間話 革命のイワン・クパーラ 前編
銃を油断なく構え、気配を探りながら慎重に廊下を進む。敷き詰められた分厚いカーペットのおかげで幸い足音はほとんどしない。
私の後ろには非戦闘員が3人いる。1人はもちろん先生、後の2人は廊下に掛かった人物画と同じ立派な口髭を付けた少女とその側近だ。戦えるのが私1人しかいない重圧が引き金を重くする。今の私たちは孤立無縁だ。防衛室長にまで上り詰めながら、クーデターで追われる身になるなんて、前までの私が聞けば鼻で笑っただろう。
「総員突撃!」「腐り切ったチェリノ会長とあの腰巾着共に鉄槌を!」「絶対に逃すな!」
こちらを捕まえようと息巻く保安委員をやり過ごし、裏口を固める保安委員を一瞬で制圧して事務局から脱出する。
「どうしてこんなことに……」
思わずそんな呟きが漏れてしまう。事の始まりは一日前にまで遡る……
“レッドウィンターの招待状が届いてる……”
そろそろ夏に差し掛かろうかと言う時期に先生に手紙が届く。
レッドウィンター連邦学園はキヴォトスの辺境に存在する学校だ。連邦生徒会の影響力が及ばないほど辺鄙な所な上、閉鎖的なので情報が少ない。普通の生徒には敷地面積が桁違いに広く、生徒数も多い学園であることぐらいしか知られていないような学校だ。そのため噂程度だが、独裁者が支配しておりクーデターも頻発するという話すら流れてくる始末だ。
「どちら様からですか?」
しかし、先生はすでにレッドウィンターの生徒とも関わりを持っている。先日シャーレの施設を望遠鏡で監視していた容疑で送り返されたノドカ、知識つまりあらゆる本の普及のために戦っていると主張する知識解放戦線のモミジなど人脈は多岐にわたる。それに少し前に先生はシグレという生徒に会いに行き遭難したばかりだ。今回は誰だろうか?
“いや、個人じゃない事務局から”
しかし、招待は予想以上の大物からのようだ。
「つまり、チェリノ書記長からですか。先生も会うのは初めてですよね?」
“そうだね”
「それなら今回は私も同行させてくれないでしょうか?」
“構わないけど、それまたどうして?”
「今までは間が悪くご一緒できませんでしたが、元々レッドウィンターには行きたかったのです。あの学校は閉鎖的で外部からの視察をほとんど受け入れません。そのため連邦生徒会ですらその内情を詳しく知る者は多くはありません。これはレッドウィンターの内政を直接確認する貴重な機会です」
半分は本当で半分は嘘だ。残りの理由は先日味方に引き入れた人材資源室長の背景を知るためだ。昔ならここまでしなかっただろう。先生はすぐに事務局に連絡を取ると割とすぐに許可が出た。遠出の準備を始める。
「この時期でも向こうはまだ寒いでしょう。防寒対策はしっかりしてください。コンパスと地図、それと無線機も一応持っていきましょうか」
“前回行った時とは違って、もうすぐ夏だよ!?”
「レッドウィンターは今が雪解けの季節ですよ。それに雪山を舐めて遭難した人の言葉は信用できません」
その言葉を聞いてようやく先生は防寒着を手に取る。スーツ一丁で行く気だったようだ……
“カヤは寒さ対策はどうするの?”
「もちろん万全ですよ」
シャーレに置かせてもらっているロッカーから服を取り出す。
“モコモコして暖かそうだね”
「レッドウィンターの指定の防寒着ですからね」
例の社員曰く防寒着としてはこれの右に出るものはないらしい。普段着としても使えるデザインなので寒い日は重宝するだろう。
「ああ……それとこれを」
“これは熊よけスプレー?……”
「この時期はもう出るそうですよ。熊」
“銃、持っていこうかな……”
「残念ですが、先生に支給された拳銃では熊相手には威力が足りませんよ」
“ええ……”
「そもそも山の斜面を猛スピードで駆ける熊の頭部に正確に射撃できますか?」
“……無理だと思う”
「そうでしょう。熊ぐらいなら私が追い払えますから、念のためだと思ってください」
“今回は平和に終わるといいけど”
「モモイさんがここにいればフラグが立ったと言いそうですね。前回の訪問は先生の遭難で中止になりトンボ帰りでしたからね。今回こそはという気持ちもわかりますが…」
“本当にご迷惑とご心配をおかけしました”
「全くですよ」
翌日、電車に揺られレッドウィンターを訪れる。駅に着くとタクシーどころかバス停する見当たらない。レッドウィンターの敷地内はその地理的特性から交通網が発達していない。夏は湿地帯となり、冬には豪雪に見舞われ凍りつく地面、広大な敷地、急峻な山脈、そこに散発的に存在する街。必然的にレッドウィンター内での移動手段は基本徒歩となる。その結果、
“息が白いのに暑いよー”
「弱音を吐かないでください、ほらレッドウィンター事務局の建物が見えて来ましたよ」
目的地にたどり着くころには先生は疲労困憊だった。しかし、いきも絶え絶えだった先生の目が事務局の建物の巨大な肖像画に釘付けになる。
“あれは……”
「レッドウィンターの生徒会長、連河チェリノ書記長の肖像画でしょう。身長が180cmを超える巨漢だという情報もありましたが、本当かもしれませんね……」
“けれど、あそこにある銅像は小柄な少女に見えるけど……”
「確かに、どういうことでしょうか?」
先生とチェリノの正体について意見を出し合っているとトモエと名乗る生徒が出迎えに来てくれる。そのまま会長執務室に案内され、その控え室にも同じ肖像画がかけられているのに気づく。先生がトモエに聞くと、やはりチェリノで間違いないらしい。しかし、その肩書きは生徒会長に留まらず、環境美化部部長、書記長、運動部長代表、清掃部部長、風紀委員長、給食部部長を兼任しているという。まさに超人のような人物のようだ。
“髭がナイス”
先生は相変わらずよくわからない感性で褒めているが、その髭こそがレッドウィンターの権威の象徴だそうだ。キヴォトスは広い、また新たな常識を知ることができた。
「…ご苦労だった、トモエ秘書室長。忠実なわが右腕よ。褒美として後日、勲章を授けよう」
「そして……我がレッドウィンター連邦学園へようこそ、カムラッド。私こそがチェリノである!」
そんな仰々しい名乗りと共に満を持してチェリノがその姿を表す。そこには立派な口髭を蓄えた小柄な少女が立っていた。銅像が正解だったようだ。しかし、見た目相応の振る舞いをする彼女が本当にこの学校の、それもあれだけの役職を任せられる。生徒会長なのだろうか?
チェリノは早速肖像画と違うことを先生に突っ込まれて激昂している。曰くあれは自分の将来像だそうだ。あっ、転けた……
その拍子に口髭が取れてしまう。やはり付け髭だったようだ。慌てて付け直している。
“ところで今日は急に、何の用事で?”
「ふふふ、聞いて驚け……それは「
チェリノによるとレッドウィンターの名声を高めるために先生の人脈を利用してイワン・クパーラの準備を進める学校の様子を宣伝してほしいとのことだった。見た目に反して考えはかなりしっかりしているようだ。
そしてチェリノが直々に様々なところに案内してくれるのだが、行く先々で粛清が起こった。プリンの配給量を倍にするために水を混ぜた給食部の部長、事実を伝えようとチェリノの写真を無加工で掲載しようとしたレッドベアの編集長、皆マリナたち保安委員に連れて行かれてしまった。
そして暴君の如く振る舞ったチェリノは疲れたのかお昼寝に行ってしまった。私たちはトモエの案内で、一旦休憩室で待機することになった。
“……色々個性的な学校でしょ”
「個性的で済ませて良いレベルではないですよ。それに先生も粛清には若干引いていたではありませんか」
先生の言葉に頭を抱える。
「立派なのは理想だけで現実が追いついていないではありませんか。それに内容が比較的軽いのが救いではありますが、こんな子供の癇癪のような理由で粛清する生徒会長は見たことがありません」
チェリノを見ていると政治的敵対者を全て潰すという私の方針の行く末を見ているようで不安になってくる。
“世界は広いね”
「なぜモミジさんの部活が「知識解放戦線」なんて仰々しい名前を名乗っているのかようやく腑に落ちましたよ」
“……モミジはまだ大人しい方だけどね”
「?、含みのある言い方ですね」
“カヤはまだ
「なんですか、過激な革命家でもいるのですか?」
“そんな所”
「はあ、しかしトモエさんもよくチェリノさんに着いて行こうという気になりますね……」
“自由な子が多いと上に立とうとしてくれるだけで貴重だからね”
「ゲヘナのマコトさんのような感じですね……。しかしあれではトモエさんの傀儡ではないですか?」
“どうだろうね、まだわからないよ”
「うぅ、よくわからなくなってきました」
そんな話をしているとにわかに外が騒がしくなったのに気づく。外を見るとマリナを先頭に保安局員がこちらの建物に向かって突撃しているのが見えた。銃撃戦も起こっている。
「何かの訓練でしょうか?」
“トモエに聞いてくるよ”
そう言って先生は部屋から出ていく。暫して帰ってくると徐に防寒着を手に取った。
「おや、外の騒ぎを見にいくのですか?」
“いや、あれはクーデターだって。脱出の準備をしておいて”
先生はごく自然にまるで朝の挨拶のような気軽さでそう言った。だが、こちらはクーデターと脱出という日常には似つかわしくない単語に一瞬思考が停止する。
「大事件じゃないですか!」
気づくとその言葉が飛び出していた。
先生と共に脱出に向けて急いで準備を進める。
“キヴォトスではクーデターは日常茶飯事だって聞いたんだけど”
「誰にそんなことを吹き込まれたのですか!いくら銃撃戦が日常になっているキヴォトスでもクーデターはそうそう起こりませんよ!」
“そ、それもそうか”
先生と共に廊下に飛び出すとトモエが丁度チェリノを起こしに行く所だった。詳しく話を聞くと治安維持組織である保安委員の委員長のマリナが首謀者とのことだ。治安維持組織の長がクーデターを企てるとは只事ではない。
執務室に着くとすでにチェリノは目を覚ましていた。クーデターの気配を感じ取ったのかと思ったが、昼寝を邪魔され怒っているだけだった。不機嫌なチェリノにトモエが事情を説明すると流石にチェリノも青ざめ、倒れ込んでしまう。だがそれはクーデターが発生したことよりもマリナが首謀者という事実にショックを受けているようだ。レッドウィンターではクーデターは日常らしい。私の中の常識が音を立てて崩れるのを感じる。
“不知火さん、クーデターを制圧できる?”
「物理的には可能ではありますが、内紛は私が気軽に介入できるような事案ではありません。逃げるが勝ちです」
“わかった。どこに逃げる?”
トモエの提案で見つかりにくい外郭近くの旧校舎に逃げる方針が固まり、早速脱出作戦が始まる。私が先頭でクリアリング、トモエは殿、先生とチェリノはその間の陣形で進む。
銃を油断なく構え、気配を探りながら慎重に廊下を進む。敷き詰められた分厚いカーペットのおかげで幸い足音はほとんどしない。
私の後ろには非戦闘員が3人いる。1人はもちろん先生、後の2人はチェリノとトモエだ。直接戦えるのが私1人しかいない重圧がのしかかる。今の私たちは孤立無縁だ。防衛室長にまで上り詰めながら、クーデターで追われる身になるなんて前までの私が聞けば鼻で笑っただろう。
怒号を上げこちらを捕まえようと息巻くマリナたちをやり過ごし、裏口を固めている保安委員を一瞬で制圧し、建物から出て直走る。
「どうしてこんなことに……」
“ごめんね、不知火さん……”
こうして私は生まれて初めてクーデターを体験することになったのだった。
ここのカヤは先生に会うのが早い……つまり、レッドウィンターの本質を知るのも早いと言うことですね。