海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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106・始まる者、終わる者、変わらない者、変われない者

前期混合戦が終わり、今年も早いものでカレンダーは6月へ突入していた。

天気予報では今年もゲリラ豪雨がどうだの、先の3ヶ月予報では夏の気温がどうだの――どのみち暑くなることからは逃れられないのだが、なんとかして暑さから気を紛らわそうとするニュースか、あるいはすぐに異常気象だのなんだのとそれを煽るニュースばかりがダラダラと流されている。

ジェネルは張りのある胸を大きく反らすようにしながら大きく背伸びをし――記者から送ってもらった昨日の写真をニヤニヤと眺めていた。

「……そう。ここから始まるんだから、私は」

 

エンペラーズ主催の試合でありながら、本拠地としている文京ドームがこの日は他のイベントで使えないということから、もともとはプロ招致もしていた大型球場・神戸ブルースタジアムで開催された昨晩の試合。

そこには、もはやどちらがビジターか分からないほどの多くのチーターズファンが駆けつけ、熱い応援合戦が行われた。

 

ヒーローインタビューも、異例のビジター側2名という編成で行われた昨日の試合――そのお立ち台に立っていたのはジェネルと海の二人だった。

 

絶対に海がいる間に優勝や日本一に導いてみせる――

 

そうタンカを切ったジェネルだったが、いざ一緒にヒーローインタビューを受けると、浮かれずにはいられなかった。

すぐ隣に、自分がずっと憧れていた男が立っている。一緒の舞台で戦っているだけではなく、その男と一緒にこの試合のMVPとして共にインタビューを受けている――。

それはありとあらゆる何よりも、自分が海を日本一に導くための階段を上っている実感が湧いてきたし、自分が口だけではなく、しっかり海と同等の存在であることを世間にアピールすることができる――。

 

「5回、満塁のチャンスでやや低めに入った初球のストレート――これをあえてコンパクトに振りにいきましたね。これには何か意図があったのでしょうか」

「はい。犠牲フライという手もあったんですが、海さんだったらどういうバッティングをするだろうなと考えて、センター前にしっかり打ち返すことを考えました。バッテリーもそう簡単に犠牲フライは打たせてくれないだろうと思ってましたし。満足のいく一打でした!」

自信に満ちた笑顔で、ジェネルはそのインタビューに応じていた。ヒーローインタビューに立つのは初めてではなかったが、海とこうして一緒に並んで立っていたのは初めてだったこともあり、ジェネルは普段よりも興奮した様子でやや食い気味に司会の言葉を受けていた。

 

「佳井選手を目標に、という衝撃の入団会見から数年経ちました。今季、再びレギュラーを奪取したわけですが、手ごたえはどうでしょうか。佳井選手と一緒にプレーしているということが、ジェネル選手のプレーにも相乗効果を生んでいるのでしょうか?」

「はい!なんたってモチベーションがダンチですからね。私が頑張って海さんを胴上げしてあげられる日がきたらいいなと思っています。もちろん、そのためには私はまだまだもっと頑張らないといけないと思ってます。15年の月日を埋めるのは簡単なことではありませんが、全力で追いつきたいです!ファンの皆さんにも、口だけじゃなくてしっかりプレーで流れを呼べる女だということを積極的にアピールしていきたいですね」

「お見事な同点タイムリーでした。ジェネル選手、ありがとうございました。では、続けて佳井選手。見事な2点勝ち越しタイムリーでしたね」

 

自信満々に語った後、マイクが海に向けられると自分がインタビューを受けていたときよりもひときわ大きい歓声が湧き上がる。

 

ジェネルはそこに少しばかり寂しさを感じたが、それと同時に、やはりこの男にかかった期待の大きさは相当なものなのだ――と思った。いつか自分がこの男に追いつき、この男ほどの歓声を浴びることができたらという思いと――自分とこの男とが一緒に宙を舞うことができたら――改めてそう強く思った。

 

「まぁ……あそこで打てなかったら投手に申し訳ないので。試合後にジェネルにああでもないこうでもないと言われるのも癪だったので、少しでも甘く入ったストレートを叩こうと思いました。外野も内野も深めに守ってたので、不用意に高く打ち上げる打球を意識しすぎることはやめておきました」

「ここのところ2番でメキメキと頭角を現しているジェネル選手に影響されているところもあるのではないですか」

「……」

海はそんな司会を少しだけ睨みながら、球場に漂う少しばかりの笑い声を一蹴するかのように――

 

「ジェネルが女だからとか、ジェネルが僕を意識してくれているだとか、色々皆さんが憶測したいところはあるんでしょうけども、僕にとってはそういうのは特にないです。皆さんもなんとなく分かってると思いますけど、こういうのってあくまでそういう"路線"でやってることですからね。コントのお約束みたいなもんですよ。それに、僕はあくまでも僕の仕事をすることが役目なので。球場に来てるお客さんだって、別に僕がジェネルに絡まれてるのを見るために試合見に来てるわけじゃあないでしょう。今日も明日も、仮にジェネルがスタメンにいようが、いまいが、僕は僕の野球を続けていきます」

と鋭い言葉をもって答えた。球場には笑い声が溢れ、海は早く野球のことを話してくれないかな――というような素振りで、少し苛立った様子を見せた。

 

試合後、海はジェネルの部屋を訪ねていた。

珍しいこともあるものだ、とジェネルは意外に思ったが、それが今日の試合のことが理由なのではないかという想像はできた。

 

「一応、寝る前にちゃんと言っておかないと、お前、勘違いしたままズルズルいきそうだからな」

「なんですか?ご褒美ですか?」

わざとらしく唇を指差しながら唇を突き出して見せたジェネルの額を海は小突いた。

 

「そういうところがあるから、寝る前にお前に会っておこうと思ったんだよ。お前、今日のいいイメージだけ都合よく切り取ってたら絶対この後躓くぞ」

ひどく現実的で、突き放すような言葉。それ自体はいつもどおりのことなのだが、まさか今日のようなヒットを打った後でも海が険しい表情で自分のもとに小言を言うとは思っていなかったから、ジェネルは思わずむくれっ面をした。

 

「試合を動かしたヒットのことくらい、ちょっといいイメージのままでいたってバチあたらないじゃないですかー。悪いイメージをずっと引きずってるよりも、いい打球のイメージを持ってたほうが、絶対いいはずです」

カメラが回ってないときくらいもうちょっと素直に褒めてくれてもいいじゃないか――とジェネルは不満そうにしながら、ジェネルは海に反論したが海はぴしゃりとその意見を一刀両断した。

 

「今のお前にはそれが危険なんだよ。お前、レギュラー奪ったばかりだろ。レギュラーに返り咲いた後なんかはいいイメージでなんとか頭を埋めようとするけど、前にも言ったように、野球ってのは……4割打っても、残りの6割は凡退してるんだよ。その6割の中にどれだけ多くの試合を落としたか分からない。今、お前確か打率が3割に届くかどうかだったか。その3割の中に今日みたいないいヒットがこれまでもあったかもしれないし、きっとこれからもなんとなくで打ち続けるだろうけど、落とした7割の中に、今日みたいに打たなきゃいけなかった場面がどれほどあるか――そこはもうちょっと考えておいたほうがいい。今はそれでいいかもしれないけど、俺がいなくなったら今度は、お前が俺の立場になるかもしれないんだ。そのときにお前が今日みたいな場面で打てなかったら、お前だって俺みたいにボロクソ言われるんだからな」

海は腕を組んだままジェネルを見下ろす。ジェネルはむくれっ面のままその言葉を聞いていたが、海の言葉を聞き終えたジェネルは笑顔を向けた。

 

「心配、してくれてるんですね」

海は海なりに本気で心配して言っているつもりだったのだが、ジェネルはそれどころではないようで、どこか浮ついた様子の笑顔を向けていた。呆れたやつだ――と、海はどうせ今日はこれ以上言っても何も響かないだろうから、深追いすることをやめた。

 

「お前が俺ほどのプレッシャーをかけられたとき、お前がお前でいられるかどうかちょっと不安に思ったもんでね」

「それは……」

ジェネルは海からの心配に、自分の脈が普段より速くなっていることを感じた。

 

一人の野球人として心配されているはずなのに、こんなとき一人の"男"としてジェネルは海を見てしまう――たぶん、海にはそういった部分含めて今の自分が危ないことを指摘されているのだろう。

それは分かっているのだが、ヒーローインタビューに選ばれてからというものの、ジェネルはずっと体が火照ってどうしようもなかった。

 

「と……とにかく、私なら大丈夫ですから。いいイメージだけ都合よく切り取ってヤなこと忘れることだって大事なメンタルケアです。私は、海さんみたいにひとつの失敗をウジウジしない性格なので」

「……お前、明日にまでその浮かれきった気持ちをなんとかしないと調子崩すぞ。黙ってようと思ってたけど、ちょっとその浮つき具合、ダメだぞ。これからも俺の前でしっかり打ってくれるんだろ、お前。そんなんじゃ、俺の前も後ろも任せられないよ。しっかり寝て、頭冷やすんだぞ」

海はもう一度ジェネルに向かって釘を刺し、もう何も言うまいといった態度でジェネルに背を向け、部屋から出て行った。

 

「……誰のせいでこんなことになってると思ってるんですか~~……っ」

海は打算で女性に優しい言葉をかけられるタイプではない。きっと本心――それも、無意識に自分に対して投げかけた言葉なのだろう。

 

去り際に言った、『俺の前でしっかり打ってくれるんだろ』という、自分へのうっすらとした信頼。

自分はその信頼に応えなければならない。当然、自分が海を日本一へと導くつもりで野球をしているのだから、それに応えるのは当たり前のことだ。

だが、それと同時にどうしてもジェネルは海を一人の男として諦めきれない。奪ってやろうというつもりではなく――永遠の片思いとして自分はずっとあの男を意識し続けるだろう。

 

それがよくないことだとは分かってはいるのだが、自分の中の女が野球人としての自分と並存していることがどうしても足を引っ張る。

それがジェネルの中でひとつの原動力にもなっているのだから困ったものだ。

これほど動機が不純な野球選手がいてたまるか――という自虐をした後、ジェネルはユニットバスへと体を沈めた。

 

結局、一晩寝たところでジェネルは海への強い憧れを昇華しきることができなかった。まだ若干夢見心地で、海の夢まで久々に見た。

 

今日も試合を頑張ろうという気持ちは何よりも前向きにそこに存在しているのだが、海のために試合を頑張るという気持ちが強まれば強まるほど、海への思いも強まってしまった。

時計は朝5時半を示している。朝食の準備もまだできていないし、テレビだってどこもかしこも朝から憂鬱になるような国際情勢だとか不祥事だとかを取り上げたニュースばかりで、BSだってこの時間帯はわざわざじっくり見るほどの番組が放送されているわけではない。

 

エアコンをかけたまま寝るには少し早すぎる時期だからと服も着ずに寝ていたジェネルは、鏡に映った自分の姿を見てまだ少し顔が赤いことに気づき――どうせ7時くらいにならなければ食堂に行っても誰もいないのだから、ともう一度布団にもぐりこんだ。

 

「……いいですよね、佳井さんは。慕ってくれる後輩とかがいて」

「俺が慕われてるんじゃない。アイツが勝手に慕ってきてるだけだ」

「……いるに越したことはないじゃないですか。俺なんか、誰も寄ってこないですよ」

海は田中と朝食をとりながら、昨日のジェネルの件を田中に軽く茶化されていた。

 

「そう思うなら、何か慕われるようなことをしてみたらいいじゃないか。そこで初めて気づくと思うぞ、慕ってきていることと一方的な片思いとは別物だ、っていうことに。お前も片思いのひとつでもされてみたらいい」

「……俺は、結婚もまだですし、彼女なんかもまだですから、どんな形であれ、片思いされたらそのときはもう結婚するくらいのつもりでいますよ」

「ファンとかから手紙なんかは送られてきたりしないのか」

「……『地味だけど頑張ってる姿に励まされてます』って、サラリーマンからよく。握手会とかも大体、社会に疲れたような中年の男性ばっかり。営業職とか、中間職とか、公務員の人がよく来ますよ。子供なんかは滅多に来ないです」

「…………そのうちいい話のひとつでもくるよ、きっと」

海はいい言葉を返せずに気まずい表情をしながらサーモンのサラダを頬張った。

 

「……その点、佳井さんはいいですよね。奥さんとは運命的な出会いをした、って言うじゃないですか。……俺にも、何か運命的な出会いなんかあればよかったんですけどね。シノ、男の割に綺麗な顔してたじゃないですか。佳井さんも美形ですけど、犬塚のそれって、どこか時代劇じみているというか……性別の壁を越えたような綺麗さがあるじゃないですか」

「まあ、その辺は俺にはよく分からないけど」

「佳井さんとジェネルの関係を見た後なんかは、シノが女だったらよかったのにな、なんてこと、よく考えてしまってましたよ」

「……?」

海はなんとなく言葉に引っかかり、田中も海が感じ取った違和感に気づいたのか――

 

「違います違います、そういう意味で言ったんじゃなくて。シノみたいな境遇で女の子と一緒に野球やってたなら、って話です。別に俺がシノをそういう目で見てるってことじゃなくて、シノがあれで女だったらドラマの一つでも起きただろうになって話であって、別にシノそのものに何かそういう感情を抱いているわけではないです俺は」

「……そうだよな、そういうことだよな?」

海は田中がこれ以上喋れば喋るほどおかしなことを言いそうだったので、少しあたふたしている田中をよそに水をいったん口に含み――

 

「……まぁ、今は晩婚だ晩婚だって言われてるから、ここからだろ。合コンとかにでも行ってみたらどうだ」

「……合コンは僕らみたいな仕事だと行きづらいじゃないですか。まさか合コンに行って、自己紹介に野球選手ですとか言います?言わないでしょう。相手の素性だって分からないのに」

「まぁ、そりゃそうだけどさ」

「なんかうちの中堅とか若手は普通にそういうのやってると思いますけど、迂闊ですよ」

「そう考えると、清兵衛は飛田とか行くときにどんな感じだったんだろうな。俺、野球選手だけど、みたいなことわざわざ言ったもんかな」

「あの人はあの人ですよ。どこまでいっても」

それもそうだ、と田中の言葉を聞いて海は頷いた。

 

「……それに、俺たちもうすぐ38になるんですよ。今から結婚なんかしても、子供が成人する頃には60です。そこまで生きてられるかどうか……なんてこととか、子供が成人するまで一体どれほどのお金を稼げられるかだとか、考えちゃうんですよ。別にお金に困ってるわけでもないし、俺はそんなに散財するタイプでもないからいいですけど……」

考えてみたら、田中の趣味というものを海はよく知らない。高そうなヘッドフォンを新調した、というのを清兵衛づてに教えられたことはあったが、どんな音楽を聴くのかとかだって分からない――。

 

「佳井さんとこの一番上の子、今いくつでしたっけ」

「え?ああ……」

海を現実に戻すようにして田中から質問を振られたので、海は少し驚いた様子を見せた。話半分で聞いていたから、少し返事に時間をかけ――

 

「晴留が……高校に入学したから、16……違うな、早生まれだから15歳か。一番下の柊理が4歳だったはず」

「えっ、晴留ちゃん、もう高校生になったんですか」

「早いものでね。春から寮生活だよ」

「……ああ、啓皇に進学したんでしたっけ。すごいですね。……ええ……?だとしたらですよ、一番上の子が成人する頃にはまだ40ちょっとなわけじゃないですか」

「割と早いうちに結婚しちゃったし、結婚してすぐに子供もできたからね」

「なんだかそれ考えたら、俺が焦って結婚して子供作ってなんて……そこまでする必要あるのかなとか思っちゃいますよ。今更俺に寄ってくる女なんて、野球選手である俺に興味がある人間ばかりでしょう」

「……」

 

確かに、たまたま華耶という全てを受け入れてくれる女を妻に迎え……迎え、というよりは自分から華耶のほうに婿入りした海からしてみると、普通の恋愛だとか、普通の家庭環境というものはあまり想像ができるものではなかった。

言い寄ってくる女性がハニートラップだとか、あるいは、野球選手という身分だけで結婚したがる人間が出てくることだっておかしくない。

 

「でも」

海は早めにこの話題を終わらせるために大胆な思考で話し始めた。

「お前だって、あわよくばグラビアアイドルだとか、女優だとか……綺麗な女性と結婚できたらとか思ったりもするんだろ」

「……俺は別に……俺を好きになってくれる人なら、誰でも」

「……何だかんだ言って、綺麗な女性を求めてしまうもんだよ、俺たちみたいな人間は。俺は……華耶が綺麗なままでいてくれてるからずっと華耶にベタついてるところも、たぶんあると思うから」

「……子沢山ですもんね」

「それにしても、ジェネルのやつ、寝坊かな。アイツ、昨日あんだけ調子に乗るなって言ったのに、まだ浮かれているのか」

海は別に嫌味で言ったわけではない田中の言葉がなんとなく嫌味に聞こえ、話題を摩り替えようとした。

息を上げながらジェネルは食堂のドアを開け、そそくさと海のもとへトレーを持ってやってきた。

 

「おはようございます、海さん――」

 

隣にいる自分のことを軽くスルーされた田中は、何かの間違いでジェネルが自分にも片思いをしはじめないか――などと想像し、むなしくなったのでそれもやめた。

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