ニビシティ。そこではニビ科学博物館で宇宙博覧会が行われており、多くの観光客や研究者が訪れている。
またニビシティにもトキワシティと同じくポケモンジムがあり、代々岩タイプを司るジムリーダーが訪れるポケモントレーナーの挑戦を受けていた。
「……ふう」
ここはニビシティジムリーダーの事務室。
普段は多くの関係者が出入りし、隣接するバトルスペースには多くの掛け声やポケモン達の咆哮が響く場所だったが、今はガランとして静かで、一人の男のため息だけが漏れていた。
コン、コン。
「はい」
「入るわよ、タケシ」
「カスミか」
ニビシティジムリーダータケシはデスクで片付けていた書類を置き、同業者であるハナダシティジム所属のカスミを出迎えていた。
タケシは茶色いTシャツに緑のズボン、カスミは丈の短いTシャツとショートパンツのへそ出しルック。互いにかしこまった関係ではないことが見て取れる。
ハナダシティはニビシティと隣接しており、またカスミとタケシは歳が近いこともあって、ポケモンの事を話すことは少なくなかった。
二人の間の空気は静かだった。
タケシは元来口数が多い方ではなかったが、今日は一段と寂しげな雰囲気を纏っており、カスミもそんなタケシを認めながらもさして興味なさげに人のいないジムを眺めていた。
カスミはただの広い空間になったジムの天井を見上げ、声を響かせる。
「本当にやめるのね。ジムリーダー」
「ああ、明日がニビジムの、いや、ジムリーダータケシの最後の営業になる」
「ふーん。代わりの人はすぐ来るの?」
「もうポケモン協会の方が新しいジムリーダーを選定しているそうだ。長くても一週間もすれば新しい人間が来るだろう」
「そう、一週間ね。その間旅のトレーナーは待ちぼうけってわけ」
カスミの語気は強くない。ただ事実を言っているだけだった。
「俺を止めに来たわけじゃなさそうだな」
「そりゃそうよ。止める理由がないもの」
「……そうだな」
カスミが今は誰も居ないバトルスペース中央、モンスターボールを模した白線の中央に立つ。手を頭の後ろに組んで目をつぶった。
タケシはカスミの大分後ろに立って、明日で最後になるバトルスペースを眺めた。
「じゃあカスミはここに何しに来たんだ? バトルならまあ、今なら付き合うが」
タケシは苦笑しながら言った。カスミは水のエキスパート、対してタケシは岩。自分で言っといて勝ち目は薄い。
カスミは目を開ける。タケシを見ない。どこか中空を見ている。
「バトルは別にいいわ。あんたがどんな顔してるか、興味があっただけ」
「なんでやめるのかは聞かないのか?」
「別に興味ないわ。まあでも、あんたの顔が見れてよかったわ。少し判断材料になった」
「ジムを姉に任せて、最近ハナダに戻ってないって聞いたぞ」
「別に問題ないでしょ。ジムバッジ譲渡の権限は私達4姉妹なんだから、誰かいればいいわ」
「お前が4姉妹の中で一線を画す強さなのにか?」
カスミはタケシに返答せず、タケシの横を通りすぎて手をひらひらと振る。
「明日最後の挑戦者を待つつもりだ。暇だったら来てくれ」
タケシの言葉にカスミは何の反応もせずジムを去った。
「……さて、書類を片付けるか」
タケシが庶務を終えた時にはもう日が落ちていた。街灯に沿った道のりに人通りは少ない。
「今だ、フシギダネ! ようし、いいぞ!」
「ん?」
道から少し外れた場所、家々から離れた場所で掛け声が聞こえた。
見たところ、10歳そこそこの子供。フシギダネというところからまだポケモンをもらったばかりのトレーナーだろう。
いいコンビネーションだな、とタケシは感じていた。フシギダネの行動と反応を見てから、ちゃんと次の命令を繰り出している。
「いい連携だな、少年」
「え?」
「すまない、邪魔をしてしまったかな」
タケシは気づいたら声をかけていた。ジムリーダーという仕事はジム所属のトレーナーの指導も多い。タケシはそれが嫌いではなかった。
「君は、ニビシティの子ではないのかな? あまり見ない顔だけど」
「うん、マサラタウンから来たんだ。ここではジムに挑むつもりで、今はその練習」
「名前は?」
「レッド」
「そうか。俺はタケシ」
フシギダネがレッドの腕に飛び込み、レッドもフシギダネを抱きかかえながら笑顔で撫でる。
「タケシさんもポケモン持ってるの?」
「……ああ」
タケシは少し考えてから腰のモンスターボールを選び、自らの隣に放る。
「コンっ!」
現れたのは赤い毛にこじんまりとした6つの尻尾が特徴的なポケモン、ロコン。
「わっ。はじめて見るっ!」
「ロコンというんだ。この辺では珍しいかもしれないな」
タケシはかがみ、ロコンの体を撫でる。ロコンは心底リラックスしたように、タケシに体を任せた。
「すごく懐いてるね」
「ありがとな。なあ少年、一つ聞いてもいいか?」
「ん、なに?」
「ジムに挑むということは、その先にあるポケモンの殿堂、セキエイ高原を目指すんだろう? どうしてそうしようって思ったんだ?」
「どうしてって……? ポケモントレーナーは皆目指すんじゃないの?」
「ポケモンとの付き合い方は様々だよ。セキエイ高原を目指す人は多いだろうが、中にはポケモンをペットとする人、ポケモン研究者や、土木作業や治水工事、ポケモンのケアや健康を扱うポケモンブリーダーという職業もある」
タケシはロコンから手を離し、レッドに向かい合った。
「人それぞれのポケモンとの付き合い方がある中で、どうして君はポケモントレーナーになったんだい?」
タケシは努めて優しく言った。別に糾弾しているわけじゃない。このフシギダネと良い関係を築いている少年がどうしてバトルの道に行ったのか、純粋な興味だった。
「……勝ちたいから、かな」
「勝ちたいから?」
「うん。ポケモンバトルってさ、僕だけじゃなにもできないじゃない。でもポケモンだけがいても、なにもできない。ポケモンがいて、トレーナーがいて、二つの心が通じあって初めて、勝てる」
「……」
「一人だけじゃできないことでも、ポケモンと力を合わせれば。仲間と一緒に勝ちたいから、喜びを分かち合いたいから、バトルで勝ちたいから、かな」
少年の表情はキラキラしていた。タケシは憧憬にも似た感情でそれを眺める。
「ごめん、ちょっとうまく言えないかも」
「……いいさ。立派だな、君は」
ニビシティジムで毎日連戦する日々。しかしタケシはある日、傷ついたポケモンを癒やすポケモンクリニックでのブリーダーたちの献身さを見て、迷いが生まれていた。
自分はポケモンに戦いを強制してしまっていないか。もっと他の、ポケモンを愛する者としての付き合い方があるのではないか……。
そんな迷いが生まれていた矢先、先日ヒトカゲを伴った挑戦者が来た。
一度目はタケシが退ける。相性から見て当然の結果で、タケシはがまんやタイプ相性の事をレクチャーしようと思ったのだが……。
「……うっ」
その時、ヒトカゲを連れた少年から放たれた憤怒の視線。強烈な敵意。それに圧倒され、声をかけられずに彼を見送ってしまった。
時を置かずしてその少年は再来した。今度はリザードを伴って。
タケシは相手が持っているジムバッジの個数によって使うポケモンが決められている。
リザードの力はタイプ相性をものともせずに、タケシのイシツブテとイワークを撃破していった。
力技で押し通るのは悪いことじゃない。しかし、バトル相手に対しギラついた視線で攻撃してくるトレーナーとリザードの姿が、どうしても脳裏から離れなかった。
(俺がやっていることは、正しいことなんだろうか)
この迷いに対して、タケシは考える時間が欲しかった。気づけば空いた時間、1から始めるポケモンブリーダー教本なんてものを読んでいる。
(今の俺は、ジムリーダーをやるべきじゃない)
周囲の反対をよそに、タケシは一度自分の道を見直すことを決めた。
「そういえばレッド君は、ポケモン博物館に行ってみたかい?」
「ううん」
「貴重なポケモンの化石や、ポケモンに関わる岩石を展示している。時間があれば行ってみるといい」
「うん、そうするよ」
「今日はもうほどほどにしときなさい。明日ジムに挑戦するなら、体調もポケモンも万全にしとかないと」
「わかった。ありがとうタケシさん!」
「ああ、おやすみ」
少年が駆けていくのをタケシは笑顔で見送る。
自分もさっさと今日は寝よう。明日は朝一番に元気なフシギダネ使いが来るだろう。
(……俺の、ラストマッチのためにも)
心地良い朝だった。天気は快晴。湿度も程よく、ポケモンたちのコンディションが万全であることは一目見て分かった。
「おはよう皆」
ニビジムにタケシ他、ジム所属のトレーナー達が勢揃いしている。皆一様に、複雑な顔をしていた。
タケシの門出を祝うべきなのか、寂しさから彼を引き留めていいのだろうか。
「タケシさん、やめないでください! 俺……まだまだ1000光年だってタケシさんに教わりたいっすよ!」
「光年は距離の単位だぞ、まったく」
タケシがジムリーダーになってからジムに所属した少年が、こらえきれない涙を流しながらタケシに懇願する。
「ありがとな。今日の挑戦者の前座試合は、お前に任せる」
「……はい!」
「良い返事だ。さあ皆、俺の最後のジム戦だ。気合入れていくぞ!」
『はい!』
(今の俺には、ジムリーダーとして悔いが残っているかどうかすら自分でもわからない。だが、君のバトルに応えるくらいはできるだろう)
ジムに開業のベルが鳴り、入り口のシャッターがゆっくりと音を立てて上がっていく。
バトルスペースに朝日が差し込むと同時に、赤い帽子を被った少年の影が伸びる。
「ようこそ、未来のチャンピオン!」
朝一番の挑戦者を受付が元気に向かい入れた。
タケシは自分の出番が来るまで、自室で精神を集中させていた。
手持ちは相手のジムバッジの個数に合わせ、イシツブテとイワークの二体。イワークは耐久力を活かしたカウンター技、がまんを備えている。
正攻法で来る初心者相手に、相手を見る戦術性を教える極めて簡潔なデモンストレーションとも言える。
(ポケモン同士で傷つき傷を付け合うバトルにおいて疑問をもった俺でも、これから夢を目指す者の手助けくらいできるだろう。イシツブテ、イワークどうか俺に付き合ってくれ)
「!?……なんだ……!?」
今まで聞いたことのないような歓声だった。自室までバトルスペースの轟音にも似た人々の声が響いてくる。
「タケシさん、出番ですよ」
「あ、ああ。しかし、この声は……?」
「いけばわかりますよ、皆待ってます」
バトルスペースへの道を行く。いつもの数倍の眩しさと熱を感じるのは、気のせいではなかった。
「これは……!?」
まるで一級スタジアムのようだった。突貫で作ったのであろうイワーク達を利用して作った階段上の観客席。
そしてその席を埋める老若男女の大勢の観客たち、ニビシティの人口を考えれば驚異的な人数が集まっている。
『タケシさーん!』『頑張れー!』『その坊主つええぞー!!』『やめないでくれー!』
「にいちゃーん!! がんばれ~!」
タケシの弟と妹達まで勢揃いしている。
「なっ……俺がやめることは、ジムの皆に口止めしていたはず……いや」
(……あのおせっかい娘め)
「すいませ~んタケシさん……負けちゃいました~……」
「わかった。後は任せろ」
タケシはバトルスペースに立つ。相対するは、
「タケシさんって聞いて驚きました。でもすごく光栄に思います!」
レッド。タケシの心に徐々に、熱い衝動が沸き起こってきている。笑っていた。
(馬鹿だな俺は。初心者にレクチャーなどど何を偉そうに。この観客達と、レッド君、そして俺のポケモンが望んでいることは)
「……俺はニビシティジムリーダーのタケシ。岩ポケモンを操るポケモントレーナーだ!」
「マサラタウンのレッド!」
『バトル開始い!』
「行くぞぉ! 行けぇ! イシツブテェ!」
「行け! コラッタ!」
ポケモンの挙動ひとつひとつにジムが揺れる。
「コラッタ! 体当たりだ!」
「イシツブテ! 体当たりだ!」
文字通り低レベルの争い。しかし、観客たちと、戦うトレーナーとポケモンが持つ熱気はどうだ。
『そこだぁ!』『いいぞぉ!』『頑張れー!』
「コラッタ! もう一度体当たり!」
「イシツブテ! かたくなる!」
(この少年は本気だ! ポケモンが持つ力、ポケモンとトレーナーとの絆を信じて戦っている! 俺はどうだ!)
タケシが久しく忘れていた感情が、目を覚ましかけている。
「コラッタ、しっぽをふる!」
(ここだ!)
相手がこちらの防御をさげようとした隙をつく。タケシとイシツブテの考えはシンクロしていた。
「イシツブテ! たいあたり!」
(イシツブテがこんなに早く! いや、俺の考えをイシツブテがわかってくれた)
コラッタを倒したイシツブテがタケシをちらりとみる。タケシも頷いた。
「さあ、レッド。まだまだこれからだぞ!」
「くっ! いけ! ポッポ! かぜおこし!」
イシツブテも連戦では長くもたなかったが、ポッポにある程度の打撃を与えることには成功していた。
「よくやったイシツブテ。もどれ」
レッドはたまらず、タケシに叫ぶ。
「タケシさん! 俺今、すごいわくわくしてる! これがジムリーダーとの戦いなんだね!」
「ああ! 俺も久しぶりに熱くなってきたぜ!」
タケシのポケモンは本気の編成ではない。だがそれがどうした。今持ちうる全ての力を出しきり、勝利を得ることになんの疑いを持とうか。
「これが切り札だ! いけ! イワーク!」
舞い降りる巨体。種族値こそ見た目に反しているが、その巨影はマサラからやってきたレッドを圧倒する。
(でかい……だけど、俺と俺のポケモン達の熱い闘志が囁きかけてくる。トレーナーとポケモンとの絆があれば、勝利の光をたぐり寄せることができる!)
「いくぞ! フシギダネ!」
「草ポケモンか。だがその小さな体で、イワークの硬い体を打ち砕けるか?」
「超えられない壁などないと、俺は教わりました。俺とフシギダネの力を合わせれば、また一つ、見えなかった強さを身につけることができる!」
「なら見せてみろ! イワーク! たいあたり!」
「フシギダネ! たいあたり!」
(最初は体当たりの応酬、このフシギダネの火力なら耐えることができる! よし)
「イワーク、がまん!」
イワークの動きが丸まってとまり、フシギダネのたいあたりに対し反撃しなくなる。
「これは……一体?……まて! フシギダネ!」
(気づいたか。だが遅い、とめるのがあと一瞬早ければな!)
既に数発フシギダネの体当たりがヒットしている。
「イワークのがまん、知っていたのかレッド?」
「いえ、初めて聞く技です。だけど、イワークの挙動から予測はできる。フシギダネ! やどりぎのタネ!」
「なに!?」
フシギダネの背中のつぼみから種子が発射され、イワークの体を覆う!
「だが、イワークのがまんは開放される。イワーク! こうげきだ!」
「あとは削りきるまで! フシギダネたいあたりぃ!!」
イワークとフシギダネの額が激突し、あたり一面に砂埃が舞う。
「……」
「……」
砂埃が晴れた時、立っていたのは巨影だった。フシギダネは倒れ伏している。
『……フシギダネ戦闘不能! ……え?』
イワークの巨体が傾き、ずしんと大きな音を立てて倒れた。その巨体からは地面を伝って、フシギダネへ養分を送るやどりぎが伸びていた。
それが一度脈打つと、フシギダネがゆっくりと立ち上がる。
『しっ失礼!……イワーク戦闘不能! 勝者! 挑戦者レッド!』
『うおああああああああああああああああ!!!』
「勝った…‥? 勝った……!! 勝ったぞ!!」
レッドがフシギダネに駆け寄って抱き上げる。
「やった……!!」
「おめでとう。レッドくん」
「タケシさん……」
イワークを戻したタケシが歩み寄る。
「こんな清々しいバトルは久しぶりだった。おめでとう。君にジムリーダーが認めた証、グレーバッジを進呈しよう」
「あ、ありがとうございます!」
レッドは副品としてがまんのわざマシンも受け取る。
「俺、こんなに楽しいバトル初めてでした。ジムリーダーのポケモントレーナーって、本当に憧れます」
「憧れ、か」
「だって、イシツブテもイワークとも息ピッタリだったじゃないですか。俺も、そんなトレーナーになれるように、頑張ります!」
「……ありがとう。君のフシギダネの扱い方も見事だった。誰かに教わったのかい?」
「教わったってほどではないんですけど……でも、今の戦い方見たら、優雅じゃないって言われそうです」
「優雅……?……!!」
草ポケモンを優雅なんて言う人は、タケシには一人しか思い浮かばない。
「いい師に巡りあったようだね。タマムシまで気が抜けないな」
「はい、それじゃあ」
「ああ、いい旅を」
少年はまた駆け出していく。
しかし去ろうとするタケシに対し、歓声と拍手がなりやまない。
それを見て、ハナダのおてんば娘は微笑んでジムを後にした。
ジムのトレーナーたちがタケシに駆け寄ってくる。
「タケシさん、俺、俺」
「皆、話したいことがある」
ポケモンバトルで、ポケモンとの絆を証明している者達がいる。自分もそのうちの一人になりたい。熱いバトルを通して。
「書類を片付けたのが無駄になってしまうが、どうか俺を、ジムリーダーとして鍛えさせてもらえないか。まだまだ、ジムリーダーとして学ばなきゃいけないことがありそうなんだ」
「……!!」「もちろんです!!」「やった!! タケシさん!!」
『タ・ケ・シ・!』『タ・ケ・シ!』『タ・ケ・シ!』
(ありがとう、レッド。君ならばきっと……!)
またひとり、ポケモントレーナーとして新たな扉を開く。
レッドの旅はまだまだ続いてく……。