翌日、晴留を文京ドームへと送り届け、英語で『スポーツ観戦者に求められること』というものをテーマにした立派なスピーチを現地で聞いた海。
一部の暴徒化したスポーツファンによる過激な選手への当たりだとか、過激化したサッカーファン同士による現地でのトラブル、度を越した横断幕――野球ファンの替え歌問題に、投手交代時の煽り、現地でのトラブル――。
スポーツ選手を親に持つ晴留だからこそ、いわゆるカスハラ等、各種ハラスメントが横行し、社会問題となっている時代でありながら、芸能人やスポーツ選手には『矢面に立つ仕事というのはそういうものだから』という理由でどれほどの罵声を浴びせることも厭わない人物が少なくないことに対して、自分の親兄弟が公衆の面前で大声で罵倒されることに対してあなた方は耐えられるか――というところに切り込んでいった内容だった。
スピーチの大体の内容は、武蔵小山のアパートに到着してからある程度は晴留の練習に付き合ってやっていたから大体分かっていた海だったが――
《――テレビに映っていないところで父はファンから厳しさを通り越した言葉や行動にぶちあたったことが何度もあると私は母から聞いたことがありますし、私もまた、そうしたものをネットで実際に見聞きし、父が顔も知らない人物に度を越した批難をされていることが存在していることを痛感しました》
《――芸能人、クリエイター、スポーツ選手、政治家。それらの仕事に対して、常に公に晒されている仕事をしているから仕方がないとよく話す人も居ます。それに耐えられない者はそもそも仕事に向いていないと話す者もいます。ですが、公の場である公園をあなたたちはすすんで破壊しますか。役所に行って、廊下にゴミを撒き散らして帰りますか。公衆トイレを破壊して帰りますか。公民館の備品を盗んで帰りますか。帰りませんよね。これは、公の場にある秩序や倫理観、道徳観を我々がちゃんと持っているからです。同じように、公の世界に生きる者もまた、モノではありません。スポーツという、世界を繋ぐものだからこそ、そのプレーヤー一人ひとりに敬意を払うべきだと、私は、一人のスポーツファンとして、そして――父をプレーヤーに持つ一人の娘として強く主張します――》
晴留のまっすぐな瞳のまま主張されたその言葉。これを世界中にばら撒いて、二度と暴力的なファンが球場に来られないような仕組みでも作ってやりたい――と海は思った。
ドームに詰め掛けた、たった代表の両親やお偉方くらいにしか伝わることのない晴留のスピーチ。海は誇らしくも思った一方で、こんな狭い世界でしかその言葉を持ち帰っていく人物が居ないことへの虚しさの両方を抱えて、晴留を寮へと送ったあとは再び大阪へと車を走らせた。
晴留が居ない分、帰りの休憩時間は少なかったし、特段パーキングエリアに長く立ち寄って長々とお土産を買ったり食事をする――なんてことはしなかったから行きの間の時間よりも早く家に着いたものの、帰りは随分と長い道のりのように感じられた。
一人で過ごす時間のほうが気楽だったはずなのに、今や、自分は一人で過ごすには時間を持て余してしまう。
もちろん、一人のほうが気楽であるには変わりないはずなのだが――隣にやかましい人間がいることにあまりに慣れすぎてしまったこれまでの生活は、自分の心を随分と蝕んでいってしまったように海には感じられた。
蝕んだ、という言い方をするには、あまりに自分の身近に居る多くの人間に対して失礼なのだが――日本に移り住んだばかりの頃は、これからは一人で生きようとしていた海にとって、身近な人間というものの存在はあまりに大きすぎた。
華耶と出会いさえしなかったら、きっと海外で生活するための手段を一切選ばず、とにかくよりよい自分の人生のために――自分らしく生きるために、行動し続けてきただろう海。あの頃描いていたどんな自分よりもきっと今の自分のほうが総合的な観点でみれば幸せなのだろうけれど、それはずいぶん自分を弱くさせてしまったものだと海は思った。
『何が海くんにとって幸せなのかは、あたしはまだ――手探りなんだ。海くんのことは、世界中の誰よりも愛してあげられる自信はあるし、海くんを本当の意味で幸せにしてあげられるのもきっとあたしだけだと思ってる』
『……だからこそ、海くんの幸せってなんだろうっていうのは――ずっと、ずーっと、一生考えていきたい。野球選手としての荒屋海には、あたしの荷物を預けてしまったけど……一人の人間としての荒屋海には、たくさん甘えさせてあげたいし、海くんからいつか野球という枷が外れたときも――ずっと愛していきたいと思ってる』
『あんなお父さんよりも、ずっと、ずーーっと、幸せな家庭をさ……築きたいんだよね。たくさんの子供に囲まれてさ――そんな楽なもんじゃないって分かってるけどさ、なんかこう……昔めっちゃ流行ったアメリカのホームドラマみたいなさ、たくさんの子供に囲まれて賑やかでさ……ああいう家庭を築きたいんだ』
今なお、今の自分にとって『本当の幸せ』が何なのかは、分からない。きっと、これからも分からないままだろう。
本当に自分は野球を続けるべきだったのか――どんな手を使ってでも大阪から出て野球することを選ぶべきだったのか、そもそも、あんな監督や世間、この環境を見返すためにこうして戦い続けることが正解だったのかも分からないし、この戦いから降りた自分が本当の意味での幸せをつかめたかどうかだって、分からない。
考えれば考えるほど、自分の人生というものは失敗続きだし、選ぶべきではない道を選び続けている気がしてならない。
ただひとつ言えるのは、自分と結婚する前に言っていたことを華耶は全て実行しているということだ。華耶はプロポーズの内容や自分に対して言った言葉の無責任さを責め苦しんだが、海にしてみれば華耶は立派にもほどがある。何をそう自分を責めることがあるのか、海には分からない。
この国では華耶のような人間を『愛が重い』と言うらしい。
華耶は何もかも尽くしてくれたし、自分のためにならどんな手を使うことも惜しまなかった。ただひたすらに自分のために尽くしてきてくれた華耶の思いに応えようと、海もまた、自分に出来ることならば大体のことはしてきたつもりだが、手を尽くせば尽くすほど自分の無力さに打ちひしがれた日々を過ごしてきた。
このシーズンオフの間に木村と食事をする機会があったのだが、木村からは『先輩も大概、愛が重いですからねそれ』と言われてしまった。
期待に応えようとするのは当たり前のことではないかと言い返したのだが――
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「――だって、奥さんが別にみっともない先輩でもかまわない、って言ってくれてるんですよね。それは先輩が勝手に自分のハードルを上げて自爆してるだけでは」
「だからって、夫としていつまでもみっともないままでいられないだろ」
「それは先輩が自分を責めすぎなんですよ。先輩が自分に厳しすぎるんです。他の人から見たら全然みっともなくなんかないのに」
「でも事実、大事な試合は――」
海がなかなか意見を素直に受け入れてくれないので、木村は海を無視して言葉を遮った。
「そもそも。世界一にもなった、タイトルだってたくさん獲った。先輩からしてみたら感覚が麻痺してるかもしれませんけど、先輩がレギュラーに返り咲いてからは打率だってずっと球界トップクラスのままです。今の時代のトップクラスどころか、歴代トップクラスと言ってもいいです。そんな先輩の活躍なんて見てたら、奥さんからしたら十分すぎるでしょう。先輩は俺なんかよりずっと深いところで理解してると思いますし、わざわざ俺が先輩に言うまでもないことかもしれませんけど、日本一だとか、優勝なんてのは、野球っていうスポーツやってる以上、先輩一人じゃ獲れないんですよ」
木村は黙って話を聞いている海を見続けながら、いったん水を口に含んで言葉を続けた。
「先輩が大事な試合で打てなかった、って言うのは分かりますよ。じゃあ逆に聞きますけど、先輩が打ったからなんとか勝てたような試合が、先輩が見てて引くくらい打ち始めるようになったこの何年かの間にどれほどあったか覚えてますか?先輩はそういう、よかった部分をきっと忘れてしまう性格だから思い出せないでしょうけど、先輩のイメージの倍ですまないくらいはそんな試合、たくさんありますからね。一体何回、こっちが用意してた新聞の見出し記事を先輩の一打のせいでチャラにされたと思ってるんですか」
「……」
「それに大体、逆に普段の試合全然打たないくせに、肝心な試合だけ打ってちょっと自分がヒーローになった気分でいられるほうが、気分悪くないですか。不良がちょっとゴミ拾っただけでちやほやされるアレと同じですよ。俺は気分悪いですね、そういうの。先輩だって、そういうのには不満を感じるタイプでしょう」
「……それは、まあ」
「奥さんの愛が重いのはまあ、否定はしません。そのくらい尽くされてはみたいですけどね、俺も。でも、それに応えようとする先輩もまた、十分すぎるほど愛が重いですよ。きっと先輩がそうして思うようにいかない姿を家で見せてるから、奥さん、余計に愛が重くなってるんだと思うんです。奥さんの愛を重くさせてるのは、先輩のせいみたいなとこ、ぶっちゃけ結構あると思いますよ。先輩がまだ足りない、まだ足りない、って悩むから、奥さんだって自分の愛がまだ足りないからだ、ってなるんです。共依存の悪いスパイラル入っちゃってると思うんですよ。聞けば聞くほど羨ましいですけどね」
「……だからって、いまさら自分に甘くはなれないだろ。こんな大事な時期に」
海の言葉に木村はうーんと腕を組み、唇を尖らせて唸った。数秒黙って、舌打ちをしたあと木村は海を見つめた。
「大事な時期、大事な時期、って先輩言いますけど――自分のことも大事にしないと、本当に大事な時期に先輩が試合に出られないなんて事態になっても、俺は知りませんからね。先輩が思ってるほど、常時フル稼働出来てる選手なんてそんなに居ないんですよ。先輩、覚えてるでしょう。清兵衛さんがキャリア後半、コンディション調整で年に1、2度くらい欠場期間がありがちだったこと」
清兵衛のコンディション調整――成績が下降線に入ってくる前も、清兵衛は30代に入ったことから年に何度か欠場することがあった。身体の不調を訴える前から、ひょっとしたら清兵衛は身体に違和感を感じていたのかもしれない。だからこそ、清兵衛は自分に早いうちから優勝したいと言っていたことだって、今となっては考えられる。
ただ、今そんなことを振り返ったところで清兵衛が帰ってくるわけでもないのだ。海は清兵衛の名前を気安く出すんじゃない――と木村を睨み、首を振った。
「だからこそなんだよ。……とっとと、その"大事な時期"を終わらせたいんだよ、俺は。華耶にだって、これ以上心配かけたくない」
「二人とも愛ゆえに、ですか。……羨ましいですね」
木村は海の言葉を嫌味なく純粋にそう思った。愛の重さはもっと軽いほうが気楽だろうけれど、そこまで愛を重くさせるほどの二人の関係がただただ羨ましかった。
なかなかプライベートがうまく行っていない木村は、自分にもそうした関係がどこかで生まれないだろうかと思っていた。
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結局、自分の中でいつ区切りをつけるべきなのかも、分からないままだ。
華耶はきっと口では今のままで幸せ、なんて言うと思うが――その本心は絶対に日本一のトロフィーを持って帰ってきてほしい、というのは今でも変わらないだろうと海は思っている。
思っている、というのは、本人から本心を聞かないとどうしようもないのだけれど、きっと華耶は気を遣って言葉を濁すに決まっているから、海自身、トロフィーを持って帰ってきて欲しいと華耶は思い続けている――と無理矢理にでもそう思っていなければいけなかった。
そうでもしなければ、先の見えない状況で、身体を休ませることもなくひたすらに野球を続けるモチベーションを保つことが、今の海には厳しくなっていた。
当たり前のように海が毎年のように4割前後、あるいは4割弱を打ち続けることが常識になってしまっていて、それに対抗するようにリーグでは数名、その打率を猛追し、負けじと対抗してくる。
その多くは極端にバットを短く持って、地面に叩きつけるようなゴロを打って脚力で打率を稼ぐタイプがほとんどで、ごく一部に全く守備のことをアテにされてなく、ただただ打撃のことだけ考えていればいいとされているような、実質指名打者のような扱いをされているような打者がいるくらいだ。
自分と同じようなバッティングができる打者というものは、今のところジェネルが一番近いのかもしれない。
ジェネルと自分とでは細分化するとジャンルが違う打者ではあるが、それでも、ひょっとしたらジェネルが自分に近いものを身に着けるかもしれない。ここ数年の練習を見ていると、そんな気配が海にはしていた。
それでも、実際にシーズンが始まってみないと分からないのが難しいところだ。練習で調子がよくても、練習ではどれほど技術を身につけたプレーができても、試合ではなかなかそれらを発揮できない――というパターンは、この世界では珍しくないからだ。
自分は4割20本を達成してなお、周囲からは『あの足をもっと生かせば史上最強級の選手だろうに』などと、未だに自分に盗塁を期待する声や――今でも、まっすぐ走るだけならば足はそれなりに速いものだから『打ってからの走り出しやベースランニングをもっと修正すれば5割も夢ではないのでは』などと勝手なことをいう、声を伴った雑音が、日曜朝のくだらないワイドショーでの野球コーナーだとか、平日夜のスポーツコーナーだとかで球界OBだとか野球評論家どもだとか、youreTUNEあたりで自称野球評論家を語っている実際のところは単なる一般人あたりから挙がっていた。
月間MVPのみならず年間MVPを何度獲得しようが、そんな声は止まなかった。これほど打ってなお、これほど勝利に導いてなお、『甲子園10割打者』だとか『トリプルスリーをも期待されていた逸材』だとかというレッテルが、自分を素直に褒める風潮を殺していた。未だに『もしもっと早くショート佳井というものを今より高いレベルで完成させられていたならば、日本球界は先20年は明るかったはず』だとかも言われている。
仮に自分が大振りをし、無理にでも足を飛ばし、トリプルスリーを達成した世界線があったならばきっとそれはそれで『トリプルスリーは通過点、トリプルフォーを目指すべき』などと言われていただろう。
いったいどこの世の中に、4割40本を打ってながらも文句を言われる野球選手がいるだろう。
――いや、いてはならないのだ。
下手に夢を見せた者に対して、世間は冷たい。夢のその先を勝手に押し付けてくるし、その夢が終わりに近づいてくると今度は勝手に祭り上げておいて、その神輿を地面に叩きつけ、唾を吐き『失望した』だのと言いはじめる。人間の欲には終わりがないから、どこかで何かを理想の完成形としなければ、第二第三の佳井海というものが生まれてしまう。それは誰のためにもならないのだ。
その点、ジェネルは足の速さは球界平均くらいなこともあり、盗塁を期待されないものだからきっと楽だろう。
もちろん、期待をされなくなる、というのは、それはそれで悲しいことだし、期待されなくなった瞬間がきっとプロとしての終わりなのだと思う。
過剰な期待をするなというよりは、勝手な幻想を抱いておいて、それが叶わないからと勝手に幻滅したり落胆したり失望するのをしないでほしい――というのが海の本心だった。
だから、すっぱり優勝して、日本一になって、自分に対して人々が幻想を抱いてるうちに引退して――余生というにはまだ早すぎるかもしれないが、ゆっくりとした人生を早く海は送りたかった。
いつまでも見た目だけは若いままだが、中身までは若いままで居られない上に、チームだって補強策が未だにうまく行ってない状況だ。人々が本当の意味で自分に幻滅し始める日は、そう遠くないような気が海にはしてならなかった。
チームに合流した海は、オープン戦の終盤、何試合か打席にこそ立ったが、積極的にそのボールを振ろうとはしなかった。
カウントを追い込まれてからようやくバットを振り、わざと実践で追い込まれてからどう振るべきかだとか、そもそも初球から積極的に振るべきなのか――開幕までのわずかな試合で調整を図るために、同じくして開幕に向けて調整をしている一軍級投手の球をよく見ることにした。
決して怪我が怖いからではない。
相手投手もそんな海の考えを分かってか、手の内までは明かすまいと、わざとゆるい球を投げ、海に対して勝負に出ない者もいた。
今のうちに出鼻をくじこうと、わざと背中や足首なんかを狙って投げてくる者もいた。
それでも、置かれているランナーなどの状況によっては今年の進退をかけて勝負に出ざるを得ないこともあったから、一部の投手はしっかりと投げ込んできた。そんな投手に対して、海は容赦なく一打を狙っていった。
今年も各チーム、シフトは内・外野ともに深めだ。簡単に打たせてくれるような布陣ではない。変に打球の癖を読まれては困るので、ややフルスイング気味にボールを叩きにいって、手の内を明かされないようにした。
開幕を前に――やはり、去年ほどどこか逆方向の引っ張りにキレがないことを不安視しながら、海はそうして結果で相手も味方も黙らせようとした。
「……開幕投手は任せられないどころか、今年は裏ローテだそうですよ、俺」
田中が沈んだ表情で肉を焼いていた。厚切りのタンを3枚箸でつかみ――それを一気には食べなかった。
「……佳井さん、家にいる間、野球のニュースなんか見なかったでしょう」
「当たり前だろ。父親に帰れ、って命令でオープン戦外されたんだから、そのとおり父親で居続けた。もとから、よそのチームのこととか興味ないのもそうだけどさ」
「……俺ね、オープン戦ちょっと……駄目だったんですよ」
「駄目って、どう」
海はなかなか食べようとしない田中をよそに、ステーキほどの厚さほどに切ってもらった厚切りのタンを口に頬張った。
店主に厚切りのタンを頼んでいるうちに、いつしか裏メニューとして採用されるようになったこのタンステーキを田中は今日は食べず、普通のサイズの厚切りのタンを食べるにとどまっていた。
「……ドルフィンズの2軍中心のメンバー相手に4回から登板して、2回と1/3を7失点」
「まぁ、そんな日もあるだろ。まだ寒いから、肩だって仕上がってないんだよ」
「……そのあと同じく主力温存気味のコンドルス戦で先発して、1回と2/3を6失点」
「……その他はどうだったんだよ」
田中は首を振った。たまたま悪かった試合をピックアップしただけだろう、と海は思っていたが、どうやら本当に思わしくない結果だったようだ。普段からずっと顔が青白いと言うのは本人に対して失礼だろうけれど、それにしてもいつもに増して顔が青白い。
「……ここ2年、開幕投手を外様のFA投手たちに譲ってきました。俺なりに、4年守ってきた開幕投手だし……そして、ローテの頭です。どれほど地味だの、頼りないだの、不甲斐ないだの、顔が薄いだの、金髪が似合ってないだの、苗字が地味だの、投げる球も地味だの、子供受けしないだの言われてきても、俺なりに頑張ってきたつもりです。それがいきなり、裏ローテですよ。……彼女ができてからたるんでると思われたなら、仕方がないことですけど……それでも、俺なりに調整を工夫して、なんとかしようとしたんです。でも……」
「できなかった、か」
田中は海の言葉に黙って頷いた。無言がかえって、痛かった。
「……かつてないほどに、先発は今充実していると思います。きっと今季――うちらは何年か前以来のビッグチャンスをつかんでいる、そんな気がします。そりゃあ、うちらが充実してるときは大体、よそはうちらよりもっと充実してるとはいえ……何年か前の優勝を狙えるチャンスの時にはなかった、投手の厚みがあります。打線があの時ほど派手じゃなくても、きっと、今年はチャンスがあるはずです。でも、周りを見れば見るほど――俺、本当はそもそも……表ローテの器なんじゃなかったんじゃないかなって思うようになって……」
「裏ローテでも、1回からマウンドに上がることはできるだろ」
「でも俺は――」
海は肉を裏返しながら、田中の顔も見ずに言った。
「昔うちにいたエースか、フロントか、メディアかなんかにでも言われたのか。先発ローテの頭以外が最優秀勝率だの、最多勝利だの獲っても価値がない、みたいなことを」
「……」
「下らないな。お前、先発を任されなくなるのと、裏ローテに回るのとじゃあ、どっちが嫌なんだよ」
「……それは……」
田中は言いよどみ、次の言葉をうまく出せずにいた。海は知らん顔をしながら、肉を焼き続けた。
「ローテの格を落とされたかもしれないけど、お前、まだローテには居させてもらえるんだろ。投げさせてもらえてるだけ、いいじゃないか。突然試合の途中で出番を急に託されて、勝ってもそんなに感謝はされないくせに、負けたら負けたで文句言われて、おまけに先発が崩した試合の責任まで全部押し付けられるような身分は――お前が思ってるよりも、つらいぞ」
海は自分がレギュラー争いをしているときのことを思い出し、眉間にしわを寄せた。
「俺がお前の立場だったら、先発でいさせてもらえてるだけありがたいと思うよ。裏ローテだったとしても、ローテはローテだ。先発失格を言い渡されたわけじゃないからね。どれだけお前が頼りないと思われたとしても、それでもまだ試合の頭からお前を任せてもらえるんだから。俺が同じような状況で代打に回れなんて言われたら――今の監督はそんなに嫌味言わないだろうけど、むちゃくちゃな場面で試合を勝手に託されて、それでうまく行かないからって勝手に失望されるような日々がまた来るのは、二度とごめんだね。裏ローテなんて、贅沢な悩みだと思うよ、俺は」
と、田中の顔を見ないまま海は延々肉を食べ続けた。
田中は黙ったまま、少し自棄になったようで――ビールを頼み、一気飲みしてみせた。
しばらく言葉を発しないまま、そうして、悔しそうにしながらも――気持ちをこらえるようにしながら、再びタンを3枚ほど箸でつかみ、それを一気に頬張った。