《~~♪ 言葉が言葉を制圧するんだ――言葉が言葉を駆逐するんだ――》
「……くそっ」
思うようなリフが弾けず、前のめりに浮かんでくる言葉だけがそこにあって、イメージするようなメロディーにもなってくれない歌声が宙ぶらりんになる。
感情の行方をなんとか表現したくてもそれがままならず、思わず壁をギターで殴りつけそうになり、すんでのところで海はその腕をぴたりと止めた。
高いギターだからそれを止めたのでもなく、スタッフに後から咎められるからそれを止めたのではない。
自分の感情の代弁者であるギターを粗末にしようとしたことに気づいたから止めたのだ。
いつか売り払うかもしれないくらいのつもりで買ったものとはいえ、それなりに自分で選んで買った、サイケデリックな緑が輝くボディのモッキンバード。昔大人気だったという日本のバンドのギタリストが使っていたモデルの復刻版だ。
エフェクターやギターに当たり散らすのもよくないし、何よりそんなことをしたらもとのギタリストにも失礼だ――そう思っていても、海はこの感情をどうぶつけていいか苦悩し、ただマイクに向かって無を叫ぶことしかできなかった。
きょうの練習を終え、軽くシャワーで汗を流してから海は尼崎のスタジオに足を運び、鬱憤を晴らすようにギターをかき鳴らしていた。
いくら野球選手になったからと言って、街中で道行く人全員に声をかけられるわけではない。ドラフト1位になったからとはいっても、皆が皆野球に興味があるわけでもなければ、それなりに外国人の多い街だからか、まだ自分はこの街の中では"まあよくいるタイプの人間"でいられている。
とはいえ、入寮前に追加で数着買った伊達メガネのひとつをかけ、わざわざ街に出る用に、普段は滅多につけない固めのヘアワックスをつけ、普段とは違うやや強めの天然パーマ風にスタイリングもした。
海の中でのテレビやドラマ、アニメなんかで感じた強烈な偏見ではあるが、この地方の人々はとりわけ人のプライベートにズケズケと入り込んでは好き勝手言って去っていく――そんなイメージから、東京に居た頃よりもやや大げさに『プライベートの荒屋海』を表現していた。
そこまでしてでも街に出なければ、やってられない気分だった――。
入寮してすぐ、監督である前野【まえの】が直々に新人同士の練習の視察に来たときのことだった。
『そんなでかい体して一塁しか守れないとかじゃ困るンだわな。足が速いんなら、センターで右に左に走り回ってもらうことだって頭に入れてもらわないとアカンよ。それに、1位っちゅう格っちゅうもんがあるわな、そもそも。守ったことないから無理です、はこっちにしてみたら知らんから、開幕までに最低でも三塁くらいは守れるようにお前をマークさせてもらうわ。ガワだけ1位になって遊び呆けて、契約金持ち逃げするようなクソッタレをこれまでもぎょーさん見てきたからな』
別に、どこを守らされようが構わなかった。ただ、『1位という格』だの、『体がでかいくせに』だの――偏見で守備について口を出されるのが海にはひたすら苦痛で不快だった。
新人同士がメインとなる合同自主トレでも、海は前野からただただノックを受ける日々が続いた。他の選手よりも明らかに捕れないコースへの打球が多く、それは他のメンバーからして見たらただのいびり倒しだった。
『客がなあ、よう来んねん。お前目当てに。マスコミどもにとってもええネタにもなる。世間からドラフト1位様の実力やと注目されるんやから、お前にとっても悪い話やないやろ。どうせ、三塁コンバートがダメやったとしても、お前、一塁はしっかり守れんのやろ?こういうのはな、イジられてるうちが華やがな。お前、ありがたく思えよ』
単なる客寄せのためにやっているような言葉も前野は漏らした。三塁を守って欲しいのか、一塁を守って欲しいのか、分からなくなった。
三塁の練習そのものは、この頃はまだそんなに苦痛ではなかったが、本当に実戦で三塁として使うつもりがあるのかどうかも分からないような口ぶりで練習をさせられているのが、海にとっては極めて不快だった。
何かドラフト1位に恨みでもあるような、個人的な憂さ晴らしのために自分を使っているようなことに海は苛立ちを隠せなかったし、それに対して誰も何も言わないし、メディアだって当たり前のようにそれを否定的に捉えないことに、海は『うまいこと世の中は癒着と忖度でできているものだ』と反吐が出る思いになった。
ダメでも一塁は守れるんだろう、と前野は軽い気持ちで言ったのかもしれないが、華耶は守備位置を回している間に自分のプレーが分からなくなったと言う。自分がそうならない可能性は全く否定はできないのだ。監督の気分で、あちこち守備位置を変えられてなるものかと海は思っていた。
「ああ――」
滅多に三塁をめがけて送球することは実戦でもなかった海。まして、三塁から一塁に投げるのでは、また見える世界も距離感も違う。
去年、チームメイトだったショートが自分に向かっての送球が逸れやすいことについて海は華耶に得意げに話したが、『一塁へ向かうランナーを確実に刺さなくてはならない』ということは、タイミングがきわどければきわどいほど、想像以上にプレッシャーのかかるプレーだ。変にランナーに当ててもいけないし、ランナーと交錯するような場所に投げてもいけない――。
だからといって慎重にスローイングすると間に合わない――そう判断し、その大きな体格から勢いよく一塁めがけて投げた球は、かつてのショートを笑えないほど、一塁の横を大きく逸れていった。
「一塁が捕れる球投げんか、アホが!」
《お前らは標準語で喋れよ、アホが。日本語のできそこないみたいな言語使いやがって。何が関西弁だよ。ろくに標準語も話せない奴が日本人を名乗るなよ》
前野が打席からくどくどと怒鳴り散らしているが、海はその度にフィンランド語でボソボソと暴言を吐きながら、いまいち目的の見えない練習を続けた。
啓皇に居た頃は、コーチや顧問が『いまだに練習中に荒い言葉を話せば何とかなるやつがいると思ってるけど、そんなのは恫喝と変わらない。楽しくなければ野球じゃないんだよ。練習がきついのは仕方ないとしても、そのミスを怒鳴っていてはいけないし、僕らもそういうことは絶対にしない』と、部員の喧嘩を諌めたことがあった。
指導者というものは指導のために厳しい言葉を使うことがあっても、単なる暴言を吐くものではないという世界が海にとては当たり前だだったから、甲子園なんかでも相手の監督が身を乗り出して怒号を飛ばしてる姿を見て『あれは時代に置いてきぼりにされた、ごく一部のしょうもない世界だ』なんて海は思っていた。
今思い返すと、自分たちが居た世界がむしろよっぽどできすぎていて、むしろ自分たちが先進的すぎたのではないか――と海は思うようになった。
グラウンドにいる間はそれほど感情をあからさまに表に出すタイプではなかったし、表向きに他人と張り合ってどうにかなるものでもないと思っていたから、海はそうしてギターに感情をぶつけるしか行き場がなくなった。
毎晩華耶に連絡を取れればいいのかもしれないが、そんなわけにもいかない。まだ春季キャンプだって始まっていないのに、今から華耶に頼っているようでは、自分はそれこそ華耶の想いに応えられないし、華耶のやさしさに付け込んで甘えてしまうだけだと海は思ってしまっていた。
~~~
「『開幕一軍や荒屋頑張れや!オープン戦不調も奇策成功なるか』――ねぇ」
いついかなるときも贔屓目の強い関西圏のスポーツ新聞を見ながら華耶は思わず口を開いた。
「で?実際三塁はいけそうなの?」
〈……3割打てたら許してもらえそうかな〉
「……で、その3割は?」
〈打ちたいけど、打てるかどうかはまた別だろ。木製バットの感覚だってまだつかめてないのに〉
「そこはまあほらー、頑張ってよ。頑張ってよっていうか、頑張るよって言ってよー」
〈頑張るだけで結果が残せるなら、世の中もっと気楽だろ〉
オープン戦の前、華耶は通話でついつい報道されている三塁起用の件について口を出していた。
相変わらず遠距離の送球に不安が残るらしく、そこから守備の乱れが生じやすいのだと海は素直に打ち明けたが、華耶はいつもどおり励ました。励ますくらいのことしか自分にはできなかったからだ。
4月までは冬期休暇ということもあって講義もまだない上に、その間のゼミの研究課題なんかも既に終わらせてしまっていた華耶は、意気揚々と今季の開幕戦となる文京ドームへと向かっていた。
激しいチケット争奪戦となる開幕戦。まして、チーターズとエンペラーズといういわゆる『伝統の一戦』と言われる試合だ。会場の熱も随分と勢いづいている。
自分はこのファンたちのひたむきに応援する空気も、純粋に野球が好きで身に来ているものの空気も、球場そのものも好きだ――華耶はそう思いながら球場へと一歩一歩足を踏み込んでいく。
親に頼んで内野席のそれもだいぶ前――フェンスもないゾーンのチケットを仕入れてもらった華耶は、座席で渡されたヘルメットを被り、今か今かとその試合が始まる様子を待っていた。
5番サード荒屋――。
試合前に行われたスタメン発表のコールに、本当に三塁で使うのか――という思いと、開幕5番スタメンという事実とが入り混じったどよめきがビジター席から起きる。エンペラーズファンで詰め掛けた他の観客席からも意外に思ったような声が時折感じられた。
『あのさ、分かってると思うけどわざわざ俺のユニフォームだとか着て試合に来なくていいからね。いつまで所属できるか分からないんだからさ、無理してグッズとかも買わないで』
そういった海の言葉通り、今日華耶は私服で試合を見に来た。海にも見に来たという事実は伝えていない。
試合前の守備練習をしながら、三塁についた海はファールグラウンドの確認などをしながら、ぎこちない動きで一塁への距離感をはかっているようだった。
球場が変われば見える世界もまた違う。不安そうにしながら一塁へ何度かボールを投げ、その送球を確認する海。一度振り返り――高い金を出さなければ入れない、かなり距離感の近い内野シートの最前列にいる華耶の姿に気づいた海は、少しびくっとした反応を見せながらなるべく平静を保とうとした。
そんな海の気持ちをほぐそうとしたのか、応援用のメガホンバットをぱたぱたと振りながら華耶は海にウインクをした。海は何事もなかったかような表情で再びグラウンドを向き、一旦ベンチへと下がった。よりによってこんな大事な試合をそんな席で座らなくても――と思わずにはいられなかった。
試合が始まってから、海は3打席続けて凡退が続いていた。携帯で一球速報も同時に確認しながら、華耶はじっとその打席を見守っていた。
今日はどちらかというと速球を待っているようだった。待っている、というよりは、守備のことで頭がいっぱいなのか、打撃のほうにまで思考をめぐらせるほどの余裕がないように華耶には感じられた。
滅多に見せない空振り三振を2打席続けたのは、プロのレベルの高さもさることながら、明らかに『最初の一本』を意識しているように華耶には感じられていた。
深いことを考えずただバットに当てるだけ――と海はいつも言葉にしていたが、それでもこの日ばかりは少し力みを感じるスイングが華耶からもよく見えた。自分にそう見えてるくらいなのだから、監督やコーチだってきっと分かっていて起用しているに違いない――そう華耶は思った。
自分が見に来たからこそのことなのであれば、悪いことをしたな――と華耶は不安そうにその打席に立つ様子を見ていた。一方で、3打席凡退が続いたのだから、そろそろ快音を響かせてほしい――という気持ちも少しは胸の中にあり、祈るような気持ちで華耶は左打席に立った、いつもより少し小柄に見える大男の様子を眺めていた。
今日は二度もチャンスで打てずにいる。悔しいに違いない。思いだけじゃどうにもならない、なんてことを海はよく言っていたから、きっと悔しいなんてものではないだろう。
カウント、1ボール1ストライクとなった3球目。直球の少しだけタイミングをずらしたのか――大きく上がった白球は、一塁方向の内野席の深いところへ落ちていった。
前の打席はしっかり捉えた打球が二塁の好守備に遮られた。試合展開が進むごとに、タイミングも調子もいくらか海本来のものを取り戻しているはずだ。
プロの球に競り負けているわけではない――そうであってほしい――華耶はそう願いながら、静かにバットを構えなおした海をカメラごしに見つめた。
今のファウルで何かをつかんだのか、打席に入ったときよりもその海の姿はどこか、自分の知っている、静かながらに覇気に満ちた姿――それに近いものを華耶は感じた。
相手投手のリリースの瞬間、海のバットがすっ――と走り出す。
「海くん――」
思わずそう声に出た華耶。自分がテレビなんかで何度も見た、しなやかなスイングがそこにはあった。
華耶からはそのボールのコースこそよく分からなかったが、しっかりと振りぬかれたバットが弾いた打球は、前の打席と同じように二塁を抜くような形でライト前に鋭く転がっていく。低い弾道だが、しっかりと意思を持って放たれた、鋭い打球だ。
先回りして移動を始めていたライトがカバーに入り、外野の奥までは抜かせずに、海を二塁までは行かせまいと早めの送球でカバーする。
ぴくりとも笑わず、一塁コーチに促される形でグータッチをした海。ヘルメットを一度脱ぎ、滴る汗を拭いながらリードの姿勢に移った。
取り出した望遠鏡で見つめた海の姿からも、その汗の量がよく見えた。顔には出ないタイプだが、本人なりに相当緊張していたのだろう――自分が今まで海の試合を見返した中で、滅多に一塁で汗を拭うようなことはしなかった海が、汗を何度も拭っている。
ため息をつくような仕草を見せながら二度ほど膝を叩きながら、なんとかリードの姿勢をうっすら保っているが、とても盗塁を仕掛けられるような足腰ではないことは華耶にもしっかり見て取れた。
記念すべき、初めて電光掲示板に灯ったそのHの文字――それに興奮した華耶は望遠鏡からカメラに持ち替え、ひたすら海を写真に納めた。ヒットの瞬間もよく撮れている。今時のデジカメは小型でもしっかり遠くまで撮れるのだから、最高だ。
華耶は満足げにしながらガッツポーズを取り、相変わらず無愛想な表情を浮かべたまま一塁でリードを取り続けている海を今度は望遠鏡越しに眺めていた。
〈――9回に一本やっと出てくれましたからね。あれでいけると思ったので、11回のヒットは少しだけ長打を意識しました。意識して狙ったんですけど、ちょっと方向が綺麗過ぎました。あそこでもうちょっとレフトかライトのどっちかにずれて間を抜くようなヒットだったなら、また試合が違う展開になってたかと思うとちょっと悔しいです。延長12回までしっかり戦って引き分けじゃあ、ファンの皆さんに申し訳ないですから――〉
寮の門限には間に合わないことを知っていた華耶は、球場近くのホテルに予約を入れていた。
部屋のテレビで、インタビューを受けている海の姿を改めてニュースで眺めながら、相変わらず硬い表情だな――と華耶は微笑んだ。
シャワーを浴び、本当はすぐにでも通話をしたい気分だったが、この日は延長12回までもつれ込んだ長い試合だったこともあり、試合後のミーティングだとかを考えると、BINEで控えめにメッセージを送るくらいのことしかしなかった。
〈 おつかれー!
〈 よく撮れてるでしょ?めっちゃかっこよかった!やばかったよ本当に!海くんやっぱすごいなって思ったー!
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ありがとう 〉
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海から想像通り控えめで淡白な返事が来て、せっかくプロ初ヒットを打ったというのに相変わらずだなと改めて華耶は思った。
〈 あのさー、一応彼女が試合見に来てるんだからもうちょっとさあ、こういうところじゃ愛の力だよとか言ってくれてもいいんだよ?照れなくていいんだよ?プロ初ヒットだよ?もうちょっとなんかないかなー?
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でも最終的に打ったのは俺の力だし、初ヒットだろうがなんだろうが、所詮ヒットはヒットだから 〉
23:28 既読
まあ、それはそうなんだが風情というものが――と頭を抱えながら、華耶はラフな姿のままベッドにもぐった。