「……別に、U-15が通過点と思ってるとか、そういうのはどうでもいいよ、お父さんは。新が普段何を考えてプレーしてるかとかも、正直言って、どうでもいい。新の人生だから、何を目標にして、どうなりたくてサッカーをしてるとかも、どうでもいい」
海はもくもくとパフェを食べ続けながら、新の顔も見ずに話し続けた。
海に対抗する形でサッカーをしている新としては、その無関心さに不快感を抱かざるを得なかった。
かといって、自分の口から張り合っているつもりであることを言い出すこともかなわない。新は唇を噛みながら、ずっと黙っていた。
「お父さんは、サッカーを辞めたっていうか……サッカーどころじゃなくなった身分だから、あまりどうこう言うつもりはない。だけどね――」
カタン、とスプーンを器にぶつけながら、海は新の顔をじっと見つめた。
「その辺の中学生を相手にしてるなら、新――お前そのものが作戦、みたいな戦い方で通用するかもしれない。一人ずば抜けたストライカーがいるだけで、地区大会レベルくらいなら作戦として成り立っちゃうからね。だけど、国の代表ってことは、相手チームに新と同じようなこと考えてプレーしてる選手だってたくさんいるんだ。ひょっとしたら、新がとても想像つかないようなところで命がけでプレーしてる選手だっているかもしれない。日本ほど平和じゃない国は、この世界にたくさんあるからね。相手だけじゃない。新と同じような気持ちでフォワード任されてる選手が居て、プレーを巡って衝突することだってあるかもしれない。あえて自分からフォワードを退いてプレーしてるから、新がもしそんな態度をチームメイトに対してしたときに、文句をつけてくるチームメイトだっているかもしれない。お父さんは、新がどんなプレーをしようが勝手だけど……自分の過大評価は破滅につながるから、あまり自分を過信しすぎるのも、よくないと思うな」
「自分のこと過小評価して、勝手に自爆してる奴が言うことかよ」
「新――」
華耶が新の言葉を遮ろうとするが、新は言葉を止めない。
「勝てるチームで自分のことだけ考えてられる環境でプレーしてたらいいものを、ムキになってあんな弱いチームにこだわって、チームメイトの誰もがついてこなくて、それでそんなチームに居続けて勝てないから自分のせいだって自爆して、挙句メンタル壊して薬に頼って――そんな、正しい自己評価と自己プロデュースもロクにできさえしない奴と俺とは違う」
「新。お父さんに謝りなさい」
「事実だろ。4割40本だなんだ、ってちやほやされて、結局父さんは一度も優勝できなかったじゃないか。自分がこのチームをなんとかするって思ってたから、わざわざあんな将来性のないチームで意地になって戦い続けてきたんだろ。もっと上を目指すなら、どうせ家にだってろくに帰ってこないんだから、中途半端に父親なんかやらないで、いっそ家のことは母さんに任せて、勝てるチームに移籍しておけばよかったものをさ。そのくせ、どうせ出来ないくせに父親でもいようとして、自分のキャパを超えてるから、父さんは何やっても二流なんだ」
海はずっと黙っていた。テーブルで手のひらを丸めて小さく振るわせた華耶の手首を海はつかんで、首を振った。
「お父さんのことをどう思おうが、勝手にすればいい。自分ならお父さんみたいにはならない、って思いながらスポーツをしてるなら、それも勝手にすればいい。いつか、札束や、お父さんが想像つかないようなレベルのトロフィーでお父さんの顔を叩きつけるつもりでいるなら、したらいい。お父さんも、自分の父親にそういうことをしたことがあるからね」
「……?」
新は一瞬、海が父親の話をしたことに違和感を感じた。父親にそういうことをしたことがある――という言葉に、どこか並々ならぬ圧や憎しみを感じたが、海はすぐさま険しい表情に戻った。
「だから、お父さんが他人のことをどうこう言える立場にない。他人に迷惑をかけたりしないなら、新が目指したいものを突き進めばいいと思う」
まるで相手にしてくれない海の表情に、新は眉間にしわを寄せた。ここまでこけにしておいたら少しは怒るかと思ったら、そんなこともしない父親"らしきもの"に不快感を抱かざるを得なかった。相手にすらされないということの敗北感が新にフラストレーションをただただ抱かせた。
「行って、頑張ってきたらいいよ。いいことじゃないか。その年でもう国の代表になれるんだから、お父さんも鼻が高いよ。代表でも普段どおりのプレーができる自信があるから、パスポートをくれって言ったんだろ。お父さんは止めないよ。単なる日本代表ってだけじゃなく、U-15ってことは、今の時代しか参加できないものだからね。お父さんなりに、応援するよ」
ぎりぎり、と海の手首を強く握りながら、華耶はじっと黙った。
「華耶。改めて聞くけど、新が海外遠征することには賛成したんだよね?」
「……海くんがいいなら、いいよって言ったよ、確かに」
「じゃあ、行けばいい。お母さんの賛成が条件だったなら、お父さんは止めない。名誉あることだから、止める理由もないしね」
「……」
新は最後まで自分の挑発に乗らないままの父親を見て、悔しさのあまり歯軋りをした。
手でも上げられたら、それでも父親かだとか、反論できないから手を上げるくらいしかできないのか、だとか煽るつもりでいたものだったから、それすらさせてもらえないことに新は感情を爆発させないようにこらえ続けた。
帰りの運転でも、華耶は黙り続けた。何か空気を紛らわそうとラジオを流してみたが、他愛もないニュースや、名前も知らない芸人が薄ら寒いコント仕立てのワイドショーなんかをやってみたり、やたら強弱のきついクラシックばかり流れているものだからかえって気が散りそうで、海はたまらずカーナビに自分の携帯電話をリンクさせ、適当に動画サイトで音楽を流し始めた。
ハンドルを握る華耶の表情からは、とても家に帰ってから母親に戻ることは難しそうな感情の入り乱れが感じられた。
海はそんな華耶を見ながら携帯を操作し、近くの店から出前をとり、真結と広乃に受け取ってもらうようにBINEでメッセージを送った。
家に着くなり、届いた出前をテーブルに盛り付けた真結と広乃。晴留が居なくなった分を二人はカバーしようと思っているのだろうか、単に晴留に憧れていたからなのだろうか、それはよく分からなかったが、てきぱきと動き回っていた。
食卓は華やかだったが、なんとなく空気は沈んでいた。真結と広乃は一体何の用で三人が外出したか、想像がついた。その場で一体どんな会話がなされたか、その全貌は読み取れなかったけれど、あまりその場でよくないことが起きたということは二人にも分かった。
こんなときに晴留が居れば多少、空気をどうにかしてくれたかもしれないが、晴留にあって自分たちにないものは空気を入れ替えることのできる明るさや"お姉ちゃんっぽさ"だ――と二人は思った。
晴留の代わりになれるように、などと思っていた二人だったが、そう簡単に代わりになんてなれないし、晴留が家にどれほどの影響を与えていたものか、二人は痛感した。
皿は自分たちが洗うから、と真結と広乃が直人を無理矢理に引っ張り、三人で皿を片付け始めた。食事を終えるなり新はすぐに部屋に戻った。
こういうのって少しくらい長男が動くべきなのでは――と直人は新の自由人っぷりを少し不満げに思ったが、断ったところで真結も広乃も自分を逃がしてくれないだろうと思い、しぶしぶ手伝いをした。
「華耶」
食事を終えるなり、逃げるようにして地下室へと逃げ込んだ華耶。
ここならば少しみっともない姿を見せられる、と思ったのもそう。きっと逃げたら海は追いかけてくれるだろう、と思ったのもそう――。
華耶は部屋の中央ですすり泣いていた。
「……海くん……」
海のみぞおちより少し下くらいで胸をどんどんと叩きながら、華耶は海のシャツに顔をうずめた。
「あたし……間違ったのかな……なんか、母親として間違ってたのかな……」
「……間違ってないよ。間違ってたのは、いつも俺のほうだから」
「あたし……あんな風に言われて悔しかった……。自分の子供からさ……海くんが頑張ってさ……あたしから産まれてきたはずの子供がさ…………海くんのことあんな風にボロクソに言うなんて……あたし……母親としてだけじゃなくて……妻として……一人の女として許せないよ……あんなの……っ……」
シャツをギリギリと握りこぶしでぐしゃぐしゃにする華耶。海は華耶の肩や腰に手をかけることが躊躇われて、そのまま立ち尽くしていた。
「それでもあたしは新の母親なのにさ……一瞬、手が出そうになったんだよ。母親であることが一番最初に来ないといけないのにさ……一人の女として……あたしは新をぶとうとした。海くんが止めてくれなかったら……あたしは絶対にやってた。一回ぶったら、きっと歯止めが利かないくらい、やっちゃってたと思う。あれがお店の中のことなんて忘れてきっと……やっちゃってたと思う……。……海くんがずっと我慢してくれてたのにさ……あたしは……許せなかった……。海くんが普段何考えて生きてて、野球してるかなんて全然考えてないんだもん、あの子……っ」
「いいんだよ、華耶――アイツの言うことも、一理ある。アイツは間違ったことも言ったけど……その全部が間違ってるわけじゃあない」
「そんなの分かってる……っ!!分かってるよ……分かってるから余計に悔しいんじゃん……!!あたしが海くんと歩いてきた日々全部否定されてるようでさ……!!あの子は……新は……全然分かってない……分かってなんかないんだよ!自分のことしか考えないで生きてないくせにさ……ちょっと知ったような口で、海くんのことあんな風に言って……!!」
そう言って華耶は海のシャツに顔を何度もぶつけながら嗚咽した。
ぐしゃぐしゃになった華耶の表情と、しわだらけになりそうなシャツ。きっと普段自分が華耶を求めているときは、こんな風に見えているのだろうと思いながら、海は華耶の肩に手をかけ、なるべく優しく抱きしめてやった。
「へぇ~、そんなことがあったんですね」
「……まぁ、うん」
「若いっていうか、青いっていうか」
「その両方だと思う」
ジェネルに招かれ、家でゲームをしながら海は昨晩の出来事を話していた。
「強がってるんでしょうね、新くん。プライドごと食べてしまいたいくらいです」
「本当は、サッカーなんてそんな好きじゃないと思うんだ、アイツ。俺と同じで、たまたま自己表現できるのがサッカーだっただけで」
「だから、そこの部分は本人に言わなかったんですね」
「……人のこと言えないからね」
「同じ立場だったら、感情的になってついつい言っちゃいそうですけど」
「言ったら子供の思う壺だよ。アイツは俺のことをある程度理解したうえでやってるから、何言い返されても反撃できる手段を持っておいてたはずだ。でもそれじゃあ、誰のためにもならないだろ」
「よく我慢できました。えらいえらい」
コントローラを握っていた海に対して不意にジェネルが頭をなでてくるので、海は嫌そうに手ではらいのけた。
「お前まで俺の母親になった気分か。母親過多だよ」
「ママ成分なんていくつあってもいいんですよ、世の中。最近、世の中には愛が足りないんですよ。みんな自分のことばっかりで、ママみが足りないんです」
「ママみとやらで世の中全部解決できたら、俺もここまで苦労してないよ」
「だから華耶さんだけじゃなくて私が海さんにママみを与えてさしあげようと――」
「結構」
ジェネルの自信に満ちた表情を一瞥するように海は睨んだ。
「でも、こういうのって、よくできたドラマとかだと、うまくいかないで帰ってくるんですけどね。現実って案外つまらないもんで、失敗なんて経験しないまま成功し続けちゃうんですよねー。そういう都合のよさ、私たちにも欲しいとこなんですけど」
ジェネルは部屋に掲げてある『絶対優勝』という書初めを見ながら、つまらなさそうに足を組みなおした。丈の短いホットパンツに身を包んだ足をこれ見よがしに海に見せ付けようとするが、海はまったく無関心なようだった。
「まあ、俺がアイツの分まで失敗してるからね」
「あー、そういう自虐する場面じゃないですよ。結構私まじめに言ったんですよ今。どうします?このまま新くん、全く失敗しないまま、ホップステップ大ジャンプで世界なんかに飛び立ったら」
「いいんじゃないの。失敗なんて、成功の糧になることもそれなりにあるかもしれないけど、大体足かせになるのはいつも失敗経験だよ」
「そりゃそうかもしれませんけど」
「まぁ、でも……」
どかっ、と海はソファにもたれかかり――
『勝てるチームで自分のことだけ考えてられる環境でプレーしてたらいいものを、ムキになってあんな弱いチームにこだわって、チームメイトの誰もがついてこなくて、それでそんなチームに居続けて勝てないから自分のせいだって自爆して、挙句メンタル壊して薬に頼って――そんな、正しい自己評価と自己プロデュースもロクにできさえしない奴と俺とは違う』
『4割40本だなんだ、ってちやほやされて、結局一度も優勝できなかったじゃないか――』
「正直さ、こたえたよ。張り合うべき場面じゃないのも分かってたし、事実だから反論もできない。でもね、トゲにしてはまあでかいよ。トゲっていうより、心臓から背中に向けて釘でも打たれて、貫通した気分だ。反論しようにも、どれも事実なもんだから、ふとしたときに思い出して、そのたびに痛みそうだ」
ソファによりかかってぼうっと天井を見ていた海の視界は突然ブラックアウトした。
鼻にうっすらとソープの香りとともに、額から鼻の辺りにかけて柔らかな感触が海を支配した。
「……一応断っておきますけどこれ、不貞行為じゃなくて、心のくぎ抜きですからね。言ったじゃないですか、世界にはママみが足りないって。きっと華耶さんにも気を遣って、事実を突きつけられたことだって強がって見せたんでしょう?……しばらく、嫌じゃなかったらこのままでいてあげますから――そんな事実から今は目をそらしてしまいましょう」
「……お前、どさくさにまぎれてギリギリのラインで愛情表現するのうまくなったね。なんなら、アウトよりのアウトだけど」
「海さんを信用してるからこそですよ。……嫌がらなかったのはちょっとびっくりしましたけど」
「……そりゃあさ、実の息子にあんなこと言われて、寝て起きたら忘れてます、なんてなかなかないでしょ。華耶だって、あんなことがあったばかりで、一日中二人で慰めあうなんてのも、二人にとってあまりよくないだろうし」
「優しいんですね。こういうとき、二人で夜通し泣いちゃいそうですけど」
「一日ちょっとで癒える傷じゃないし、俺は華耶ほど気の利いた言葉を投げてはやれない。華耶だって俺が居たら、俺に甘やかされるよりも俺を甘やかしてしまう。……お前に素直に頼ってしまうのも心外だけどね、今はお前のその押し付けがましい優しさっぽい何かを跳ね除けられる気力もない。赤の他人に言われた言葉もきついけど、実の息子から事実で釘を打たれるのもだいぶ辛い」
「……」
腕をだらりとぶら下げたまま、決して自分からは背中にまで腕を回してこなかった海。これがいよいよ自分の体に腕が巻きつくようになってしまったなら、本当にそのときは自分が海を牽引するほど打ちまくらなければならない――ジェネルはそう思いながら、海の頭を撫で回し、髪を梳かした。