夜遅く、しばらくぶりに帰ってきた海に華耶はマッサージをしていた。肩が随分とこっているようで、普段使わない力みがあるのか、足も疲れているようだった。
「海くん。あたし明日、休みとったんだ」
「そう」
「晴留は友達の家でテスト勉強会やるから泊まりで」
「友達?男じゃないだろうな」
「海くん。晴留もそこまで無防備じゃないよ。来年中3にもなろうとしてるんだから。咲ちゃん家で、咲ちゃんと弥生ちゃんと三人でテスト勉強しながら女子会するんだって」
「なんだ、そのサキちゃんてのとヤヨイちゃんてのは。俺の知らない登場人物ばかりが出てきたよ」
「今のクラスで仲良くなった子と、小学校の頃から付き合いがあった子。海くん、家にあんまりいないんだからしょうがないよ。友達の名前知らなくたって、無理ないよ」
「……それも、そうだね」
「……で、新はクラブの打ち上げの後、同じように孝之くん家で4人くらいで集まって、映画見たりゲームしたりするとかって」
「そのタカユキってのは……クラスメートだったか」
「サッカークラブのチームメイト」
「……ああ、そうだった……かな」
自分の知らない人物が次々出てくることに、海は語気を弱めた。うつぶせになったままの海がどんな表情をしてるかなど、華耶には容易に想像ができた。
そうなることを分かっていてこんな話題を振ってしまった自分が嫌になる――そう華耶は思った。
「まあ、二人のことはどうでもいいんだ」
「どうでもよくないよ。二人も泊まりなんて。挨拶はしたの?」
「当たり前じゃない。ちゃんとあたしが二人のご両親にちゃんとよろしく伝えておいたからその辺は心配しないで」
「……そっか」
「てなことで、明日は美樹叔母さんとその息子夫婦が、真結たちを連れてUCJに行って、そのまま泊まることになったから」
「てなことで、って」
海は内心、新が明日家を空けるというからそれに合わせて晴留が家を同じように空け――何かと都合をつけて真結たちも明日は家を留守にするよう、家の中で話をうまいことつけたのだろうなと確信していた。
新が先に家を空けると言い出したのか、それとも、華耶のほうから新に家を空けるからと言い出したのか――その順番や、そもそも家族総出で家を空けるようになったきっかけなどはどうでもよかったが、華耶が自分と二人の時間を設けたかったからこんなことをしたのだろうということは、間違いないだろうと思っていた。
「あたしたちも、どっか出かけようよ。ちょうど、二人きりだし」
「ちょうど、ねぇ」
「うん。ちょうど」
白々しいな――と思いながらも海は華耶にそう言うことはよしておいた。華耶なりに二人の時間を作りたくて企んだことが容易に想像できるから、それを無碍にするようなことはしたくなかったからだ。
「……言いたいことがあるなら、今言えばいいじゃないか。え……何?俺……何か気に障るようなことでもしたかな?」
……それでも、華耶の口からしばらくの間、なかなか話題を切り出さないことに痺れを切らした海はうつむいたまま華耶に少しだけ文句を言った。
「……あ、別にこう……そういうことじゃないんだ。……ほんとに、そういうことじゃないの。……たださ、二人でゆっくり過ごしたかったんだ。二人でゆっくり過ごしたいっていうか何っていうか……いや、まあ、ぶっちゃけちゃうとさ……二人でどこか出かけたかったんだ。ううん――二人"だけで"、どこか出かけたかったんだ」
「そっか」
「……夜遅いから、その話はまた明日、ね?」
「華耶」
マッサージを終わらせ、腕を離した華耶。その瞬間海はぐるり、と仰向けになってから背中を起こし――
「華耶が隣で寝てくれないと寝つきが悪いんだよ。早く隣に来てくれないか」
不満そうに海はそう言いながら、再びベッドに身体を委ねた。
マッサージなんかよりももっと優先すべきことがあったな――と華耶は苦笑しながら、布団にもぐりこんだ。
海は到底子供たちの前では見せられないような速さで華耶にぴたりと抱きつき、顔をうずめた。
「なんか私が枕にされてるような気分でちょっと嫌だなあ」
「華耶が二人きりじゃないと話せない話があるように、俺は……二人きりのときだけはこうしていたいんだよ。シーズン始まったらまたこんな感じじゃいられなくなっちゃうからね」
「いくつになっても甘えん坊さんなんだから」
「そうさせたのは華耶のせいだろ」
「それは、まぁ……うん」
そう言われると華耶は悪い気がしなかった。
こうして言いくるめられてしまうのも、まだ大学に入学したくらいの頃――付き合い始めた頃からずっとだ。それでも、今の海にはもっと甘えさせてやってもいいくらいだ――という思いが華耶の中にはあった。
全てのロケが平等に放映されるとは限らないから、ひょっとしたら無駄になったロケだってあるかもしれない。お蔵入りになったまま放送されないままでいる映像だって世の中には山ほどある。
この数週間、海が不本意ながら出演・収録した番組ばかりだ。その間、海は家に帰りたくても東京からしばらく帰れなかった上に、出演した番組でだって野球のことなんか半ばどうでもよいような扱いをされたり――あるいはその野球のことさえもイジられて帰ってきた海の心境を考えると、多少きつく顔をうずめられたり、細い両腕を背中に回されることくらい、どうでもよかった。
翌日、昼前には子供たち全員が出かけて行くのを全て見送った後、海はそそくさと着替え――しばらくリビングでぼうっとしていた。
しばらくして自らも出かける準備ができた華耶が海のもとにやってくる。
「どしたの?」
「……いやさ。あと何年かしたら、こうして土曜の朝に全員を見送ったりすることなんかもなくなるのかなって」
「晴留や新が仮に何年か後に家を出たとしても、柊理はまだ2歳だし。家から皆がいなくなるのはまだずっと先のことだよ」
「だとしても……」
理想の父親どころか、最低限の父親にすらになれずにいる――そのことにもどかしさを感じている海の手を華耶は握った。
「あたしが長野から出ることを覚悟したように、皆どこかでね、家を出る決意をしなきゃいけないときが来るの。海くんはそのときまで――海くんらしくいればいいんだよ。それだけのこと」
海は納得したような、しきれないような――どっちつかずの表情をしていたが、華耶は海の手を引いて
「さ、行こう」
とガレージへと向かった。
「天保山のほうにあとで行こうかって思ってるんだ」
「何?また観覧車乗ろうとしてるの?」
「あたしたち、恋人だった頃は遊園地なんて行く暇なかったからさ。そういう空間にはやっぱ憧れちゃうんだよね」
「じゃあ何?華耶もUCJ……なんだっけ、ユニなんとかセンタージャパンだったか。あそこに行きたがってるの?」
「目と鼻の先だけどまあ……あそこ、観覧車ないし」
「ないんだ」
「そもそも、海くんがああいう場所あんま好きそうじゃないし」
「何があるのか分からないような場所だからね。今あそこ何があるの?あのいっぱい火が出る奴だっけ?」
「それ、去年なくなったよ。今はダフィー・ホーナーとかやってるよ」
「ダフィー・ホーナーねぇ」
天保山に行く、と言っていた華耶は車を高速道路へと向かわせ、京都方面へと快調に車を走らせていた。小型のスポーツカーは小気味いいエンジン音を鳴らし続けている。
「方向音痴にでもなったのか」
「今から天保山向かうんじゃ、ちょっと早すぎるからさ」
「じゃあ、京都に何か用でもあるの」
「正直言って、別にあたしも京都で何か見たいものが特別ある、とかじゃないよ」
「そうなの」
「そう。ただ、海くんとこうして一緒に居たかっただけ。ゆっくり話でもしながらさ。でも、せっかくの休みなのに家に居続けてるのも気分が晴れないだろうと思って。……まあ、それだけじゃないよ」
「それだけじゃない?」
「……考えてみてよ。お昼前に家から皆出て行っちゃって、明日の昼くらいまで帰ってこないんだよ?あたしたち、そんな状態で家に居続けたらたぶん――」
「ちょっと待ってくれよ。俺がその気になってるかどうかは別だろ」
「その時はあたしがその気にさせるもん」
そう言って、華耶は本当に文字通りただひたすら車を走らせながら、たまにはこんなのもいいだろう、とラジオをうっすらとかけた。別にラジオで何か聞きたいわけでもなかったし、音楽が必要だったわけではない。二人がいい感じで話し続けている話題が途切れるのが怖かったのだ。
〈――ここでなぞなぞ!刺さっても痛くないヤリって、なーんだ?〉
「ヤリイカだろ」
「ヤリイカはほら、昔刑事ドラマで凶器に使われてたから」
「どんなドラマだよ。ヤリイカが刺さるかよ、人間に」
「そのまさか。冷凍ヤリイカが本当に凶器だったんだよ」
「どう凶器にするんだよ。え?何?本当に刺すの?」
「刺すの」
「……そのドラマ本当に視聴率取れてんのか?」
「超人気の刑事ドラマだよ。海くんが知らないだけで。もう何シーズン目だっけ?25……26だったかな?かなり初期の話だけどね。料理に出されたイカの味がなんだかおかしい!ってなって気づくの」
「ふうん」
海はあまり興味なさそうに、仮に25、6年やってるドラマだというのに自分が一回も見たことがないドラマなんだとしたら、よほど自分にとって興味がないドラマか、よほど自分がたまたま見てないドラマだったかのどちらかだな――と思った。
〈――答えは、おもいやり!でした!皆も思いやりを大事にしてね!〉
「何言ってるんだよこいつ。思いやりは刺さると痛いこと知らない生ぬるい人生を生きてきた奴だな、きっと」
「たかだかラジオのなぞなぞにそんな罵声を投げかけなくてもいいじゃん。ヤリイカは冷凍したら刺さるけど、思いやりはどうやっても刺さらないんだよ、物理的に」
「刺さるんだよ。華耶が自覚したことないだけで」
リスナーからのしょうもないメールへのツッコミだとか、流れた曲のサビでちょうどCMが流れ始めるラジオあるあるに愕然としてみたりだとかしながら――新が最近サッカーでの活躍が目覚しく、後のU-15日本代表候補とも言われているほどサッカーで頭角を表し始めているということ――クラブチームからの誘いも少なくないということ――晴留に自分の大学卒業アルバムを見せたら、晴留も啓皇に進学したいと言い出し始めたこと――直人が最近、英語の歌をピアノで弾き語りながら歌い始めるようになったこと――。
自分では家にいないながらにそれなりに知っていたつもりでも、知らなかった子供たちの話を海は華耶から聞かされていた。
普段、海とはそれなりに話してきたつもりではあったけれど、海の心配をするあまり、家で何が起きたかなどもそう言えば言いそびれていたことなんかが話し始めれば沢山あるもので――華耶はしばらくの間、海が家を離れている間、あるいは、家には居たけれど疲れている海に向かってあえて時間を割いて言うほどでもなかったような話題を次々話し始めた。
「そりゃ、俺の知らない登場人物なんかが沢山出てくるわけだ」
「……ごめんね。隠してるつもりじゃなかったんだけど」
「分かってるよ」
「だから……ほら、あのこないだのテレビの収録も辛い思いさせたみたいで、ほんと申し訳ないっていうか」
「なんかあったっけ」
「ほら、長野の」
「ああ……」
〈――お送りしたのはシンガーソングライター・Na0tomoのデビューシングル『二極性青春』でした。続いてのリクエストは、Na0tomoのバックで演奏しているリストライネン兄弟がかつて所属していたThe Xの1stアルバム「Hunting Time」より、「Take a flag」――〉
〈――ラジオ大喜利。『本当にあったまぁまぁ怖い話』。何があった?――〉
「えー、なんで局変えるかなぁ?」
「自分の曲がドライブ中に聞こえてたら興ざめするだろ」
「……まぁ、いいけど。あたしは好きなんだけどなあ、海くんの曲」
思わぬ形で話を遮られた華耶は、もう一度その話をするかどうか迷った。一方で海は思わぬところでリストライネン兄弟という言葉を久々に聞き、落ち着かない様子を見せていた。
「……あいつら、頑張ってるみたいだよな。出す曲今のところ全部ヒットしてさ。ついこないだまでは、一緒に音楽やってたのに、今や売れっ子アイドルの後ろで演奏してるイケメン兄弟だ」
遠い目をしながら物思いにふけ始めた海に、華耶は「それでさ、こないだのテレビの話なんだけど……」と話を逸らそうとした。海ももともとの話題を思い出したようで「ああ、悪いね」と言って、腕を組んだ。
「アレだろ。長野の実家に戻ったときについでに行ってきたんだろ?あのペンション。俺はゲームの舞台だって言われても知らなかったけど、そんなに行ってみたかったんだ?あそこ」
「うん」
「どういうゲームなの」
「主人公の山路明透【やまじ・あきと】がヒロインの影山美法【かげやま・みのり】と一緒にスキーに行って」
「うん」
「ヒロインにストックで刺されて死んじゃったり、推理の仕方がまずくて犯人でもなんでもない人にナイフで刺されて死んじゃったたり、あと……お米に埋もれて死んじゃったり」
「……は?」
「米に埋もれるの」
「あれか、いわゆるバカゲーってやつか?」
「本格ミステリーだよ」
「……本格?」
「うん。割と。あたしたちの世代じゃ結構流行ったゲームなんだよ。海くんは海外にいたから、知らないかもしれないけど」
海はそれ以上ゲームの内容について追求しないでおいた。
大きな大きな観覧車が併設されているショッピングモールであれこれと衣服を選んだり、3階の食品サンプル体験コーナーで華耶と一緒に食品サンプルを作ったりしている間に、12月の空は駆け足で黒く染まっていく。透き通った黒という、いびつで矛盾しながらも――冬の夜空は澄んでいて、夜景だけでなく星もいくらかきらめいているのが分かる。
「お前、夜に観覧車乗るの好きだよな」
「密室だし、外からも暗くて誰にも見られないからね」
「何しようとしてるんだよ」
つつきあいながら二人は観覧車に乗り込む。
華耶は海の隣に座り、海の肩にしばらく頭を預けていたが――すっ、と何かを決心したようにして、腰をくるりと回転させて海へ向き合う形でじっと見つめた。
「ね、海くん。左手、差し出して」
「何でまた」
「いいから」
海は渋々、左手を差し出した。籍をいれてからはずっとつけ続けている指輪。練習中や試合中はさすがに外していたが、試合が終わって着替えるとすぐに付け直し――野球選手として支障のない時間帯は、できる限りつけ続けてきた指輪だ。
華耶は海の左手の薬指にそっと手を伸ばし、その指輪を――抜いた。
「……冗談きついぞ、華耶」
海は華耶を不安げな表情で見つめた。
「ううん。違うの。……海くん、落ち着いて聞いて。別にあたしたち、別れようとかそういう話じゃないから――最後まで聞いて」
華耶はそう言いながら、自分の結婚指輪をも外し――海の目をじっと見つめて――華耶もまた、不安そうな表情でしばらく黙っていたが、再び深呼吸したあと、口を開いた。
「あたし、海くんには――随分重い約束をしちゃったと思ってる。だから、あたしが海くんにした約束、ちょっと変えようと思うんだ。……もちろん、あたしが今更今から言うこと言ったって――海くんにはもう、どうしようもないだろうし、今更海くんの考えなんて変えられないことだって、分かってる。でも――今の海くんには、あたしから直接言ってあげないといけない言葉だと思うから――」
そう言うと、華耶はバッグから指輪のケースを取り出し――新たな結婚指輪を取り出した。
「……これからはあたしのためにじゃなくて、自分のために――戦って。今更そんなこと言われても話かもしれないけどさ。でも……あたしが本当に見たかった景色、なんてぼんやりした言葉のために、海くんがこれ以上傷つくのは見てられないんだ。だから――あたしとの約束なんかより……もっと自分のために戦って。あたしから言い出した結婚の条件を今になって変えるなんて卑怯だ、なんて思うかもしれない。でも――あたしなりに、この指輪を見るたびにあたしとの約束を思い出してしまうなら――プロポーズをやり直させて欲しいんだ。……あたしの旦那として――自分のために、最後まで戦い続けて、って――」
ゆっくりと左手の薬指に吸い込まれていく新たな指輪を、海はじっと見つめながら――
「……ああ。卑怯だね。……最悪だよ。本当に――本当に、最低だよ。……15年遅かったよ」
と海は苦笑してみせた。
「今までも俺は――華耶との約束を果たすために頑張ってきた。でもそれは――常に俺自身のためでもあった。俺が俺であるためにやってきたことだった。たまに華耶との約束を途中で投げ出して、華耶とずっと二人で暮らすんだ――って思いたくなることだって今まで沢山あったよ。でも、華耶があんな真剣な顔で俺に約束してって言ったからやってこれたんだよ、ここまで。……こんな歳になってから、自分のために戦え、なんてさ。これが華耶じゃなかったら、怒ってたよ、俺は」
華耶は海の言葉を沈痛な面持ちで受け止め続けていた。瞳に涙をためながら、ここで泣いてしまったら負けだと思い――海の言葉をひとつひとつ胸に刻み続けた。
「……言っておくけど、俺はやめないよ。俺は、俺のためにこれまでも戦ってきたんだ。これからもそうするつもりだ。この戦いをやめはしないよ。俺が俺であるために――華耶との最初の約束だって、守り続ける。華耶の気持ちを無碍にはしないし、心には留めておくけど……それでも、俺なりにケジメをつけたいんだ。華耶に出会ってなかったら、華耶と結婚してなかったら、俺はきっと、今以上に俺を堕落させてただろうから」
「海くん……」
ごめんね、という言葉は、喉にひっかかって華耶の口からはっきりと出ることはできなかった。
「でも――」
膝のあたりでぎゅっと手のひらを閉じている華耶の顔をやさしくつかんで、海は顔を上げさせた。しまったもう一つの指輪を華耶からもう一度とって、外した指輪を付け直した指輪の上にはめた。
「……努力はするよ。……努力したところで、きっと出来ないと思うけど。俺のために、こんな安くもない買い物してくれたんだろ。俺に……多分、本気で俺に怒られる覚悟で今日、ここに居たんだろ。そのくらい分かるよ。だから――今更そんなこと言ったって、って言うのは――約束を変えて欲しいっていう、華耶のその言葉もそうだけど――」
華耶の腰を引き寄せ、海は震える華耶をぎゅっと抱きしめた。
「今更こんなことで華耶に愛想を尽かす男と思われるのも、正直言って……心外だな。指輪なんて、形の問題じゃないか。俺は俺のやり方で、華耶との約束を果たす。華耶の思いにも――両方答える。それでいいだろ」
「……怒ってよ。これじゃなんだか……あたしが惨めじゃない……っ――あたし、海くんのおねーさんなのにさ……ずるいよ、そんなの……」
海の優しい罵声が、華耶の心を締め付けた。できるものならば、もっと激しく罵られ――こんなものなど、と指輪を雑に扱ってもらえるなら、そうでもしてほしかった。
海が素直に『ああそうですか』と認める性格ではないとは思ってはいたが、これほど自分のわがままを受け入れてくれるとは思って居なかったものだから――安易に自分勝手な約束などするものではない――と華耶はかつての自分の言葉を激しく悔やんだ。あの日に戻れるならば、せめて、もっと海に優しい約束をかわしてやるのに――と、今にも泣きそうな気分だった。
きっと海は最後まで自分の約束を果たそうとするだろう。少しくらいは自分のためにという言葉を胸には秘めてくれるだろうけれど、最後まで自分との約束のために命を削り続けるだろう。
全てが終わったとき、自分は一体どれほどの愛情表現でこの男を迎えるべきか――と華耶は思った。
ただ、ひたすら今は泣きじゃくって「ごめんね……」と謝ることしかできなかった。どれほど海が自分をきつく激しく求めたとしても、もっと傷つけて欲しいと嘆願することでしか――今夜を越えられる見通しが今の華耶にはなかった。