「……そんなに興味あるもんですか、たかが持ち物に」
「そら、ありますよ。持ち物ひとつでその人がわかりますから。それに、荒屋選手はなんたってドラフト1位ですから。悪く思わんでください」
「別に俺はここでは1番で選ばれたかもしれないですけど、ドラフト1位が必ずしもチームや球界で1番になるわけでもないじゃないですか。俺のことをそうやって特別扱いしないで、他の同期もちゃんと同じように扱うって約束してください。いつか俺以上に活躍したとき、もっと撮っておけばよかったって思わないようにも」
「はい、はい」
本当に人の話を聞いているのか分からないようなそぶりで記者数名が寮にカメラを回したり、その様子をメモしている。その中には球団広報も混じっている。
「広報の人もいるんですよね。約束してください。野球は別に俺一人でやるスポーツじゃないんで」
「分かってますよ。記者にはちゃんとこっちからも念を押すので」
本当にわかってるのかよ、と海は広報の少し適当そうな表情を見てイラついたが、相手にするだけ無駄だと思い放っておいた。
パソコンとギター、それにエフェクター。持ち運びの楽な小型アンプにヘッドフォン。そして、パソコンにつなぐためのオーディオインターフェース。
そうしたものに混じって、記者団からは大学受験の過去問が存在感を放っているように見えた。
「へぇ、過去問ですか?」
なぜ今整理したばかりのものを勝手に本棚から取り出して中身を見始めるんだ、と海は記者団を睨んだ。「すみません、あんまり触らないでもらえますか」と海は強めの声をかけ、記者団から返されたその本を再び本棚へと戻した。
「いつまでも野球が出来るわけじゃないので。いつ何があってもいいように、しばらくは勉強も続けようと思っています。出番の保障がされてるわけじゃありませんからね」
「はぁ~」
わざとらしい関心の仕方をしながら記者は海の言葉にメモを続けていく。
よほど何かがない限りは3年は寮にいろ、という球団の方針。それは、ドラフト1位指名された海も例外ではなかった。
はじめのうちは、別に川口のあの実家から出られればどこでもいいなんて思っていたのだが、なんだか監視されているような閉鎖的な空気は、それはそれで海には少し窮屈だった。
華耶は寮で生活しているというが、大学の寮はどんなものなのだろう。和気藹々としているのだろうか――。
入寮したばかりでまだ自分が場慣れしていないからなんとなく空気が硬いように感じるだけで、実際は溶け込めばそうでもないのだろうか――などとは思っていたが、しっかり勉強してさえいれば4年間は在籍できる大学なんかと違って、自分はこれからは職業として野球をする以上、いつまで球団に居られるかだって分からない。
プロでの結果がどうであれ、3年経ったらいつ自分の身に何があってもいいように、すぐにでも寮から出ようと海は決意していた。少なくとも、この8畳の空間は長身の海にとっては――まして、これまでは広々とした一戸建てに住んでいた海にとっては狭すぎた。
「ところでギターも上手だそうで。YoureTUNEに投稿した文化祭の動画、随分再生回数が伸びてたらしいやないですか。荒屋選手にとってギターは大事な存在なんですか?」
実のところ、プロ入りする直前に海は倉庫代わりにと都内の安いマンションを契約し、家から出る際に処分しきれなかったものはいくらか倉庫に保管していた。
エフェクターはこの狭い室内の中で場所をとらないためになるべくコンパクトなタイプのマルチエフェクターを買い、相棒のSGも、突然部屋に上がりこんだチームメイトや、こうした記者団なんかに何をされるか分からない以上は寮に持ち運びたくなかったので、新たにモッキンバードを買い入寮した。
全てを投げ出したくなったとき、荷物が多くては想いに引きずられる――そう思った海は、できるだけ愛用品は持ち込まないようにした。パソコンだって家を出る際にパソコンショップでカスタムしてもらった、ついこないだまで電源すら入れてなかった新品だ。
新品のギター、新品のエフェクター、新品のパソコン――そして新品の寝具。使用感がまるでない部屋がそこには広がっていた。
「ええ。せっかくなんで、必要なものは片っ端から新調しました」
「思い切りましたね」
「心機一転、って言うでしょう。環境が変わるときは、前の環境を思い出さないようにしたいんですよ」
半分ほどの嘘をそうして言い続けながら、海はその場をやり過ごした。
はぁ、と深い、不快そうなため息を吐きながら海は硬そうなベッドに倒れこんだ。ショッピングモールで買った、少し値の張ったオーダーメイドの枕だけが心地よく、アンバランスだった。
自分が寮を出るのが先か、トレードで出されるのが先か――3年後、どうにかして寮から出て行ったとして、そこから何年この世界でやれるものか――。
強い不安もあったし、その不安に縛られて日々を過ごしていてはあっという間に年をとるから、しばらくは常に明日の行方は何個か考えておかなければならないな、と海は思った。
華耶から託された想いを果たさないつもりはなかったが、人間の一生というものはそこまで甘く、希望に満ち足りたものではない。
誰もが想いを果たせたら、少なくとも世の中はもう少し明るいし、悲しいニュースだって連日世間を騒がせたりなんかしないだろう。まして、自分のような人間や、母親のような人間だって世界は生みださないだろう。
だからこそ、華耶への想いにどのようにして応えるべきなのか――海はしばらく考えていた。
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「1位?またまた、冗談を」
「冗談言ってるような顔に見えるかい?」
「どうとも言えないですね」
「すぐ記者会見やるから。いいかい、これはドッキリじゃないからね」
青天の霹靂、という言葉を一生のうちでこの先あと何度使うことだろう――海はこの日、ドラフト指名を受け慌しく記者会見の準備をすることとなった。
上位指名くらいはされるのではないか、なんて報道もところどころあった中で、いわゆる『外れ1位』とやらで海は兵庫チーターズに指名された。
話が来ていた球団は他にもあったのだが、さすがにどこも1位指名は考えていなかったのだろう。ドラフト会議の会場では大きくザワついたのだと海はコーチから教えられた。
早速、白地に黒い縦じま模様が伝統として受け継がれているユニフォームを掲げた写真なんかを撮られることになった。
ああ、本当に指名されたんだな……というくらいのつもりで海は記者会見に挑んだ。
『甲子園10割男という異名がありますが』なんてしょうもない質問には「でも春のセンバツを合わせると10割ではないので。本拠地が甲子園であるチーターズに指名されてしまったので、できれば早めにその10割男ということは忘れてもらえるとプレッシャーがなくていいです」と素直に答えた。
結局のところ、自分は最後の夏の甲子園で記録した『10割打者』ということと、出生の話題性で選ばれたようなものだろう、と海は思っていた。
別にドラフトの順位というものに海はこだわりを持っていなかったが、どれだけ言葉を飾っても、プロスポーツというものは興行だ。話題性のひとつくらいないと、収入につながらない。
だから、外れ1位という本来獲りたかった選手が獲れなかった状況だったから、思い切って話題性に舵を切って自分を選んだようにしか海は思っていなかった。
きっとこれから、自分は芸人みたいな扱いを受けるのだろうな――と思うと、海はうんざりした。何しろ、ただでさえドラフト1位というプレッシャーや社会の目のある立場だというのに、よりにもよって過激なファンがたびたび悪いニュースで取り上げられるようなチームに自分は選ばれてしまった――。
これが華耶の立ちたかった舞台なのか?と思うと、疑問符が浮かんだが、瞬時に『でも華耶ならきっとこんな質問くらいなんてことなく答えてしまうんだろうな』という想像でかき消された。
天性の明るさというものは、羨ましいものだ。
身体能力や身長なんかより、こうした場面で平然と嘘や建前を笑顔で乗り切ることが出来るような才能か、華耶のように雑味のないまっすぐな明るい性格が備わっていれば、どれほど楽だっただろう――海は心底華耶が羨ましくてたまらなかった。
「この喜びを誰に伝えたいですか」
続けて繰り出された、そのありきたりな質問に海は結局言葉を用意できなかった。
フラッシュライトが焚かれる中、海はしばらく黙った。感極まったものかと勝手に取材陣が思ったのか、そのフラッシュはさらに勢いを増した。
海は強いまなざしを取材陣に向け、言い放った。
「家を出て行ってしまった母親がこれを見てていてくれればそれでいいですし、今は見てなくても……そのうち風のうわさで自分がプロの世界で頑張ってることが伝われば、それでいいです」
「お父様には何かありませんか?」
「特に」
特に、という言葉は決してウケ狙いで放った言葉ではないし、カメラが回っている以上、それ以上の言葉を使うことはできなかった。
会場には失笑と苦笑の嵐が渦巻いたが、その瞳の奥で父親に対する激しい憎悪が眠っている事は、きっとこの場にいる誰もが知らないことだろう。
海は激しく炊かれるフラッシュに少し目を細めながら、早く次の質問が来ないかどうか――あるいは、もう十分自分をおもちゃにしたのであればとっとと帰して欲しい――そう思いながら窮屈そうに椅子に座っていた。
ドラフト指名されてからはしばらく忙しい日々が続いた。契約の話だとか、入寮はいつになるかだとか、キャンプインの話だとか――プロ志望届は出したものの、その後、特段プロの世界がどういったものなのか自分からは特に調べようとしなかった海は、球団職員から高校生活が見た目以上に早く終わることを告げられ、覚えることが想像以上にたくさんあって面倒に思った。
なんだか、突然日々が窮屈になっていくように感じた海だったが、別に球団のために生きるのではなく、華耶の想いに応えるために生きるのだ――と割り切ると、今までどおり自分は自分のペースで生きればいいだけのことだと思うようにした。
少しやることや、ちょっと今までよりも守らなければいけないものが増えるだけであって、それは就職しても進学しても――仮に自分がサッカーや音楽の道に進めたとしてもどのみち起きていたことなのだ。
それが普通の生き方より少し早くやってきて、普通の生き方をしている人間よりも少しだけ多いだけの話だ――。
強いて言うなら――
「あーあ、あと2ヶ月3ヶ月ちょっとで遠距離恋愛になっちゃうんだなあ」
髪を後ろで丸く束ねながら華耶がそう呟く。
「遠距離ったって、新幹線で何時間かくらいの距離だろ」
バスローブをラフに羽織りながら海がそう言うと、華耶は不満そうに海を指差した。
「分かってないなー。海くん。分かってないのだよ、君は。今までは電車で1時間だったのが、飛行機で1時間の距離になるんだよ。新幹線なら……何時間だろう。4時間かかるかどうかかな?とにかく、週末簡単に会える距離じゃなくなっちゃったってのは、あたしにとっては大きいことなのだよ」
「誰もが在京チームに入団できるわけじゃないからね。そりゃあ、俺だって在京チームに入団したかったよ。聞くと、埼玉や千葉あたりも俺を指名するつもりだったらしいじゃないか。1位なんて大げさなことしてくれちゃってさ。……で、俺が北海道とか福岡とかに指名されちゃってたら、お前どうなっちゃうんだよ」
「やだそんなこと考えたくない」
巻き気味に華耶がそう言って海の腕に抱きつき、すりすりと左腕を両腕でさすって甘え始めた。海はそれを少し鬱陶しそうな目でそっと振り払い、ソファに乱雑に座って足を組んだ。
「大体、通話ならPOSkyやBINEだってあるわけだろ。俺が華耶の言うようにプロ目指した時点でいずれはこういうことになるのは分かってたんだから、そこは割り切れよ」
「そりゃあそうなんだけどさぁ。一緒に着いていけたらどれほどいいかなってやっぱ思うよ」
「まぁ、そこはおねーさんらしくうまく気持ちを切り替えてくれよ」
「なーんか海くんがあんまり寂しそうじゃないのが嫌だなー」
華耶がむくれっ顔で海の腕に再び擦り寄って膝元に足を密着させる。
海は二度目はさらに鬱陶しそうな表情で華耶を見つめながら、はぁとため息をついた。
「寂しいか寂しくないかっつったら寂しいよ、そりゃあ。おまけに俺んとこ、3年は寮から出られないらしいし。1年目は仕方ないとしてもさ、プロに入ったらもっとすんなり好きなとこ住めるもんだと思ってた」
海もまた、華耶と距離が開くことには素直に寂しさを感じていた。電話やツールは距離を感じさせない手段ではあるが、物理的な距離は、近くて遠いというその距離感をよりいっそう引き立てるものだ。
「一軍で早くその姿見たいなー。せめて、テレビにさえ映っててくれれば少しは気が紛れると思うけど」
「まぁ、華耶の願いはそこにあるだろうしね」
「それもそうだし、一人のオトコとしてもだよ。海くんが思ってるよりもあたしのその辺の感情は複雑なのだよ」
「あぁ、そう」
ふーん、と興味なさそうにして海はソファに座り込んだ。
「どっかのマンション契約しないとな。もうじきここからも出ないといけなくなる。いけなくなる、っていうより、自分から出て行くんだけどさ。寮に、家のもの全部持っていけるわけじゃないし……帰る場所がないってことは、せっかく東京に戻ってきても華耶とこうしていられる場所がないってわけだし」
「なるほど」
「やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないこと、たくさんあるな」
はぁ、とため息をつく海。
「一軍定着のことだって考えないといけないしね」
「それは、俺が考えることじゃないよ。俺がどんだけ頑張ろうが、何しようが、上が勝手に考えることだ」
「そこはもっと貪欲に考えようよ。ずっとレギュラーだったから海くんそういうのまだ分からないんだよ。競う相手が自分よりも優れてるときの絶望ったらないんだよ、本当に。自分は自分だから、がいつか通じなくなる日だって来るんだから」
「まぁ、一応覚えておくよ」
華耶の言う言葉は当人が味わった経験からくるものだから、一応、とは言いつつも、海は決して流し聞きはせず、しっかりと心の奥底に留めておいた。
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『彼の身体能力の高さはトリプルスリーだって狙えるものだと思っています。守備位置も一塁にとどまらず二塁や三塁のコンバート……なんなら、外野の適正がありそうならその方向も積極的に考えていきます』
上がそう言っていた言葉に、海は何やら自分を乱されそうな気がしていた。
華耶はポジションをそうしてたらいまわしにされているうちにおかしくなったと言っていた。自分はまっすぐ走る分の足は速いが、ベースランニングは相変わらず体の大きさや歩幅の大きさが災いして、その速さをどうしても持て余してしまっていた。
盗塁だってこれまではあまり意識したことがなかったから、プロになって突然積極的に走れと言われても、盗塁だって守備と同じく基本的に100%を求められるからあまり海は好まなかった。
華耶のように、自分にないものを突然求められたとき、自分は一体自分で居られるのだろうか――まして、華耶が近くにいない環境下で――そう考えると、海はついこの間まで自分の両手を握っていた小さな手が少しだけ恋しくなった。