アビドスへの出張
就任してから数週間、先生の活動は多岐にわたっていた。しかしその実態は生徒の悩みの相談、街の清掃、配達、猫探しなど他の人でもできそうな雑務ばかりだった。
そして訪れる先で大なり小なりトラブルに巻き込まれる。結果、各自地区から送られてくる領収書や報告書を作成する日々だ。書類は苦手なのかいつも目が死んでいた。
そもそも本来は連邦生徒会全体で回していたとんでもない量の仕事が、生徒会長捜索のためと先生にほぼそのまま押し付けられている状態だ。このことに文句を言わない先生も、そのまま押し付ける連邦生徒会も正気ではない。私が手伝わなければ下手をしなくとも徹夜続きだっただろう。
ちなみにここ最近の観察による先生への評価は綺麗事が好きな人当たりの良い善人である。
そしてその先生は
“ちょっと遠出をすることになった”
突然そんなことを言い出した。
「これまた急ですね。息抜きですか?行き先はどこです?」
“出張だよ、アビドス高等学校に行ってくる”
「アビドス自治区ですか……」
今になってその名を聞くとは思わなかった。忌々しい記憶が蘇る。あそこは連邦生徒会長ですら見捨てざるを得なかった土地だ。
“手紙が来たんだ。武装勢力の襲撃を受けているから助けてほしいって”
あのような状況で…藁にもすがる気持ちなのだろう。
「しかし、アビドス自治区の状況はかなり絶望的だったはずです。少しお時間をいただければ、防衛室で把握しているアビドス自治区の資料をまとめてお渡しできますよ」
“ありがとう、けれどまずは自分の目で確かめたいから。それに資料をもらうのも現状を確認してからでも遅くないでしょう”
「確かに私が過去の記録で余計な偏見を与えては迷惑ですね。実際見てみた方が理解が早いかもしれません」
「では私は資料をもう少し詰めることとします。定例会議などもありますし、半日以上は遅れますね。現地で合流しましょう」
“わかった、いってきます。カヤ”
「いってらっしゃい、先生」
その背中を見送りながら考える。先生にアビドスを救えるのだろうか?と。デスクの引き出しから一冊のファイルを取り出す。そこには中等部の自分と太陽のように笑う絆創膏まみれの生徒の写真がある。
アビドス高等学校最後の生徒会長梔子ユメ、私が救えなかった生徒の1人だ。今の私にあの笑顔を取り戻す手段はない。
「いっそ時が戻れば救えるのでしょうか…」
その独り言は広くなった事務室の隅に消えていった。
「…そういえばアビドスといえば自治区のほとんどが砂漠だったはずですが、先生あんな格好で大丈夫だったのでしょうか?」
飲み物もペットボトル一本すら持っていなかったように見えた。
大人だから大丈夫だろうという気持ちとあの先生だからダメなのではという気持ちが喧嘩を始める。
結果
「合流を早めますか」
ダメな先生が勝った。
遅々として進まない定例会議を終えるとその原因に声をかけられた。
「カヤ室長、いつも通り暇そうですね」
長い黒髪の眼鏡をかけた目つきの鋭い人物がそこに立っている。というか疲労でますます尖っている気がする。まあ、彼女がこうなっている原因の一端は私にあるのだが…
「リン行政官、お疲れ様です」
それはさておき皮肉を聞き流し返事をすると目つきがさらに鋭くなる。ビームでも出そうだ、他人事ながら心配になる彼女は優秀だが1人で抱え込みすぎなのだ。部下にしっかり仕事を任せれば良いのに…
「先生はどこに?」
「ああそのことですか、アビドス高等学校に向かいました。今朝、駅に到着し徒歩で学校に向かったと報告を受けています」
ちなみに街を散策した後なぜか遠回りになる道を選んだ上、飲み物は持っていなかったらしい。悪い予感の方が的中した。その部下には他の仕事もあるのでそれ以上は追わせていない。街を出れば一本道だ。迷うこともないだろう。それに危なければ日陰で休むはずだ。暑さで正気を失っていなければ…
「わかりました」
そう言ってリンは去っていく。相変わらず愛想がない、たとえ嘘でも愛想はタダなのだから振り撒いたほうが味方が増えるのに……いや敵も増やすか。
そんなことを考えながらまとめた資料を自分用の水筒と共に鞄に詰める。先生用に昔使っていた人を殴り倒せそうなサイズの水筒と塩分サプリも用意した。遠出用のコーヒー道具一式も入れたし、銃の方も予備マガジン含めて万全の状態にした。
「私は先生と違って用意周到なのですよ」
そうカヤは1人でほくそ笑んだ。
「何が用意周到ですか!」
煤だらけの姿でカヤは叫ぶ。
駅で出迎えてくれた部下に労いの言葉を掛け、街を出たところまでは良かったのだ。街が見えなくなってきた頃、ヘルメット団に襲撃された。悪いことは重なるもので、応戦している最中、白い蛇のようなロボットが現れ見境なく暴れ始めた。ヘルメット団はビナーと呼ばれるそれを見るなり街の方に撤退し始め大騒ぎ。逃げ遅れたヘルメット団たちと共にビナーを撃退自体はできたのだが、流れ弾で先生用の水筒に大穴が出来て空になってしまった。
「格好つけて私の水筒を渡したのは失敗だったでしょうか」
取り残されたにもかかわらず一緒に戦ってくれた感謝を込めて、ヘルメット団たちが無事拠点に帰れるように自分用の水筒を渡してしまったのだ。今持っている水分は街を出る前に記念に買った自販機の水だけだ。乾燥地帯の水なだけあってすごい値段だった。カードの明細書にその記録を残したくなり購入したところ、おまけくじが当たってもう一本出てきたのだ。おまけの一本を渡した部下も「室長、ついていますね!」と大喜びだったが、この時私の運は尽きたのかもしれない。
一通り喚いてスッキリした後、水分を失わないよう心の中で愚痴を言いながら黙って歩く。すると炎天下の砂漠のアスファルトに顔面から突っ伏している先生を見つけた。予想よりもまずい状態だ。嫌な記憶が蘇りそうになるが、今はそれどころではない。
「先生、大丈夫ですか!」
すぐに駆け寄って呼びかけるが反応がない
慌てて先生を仰向けにして呼吸の有無を確認しようとすると
“み……水……”
良かった。流石に死なれると後味が悪すぎる。
「自分で飲めますか?私が誰だかわかりますか?」
“……水”
いや良くない。会話が成立していないし焦点があっていない、意識が朦朧としている。このまま下手に水を飲ませると窒息の危険すらある。まずは体を冷やすために日陰に連れて行かねばならない。幸い近くに砂漠に呑まれ廃墟となったビルの影がある。倒壊の危険もあるが背に腹はかえられないのでそこに引きずるように運び込む。
「ここなら日没まで日陰ですね。さてと、もったいないですが…」
ペットボトルの水を少しずつ先生の体にかけていく。湿度の低い砂漠では効率よく体温を奪ってくれるはずだ。
「ヴァルキューレの講習ビデオを真面目に見た甲斐がありましたね」
先生の容体は回復してきているように見える。熱中症だとしたら中等症と重症の間ぐらいだろう。救急車を呼べれば良いのだが先ほどの戦闘の影響で電波が不安定なのか繋がらない。
「困りましたね…」
流石にこの状態の先生を放置して助けを呼びに行けば死んでしまう可能性が高い。だからと言って、この量の水で日中の砂漠を大人1人介抱しながら街まで歩いていくというのも私が大丈夫でも先生は持たないだろう。そうなるとこの残り少ない水でやりくりしながら夜まで待ち、気温が下がってから移動するか。誰かが通りかかるのを待つしかないだろう。先ほどのヘルメット団でも通れば良いのだがビナーを警戒してこの道はもう使わないかもしれない。
“…カヤ?”
「おや、目を覚ましましたか」
“ごめん、迷惑をかけたみたいだね”
「旅先の気候と目的地への交通手段ぐらいは出る前に把握したほうがよろしいですよ。反省してください…」
目に見えて先生が萎れてしまう。
「まあ、起こってしまったことは仕方ないですし、出発前の先生に声をかけなかった私に落ち度がないかといえば嘘になりますからお互い様ですよ」
「それよりも体調の方はどうですか?歩けそうですか?」
“頭が痛いし、ボーッとする。歩けるかな…よっと…”
そう言って先生は立ちあがろうとするが途端ふらつく。それを支え寝かせる。
「歩けそうにないなら無理しないでください!危ないですから!」
“ごめん、いけると思ったんだ。ダメでもカヤが支えてくれると思って…”
「その信頼はどこから出てくるんですか!」
“でも実際に支えてくれたし…”
私は先生を引っ叩いても許されるかもしれない。
「はぁ、ちなみに今の状況は人、もしくは夜を待っている状態です」
先生に現在の状況と自分の考えを伝えると納得してくれた。
“カヤが言うのならそうするよ”とのことだ。少し心配になる。私はそこまで信用されるほどの超人ではないのだが。冗談でシャーレの権限を譲ってくれといえば聞いてくれそうだ。まあそこまで甘くはないだろう。
結論から言うと夜より先に人がきた。
自転車に乗ったアビドス高等学校の生徒で、砂狼シロコと名乗った。私よりも体格に優れるシロコが先生を背負い私が彼女の自転車を押す。先生の様子を見ながら水を飲ませ、塩分タブレットを食べさせる。…どさくさに紛れて先生がシロコに“いい匂い”などと言っていたが病人だし朦朧としているのだろう。大目に見ることにした。
そのあとは問題なく学校に到着し、シロコとは校門の前で別れた。その頃には先生もかなり回復していたし、私にはまだ仕事が残っている。
誤字脱字報告助かります。
正直アニメでも原作でもここの倒れている先生はめちゃくちゃヤバい状態と思います。
本当に死んでしまうので熱中症には気をつけましょう。二敗