四宮にタクシーで行き先を告げ、海はジェネルの指定した店へと足を運んだ。
「どうしても間違えるんだよ。あの……なんだっけ。でかい剣振り回してる芸人の名前とごっちゃになる」
「あー。ネタに使ってるくらいですからね。ここでバイトしてたことある、って。……海さんも昔ファン感でやってませんでしたか?あの人のネタ」
「忘れてやってくれ、頼む」
待ち合わせ場所は、サニーサイド池袋近くの肉料理屋だった。完全個室の部屋を予約し、ジェネルは改めてソファに座るよう促した。
「ビールで、よかったですよね?」
「別に。なんでもいいよ。そんなに飲み物にこだわりなんかないから」
「ふふっ。よかったです」
「よかったも何も、店員にビール持ってこさせてからビールでよかったか、なんて聞く奴がいるかよ」
グラスになみなみと注がれたビールのグラスを手に、ジェネルは海へとゆっくりと差し出す。海も黙って、ジェネルのグラスへとそれを近づける。
「改めて、お疲れ様でした。乾杯」
「乾杯」
海は控えめにジェネルの乾杯に付き合ってやり、ビールを半分ほど一気に流し込んだ。一度に飲み干してやってもよかったのだが、それでは品がないだろうから、やめておいた。
ジェネルはいくらかビールを口にした後、思い出したようにして海へ向けて携帯で自分が写りこむようにして写真を撮り、料理を待っている間しばらくその写真を眺めていた。
「お前は、写真ばっかりだね」
「海さんが誰とも交流のないやつ、って世間に思われるのも癪ですからね~。たまたま海さんの周りに私という理解者が居なかっただけです」
「世間はお前のことを俺の理解者だとは思ってはないと思うけどね」
「だとしても、ですよ」
ジェネルは満足そうに携帯のカバーを閉じ、海を見つめた。
「……かっこ、よかったですよ」
「やめてくれ。あんまり自分で自分の言葉なんか、思い出したくない」
ジェネルは顔を少しだけ赤らめながら、海の表情をじっと見つめる。普段の口数の多さが嘘のようにしおらしい態度なんかを見せるものだから、海はその視線から逃げるようにして顔を背け、グラスに残ったビールを再び喉に流し込んだ。
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「――これで、全体としては7年連続、10回目のベストナイン受賞となりました。サードとしてはなんと6年連続6度目の受賞です。三番サード佳井、という響きが世間の中では聞きなじみのあるフレーズになったと思いますが、そのあたり、どうお考えになってるのでしょうか」
「今年は突然階段を踏み外したように打率が落ちてしまったので、なんでしょう……こう、そういう耳になじんだ響きで選んでくださった記者の方もやっぱりこう、いるんじゃないかなって思ったりはしました。選ばれた本当の理由っていうのは、『来季はもっと率を上げてくれ』『こんなところで終わらないでくれ』っていう意味をこめたところもあると思うので……来年はもっと、自分でも胸を張って今年のベストナインです、って言えるようにしたいですね」
相変わらずきつくフラッシュを焚かれるその光景に海は思わず目を細めながら、しばらく司会からの返事を待った。
「チーターズからベストナインが4人選ばれるというのは、これまで佳井選手が10回出席した授賞式の中でも最多となりました。授賞式には佳井選手おひとりの出席の年も少なくなかったかと思いますが、そういった点では何か思うところはありますか?」
海は記者からの質問に一瞬、カメラが回っていることも忘れて睨み付けそうになったが――しばらく呼吸を置いて、しっかりと前を向いた。
「僕はいつも――いつも、っていうよりは、ここに呼ばれた2度目、3度目くらいから……ですかね。授賞式に来るたび、今そこに居ないメンバーのことを考えていました。メンバーって言っても、その対象がチーム全員ってほど、僕は大した人間ではないです。……僕が若手の頃からずっと僕に構ってくれた清兵衛は、意外かもしれませんが、ゴールデングラブの方には何度も呼ばれてた一方で、一度もここに呼ばれたことはありません。一回くらいは二人揃ってこの場で取材を受けてみたかったな、なんて、清兵衛が調子を崩すようになって……清兵衛が自分の引き際のことを口にするようになってから、特に強く思うようになりました」
カメラ数台がじっと海のほうを構え、自分以外は静まり返った会場の中で、海は続けて語り続ける。あまりの静けさに、自分は何か間違ったことを言ってはいないか――と一瞬思ったが、思っただけだった。開いた口というものは、いったん開くと、修正がきかないものだ。ジェネルに対して出てしまった言葉もそうだったが、人間、そういうものなのだろう。
「――ご存知かと思いますが、うちのジェネルが入団会見のとき、実に大げさなことを言ってのけました。15年の差を追いついてみせる、なんてずいぶんと生意気で、一方的な感情に満ちたことを言ってくれました。ですが、アイツはキャラクターであんなことを言ったわけではありません。アイツは本気で、僕に追いついて、僕と対等な関係になったうえで自分の本当の名で呼んでもらおうとしています。……アイツの普段の言動を見ていると、僕が居ないと生きられないのか、って時々思うこともあります。……俺が引退したら、こいつは干からびてしまうんじゃないかとも思います――」
その言葉に記者団からも笑いがこぼれるが、海は目線をしっかりまっすぐ見据え、表情をピクリとも動かさないまま話し続けた。
「ですが、アイツはアイツなりに、俺からいろんなものを学んでいこうとしています。アイツは憧れの対象として僕なんかをご指名しやがりましたが、アイツは、皆が思ってるほどイロモノキャラなんかではありません。今年の打撃を見ていただけたら分かると思うんですが、今年はとうとう、僕の成績をあらゆる部門で追い越していきました。アイツは今年、僕のことが背を追いかけるだけの『憧れの対象』ではなく、本当の意味で、僕と『対等な立場』なところまで駆け寄ってきたんです。自分の力で。だからこれからは、アイツから学ばなければいけないものだって僕にはたくさん出てくると思いますし、身体が昔ほど言うこと利かなくなればなるほど、今度は僕が、アイツを憧れの対象とするでしょう」
一度たりとも隣にいることのなかった清兵衛、そして今日いるべき存在のはずだったジェネルをふと思い浮かべて、海は一度目を閉じた。噛み締めるようにして二度ほど浅い呼吸をし、そしてもう一度目を開いた海は、強い眼差しで好奇心の集うレンズの群れを見つめた。
「……清兵衛は決して、タイトルのことに関しては僕には悔しいと言葉にしたことがありませんでしたが、こうして年を重ねて、後輩が自分と肩を並べるようになって……たぶん、清兵衛もまた、僕と一緒にここに来たかったに違いないと思っています。だからこそ、僕も……今年のようなままではいられません。3年前、アイツは代打部門でここに選ばれたから、僕と一緒に授賞式に出たことは確かにあります。でも、ちゃんとしたフィールドプレーヤーとして……俺はアイツと、もう一度揃ってここに立ちたいと強く思いました。今年の外野陣の名だたるメンバーを相手にしながら、アイツに入った73票という数字を、僕は誇らしく思います。ジェネルだって本当はここに居たかったでしょうし、きっと今、この配信なんかを見ながら、相当悔しい思いをしてると思います。だから――来年はこのメンバーに加えて、アイツをあわせた5人でここに戻ってきます。そのくらいの意思で、頑張りたいと思います」
取ってつけたように『このメンバーに加えて5人』なんて言葉を出した自分が道化のようで、海はそれが情けなく、そしておかしく……フラッシュを浴び、席に戻った後、手で顔を抑えて自嘲した。
笑わずにはいられなかった。
あんな流れで、自分とジェネルとふたりでさえこの場に立っていたらそれでいい――なんて言ったらぶち壊しだから、ちょっと場をそれっぽくまとめるために出てしまったような言葉だ。きっと、そう締めなかったらそう締めなかったで後々球団代表だとか監督だとかから文句を言われるから言ったようなものだという側面もある。相手の選手は自分に接触してこないから、自分のことは向こうはよく知らないし、こちらだってそうして自分以外に無関心な選手にわざわざ近寄る理由もないから向こうのことを知らない――よくもまあ、5人でなんて言えたものだ――と海はただただ自分の情けなさに身もだえした。
優勝だってできてないし、来年だって本当に優勝争いができるかどうかだって分からないのに――まして、自分だって調子が本当に戻るかだって分からないのに、よくもまああんな力強いメッセージを言ったものだ――。
そう考えると、ジェネルという存在を政治力のある言葉に使ってしまったみっともなさから、海はいったん席を外してトイレにこもり、しばらくその馬鹿馬鹿しさや情けなさに顔を歪め、思わず壁を殴って帰ってしまいたい気分だった。
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「本心と言えば本心なのは、そうなんだよ。でも、あの場でうまく言葉をまとめるために、お前という存在を利用してしまった。5人なんて言葉を使って、うまく自分がチームをまとめてます、みたいな言葉を使ってしまった。あることないこと、出任せで言ってしまった。最悪だよ」
「でも、だいたい、あの司会の質問そのものが最悪でしたよ」
ジェネルは吐き捨てるようにして、不満を一切隠さずにまくしたてた。
「あんなの、海さんが若手だった頃のうちらは弱かった、って煽ってるようなもんじゃないですか」
「実際弱かったから、仕方がない」
「でっ……でもでも、あんなの、海さんにも失礼ですし、うちらにも失礼です。それに、海さんがベストナインに選ばれてる年に、そもそもチームから1人も選ばれてないなんてチームだって毎年どこかしらちらほらあったんです。海さん1人だけ選ばれてるだけでも、立派じゃないですか。それなのに、海さんの存在を使って、うちらのことを……それも、もう終わってしまった世代含めてネガキャンしたいようなもんじゃないですか、あんなの。あの司会、絶対アレですよ。よそのチームのファンなもんなんで、最近うちらがずっと2位に食い込んでるのが気に入らないんですよ。あんなの、海さんから何かよくない言葉を引き出そうとして、あとで記者にあることないこと書いてもらいたいようなもんじゃないですか。だから海さんが私を使ってあんなこと言ったのは、間違いなんかじゃないですよ。あれで海さんが素直に挑発に乗って『そんなことないと思いますけどね』なんて不機嫌な言葉を本当は狙ってただけなんですよ、あんな人たち。あーあ、これがマスコミの印象操作ってやつですよー。こうして海さんやチーターズのイメージはまた一段と悪く作られるわけですよーだ」
海は7割がたジェネルの言葉を素通りしながら、追加で運ばれてきたビールを口にした。
言いたいように言わせておけばいい、という気持ちもあったし、あれこれと自分の言葉を分析されるのが、とても恥ずかしかったし、早くそんな自分の言葉を忘れてしまいたかった。
「でも、だからこそなんですよ。あそこで機嫌悪くしなかった、っていうのもかっこよかったですし……それに――」
「もういいだろ、その話は。俺は野球人としてのお前が対等な存在だと思ってるだけで、あんな言葉を真に受けて目の前に赤面してるお前に同じ感情を抱いてるわけじゃあない」
自分を引き合いに出されたことが嬉しかったのか、ジェネルは再び顔を赤らめた。海はそれを一蹴するように再びビールを口にしながら、なかなか運ばれてこない料理に少しだけ苛立った。
「そんなこと言ったって、私も一人の"女"であることは捨てきれないわけですよ。私が男として生まれてきてくれてたら、こんな余計な感情抱かずに済んだのに」
「ほんとだよ。よくもまあ女として生まれてきてしまったよ、お前は」
海はジェネルの言葉を同意してるにも関わらず、いやに不機嫌そうなトーンで吐き捨てた。
「ところで、一応デートっちゃ、デートなわけじゃないですか、これ」
「そう思ってるのはお前だけだろ」
「むー。そんな言い方ないじゃないですかー。一応デートなんですから、この一週間くらいかけて、どっか行きたいところ、あったりしません?」
「人の話を聞け。大体、何を勝手に日程延ばしてるんだ」
「バレちゃいましたか。なーんだ。お酒入ってたらバレないかなって思ったんですけどね」
「まだたった1、2杯で感覚が狂ってたら、こんな仕事できないよ。これっぽち飲んだだけで駄目になるって分かってるなら、そもそも酒なんか飲まないべきだし」
「ちょっとは冗談に付き合ってくれてもいいじゃないですかー」
むう、と頬を膨らませながらジェネルは腕を組んでぷい、とそっぽを向いてしまった。
「それに、どこに行くにも車だろ。さすがに明日突然思い立ってどっか行きたいから、って、新幹線とか乗れるかって言ったら、乗れないだろ。どっか行きたいって行って、東京近郊なら東京近郊で、わざわざあんな交通量の多いところをちんたらちんたら走ってあーでもない、こーでもない、って言うのもそれはそれはストレスだし、お前にだって悪いし。高速道路を走るのよりもよっぽど疲れて、しかも大してどこか遠出が出来るわけじゃないなんて、時間の無駄にもほどがある」
「どーせ明日明後日は土日なんで、どこ行ったって混みますよ。逆に平日の鎌倉とかならこの時期、それにもう紅葉だって終わっちゃってますしそんな混雑しないと思いますよ」
「逆に聞くけど紅葉の終わった鎌倉にあと何があるのさ。海を見に行くにしても遅すぎる」
はぁ、と深く、わざとらしいため息をつきながら両手を広げながらジェネルは海を見つめ、今度は指を振ってみせた。
「わかってないなーあ、海さん。ほんっと~うに、わかってない」
「何がだよ」
「デートって、何が旬かとか、見るものがどうとか、そういうのって、案外関係ないものなんですよ。本人がその環境を楽しいかどうかが重要なんですよ」
「お前、デートを語れるほど男と遊びまわったりしたのかよ」
「いいですか。デートって、好きな人とどっか回ったり、その過程の会話だとか、本当に些細なところ含めてデートなんですよ。見るものがないにしても、そこでデートしてるって事実が大事なんであって、見るものがないならないで街だとかなんだとか見たらいいですし、海だって別に泳げないなら泳げないで浜辺を歩くくらいにとどめてみたらいいですし。好きな人と一緒に居て、腕なんか組んじゃったりして、他愛もない話しながら買い食いなんかしちゃったりして――それだけでデートって、デートなんですよ。華耶さんとデートするときだって、別に、イベントがあるなしにかかわらず、どっか公園行ったりとか、そういうものだけでも楽しかったでしょう?そういうもんですよ」
海の小言を無視してジェネルは言いたい放題言ってのける。海はそれを黙って聞いて、これも話半分に聞きながら――ようやく運ばれてきたラクレットステーキを早速ほおばった。
「デートかどうかはさておき、東京に来るなら、行きたい場所はひとつ、確かにあったにはあったんだけど……」
「なになに?どこですか?いくらでも車出しちゃいますよ私」
前のめり気味に身体を突き出してジェネルは気分よく海の顔を見つめていたが、海の顔はそれほど浮かんではいなかった。