海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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134・捉えた背中の傷跡に

「らしくなかったですね、海さん」

「今年はお前にずっとそう言われっぱなしだったな」

「だから言ってるんじゃないですかー。らしくない一年だった、って意味で。なんなら今日の試合、その総集編みたいな試合でしたよ」

「ああ。ベイスタで大事な試合ってだけで、もうどうにかなってしまいそうだ。……嫌だね、別にそんなことないはずなのに、一年の最後をやたらと横浜で過ごしている気がして」

 

かつて清兵衛が居た頃、試合後によく立ち寄っていた中華料理屋で海はジェネルにすすめられて珍しく酒を飲んでいた。

ジェネルと乾杯してから、控えめに海はコップに注がれた酒を飲み干し、深くため息をついた。

 

今季は97勝を挙げるものの2位に終わり、ポストシーズン1stを2勝1敗で勝ち上がったチーターズは、117勝を挙げぶっちぎりでリーグ優勝したバトルシップスとポストシーズンFinalで当たることになった。

バトルシップスへのアドバンテージを含んだ1勝3敗で迎えたベイスタジアム横浜で行われたきょうの4戦目、試合は0対0のまま動くことなく――とうとう引き分けに終わった。

 

これが完膚なきまでに打ちのめされたならまだせめて笑えるのだが、引き分けでポストシーズン敗退というなんとも言えない幕引きをしたものだから、ベンチから下がっていく選手たちはそれぞれ、悔しがるというよりは曖昧な表情を浮かべたりしていた。

何年か前にもこうして引き分けという形でポストシーズン敗退を決めたことがあったから、ベンチからも、観客席からも『またかよ』なんて声が聞こえたりした。

 

悔しそうな表情を浮かべているのはせいぜいジェネルと海くらいで、打撃コーチの生駒なんかも『まあ、負けたっちゃ負けたんだけど、この試合に直接負けたわけじゃないからまあ……』などと歯切れの悪いことを言うものだから、試合後のミーティングもなんだかしまりがないまま終わった。

 

ミーティング後に着替え、それぞれがバラバラに散っていく中で『そもそも正捕手が怪我で離脱したままポストシーズンで入ったんだから勝てるわけなんてないだろう』――なんて誰かの独り言も聞こえたし、『あとは打つだけだったんですけどねぇ』と自らも今日は無安打に終わった丸毛が今日の先発に擦り寄って隣を歩こうと足並みを揃えようとする姿なんかもあった。

 

こんなチームでよく97勝もできたものだ――と海はそんな姿を見て情けなく思ったし、そうして力強く声を挙げて乱れた和を正せるかと言ったら、自分だって今日は1つ四球を選んだものの、4打席無安打、2三振と冴えない結果に終わっている以上、自分だけが偉そうな立場でモノを言える状態ではない。せめて結果で示せたらよかったのだろうけれど、それすら出来ない自分へのもどかしさがたただた募った。

 

「三振に始まって、三振に終わった。思えば、大事な試合で三振してばかりだったシーズンだった気がする。数字で見たらきっとそんなことないはずなのに、今年振り返る試合は、全部三振してる気がする」

「海ーさーん。それは、私に対するイヤミですかー?」

 

海のため息に対して、わざとらしい声を上げたジェネル。どこかしらから拾ってきた年間データのページを携帯で開き、海に見せ付けてくるジェネルの顔は、あまり笑ってはいなかった。

「海さんの今シーズンの三振が81です。一方、私は96です。何ならですけど、海さん、今年はフル出場しましたよね。欠場があった去年は131試合に出て86です。三振」

「去年のほうが三振してたのか、俺」

「そうですよ。海さん、周りからの目なんかもあるから、自分の印象に踊らされすぎなんですよ。40歳でフル出場してシーズン100三振以下って、そんななかなか出来るもんじゃないですからね?言っときますけど」

 

『とりあえず誰かしらに負けた理由を擦り付けたくて、なんとなく凡退した場面がたまたま印象に残ってるからだとか、チームを背負ってるからだとか、リーグ戦だともっと打ってるだとか、そういうものが佳井先輩を勝手に『ポストシーズンでは全然打てないカス』みたいなイメージを作り上げてるだけであって、皆データから目を背けてるんです』

 

『――たまたまちょっと大きい場面で打てなかったところを皆が面白おかしく切り取って先輩を語るもんだから、佳井先輩はポストシーズンではクソ使えない打者みたいなイメージを作ってるだけであって、本当は打ってるんですよ。佳井先輩自身も、そういう風潮に踊らされてる一人なんです。なんなら、球界そのものに先輩は踊らされてるんです』

 

ふと、海の脳裏に木村の言葉がよぎった。分かってはいるのだけれど、現にこうした大事な試合で打てないのだから、風潮も印象も何も、結局大事な試合を自分のせいで落としたのは事実じゃないか――と海はついつい思ってしまって、呆れたような表情でジェネルを見つめた。

 

「……知ってる。何年も前に、同じようなこと言ってのけた奴が居たよ」

「木村さんですか?」

「どうしてそう思ったの」

「へへへ。他に親しい人が思い浮かばなかったので。名探偵の素質あるかもしれませんね~、私」

「バカ言え。俺が特別木村と親しいと思ってるわけじゃない。アイツが俺を勝手に慕ってくるだけだよ」

「基本的に海さんの交友関係なんて、大体そんなもんじゃないですか。海さんみたいに、そもそも人間そのものがそんな好きじゃない人にとっては」

「嫌味で言ってるのか、それは」

「イヤミにはイヤミで返しますよーだ。へへへ」

ジェネルは笑顔を見せながら、海の皿から餃子を勝手に二個ほど奪って口に運んだ。

 

「だとしても、打率だってお前に負けてる。二塁打だって、ホームランだって、今年は何一つお前に勝てなかった。なんなら、四球だって」

「違いますよ。四球が多いのは今年の私がボールを選べたからじゃなくて、私と戦うのを避けたピッチャーがそれだけ今年は多かったってことです。別に、よくボールが見えてたってわけじゃあないんですよ。本当に」

 

この一年、海は不調に苦しみ続けた。

リーグ17位の打率.357――24本塁打、139打点。それが普通の打者ならば、及第点どころか満足しないと罰が当たるところだが、これまで毎年のように4割がノルマとされてきた海にとって、突然打率を3割半ばまで落とすということは20代半ばにレギュラーを再びつかんで以来、一度もなかった。

一方のジェネルは海の打率を上回り、一時は4割に届くのではないかともされたほど安打を量産しながら、一方で持ち味である長打力も発揮し、28本塁打を記録。打点についても初の3桁越えとなる102を記録した。完全にジェネルが『15年の背中』を捉えたと言っても過言ではないシーズンだった。

 

そうした目に見えるデータがあるものだから余計に自分の不甲斐なさを痛感する海だったが、一方のジェネルは不思議と冷静に自らの成績を俯瞰していた。こうしたとき、意外と調子に乗らないのがジェネルという女だった。

 

「ボールが見えてないのに四球を選べてた、ねえ」

「データって、そういう選手の内面的なものまでは見通せませんから。海さんは、そういう際どいボールだって、本当に打っちゃいけない奴は振りませんけど、もし判定が際どそうなボールだったら、どうにかして綺麗に打とうとしちゃうじゃないですか。それが試合を左右するような場面だったらなおさら」

「……まあ、そうだね」

「海さん、背が高いもんだから、ストライクゾーンもちょっと大きめにとられることだって多いですし。きっと海さん、もうちょっと背が低かったら、ボールだって私よりはしっかり見た上で振るかどうかを判断してるから、どエラく四球増えてたと思いますよ」

「人の身長で、たらればの話されてもね……」

海は少し疲労感を露わにしながら酒を再び飲み干した。

 

「でも、きょう最後の打席は本当にらしくなかったと思います。いい意味でも、悪い意味でも」

「……」

 

思い返せば三振ばかりしていた、と海が思わず振り返ってしまうように、一度不調に陥るととことん不調のままなかなか立ち直れない一年だった。

 

不調の主な原因は、一年かけてなかなか改善しきれなかった、時折スイングの途中で思考が邪魔をしたり、あれこれ考えているうちにハーフスイング気味に終わってしまう症状だ。

無心でスイングしようとしても、時折頭の中でいろんな言葉が囁いてきたり、あるいは、そうした症状がいつ再発するかどうかを気にして突然プレーが乱れたり――。

 

ただでさえ長打を気にして深めの守備を敷かれているものだから、そうしたノイズが混じった当たりは、どれほど海が技術でカバーしてなんとかいいコースに打球を捌こうとしても、自分の打球の勢いの7割ほどしか出ていないものだから内野にしっかり捕球されてしまう。

もとからメンタルを病んでいる海にとって、バットを振る腕だけでなく、打ってからの走り出しや足取りはそれまでよりも重く――今までならヒットになっていたかもしれない当たりですらアウトになってしまう。

 

去年から大きく打率を落としながらも年間の猛打賞の数がほとんど変化がなかったように、調子がいい日はとことん当たるし、症状だって毎日毎打席悩まされているわけではない。

相変わらず、一度深みにはまるとなかなか抜け出せないだけであって、調子さえ整っていれば誰もが期待している海の姿がそこにある。得点圏打率だって去年と変わらず4割半ばに迫る数字を維持し続け、勝負強さは健在のままだ。

それでも、見た目にすぐ分かる打率が大きく下がっていることや、ここ何年かほど打点が伸びていないこと、そして、一度40本塁打や30本塁打などを打つ時期を経験してしまったものだから、勝手なイメージとして『最近の佳井は今まで以上に頼りない』なんてものが世間に植えつけられ始めてしまっていた。

 

もちろん、そうしたうわべだけのものしか見てない者が多いだけで、ジェネルや、しっかり試合を見に来たり、テレビ中継を見ている者のようにちゃんと見ている人間からしてみれば、普段の海自体はそんなに変わっていないということは分かっていた。

例年と比べて、今年の海はたまたま悪い部分が目立ちやすかったシーズンなだけであって――確かに打率は昨年よりも大幅に下がったことを指摘されればどうしようもないのだが、大衆が期待している『勝負をしっかり決めてくれる佳井海』というその皆が求める英雄像はそこにあり続けているはずなのだ。

 

ただ、今日の試合のようにポストシーズンやここ一番なんかで凡退する場面ばかりが取り沙汰されるから、浅い部分しか見ていない人間が『佳井海はもう終わったのかもしれない』だとか言い出し始めてしまう――。

 

だが、ジェネルは『ちゃんと見ている』人間だからこそ、きょうの海の最終打席での異変を感じ取っていた。

 

「打てない球じゃなかったはずなんですよ、あれ。っていうか、普通に打ったら、絶対ヒットになってたコースだったはずです。なんで……なんで、ちょっと大きく振っちゃったんですか?今年最初のホームランも確かあんな感じでえげつない大振りでしたよね。考えてみたら、あの試合だってバトシ相手で……それも、横浜での試合でした。なんかこう……『自分が打たなきゃ』って思いが前に出すぎて、なんか無理矢理ホームラン狙いに行ってる打席、今年結構あったと思うんですよ。調子が悪いって自覚してるときなんか――それこそ、今日みたいに。なんなら、ベイスタでの呪縛をなんとかしたい、みたいな感じも今年は何度かありましたし」

ジェネルは海の毒を少しでも吐かせようと、ジェネルなりの言葉で海を心配した。

純粋な心配のほかに、来年は復活してくれるものだと信じ込みたいという思惑が入り混じっていることはよくないとジェネルは思っていたが、それでも、気持ちを止めることはできなかった。

 

「実際、俺が打たなきゃどうしようもない試合がこれまでもたくさんあったからね。……分かってるんだよ。自分じゃ見た目の若さが変わらないから、身体の中身だってそのつもりでいる。でも、いざ振ってみたら、今更30本、40本を狙って打てる身体じゃあもうないんだ。それでも……どうせ調子が悪いなら、だったら、そういう時だけは、自分がやろうと思えば40本……いいや、30本くらいは狙える打者だって思い込みでもして、半ばヤケクソになって振りでもしないと気が晴れないし、そうやって一発打たなきゃ、試合だって、今のこのチームだって動かせない」

悔しそうな表情で海は注がれた酒をもう一杯ぐっと飲み干し――度が強かったからなのか、飲み込んだ悔しさの苦味がそうさせたのか――瞼をぎゅっと閉じて険しい表情を浮かべたまま話し続けた。

 

「どうせ調子が悪くて凡退するなら、少しでも大きい当たりを狙った痕跡を残しておきたいんだよ。別に、チームのためにやってることじゃない。……そうでもしないと、なんだか俺……本当に、肝心なときにバットを振れなくなる気がして、怖いんだよ。仮にまた4割打てるようになったとして、それで20本なんか割ったら今度はまた皆、それはそれで文句を言うんだろ?だったら――」

「いいじゃないですか。託してくださいよ、私に」

ジェネルの割って入った言葉に、海は思わず口を止めた。声色がやけに優しいものだから、海はジェネルを直視できなかった。今そんな生半可な優しさに触れられたら、どうにかなってしまいそうだったからだ。

 

「……海さんは、海さんのやるべきことだけやればいいんですよ。普通にヒット打てくれさえすれば、私……絶対、海さんを安全にホームまで返しますから。何でよりによってあんな場面で一発なんか狙っちゃったんですか。確かにどうしても一点が欲しい場面ではありますし、ちょっと男らしくて、かっこよかったですけど……でも、やっぱりああいうの、らしくないですよ、海さん。あんな場面で、自分ひとりで点を取りにいくようなスイングなんかして――そんなに後ろの私は頼りないですか?」

「……」

 

声色は優しいものの、不満そうな表情を浮かべているジェネルに、海はどうとも返事を返すことができなかった。

確かに、肝心な場面でバットを振れなくなる気がするから、気持ちだけは大きく――そういう気持ちでバットを無理にでも大きく振る打席は今年、何度もあった。

 

ただ、確かに、心のどこかには、存在するのだ。

 

ジェネルがあと3人いたらきっと、素直にバットを振るだろうけれど――ジェネルが仮に打ってくれても、その他のチームメイトにジェネルと同じようなことができるだろうか――仮に自分とジェネルとがどれほど打ったところで、結局去年だって日本一には後一歩届かなかったじゃないか――という思い。

 

そんなことを考えたってどうしようもないのに、これまでやりあってきた数年ほど前の、どうやっても抑えようがなかったスカイクロウズの重量級打線。まともにやりあってはじめてわかった去年のワイルドベアーズの切れ目のない打線――そこに見た、同じ個々の集まりでしかなさそうなチームの空気のはずなのに感じた選手層の厚みや、その質。

そして、WBCSのメンバーに選ばれ、各チームの打率も残せるタイプの主砲という主砲が立ち並ぶ打線で野球をしたからこそ味わった、『代表だからこんな大胆な攻撃ができるんだ』という思い。

 

隣の芝はどこまでも青い。

見渡せばキリがなく、どこまでも続く海原のようだ。

 

そんなことは自分だって分かっている。分かっているからこそ、自分一人でなんとかするしかないし、現に、今までもそうしてきたし、これからだってそうするつもりだ。

基本的にランナーを返すことを最優先するバッティングを心がけてはきたが、そうではない場面でヒットなんか打っても『ヒットだけでは試合に勝てない』と言われ続けてもきた。

 

分かっている。10回の打席では、ヒットを打ってジェネルにつなぐべき場面だった――。

 

それでも、心のどこかで、『ヒットだけでは試合に勝てない』と言われ続けてきたことへの余計な反骨心だとか、『結局自分が打たないといけないんじゃないか』という、新が自分に対して放った『それで勝てたら父さんのおかげってことにしとけばいいし、勝てなかったら全部父さんの責任にしておけば、ファンだって、球団だって、世間だってみんな納得する』という言葉が、海の平常心を肝心な場面で崩しにかかった。

 

結局のところ、自分の未熟さが招いた負けなのだ。40にもなって、気持ちの面で足を引っ張ってる自分が、海は情けなくてたまらなかった。そして、そんなことを言い訳にメディアの前なんかでも、ジェネルに対しても今、その全てを吐露することはあまりにみっともなく、躊躇われた。

 

「海ーさーん。海さんってば。まーた何か思考がぐるぐるしてますね。よくないですよー、その癖」

「……仕方ないだろ。そういう生き物なんだよ。俺は」

「続き、ホテルで飲みながらにしましょう。今すぐにでも華耶さんに飛びつきたさそうな顔してますよ、海さん。こんな顔、週刊誌にはとても載せられないです」

つん、と指を差し出して額をつついたジェネルを海は鬱陶しそうに振りほどいた。

 

「お前、それを口実に俺と二人で寝泊りしたいだけなんじゃないのか」

「海さんが私に変な手出ししないことだって分かりきってますし、どっか私たちを付け狙ってるカメラマンだって、今更海さんと私がヘンな方向に行くなんて、誰も思いませんよ。皆プロレス的なノリの関係なんだって私たちのこと思ってるんですから」

「やっぱり口実にしたいだけじゃなんじゃないか」

「さ、海さん。タクシーでいったんどっかでお酒でも買って、あることないこと、私に吐き出してください。きょうはもう、"みんなの佳井海"は閉店です。部屋に着き次第、疲れきったナイスミドルに帰っていいんですからねー。私が海さんのママやってあげますから」

「俺がお前に手出ししない代わりに、お前が俺に手出ししそうな空気感があるよ。薬でも盛るんじゃないだろうね」

「何言ってるんですか。ママの代わりになるだけですよ、私は」

「お前みたいなのが俺の母親でたまるか」

 

ジェネルはいたずらっぽい笑顔を海に向けたが、海はそのしぐさが一瞬華耶とダブって見えて、思わず目をこすった。

どうにも、華耶のようなしぐさ――もとをたどれば、自分のかっての母親のようなしぐさが、自分にとってはいわゆる『弱点』らしい。

 

「あんまり自分のことをママとか言うなよ。言えば言うほど、安っぽく見えるぞ」

「でもそういうプレイのお店とか、そういうサービスしてくれるレンタル彼女とかあるらしいじゃないですか。なんなら、対話型AIにママのロールプレイをさせて擬似的にイチャイチャして遊ぶっていうやり方すら最近あるらしくて――」

「死ぬほどどうでもいい」

海はグラスをテーブルにドン、と置き、ジェネルの話題を断ち切った。

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