「おー海原、また明後日な。約束忘れるなよな」
「もちろんですよ、セブンスミスト前に昼時ですよね」
そろそろ学園都市の完全下校時刻となる頃、海原光貴は友人と別れマンションへの帰路を急ぐ。明日からは通う学校も創立記念と試験のための準備に土日が挟まり、少しばかり長期休みとなり同級生たちのテンションもいつもより高い。
「さて、と」
海原が住んでいるのは、高レベル学生や上位の研究者が多く暮らしている高級住宅地の一角。中学までは両親や祖母たちと同じ場所で住んでいたのだが、高校生になるタイミングで交渉したところあっさりと一人暮らしの許可が出た。
成績などの条件こそあったが、特段難しいことでもないおかげで今までこの暮らしを続けることができ、遊び盛りの高校生に一人暮らしなどさせればどうなるかというと。
(管理人には挨拶しましたし、今回も大丈夫でしょう)
夜中、海原は部屋のベランダに出る。マンションの最上階であるそこは、高所恐怖症なら下を見るのも立ち眩みがするような高さであるが、彼はそこから何の躊躇もなく身を乗り出した。
何も自殺願望があるわけではない。手すりを乗り越えた海原の体はふわりと浮き上がると、深夜の街を滑空し人気の少ない路地に着地した。出入り口には管理人が住み込みで見張り、深夜に学生が出ていけば警報が鳴る仕組みだが、このようにベランダから音もなく出ていけばそのセキュリティをすり抜けることができることを何度も抜け出している海原は知っていた。
特段不良というわけではないが、それでも普段優等生でいると少しぐらいハメを外したくなるものだ。某常盤台のエースも堂々と立ち読みに時間をかけたりするぐらいであり、この街では成績が良くてもそういう気質がある学生は案外多いのかもしれないと、そんなことを考えながら街を歩く。
(今日はあっちの方に行ってみますか)
海原は懐から取り出したスマホで、メモしていた行先を確認すると街をパトロールしている警備員
昼間はあれだけ若者にあふれ、無人機の広告が煩わしいぐらいの街がひっそりと静まり返りひんやりとした空気が頬を撫でる。この空気が海原の密かなお気に入りであり、優等生である普段とはまた違った自分になれる気がしていた。そして、こんな深夜の散歩でもいいのだが、最近の海原のトレンドとして都市伝説巡りというものがあった。
学生都市は超能力という外からすればオカルトじみたものがある上に、そこで暮らすほとんどの人が学生であるということもあり日夜大量の都市伝説がささやかれている。いつもならそんなものただの噂と切り捨てているし、そもそも噂の発生源が治安の悪い地域だということもあり、あまり人目につく状態で触れたくはないことである。
(確かこの辺りのはずですが…………)
それでも、夜の自分であればそんな馬鹿げたこともスリルに変えて楽しめる。
海原がたどり着いたのはとあるビル街、路地裏側についたその扉に手をかけるが当然のように鍵はかかっているが、鍵穴をよく見ると仕組みは複雑だがアナログ錠であった。
(学園都市の学生なら下手な電子錠は開錠してしまいますからね。それよりは直接破られないようにドアを頑丈にしてアナログ錠にした方がいいという判断なのでしょうね)
この街では一見普通の学生が、凄腕のハッカーであるというのも珍しいことではない。そんな者が蔓延る場所で下手な電子錠を付けてしまうと、警報システムごとハッキングされて開けられしまう場合がある(しかも、特に中に用事がなくとも、そこにセキュリティがあるからという理由でハッキングをするハッカーも多い)。
それならば、外をアナログ錠にして警報システムをつければ愉快犯のハッカーは防げるし小悪党の侵入も防ぐのにコストパフォーマンスに優れるという判断なのだろう。
海原は懐からペットボトルを取り出す。中身は途中の自動販売機で買ったただの水であり、特殊な成分は何も入っていない。だが、キャップを開けると中の水がまるで無重力のように浮かび上がり、その水は鍵穴から侵入するとカチャリと音を立てて中のロックを外す。
(さてと、情報が正しければ……)
海原が掴んだ情報では、この扉の先に目的のものの取引所があるという話であった。
(扉がもう一つ?)
ただ、ここに来て想定外のことが起こった。事前の調べでは、最初の扉を破ればホールのような場所にたどり着くはずであった。しかし、扉の先には小さく狭い部屋と重厚で怪しく光る扉が鎮座していた。
薄暗いながら扉を観察するも、特に鍵穴のようなようなものは見つからない。
『パターン海原光貴……認証に成功しました』
(開いた!? それに今の音声は……)
とりあえずドアノブを握った海原であったが、ピピッという電子音の後に合成音声が聞こえガチャリと鍵が開いた音が真っ暗な部屋に響く。
ひんやりと無機質な冷たさのあるはずのドアノブを握っているのに、頭の奥が緊張で熱くなるのが分かる。海原は覚悟を決めるように生唾を飲み込むと、その扉の先に足を踏み入れた。
(思ったより雰囲気ありますね)
部屋の中は大きなホールのようになっており、空調も効いて快適な空間であった。辺りを見渡すと、紫色の間接照明が部屋を薄暗く照らしまるで怪しげなカジノのような印象を受ける。
「おい、あんたが取引相手だろ」
「うぇ!?」
どうせ都市伝説、興味を引くために強い言葉を使うがガセだらけなのが当たり前。たとえ噂の場所があったとしても、ただの外れだと考えていたのにまさか他に人がいるとは思ってもおらず、海原は思わず声が裏返ってしまう。
薄暗いせいで気がつかなかったが、どうやら既に一人の男が先に入室していたらしい。男は怪訝な顔をしていたが、海原の顔をよく見ると苦い顔をしながら小包を押し付けるように渡す。
「それじゃ、これで取引は成立だな。大きなお世話だと思うが、最近この辺りの取引所
海原が小包を手に持つと、その外装をさらに覆っていた薄いビニールのようなものを剥がすと懐にしまい部屋から出ていった。これは暗部の取引に使われる手で、運び屋ないし取引相手といくつかある
事前に示し合わせた者にのみ
それでも詐欺を働こうとする者もいかった訳ではないが、身分がバレている上に法が半ば機能していない暗部の中で、そんなことをすれば様々な組織から全力で狙われてしまうという緊張感のおかげでこの
(さて……どうしたものですかね)
時間にして十数分、相手の男からすればこういった取引は素早くこなすのが鉄則であり、それに従ってに過ぎない。だが、海原からすれば嵐のように過ぎ去った体験としか言えず、手に持った小包のせいで夢と勘違いすることもできない。
「あら、あなた
未だ夢うつつであった海原であったが、上質な糸のような金髪を持つドレスの少女の声で急速に現実に引き戻されるのであった。