『まぁ、とりあえずさ。僕にも考えがある、っていうことでここはひとつ、呑んでくれる?呑むよね。君だって今更問題なんて起こして晩節を汚せはしないだろうし。僕もね、嫌なんだよ。君の打順を、特に決定打になるような理由もなく下げたっていう理由で、マスコミから色々と詮索されたり、バッシング受けるの』
納得がいかない――。
開幕直後、公には『WBCSでも調子の乱高下があり、やや調整不足と見て』という理由で海は突如、今野から何の相談もなく6番で起用をされていた。
確かに、チームに合流してまもなくはボールの感覚の違いに苦しんだりもしたが、開幕からしばらくして2試合連続猛打賞を挙げるなどといった海本来の調子を取り戻しはじめ、そろそろ自他共にエンジンがかかってきたような姿を見せていた。
それでも、今野はここにきて海の打順を頑なに上げようとはしなかった。これほど当たっているのに6番で起用し続けるということは何か他に理由か作戦があるのか、と問いただすと、今野は相変わらず何か考えているような素振りを、何も考えていないような表情を浮かべて、まるで海を相手にしなかった。
自分に何か至らないことがあったのであればそう言ってくれれば、6番という打順も特に何も抵抗なく座れたものを、帰国してすぐ今野から『お前、3番から降ろすから』と、理由も告げられずに6番を打たされていた海。
3番という打順にこだわりがあったかといえば、確かに、長い年月かけてそこにたどり着き、自分なりに勝利のための打撃を極めてきたのだ。ないと言ったら嘘になる。
だがそれは、今まで散々自分のことを興業扱いしてきたからこそ、単なる勝利だけでなく、自分なりにプライドや反骨心、矜持を持って3番を打ち続けてきたのだ。それを今度は自分にはもう興業価値がない、とでも言うような一方的な采配で打順を降ろすのだから、海としても、この1、2年、結果でちゃんと示さなければ、自分は間違いなく干される――そう確信していた。
では結果で示せば考えを改めてくれるのか、と言われると、今野のことだから、本当に自分を干すためにわざとやっていることのようにも見えなくもない。
裏で何か考えていてもそういったことを他人には明かさないし、ここ数年、今野の言葉の節々には、ある意味では前野以上に自分さえよければそれでいいというような棘を感じることがあったから、海からしてみれば結果で示して世論を動かすかどうにかしなければもう、自分には本当に移籍するくらいの道しかないように感じられていた。
それ以外に何か本当の理由があるならば、もったいぶってないで話して欲しいとも思ったし、そうしたコミュニケーションをこれまで取って来なかった今野がいまさら自分の考えをしっかりと相手に伝えるということはないだろうから、海は険しい表情で練習に挑み続け、黙って周囲に自分のスタンスを主張し続けていた。
「……まぁ、面白くないですよね。何か聞いても『僕が6番で使うべきだと思ってるから6番で使ってるだけなんだけど、それでチームは相変わらず上位争いをしてるんだから、別にいいじゃない。何が不満なの、君は』ってしか返ってきませんし。何か内部で事情があるならあるで言えばいいものを、そういうことは全部隠そうとする。思ってることは本当は色々あるくせに手の内を明かそうとしない人が世の中一番嫌われるんですよ。今更ちょっと強キャラ感なんか出して、黒幕みたいなオーラなんか出しちゃって、上から偉そうに」
木村は不快感を隠さずに、肉を焼きながらブツブツと今野への文句を口にした。
「実際、どうなんです。今野監督、もともとあそこまでキツい性格じゃなかったと思ってるんですけど、最近、中でもあんな感じなんですか。監督就任の頃はあそこまでイライラだってしてなかったでしょう。もともとああだったんですか」
「歳取ると性格変わる人、いるだろ。そういうタイプの人間なんだと思うよ。というか、昔からずっとああだよ。ずっと、本当のことは誰にも教えてはくれないままだ」
「すみません、そっちは割とどうでもいいんですよ」
「どうでもいいって」
「中でもああなのか、って話を聞いてるですよ。僕らに対してもあんな態度なんじゃあ、中でも何かやってたりするんじゃないですか?もともとああやって偉そうにチームでもしてたのか、最近になって中でもああいう態度をとるようになったのか」
「……」
海は肉を頬張りながら、しばらく黙った。木村の顔をじっと見ながら、深いため息をついて、テーブルに肘をつき――左右をきょろきょろと窺う様子を見せた。
「お前みたいな職業の人間に、あまりすすんで言いたい話じゃあないんだよ」
「でもそれを言ってもらわないと僕らも仕事にならないんですよ」
「あまり、書いてほしいことじゃないんだ。心にも留めてほしい内容でもない」
「今更何か隠すことがあるんですか、僕に」
「お前だから言いづらいんだよ。お前が今更、俺が言ったことを記事にデカデカとスッパ抜くほど、手柄優先で動いてるわけじゃあないことも知ってる」
「だったら」
「だけど、お前がうちらのチームから内部事情を知れる手段って言ったら、俺かジェネルかくらいかしか居ないだろ。監督も、コーチなんかも、ちょっと前に色々あったことをすすんでアレコレと漏らしはしないだろ。中堅や若手あたりが、あることないことをマスコミにペラペラ喋りでもして、ちょっとくらい騒ぎになったなら俺だってちょっと言ってやってもいいけど……あいつら、チームのことなんかより、自分のことばっかりだ。話を掘っていっても、暴露してくれる話なんかはきっと、足の引っ張り合いだよ」
「じゃあ、なおさら佳井先輩の口から教えてくださいよ。実態を」
海は木村の顔を、冷めてはないのだが、寂しげな表情で見つめた。
「別にさ、俺が監督から何言われたとかでやり返して欲しいわけじゃないんだよ。俺は、前野からもボロクソ言われてて、そのたびにあのハゲはメディアにもそのまんま同じことを言うから、地元紙でも好き勝手書かれてきた。でも、今野は、あそこまで派手なことをしないと思う。なるべく自分の手を汚さないで俺をどうにかしようとしてるかもしれないのは、なんとなく分かってはいる。でも――」
はぁ、と深いため息をついてから、海は続けた。
「……何度も言うけど、考えたくないんだよ。よそのチームだったら、もっと、気楽に野球できたのかな、とか。お前が俺のことを考えてくれるのは嬉しいよ。でも、チームのことで場外乱闘を起こしてまで野球なんかしても、誰のためにもならない。空気が悪いチームです、なんてのは、テレビを通してなんとなく皆が想像するのはまだいいけど、新聞だとかテレビだとかでお前が考えてるようなことを記事や特集になんかしたら、俺たちも、外から見た世界も、皆『やっぱりチーターズってそういうもんなんだ』って思ってしまうだろ」
「それの何が悪いんですか。事実なら明かすべきですし、そうして明るみにしていくのが俺たちの仕事なんです」
木村は海の言葉に苛立ったような様子で肘を突いた。こういう部分が木村の青さでもあり、人として未熟なところだと思ったし、海がメディアの人間を信用しきれない理由の象徴でもあった。
「お前はそれでうまいメシを食えるかもしれないけど、そうなると今度はうち以外なら11球団どこでもOKとか言うやつも今後ドラフトのたびに出てくるかもしれない。そりゃあ、監督やコーチだって選手と同じく歳を取るものだから、いつか監督だって契約満了でいなくなる。あくまでこんなのは、一時的なものだ。でも……俺の野球人生、プロに入ってから、ずっと、戦ってばかりだった。最後くらい、自分のことだけ考えて、野球とだけ戦っていたいんだよ。今野がどうやっても俺を干そうとするなら、それまでのことだ。俺の人生、所詮こんなもんだ、って思うしかない。悔しくないわけじゃないけど……そりゃあ、悔しくないわけないけどさ……でも、戦ってどうにもならないことだってあるんだよ」
複雑そうな表情を浮かべて、海は肉を火にあぶって、渋い顔をしながら口に入れた。
「……時を戻せたなら、移籍したいと思いますか」
「当たり前だろ」
海は強い視線で木村を睨んだ。
「仮に移籍できる可能性があったなら、どんな手を使ってでも移籍しようとしたと思うよ。でも……仮に時間を戻せても、きっと、俺が思ってるほど、俺の人生はうまくいかないと思う。……そうとでも思わないと、自分のこれまでの人生や、俺がここまで戦ってきた日々、その何もかもを全否定することになるじゃないか。だから悔しいんだよ。俺だって、好きで意地張って生き続けてきたわけじゃない。これまで、ずいぶんつまらない意地を張ってき続けたものだと思うよ。でも、俺がそのつまらない意地にここまで生かされ続けてきたことだって、事実なんだ。だから――」
「……それで大々的に場外乱闘なんか引き起こして、自分に都合のいいように世間を動かすのはフェアじゃない、ってことですか」
「……」
海は首こそ頷いたが、渋い表情を浮かべたまま、口を開こうとはしなかった。
「……ま、先輩らしいっちゃ、らしいですよ。今までどれほどキツくても、チームの中の本当に深いとこの話はあまりしたがらなかった。内心、このチームはクソだっていう言葉以外にたくさん思ってたこともあるだろうに、僕にはあまりそういう話はしてこなかった。それが、先輩のポリシーなんでしょう。だったら、僕もあまり詮索しないでおきます。ただ――」
木村は箸を置き、海の顔をじっと見ながら――
「何かあったときは、先輩を守る側にいさせてくださいよ。俺だって心配なんですよ。先輩、このままだと本当に心だけじゃなくて、体も壊しそうで。いや――致命的にその両方を壊しそうで」
「……あいにく、男に心配される趣味をしてないよ、俺は」
「茶化さないでください。東京に転職したのだって、ビジターで追える試合が多くなるからなんです。最後まで、しっかり追わせてくださいよ。俺なりに、先輩のことは追い続けてきたつもりですから」
「……」
いたって真剣な表情で海を見つめる木村。
海はそれを、信じきってはいないが、決して疑ってる様子ではない表情で見つめながら――
「ペンで銃弾は落とせても、ペンで野球はできないよ。スポーツっていうのは、筋書きのない物語らしいからね」
「ですが、ペンでベンチを動かすことならできます」
「だとしても、お前は俺のためという言葉を使いながらも、兵庫じゃなく、東京の新聞社を選んだ。関西競馬だってあるのに。それがお前の答えだよ。お前は俺を守ることをダシにして、キャリアアップをしようとしているにすぎない」
「……そこは、申し訳ないとは思ってますよ。ですが、地元紙だからこそ触れづらい話題だってきっと、あるでしょう。俺も一人の人間ですから、上昇志向くらいは持っていたいんです」
「だから、あまりお前をアテにしたくないんだよ。カッコいいことを言うだけなら、覚悟を言葉にするだけなら、人間、いくらでもタダでできるからね」
「そんなに俺の言うことは、信じられませんか」
木村は海の言葉に、少し不満げな様子を見せ、眉間にしわを寄せた。
「信じられないね」
「俺がメディアの人間だからですか」
「というかね、信じられないっていうよりはね、他人を過信したくないんだよ」
露骨に不機嫌さを見せた木村に対して海は即答した。フォローのつもりで言ったというよりは、純粋に自分の気持ちを言ったようなものだった。きっと、木村以外の記者に対しても同じことを言っただろう。
「お前をアテにして、俺が自分のためだけに立ち振る舞いをするようになんてなったら、それはそれで、お前も、世間をも幻滅させることになるだろ。お前をまったくアテにしてないわけじゃない。でも、これからの俺の命運すべてをお前に託すのは、俺にとっても、世間にとってもよくないと思ってるだけのことだよ」
「それこそ、先輩こそカッコいいこと言って、適当に言いくるめようとしてるように見えますけど」
「そう思うなら、そう思えばいい」
海は追加で頼んだウーロン茶を飲み干し――
「奢らないけど、お前に奢られるのもなんだか弱みを握られた気がしてね。だいたい半額くらいだろ、これ。とっといてくれ。割り勘のつもりだ」
と、テーブルに金を置いて立ち去ろうとした。
「割り勘にしては、ちょっと多いですよ」
「でも、完全に奢るわけじゃない。奢ったら奢ったで、お前を信用しきったことになるからね。残りは帰りのタクシー代だと思って、とっておいてくれ」
海はそう言ってそそくさと場を立ち去ってしまった。
木村は追いかけようかとも思ったが、これ以上海を詮索したところで、海の機嫌がよくなるとも思えなかったし、そうして海を不機嫌にさせるのもそれはそれで不本意なので、仕方なく財布に金を入れて、皿に残された肉を一人で焼き始めた。
「……」
メニューを見ながら、余った金で少し自分では頼みづらいような肉でも食べようかどうか、少しだけ迷いながら。
~~~
「あ、海さん――」
木村と別れた後すぐに大阪に戻った海は、休養日となっていたこの日、少しだけ軽く練習するつもりで球場に足を運んでいた。
室内練習場で一人ティー打撃をしていたところ、案の定――という言葉を使っては心外だろうが、ジェネルが少し遅れてやってきた。
「少し身体を動かしたくて、ちょっとだけ」
「俺はまだ何も聞いていないぞ」
「呼んでもないのに『どうしてお前が』って言ってそうな顔してたんで」
「そうかい」
海はジェネルの全く似てない自分の物真似に少しだけ笑いながら、淡々とボールを乗せては打ち、乗せては打ちを繰り返していた。
すぐ隣でジェネルはスイングをしながら、少しだけ遠慮気味に口を開いた。
「今、話しかけても大丈夫ですか」
「本当はあまり話しかけてほしくないけど」
「ダメって言わなかったので、話します」
「……勝手にしたら」
海は少しだけ投げやりな感じで返事をした。
「一昨日、帰りの新幹線に乗ってるときにSMSでメッセージがきたんです。監督から。直接話せばいいのに、突然SMSですよ、SMS。だったら電話でいいのに」
「……あまりいい予感はしないね」
「まあ、海さんにとっては、半分くらい……7割くらいは悪い話だと思います」
「何だよ?俺の悪口でも書いてあったの?」
「違いますよ」
海の振ったボールは、ゴッ……と少し鈍い音を立ててケージの下へと転がり、代わりにへし折れたバットが高く宙を舞って、床に転がった。
海は渋々バットを拾い上げ、転がったボールを脇に寄せながら、一呼吸置くようにしてバットを杖代わりにして顎を乗せてしゃがみ――ジェネルを見上げるようにして見つめた。
「じゃあ、何だよ。わざわざBINEでも、電話でも、あるいは明日球場で直接言えばいいものを、ひょっとしたら球場に俺がいるかもしれないっていう前提でここに来てわざわざ俺に言わないといけないようなことがあったんだろ。何だよ。もったいぶらずにさ。俺がトレードの駒にさせられるとかか?」
ジェネルは気まずそうに――それでも、何か覚悟を決めたような表情で、海を見つめた。覚悟はしているのだけど、迷いがある。そんな矛盾した感情が短いスパンで二転三転としながら、すうっと息を吸って――ジェネルは恐る恐る、口を開いた。
「……今の連戦のどこかしらで私を3番で使って、そこからしばらくは3番で固定するつもりでいるそうです」