界の人間より頑丈だと云っても、刃物の鋭さには逆らえない。
注射針は普通に通るし、手術のための医療用メスも容易く私たちの肉を切り裂く。
料理をするときだって包丁の刃が当たったら肌は切れるし、血だって出る。
つまり、市販用だろうと軍事用だろうと、人間を殺せる物であるのには何ら変わりない。
その日、私は警備の隙を突いて重鎮を誘拐した。
「ま、待て……私が何かしたのか!? こんなことをしでかして、タダで済むと思ってるのか!?」
「恫喝は図星、やましいことが無ければ警備なんて付けない。間抜けね、攫われてる時点で裏のことは全部知られてるって思わないとダメじゃないの」
椅子に四肢をくくりつけ、拘束する。
今から行うのは『どの程度で死ぬか』の実験。
この実験に手をつけたら、もう私は戻れなくなる。
健全な生活は二度と送れないし、平気な顔で大好きだった人たちと話すこともできない。
「今からあなたには拷問を受けて貰うわ。嘘でもいいから知っている情報は吐いた方が良いわよ、吐かなければ長く苦しむことになるだろうから」
それは警告であると同時に、私への言い聞かせ。
今から行われる惨劇は、今の私じゃ到底耐えられない。
だから目を背ける、自分にとって都合の悪い声と悲鳴は耳を塞いで聞かなかったことにする。
それが私の出来る、最大限の自己防衛だから。
陸八魔アル、あなたは今から正義の執行を下すの。
目の前の人間は孤児を利用した売買と、会社の金を横領して違法賭博の運営をした救いようのないクズよ。
あなたのやることは悪でもなんでもない、誰も受けたがらない汚れ仕事を受けただけ。
酷い眠気に襲われながらも、あなたは悪を裁くためにこの身を削った。
これは褒められるべきことなのよ、決して悪じゃない。
拷問のひとときは、今でも忘れない。
傷を抉る度に鳴り響く悲鳴。
刃物越しに伝わってくる肉の重さ。
吹いた血の霧の暖かさ。
咽せ返りそうな鉄の香り。
肉を切る度に言い聞かせた。
骨を断つ度に耳を閉ざした。
臓物に届いたとき、目を逸らした。
人の生命力は不思議なもので、想像以上の血を流しても中々死なない。
拷問は一時間に渡り行われ、嘘か本当かも分からない情報を出し尽くした後、眼前の人間の目から光が消えた。
抑えていた過呼吸、堪えていた眩暈。
その全てが溢れ返り、足から力が抜ける。
血の池は、私が犯した消えない大罪だった。
「終わったわ、報酬は指定した場所でお願い」
仕事の終わりを依頼主に報告し、天井を仰ぐ。
初めて人を殺したと云う、普通ならば経験し得ないことを、私はこの手で得てしまった。
この行いが正義だと規定し、この汚れた仕事を請け負った私は褒められるべき存在だと言い聞かせた。
そんなこと、絶対にあり得ないのに。
「……たすけて、さびしいよ……」
縮こまって、声は消え。
限界を迎えていた私の意識は、血の海に堕ちた。
それからも殺しの依頼を受け続けた。
その度に実験を繰り返し、私の心は冷たくなる。
『どの程度の力で容易く斬れるか』、『どの程度の銃のチューニングで肉を抉れるか』と、とにかく試し続けた。
そして戦闘をする際にもナイフを中心に使い、振り方と突き刺し方を独学で学んだ。
横隔膜を破く突き刺し方は、鳩尾を狙って角度四十五度から突き上げること。
支えていた臓器は落ち、出血多量で呼吸困難に陥る。
頸動脈に少しでも刃物が擦れば、血が噴き出てそのまま出血多量で死に至る。
使えば使うほど、ナイフの偉大さを知った。
技量もつき、死体の山を築いて数ヶ月。
人を殺すことにも何も思わなくなった。
そうなることで機は熟し、使っても使い切れないぐらいの大金も稼いで、やっと私のやりたいことができるようになった。
殺しの仕事を受けてきた中で、怪しいと思った人間はリストアップしておいた。
それが例え依頼主だとしても、例外じゃない。
怪しいと思えば容赦無く蹴散らした。
カイザーもネフティスも、どれだけ軍事力に優れた会社であろうと、指揮系統を壊せば機能しない。
捕まえては拷問を繰り返し、戦闘になれば価値のない雑兵は全員殺し続けた。
私の大切なものを奪った相手。
その相手の情報を知っているものは、延命に延命を重ねた拷問をして情報を搾り取った。
最初こそ不慣れで怖かった拷問は、慣れてしまえばそう大したことではない。
決して殺さない瀬戸際のライン、最小限の出血で最大限の痛みを与える方法。
この技術は全て、目と頭が眩むような拷問を繰り返して得た技術だった。
気付いた頃に、私の悪名は轟いていた。
表社会と裏社会、その二つの世界で、私は悪魔としてキヴォトスの人間から畏れられた。
だけど、今更名が通って何の意味があるのだろう。
もう私の仲間たちは何処にもいないのに。
「た、頼む……確かにやましいことはしていたけど、あの会社とは関係ないんだよ!」
「あなたたちが違法に改造した武器を流通したせいでこうなったんでしょう。その時点で同罪よ」
「そして本当に何も知らないの? シラを切るのも度が過ぎると恥よ」
少しでも関係があれば壊し尽くした。
「カイザーのみならずネフティスまで……こんなの、ただの八つ当たりじゃないか!!」
「悪名高いところを叩くのは必然でしょう? それにあなたたちも醜い命乞いをするのね、往生際が悪いわ」
「最初からまともに働いていれば悪名なんて響かない。こうなることを覚悟してやっていたことでしょ?」
少しでも怪しければ叩き潰した。
「悪名高いあんたを雇いたくて連絡したんだが……是非ウチに来る気はないか?」
「生憎私はフリーランスなの、群れを作らなきゃ強くなれないクズ共とは違うわ」
「それと夜道には気をつけておくことね。私を一度でも下に見たなら、あなたたち全員地獄に落ちることになるから」
少しでも見下されたら粛清した。
気づいた頃には、私は何も感じなくなった。
いや、感じなくなったわけじゃない。
感じないようにしていた。
止まらない怒りと溢れ続ける憎悪で全部隠して、私は何も感じないようにしていた。
死体の山の上に立ったとき、私は前も後ろも見えなくなっていた。
私の背中を照らしていた過去は気づいたときには沈黙し、私の前にある深淵に光は見えない。
私の足元にできた死体は私を怨めしく睨み続け、地獄に堕とそうと私の脚を引き摺る。
殺したときの顔を明確に憶えている人と、顔すら分からない有象無象の人。
なんでこんなことをしているのだろうと、本当にこの行為に意味はあったのかと自問自答を繰り返した。
『アル様……こんなの、意味がないですよ』
『過剰にやりすぎよ、前後不覚になって私たちの苦痛から逃げた結果がこれ? 本当に何もできないね、社長は』
彼女たちの言う通りだった。
意味を感じない殺しの行為。
復讐と謳って無関係な人も巻き込んだ。
私が自ずから背負った責任から逃げ、この怒りの捌け口は関係のない人に向けた。
もう何をすればいいか分からなかった。
なんで殺しても意味がない人を殺して、必死に殺しの技術を得ることに意味を見出していたんだろう。
果たしてそんな狂った行為に意味はあったのか?
息ができなくなるぐらい辛くなって、全身に力が入らなくなるぐらい苦しくなってやる意味はあったのか?
こんな復讐とも云えない八つ当たりを繰り返して、果たして意味を持つのだろうか?
結局答えは出せなかった。
考えようとする余裕すらなかった。
私を構成していた多くの大切な物。
その全てが消えて、私の心は空っぽになった。
空っぽの動機に、空っぽの心。
何もない人が狂気に染まれば何が起こるのだろうか。
何を失っても恐れない人の強さは計り知れない。
私はその強さを得て、この身に空虚を宿した。
もう何も考えたくなかったから。
それでも、この悲劇は終わらなかった。
いや、勝手に終わったと思い込んでいただけ。
最初から続いていたんだ、私の知らないところで。
私の心は、その日に本当の意味で壊れてしまった。