海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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146・無力という罪、憧れという罰

試合を終えた後、ジェネルは居残って少しだけ練習するつもりで通路を歩いていた。

オープン戦、なるべく意識がコンパクトに、コンパクトに……とこじんまりとしすぎないようにあえて大振りを意識していたジェネルはまずまずの調子を維持していたが、そうしてホームランや海の放つような決定打を意識しすぎるとなかなかバットは素直に言うことを聞いてくれない日々が続いていた。

 

自分ではしっかり捉えたつもりのボールが少し詰まっていたり、そうしたボールをしっかり振り抜いてパワーで押し切ろうにも、自分は回転をかけるタイプの打者だから、イメージほど伸びないまま風に押し戻されてしまって、あとほんの少しが届かない――そんな打球が続いていた。

 

海のように、別に一発にこだわらず率を残しながらもしっかりと振り切るバッティングが理想だし、わずかにスタンドまで届かないにしても、自分なりにはしっかりとバットに当てる技術と、少しでも遠くへと飛ばすための大きなスイング――自分の中でそのちょうどいいポイントをつかみつつあった――つもりだった。

それでも、周りの目やチームの状況を考えると、そうして30本塁打に届きそうであと一歩かないシーズンをここ数年続けている以上、そろそろ本塁打の数も意識しなければいけない時期に自分はありつつある。実際、海にももう若手ではないことを自分は指摘されてしまったのだから、なおさらだ。

 

30本塁打という数字への強い意識をやめて、いっそ20本塁打台を安定して打ち続ける中距離打者としてシフトしてしまうのも一つの手なのかもしれないし、逆に、海ほどの打率を目指すことを完全に捨てて、毎打席ホームランばかり狙いにいくスタイルに振り切ってしまうのも手なのかもしれない。

それでも、海がかつて過剰な期待を受け続け、結果的にそれを跳ね返して結果を出し続けてきたように、自分だってフルスイングと、単なる大振りではなくしっかりとボールを見ることができる打撃技術を買われてプロに入ったのであれば、やはり一度くらいはその期待に応えなければスカウトにもファンにも悪いだろう。

やはり、どちらか片方に甘んじてなど居られない――。そう思いながらジェネルはバットを手に長い長い通路を歩いていた。

 

試合後しばらく経っているというのに、監督室から話し声が聞こえてくる。一人ではないようだ。なにやら、少し怒っているような――壁越しにでも伝わる、嫌なピリピリとした空気がジェネルの肌を伝う。

 

〈――見たでしょう。あれが今の佳井さんなんすよ。ヒットだけじゃ短期決戦なんて勝てないんすよ。ほんとに勝ちたいなら、打順、下げてくださいよ。いつまで3番で使って夢見てるんすか。そんなに佳井さん干して叩かれるのが嫌なんすか〉

 

「……」

 

誰が部屋の中で文句を言っているかなど、ジェネルにとってはどうでもよかった。ただ一言、ふざけるな――と殴りこみに行きたい気分だった。

ドアノブに手をかけ、それをひねろうとしたジェネルだったが――

 

『なんなら、アレでしょう。お前、佳井がこんな風に言われたから、ちょっと不満に思っただけなんじゃないのかしら――』

 

『君が大事なのは、所詮、チームじゃなくて、佳井だからね』

 

『君はチームの空気というものをね、ナメすぎですよ。君がそうして、おかしいところだとかなんだとか、みんな心のどこかで少しくらいはおかしいとは思ってるけど、あえて黙っておいてやってるところを、君が大声でおかしいって言うことで、かえっておかしい空気になってるの』

 

『みーんな、今のお前のこと、心の奥底で思ってるよ。『公私混同だ』って。そんなにモノ言えるほど打ったわけでもないくせにさ、ちょっと自分がリーグを代表する選手としての軌道に乗ったからって、あんまりいい気になられると、困るんだよね』

 

今野から受けた鋭利な言葉が、ジェネルの右の手の甲を再び突き刺し、とうとう握っていたドアノブからも手を離してしまった。

 

そうなのだ。

きっと、起用法をめぐって他の選手のことを引き合いに出していたならば、自分はきっと立ち止まりもしなかったのだ。

ただ、海一人だけに責任をなすりつけようとするそれだけが自分にとって気に入らないだけで、もし他の選手に対しての文句だったなら、きっと自分はドアノブに手をかけたりなんか、しなかったのだ――。

 

〈――まぁ、考えてはおくけどね。でもね、君、覚えておきなさい。僕はね、人にモノを言えるほどの立場でもなければ、偉そうに物申せるほど打ってない奴から文句言われるのも、あんまり好きじゃないんだよね〉

〈でも俺だってベストナインくらい獲ったことあるじゃないですか。対等なはずっすよ、俺と佳井さんとは〉

〈じゃあ聞くけどね、君。年間通して彼の代わりができるわけ?できる?試合のすべての責任を負わされるほどの覚悟が、君にはあるわけ?君は単に、自分にスポットが当たらないことに不満があるだけなんじゃないの〉

〈それの何が悪いんですか〉

〈なるほどね。君はもうちょっと利巧なタイプだと思ってたんだけどねぇ、そこまで言うなら、君、死ぬほど叩かれてもらうかもしれないけど――〉

 

徐々に遠ざかっていく壁からの声を背に、ジェネルは黙って――涙目になりながら、グラウンドへと向かった。

最近、自分はずいぶん涙もろくなってしまったような気がする。涙もろくなった、というよりは、自分の無力さだとか、自分の軽薄さだとか、今までそういったものに直面してこなかったツケが回ってきたのだともジェネルは思った。

 

一人でティースタンドとケージを準備し、ひたすらボールを叩き続ける。

ボールもろくに見えてなくて、冷静さを失った、ただひたすらがむしゃらなだけの練習に、いったい自分に何のプラスを生むのだろうと自分でも思ってはいたが――この悔しさを、海だってまだ帰国していない状況で一体何にぶつければいいのか分からなかった。とにかく、ボールに半ば八つ当たりするような形でバットを振っていなければ気が済まなかったのだ。

 

かつて、海は自分の無力さからおもむろにバットを自分の額に向けて叩きつけようとした時があった。なんて愚かしいことをするものだ、とジェネルはあの時海に対して思っていたが、こうして年月を重ね、自分にも少し野手としての責任が伴うような立場になった今ならば分かる。

なんでもいいから感情をぶつける先がないと、人間、体が爆発してしまいそうなほど、有り余るエネルギーが自分に向いたり、他人を傷つける方向などに向かってしまうのだ――と。

 

今のジェネルには、誰かもちゃんとは分からないその声の主だとか、監督だとか――偉そうに海を既に終わったような扱いをしていた若手だとか中堅どころだとか――そういった、直接ぶつけることもかなわないものをボールだと思ってひたすら叩くことでしか、どうにもできなかった。

 

「ううっ……!!うああああああああっっ……!!!!!!!」

 

それでも、そんなむき出しの感情だけではボールはうまく叩けない。手に伝わるインパクトだって、まるでヒットを量産できるようなものでもなければ、快音をスタンドまで響かせるような、正しい力のこめ方でもない。

 

鬱屈した感情から、ジェネルはバットをグラウンドに叩きつけ、地面をどんどんと叩きながら、その場に泣き崩れた。

15年という埋まらない時がどうにもならないなら、せめて、誰も寄せ付けないほどの力が――圧倒的な力が欲しかった。

誰も自分に逆らえない力が。少し前の海のように、周囲を実力で黙らせるほどの力が――。

 

~~~

 

〈ごめん、あんまり見せ場ないまま世界一なんかになっちゃって〉

「ううん。いいんだよ。グループリーグの逆転満塁ホームランだけでも、仕事ちゃんとしたじゃない」

〈お前だけはそう言ってくれて嬉しいよ〉

「みんなそう思ってるよ。自信持って、帰ってきて」

〈ありがとう。じゃあ〉

 

グループリーグ突破を決めた一打。その瞬間、佳井海はやはり終わってなどいなかった――と日本中が確信した。

民衆の手のひらというものは、軽く、風見鶏のようだ。ついさっきまで南を向いていたものが、ちょっとの衝撃ですぐに北を向く。

内心、応援団だって自分に対して、本当はダメかもしれないという思いで演奏していたかもしれない。それが、一打ですべてが変わってしまった。

 

準々決勝では、キューバ相手に初回にタイムリーを放ち、1点を先制。5回まで1点のリードを保ったまま試合は進むが、6回に先発が三者連続ホームランを浴びてしまい、直後の攻撃でランナー一・二塁、一発が出れば同点のチャンスで海はゲッツーに倒れ、チャンスを逃した。

その後、日本も2本のソロホームランで追いついたが、9回の攻撃で海は再びゲッツーに倒れてしまった。

直後の打者がソロホームランを放ったため、試合は4対3で勝利した。

 

準決勝のメキシコ戦でも海はランナーを得点圏に置いた打席が二度あったが、これも二つとも凡退。試合は日本が4本のホームランで猛攻撃を仕掛け、9対1で勝利。

そして決勝戦の対アメリカ戦――7回表、0対0で迎えた、無死ランナー三塁の場面で海は代打として出場したものの、ボールを打ち損じ、三塁ランナーを本塁アウトにしてしまった。挙句、直後の守備では、7年ぶりについた二塁の守備でエラーをし、アメリカに先制点を許すきっかけを作ってしまった。

9回の打席では11球粘った後、四球で出塁。直後に後ろの打者が2本のホームランを放ったことで日本は逆転し、5対2で大会連覇を成し遂げた。

 

直後のビールかけでも海の表情は硬く、チーム唯一の40代で最年長という周囲とのちょっとした世代の違いもあり、海はその存在感をなるべく消していた。

交流のある選手というものも特にいなかったから、一人でビールをとりあえずかぶっておいて、残りはなるべく、カメラにも映らないような場所で時間を潰し、危うく決勝戦での最大の敗因になりかけた自分のプレーをひたすら反省していた。

 

勝ったからまだ海のエラーというものはそれほど大々的にバッシングされたり、散々穿り回されるようなことはしなかったし、海の逆転満塁ホームランをもってグループリーグを突破したという功績もあって、海の不振を問題視したり指摘する者は現れなかった。

 

一方で、その後の打席が振るわなかったことも事実だから、海についてはニュースやワイドショーではそれなりに好意的に捉えてはもらえたものの、代表には他に注目選手もいるものだから、海の打席結果自体があまり取り上げられることもなかった。

 

逆に、あれほどグループリーグ突破直後海の復調を期待されてたものの、キューバ戦で放った先制タイムリーに関しても、その後一旦逆転されてしまったことや、その後派手にホームランによる攻勢があったため――メキシコ戦で2本のヒットを放ちバントもひとつ決めたことなんかは、それが両方得点に絡まなかったこともあるせいか、ニュースの尺の都合もあってまったく報道されなかった。

 

情報を伝える側に立っている華耶は、限られた時間の中で情報を取捨選択していくと、確かにそういった地味なシーンはカットされてしまいがちなことも分かっていたし、逆に、動画サイトで情報を発信する――すなわち、時間を無限に使ってコンテンツを発信できる仕事にある自分たちですら、コンテンツの発信力という観点から見ると、そうした地味な場面を特集として取り上げることがどれほど難しいかを誰よりも知っているつもりだ。

 

だからこそ、バント特集だとか、流し打ち特集だとか、ポテンヒット特集だとか――試合の大味な部分以外の特集をなるべく魅力あるコンテンツとして発信する工夫を華耶はしていた。

それをかつての上司に否定されたこともあったが、華耶はそうした『本当に些細な部分』の発信をやめなかった。野球は些細なプレーや、ヒット一本から突然流れが変わることだってあるから、そうした点からの特集をやめなかった。

 

自分が報道の立場で働いていたなら――いや、それでもやはり厳しいだろう。報道の時間は、動画サイトのように見たい人が好きなだけ見ればいいものと違って有限だ。編集する側だってカットしたくなかった場面が多々ある中で、皆報道しているのだ。報道に文句を言っても、仕方がない――。

 

テレビの向こう側で、奥の奥で髪を束ねて一人でたたずんでいる海の姿を、華耶は少し寂しそうな目で見つめていた。

 

「……あれ?はい、もしもし」

珍しく、ジェネルから自分宛に電話がかかってきた。確かに、普段ちょっとした――調味料が足りないときだとかのやりとりもあったし、どうしても冷蔵庫に食べ物がない際に華耶に泣きついてきてから、華耶のほうから時折常備菜を渡しに行くことなんかもあったけれど、そうしたときは大体BINEを使ってやり取りしていたものだから、直接の電話に華耶は驚いた。

 

〈……すみません、華耶さん。ちょっとこの後、おうちに遊びに行ってもいいですか?なんなら、泊まりたいんですけど、いいですか〉

「え?あたしは別にいいけど……え?どうしたの?」

〈なんか……ちょっと、一人でいたくなくて〉

「一人でいたくない?」

〈……ずるいですよね。普段、海さん好きなように連れまわしておいて、海さんが居ないなら居ないで、こうやって。それで、華耶さんの好意につけこんで家に上がりこもうとしちゃって〉

「え?いや、いいよいいよ別にそんな。あたしも退屈してたところだしさ。夕飯、まだだよね?なんか美味しいものでも作っておくからさ」

〈……ごめんなさい。ありがとうございます〉

ジェネルの声は普段よりもしおらしく、華耶はそんなジェネルを放っておけなかった。かといってジェネルの口から今直接聞くことも華耶はせず、ただただジェネルを受け入れることだけにとどめておいた。

 

華耶もまた、海がテレビから半分消えかかっていることに少しモヤモヤしていたから、どんな理由でアレジェネルが家を訪ねてくるというのは、少しだけ気が紛れそうで、少しだけ嬉しかった。

 

きっと今日は酒が入るだろうから、酒のつまみになるようなものは何かないかと冷蔵庫を漁る華耶。少しでも海が居ない時間を紛らわしたいというところにおいて、二人は共通していた。

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