巨大な怪物
「しくじりました」
その言葉をはるか後方に置き去りにして、生ぬるい空気を切り割きながらひたすら進む。
ミカが裏切り者だというのは単なる私の推測で、否定しきれない可能性の一つでしかない。だが、その仮説が合っていた場合、私の指示はスズミ達を危険に晒す可能性は高い。
スズミ達は補習授業部の内情を調査し、その透明性をゲヘナに証明するという名目で先生と私で集めた生徒だ。だから彼女達は私が裏切り者探しを前提に活動していることを知らない。調査に余計なバイアスがかからないようにするため、そして情報の流出を防ぐため必要な処置でもあった。
それが完全に裏目に出てしまっている。ミカが裏切り者で、アリウスを手駒として引き込んだ張本人だとすれば、私たちがそこまでたどり着いていることを知られること自体がリスクの高い行為だ。
視界にピンクの長髪を捉える。追いついた。あとはスズミがミカに調査結果のことを話していなければ……
そこまで考えたところでミカがスズミの肩に背後から手をかけて何かを話かけていることに気づく。二人の表情は伺えないが明らかに尋常ではない雰囲気だ。
「スズミさん!」
予想外の光景に私は名前を叫んでいた。
「わっ…びっくりした。誰かと思ったらカヤちゃんか」
その声を聞いたミカは慌てたようにスズミから手を離す。その隙に動けなくなっているスズミの手を引き、彼女を庇うようにミカの前に立つ。
「私のことは役職名か、不知火さんとお呼びください、ミカ様」
そこでようやくスズミが震えていることに気づく。
「なーに、私が乱暴してるように見えたの?お話してただけだよ」
「どう見えたかは私が判断します」
「えー、ひどいなー」
とぼけたような表情をしているが、ミカの目は笑っていない。
「私はアリウスのことをナギちゃんに教えないでって伝えようとしてただけだよ」
やはり手遅れだったようだ。
「……そうですか。では何のために?」
「アズサちゃんの平穏な学校生活のため」
「本気で言っているのですか?」
「私、信用されてないんだ。ショックだな」
「仕事柄、常に疑う癖がついているだけです」
「それって生きづらくない?」
「中途半端に信じるよりかは遥かにマシです」
段々と険悪な空気になっていくのを肌で感じる。気圧されそうになるが引くわけにはいかない。握るスズミの手の震えに覚悟を決める。だがその緊張は先生が息を切らしながら姿を現したことで霧散した。
“これはどういう状況!?”
何とか息を整えた先生が聞いてくる。
「丁度いいや、先生に説明したことをあなたたちに話すのも二度手間だし、理由は先生から聞くといいよ。じゃあねー」
しかし、ミカはその問いに答えることなく、そう言い残すと踵を返し去っていった。ミカが姿が完全に見えなくなった途端にスズミが膝をつく。
「大丈夫ですか?」
「安心して力が抜けてしまいました」
真っ青な顔でスズミが答える。
「何が起こったのか教えていただけませんか」
「ミカ様との帰り道で先生に渡した資料のことを聞かれて……」
「内容を話したのですね」
「はい、そしたらいつの間にか後ろから肩を掴まれていて……体が動きませんでした」
「そうですか……」
身がすくむのも無理もない。ミカと直接会うのは初めてだったが、あの立ち振る舞いは明らかに猛者のそれだった。
「申し訳ありません」
「謝ることはありません、これは私の判断ミスです」
“ごめん、ミカも彼女なりにアズサを守ろうと必死なんだ”
先生はいつになく真剣な眼をしている。
「説明をお願いします」
“アズサの転入の手助けをしたのはミカなんだ。アリウス分校との和解のために”
「和解ですか?」
“そう、和解。ミカは弾圧の被害書であるアリウスと加害者であるトリニティの和解の象徴としてアズサを転入させたんだ”
「ナギサ様に相談せずにですか?」
“それは……ミカはナギサを信じきれなかったみたい、先に実績を作ろうとしたんだ”
「根回しもせずに?無謀ですよ」
“ミカもその自覚は有ったみたい”
「それではまるで夢物語ですね」
“うん、エデン条約みたいだね”
「……積年の恨みと不信を乗り越え、お互いに歩み寄ろうとしている点では同じですか」
それと根回しが足りていないという点でも同じか……
「だから、私に口止めしようとしてきたのですね」
スズミが座り込んだまま呟く、確かに理由としては納得できる。
「つまりアズサさんは巻き込まれただけだという理解で良いのですか?」
“そういうことになるね”
「先生はミカ様の言葉を信じたのですね」
“もちろん、私は先生だからね”
「あなたは誰の味方なのですか!」と反射的に罵倒が飛び出しそうになるが、先生の真剣な表情にそれを飲み込む。生徒を信じるのは私には出来ない先生の役割だ。
「はあ……」
代わりにため息が漏れる。
「それにしてもなぜこの時期なのですか。状況をややこしくしてくれますね」
“時期に関してはエデン条約の締結前に間に合わせたかったみたい”
「元々トリニティの一派でしかなかったのであれば、アリウス分校もゲヘナに対しては嫌悪感を持っている生徒が多いはずです。そこを気にしたのでしょうか?」
立てるようになったスズミも会話に参加する。
「確かにミカ様がアズサさんの転校を急いだ理由はそれでも良いでしょう。私が気にしているのはアリウス分校がどうしてこの時期にミカ様に接触したのかということです」
“たまたまとか?”
「アリウス分校も最後の機会だと考えたのかもしれません」
「それなら良いのですが……偶然であろうとなかろうと時期が時期です」
どちらにせよ方針は決まった。
「……スズミさん」
「はい」
「ナギサ様にミカ様とアリウス分校の関係は報告しないでください。今の状況では無駄な混乱を呼ぶだけです」
ミカとアリウスの関係を知っているという事実はミカの行動を抑制する貴重な切り札だ。それを利用してミカに揺さぶりを掛けても良いがそれは最終手段だ。まだ時間はある。
「わかりました」
何よりこれはミカの弱みだ。スズミ達を守るのにも役にたつ。
スズミ見送った帰り道、
“カヤ”
唐突に名前を呼ばれる。
「何ですか?」
“セイアのこと知ってたの?”
「……ミカ様から聞いたのですか?」
“うん”
「申し訳ありません、ナギサ様に口止めされていました。何より先生にこんなことを背負わせたくありませんでした」
“謝らなくていいよ、わかっているから”
「しかし、ミカ様とアリウス分校に関連があると判明したことは前進でしょう」
“そうだね。それとミカから気になる話を聞いた”
「何ですか?」
“ミカは
「……それをナギサ様が主導いていると?確かに権限がトリニティに集中していれば起こり得ますが、ゲヘナ側がそれを許すとは思えません」
“まあ、普通はそうだよね…”
「もちろん可能性としては否定できません。この際はっきり言いますが補習授業部もそういう見方もできました」
“どう言うこと?”
「つまり補習授業部がナギサ様によって集められた精鋭部隊だと言う可能性です」
目を丸くする先生に構わず続ける。
「メンバーが正義実現委員会相手に一人で3時間粘れるゲリラ戦能力を持つアズサさん、その正義実現委員会とのパイプ役としてのコハルさん、そしてトリニティの内政に食い込んでいると考えられるハナコさん、説明不要のファウスト、最後にその指揮を取る先生。全員を手綱を握れればトリニティで、いやキヴォトスでも屈指のチームになります」
“改めて言われてみると、すごいメンバーだね”
「指揮官が制御不能だという点を除けば、理想的なチームですよ」
“あはは”
本当に、この苦笑いをする大人を制御できる手段があれば教えて欲しいぐらいだ。
「しかし、この仮説は先生の指揮権がティーパーティーより上位である時点で崩壊しています」
“何より補習授業部の顧問に私を推薦したのはミカだそうだよ”
「それは本人から?」
“うん、第三者の立場が欲しかったって”
「それなら反証が増えた形になりますね。ただしETOに関してはその限りではありません」
“エデン条約の内容を連邦生徒会は確認できないんだよね”
「はい、最重要機密事項なので細かい内容はいまだに不明な点が多いです」
“合宿が終わったらヒナに確認をとってみるよ……”
「先生の顔の広さが羨ましいです」
“そうかな、私と一緒にいるんだしカヤも負けてはいないと思うよ”
そう笑顔で恥ずかしげもなく言い切る先生にどう返事をすればいいのか困ってしまう。とりあえず何かを言おうと口を開いた瞬間、空気が震え、少し遅れて乾いた破裂音がする。
“!?”
「爆発ですね、別館の方向です!」
“まさか襲撃!?”
「急ぎましょう!」
“えっ!わっ!”
悲鳴を上げる先生に構わずいつぶりかの俵担ぎで抱える。
「今日は走ってばかりですね!」
“うわぁぁぁぁぁぁ”
先生の叫び声がトリニティにこだました。
エデン2章に突入しました。それと筆者多忙により更新頻度が落ちます。申し訳ありません。次回はスズミ視点です。お楽しみに!