ドルフィンズとの3連戦を終えた後、海は木村に食事に誘われていた。
田中と食事に行くと何かと手癖で焼肉ばかり食べに行ってしまうし、ジェネルと食事に行くとジェネルが勝手に店の予約を取ってしまうので、何かと魚料理に最近ありつけていないからと、木村に魚料理のうまい店を紹介してもらい――店に着くなり店員によって個室に案内された。
別にあちこちの店に行くわけではないしすすんで飲食になど出かけないものだから、そう簡単に店の予約が取れるものだろうか、と海はふと考えていた。そもそも木村は自分と会うためになんとか強引に自分を捕まえ、あらかじめ店の予約なんかを数件準備してあるのではないか――とさえ思った。
そうでもしているから試合後に血眼になって自分を探してきたり、BINEで連絡を入れてきたりとしているのかもしれないが、仮に断られたときのことや都合がつかなかったときのことまでこいつは考えているのだろうか――と海はふと木村の行動を振り返り、毎回毎回そのあまりに手際のよさと行動力に対しては素直に関心していた。
「佳井先輩、毎年のように春先は出遅れるなんて言われながら、今年は5月の月間MVP獲ったじゃないですか。一昨年も3・4月のMVP獲ってますし、なんで春先弱いみたいな風潮できたんでしょうね?単に話題づくりのために騒いでるだけみたいなとこあると思うんですけど、実際どうなんです?春先、苦手とかあります?」
木村は席についてドアを閉めるなりぺちゃくちゃとまくし立てて海から話題を引き出そうとした。海は『また始まったな……』と思いながら、
「実際に春先あんまり打ててなかった年が多かったのと、6月のMVP受賞回数が多かったのと、あとは……あれだろ。9月のMVP回数も多いね。リーグ戦の決着がついてから打つもんだから、帳尻合わせしてるって思われてるんだよ。そのくせ、ポストシーズンなんかじゃ打ててないもんだから、寒い時期に弱いって思われてる。でも、俺はむしろこの国でいうところの寒い時期のほうが動きやすい。夏の暑さは未だに慣れないからね。でも、別に、どの季節にどう苦手意識があるってわけじゃない。夏に極端に成績を落としてるわけでもなければ、毎年夏は成績を上げてきているはずだし。お前の言うように、周りが勝手に騒いで、俺をイメージで語ってるだけだよ」
「それなんですけどね」
木村が首をかしげながら、腕を組む。
「去年、一昨年とポストシーズンに進出したじゃないですか、チーターズ」
「あぁ、そうだね」
「本当に打てなかったと思ってます?」
「ああ。俺の打席で終わった試合なんかも、よくあったはずだからね」
海はポストシーズンの話をされ、少し不機嫌そうにテーブルに肘をついた。木村もまた、テーブルに肘をついて携帯をいじりはじめ、海の前にデータを出してきた。
「ここ2年、ポストシーズンで佳井先輩は57打席20安打なんですよ。率にして、3割5分です」
「普段4割前後打ってると考えたら、普段よりだいぶ低いじゃないか。データはやっぱり、嘘をついてくれないね」
海の鼻で笑ったような言葉に、木村は困ったような笑顔を見せ――フフッと思わず声を鳴らした。海は何がおかしいんだ――と木村を睨みつけ、木村はその様子にひるむことなく携帯を一旦テーブルの隅へと寄せた。
「何言ってるんですか。ポストシーズンですよ?相手も総攻撃で、徹底的に佳井先輩を打ち取るためにありとあらゆる手段を使ってくるんですよ?先輩に苦手なゾーンはないにしても、いかにして先輩を抑え込むかを徹底的にやってくるんです、向こうは。審判のゾーンのクセまで使ったりして」
「だから、それを打てない俺が悪いんだろうが」
海は自分にとっては何の慰めにもならない木村の言葉を一蹴するように、ふんと興味なさげに横を向いてしまった。
「それはそうなんですけど、もうちょっとだけ聞いてくださいよ。たった数試合の短期決戦――限られた場面で佳井先輩は、やることはちゃんとやってるんです。佳井先輩、いろんな人に騙されてるんですよ。肝心な場面で凡退して帰ってくる場面が短期決戦であればあるほど色濃く残りやすいだけであって、ちゃんとやることやって帰ってきてるんです」
『心のなかで責任転嫁するくらい、エスパーでもない限り誰も責めないよ――』
ふと、海の中で華耶がかつて自分に対して言った言葉が蘇った。
似たようなことを言っているはずなのに、どうしてこう、木村が言っている言葉と、華耶の言葉とでは、心への入ってき方が違うのだろう――と海は思ったが、それは顔に出さずにおいた。
「周りなんか、ポストシーズン2割台がやっとの打者なんかもザラにいますからね。結局アレなんですよ、とりあえず誰かしらに負けた理由を擦り付けたくて、なんとなく凡退した場面がたまたま印象に残ってるからだとか、チームを背負ってるからだとか、リーグ戦だともっと打ってるだとか、そういうものが佳井先輩を勝手に『ポストシーズンでは全然打てないカス』みたいなイメージを作り上げてるだけであって、皆データから目を背けてるんです」
「カスってなんだ、カスって。最近どいつもこいつも俺のことをアホだのカスだの言って」
「……アホ……?」
「こっちの話」
「……まぁ、いいです。とにかく、佳井先輩が仮にポストシーズンでチャンスで凡退して帰ってきただの、そういう……たまたまちょっと大きい場面で打てなかったところを皆が面白おかしく切り取って先輩を語るもんだから、佳井先輩はポストシーズンではクソ使えない打者みたいなイメージを作ってるだけであって、本当は打ってるんですよ。佳井先輩自身も、そういう風潮に踊らされてる一人なんです。なんなら、球界そのものに先輩は踊らされてるんです」
「お前、褒めてるようで人のことカスだのクソだの言いたい放題言ってるんじゃないよ」
海は熱弁する木村の額を小突いた。
「でも、やっぱ悔しいじゃないですか。メディアを扱う人間として、データにもなんにも基づいていないただのオカルトや勝手なイメージで一人の野球選手がクソだのゴミだの言われるなんて」
「大衆が俺のことをゴミだのカスだのクソだの言うのは勝手だから、俺に向かってその罵声を直接浴びせるのをやめてくれ」
海は足をうっすらと貧乏ゆすりさせ、木村を嫌そうな顔で睨んだ。木村なりに面白いことを言っているつもりなのかもしれないが、そこには明確に感性の違いがあった。
「だからこそ俺は佳井先輩のその秋になるとその辺の野グソ以下になるみたいなイメージをなんとか変えたいと思っているんですよ」
「お前わざと言ってるだろ、もはや」
海は木村のやたら強調して放たれる罵声をもう一度小突き、睨んだ。木村は内心、もうちょっと笑ってくれるだろうかと思ったのだが、ぴくりとも笑わないからがっかりした。木村は海のことを気難しい奴だと思って見ていたのだが、海からしてみたら、これじゃしばらく結婚なんかもできないだろう――という風に見えていた。
「でも残念なことに俺はドルフィンズ側の人間なので、先輩のそうしたイメージを変えるったって、なかなかそういうわけにもいかなくて」
「思ってるだけで行動できないなら、中途半端に人を期待させるの、やめろよ。浴びせるだけ言葉を浴びせて、でも自分には何もできないなんて言うの、卑怯者がやることだぞ」
「だから悩んでるんじゃないですか。先輩のとこの地方紙、なんかもうデータとかそういうのより、全部ガーっと、その場の勢いとかなんか語呂重視で書くじゃないですか。何かあったらすぐ『優勝への一歩や!』でしょ」
「そこまでひどくない……だろ」
言い切ろうとした海の頭によぎったのは、勢い任せに書かれている地元スポーツ紙の1面記事だった。
これぞ共同作業や! 佳井・ジェネル究極ラブラブ弾
うちはチーターや! 佳井というチートがおる! 打率バグってるやん打法
見たか世界よアメリカよ これが"世海"や! 佳井V砲 今季優勝待ったなし
「……絶対今思うところありましたよね」
「地元紙を悪くは言えないよ」
海は苦し紛れに嘘を言ってごまかした。
「ぶっちゃけ他の球団に拾われてたら、もうちょい新聞記事ももっといい扱いしてくれたんじゃないかとか思ったりするんですけど」
「やめてくれ。チームも大事な時期だってのに、そんな理由で心が揺らいだらやってられない。……むしろお前がうちらの新聞社に来ればいいだろ。何年も前にも言ったけど」
「なかなかそうもいかないんですよ。最近は俺、中京競馬も任されてるもんで。俺、こう見えて実は結構競馬にも入れ込んでるんですよ。自分からやらせて欲しいって言い出したところもあって――」
「別にそれはなんでもいいけどさ」
木村の仕事の話を海はあっさり断ち切り、天井を見上げた。天井のライトが眩しくて、すぐにその視線を下ろして汚れ一つない木目のテーブルを見つめながら、ずいぶん注文の品が届くまで時間がかかってるな――とふと思った。
「……イメージ、か。俺だって、まさかここまでチーターズに長居することになるとは思ってなかったし、ここまで意地張ることになるとは思ってなかったよ。……俺、絶対ライガーズとかバイソンズとか、ああいう派手なユニフォームのほうが似合ってるよな?オーシャンズのあのイベント用ユニフォームだとかさ……。別に、今更移籍したいわけじゃあないんだよ。でも、あんなチームに指名されてなければ、とはよく思う」
「袖、通してみたかったですか」
「金髪が黄色いユニフォームなんか着ても、どうしようもないだろ。これさ……マジで家の中だけの話だけどさ。外で着るわけにもいかないからさ、家の中だけ……それも、トレーニング室だけで着るためのシャツっていうか……服があるんだよ」
「はいはい」
海が木村に写真を見せる。
練習を茶化しにきた華耶に撮ってもらった写真もあるが、そこには海外大手サッカークラブのレプリカユニフォームを着ながら練習する海の姿や、ハンガーにたくさんかけられたレプリカユニフォームの群れが映されていた。そこに日本のチームのユニフォームがないことに、木村は海なりの一つのポリシーを感じた。
「……めっちゃ悔しいんですけど、ロッソネリのユニフォーム、クソ似合いますね」
赤をベースに黒のストライプの入った、イタリアサッカー強豪チームのシャツ。
海がもともとサッカーをやっていた、という情報ありきではなく、その長い金髪にロッソネリの派手なユニフォームの佇まいはまさしく、絵になっていた。燦然と輝くキャプテンマークと背番号10という姿が、まるで冗談には見えなかった。
「……野球って、独立リーグなんかは割とホームもビジターも派手な色使いのやつが多いけど……俺たちがいる世界って、12球団、ビジターや限定ユニフォームはともかく、ホーム用のユニフォームって全般的に白を基調にして、ちょっとロゴが散りばめられてるくらいのが多いだろ」
「まあ、明文化されてはいないとはいえ、一応そういうルールでやってるわけですし」
「ビジターのやつだって、なんかこう、派手さのベクトルがちょっと違うの結構あるじゃないか。俺たちのチームも、不評ですぐ交代になったユニフォームがあったの、知ってるか」
「前野政権のときの奴でしたっけ。『規制線』とか『トラ柄テープ』って言われてたりしてたやつですね」
海はうっすら頷き、木村に画像までは検索してくれるな――と睨んだ。
「だからこう……たまにこういう派手な奴、着たくなるんだよ。でも、これ着て外になんか出かけるわけにも行かないだろ。少なくとも、俺がチーターズっていうくくりにいるうちは」
考えすぎなんじゃあ――と木村は思ったが、海が置かれている立場というものは自分の想像に及ばない世界にあると考えると、それなりに海にも思うところがあるのだろう。
海自体が周囲の目を気にするほうでこそあるが、そうして生きなければならない職業におかれている人間に対して、そんな気安い言葉をかけるのはさすがの木村でも躊躇われた。
ようやく運ばれてきた料理に手をつけながら、海はたびたび携帯の画面をスライドさせた。華耶と一緒にユニフォームを着ているツーショットなんかが時折混じったりもしながら、木村にフォルダの一部を見せた。
「だから、家の敷地内だけ。これ着てる間だけ、サッカー選手になった気分でいるんだよ。ユニフォームが似合ってるかどうかだけの理由で移籍なんか、できないだろ。……俺もさ、ロッソネリのユニフォームに袖通して……ピッチの上に立ってみたかったな、って気持ちはやっぱ、あるよ。俺が高校の頃、日本人がロッソネリに移籍が決まって、そのまま10番背負ったのを知って――日本人でもイタリア1部のトップでやれるんだ、ってやっぱさ……思ったし。……おかしいよな、俺は別に本当の意味じゃ日本人なんかじゃないのに」
目を伏せながら、携帯電話の画面をオフにした海。木村はしばらく黙っていたが、ふと思い出したようにして話題を切り出した。
「息子さん、サッカー順調なんでしたよね。自分の分まで背負ってプレーしてほしいですか?」
「別に。アイツの人生はアイツのものだ。俺の人生を背負ったって、どうにもならない。親の思いなんて、子供にとってはただの足かせにしかならないよ」
「重いだけに」
「……?」
「……?」
木村が放った冗談の意図が通じなかった海は、よく分からなさそうな表情を浮かべながら水を口にした。木村も不思議そうな顔で海を見続けていた。
「だから、別にアイツがいつかロッソネリの赤いユニフォームに袖を通したとしても、俺は別にどうでもいい。俺の分まで頑張ってくれなんて思わないし、別に俺の子供がそうして強豪チームの袖を通したって、それは俺の人生にはならない。人間、背負うものはなるべく軽いほうがいいんだよ。俺は知らないうちに肩に荷物を積まされすぎた。同じようなことを子供にさせたくはない」
海はそう断言し、木村の顔を睨んだ。
「くれぐれも、ここだけの話にしてくれよ。俺が本当はロッソネリのユニフォーム着て家の中で過ごしてるだなんて。別にロッソネリに限ったことなんかじゃないんだ。他のチームのユニフォームだって着てるから、どこか固定チームのファンだとも思われたくないところはあるからね。仮にの話だけど、俺が実は女装趣味があることよりも、俺のこうした一面は知られたくないことだ」
「えっ女装趣味あるんですかっ」
「なんでちょっと前のめりなんだよお前。仮に、って言っただろ。仮に、って。ファン感で散々やらされたけど、あれだって好きでやってるわけじゃないからな。広報が無理矢理俺に着せたがるだけで。30過ぎたらさすがに他の奴がやってくれると思ったのに、結局長いことアレが恒例になってしまった。次はいくら詰まれてもやらないよ、あんなこと」
海はうんざりした表情で腕を組んだ。
「俺だってね、何も考えずに着たいと思ってしまう。俺が考えすぎだってことだって、分かってる。でも、そうして着るたびに、本当はこういう人生もあったかもしれないのにな、って思ってしまう」
「女装をですか」
「馬鹿。いつまでその話引きずってるんだよ。レプリカユニフォームのことだよ」
海はどうしてたとえ話に女装なんて言ってしまったのだろうと後悔したと同時に、なぜ木村がやたら女装の話に前のめりになってくるのか不思議でならなかった。
「だからこそ、子供たちには、自分が本当にやりたいと思ったことだけ……やってほしい。自分の人生に不本意な場面なんて、少ないほうがいいに決まってるんだから」
海はそう言いながら、半分ほど食べた鯖の塩焼きの残りを箸でいくらか切り分け、それを口に頬張ってウーロン茶で飲み干した。
「引退後はやっぱ、指導者とかなりたくないですか」
「なりたくないね。今の年俸の倍もらっても断るよ。指導者、あんまり金にならないんだろ」
木村の問いに海は即答する。
「金にならないって」
「別に、金が全てってわけじゃないけどさ。今より安い金で、今より叩かれるような仕事をしたくないって話だよ」
「子供たちには野球選手にはなってほしくないんですか」
「好きでやってるなら目指せばいいけど、あんまり無理に目指してほしくはないと思ってる。言うほど華だってないし、そんな楽なもんでも、楽しいもんでもないから」
楽しいものでもない――海の一貫し続けている野球に対するスタンスは人としての軸のブレなさを木村は感じたが、せめて嘘でもいいから一度くらい楽しいと言ってくれ――と思わずにいられなかった。
「やるにしても、楽しいこと前提でやっててほしい。仮にプロまで進んだとしても……野球が好きだという前提でいてほしい。そうじゃないなら……やってる意味なんてないからね」
海の言葉に木村が少し残念そうな顔をしながらつぶやいた。
「引退するときくらいまでには、野球が好きになっててくださいよ。たくさんの子供たちの夢、抱えてるんですから」
海はそんな木村の言葉を少し嫌がった様子でため息をつき――
「そういうのが俺には重いんだよ。野球少年少女たちが、俺を目標にしてるなんて手紙を球団にたまによこしてくる。たまに試合前のファンミーティングとかでサインなんかねだられると、俺みたいな打者になりたいみたいなことを言ってくる子供や、その親が居る。……最後まできっと俺は、佳井海を演じ続けなければいけないんだろうね。……そんなさ、大した男じゃあないよ、俺は」
「演じ続けてるだけでも、立派じゃないですか。たいした男ですよ、先輩は。演じ続けられなくなってボロが出て、失望される選手だって少なくないんですから」
「……そんなもんかな」
木村の励ましは、海にはさほど響いてないようだった。