海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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141・既成年の主張

「お疲れ様。まあ、私が何か言うよりも、皆それぞれ思うところのある結果になったんじゃないでしょうか。そこを自分なりに色々考えて、気持ちの整理をして、全体練習の日まで各自、調整するなり休息するなり、好きにやってちょうだい。それじゃあ、各自解散」

「監督――」

今季最終カードでは3戦全敗。おまけに直前の試合を含めて4連敗という形で最終戦を終えたチーターズ。2位でリーグ戦を戦い抜いたとはいえ、首位のバトルシップスには最終的に18.5ゲーム差をつけられ、またしても大差をつけられて優勝を逃す形となってしまった。

 

確かに、今更長々とネチネチと負けたことに関して語ってもどうにもならないことは海だって分かってるのだが、あまりにあっさりしすぎた覇気のないミーティングに海は口を挟まずにはいられなかった。しばらく休養をはさんだ後、この後もう一度ポストシーズンに向けて戦いがあるというのに、どこか他人事のような――本当に勝つ気があるのかというところを海は疑わしく思い――どうせこんなチームでそんなことをしたところで何も変わらないのだけれども、せめて、監督という立場から全体に対してやるべきことがあるのではないか――海はそう思って立ち上がった。

 

「最後に一言二言、気合くらい入れませんか」

「あいにく僕はね、そういうキャラじゃないんだよね。大体、そういうのって、キャプテンがやるもんだと思うんだけど。あ、そうだ。言いだしっぺのお前がそういえば、このチームのキャプテンだったね。僕なんかよりも、キャプテンの口から、何か一言どうぞ」

「茶化さないで下さい。連敗した空気のままポストシーズンになんとなく突っ込んでいくつもりですか。一旦ちゃんと締めて、ポストシーズンでやり返すくらいの勢いをつけたほうがいいと俺は思います。このままじゃ、皆なんとなくふわふわした感じでポストシーズンを迎えてしまいます」

そうやって大事なところから逃げて、肝心なところの責任は全部自分に押し付けるつもりか――と海は不満を露わにした。

 

「君ねえ。そういうのはみんな、各自、頭の中に思うところがあるわけ。今日のことは今日のことでとっとと忘れて、リフレッシュしたらいいの。今一瞬だけ気合入れたからって、ポストシーズン始まる前からずっと力んでたら、休めるもんも休めないよ。大体君だって、気合ひとつでどうにかなる問題っていうものが世の中そんなにないこと、今までよく経験してきたことでしょう。僕は、そういう無駄なことはしたくないわけ」

「……」

若手や中堅どころの何人かが『早く帰らせろよ』という表情を浮かべている。普段出たがりの選手たちが、こういうときこそ出しゃばってきてくれるかと思いきや、さも監督の言うことが正しいといった表情でうんうんと頷いている。来世は政治家にでもなったらどうか、こいつは――と海は一瞥をくれてやり、再び今野を見つめた。

 

こういうときに監督やコーチというものは、選手のために動いてくれるものではないのか――?

自分は間違ったことをしたか――?

 

と、海の中にある常識が崩れそうになった。

実は、おかしいのは自分だけではないのだろうか――だから今までの人生はこうも歯車が狂いっぱなしだったのではないだろうか――海の目の前の景色は、うっすら歪み始めた。

 

「……監督。……僕は、やるべきだと思います」

田中はそう言って挙手しながら椅子から立ち上がった。

思わぬ人間の行動にチームメイトはざわつき、その視線を田中に集中させた。

 

「僕は前の試合、試合を作れませんでした。……こういうことを言ったらなんですが、今年、僕らは1位にはなれないけど、よほどヘマをしなければ2位以下にはならない、っていう、安心感だとか、怠慢みたいなのは……どこかにあったと思うんです。それはたぶん……僕だけの話じゃないと思っています。あ、いや……こう……別に、誰がどう、っていう話じゃ……ないんです。本当に、そういう話じゃないんです」

 

田中からの突然の言葉に、何言ってるんだよ――と強い視線を田中に向ける者も居たが、そうした面々が強い眼差しを向けてしまうのは、それほど思い当たる節があったからのように海には思えた。

それでも田中は引き下がろうとせず、そのまま少しもじもじしながら、言葉を続けた。

 

「ただ……別に順位が確定してる中、打たれても、ちょっと自分の防御率が悪くなるくらいだし、しかも別にタイトル争いに食い込めてるわけじゃないし、別に自分がここから頑張って投げてたところでどうせ今日の試合もう決まっちゃってるし……みたいな、油断みたいなのとか、諦めみたいなのって、僕だけじゃなくて、他の選手にも、心の奥底に……あったんじゃ……ない、でしょうか」

 

事実、それでいて否定の言葉を誰も言い出せなかったあたり、自分はそうではない――と誰も胸を張って言えなかったからなのだろう。顔を真っ赤にしながらも、ふざけるな――と誰も反論できずに、ただただ田中に向けて鋭い視線だけが集まっていた。

それがかえって、今のチーターズの勝ちきれない理由を表しているようで、海の胸は痛んだ。

 

願わくば、どこも同じような状況でシーズンを終えたら、どこも同じような理由でミーティングルームが曇り、そして、どこもここと同じようにして黙り込んでいてほしい――と海は強く思った。

どこも同じようなチームでやっているものなのだと勝手に思い込まなければ、海は今すぐにでも発狂してしまいそうだった。

 

「……ここ何年か、ずっと2位が続いています。僕が中堅だった頃なんかより、前の監督の頃なんかより、ずっと強くなったと思います。でも……そういう、いい意味でも悪い意味でも、昔とは違って毎年Aクラスに踏みとどまれる力があるぶん、『どうせ優勝できなくても、今日の試合一つ勝てなくても2位3位にはおさまるし』っていうの、確かに心の余裕はあっていいんでしょうけど……なんでしょう……こう…………言葉を選ぶ表現ですけど……やっぱり、こういう、なぁなぁな感じでポストシーズンに挑んで、それでまた負けたら『まあでもまた来年頑張ればいいし』みたいな感じ……僕は……よくない……と思います。その来年が来ない選手だって……必ず年に何人かはいるわけですし」

滅多に意見を言わない田中が、ボソボソと呟きながらも、痛烈に、辛辣な言葉で問題を投げつけた。

 

相変わらず田中の顔は青白く、頼りなかった。周囲から向けられ続けている強い視線に萎縮したような表情だったが、それでも、その言葉を止めようとはしなかった。田中なりにずっと胸に秘めていた思いだったのだろう。田中は言い終わってから、決していつものように『すみません』とは言わずに、立ったままでいた。

決して何かを主張するわけではなかったが、声量の大きい外様の先発投手は田中の主張に頷きながら――じっと田中ではなく監督を見つめていた。同じ投手として、たった一人だけが、田中の主張を本気で聞き、そして問題意識を持っているようだった。

 

「――私も、一度ちゃんと腹から声を出して、一度円陣を組んで終わるべきだと思ってます。一応リーグ戦が終わったっていう一区切りでもありますし、一旦ちゃんと締めたほうがいいと思います。それに、ポストシーズンは私たちとバトルシップスだけのものじゃなくて、ドルフィンズのものでもあります。ドルフィンズだってポストシーズンで下克上を狙ってるんです。ドルフィンズとだってだいぶゲーム差開いてますけど、本番はバトシとの一騎打ちだから~ってなぁなぁでポストシーズンに突入して、それでその前哨戦であるドルフィンズ戦でうちらが負けたら、いくらなんでもファンに失礼だと思います」

 

ジェネルがすっとイスから立ち上がり、周囲を見渡した。

相変わらず、極端な大声というわけではないが、すっきりとよく通る声が部屋中に響き渡り、その主張は誰の耳にもしっかりと送りつけられた。

今野は特に何も考えてないような、考えていることはあるけれど何を考えているかを明かさないようなぶしつけな表情で、ジェネルの主張を聞いていた。

 

「監督。やりましょう。監督がやらないなら、私がやります。他の誰もやらないっていうなら、私だけでもやります」

ジェネルは真剣な眼差しで今一度今野を見つめたが、そんなジェネルにも今野はずっと同じような目線を送り続けていた。何の心にも響いていないような――そんな感じが漂っていた。

ずっと腕を組んで聞いていた小室が今野の横に立ち、その肩を叩いた。

 

「監督。早く帰りたいのでしたら、この三人の意見を聞くべきではないかと僕は思いますよ。監督のご意見も、この三人の意見も――どちらが正しくてどちらが間違っているかと言えば、どちらも恐らく、それぞれの中に正しさがあり、間違ってはいないでしょう。であれば、ここで互いの意見を対立させてしまうほうが、監督にとっても、チームにとっても、あまりよろしくはないのではありませんか」

「円陣を組んだくらいで勝てたら、世話ないと俺は思うけどね、君」

「ごもっともです」

それは、自分の円陣に対して声を出さない選手がいることへのあてつけだろうか――と海は今野を睨んだが、腕を組み――

 

「……それじゃあ、ポストシーズンの勝ち上がりと、このあとの下克上を願って――でも、まずはいったん無事に大阪に帰って、ゆっくり英気を養ってちょーだい。いいね?」

「はい!」

気だるそうにしながらも一応、今野は円陣を組ませ、その声に一同が一斉に応じた。

今野がやれと言った途端に円陣に応じる若手や中堅の手のひら返しに海は色々と思うところがあったが、ここで文句を言っていても仕方がないので、海は黙っていた。

もっとも、その円陣の中で特に響いていたのは、海とジェネルと、声のひときわ大きい外様の先発投手の声くらいだったのだが――。

 

「――実際ね、監督からしてみたら『今日チャンス二度潰した奴が何言ってんだ』ってところもあると思うんだ。そりゃ、そうだよな。俺が今日潰した二度のチャンス――あそこでタイムリーを打ててたら、流れは変わってたと思う。そのチャンスを二度も潰しておいて言うような言葉じゃあないというのは分かる。試合結果だけ見てれば4打席2安打なんて言っても、所詮、俺は『肝心なときに役に立たない』ってレッテルをこういう試合で剥がせない男だからね。そこまで言うならお前がもっと打ってチームを導いて見せろって顔されるのも、分かるよ」

 

試合後、恵比寿のもんじゃ焼き屋で食事をしていた海とジェネルと田中の3人。試合前に薫もジェネルを通じて一応食事には誘ったのだけど、ジェネルから『ちょっとそういうことが出来る日ではない』と言われ、どうやら薫は試合の直前に一足早く帰ったらしい。

 

華耶が家でたびたびお好み焼きを焼いてくれたものだから、もんじゃのついでにお好み焼きも注文し、慣れた手つきで海は鉄板に生地を広げていた。

軽快な手さばきとは裏腹に、海はぶつくさと試合後のことを長々と愚痴り散らしていた。

 

「そんなの言ったら、私だって7回の攻撃ではチャンスを潰しました。おあいこですよ」

「でも、お前は一度はタイムリーを打ったじゃないか」

「海さんみたいなこと言うのであればですよ、二度目のチャンスを生かせなかった時点で私も海さんと同類です。あーいうところ打てないから、今シーズン、去年ほど打てなかったんです。200本安打だって、あと5本だったのに。私にはその『あと5本』が遠かったんです、今季。ちょっと自分の中で自分のバッティングを見つけたと思ったらこうですよ。野球って、難しいですねー。あー、ほんとやんなっちゃいますねー、ほんと」

ジェネルは一丁前に海と似たようなことを言いながら、わざとらしくため息をついた。田中から見てそれは、海のため息をやや悪意ある真似をしたように見え、顔を背けて静かに笑った。

 

「たった数年3割が続いたくらいで何を分かったような口利いてるんだよ。今までが順調すぎたんだよ、お前は」

「もっと順調じゃないと困るんです。目の前でもがき苦しみ続けてる人の隣に立つためには」

「世の中そんなに甘くないよ」

海はジェネルの言い分を冷めた様子で押しやろうとしたが、ジェネルは止まらなかった。

 

「だとしてもですよ。……私、最近海さんがどんな気持ちで若い頃のキャリアを歩んでたか、段々理解できるようになってきた気がします。まずは30本、なんて言われて、私ももう9年になります」

「……そうか、お前ももう若手と言われない年数を重ねてしまったのか。道理で俺も歳をとったわけだ」

海はジェネルの9年という言葉を茶化すようにしながらお好み焼きをひっくり返し、ソースを塗り始めた。田中は感心したような様子で海の手さばきを見ていたが、ジェネルはそんなことお構いなしにさらに言葉を続けた。

 

「去年も、一昨年も、あとちょっとのところで30本に届きませんでした。打率を残すことだって大事ですし、私だってそりゃあ……常にフルスイングは心がけてますけど、そこまでなりふり構わずブンブン振り回すタイプじゃありません。理想は海さんみたいにちゃんと技術でボールを弾き返しながらホームランも量産することですから。でも、やっぱみんな私にはホームランを期待しちゃうんですよね。しかも今のチーターズはここ20年の中でトップクラスの重量級打線なんか敷いちゃってるもんから、私に対してなんかも30本なんかはまず通過点!なんて目でみんな見てくるんですよねー」

30本が通過点なんて、贅沢な話だ――と投手の目線で田中は思ったのだが、それはあえて言わずにおいた。

 

「そういう声はあまり気にしないで、私は私のことだけ考えて打席に立とう、って思ってました。でも……ファンや周囲の声って、励みにもなれば、重みにもなるんですよねー。今年は、打ち上げたつもりの打球がゴロになっちゃったり、ちょっとした迷いが打球に乗っちゃって、去年ならライトオーバーのツーベースになってたような当たりが、ちょっとだけ詰まってヒットにこそなったものの、ライト手前のシングルヒットになったり……そういう当たりが多いから、その分打率も下がっちゃったのかなって。自分のことだけ考えて野球できる奴は楽でいいな、って海さん言ってましたけど――」

「……プロの洗礼、ですか」

その言葉を田中は奪った。思わぬ横槍にジェネルは少し驚いた様子を見せたが、特に怒ったりすることもなく、少し語気を弱めて肯定した。

 

「まあ……そんなところです。私もいよいよ、私と海さんのことだけ考えてられない立場になってきたんだな、って思います。もちろん、私が海さんを胴上げするくらい頑張って、それで成績を出すってことは、ファンの期待に応えてるってことでもあるので、まだ海さんほど重い立場になんかなってないんでしょうけどね」

フッ、と笑いながらも、すぐに目を伏せ、もう少しやれたはず――というような顔つきをしたジェネル。そんなジェネルの表情を見て、きっと自分もかつて同じような表情をしてきたのだろう――と海は思った。

 

ただひとつ違うのは、自分は大体いつもこんな感じの気持ちで居たが、ジェネルのように普段は明るく振舞っている人間が突然こんな表情をするものだから、ジェネルはジェネルなりに日々、思うところがあって生活しているのだろうと海は思った。

 

確かに普段、ジェネルと二人で話をしているとジェネルは時々このように自分の気持ちを吐露することはあったし、一丁前に落ち込んでみせることはこれまでも何度もあった。

それでも、去年のベストナインのこともあってか、自分の成績はもっと上を目指さないといけないということや、周囲に求められる自分と、今の自分とのギャップなんかをジェネルはだいぶ意識しているようで、その姿は少し前の、自分をただの憧れの姿としてしか見ていなかった頃のジェネルとは別人のようだった。

海はお好み焼きにマヨネーズなどをかけながら、そんなことを考えていた。

 

「まあ、まだお前はお前のためだけに野球やってるようなもんだけどね。ちょっとはいろいろ考えて野球やるようになっただけ、だいぶ成長したとは思うけど」

「あー、ひどいです。なんでそういう軽口叩くんですかー。こう見えて結構私、ガチで落ち込んでるのに。割とガチで今慰めてほしいタイミングなんですからねー、これでも。ひどいじゃないですかー、自分の悩みやガチの闇はさんざん私にこすり付けておいて、そんでもって私にいろんなもの吸ってもらってるのに」

「吸うとかこすりつけるとか誤解されるような言葉を使うんじゃない」

海は田中へと目をやりながら、ジェネルの言葉に釘を刺した。

 

「……やっぱり二人って、キャラクターとしての関係なんじゃなくて、マジでそういう関係なんですか……?」

隣にいる田中に誤解されたらどうするんだ――という言葉を出すより先に、田中が口を挟んだ。

手に持っている、まだ少し熱を帯びているヘラでも唇に押し付けて口を利けなくしてやろうか、と海は田中を睨みながら――

「やめろ。今日は貸切じゃないし、普段と違って個室じゃないんだぞここは」

と熱々のヘラをクロスさせて口元に近づけ、それ以上喋るな、とサインを出した。

 

「でも事実じゃないですかー」

ジェネルが余計なことを言い出す。

「事実なのは認めるとして、なんでそういう誤解を生む言葉を使うんだよ、お前も。俺がお前にすがりついたのは確かに事実だし、お前に慰めてもらっ――」

「……な、慰め……!?」

慰めるという言葉も多少マズいし、なんなら、確かに田中に事実を明かすには色々とギリギリな場面であることには違いない光景ばかりが海の脳裏によぎる。

しまった――と思ったときには、既に田中は別世界に迷い込んでしまったような表情で呆けてしまった。

 

「もうさ、この話やめよう。誰のためにもならない。あーあ。心の闇なんて、打ち明けるものじゃないね。ほら。切り分けたからさっさと食え。こんな話してる間にお好み焼きが冷めたらどうするんだ」

海は半ばやけくそになりながら取り皿にお好み焼きをそれぞれ取り分け、一人でがつがつと食べ始めた。

 

それをニヤニヤした表情で見つめたジェネルはひじをテーブルについて顎を乗せ――

「私は別に、全部明かしても困りませんよ?」

と言うものだから、海はジェネルを睨みつけ――

「お前にも、ほじくりかえして恥ずかしい場面の一つや二つあるだろうに」

と不快そうな表情を浮かべながら、遅れてやってきたもんじゃを鉄板に広げはじめた。

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