〈――続きまして、U-18サッカー日本代表のニュースです。ポルトガルで行われている国際トーナメントの一回戦、ノルウェーを相手にフォワードの佳井新選手が2ゴールを決め、日本が2対1で勝利しました。まずは前半27分。先制点を決めた佳井選手の、ここからパスを受け取ってからの華麗な6人抜きをご覧ください――〉
華耶は海の額のあたりにタオルを乗せながら、ニュースを見つめていた。
テレビの向こうでは、髪質こそ違えど、海とよく似た姿にすっかり成長しきった新が、海とよく似た険しい表情のままドリブルを決め、ゴールを決めると共にぴくりとも笑わず、喜ぶ周囲とは裏腹に険しい表情のまま持ち場に戻ろうとしている姿がしっかりと映し出されている。
U-18日本代表でもフォワードとして仕事をしっかりこなしている新は徐々に『あの佳井海の息子』というレッテルから自立し、『佳井新』という一人の人間として世間から扱われ始めるようになっていた。
もちろん、どこまで行っても取材陣や一部メディアは海の話を新に容赦なく振るし、そうやって面白半分で何かしら家庭関係に関するコメントをもらいたがった。
そのたびに新はあまりメディアに対して積極的にコメントをしないこともあり、時折インタビュー全文なんかがネット記事に載ると海と同じように言葉のノリが悪く、明らかに不快そうな態度で受け答えする新のコメントが見られた。
一方、時間が限られているテレビなんかでは語彙に乏しくろくに答えようとしない家庭関係のくだりは大概カットされ、ゴールやプレーに関する新のひどくストイックなコメントばかりがお茶の間に流れていた。
新も意図的に家に対してのコメントをしないことで、あくまでも自分を佳井新として扱うよう――とメディアに対して訴えていたのかもしれないし、プレーに関するコメント以外は答えないというスタンスをしっかりとアピールしていたのかもしれない。
それでもなお引き下がらないのが、メディアというものなのだが――。
前期混合戦が終わり、少しばかりの休養日を設けた後の6月最初のカード。
海はその2戦目、エンペラーズ戦にてホームランを打った試合の直後に突然"いつもの"体調不良に陥り、今年も一旦戦線を離れてしまっていた。
首位争いの真っ只中ということもあるせいか、2軍での調整を一切しないまま『1~2週間で体調を整えて戻ってくるように』と首脳陣から言われている海だったが、そんなことを言われても、いつどのように何を引き金にして爆発するか分からないのが海の病の怖いところだ。だからこそ海もまた、自分の病を恨んでいた。
コーチたちの言うように1~2週間でピタリと体調が戻ってくれて、それ以来一切病に苦しまずにすむなら苦労しないものを――と海は直接不満を言いたい気分だった。
自分だって日によって乱高下する症状の全てをさすがにカバーはしきれないし、どれほどひどく発症しても数日休めば一応は日常生活が出来るくらいには回復してしまう。
だからこそと毎回一日でも早く多少無理してチームに合流しているところはあるのだから、毎回そうやってすぐに復帰してくる自分というものを当たり前に思って欲しくない――そんな気持ちが海にはあった。
確かに、3番に再び這い上がらなければいけない、という強い思いもあったし、そういった不退転の気持ちでここ最近、しばらく練習も追い込んではいた。自分の思っている以上にストレスや疲れというものが溜まってしまっていたのかもしれない。
それでも、自分を追い込んでいるのはこれまでもずっと続けてきたことだし、強い気持ちで打席に立っているのはいつものことだ。
何かの弾みでプツリとギターの弦が一気に6弦すべて飛んでしまうくらいにはギリギリのところまで張り詰めた気持ちがそうして突然爆発しては、しばらく熱が下がらなかったり、寒気や震えが止まらなかったり、強烈なめまいを引き起こす――。
その症状は年々強まっているし、海の中でのそのラインは年々引き下がっていってしまっているように感じられ、こうして自分の中の爆弾が爆発してしまうたびに、ずいぶん自分は弱い人間になってしまったものだ――と海はついつい自嘲した。
ちょっとした弾みで時折全く立てなくなってしまったり、時には自分から言葉すら奪ってしまうほどの病が、自らの心の奥底でいつどう目覚めるか分からない状態で仮眠していることを恨まずにはいられなかったし、そんな病と自分は共存する――などとそんな大衆が喜ぶような言葉で自分の病を受け入れることなど海には到底できなかった。
楓悟の件である程度世間に自分の中の心の病を勘付かれてしまったものの、海は自らの口からその病について語ることは一切しなかったし、取材陣に対してもその質問だけは一切受け付けないようにしていた。
自分は自分の病に同情してほしいわけでもなければ、それを言い訳にしたいわけでもないし、病を跳ね除けるために頑張っているわけでもないのだから――。
今年こそは、今年こそはを20年以上繰り返し、一度つかみかけた日本一を手放してしまってからなかなか優勝できずにいるチーム状況において自分が戦線離脱することが何を意味するかも海は理解している。
それを考え込みすぎることが病を再び呼び起こす原因の一つだということも分かっている。
かといって、今更自分ひとりが頑張ってチームがどうにかなるわけでもない――。
じゃあ、もう野球なんて辞めてしまうしかないじゃないか――
一度崩れた海の心身のバランスは、傍から見れば回復傾向にあるように見えているのだが、こうして一日の中でこのように考え事をするたびに大きく崩れてしまい、なかなか万全な状態にまでは戻れずにいた。
『気持ちの問題なんだろ?なんだかんだ言ってお前のは。トラウマがどうだの、思い込みがどうだの。結局、全部お前の問題じゃないか。目に見えない病気なもんだから、何かあると病気が盾になって守ってくれて楽だよな。自分自身の情けなさにやってられなくなって心が折れてんのも、トラウマがきっかけで眩暈起こしたりすんのも、全部病気が悪いんですって言えば世の中が納得してくれるんだもんな、お前のビョーキってのはよ――』
生駒から言われた言葉をどれほど記憶から消そうとしても、こういうタイミングでどうしても思い出してしまう。
パソコンのデータを選んで消去するように、都合よく自分にとって嫌な記憶を消せるような世の中がきたならば、どれほど自分にとって楽だろう――。
楓悟のことも、生駒のことも、前野のことも、今野のことも、いっそ母親のことも――いっそ、昔のことなんか一切思い出せなくなるように都合よく消去できたなら、どれほど自分は楽に生きれらるだろうか――。
〈――試合後のインタビューでは佳井選手、『自分は自分にできることをするだけ』というコメントを残し、次の試合でも積極的に点を狙っていきたいという思いを語ってくれました〉
〈こういうところね、お父さんである佳井海選手によく似てますよね。自分では意識していないんでしょうけども、強いプロ意識というものを感じさせます〉
〈二回戦は3日後、フランス対ベルギーの試合の勝者と戦うことになります――〉
海は思考がめぐればめぐるほど額から湧き出てくる汗を鬱陶しそうに濡れタオルで拭いながら、テレビの向こう側でポーズを取っている新の姿を眺めた。
躍動感と充実感に満ち溢れながらもプレー中は冷静な表情のままの新。ゴールを決めてなお、己の中の闘争心を一切露わにせず、あくまでも通過点のような態度を取るその姿を見て海はぽつりとつぶやいた。
「俺は、アイツが普段どんな生活を送ってるかは知らない。アイツ、なかなか向こうの生活のこと、話してくれないからね。だから、どれほど挫折してるかだって、知らない。俺もお前も、テレビや携帯を通して見えてるアイツのことしか、知らない。俺の主観でモノなんて言うべきじゃないことも、自分の子供をこう言うことも、あまり気が進まない。でもね――」
でもね――と言ってから、その先を言うことを躊躇った海。タオルで顔を拭い、しばらくそのまま動かず、首筋にまで滴ってきた汗をもう一度拭った海を華耶は見つめていた。
「いいよ。あたしがいくらでも聞いてあげる。何言ったって、誰にも言わないからさ」
華耶は代えのタオルを海に差し伸べた。少し遠慮がちに海が渡してきたタオルを華耶は洗面器で洗ってから、海の隣に座って寄り添い、次の言葉を待った。
「……俺もあのくらい挫折がない環境と人生でスポーツができたら、よかったのになって、思うよ。ゴールを決めても、あの余裕だ。アイツ、自分の得点が自分のイメージどおりにできちゃうもんだから、達成感で叫んだりしないんだよ。国際試合だぞ。普通なら、少しくらい感情が昂ぶってもおかしくないのに。俺が自分のヒットに納得できないのとはわけが違う。……アイツからしてみたら、自分の取り巻く環境っていうか、自分の生まれた場所が、アイツにとっての大きな挫折なのかもしれないけどね」
「ほんとだね」
その本質は向上心からくるものであって、実は似たようなものなのではないか……?と華耶は一瞬思ったが、海の中ではきっとそうなのだろうから、華耶は黙って海の言葉を肯定し、寄り添った。
「……アイツがイギリスでどんな日々を送ってるかだって、分からない。心無いチームメイトから黄色人種【イエロー】なんて言われて傷ついてるかもしれないし、アイツのことだから、イエローなんて仮に呼ばれようもんなら、逆にやり返してるかもしれない。日本代表の中なんかでも、俺の子供だから贔屓してもらえてるんだろみたいな言い草だとか、金持ちはサッカー留学なんかできていいよな、だとか嫌味言われてるかもしれない。かえってそっちのほうがアイツにしてみたら、嫌な言葉かもしれない。でも俺は、結局アイツのうわべしか知らない。だから、こんな憶測でしかアイツのことを話すことができない。俺が新を羨ましく思うのは、新のことをよく知らないからなんだと思う」
「……いいんだよ。少しくらいはさ、子供に思うところだってあっても、おかしくないよ。親だもん。新だって海くんのこと侮辱してたしさ。本人に憶測だけの言葉をぶつけるくらいなら、今こうして話しちゃったほうがよっぽど海くんにとって健全だよ」
華耶の言葉に、海は一瞬笑顔を見せたのだが、そうして再び首を振って、タオルで顔を覆ってしまった。
「……でも、やっぱよくないよ。俺は、今の順調なアイツに嫉妬してるだけだから。アイツだって俺くらいの病気になれば、こうはならないはず、なんて思ってる自分が醜くて、嫌になるよ。アイツが俺みたいに、無能な監督らに散々振り回されたり、チームから冷めた目なんかで見られたりしてたら、きっとここまで順調じゃなかっただろうになんて思ってしまう俺も、何もかも。……赤の他人ならまだしも、息子だぞ。息子の活躍を素直な気持ちで応援してやれない親ってのは、そのまんま俺が見てきた父親そのものじゃないか」
「ダメだよ海くん。そうやって自分を否定しないで」
「……」
否定しないで、という言葉で海の心がどこかまたおかしなところへ飛んでしまわぬようにつなぎとめておくのが、華耶には精一杯だった。
普段自分が見ている姿よりも、いやに細く小さく感じられた海の腰。華耶は海に寄り添って肩や背中のあたりをぽんぽんと叩き、海の気が晴れるまでしばらくそっとしておいてやることにした。
〈――さて、続いてはエンタメのコーナーです。新舘さん、Vtunerという言葉はさすがにご存知かと思いますが、いかがでしょう〉
〈ええ。もちろん知ってますよ。バーチャルな肉体を持ったYoureTUNERのことでしょう〉
〈さすがは雑学王といったところでしょうか。さて、今日はVtunerの中でも――たとえばこちら、シエル・アウリンコイネンさんなんですが、なんとこのシエルさん、多言語配信者なんですね。こちらの『翻訳して歌ってみた動画』シリーズが現在人気です。本日はそうした『言葉』という観点から見えてきた最近の動画配信事情を特集します――〉
「aurinkoinen……?」
ふと、テレビの音声に思わず声を出して首を振り上げた海。自分でも久しく使っていない言語を口にして、目を丸くしながら、不思議そうな顔をしている――そんな海を横目に、華耶は海がつい落としたタオルを拾う。
内心、海の意識を呼び起こしたのが自分ではなくテレビの音声だったことに華耶は寂しさを感じていたのだが、笑顔を崩さないまま華耶は海を見つめた。
「え?何?アリ……何?」
「フィンランド語だよ。aurinkoinen。いや、でも……」
「でも?」
「シエルは、どちらかというとフランス語のイメージが強いだろ。確か、空って意味だったよな」
「そうだね」
「どうなんだろう、アウリンコイネンっていうのは、オノマトペ的な感じでつけた名前なのかな」
「適当な言葉がたまたまフィンランド語になったってこと?」
「別に、ありえない話じゃないだろ」
「そうかなあ」
「日本語だって、意図せず外国語の同音異義語になることだってあるだろ。俺の名前なんかもそうだ。それに晴留も、日本語的な響きでもあるし、フィンランド語にもちゃんと意味があってつけられた名前だ」
「そりゃ、そうだけどさ」
「大体、aurinkoinenがフィンランド語から選んだ名前だとするならさ、名前のほうまでもうちょいフィンランド風にするって。だってシエル……Sieluって……一応フィンランド語だけどさ。魂、だぞ。魂。人名……全く人名に使わないわけでもないけどさ……たぶん、別にフィンランドにゆかりがある人じゃあないと思うよ、こいつ。自分の名前に魂なんてつけるバカがいるか?プロレスラーじゃあるまいし」
テレビを指差してもう一度その姿を確認してやろうと思ったときには、すでに全く別人の特集が始まってしまっていたので、海は「なんだよ」と言って舌打ちをした。
「……で、その、アリンコホイホイみたいなやつの意味は?」
「aurinkoinen」
海は華耶の冗談に少しだけ不機嫌そうな顔をして睨みつけた。
「そうそう。その、アゥリンコイネンってやつ」
華耶なりに海の気を紛らわせようと少しだけ大げさに発音してみせたものの海には不発だったらしく、海は再び華耶を睨んだ。華耶は苦笑いをしたまま、変に喋るとそれはそれで海を刺激しかねないので、華耶は少し黙った。
気まずい空気がしばらく流れ、海は大きく咳払いをしながら、足を組みなおした。
「……晴れ、って意味だよ」
「じゃあ、フランス語のシエルに重ねたなら一応意味は絡んでるんだ」
「だから別に、何語でもよかったんだと思うよ、こいつ」
「こいつて」
大して知りもしない人物に対して遠慮なく口が悪くなる海を見て華耶は苦笑した。
「たまたまネットで外国語を調べててたまたま自分の中で響きがピンときたアウリンコイネンって言葉をつけてみたんだと思う。"なになにネン"って、ちょっとだけ響きも関西っぽいし。だから本当はこいつ、関西出身の人なんじゃないの。郷土愛、みたいなつもりでつけた名前。言っちゃ悪いけど、俺たちの国の言葉なんて、日本からしてみたらマイナーもいいところだし」
「別にそんな卑屈にならなくても」
「でも、国や有名なバンドだとか、レーサーとか……有名人なんかは知ってるけど、国で使ってる言葉までは知らない、って人ばっかりだ。下手すりゃ、国の位置だってちゃんと知らない奴だっているだろ。フィンランド料理なんてものもこの辺じゃほとんど食べられないようにさ、そもそも、あんまり日本で馴染みのある国じゃあないんだよ、フィンランドって」
「でも――」
「現に、華耶もそうだろ。さっきからフォローこそしてくれてるけどさ、俺が向こうの言葉で喋っても、何言ってるかなんて分からないだろうしさ」
なんとか卑屈になりがちな海の気持ちの舵をうまく取ろうとした華耶だったが、海はそんな華耶の言葉を一瞬で遮ってしまった。海の言葉にいまいち賛同できないまま、それでも思いを直接口には出さず、首をひねって苦笑を浮かべ続けるに華耶は留めていた。
「そりゃ、そうだけどさ……うーん……たまたま……かなあ?」
華耶はそう言って少しだけ顔色をよくした海の表情を見ながら、ふと気になってyoureTUNEからその、"シエルアリなんとか"を検索してみた。
そこには、ポニーテールの可愛らしい――オレンジの髪の毛に、空をイメージしたような爽やかめな服装の女の子のイラストが載っていた。
きわめて今風の画風で、自分の女性的な強みを前面に出したようなデザインだ。海にはどういう技術でこのイラストが動いているのかはある程度想像できたが、口の開きに合わせてアニメーションするイラストに海は技術の進歩などを感じて少し驚いていた。
「見て見て、なんかあたしみたい」
「お前はポニーテールを見たらみんな自分みたいって言うのかよ。全然違うだろ。髪の色だって違うし、お前、そもそも髪を右側に寄せて留めてるんだから。こいつは真ん中で留めてるから、言うほどだよ」
「でもあたしみたいになんか元気ハツラツって感じだよ」
「そりゃあ、ポニーテールでジメジメしてる性格してる奴なんて、そうそう居ないだろ」
「えー、偏見だよそれはー。え、すごいよこの子。まだチャンネル登録して2、3ヶ月くらいなのに凄い伸びてる」
登録者数を華耶は指差したが、その数字がどれほどすごいのかは海にはよく分からなかったので「ふーん」と白けた感じで対応した。
「ちょっとー。自分でなんかちょっと名前に興味あるような素振りして、あたしが再生数とかの話したら急に冷めるの、やめてよ」
「別にそのシエルナントカがどういう奴かだとか、どんな動画やってるかだとかは俺にとっては、どうでもいいからね。たまたま知ってる言葉が耳についたから興味があっただけだよ」
「いやー、だったらなおさら興味持とうよ、少しはー。わー、凄い!すっごく流暢な英語!結構スラングにも通じてるみたいだし。あたしもこのくらい英語話せるしさー、会えるもんなら対談とかしてみたいなあ」
「うるさいな。部屋でやってくれよ。俺の心配するつもりなら、俺の心配だけしててくれよ」
「はいはい。じゃあ手厚く海くんを構ってあげますよーだ」
華耶は携帯の画面を閉じ、海のタオルを再び取りかえたあと、少しでも気分が落ち着けばと、冷えた薄めのハーブティを海のもとへ差し出した。
「ありがとう」
「構ってあげなきゃすぐすねるからねー、海くんは。こういうところほんと子供っぽいんだから。何か他にしてほしいこととかある?」
「……とりあえず、なんか話してて欲しい。俺の気がまぎれるような話題」
「じゃあさっきの――」
「そのシエルナントカとかいうやつ以外で」
「……」
海はタオルで汗を拭いながら華耶を睨んだ。
「ちょっと感情が昂ぶるとすぐ汗吹き出るんだからさ、やめてくれよ。一応さ、俺、病人なんだからさ。俺が華耶を頼りっきりにしてるとはいえさ、一応こう……分かるかな。心の病気って、華耶が思ってるより目に見えてこないし、繊細なんだよ。あんま俺の口からこういうこと言うと言い訳になっちゃうっていうか、甘えたいだけに聞こえそうからアレなんだけどさ」
「ごめん」
華耶は悪いことをしたな、と思いながら、海にすぐさま代えのタオルを差し出し、氷水の入ったバケツでタオルを洗った。
「でもさ。その、Vtunerってやつさ。本当に凄い大物配信者なら、秒でとんでもなく稼ぐんだろ。そこに広告収入だとかなんだとかかがあって。生身で配信してる人だって、大物はめちゃくちゃ稼いでるとも聞くけどね。うっすら聞きかじったようなことだから、細かいことまで知らないけど」
海は突然、そんなことを言い出し始めた。
「そうだね。広告収入なんかも大事だからね。あたしたちの職場も、再生数稼がないといけないから、サムネなんかはまあ、気を遣うし。配信がメインの人からしてみたら、サムネ以外にもさ、ずーっと喋りっぱなしで、視聴者の皆を楽しませるためにいろいろしないといけないわけだしね。あたしも別に、そっちの業界のこと、ぜーんぶ知ってるわけじゃあないけど……稼ぐのって大変だと思うよ。海くんだって世間に姿を晒しながらお金を稼ぐことの大変さ知ってると思うけどさ」
「まあ、ね。今まさに、身をもって痛感してる。6億いくらなんてもらっておいて、こんな大事な時期に戦列離れることの申し訳なさもね。給料泥棒なんて言われても、おかしくない」
海はそう言って自虐的に笑った。
「休んでること気にしちゃダメだって、何年も前から言ってるでしょー。病気、って言い方するから申し訳ないんだよ。心の怪我なんだよ、海くんのそれは。怪我だったら仕方ないでしょ?いやまあ、病気だとか怪我だとかだから申し訳のレベルに違いがあるっていうのもなんかちょっと違う気がするけどさ……。とにかく、身体を怪我したら当然、休まなきゃダメでしょ?同じように、海くんは心を怪我したわけ。心をちょっと捻挫したわけ」
「捻挫というにはちょっと深い気もするけど」
「海ーくーんー」
ぬっ、と迫り来る華耶に海は一瞬たじろいだ。華耶はそのまま近づいて、海の頭を撫でながら髪を手櫛で梳かしてやった。
「それはどうでもいいの。はい、怪我だから全然申し訳なくない!捻挫だから仕方ない!はい!終わり!……でいいじゃん。そうでもしなきゃ、やってられないよ」
ぱん、と手を叩いてそのままフォロースルーのようにして自分で両腕を振り払った華耶を見て、海は鼻で笑ってみせた。一応そこには笑顔があったのだが――
「……当事者じゃないからそんな風に言えるんだよ。そうは言ってもやっぱさ、本人は気にするもんだよ。お前だって一回、かかってみたらいいんだよ」
と、あまり心に響いている様子はなかったようで、華耶も内心、そりゃあ、こんな一言ですべてが解決するなら海だって毎年のようにこうして苦しまないよな――と思いながら、ポットからハーブティのおかわりを注いでやった。