海の彼方で   作:錫樹トシアキ

150 / 238
147・女同士の懺悔

「まずは、おめでとうございます。……いろいろと」

がらん、としたリビングを見渡したジェネルは、テーブルに注文してきたオードブルを置いた後、華耶にノンアルコールビールを手渡した。

「ありがとね。ほんと……いろいろ、あったからね」

 

今年の1月末に推薦で啓皇に合格が決まった真結と広乃は、つい数日前に東京の新居に引っ越したばかりだった。予定通り1月はじめに完成した世田谷の新居には早速、三葉が親族を数名手配して、家具の設置などを手伝ってくれたばかりだ。

先に晴留と三人で暮らすという関係上、今の家以上にセキュリティが厳重に敷かれているらしく、念のためしばらくはすぐ近くに華耶の本家の会社で雇っている警備員も派遣しておくようだ。もちろん、そんなことを三人に言うときっと余計な気を遣わせてしまうため当然黙っておいている。きっと今頃、晴留と一緒に家を駆けずり回ったり、部屋をどう使うかなどを話し合っている最中だろう。

 

ジェネルは合格祝いに服だとかなんだとか、美容やファッションにかかわるものを数日前に注文してやったばかりで、もうじき届くところだ。三人とも喜んでくれているといいなと思いながら、リビングに新たに飾られた、大きさの割に着飾らない、いかにも海の住処らしい新居の写真を眺めていた。

 

何年も通いつめた家ではあるが、そこから一気に真結も広乃も居なくなったリビングはジェネルにも寂しさを感じさせた。

それもそうだ。自分はプロ10年目になる。あっという間に20代の折り返し地点は駆けていき、中堅どころと言われるどころか、あと数年もしたらベテランと言われる歳になる。

いつかのクリスマス、一緒にバニースーツを着てみせた晴留とも前に東京で会って以来だし、自分と目線を合わせたがらなかったあの強がりな新も、イギリスに旅立ったと海から聞いてからは、その後の話をあまり聞いていない。

 

海自身、あまり子供の話を積極的にはしたがらなかったから、家を出て行った子供たちがその後どういう生活をしているのか、ジェネルは気になっていた。

もちろん、あの子供たちのことだから、非行なんかに手を染めていることもなければ、順調にことを進めているのだろうけれど――とジェネルは思いながら、自らもノンアルコールビールのプルタブを開けた。

 

「とりあえず、乾杯しましょう。一応、何かあったときのためにノンアルコールにしてあります。夜遅くなってから、ちゃんとしたビールでも飲みましょう」

「うん、そうだね。それじゃあ――乾杯」

 

なんとなく、二人とも胸のうちに秘めている気持ちがありながらも、どこかにこやかな表情の裏にはぎこちなさが漂っていた。

どちらが先に、ぎこちなさを解くために話をするべきか――少しだけ、二人とも迷っている様子だった。

 

「……海さん、決勝戦びっくりしたでしょうね」

「うん?」

しばらくの沈黙の後、ジェネルはWBCSの話題を振った。華耶はWBCSの中でも、自分が思っていたような話題ではなかったからふと決勝戦で何があったかを思い返した。

 

「二塁守るの、私がまだプロに入ったばかりの頃以来くらいだったじゃないですか」

「……そうだね。あたしの中ではついこないだくらいのつもりだったけど、もうそんな前だったっけ」

「一応、ショートとかの守備練習してたみたいで、いつ何があってもいいように準備だけはしてたみたいですけど。シーズン中も守備コーチとも内野全ポジション、立ち回りを確認もしてたみたいですけど、実戦と練習とは全然違いますし」

「あれはさー、見てたあたしもひやひやしたよ。確かに内野、今回のメンバー見てると、控えなんか見てても他に二塁とか守れる人あんまり居なかったけどさ、だからって、まさかそのまま二塁守らせるとは思わないじゃん」

海にプレーで周囲を牽引してほしい、という思惑があった代表監督だが、実際のところジェネルがロッカールームで試合を見ていたときのように、海がかつて便利屋扱いされていたことから何かあったときどんなポジションでも最低限守ってくれるだろうという狙いもやはりあったのだろう。

メンバーは全体的に攻撃力に特化した面々だったから、二塁の経験者だってほとんどいない。

海だって二塁手のスペシャリストというわけではないが、替えがきくという理由でまさか本当に海が二塁手として試合に出場するとはジェネルも思っていなかったから、素直に華耶の言葉に「そうですね」と頷いた。

 

「40歳にさあ、ひどいことするよなー、って思いながら見てたよ。あんな絵に描いたようなトンネル……海くん、捕球だけは結構ちゃんとしてるイメージあったからさ、そりゃ、焦ったと思うよ、あの場面。それまで壮行試合とか、1試合だけでも二塁守ってたとかならいいけどさ、決勝戦のあんな大事な場面でいきなり二塁守れなんてさ……」

ジェネルから海の話題を切り出し、しばらくWBCSを二人なりに振り返るが、二塁の守備の話からなかなか次の話題が咲いていかない。

ポジティブに振り返るシーンが前回大会ほどないから、ジェネルも華耶に気を遣ってそこからしばらく話を切り出せずに居た。まして、自分の口から海のプレーへのダメ出しなど、華耶の前でするわけにはいかない。

 

華耶もしばらく、自分から話を切り出していたジェネルに気を遣ってジェネルの話に合わせていたが――話が少し途切れたところで、華耶の口から、その言葉は飛び出した。

 

「……実際さ、ジェネルちゃんがあの場に居たら、あんなこときっと海くんはしなかったと思う」

「そうですかね?」

「そうだよ。もしジェネルちゃんが選ばれてたら、海くん、もうちょっと今の大会も、ピリっとしてたと思う」

「またまたー」

「ううん。お世辞でもなんでもなく。今大会、海くんなりに頑張ったのはあたしだって分かるし、あのホームランだって、あたし、びっくりした。正直今回の大会、もうダメかもしれないって思ってたけど……やっぱり海くんすごいじゃんって思った」

「私もそう思います」

華耶の言葉にジェネルは頷くと、華耶は中途半端に残していたノンアルコールビールを飲み干し、はぁ、とため息をついた。

 

「でもね――やっぱり、海くんそれなりにさ、歳取ってるんだよ。歳取ったなりに、自分にできるスイングを調整したりだとか、いろいろ工夫してるのは、あたしだって画面見てたら分かる。現場にいるジェネルちゃんならきっと、あたしなんかよりももっとずっと……海くんが今どれだけもがいてるかも、どれほど苦しいかも知ってると思う」

「……」

ジェネルは華耶のその言葉に返事を出せなかった。自分が何か言ったら、海の心身は、海自身がどれほど抗っていても、とっくに限界を迎えてしまっていることを認めてしまうことになるからだ。

取り繕うにも、取り繕うほどの話が浮かばなかったし、何か自分がそんなことないと否定したところで、自分よりも一番近くで海を見てきた人間にそんな思い付きの言葉で否定したって嘘を見抜かれるだろうから、ジェネルは何も言い返せなかった。

 

「ジェネルちゃんも薄々感じてると思うんだ。見た目は昔のままだし、かっこいいまま。ここ一番で放つヒットだって、あの頃のまま。だけど、やっぱり、年間通してのパフォーマンスという点で見たら、昔は常時100%を出し切っていたけど、今は試合の中で力を入れるべきタイミングを選んでる。だから、昔ほどキレがない打席なんかもある。自分の中で、試合の流れの中でどこが自分にとっての一番の勝負どころなのかを考えてスイングしてるような感じもある。だからって、70、80%の力でもヒット打っちゃうんだけどね、海くん。……別にそれが手を抜いてる、ってわけじゃないんだけど、試合の大きい流れのタイミングだとか、この試合はここが決め所!って思って打席に立ってる場面なんかがあるせいで、それ以外の打席がなんだか――何も知らない人からしてみたら、今までよりも少し怠慢に見えてるところは、見てる人からしてみたら、あるのかもしれない。それでいて打率を残せちゃうもんだから、なおさらね」

 

ジェネルはふと、先日監督に抗議していた、ドア越しに聞いた誰かしらの言葉を思い返した。3割半ばから後半を打ち続ける海というものに文句が生まれるのは、もともとそれ以上打ち続けていたからなのだろう。だからこそ、今の海に不満が生まれるのだろう――。

そう思いながらも、ジェネルはそのことは華耶には黙っておいた。華耶に話して何か事態がよくなるとは思えなかったからだ。

 

「……でも、海くんが何よりも打率を気にしてたように、そういう勝負どころって思ってる打席ですらヒットを打てない日々が続くから、余計落ち込んで帰ってきたりもする。じゃあ全打席、自分の思うようなスイングをして、それで守備走塁もバリバリできるかって言ったら、昔ほどは体がついてこないし、自分の中でよくなかったスイングがそれなりにヒットになっちゃうものだから、それはそれであんなのヒットのなりそこないだって言って、へこむ」

「……」

 

華耶はビールをもう一缶開けながら、淡々と話し続けた。

やはり、華耶はしっかりと海を見ている。伊達に可能な限り全試合、海の試合を追っているわけではない。家に居る間の海のことだって見てるだろうから、きっと、現場に居る自分よりも見えているものがあるのかもしれない。

なんなら、現場で海を見ている以上、自分は海に対して主観が入ってしまうから、華耶のように画面を通して客観的に見た海というものはまたさらに違って見えるのだろう――。

ジェネルはそう思いながら、半分くらい飲み終わったビールに手をつけることすら忘れていた。

 

「あたしがさ、悪いんだ。あたしが、海くんにプロポーズしたとき『自分が見たかった景色を見せて欲しい』なんて言ったから、海くんをここまでひきずっちゃったんだよね。あたしはただ、プロの場で、一日でも長く、健康で、海くんらしくプレーしていればいい、っていう気持ちで言った――はずだったんだ。でもね、だったらそう言えばよかったんだよ。なのに『自分が見たかった景色を見せて欲しい』なんて言葉が出ちゃったのは、自分のためにいつか優勝旗を持って――日本一になって胴上げされてる姿を見せて欲しいって思ってるから出た言葉なんだよ。あたしは、海くんを妬んでたところもあるんだ」

「妬み?」

「あたしは野球を続けたかった。でも、体はこんなんだし、いつしか自分のバッティングや自分らしいプレーってのが何なのか分からなくなって、野球そのものを辞めちゃった。プロ野球は好きだけど、高校野球は嫌いだって時期もあったし、今だって……高校野球見てると、時々胸が痛む。プロで怠慢なプレーなんかを見てると、イラっとくることもある」

「……」

「そんな海くんが、高校の頃あんだけ綺麗なセンター返しやらライナーをガンガン打ちまくってさ、難しいコースなんかも苦にしないでヒットなんか打ってるのに、『俺は野球があんまり好きじゃないから』なんて言ってたからさ……正直、ちょっと妬んだよ。だったらその力、あたしにちょうだいって思ったよ。羨ましかったし、自分の代わりに一秒でも長く野球を続けて欲しかったし、いつか、何かが海くんを変えて、野球を好きになってほしい、って思ってた。その何かは、あたしが生み出すものだとも思ってた。あたし、海くんのことはずっと大好きなままだし、もともとあたしの一目惚れでもあったから、見た目も、人としても好き。でも……だからなのかな。嫉妬だけじゃなくて、自分で海くんを独り占めしたいって思いもあったのかな……。だからつい、そうやって海くんに枷をつけちゃったんだ」

 

ジェネルは華耶の独白に思わず言葉を失った。ずっと笑顔を絶やさない華耶が、野球に対してそんな思いを抱えているとは思わなかったし、海が勝利にこだわり続けている理由に華耶の存在があることは分かっていたが、華耶のこうした一面があるとは思わなかったから、ジェネルは気軽に肯定や否定なんかをして流れを止めることはできなかった。

 

「海くん、あんな性格でしょ?だからそんなあたしの言葉を真に受けて――あたしにいつまで経っても、日本一どころか優勝旗すら持って帰れないことをずっと悔しがってる。自分が居なくてもつかめた世界一なんて何の価値もないなんて言ってさ。世界一のほうがよっぽど凄いことなのにね。だから……前にさ、そんな約束、もう忘れてちょうだいって、あたし、結婚指輪を別のに交換して、改めてプロポーズしなおしたのに――それでも海くん、あたしとの約束をやっぱり気にしてる。二度も世界一という景色をあたしに見せてくれたのに、日本一はまだ獲れてないからって……そのことばっかり気にして、自分はダメなやつだ、って悩み続けてる」

 

華耶は2本目のビールをぐい、と飲み干し、缶を握り潰してから――呼吸を整え、再び話し始めた。

 

「これ以上、海くんが、あたしなんかの約束のせいで苦しむ姿を見たくない。それでも、あたしは、海くんがああやって活躍したりする姿を見ると、ついときめいちゃう。やっぱり海くんは海くんだ、って。やっぱりあたしの海くんなんだ、って。長年見てた海くんの姿を全部そのたびに思い出して、そのたびに恋しちゃう。そうしてときめくたびに、あと何年海くんがああして打席に立てるかなんて、考えたくなくなるし、海くんが怪我なく無事に続けてくれたらそれが一番だけど……できるなら、ずっと現役続けててほしいとも思っちゃう。でも……試合を終えて家に帰ってきて、あたしになだれこんでくる海くんを見てると……早く楽にしてあげたい、っても思っちゃう。もう、本当にいいのにね。世界一には二度なったんだからさ……それでいいはずなのにさ……。あたしが、楽にしてあげるべきなのにね。あたし、わがままな女だよ」

 

華耶はそう言って、うつむいてしまった。

 

「……きっと、私も悪いんです。海さん、華耶さんとの約束を気にしてるだけじゃないんですよ。私……正直言って、あんまり最近、監督とかとうまくいってない場面、ちょいちょいあるんです」

「今の監督が?」

「ええ。テレビじゃあんなんですけど、最近結構……きつくて。それでも、だからこそムキになって、私、絶対ここで活躍して、優勝して、みんなを見返してやりたい、って思っちゃってるところ、あるんですよ。海さんが前の監督とあまり仲がよくなかったように、私も、意地張っちゃってるんです。だから、二人で絶対優勝しましょうね、なんて言っちゃって……。私がここにいるからこそ、海さんを巻き込んでしまってるんです。海さんは、私を自分の中の戦いに巻き込んでしまって申し訳ない、みたいなこと言ってますけど、私も十分、海さんを巻き込んじゃってるんですよ。私が海さんを意識し続けて、海さんもあまりたくさんの人と交流するタイプなんかじゃないから、私がいるからここで戦い続けよう、ってなっちゃってるんです。……海さん、ぶっちゃけ結構依存するタイプじゃないですか」

「うん。結構っていうか、かなりね」

「ですよね。……WBCS選考の時だって、私に『お前が居なきゃ困る』みたいなこと言ってて」

「へぇ?」

 

意外な言葉が飛び出したことに華耶は少しだけ前かがみになってジェネルの言葉に興味を示した。

 

「私が、海さんにあんなにベッタリしなかったら、海さんはもっと自分のためだけにプレーできたはずなのに――華耶さんが自分の感情の中で矛盾が起きてるように、私も……海さんにそう言ってもらえるの、嬉しいですし、海さんに振り向いてもらえるのも嬉しいです。でも……私がきっとここまで距離を詰めなかったら……ううん。なんなら、私が女なんかじゃなかったら、海さん、もっと自分にワガママに振舞えたんじゃないかな、って思う時があるんです。それでも、華耶さんが言うように……そうして海さんに優しくなんてされちゃって、そのたびに嬉しくなっちゃって、キュンキュンしちゃって……。友情でとどめておけばいいものを、私が友情以上のものを海さんに感じてしまって」

 

ジェネルも同じように、うつむいてしまった。

華耶は海の感情の捌け口に全身で、言葉も交わさずに受け止めることができるだけまだマシだと思っている自分がそこにはいた。

 

華耶は何度も、別に海をたぶらかして浮気しても構わないと自分に言っていた。海にも同じように言っているとも話していた。華耶は嘘を言うタイプの人間ではないから、本気で一度二度は自分を抱くことを許容しているのだろう。

ただ、海が自分を"女"としてではなく、"野球人"として見ている限り、自分には野球人としてしか海のことを受け入れることができない。そうして、自分ばかりが海の一挙一動にいちいち舞い上がっていってしまう。

 

堂々と『浮気をしよう』と海に言いたいわけではないのだが、せめて、自分にも海を全身で受け止められる権利があったなら――海に、自分にも心のちょっとした隙間を埋めさせてほしいと思えるほどのふしだらさがあったならば――どれほど、海の心の、たった数ミリだけでも、その淀みを掬い取ってやれることができただろう――。

そう思うと、ジェネルは改めて、海に何もしてやれないことを悔しく思った。自分が女にさえ生まれてこなかったら、肩でも組んで気軽に飲みにでも行って、朝まで酔いつぶれるまで飲むものを――とも思った。

 

だからこそ、海には結果で示すしかない――分かってはいるのだが、自分の打撃というものは、つかめそうで未だにつかめないままでいる。海に肩を並べることの難しさを改めてジェネルは痛感した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。