海がシーズン4割20本を打つようになってからは、フィンランドから取り寄せたソーセージにトナカイの薄切り肉を焼いたものをぐるぐるとバット状に巻き、茹でたザリガニの身をボール状に丸めてくくりつけた『佳井の弾丸ライナー風』が新たなメニューとして加わっていた。
わざわざ食材を取り寄せなければならないことなどもあって、コスト度外視のめちゃくちゃなメニューにもかかわらずこれが『デカ映え』するらしく、いわゆる"球場メシ"として稼ぎ頭になっていた。
一方で、かれこれ13年売り続けられている『佳井のフルカウント弁当』もまた、海がその間移籍することなくチームに居続けたことから『球場で食べられるフィンランド料理風球場メシ』として、何年か前に若干のサイズアップを経た程度に留まりながらも、こちらも未だにメニューの変更なく今年も売り続けられることになった。
スタメン発表時に流れる、海とリストライネン兄弟とが手がけた曲も、相変わらず使われ続けている。現在使用されている曲は3代目――マルコやニコが海のもとを離れる直前に急いで仕上げた曲、『FACE 2 FACE』だ。珍しくニコの口から『活動休止になる前の大事な曲だから、海のこれからの健闘を祈る意味でも自分に作詞させてほしい』と言い出した歌だった。
リストライネン兄弟が自分の下を離れてから、もう5年になる。
今となっては、海の中では売れっ子歌手というよりは田中の彼女という側面のほうが強くなってしまったNa0tomo。彼女が果たしていつまでアイドル路線の歌手でいくのかは分からないし、田中と結婚した後も芸能活動を続けるのかどうかは分からないが――仮に、NaOtomoが活動を辞めるとなったら、さすがにNaOtomoのバックメンバーであり作曲担当ということもあって引く手あまただろうから、その時はその時でどこかのバンドのメンバーにでもなるだろう。
別に、音楽をもう一度やる気がないというわけでもないが、マルコもニコも今は音楽だけで生活ができるようになった身分なのだから、もう一度三人でインディーズで――と誘う気にもなれなかった。
大体、インディーズで精力的にバンド活動したいかと言われたら、正直言ってその時は自分はもう野球を辞めているだろうし、その時自分が果たしていきなりさあ音楽に切り替えるぞ、という気持ちにはなれないと思っていた。
自分は野球で金だけはたくさん稼いだし、最近はCM出演料のギャラだって年俸に肩を並べるくらい入ってきているから、余生で使いきれるかどうか怪しいほどの金が手元にある。
そんな自分が、空白期間を経て遊び半分で音楽をやりたいなどというのは、音楽で真剣に金を稼ぎ始めた二人に対して失礼なのだ。
年末もライブやらTV出演やらが相次いでいたこともあり、マルコとニコとは年末年始も会えなかった。決してそこに寂しさがあったわけではないし、手の届かない場所に行ったという気持ちが芽生えたわけではないが、互いに歳を取っていくということは、きっとこういうものなのだろうな、と海は家でテレビ越しに二人を見て思っていた。
「ないものねだりなんかしても仕方ないんですけど、久々に結構大きめな補強があったじゃないですか、今年のチーターズ。球団代表が代替わりしたってところもあるんでしょうけど」
「それで球団の体質も変わってくれるといいんだけどね」
「……そりゃー、そうですけど。これほどしっかり層が整うとよりいっそう、清兵衛さんが若返った状態で居てくれたらな、って思いますね」
「どこもそんなこと思いながら、うまいこと世代交代してやりくりしてるんだよ。もうアイツが辞めて3年になる。3年も前の選手のことなんか、普通は誰も振り返らない」
「3年経つからなんですよ。いつまで経っても始球式なんかにも来ない。コーチとして入閣するわけでもない。私たちが清兵衛さんのことをどれほど存在感が大きかったと思っていても、ファンのみんなはもう誰も清兵衛さんのタオルなんか掲げてません。記憶からいなくなるってことは、死んだようなもんじゃないですか。勝負の世界って、プロの世界って、きっとそんなもんなんでしょうけど……でもそれって、あんまりじゃないですか。私は、今でも清兵衛さんを胸に優勝したいと思ってますから」
「そのデカい胸にこれ以上まだ何か詰め込んだら、今にユニフォームのボタンがはじけ飛ぶぞ」
「……茶化さないでください」
よく晴れた甲子園。青々とした芝の上でストレッチをしながら、海とジェネルは試合前の緊張を誤魔化しあっていた。
数年おきではあるものの、ここ最近はFA権を行使し退団していく選手が多発し続けていたあの頃とは違って、確かに今でも引き留めには失敗し続けているものの、それなりにFA戦線で外部の選手の引き抜きに成功していたチーターズ。
その度に今年こそは、今年こそは――と、付け焼刃ながらも言われ続けているチーム状況、そして、互いに縮まることのない年齢差と、待ってはくれない加齢――。
ジェネルの表情には、決して公には見せない悲壮感が漂っていた。海の次にきっとチームを牽引する、次世代のチーターズの顔となるのは順当にいけば恐らく自分のはず――そうした責任感がジェネルの肩には降り積もっていた。
のしかかる、というほどの重圧ではないにしろ、入団してすぐの頃の海に頼りっきりの姿よりは、海から見て今のジェネルは少しは頼りにしていい顔になったように見えた。
「――それでは本日はこのお二方です!先制となる2ランホームランを放ったジェネル選手、そして、ダメ押しとなる3ランホームランと開幕から猛打賞を記録した佳井海選手のお二人です!会場の皆様!今一度、大きな拍手をお願いします!」
正直なところ、球団広報は自分とジェネルとをとにかく前に出したいのだろう。一時的な補強をし続ける一方で、なかなか中堅や若手がなかなか育ってこず、チームの顔として長年居続けているのが自分たちくらいしかいないものだから、こうした場面で積極的に使い続けたいという気持ちは分かる。
この試合、ホームランを打ったのはもう一人居たのにかかわらず、ヒーローインタビューに呼ばれたのは自分とジェネルだけだった。まして、猛打賞という、安打数で考えるのであれば――ホームランこそなかったが、4安打放った選手だっている。変に忖度され続けるのもあまりいい気分はしないものだ――と海はフラッシュを焚かれながら思った。
この試合の初回、せっかくバントで得点圏を作ってくれたにもかかわらず海は第一打席を打ち損じた。初球。外角やや低めの、何の変哲もないストレートだった。分かっていたのに、つい引っ張って打ってしまった海は、相変わらず後ろで構えていたセカンドにあっさりと打球を処理されてしまった。あんな球をしっかり打てないようでは、今年は駄目だろう。
5回に回ってきた第3打席でも、ランナーを一・二塁に置いて、しかも真ん中付近のストレートを引っ張ったにもかかわらず、やはり後ろに構えていたセカンドにしっかりと捕球されてしまった。
勝ったからいいのではない。
大事な試合でこうしたミスばかりするということは、普段からこのような打ち損じをしてしまっているということだ。
その後ホームランを打ったとはいえ、海は全く嬉しくなかった。結果的に猛打賞を放ったといっても、二度もチャンスを潰してしまっては、客から帳尻あわせだと言われても文句を言えないし、たまたま勝てたからいいものの、自分がチャンスを潰した間に逆転でもされていたら、極刑ものだろう。
この数年、海は球団公式の動画やCMでもそう、球場での案内でもそう、近くを走るバスや電車、街の電光掲示板やポスターでもそう――球場に詰め掛ける客および、SNSなどにおけるマナー改善を続けて訴えていた。
訴えていた、というよりはやらされていた、に近いのだが――こうした訴えをする以上、自分は誰からも文句を言われないような成績を出し続けていかなければならない。
言葉に説得力を伴わせるには、今日のような『形だけはホームランも打って猛打賞も打った』ようではいけないのだ。
『大事な時期、大事な時期、って先輩言いますけど――自分のことも大事にしないと、本当に大事な時期に先輩が試合に出られないなんて事態になっても、俺は知りませんからね』
木村の言葉が海のそうした気持ちを引き留めようとはしたのだけど、引き留めようとしただけだった。いざ自分で不甲斐ない打席をしてみると、自分を責めざるをえなかった。
「まずは、ジェネル選手。2回のホームラン、お見事でした。外角低めのストレートをやや泳がされる形にこそなりましたが、打球の勢いが衰えませんでした。オープン戦での好調がそのまま表れましたね」
「はい!今年はちょっと今までにない手ごたえを感じています。特に、振り遅れた時の打球のキレなんかが去年よりダンチだと自分でも思っています。こう見えて結構練習してるので、今までみたいに引っ張り方向に強い打球をガンガン飛ばすだけじゃなくて、外のボールなんかも振り負けないぞってアピールしていきたいですね。11球団の皆さん、これ、決してハッタリなんかじゃありませんからね。今年の今までとはレベチな私に外角は通用しませんよー!」
ジェネルは少しだけ嫌味っぽい言葉を言いながらも、満面の笑みをカメラに向け、元気に観客席にも手を振ってみせた。
調子に乗って――と海は隣で思っていたが、黙っておいた。実際、振り遅れたはずのジェネルの打球はふらふらと力なく上がることもなければ、なんとなく浮き上がってそのままライトへ流れてたまたまホームランに――などということはなく、確かな強い意思を持った打球としてライトスタンドへと舞い上がっていった。
流し方向のホームランとしてはまだまぐれの領域を出ないが、今日の打席のようにしっかりと外の球を強く叩くような打撃が本人なりにある程度意識的に狙って打てるようになった日が来たならば、そのときは間違いなくジェネルはリーグ、あるいは球界を代表する強打者として名を馳せることだろう。
頼むから明日にでもそんな日が来てくれ――とも海は思っていた。
「さて、続いて去年何度も記録したアベックホームランですが、今年も早速第1号が出ました。佳井選手から見て、ジェネル選手のホームラン、いかがでしたか」
「こいつこんなこと偉そうに言ってますけどね、今日そのあとチャンスで二度も三振したじゃないですか。まだまだですよ。皆さん、あんまり調子に乗るようなおだて方しないでやってください」
海が辛辣な言葉を投げると、会場はどっと笑いに包まれた。ジェネルは小声で「なんでもっと素直に褒められないんですか」と海のわき腹を肘でつついたが、海は知らん顔のまま受け答えを続けた。
「さて、佳井選手。そんなジェネル選手に手本を示すように、きれいに引っ張ってお手本のような弾丸アーチを描いてみせました。ずばり、今日のホームランは何点ですか?」
「35点です。今日は猛打賞こそ決めましたがチャンスも何度も潰してますし、正直言ってホームランを打ってやっと今日のミスを帳消し、くらいでしょう。僕が最初の打席で先制点を挙げてなければきっと今日ジェネルはここに立つことはなかったでしょうから、ファンの皆さんとしては、いいもの見れたと思ってるかもしれませんが――決してイロモノとして僕とジェネルの二人がここに立ってる、っていうわけじゃなくて、しっかり結果残して二人でここに立って、皆さんに文句のひとつも言わせないようなお立ち台をこれからも提供できるように頑張りたいですね」
「今日もだいぶ辛口ですね」
「だいたい、まだ開幕戦ですよ。開幕戦から甘やかしてたら僕はともかく、ジェネルが浮かれるので」
球場が再び笑いに包まれ、司会もすかさずジェネルへとマイクを向ける。ジェネルはむくれっ顔のまま海を再び肘でつつき――
「そんなことないですってばー。なんでこう、リスペクトに欠けるディスりをするんでしょうねぇ、この人。皆さんだってそう思いますよねー?」
そう言って、観客を煽りだす。観客もそれに応じるように大きな拍手でジェネルの声に応える。
「まあでも、せっかくアベック打ったんから二人で行って来たら?っていう、なぁなぁな感じで来るんじゃなくて、ちゃんと二人揃って文句の付け所のないくらいガンガン打って、しっかり納得させるかたちでここにまた立てるように明日からまた頑張りたいと思います。これからも応援よろしくお願いします!」
その言葉にファンからの歓声と口笛が鳴り響き、一気に球場のムードは再び勝利の渦に身を浸したような空気に包まれた。こうした対応力は本当にジェネルの魅力のひとつだろう。仮に自分をどれほど偽れたとしても、こんな明るく振舞うことは自分には絶対にできない。
ジェネルは自分とは違ってカメラ慣れをしている。
カメラ慣れをしている、というよりは、自分が一向にカメラ慣れや取材慣れをしないからそう思うのだろう。よくもまあ、この歳であっさりと観客を煽って一体感を生み出せるものだ。自分には、言葉ひとつで空気を作るということがとうとうできなかった。
ジェネルは清兵衛の代わりを意識的に目指そうとしているのかもしれない。半分は素だろうが、たぶん、もう半分は清兵衛の幻を追っているのではないか――海にはそんな気がしてならなかった。
一方で、海は全く気づいてはいなかったが、ジェネルは自分がこうしてマイクで盛り上げることで、海へ向けられる視線を少しでも自分が和らげられればと思っていたし、いつまでも海一人に頼るような状況ではいけない――少しでも海の精神的負担を減らせるように自分が積極的にマイクを握らなければ――とジェネルは思っていた。
今年こそは、という言葉に囚われ続けている二人の中で、今年こそは、という言葉の意味に少しずつ変化が出始めていた。
海と一緒にカメラのフラッシュを盛大に焚かれるジェネル。普段よりきつめに海の肩を組んで――自分が海を少しでも変えてやるんだという思いでカメラにピースサインを向け続け、とびきりの笑顔をレンズの奥に届け続ける。
それは、海がこうした取材の際に表情が硬かったり、自分が少しでも目立たないとすぐに取材陣が海にあれこれどうでもいい話を振ったり、海が繊細なことを分かっていて海にずけずけと踏み込んでくるから、少しでもそうした海の負担を減らすために意識的にやっていることでもあった。
別に自分はこうした対応も嫌ではないし、意識的にやっていることではあるとはいえ、自分がやりたいからそうしているに過ぎないから、負担にだってならない。海が取材対応を苦手としていることだって分かっているのだから、少し自分に回せ――それがジェネルなりの海の守り方だった。
海はそんなジェネルを、相変わらず押しと我の強い女だ――とくらいにしか思わなかったが、自分の後ろを安心して任せられるどころか、近いうち、自分の前を打っていてもおかしくない日がくるかもしれないし、着実にジェネルが自分のときよりも早いペースで一流への階段を登り始めていることだけはしっかり認めようと少しくらいは思っていた。