海の彼方で   作:錫樹トシアキ

141 / 238
138・いつかくる終わりのために

「アイツ、驚くだろうな。たぶん、俺が一人で東京に来てると思ってるだろうから」

「一応毎日連絡取ってるんですね」

「俺か華耶の誰かしらとはね。別に長時間連絡しあうわけじゃあないけど、互いに生存報告しあってる」

「生存て」

ジェネルはハンドルを握りながらケラケラと笑い出した。

 

「でも、悪いね。お前からしてみたら、朝一番からデートのつもりで身構えてただろうに。俺の家の都合につき合わせてしまって」

「別に構いませんよー。一週間くらい借りていい、って言われてるので」

「お前の中ではもう一週間俺を借りるつもりでいるんだな」

「そりゃもう」

お台場のホテルから、晴留の寮のある赤坂方面へと車を走らせていたジェネル。

土曜ということもあるし、やはり都内の交通量は大阪からここに来るまでの高速と比べたらその密度は段違いだ。

じゃあ大阪が快適で、自分の肌にあっているかと言われたら、決してそんなことはないのだが――。

 

「じゃーん。久しぶり、晴留ちゃん」

「え?なんでジェネルさんがここに?」

混んでしまう前にと、朝早く待ち合わせ場所に使ったのはテレビ局近くの商業ビルだった。1階のロビーに8時の開店まもなく待っていた海とジェネルは、少しだけ遅れてきた晴留を迎えた。

晴留はまさかジェネルが居るとは思わなかったようで、目をカッと開き、驚いた様子を見せ――しばらく硬直した後、ジェネルに案内される形でそそくさとビルから足早に去り、近くの駐車場に停めた車へと向かった。

 

しばらく見ない間に、晴留はまたずいぶんと背が伸びたように思った。ゆうに背丈は170cmを越え、薫より少し小さいくらいだろうか。体つきも、華耶の遺伝子をしっかり受け継いだと言っていいくらい、ジェネルと張り合えるくらいには女らしさを帯びている。ジェネルよりいくらか背が高く足がすらっと伸びている分――自分の娘ながら、ずいぶんと綺麗に、そして美しくなったように海には感じられた。

 

「話なら別に、通話アプリなんかでも出来るのにどうしてまた。まあ、嬉しいけどさ」

「なかなかゆっくり話す機会もなかったからね。ちょっと大事な話がしたくて」

「大事な話?」

ジェネルは少し興味津々にその会話を聞いていたが、割り込むのは止めておいた。二人の会話を邪魔するほど、空気が読めない人間ではなかった。

 

「そう。真結と広乃が、啓皇に進学したがってるのは、知ってるね」

「うん」

「でも、真結と広乃を別々の部屋に住まわせるとあの二人、調子が狂いそうでね。そりゃあ、いい加減あの二人も別々に行動する癖をつけたほうがいいんだけど」

「そうだね。今どうか分からないけど……あの二人、ちょっとぽわんぽわんしてるから、ちょっと心配っちゃ、心配だよ」

「ああ。だからね、お父さん、少し考えたんだ。真結と広乃が本気で啓皇に進学したがってる以上、お父さんはそれを応援してやりたい。晴留も確か、大学部に進学が決まってたはずだよね」

「うん。こう見えて、成績だけは優秀だったからね」

「だよね。だからね、お父さん考えたんだ。おばあちゃんもおじいちゃんも、もうだいぶ歳だ。わざわざ家族で何かあったときに、そのたびに大阪の行き来なんて大変だろうから、そろそろ長野でゆっくり過ごしてもらいたい。何かあったとき、お母さんが大阪から長野まで行くのだって、ものすごく時間がかかる。それに、お父さんも、あと何年現役を続けられるか分からない。お父さんに現役続ける、続けないの意思があるなしとは別にね、現実的に、そろそろ次の人生を考えないといけない」

「うん」

なかなか変わらない信号に、指でハンドルの先を叩いていたジェネルは思わず首をぐっと横を向き、海の表情を見返した。

すぐに、邪魔しては悪いと思ったのか、再びテレビのチャンネルを回しながら、ジェネルは目線をそらした。

 

「だから、生活の拠点を何年か後……それが何年先になるかは分からないけど、いつかは東京に移そうと思ってる。東京に先に家を建てておいて、晴留や真結や広乃は、そこで生活したらいいんじゃないかなって思ってる。いつか、全てが片付いたらお父さんも引っ越すから。きっと、三人一緒に生活してたほうが、勉強だとか生活だとかもはかどるだろうし」

「それはいいけど……大阪の家はどうするの?」

「それは、あとでゆっくり考えようと思う。家を建てて、東京で住む分のお金なら十分すぎるくらいある。だから、そこは気にしなくていいよ。出来れば親としては、同じ学校に通うなら、同じ家に住んでてもらったほうが何かあったとき対応できるしね。真結も広乃も、別にしっかりしてないわけじゃあないんだけど……晴留ほどしっかりしてるかって言われたら、そうじゃないだろ」

「そりゃあ、うん。そうだね」

晴留は真結と広乃が今どのような成長を遂げているかは想像できなかったが、それでも、やはりあの感じのまま大人になっていってるのだろうな――と想像すると、思わず苦笑を漏らしたが、ふと現実が頭をよぎった。

 

「あ……でも、武蔵小山のアパートは?」

「あそこも今や物置みたいな状態になっちゃってるからね。だから、全部用が済んだら、引き払おうと思ってる。お父さんとしてもあそこは思い出の場所ではあるけど……いつまでも、思い出を残しておいたって、そこにしがみついてたら何にもならないからね。もちろん、好きな街だけどね、武蔵小山。あそこの洋食屋や総菜屋だって好きだし、東京に遠征するたびに世話になったし。だから……そのうちアパートは引き払うだろうけど、何かあったときに、ふと立ち寄ろうと思ってる。アパートを引き払ったからって、商店街も、武蔵小山もなくなるわけじゃあない」

「……わかった。……でも、意外だったな。お父さんが生活の拠点をこっちに移そうと思ってるなんて」

「どうして」

晴留は笑いながら、髪をかきあげた。自分によく似た金髪をなびかせて、おかしそうにはにかんで笑って、しばらく次の言葉を溜め込んだ。

 

「なんかさ、引退した後もずるずる、コーチとかやらされてそうな気がしたから。お父さんの口から東京に拠点を移すって言葉が出てくるってことは、引退したらそういうのは絶対やらないつもりでいるか、仮にやるとしても関東のチームしか引き受けないつもりでいる、ってことでしょ?」

「まぁ、うん」

 

晴留に言われるまでコーチのことなど考えてもみなかったから、海は思わずはっとした。

関東のチームしか引き受けないつもりでいる、という晴留の言葉に海はふと、思ってもみなかった事態を想像した。縁もゆかりもないチームにコーチとして呼ばれることは、この世界ではそう珍しいことではないからだ。

 

珍しいことではない、と言っても、ひとつのチームにしか所属しなかった選手がよそのチームにコーチや監督として入閣するということは、よほど上層部と揉めただとか、よほど契約面がよかっただとか、監督やコーチとつながりがあっただとか――そういう何かしら別の強い要素がない限り、まずありえないだろう。普通なら、所属したことのあるチームに呼ばれるものだ。まして、ひとつのチームに所属し続けた選手ならばなおさらだ。

 

だからといって、チームの顔とされてきた選手が全く縁のないチームの監督になることもまったく前例がないわけではない。チームの顔を長年勤めてきながらも、自ら立候補して縁のないチームの監督に――なんてことも、長い球史の中ではそう珍しい話ではない。……らしい。

 

自分は引退したら、本当に野球と縁のない生活ができるのだろうか――。

 

「いや、ない。ないよ」

「何が?」

「……なんでもない」

海は晴留が言ったことを振り払おうと少し大げさに手を振り、コーチの話をなかったことにしようとした。

 

「――それじゃあ、またね、お父さん。東京に家建てるって話、それなりに楽しみにしてるから」

「うん。また冬休みにおいで」

「うん。それまでちゃんと勉強頑張るから」

「またねー、晴留ちゃん」

「うん。またね、ジェネルちゃん」

もともと友達と原宿で買い物をする予定があった、というので晴留を原宿まで送り届け、ジェネルは再び進路を首都高へと取りはじめた。

 

〈――以上、前回の都知事選に出馬していた竹下葉介氏の公職選挙法違反に関する速報でした。さて、続いてこちらも速報です。イタリアサッカーの強豪、ビッショーナズーロなどに所属し、現在は埼玉ガーネットスターズに所属しているエスペランサ・エルバ・ディ・モンテ選手が、来月行われるオールジャパンカップの決勝戦をもって現役を引退することが今週、記者会見で明らかになりました――〉

〈――ご覧ください!あんこう鍋ですよ!あんこう鍋!〉

土曜日、街が活発になり始めると同時に交通量は増え始め、ジェネルはカーオーディオからテレビを流し始めた。何か話題になるかと思ってつけてみたのだが、パっとするような話題があまりなかった。

 

「晴留ちゃん、ずいぶん綺麗になりましたよねー。まさにピッチピチのJK!って感じでキラキラしてましたよねー。うっかりしてると、私より綺麗になりそうです」

「真結や広乃はああいう感じにはならないだろうね。どっちかというと、あの二人はかわいい系で、晴留は綺麗系だ」

「みんな華耶さんに似て、発育いいですもんね」

「佳井家の血がみんなそう、ってわけでもないみたいなんだけどね」

「だとしたら、海さんの血もそれなりに強いってことですよ。お父さんはともかく、お母さん、あんな感じで綺麗だったんでしょう?」

ジェネルは信号を待っている間、海の横腹をひじでぐりぐりとつついた。海はそれを鬱陶しそうにしながら、ジェネルの問いには目を細めながら、少し気まずそうに、控えめに語った。

 

「……まあ、デカいとこは、デカかったよ」

「ほらー」

海は記憶の奥底にある自分の母親の、時折見せていた風呂上りのシャツ1枚の姿がふとよぎり――気まずそうにしかめっ面でそう答えた。

 

「たまにさ、洗濯物を俺が取り込んだり、畳んでやったりしてたんだけど、気まずかったな。直接見たらもちろん、デカいとは思ってた。でも、洗濯物なんか畳んで直接肌着なんか見ちゃうと、よりいっそう感じた。たぶん、着やせするように工夫してたんだと思う」

「なんでそんなこと」

「たぶんさ、女としての一面なんかより、一人の人間としての自分を見て欲しかったんだと思うよ、おふくろは。でも、親父はそうじゃなかった。顔や身体でしか女を見てなかった。……こないだの事件、あっただろ。知らない間にアイツ、結婚相手が変わってた。あの相手が親父の"何人目"かもわからないけど、俺が知ってる相手も、時折家に連れてくる女たちもみんな、内面なんかより、顔や身体で選んだような身体をしていた。一緒に撃たれた愛人の写真だって、正直言ってずいぶんあからさまな感じだった。おふくろはたぶん……日本に来る前からも、親父にどこかで浮気されてたんじゃないかな。それも、一人二人なんかじゃなく、何人も。……別にいいだろ、こんな話。やめよう」

海はそうしてそっぽを向いてしまったので、ジェネルは慌てて会話を変えた。

 

「じゃあ、さっきの話ですけど」

「うん?」

「さっき、晴留ちゃんとしてた話です。ほら、家建てるって」

「ああ……」

やはりその話も聞いてくるよな――と思い、海は少し気まずそうに返事をした。

 

「関東への移籍前提で考えてるわけじゃなくて、ちょっと安心しました」

「俺が移籍したくなくても、上が勝手に打診する可能性だってあるだろ」

「ないですよ。球団の経済効果や、今いきなり海さんをトレードに出すことで球団が受ける非難のリスクなんか考えたら、誰にだって出来ません。誰だって、いまさら佳井海という男を手放して、悪者になりたくないでしょうから」

「悪者、ね……」

 

『そのうち、みんな父さんに怪我させちゃいけないって、気を遣って内角になんかも投げなくなると思うよ。そうなったら、仮に父さんが4割なんか打てなくなってもきっと楽してヒットも打ち続けられる。みんなここまできて父さんにきわどい球なんか投げて、選手生命を絶たせるような怪我なんてさせたら、きっと死ぬまで叩かれ続けるだろうからね――』

 

「……新にも最近、なんかそんな感じのこと言われたよ」

「……なんか、ごめんなさい」

「いいよ。俺という人間が、もはや他人にとっては俺以上のモノになってしまってることは分かってるつもりだから」

しばらくそうしてまた途切れかけた会話を、ジェネルは必死でつなごうとする。

 

「コーチ、ならないんですか?」

「なりたい顔に見える?」

「いや、全く。なんなら、指導者って顔じゃないです」

「だろ」

「でも、球団がそれを許してくれるかって言われたら、たぶん、押し通されちゃうんだろうなーって感じはします」

「……あんまりこういう言い方したくないけど、コーチや監督の身分は誰も守ってくれない。選手が活躍できない理由はコーチや監督のせい。……そりゃあ、指導がひどいコーチや監督だっているし、誰よりもそれを分かってるつもりだよ。身をもって長いこと体験したからね」

「それは……まぁ……」

「でも、全体がうまくいかなかったら、それは全部コーチや監督のせいだろ。指導者のことは誰も守ってくれないのに、給料は今の何%になるんだよってくらい低い。監督くらいの立場なら、人によっては年俸も億くらいにはなるらしいけどさ……今ですら俺はこうしていろんな奴から叩かれ続けてる日々だってのに、今度は監督やコーチになってまた長い間叩かれ続ける日々なんて、俺はごめんだ。別に、金のために仕事を続けて来たわけじゃあないけど、今の6億という年俸がもし、将来コーチとかになるための前払いのつもりでいるんだとしても……俺は嫌だね。現役を辞めたら、俺は、俺や、家のことだけ考えていられる人生を歩みたい。仮にコーチになって、お前のことは仮に守れたとしても、挨拶や円陣の声かけもろくにできない若手や中堅まで守るのは……俺は嫌だ」

「じゃあ、コーチになったら、私のことは守ってくれるんですね?」

「……お前さ、いちいちそういう言葉を大きく受け取るなよ」

 

嬉しそうに笑顔を見せたジェネルに海は呆れながら、神奈川方面へと車を走らせていた。首都高から外れて、わざわざ海沿いを走るようにして進路を取るジェネル。11月ですらこの混み具合だ。これが夏だったらきっと、こんなものではないくらい混んでいるのだろう。助手席に乗っているならまだしも、とてもじゃないが、すすんで自分で車を運転してこのあたりまで来たいとは思えないだろう――と海は思った。

 

「小田原の市場でバーベキューできるところがあるらしいんで、お昼そこにしましょう」

「晴留も連れてきたかったんだけどな。アイツ、BINEで服選んでる最中の写真のほかにさ、メッセージ送ってきたよ。何が『デートの邪魔しちゃ悪いから』だ」

「実際デートですもん」

「家に看病してる嫁を置いといて、デートなんてそんな大声では言えないよ。確かに、もともとは授賞式が終わったら、華耶と何日間かはこうしてデートするつもりではいたけどさ」

「華耶さんが代わりに楽しんできてって言ってる以上、楽しまないと華耶さんに悪いですよ」

「分かってるよ。分かってるんだけどね――それをお前が言うな」

 

海は浮かれ気分でニコニコしているジェネルを諫めながら――考えてみたら、横浜だとか、東京だとか――確かに自分はこの国にやってきたのは中学校の頃とはいえ、案外首都圏のことも、大阪の行動範囲内のことも、大して知らないことに改めて気づかされた。

 

吹田にも長いこと住んでいるけれど、行きつけの店以外のことや、よく出前を取っている店以外のことを自分はほとんど知らない。大阪でのテレビの収録で、府内のあちこちの店を連れられたけれど、その後家族を連れて行ったためしがないし、道頓堀のあたりだとか、いわゆるコテコテの大阪の街なんて、誰にどう絡まれるか分からない以上、プライベートでわざわざ自分から行く気がしなかった。

そうして華耶に連れられたりしない限りは引きこもりがちな生活をしているものだから、吹田の街のことすら海は知らない事だらけだった。

 

「野球辞めたらさ、色んなところに行ってみたい、って思う自分はそこにいるんだけどさ」

「はい」

「行ってみたい、知りたい、っていう気持ちと同じくらい……俺が行ったってそんなに楽しめるのかな、って気持ちもさ、あるんだよ。たぶん、俺みたいな性格の奴は、一人でどこかに出かけたって、きっとあんま楽しくないんだろうな。これまでもそうだったように。……お前が言うようにさ、たぶん、どこか特定の場所に出かけて遊ぶのが楽しいんじゃなくて、その過程だとか、誰かと一緒に行くってことのほうが、よっぽど大事なんだと思うよ。だから……お前があちこち行きたい場所があるだとか、連れて行きたいだとか言ってくれて、ありがたいよ。俺がハンドル握ってたり、俺にこの旅の主導権があったら、きっと、どこにも行かずにまたすぐホテルで寝て過ごして終わってたと思うから」

「へへへ。もっと褒めてくれていいんですよー?ほらほら」

「……こればっかりは、本当に褒めてやるよ。お前、こういうときは本当頼りになるよ。一生一方通行のくせに、できた女だよ、お前は」

反論をしなかった海にジェネルは最初こそ笑顔で居たが、次になにかリアクションがあるものと思っていたのか、きょろきょろと海を見つめ――しばらくして本当に海がその後何もアクションを起こさないことに驚いた様子を見せた。

 

「……なんか素直に褒められるとそれはそれで、なんか物足りなさありますね」

「お前も、面倒くさいやつだね」

「うそうそ。冗談ですよー。でも、なんかこう……くすぐったさ、ありますよ。海さん、普段ああいう性格してますから」

「そうかい」

面倒くさい奴だ、と海は思いながら、冬の暗い色をした海をウィンドウ越しに眺めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。