1・~独白~ その男の名は
荒屋海【あらや・かい】。
正直言って、俺はこの名前が嫌いだ。なんだ荒い家って。同じアラヤだったらもっと別の字があっただろうに、どうしてそういう字を選んでしまったのか親父に問い詰めたい。
問い詰めたところでどうしようもないのだけれど。
Kai Hugo Alaja【カイ・ヒューゴ・アラヤ】――それが何年か前までの俺の名前だった。
もともと貿易会社で勤めていた親父がかねてより日本への往来が結構あったらしく、何かと親父は日本語を俺に覚えさせたがった。日本はいい国だ、と言い聞かせながら俺に日本の漫画だとかゲームだとか、ドラマだとかなんだとか、ありとあらゆるものを押し付けてきた。
普段使う言葉というとフィンランド語とスウェーデン語だった。親父はもともとアメリカ系だった上に仕事で渡米することもあったから、国内では英語もそれなりに使っていたけれど、いつアメリカに行ってもいいようにと、家に帰っても親父はよく英語を俺に叩き込んできた。その上、仕事で行くこともあるかもしれないからと、日本語も勉強しないといけない奇妙な家――それが俺の家だった。
そんな親父が本当に会社の日本支部へ異動することになったことをきっかけに俺の一家は日本に渡ることとなり、それとほぼ同時に突然、俺の名前は変わった。
帰化、というやつらしい。
名前というものが変わった、と言ってもあくまでも日本式の名前に変わっただけだ、このほうがお前のためだ、などと親父は言ったけれど、何の相談もなしに名前が変えられたことを俺は不満に思った。
日本ではミドルネームが使えないからとHugoの名前まで没収された。俺にとっては、名前が変わったというよりは、奪われたようなものだった。
Hugoという親父から受け継いだ名前というものを突然没収されたことで、俺は親父との縁はそのとき切れてしまったのではないか、と思うようになった。
それと同時に、親父は最初から日本への移住を前提に仕事をしていただけなんじゃなかったんだろうか――とさえ思うようになった。
子供の人生を親の都合で左右されてたまるか――俺は引っ越してきてしばらく、おふくろにきつくあたった。親父にだって当たりたかったが、その親父がなかなか仕事から帰ってこない。感情をぶつける先をおふくろに向けたってどうしようもないことは俺だって分かっていたが、その頃の俺はまだ、幼かった。
言葉の壁をなかなか越えられずにいたおふくろは日に日に疲弊していくのが見えて、俺はおふくろにあたるのをやめた。俺がおふくろにあたることはできるかもしれないけれど、おふくろはどこにも感情をぶつける先がない。そんなことを考えたとき、俺がおふくろに不満を漏らして、遠慮なく感情をぶつけたって、どうにもならないことを理解したからだ。
おふくろもまた、親父の都合に振り回された被害者なんだから。
特にヘルシンキに固執していたわけではないから、日本に引っ越してきて最初のうちは新鮮味というものがあったけれど、住んでしまえば自分はさほど住環境そのものには興味がないということに気づいた。雪がそれほど降らない、夏はクソ暑い、くらいしか最終的には思わなくなった。
思わなくなった、というよりは、多分ドラマや映画なんかで日本の風景をいやと言うほど見せられてきたから、『まあこんなもんだ』っていうことをもとから俺は刷り込まれていたのかもしれない。
時折ヘルシンキの木々に溢れた町並みや沈まない太陽、うんと長い夏休みを恋しく思うことはあったけれど、正直言って、勝手に日本に連れてこられて、いきなり日本人としての生活を強いられて――平静を装いながら周りに溶け込むことに必死で、町並みなんかはどうでもよかった。
ただ引っ越してきて本当に驚いたのは、映画で見たとおり本当に現地の人々が『その辺の草』を食っていることだった。
……映画で見たとおり、という言葉には多少どころがだいぶ語弊があるか。
日本は映画や漫画などの『町おこし』とやらが好きらしく、映画に出てきた『その辺の草』を本当に観光資源としてPRに使っているということに本当に驚いた。
親父が仕事の帰りにわざわざ遠回りして『その辺の草』をスーパーから買ってきた、と聞いて思わず映画を見直した。
そのときばかりは親父も親父らしいことをしようと思ってくれているのだ、と思ったものだけど――やはり親父は親父だった。
おふくろはリモートで当時勤めていたスウェーデンの企業とやり取りをしていたけれど、とうとう日本で生活するための言葉の壁を理由に離婚をしてしまった。
あの時、おふくろについていければよかったんだろうけれど、仮に自分に選択権があったとしても――あのやつれたおふくろに俺を負担させることはできなかったと思う。
……選択権があった"としても"と言ったように、俺には選択権がなかった。ある日突然母親が家から居なくなったからだ。最初のうちは仕事の用事でいったん帰国した、と親父は言っていたけれど、ある日『本当は日本語についていけなくて離婚したんだ』と言われた。
東京に勤めているはずの親父がわざわざ埼玉の川口に家を借りていたのは、家賃が安いからだとか、いきなり東京に引っ越すのはお前にとっても――だの、いくらでも理由をつけてきたが、そうして離婚が分かってすぐのことだった――
《ただいま》
《なんだよ、鍵開いてんじゃねーか。おい、親父――》
リビングのドアを開けた先では、親父が知らない女を抱いていた。随分夢中のようで、連れてきた女も、親父も、俺には全く気づいていないようだった。
インフルエンザの流行でこの日、午後から学級閉鎖になったことを俺は恨んだ。手洗いうがいをきっちりしないからこうなるんだ。予防したところでなかなか防げない病気だということは知っているが、絶対学校の中には基本的な予防を怠っているやつが居ると思っている。あいつら一人一人が生んだ事態だ――と俺は思った。
いいや、この際何でもいい。
とにかく、今目の前で起きているあまりにひどい事実に対して、何かのせいにでもしなければやっていられなかった。
どうする――まずはこのことをおふくろに相談しなければ――と一瞬思ったが、そんなことをおふくろに相談して一体何になるのだろう。黙って家を出るほど、ここでの生活についていけなくなったおふくろを余計にやつれてしまうのは不本意だった。
このことは自分の胸にだけしまっておこう、と思い俺はカバンを背負ったまま外へと繰り出した。
どれほど洗っても洗っても取れない自分の名前が、本当に憎たらしく思ったし、日本に来てから没収されたHugoという名前のように、どうにかして、いつか自分の名前を消すことができたらどれほど楽だろうかと思った。
親父はよく女を連れ込んでいた。幼かった頃は、それが愛人だとは分からなかったし、恐らくおふくろにもまさかそれらが本当に愛人だとは分からないようにしていたんだろう。いつもホームパーティの写真には、知らない若い女が何人も写っていた。仕事で知り合った女なのか、それとも、全く知らないところから連れてきた女なのかは分からない。
一人の男が多数の女と愛人関係にあったり、複数の妻を持つことがそれほどおかしくないとみなされる国だったから、ひょっとしたら俺の知らない兄弟というものがフィンランドに戻るとたくさんいるのかもしれない。
親父がよくそうしてモテたように、そうした血が自分にも流れていることを俺はこの国に来てから強く感じていた。俗に言う、"モテ期"というものだ。
一応、だいたいの日本語は使えていたものの、言葉遣いや文化の壁を理由に、転入先の中学校では最初の一年は特別学級というものに入れさせられた。
どうしても俺の日本語というものは、ドラマや漫画などで言葉を覚えていったものだから、俺の言う日本語というものは、日本語"的"ではない言葉遣いになってしまうことがあるらしい。
授業はともかく、公的な場で一人称を"俺"とするのがよくないだとか、そういう些細な言葉遣いの勉強をさせられた。早い話、俺の言葉遣いはTPOをわきまえていないから、無駄なトラブルを避けるためにとりあえずいったん特別学級に入れておこう、ということらしい。
ただ、そうした言葉遣いだとか、異国情緒っぽいたたずまいがいわゆる『2.5次元』だということで、休み時間には女子生徒がよく詰め掛けた。
連絡先を交換してほしいだとか、日本食で好きなものは何かだとか……くだらない質問だとかもたくさん受けた。いちいち受け応えているのが鬱陶しいので、徐々にその返事は適当になっていった。もとから俺は人付き合いがうまいタイプではなかったから、ぶっきらぼうさには拍車がかかった。
……それがかえって『っぽい』のだという。
笑わなくていいから写真を撮らせろだの、俺に似た雰囲気のアニメのキャラクターのセリフを言って欲しいだの、学校の中では行く先々で女の目線を感じた。英語の授業なんかでは、ちょっと原稿を読むくらいで女子がキャーキャーと騒ぐものだから、そのうち教師にもあまりいい顔をされず、英語の授業は露骨に俺は授業から外されることが多くなった。
こうした連中が、俺のことをそうした『外国から来た男』というフィルターで見ていることは分かっていた。今、この国においては、個性の主張だとかなんだとか、多様化社会だとか、遺伝子レベルでの多様化だとか……俺が教えられた世界よりもずいぶんと髪の毛の色は随分とカラフルになっていた。それでもなお『純粋な金髪』である自分に寄って集ってくるのは、きっと日本人にはない顔つきの問題なんだろう。
どれだけ自分が言葉遣いを直そうと、仮に髪を黒くしてみようと、きっとこの顔つきだけで自分は『2.5次元』からやってきた『北欧生まれの王子様』というレッテルは剥がれない。人間は自分にはないものをどうしても求めてしまい、すがるものだから、俺の顔を俺自身がやめるか、俺が自分でよほど環境を変えない限り、しばらくこんな日々が続くことを理解していた。
別に、そのほとんどが悪い意味で差別されているわけではないから、それに甘んじておくのがいいということも分かっているが、やはりあまりいい気分はしなかった。別に、見世物になるために俺はこの国で生活しているわけじゃないんだから、国籍を日本に移した以上、日本人として形だけでも扱って欲しかった。
どうあがいてもフィンランドに残り続けることはできなかったと思うけれど、いつか戻ることが出来たら――という思いは常にあった。ただ、国籍を日本に移し、名前だって変わってしまった今、果たしてあの国に戻るべき場所はあるのか――半分はこの国に染まってしまった自分が、また国に戻ってで日々を取り戻して生活なんてできるんだろうか――という思いも、毎日のように考えては膨らみ続けていた。
フィンランドに戻る方法や、日本という国からいずれ出る方法を考えたときに、頭によぎったのは手に職をつけることだった。
音楽が盛んな国だったから、引っ越す前からも家の中にはエレキギターやシンセサイザー、グランドピアノなんかが置いてあった。引っ越してからはさすがに家の中にグランドピアノは置けなかったが、余りある小遣いでエレキギターやエフェクターなんかを買い漁って、俺は毎日のように感情を楽器にぶつけた。音楽という広く世界に向けられた窓がいつか、自分にチャンスをくれると思ったからだ。
音楽だけじゃない。フィンランドに戻るための手段として、スポーツが頭に浮かんだ。
フィンランドでは日本ほどサッカーは人気では無かったが、かといって、アイスホッケーを埼玉でするには少し環境が悪い。モータースポーツだって日本は盛んだと聞いたが、さすがの親父も、モータースポーツという常に命の危険と金のかかるものには反対するだろう。
俺はアイスホッケーよりはサッカーのほうが好きだったし、自分で言うのもなんだけど、得意だった。フィンランドに居たときだって、地区の大会ではフォワードを任されていたし、足技だけでなく、その頃から身長も高かったから、それなりに地元では名の知れたプレイヤーだったつもりだ。
そうしたこともあって、部活動はサッカーを選ぶつもりでいた。
……のだが。
「は?野球?」
「人が足らなくてさ。お前、背が高いだろ。一塁でボール捕るだけでいいからさ」
あぁ、漫画やアニメみたいな常套句、本当にあるのな――。と俺は内心あきれ返っていた。
体育の授業の球技は選択制だった。サッカーと野球、どちらか選べというものだったが、サッカーは人数が欠けてもなんとかなるが野球は9人いないとポジションが埋まらないのだという。
サッカーのことをなんだと思ってるんだこいつらは。という気持ちもあったが――
「分かった。ボール捕るだけでいいんだな」
サッカーのグラウンドに対して、野球のグラウンドは狭い。足は速かったけれど、この狭いグラウンドでは俺の身体は少し、もてあましそうな気がした。
外野、というポジションならともかく、外野はボールを遠くまで投げないといけない。あの距離から思いきり正確にボールを投げることは、俺にはあまり自信がなかった。
たかが体育の授業でそこまでヒートアップする必要性も感じなかったが、中学生というものはこういう授業ごときでもその日その日のテンションや自尊心に大きくかかわるらしく、三振しようものなら『何やってんだよ!』と打順を待ってる奴らから罵声が飛び交っていた。
別に、特別サッカーが高貴な球技だとは俺は思わないし、アイスホッケーだって俺からして見たら野蛮で暴力的で、血気盛んな奴が合法的に暴力を振るうためのスポーツだと思っていた。この野球というスポーツもまた、意図的にボールをぶつけさえしなければ大体のことは許されてしまっているイメージのあるスポーツだったから、待ち時間の長さやプレー一つ一つが人間の野蛮な性格を随分とむき出しにかかる、馬鹿のやる荒っぽい球技に思えた。
グラブを見よう見まねでなんとなく構えて、一塁でそのボールを待つ。
キンッ、と甲高い音を立てて放たれたボールは外へと逃げていく。慌てて三塁が掴んでこっちに放たれたボールは高く逸れたけれど、俺の身長くらいであればかかとを伸ばせば余裕を持って捕れそうだった。
「おおっ」
敵味方問わず、たったこれだけのことで歓声が沸いた。まるで、最初から期待されてないやつがドッヂボールで相手のボールを捕ったときのような、なんだか馬鹿にされてる気分だった。たかがボールを捕ったくらいで歓声なんて上げてしまうほどの情緒が、俺には羨ましく思った。
「お前、一塁のセンスあるよ。今度野球部に見学に連れてってやるよ」
二塁を守っていたやつが突然駆け寄ってそう声をかけてくる。
ヘディングを空振り、ゲラゲラと大声があがるサッカーのグラウンドが、ものすごく遠くに感じた。