補習授業部を引き連れて先生がゲヘナとトリニティの境界を越えた頃、純白の制服に身を包んだティーパーティー所属の生徒たちが本校舎を後にする。その普段と変わらない下校風景に紛れて、
私は普段は纏めている髪を解くことで目元を隠し、ナギサは大きな羽を器用に畳み長髪の裏に隠すことで身体的特徴を極力抑えている。制服はオーダーメイドなだけあって値の張る代物ではあったが、学生の集団に紛れるにはこれ以上ない逸品だ。いくら見慣れていてもこの集団の中から私たちを即座に見分けるのは困難だろう。加えて、護衛のフィリウス分派の集団に紛れることで他の派閥の生徒の印象に残りづらいはずだ。
しかし、護衛の人数はフィリウス分派の規模を考慮すると少ない。ナギサの孤立を象徴するかのようだ。まあ、疑心暗鬼に陥っている権力者の近衛になるなど貧乏くじもいいところだ。こうして行動を共にしてくれるだけ御の字だろう。
その後、護衛と別れナギサと二人きりになる。彼女がどのセーフハウスに滞在するかは私を含め護衛にも教えられない。情報の統制が徹底している。流石に反対されたそうだが、当初の予定では一人で移動するつもりだったと聞いた。
尾行に意識を割きつつ、隣を歩くナギサを一瞥する。相手の裏をかく発想力、計画の実現のために自らをも危険に晒す胆力、そしてそれを任される信頼。確かにティーパーティーのホストに相応しい能力を持った人物だろう。だが、チェスの結果に取り乱し、先生たちの予想外の行動に動揺する、ふとした拍子に見せる年相応な様子、何よりミカを疑う事ができていない純粋さにどこか
そんなことを考えながらしばらく歩いていると目的地に到着した。
「私の知っているセーフハウスとは随分と趣が違いますね」
「確かに少し質素ではありますが、正真正銘セーフハウスですよ」
「……」
ナギサに案内された豪邸……もといセーフハウス、豪華な装飾と調度品で彩られているそれに、住む世界の違いを改めて実感させられる。とはいえ木を隠すなら森の中、これがトリニティでの目立たない建物なのだ。事実、最高級住宅街に見事に溶け込んでいる。
玄関ではティーパーティーの生徒が出迎えてくれる。だがナギサの立場や建物の規模を考えるとやはり少なすぎる。それに事務方であるティーパーティーに戦闘能力を期待するのも良くないが、見たところ荒事には慣れていない。敵の練度を考えると心許ないのは事実だ。
一方でセーフハウスの設計は見事なものだ。死角なく配置された防犯カメラ、入り組んだ通路や足音の響く廊下など、必要な機能が随所に散りばめられている。窓の留め具も飾りだ。分厚い防弾ガラス製のはめ殺し窓である事を誤魔化しているに過ぎない。更にその窓からは、それなりの数の正義実現委員会が建物の周辺を巡回している様子が一望出来る。
「あの数では居場所を教えているようなものですが、大丈夫ですか?」
「問題ありません。囮のセーフハウスにも同様の警備を付けていますし、彼女たちにはどのセーフハウスが本物か知らされていませんから」
「なるほど」
「把握しているのはティーパーティーであっても上層部のごく一部……そしてあなたですよ、
「……」
ナギサからの期待の眼差しに気圧され返事に窮していると、慣れた動作でナギサが絵画を傾ける。すると何の変哲もない天井から梯子が下りてきた。
「屋根裏部屋ですか」
「不安な時や、厄介な相手を避ける時の心強い味方です。小さい頃はよくミカさんと一緒に隠れたものです」
つまり、この場所はミカに知られているのだ。
「確か、お二人は幼馴染でしたね」
「はい、ミカさんとは親友と言って差し支えないでしょう。彼女は昔から純粋で、優しくて、強くて、無鉄砲で、だからこそ人一倍繊細で傷つきやすくて……」
「だから、ミカ様を守るのですね」
「これはホストとしてではなく私自身の役目、いえ意地なのです」
ナギサの後を追って梯子を登っているせいで表情はわからない。しかし、その声色には静かな覚悟が宿っている。
「何があってもですか?」
「もちろんです。そのためには例え悪魔に魂を売ることになっても構いません」
「では私はミカ様のためにも貴方をお守りいたします」
「はい、改めてよろしくお願いします」
梯子を登り終えたナギサが振り返り手を差し伸べてくる。覚悟には覚悟を返さなくてはならない。迷わずにその手を取った。
屋根裏部屋は日頃から掃除しているのか、埃一つ無い。ナギサが机や椅子を用意する間に、私は不審な電波がないか入念に確認する。敵は物証を徹底的に残さない、セーフハウスに盗聴器を仕掛けるような馬鹿な真似はしていないと思うが念のためだ。案の定、怪しいところは見つからない。
「さて、ここならゆっくりお話しできそうですね。具体的に作戦を詰めていきましょう」
「ええ、しかしその前に」
私の言葉を制しナギサが手を叩く。すると、玄関で出迎えてくれた生徒の一人がティーセットを片手に梯子を器用に上がってくると、手慣れた様子であっという間に食器とお菓子を机に並べ、一礼して出ていく。
「客人に紅茶とお菓子を振る舞わないなど、ティーパーティーの沽券に関わりますから」
長い夜になる。山盛りの茶菓子はそう予感させるのに十分な量だった。
実際に話し合いは作戦の詳細にのみならず装備の搬入手順、ヴァルキューレのトリニティ内における武力行使の法的根拠、不測の事態に対する対処など多岐に渡った。
それらがまとまりナギサの部下に一通りの指示を出し終わった頃には、空が白み始めていた。
「お疲れ様でした、ナギサ様」
「お疲れ様でした。カヤさん。随分とかかってしまいましたね」
座りっぱなしだったせいで凝り固まった体をほぐしていると時計を気にするナギサが目に入る。
「補習授業部のことが気になりますか?」
「!?」
反応を見るに図星だ。
「皆さんはテスト会場に到着しているはずですよ」
「本当ですか?」
「ええ、会議中でしたから詳細は確認できてはいませんが、先生の位置データは目的地に到達しています。風紀委員会に案内してもらったのでしょう」
「良かったです……いえ、良くは無い気がしますね……」
「風紀委員会に大きな借りを作ることになるでしょうね」
「あああ……」
呻きながら頭を抱えるナギサに同情を覚える。普通なら試験会場がゲヘナ自治区になった時点で諦めるはずなのだ。しかし、
しばらく唸っていたナギサは紅茶を飲み一息ついていつもの彼女に戻る。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「お気になさらないでください」
「とはいえ、ヒナ委員長なら確実に皆さんを守ってくださいますね」
「それは間違いないですが、試験用紙の爆破までヒナ委員長に妨害されてしまったら補習授業部は解散かもしれませんね」
落ち着いたばかりのナギサには酷だが、仮に補習授業部が解散すれば、先生と私がトリニティに滞在する別の口実が必要になる上に、作戦も練り直しになる。しかし、その心配は彼女からの言葉で無用となった。
「私としてはそれでも構いませんよ」
「へ?」
「彼女たちには本当に気の毒なことをしてしまいましたね」
「……どういう意味でしょうか?」
先ほどの雰囲気から一転、どこか思い詰めた様子のナギサに慎重に言葉を選ぶ。
「裏切り者はティーパーティーの内部にいるのでしょう。そうでなければ、カヤさんが補修授業部の皆さんから離れるはずがありません」
「……」
「教えてくださいませんか?」
同行を申し出た時点で聞かれるのは時間の問題だった。であれば返答は決めている。
「お答えできません。憶測でトリニティに分断を生むわけにはいきませんから」
「……その答えで十分です」
ナギサは言葉を切り、天を仰ぐ。
「徹底的に調査したはずなのですが……」
「内部の犯行であれば限界もあります」
「裏切り者の証拠が何一つ見つからないのも納得出来ます。それに気付かずヒフミさんまで疑って傷つけて……ずっと無駄なことをしてきたんですね……」
そう言って自嘲気味に笑う姿は正直痛々しい。
「きちんと謝らないといけませんね」
「自らの非を認めるつもりですか?確かに謝意を示すのは選択肢の一つですが、ティーパーティーのホスト直々の謝罪というだけで意味が生まれます。ナギサ様はご自身とその立場を貶めるつもりですか?」
「補修授業部創設の責任者は私です。取り返しのつかないことを皆さんにしてしまった責任は私が取らなくてはなりません」
「必要以上に自罰的にならないで下さい。ナギサ様も被害者には変わりありません」
「それでもこの罪は私のものです。皆さんに落ち度がなかったことを私自身が証明しなくてはなりません。これは
数々の苦々しい経験を思い出し、苦言を呈すもナギサの決意は揺るがない。もう責任なんて放り出して楽になってしまってもいいはずなのに、
「それならば、謝罪の際は私も同行させて頂く必要がありますね」
「どういう意味でしょうか?」
「お忘れですか?補修授業部の創設には連邦捜査部のシャーレも関わっています。つまり責任の一端は我々連邦生徒会も負っていると言うことです」
一つは共にその重荷に背負い、責務を果たすこと。
「そんな皆さんは私が一方的に巻き込んでしまっただけです!」
「でしたら、ナギサ様も事件に巻き込まれただけです」
「……」
ナギサは何か言い返そうと口を動かすも言葉は出ない。
「それとナギサ様がしてきたことは全てが無駄ではなかったということは忘れないでください。少なくともあなたが行動したからこそ、こうして二人でお茶会が出来たではないですか」
もう一つは孤独の中で戦う少女を一人にしないこと。
「「……」」
耳が痛くなるほどの沈黙が屋根裏部屋を支配する。流石に格好をつけすぎたと後悔が一気に襲ってくる。しかし何か言わなくてはならなかった。その沈黙を破ったのはナギサだった。
「……それもそうですね。全てが無駄というわけではありませんね」
そう言ってティーカップを愛おしそうに見つながら微笑む彼女は私の言葉で少しだけ、ほんの少しだけでも救われたのだろうか。私にはそれを知るすべはない。確かに彼女の言う通り人の心を計り知ることは出来無い。
「もう少しだけ付き合ってもらえますか?」
「喜んで」
それでも、自らの意思で重荷を背負うと決めた勇気ある少女を、私は守りたいのだ。
その後、補習授業部がゲヘナ自治区に無理やり侵入し、風紀委員会と戦闘を繰り広げ、挙げ句の果てに、試験用紙の爆破処理に先生まで巻き込まれたとの報告を聞き、二人揃って椅子から転げ落ちたのだが、お互いの名誉と尊厳のためにも多くを語るつもりはない。
次回からは戦闘が始まります。描写が大変ですが頑張ります。