海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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151・考えすぎな遺伝子(前)

『ごめん、こんな時に。なるべく早く帰るようにはするから――』

 

季節はずれのインフルエンザに華耶の両親が二人ともかかってしまったらしい。症状はさほど重くはないのだが、二人とも高齢であることもあり念のため入院をすることになってしまった――と華耶は両親が雇っている家政婦からの電話で知らされた。

 

家政婦がついているなら問題ないとは思うのだが、一応、本当に大丈夫なのか、顔色くらい見に行ったほうがいいと判断し、華耶は急遽夕方の飛行機で松本へと飛ぶことになった。

 

冷蔵庫の中に常備菜はあるし、夕飯がもし物足りないなら出前を取れば何も問題はない。明日の弁当にだってこれらと卵焼きかゆで卵とゆで野菜を入れれば、1日くらいはなんとかなるだろう。海は『自分のことなんかよりも』と早く長野へ発つように言い、華耶も若干の申し訳なさを見せたもののすぐさま長野へと向かった。

 

さすがに弾丸ツアーでは戻ってこられないと判断した華耶はスーツケースに荷物をまとめ、午後の早いうちから家を出た。両親の様子を確認したら、空になった実家には泊まらずにそのまま東京へと下り、東京の新居で泊まるつもりだと海は伝えられていた。

 

「……いやに静かだな」

 

海は誰も居ないことを分かっていて、ぽつりとつぶやいた。

 

金曜日の昼前。よく晴れてはいるが、どこかに出かけるには、少し気だるい。大体、戦列を離れて休んでいるということもあって、軽く近くを散歩くらいに出かけることさえ海にとってはやや気まずかった。

コンビニやスーパーになんて立ち寄って買い物をしようものなら何を言われるか分からないし、かといって自分は芸能人ではないのだからマネージャーや付き人がいるわけでもないから、誰かを使い走りにすることだって出来ない。

大きな冷蔵庫にはそうした海の性格をよく表すように、飲み物やちょっとした食べ物は常に多めに保管してあったし、部屋の小さな冷蔵庫、地下室の練習スペースにある冷蔵庫にだって常にいくらかは備えがある。

 

「これじゃ、引きこもりみたいなもんだな」

 

海はそう言って自虐的にヘッ、という引きつった笑い声を挙げた。

 

人の目を気にして、こうして戦列を離れている間は海は夜しか外に出ようとしなかったし、その外出時には大体華耶を引き連れていた。

日中の間は、あまりに自分の姿は目に付きすぎる。光に照らされると輝く金髪も、この長身も、全身すべてが自分を佳井海であることをアピールしてしまっている。いくら個性が尊重され、派手な格好がまかり通るようになった世の中とはいえ、日本人的ではない自分のいでたちは人の目を引きすぎるものだから、とにかくプライベートで近所を歩くときは一人で、誰とも会わないように海は心がけていた。

 

ふと、思い出したようにしてBINEの連絡先を眺める海。

なんでも、コンドルスが行っていた、職業経験の一環だとかで小中学生やに試合運営の体験をさせる取り組みが最近では球界全体にも徐々に広がっているらしく、今日の試合は平日だというのに13時開催のデイゲームとなっていた。

普段のデイゲームよりも早めに開催されるということもあり、試合後に誰かにでも声をかけようか――と思ったが、自分の携帯電話にはプロ入りと同時に携帯電話の名義を変え、連絡先を間引いてしまったこともあってごくごく必要最低限の連絡先しか入っていないリストが目の前に映る。

電話番号すらチームメイトとろくに交換していないくらいなのだから、BINEに至っては華耶と子供たち、三葉、竜匡、ジェネル、田中、薫。とうに亡くなった高校時代のコーチ。そして――

 

「……清兵衛、か」

 

一度くらい連絡を入れたらどうか――という問いかけにすら既読がつかないままで、電話をかけようものなら『この電話は使われておりません』というコールが虚しく鳴り響く。

 

清兵衛が風の向くまま気ままに生きている、というのであれば、海にしてみたら、清兵衛という風は、ずいぶんとねっとりとした、湿度の高い風だったように思う。こちとら、今でもお前の言葉が胸に残っているというのに――そう思いながら、海は一度携帯をしまった。

時計は14時を少し回ったところだ。予定通りなら試合も3回の攻防が終わっててもおかしくない頃だが、その行方を追うつもりは海にはなかった。

 

ギターをかき鳴らすことで何か自分の慰めになるとは、相変わらずに思えずにいた海。長年、ギターを自分の感情の代弁者としてかき鳴らしては来たが、この病に苦しんでいる最中、海はギターをすすんで構えようとはしなかった。

 

感じるだけで弾けるような人間もこの世にはいるのかもしれないが、心地よい音の流れというものが人間の感覚として存在するように、ありとあらゆるコードが世の中にはある一方で、その進行のしかたというものは大体パターンが決まっている。

適当に好きなように弾いて不協和音ばかり奏でたり、無茶なコード進行をしても仕方がないし、コードの進行なんて全く構わずにギターのハイフレットを激しくタッピングすることも、アームで音階そのものを歪ませておどけてみせるのも、今の海の気分ではなかった。

意図的にそういう不協和音を生み、複雑な曲を作るという手法も一応あるにはあるのだが、それはもともと海の趣味ではない。

 

なんとなく部屋にいったん戻りゲーム機を起動してみるのだが、最近のゲームというと、極端に直感でプレーするものか、あるいは極端に本格派なものかのどちらかに偏っているように海には感じられた。

そのうち時間が出来たらやるつもりだったゲームや、華耶が個人的にインストールしたものなども眺めてはみるが――どれも気が乗らず、結局海はリビングへと戻ってきた。

 

気休めになるようなこともなければ、何か特別したいことがあるわけでもない――。

そもそも、海にとって何か気休めになるようなものが仮にあったならば、これまでも、そしてこれからもたぶん、ここまで悩むこともないだろう。

であれば、しなければいけないことを何かしらして、時間を潰そう――そう思い、海はおもむろに包丁を握った。

いや待て、包丁を握るより先にやるべきことがあったな――といったん包丁を置き、台所に置いてあるタブレット端末を起動し画面を眺め――冷蔵庫の中身を確認した。

 

「……ただいま」

「おかえり」

時計は16時半になろうかどうか、といったところだった。直人が控えめな声で帰宅してきて、ゆっくりとソファに座った。

 

小学校の頃は海に憧れて野球部に所属こそしていたが、中学校に入ってからは直人は一切の部活をしていなかった。

これまで散々自分の脇で姉として風を吹かせていて、頻繁に直人に絡んでいっていた真結と広乃が両方とも進学で居なくなったことはそれなりに直人の生活に影響を与えたようだった。今までも控えめな性格だったけれど、最近は輪にかけて――決して暗くはないのだけれど、どこか宙ぶらりんのまま隅に居るような感じに直人はなっていた。

 

勉強の調子こそいいが、最近は習い事のピアノと英会話もこのまま続けるべきかどうかも悩んでいるらしく、本人なりに進路だとか、今後の生き方だとか、見通しがなかなかついていないらしいということを海は華耶から聞かされていた。

中学に進学したばかりでそんなに悩む必要があるのか、と海も華耶も内心思っていたが、真結たちは中学校に入ってすぐに晴留を意識して進学に対してかなり強く関心を抱いていたのだから、直人なりに思うところがあるのだろう。

そこに関してはあまり直接『考えすぎだ』とは本人の意思を尊重して華耶は言わずにおいていたようが、直人が『誰かさんに似て』ずいぶん考え込んでいるような姿を最近見せていることに、どうしたものかと華耶も少しは思い悩んでいるようだった。

 

ぼさぼさな髪と、なるべく目立たないようにしているようなたたずまい。

一方で、今この家の子供の中では自分が一番年上だ、という自覚も多少はあるようで、自分がしっかりしなければ――と思っているような、時々険しい表情を浮かべてる直人。そういったときの表情が海からしてみたらまるで自分を見ているようで、辛かった。

辛かったが、辛いだけで、何か気の利いた言葉でもかけてやれればいいのだが――結局、自分もそうした状況を打破できないままここまで生きてきてしまった以上、何も声をかけてやれない自分がまた、もどかしかった。

 

「……珍しいね、料理なんて」

「それくらいしか、暇を潰せるコンテンツがなかったんだよ」

「試合、見たりしないの」

「見たら、余計苦しくなるからね」

「そういうものなんだ」

「そういうものなんだよ」

海は鍋を時々かき混ぜ、ようやくいい感じに煮えてきた牛すじの様子を少しだけ皿に取って味見した。悪くはない。それもそうだ。居間に置いてあるタブレットでレシピを調べ、極力そのとおりに作ってるのだから、よほど火の不始末だとか、変に思いつきで食材やいまいち使い方の分からないような調味料を入れたりなどしなけば失敗するわけなどないのだ。もともと料理はそれなりにできていたのだから。

 

「……部屋、戻るから。できたら教えて」

「分かった」

会話が続かず、しばらくテレビを眺めていた直人だったが――そう告げて部屋へと戻っていった。

一瞬だけそれほど賑やかではなかったにしろ会話が存在していた空間が、再び無に静まり返る。

 

煮ている間は少しくらい気が紛れるかと思ったが、そうして鍋をじっと眺めているのもあまり気が紛れなし、思っていたほど時間も潰れないものだ。

そういった場合、目を離さないようにしながら本でも読んだり、テレビをつけたりして時間を潰す人もいるらしいのだが、生憎、読書家でもなければすすんでテレビを見たりもするわけでもなく、携帯で動画を熱中して眺めるような趣味も持ち合わせていない海にとっては折りたたみ椅子に座って黙ってる以外、待つ方法がなかった。

 

好きで一人でキャンプをしている人間なんかは、こうして座って待ちながら、延々焚き火をぼんやりと眺めるのが楽しい――と、テレビだとかで言ってるのを海は見聞きしたことがあった。

とはいえ、別に焚き火がしたいわけでもなければ、変に干渉してくる人間が鬱陶しいだけであって、別にすすんで一人になりたいわけでもないから、一人で黙っているということに慣れている人間はどれほど生きやすいものだろう――と、海は少しそういった人種を羨ましく思った。

 

「……」

ふと、時計を再び見つめる海。時刻は17時半を少し過ぎたくらいだ。琉美と諒斗、そして柊理を乗せた英会話教室の送迎バスがそろそろ家に着く頃だ。

14時試合開始となると、試合もよほど荒れていなければ、とっくの昔に終わったところだろう。海はふと携帯を取り出し、BINEの連絡先をもう一度見つめた。

「……」

 

気を遣ってか、戦列を離れている間は自分には連絡を入れずにおいているジェネル。そのジェネルが今日、いかほどの成績だったのかも知らないし、いかほどの声援を甲子園で受けているかも、今の海はあまり知りたくなかった。

海は深いため息をつきながら、天井を見上げ――肩で何度か息をし、BINEにメッセージを打ち込み始めた。

 

〈 カレー、食べにこないか――

17:48

 

~~~

 

「最初、連絡入れる相手を間違ったのかと思っちゃいましたよ」

「……アイツ、余計なこと言いそうだったからね。お前も分かってると思うけど、間違っても、今晩俺のところに来てたなんて言うんじゃないぞ」

「分かってますよ。ジェネルさんが妬かないようにします」

 

それまでも、クリスマスだとか、ちょっとした休みの日だとか、シーズンオフの練習を付き合わせた後なんかはジェネルに連れられたりもしたし、ジェネルが居ないときもトレーニングのために一人で海の家に何度も足を運んできた薫。

しかし、まさかこんなタイミングで自分に自宅に招くような連絡が来ると思っていなかったものだから、喜んで家に足を運んだものの、薫は驚かずにはいられなかった。

 

海の置かれている状況を考えたとしても、自分を家に招くのであればジェネルも呼ぶものだと思っていたし、あるいは仮に誰かを家に呼ぶとしてもジェネル一人が呼ばれるものだと思っていたから、自分一人だけを家に招かれたことに薫は少しだけ戸惑った様子でソファに座っていた。

 

「あんまり佳井さんに直接聞くべきじゃないのは分かってるんですけど……調子、どうですか。ああ、別に病気そのものっていうよりは、今年そのものの調子って感じでも、なんでもいいです。佳井さんなりに、今、どんな感じなんですか」

「自分の口からあまり言いたくない話題でね。休んでるのに調子がいいなんて言ったら、強がりになる。だからって、調子が悪いとも言えないだろ」

「……」

薫は気まずそうな笑みを浮かべながら、ふふ、と笑った。

 

「お前からしても、俺がそれなりに年を誤魔化せずにいること、分かってるだろ」

海は牛すじだけでなく、ごろごろと食べ応えのある大ぶりな肉を鍋の中でゆっくりかき混ぜながら再び味見をした。スーパーに並び始めた夏野菜やきのこ類なんかもたくさん入った、食べ応えだけでなく、栄養をしっかりと摂れるタイプのカレーだ。

子供たちが辛いと言い出した時のために、甘口のルウを溶かした別の鍋の味も確認し、鍋をテーブルまで運び始めた。

 

「でも、年齢を誤魔化せないからって言って、怪我も恐れずに内角をあれだけひたすら叩き続けて、内角を苦にせずヒットを量産し続ける40代なんて、きっとこの後の野球史でもなかなか出てきませんよ。すごく昔のことですけど、佳井さんみたいに、とにかくインハイを打つことにこだわってた選手もいたらしいですけどもね。確か、私の記憶だとアイドル歌手のご先祖様だったような――」

「別にそんな昔の選手のことなんか、俺にはどうでもいいよ。お前ほど、野球に熱心じゃないからね、俺は」

「ええ?野球に熱心じゃないって……?冗談でも笑われますよ、それ。佳井さんが野球に熱心じゃなかったら、世の中の野球選手は皆熱心じゃなくなっちゃいますよ」

「俺は、野球に熱心なんじゃなくて、自分のことに熱心なだけだよ」

皿とスプーンとを人数分テーブルに用意し、冷蔵庫から付け合せのコールスローやサラダを取り出し、こちらもテーブルに飾り付けていく。

 

「……なんか、結構慣れた手つきなんですね、佳井さん」

「これでも、父親を20年くらいやってるからね。父親で居られたのは、その半分もきっとないと思うけど」

薫は、海が本当にこのまま引退して、主夫として生活するようになってしまうのではないか――そんな目で見ていたが、海は相変わらず、自分が父親としては失格であることを気にしているようで、二人の思惑は少しだけすれ違った。

 

「俺、子供たちを呼んでくるから。お前は……まあ、冷蔵庫に缶ジュースも、ハーブティやらシマやらコーラやら、色々あるから好きなもの飲んで」

「シマ……?」

「……炭酸飲料だよ。炭酸飲料。俺のいた国の飲み物。日本でも大体同じようなものを作ることができるんだよ」

「へぇー」

考えてみたら、シマという言葉が通じるのは自分と同じ、フィンランドから来た人間や、この家庭内くらいしかないんだよな――と海は自分の中の常識を少しだけ反省し、テレビをつけてから階段を少し普段より早めに駆け上がった。

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