海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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14・鬱屈が生んだ決意

「お前、そういや昔、打撃は守備や走塁と違って4打席あったら2安打したらエエから楽や言うとったな、雑誌で」

バットを不機嫌そうに足で小突き、振り子のようにしながら前野はガムをわざとらしく咀嚼し、海に話しかけた。

「それが何か」

わざわざトスバッティングを止めてまで呼び出した理由がこんなくだらない話をするためのものかと思うと、海は内心うんざりしたが、なるべくそれは顔に出さずに飄々とした態度で接した。

 

「それが何かやあらへん。そンな気持ちで打席入ってるようなら一生使わん。お前、言うことなすことがいちいち気に障んねん。去年一年使って、お前のことはよー分かった。お前、俺の目の黒いうちは代打でしか使わんからな。代打で出してやるだけありがたく思えよ。ええか、お前に次がある思っとったら大間違いやからな」

「ああ、そうですか」

相手にするだけ無駄だと思った海は、話半分くらいを聞き流し、適当に受け流した。

まともに受け取って反論したところでエネルギーの無駄だということは分かっていたし、沸点の異常に低い前野のことだから、騒がせるだけ騒がせておけば、そのうちメディアが前野の異常さを取り上げてくれるだろうと海は計算していた。

どうせ、何を言ったって突っかかってくるのだから、極力相手にしないのが互いにとっていいのだ――そう海は思っていた。

 

「何やその態度は!そうですかあらへんやろうが!!ナメとんのか!!」

《そんな態度だから他の選手もあんたについてこねーんだよ。バカがよ。給料泥棒もいいところだな、ハゲ野郎》

「何や!?俺にわかるような言葉を使え!この偽日本人が!B班行きたいのか、あぁ!?」

 

春季キャンプが始まってすぐ、海は前野とこうして衝突していた。

衝突した、というよりも、前野が一人で周囲に当り散らしながら、誰でもいいから、なかなかチームが上がり目にならない中で、誰かに八つ当たりしないと気がすまない――そんな、ピリピリしたような空気が漂っていたところに海の飄々とした態度が気に入らなかったようで、その怒りがついに爆発しような形だ。

秋季キャンプはこれほどひどくなかったが、よほど何か前野にとって気に食わないことがあったのだろう。春季キャンプ1日目から、前野は越えてはいけない一線を越える言葉もたびたび口にしていた。

 

あれではいつかFA権なんか握った選手が次々出て行くだろう、などと取材班も内心思ってはいたところだが、そうしたネガティブなことを少なくとも地元紙面には書けないものだから、さあどうする――といった表情でそれらを眺めていた。

 

監督から全打席に全力をこめるよう指示された海は、海の力まずに自然なスイングで、きれいに当てるスタンスを嫌った。

 

海はまだ木製バットの感覚を自分のものにはできていない。

だからこそ、今まで以上にまずはプロの球というものをしっかりとコンタクトし、自然に、力まず、ただただ三球三振で帰ってくるような場面を一打席でも多く減らすことを考えていた。バットに当てさえすれば何かが起きるかもしれないが、三振は何も生まないからだ。

 

プロ1年目をレギュラーで出場した海にとっては、いざプロの打席に立ってみると、それまで想像していた以上に4打席のうち2安打を……などと言っていられるほどプロの放つ一球一球は甘くはなかった。

下手に自分の何かを変えてまでプレーするよりも、地道に自分のスタンスやポリシーを極め、どんなコースの球にも、どんな変化球に対しても、自分のイメージする打球を放てるようになるための技術を身につける必要があると海は強く感じていた。

 

実際、1年通して1軍にいたわけなのだから、自分なりに相手の球をしっかり見る意識があったはずだったが、それでも三振の数は見る見るうちに増えていってしまった。

その代わり、しっかりボールを見極めるようにしたこともあってそれを余りあるほどの四球はもらえたものの、『これを仮に打っても思うようには飛んでくれないだろう』と気持ちの面で遠慮してしまったことも多々あった。

1年レギュラーで使ってもらいながら、自信を持ってスイングできないまま、思うように球を捉えられなかったということは海にとっては危機感を感じていた。

それを横から『とても全力で振ってるように見えない』『やる気が感じられない』などと言われるのは、海にとってあまりいい気持ちはしなかった。

 

仕方がないのでフリー打撃のときだけ監督の言う『全力で振ってる』ような雰囲気で、少し大振りでその球を捉えてみせた。

飛距離は伸びたかもしれないが、きれいに捉えた感じはしない。球威を自分の腕力で強引に押し返したような――果たしてそれは本当に打撃と言えるのだろうか、という海にとっては疑問の浮かぶ打球だった。

 

確かに、勢いよくボールは飛んでいってるかもしれない。

しかし、これは打ちやすいところに、強く振れば飛んでいくようなボールを投げてもらえているからうまくボールを運べているだけのことだ。

実戦ともなれば、さらに力強いボールや、キレのある変化球を放ってくるし、こんな打てて当然のコースになんか、誰も投げてはくれない。まして、どの球団の誰しもがどうにかして打たれまいと工夫を凝らしてくるのだから、本来、こんな甘いボールだけでなく、もっと実戦を意識したボールだって投げてもらわないと――と海は思っていた。

 

シーズンが始まって、監督の言うように1試合1打席あるかどうかだけの出番しかもらえなくなってしまったならば、代打として呼ばれたあと、馬鹿の一つ覚えのように打席でただただブンブンと一発狙いだけを最重視して振り回して来い、というのは、あまりに愚かしく、自分のためにならないと海は強く思った。

 

試合に出してもらえることを考えるべきなのか、自分のやるべきことを貫き通すべきなのか――少なくとも、今の監督の状態ではどうしようもないから、少し時間をかけてじっくり考えればいい。

海だって、ボールを弾き返すためには多少は筋力が必要なことくらい分かっているし、あまりに当てることだけを意識しすぎると、今度は長打の打ち方を忘れてしまう。

意識して自分のスイングを崩さない程度に、外野の奥までしっかり飛んでいく強い打球をイメージし続けることだってしなければならないから、海は不本意ながら、気持ち若干大振りを意識することにした。

 

この世界は4年保障というルールがあり、よほどのしくじりをしない限りはプロ入りから4年の雇用が保証されている。

4年の間、プロという肩書きの保障があるかわりに、よほど何かやらかさない限りは、その4年の間に自ら引退を口にすることだってできない。

この1年が無駄だったなら、次の1年、監督に何を言われようが自分のスタイルに戻せばいいのだ。きっといつか、結果が自分の正しさを証明するだろうから――。

 

〈――ほんとに大丈夫なの?それ〉

 

半分笑っていたが、不安そうに華耶は言った。

 

「華耶の言いたいことも分かるよ。今の俺、昔の華耶とかぶるんだろ」

〈うん。それだけじゃないけどさ……〉

「それだけじゃない?」

〈……ううん。なんでもないんだ。なんか、ちゃんと自分なりに考えて動かないと、あたしと同じような感じになりそうな予感がするよ、それ〉

「……俺だって正直言ってちょっと怖いっていうか……嫌だけどさ。ピリピリついてんだよ、監督【あのハゲ】。あんな、脇であーでもない、こーでもないってキレ散らかしながら言われたら、練習にもならないよ。結果で示せばいいんだろ、監督の言うとおりにやったけど、結局ダメだった、ってこと。たった1年で自分の打ち方を忘れるほど、自分の軸を安売りしていないよ、俺は」

〈だといいけど……ほんと、無理だって思ったらすぐやりかた変えていいんだからね。誰から見ても監督がヤバいキレ散らかし方してるなら、そのうち世間が味方してくれるんだから、海くん、変なことしないでいいんだからね〉

「分かってるよ」

 

分かってるよ、と気にしていないような素振りで海は言ったが、華耶からの励ましの言葉が欲しくて電話をしたところもある。

 

4年保障があるとはいえ、この1年を無駄にするということは、次の2年で自分を取り戻さなければ、その後の明日のことだって分からない。

通話を終えた後、海は大学受験の過去問を開き、明らかに去年より鈍っているその頭に少しだけイラついた。部屋にいる間はそれなりに勉強をしていたはずだったが、それでも仕事で頭や体を使っているからか、すらすらと解けていた問題が、どこか違う。

疲れではない。単純にたるんでいるのだ。

 

普段仕事で野球をしていて、一年の半分以上を野球に全神経を使っているのだからそんなことを気にしても……と言われるかもしれないが、明日が永遠に保障されているわけではないという立場――まして、あの監督のもとだ。自分の好き嫌いで突然クビになってもおかしくはない。

自分のタイムリミットは、思っている以上にすぐそこまで来ているような気がして、海は焦っていた。

 

~~~

 

「は?」

オフだったこの日、突然寮に直接かかってきた新聞社からの電話に海は目を丸くした。セミの鳴き声がうるさくて聞こえませんでした、と言えるくらいのユーモアがあったなら、どれほど幸せだっただろうか。

しばらく、適当に質問を受け答えしたあとで、海は深く深くため息をついた。

 

翌日、大手新聞にそれなりに大きい見出しで"その名前"があることに海は嘲笑した。

 

 大手総合商社『カッコー』職員、業務上横領の罪で逮捕

 

 被害額2700万は交際費に使用か

 

 2300万はすでに弁償も警察は余罪を追及中――

 

その見出しに書いてあった荒屋楓悟(47)という部分がいやに浮かんで見えるようで、海はそれが面白くてしょうがなかった。

面白くてしょうがなかったと同時に、どうでもいいことのはずなのに書かれているその言葉に、海は頭を抱えた。

 

 息子は兵庫チーターズ所属の荒屋海(20)

 

まるで、自分がこの事件に絡んでいるような書き方だ。やめてほしいものだ――そう思いながら海は新聞を閉じた。

甲子園大会真っ只中の時期、高校球児のニュースに混じって自分の父親の不祥事がテレビにも映し出されることに、海は思わず寮のチャンネルを変えた。

 

しばらく、取材班から父親のことを聞かれもしたが、いずれも『僕自身は家にあまりいなかったので』と取材を突っぱねた。それ以上のことは言いたくなかったし、実際、高校に入ってからは父親の姿を滅多に見ていないのだから、それ以上答えようがないのだ。

 

ただでさえ不本意なシーズンを迎えた中、なかなか思うように調子が上がらない中で、野球以外のことでこうして神経を割かれることに徐々に海は疲弊していった。

 

試合を追っていた華耶からも心配してBINEでメッセージが来たが、気にしてないよ、と、そっけない返事を返してそれ以上あまり言えなかった。

そうしてそっけない返事をしたあと、しばらく考えて――ふと頭によぎった言葉を口に出すべきかどうか悩み、今はその言葉を飲み込んだ。

まずはシーズンが終わってからにしよう――そう思いながらトレーニングルームへと移動し、とりあえずは体を動かすことにした。

 

もともとサッカーをやっていたくらいだから、体力にはかなり自信はあったはずなのだが、日本の夏はフィンランドにいた頃よりもずっと暑い。持久力的な体力とはまた違うベクトルの体力を必要とする、文字通りの酷暑がそこにあった。

 

兵庫や大阪に来てからは、より一層そう思うようになった。川口の夏だって十分すぎるくらい暑かったが、この時期の甲子園の地というものは毎日のように立っていると、暑さでどうにかなりそうだ。

高校の頃だって、甲子園大会の間もそう思っていたはずだったが、改めてこうして年間通して試合をこなしていると、体力はどれだけあっても苦労しない――そう思うようになった。

 

必要以上には筋力をつけない――そう思っていた海は身長の割には華奢だし、自分でも身体のバランスを崩したくなかったから、ウェイトトレーニングはあまりすすんではしなかった。

筋力が余計につくということはそれ相応に体を動かすためのエネルギーが必要になる。だからこそ、海は今の自分にとって一番ちょうどいい身体で戦うことを選んだ。

 

ただ走るだけということは苦痛だったが、今は何も考えずに走るほうが気楽だった。背負ってるものが大きすぎるのだ。

実際、理由なんてどうでもいい。なんでもいいから、体を動かして考え事をしたくなかったのだ。

 

~~~

 

特にこれといった見所もないまま、今年のシーズンはあっという間に終わりを告げ、長い長い旅路を経て海は再び東京へと向かっていた。

ただただ、見返す場面も、切り取るほどの名場面もなく、かといって、後々振り返って一生笑えるような珍プレーなんかもなく――本当に、何一つ見所も、これといって大きな収穫もない不本意なシーズンだった。

 

やっとこうして短いオフを与えられた以上、一秒でも早く大阪から出たい気分だったし、できれば来年のキャンプインなんて一生来なければいいのに――そんな子供じみたことを海は考えていた。

 

新幹線へとカメラを向け、羨ましそうに見ている親子連れなんかを見たが、普段新幹線で移動をしている身分からすると、そんなに羨ましいものでもないぞ――そう思いながら海は帽子を深くかぶった。

いっそ飛行機で帰ることも考えたのだが、飛行機の窮屈さはまた新幹線の窮屈さとは違う。

手早く帰ることはできるのだろうけど、東京についてからさっさと乗り換えて武蔵小山へと戻る――結局、手続きだとか、乗換えだとか、そういうことを考えると、東京入りしてからの気軽さは新幹線のほうが海にとっては気楽だった。

 

そそくさと荷物を部屋にまとめ、着替える。この部屋に来るときは大体いつも秋冬だから、部屋にはやや厚手の革のジャケットばかり置いてあった。

愛用しているブランド物のジャケットを羽織り、それなりに有名ブランドの伊達メガネをかけて待ち合わせ場所の品川へと向かう。

 

街が徐々に暮れていき、駆け足で過ぎていく秋を物語っている。慌しさの中で、皆がそれぞれの帰る場所へと帰っていき、皆が信じたいものの腕を組んでどこかへと向かっていく。

帰る場所というものができた海には、今までとはこの人々の群れが違うように見えた。

自分もまた、帰るべき場所があるからここにいるのだ、と――。

 

渋谷とも新宿とも池袋とも東京ともまた違う形のごちゃごちゃとした煩雑さのある品川駅の構内を一人歩く海。

相変わらず背が伸びていない、華奢だがメリハリのある体が柱のあたりでぽつんと待ちぼうけしている様子が見える。

 

「ごめん、待たせたみたいで」

「ううん。いいよ。あたし、待つのはそんなに嫌じゃないから」

「なんだかいつも俺が待たせてるみたいじゃないか」

「ちっちっち。甘いねー、海くん。遠距離恋愛の時点でさあ、毎日待ってるんだよ?あたし。半年以上帰りを待ってるんだからさー、別に集合場所で待つくらい、なんてことないよ」

「……そっか」

選ぶ言葉を間違ったな――と思いながら海は静かに華耶の腕を自分の腕へと巻き込んだ。

 

他愛もない会話をしながら、電車の乗り場へと向かう。

「ところで、話って何?」

「まぁ、いろいろと。後でね」

しばらく帰宅ラッシュのせいで狭苦しくなった電車に揺られ、今までとは違う点灯したスカイツリーを見上げながら二人はそこへ向かっていく。

何度かここには来ているが、いつも昼間だったから、明るくライトアップされたスカイツリーを二人で見るのは初めてだった。

 

話がある、そう言ったものの、形としてはデートなものだから、華耶もまた徐々にそんなことを忘れ、展望台から見る夜景に目を輝かせた。

「ドーム、どこかなあ」

「こんなときも野球かよ」

「そりゃあ、あたしは誰かさんと違って、野球が好きだから」

などと言いながらはしゃぐ華耶は、相変わらず小さいままだ。女の顔、彼女としての顔を知っている海は、そのギャップに目を細めた。

 

最初のうちははしゃぎ、カメラでその夜景なんかを撮っていた華耶だったが、しばらく無言で夜景を眺めるようになった。

言葉を失うくらいには、夜の街は、綺麗だった。

あの光の一つ一つの中に、どれほどの人間の闇や、社会の汚さが詰めこまれているのだろう、などと海はつい考えたが、本題を忘れそうだったので、考えるのをやめた。

 

しばらく海も黙り、二人の間には沈黙が流れていた。単純に感心したような華耶とは違い、海は話を切り出すタイミングに迷っていた。

どうにもこのままだと言い出せないまま時間だけが過ぎそうで、海は少し慌てて口を開いた。

 

「華耶。あのさ――」

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