「琉美ちゃんと諒斗くん、相変わらずあんな感じなんですね」
「仲がよくてね。まあ、双子にしか分からないものがきっとあるんだと思うよ。性別が違ってると、双子っていってもいずれどこかでぶつかるのかなって思ってたけど……特にそんなことないみたいでね。まぁ、それでも、いつまでも一緒にってわけにもいかないんだろうけど。男と女の違いって、いつか絶対出てくるし」
「あ、そういえば真結ちゃんと広乃ちゃんも双子でしたよね。やっぱり、双子ってそういう特殊な感じしますか?」
「よその双子がどうかは分からないけどね。俺のところは……二組ともちょっと、雰囲気違う感じはするよ。常に通じ合ってるっていうか、常にお互いが何考えてるかイメージできてるっていうか、二人でひとつっていうか」
「佳井さんと奥さんみたいにですか?」
「バカ言え」
海は食洗機に皿を突っ込みながら、食後のコーヒーを飲んでいた薫と話をしていた。
琉美と諒斗は食事後すぐに部屋に戻り、柊理もその後をついていくようにして二階へとあがった。二人が遊んでいるところに柊理も混ざろうとしているのだろう。
直人は録画したアニメを見たいようで、先ほどからなにやら少し騒がしいアニメを見ている。
日本文化に触れるために、とフィンランドに居た頃からアニメやら時代劇やらドラマやらを楓悟から推奨され、フィンランドの番組なんかよりも余暇の時間は日本の作品ばかり見ていた……というよりは見せられていた海。
今なお続く人気ロボットアニメの人気シリーズや、大人気の刑事ドラマシリーズをずっと見せられたり――幼少期のことだし、その頃は日本語の意味だってところどころ分からないまま見ていたから内容まではきちんとは覚えていないが、コートがトレードマークの刑事ドラマをやたらと楓悟は推していた記憶があった。
アニメも、中学生くらいまでは暇つぶしにと自分でも好き好んで見ていたはずだったが、楓悟とそりが合わなくなった頃――それこそ、日本に連れられてきてからは特に、あまりアニメというアニメを海は見ずにいた。
日本に来てから、日本に住んでいる"他人"からしてみれば自分の存在というものはアニメ然としたものに見えていたらしいが、海本人からしてみれば日本の生活はさほどアニメで見たようなほど華やかではなかったし、自分が日本文化としてイメージしていた高校生というものは、テレビで見たものほどそれほど夢のないものなのだということが分かってしまうと、それ以来、学園モノの作品なんかは特に見なくなってしまった。
それでも、直人らからしてみれば自分たちは最初から日本に住んでいるものだから、別に学園モノのアニメなんかも抵抗なく、夢のあるようなものに見えているようで、海はそれを羨ましいと思った。
自分は、生まれがどうだとか、生い立ちがどうだとか、歩んできた道がどうだとかで、アニメやドラマなんかもろくに見られなくなってしまった。頭を空っぽにして何かを見たり感じることができればいいのだが、それほど自分と他人との世界とを単純に切り分けできない性格をしているものだから、時折直人らと一緒にテレビを見て内容がどうだこうだと話している華耶のことなんかも海には羨ましくてたまらなかった。
〈――次回も『中間層のぼくら』、お楽しみに!〉
「直人くん、今話しかけてもいいかな?」
薫は直人の視界の邪魔にならないような位置のソファへと座り、アニメがひと段落したところで突然、直人に話しかけた。
「……あ、別に……いい、ですけど」
まさか自分に話を振られると思っていなかったのか、直人は少しだけ驚いた様子で、別に隣に座っているわけでもないのに左へと少し席をずらしながら答えた。
「直人くんは、野球、やめちゃったんだ?」
「……まぁ、はい」
「話せるレベルの話なら、理由聞きたいんだけど、いいかな?」
「……」
いったんトイレに行っているのか、海がリビングからその姿を消していることに気づいた直人は、控えめに頷いた。
別に、海や華耶にその理由を話さなかったわけではないのだが、親にそう何度も聞かせたい話ではないから、直人は手元に置いてあった茶で少しだけ喉を潤し、口を開いた。
「……見ての通り、僕はあんまり背が大きくないほうです。たぶん、お母さんのほうに似たんだと思います。でも……背なんてあとででも伸びるし、背だけで野球を諦めちゃいけないってことも、分かってます。それに――」
「それに?」
「……一応、勘違いしないで欲しいんですけども、別に僕、いじめられてるとか、変にイジられてるってわけじゃ、ないんです。でも、お父さんはほら……あんな感じじゃないですか。ここ最近、何年か前ほどの調子が出てないとはいえ、野球やってる人なら誰でも知ってるくらいの選手だし、野球やってなくても知らない人がそんなにいないくらいの人じゃないですか」
「そうだね」
薫は直人の言葉に笑顔で頷いた。自分だって、海を目標としてここまで野球をやってきたのだ。海がどれほど否定したって、海は誰もが認め、誰もが憧れる存在であることには違いないのだ――そう思うと薫は自分のことのように嬉しくなった。
「……僕、本当は、どちらかというと、身体をちょっと強くしなきゃと思って野球やってたんですよ。野球が物凄く好きだったとかっていうよりは。お父さんに憧れてたのは、野球選手としてっていうよりは、背の高さとか、そういう、ビジュアル的なところだったんです。僕は、あまり男らしくは……ないので」
「うんうん」
「だから、キャッチボールとか、そういうのはお母さんとかとよくしてたんですけど……打つほうはからっきしでした。守備だって、キャッチボールができるくらいじゃ、どうにもなりません。足は速いほうでしたけど、こんな体だからか、体力だって周りほどはなかったし……練習はやっぱり……僕にとっては結構きつかったです」
「そっか」
「それを見て、周りからも――別にこう……馬鹿にされる、とか、そういう、陰湿な感じじゃあ、ないんですよ?でも、お父さんみたいに打ってみろ、とか、頑張ればお父さんみたいにきっとなれる、って……そういう、部員や先生たちからの励ましだとかアドバイスが、かえって僕には辛かったんですよ。僕に期待してるっていうよりは、お父さんがああだから僕の血を期待してるみたいな、こう。それに――」
「それに?」
直人はテレビの脇に飾ってある家族の集合写真を見つめた。何年か前に、晴留がここに戻ってきた際に撮ったものだ。嫌々そうにしている新の表情と、相変わらず硬い表情の海、なぜか当たり前のように映っているジェネルに、少し控えめな位置にいる薫――。
薫もまた、その目線の先に気がついた。気がついたけれど、黙っておいた。直人はあまり気が進まないような表情をしながら、重い口を開いた。
「……兄さんが――新が、サッカーで今凄いことになってるじゃないですか」
「うん。50年に一度の逸材とか言われてるんだってね?」
「新は、僕が覚えてる限りでは、昔からずっとサッカーが得意でした。それだけ努力を積み重ねてきた、っていうことも、一応、理解してます。家に帰ってきてからも、庭でライトに照らされながらリフティングだとか、フェイントの練習なんかもしてました。庭にあるゴールや枠に目掛けて、リフティングからのダイレクトシュートなんかもかなり意識してたようでした。お父さんも、新も、才能だけじゃなくて、努力を積み重ねてきたから、あれだけ活躍してるんです。僕みたいに、軽い気持ちでスポーツなんて、やっちゃいけないんじゃないかな、って思って……」
直人は棚に飾られた、中学の頃新が持って帰ってきた大会最優秀選手賞のトロフィーや、海のタイトル獲得やベストナイン受賞のトロフィーなどをじっと見つめた。
薫もまた一瞬直人の視線の先を追い、そして再び直人を優しげな眼差しで見つめなおした。直人は再び一呼吸置いてから、ぽつぽつと話し始めた。
「僕は、身体を強くするために野球をやってたんですけど……別に、身体をちょっと強くするくらいなら、他にも色々やり方があるはずだって、気づいてしまったんです。お姉ちゃんはあまり運動は得意なほうではなかったんですが、個人でプールに通って、なんとか50mくらいは泳げるように、って頑張ろうとしてました。僕もそれにいくらかつき合わされましたけど……そうなんですよね、別に、水泳でもなんでも、僕が僕個人で身体をちょっと鍛えようと思ってさえいれば、別に部活にこだわらなくてもいいんだよな、って。それに……仮に、僕にものすごく才能があったとしても……お父さんみたいに、ずっと、その才能が苦しみの原因になるくらいなら、何かで1番なんか目指さないほうがきっと、人生生きやすいのかな、とか、思うんですよ、最近。お父さんはなるべく僕たちに直接そういう姿を直接見せないようにしてますけど、お父さんが苦しそうにしてるの、何度か見たことあるので」
「そうなんだ」
「……すみません、なんか、偉そうに」
直人は申し訳なさそうに、薫に気まずそうな笑みを浮かべながら首筋をかいた。薫は特に咎めるでもなく、うんうんと頷いたまま、腕を組んだが、直人は何を言われるものかと、少しおどおどした様子でいた。
「……でも、よかったな」
「よかった?」
薫はうっすらと笑顔を浮かべながら、思わぬ言葉に驚いた様子の直人をじっと見つめて――
「野球が嫌いになったから、とかじゃなくてよかった、って。てっきり、野球が嫌になっちゃったから辞めたのかなって思ってたよ」
「……まあ、元からそんなにめちゃくちゃ野球が好き、ってわけでも……ありませんでしたから」
「だとしてもだよ。そこから野球がとても嫌いになった、ってわけじゃないなら。直人くんは直人くんなりにいろいろ考えてのことだったんだよね。それって、すごくかっこいいことだと思う」
「逆に……」
「ん?逆?」
直人は何かを思いついたように、薫をじっと見つめた。
真結や広乃とは違うし、もちろん、まっすぐな目に自信がしっかり灯っているジェネルとも違う――活発だけど、落ち着きのある大人のお姉さんではあるが、前だけをしっかり見ているような眼差しに少しだけ直人は戸惑い、目線を少しだけ逸らした。
「……薫さんは、野球嫌いになったりしないんですか。結局、今のところプロにはなれなかったわけじゃないですか。野球そのものを続けるだけなら、社会人野球とか、独立リーグだとか……もっと、色々あったと思うんです。……ごめんなさい、こんなの、よくない言い方ですよね。でも、薫さんが打撃投手になってでも野球を続けたかったのは何故か、知りたくて」
「……」
薫は気まずそうな笑みを浮かべながら、それでも、極力普段どおりの笑顔で直人に返し――
「私がまだ中学生だった頃、直人くんのお父さん、私が通ってた中学校に講演会で来たんだ。その時から私は、直球があまり速くないことを気にしてたんだよね。だから、その頃から私、自分がプロを目指すべきかどうか、不安だったんだ。だけど、直人くんのお父さんが私に『通せるだけの意地は通して、プロを目指して欲しい』って言ってくれてさ」
「じゃあ、なおさら――」
直人の言葉を薫は遮るようにして首を振った。直人は驚いた様子で、薫を見つめ、言葉を待った。薫は笑みを浮かべ続けていたが、少しだけ寂しい目をしたように直人には見えていた。
「高校の頃、甲子園を目の前にして足をちょっと怪我しちゃってさ」
「重い怪我だったんですか」
「……まあまあ、ね」
「……」
まあまあ、という言葉以上の表現をしなかった薫に、直人はそれ以上の追求をしなかった。笑顔で言うには、その言葉はずっしりと感じられたからだ。
「大学にも進学して、そこからプロを目指そうと思ったんだけど、一回足をやっちゃうと、思い切り投げるってこと、ちょっと怖くなっちゃってさ、大学時代は3年くらいはずっと、ちょっとビミョーだったんだ。4年生のときは、それなりに感覚を取り戻せたけどね」
軽はずみなことを聞いてしまったな――と直人は後悔した。薫のことを自分はよく知らない。父親である海がそうであるように、人がすすんで話そうとしないことには理由がある――直人はそんなことを感じていた。
「……独立リーグなら、って、直人くん、言ったよね。私も、独立リーグならひょっとしたら、って思ったんだけどさ。今、独立リーグにもどうしてプロに行けなかったんだろう、どうしてプロに進まなかったんだろう、って選手、たくさんいるんだよ。今は独立リーグの一部もかなり羽振りいいからかもしれないけどね。それで、独立リーグの試合なんか見てたらさ、私が独立リーグや社会人野球でエースでいられる自信がちょっとなくなっちゃったんだ」
「薫さんが自信を失うレベルなんですか」
「でも、直人くんは私のピッチングがどうかは知らないでしょ?」
「それは……まあ……」
よく知らないでモノを言ってはいけないものだ――と直人はまた反省した。
「怪我してから上半身ちょっと鍛えたつもりだったんだけどさ、今度は下半身の粘りとバランスが悪くなって、結局球、遅いままだったからね。……そんな時、チーターズの球団職員の募集要項を見かけてさ。相変わらず、コントロールとか、変化球の投げ分けとかになら自信があったしね。幸い、肩も肘も全然痛んでないし、そっちのほうは怪我もしたことないし。挑むだけ挑んで、直人くんのお父さんに一年だけでも、ちょっとだけでも、一人の投手として接することができるチャンスがあるなら、応募してみようって思ってさ。もし、それですらダメなら……そのときはそのとき、って思ってた。ちゃんと大学の授業も受けてたし、成績だってよかったし、仮に野球がダメだった時に狙ってた業界だってあったから。何年かやってこの仕事向いてないようなら転職するって考えだって、常にあるよ。契約更改で突然辞めてもらう、って言われたらどうしようかだって、常に考えてる。……そうまでして打撃投手なんかやってて楽しい?って、思ってるでしょ?」
「……」
直人は控えめに頷いた。薫はふふっと笑みをこぼし「だよね」とつぶやいた。
「みんなから、きっとそう思われてると思う。でも……形は変われど、マウンドで、好きなだけボールを投げて、投げて欲しいって言われたコースに投げられるのは楽しいし、私の球を打って試合にいい状態で臨んでくれる選手たちを見てたら、これはこれで、よかったのかな、って思うんだ。直人くんのお父さんが球団に訴えてくれて、給料や待遇だってこの何年かでだいぶよくしてくれたし。こういうところを理由に、有能なスタッフなんかがたくさん入るようになったら、きっと、チーターズはすぐにでも優勝できるようになると思う。……スタッフばっかりにお金かけても、なんてことを心無い選手たちに言われたりしてるのも、分かるけどね」
「……形は変わっても、一応、好きでやってる仕事なんですね」
「もちろん。投げることが、私にできる自己表現だと思ってるから。だから、ずっとこの仕事続けていられたらいいな、っても思ってるよ。給料上げてもらったのも、一応……理由のひとつにはあるけどさ。そりゃあ、夢だけでご飯を食べられたらそれに越したことないけど、私たちも一応、生活、かかってるからね」
「……」
直人は薫の笑顔を見て、その眩しさを直視できなかった。ジェネルが自分の前で見せる笑顔もそうだが、自分の意思で強く生きている人間の笑顔というものは、今の自分にとっては眩しすぎた。
真結も、広乃も、家から出るときには名残惜しそうにこそしていたが、東京で晴留と一緒に暮らせることが嬉しかったのだろう、最後は飛び切りの笑顔を見せて家から出て行った。
自分も、強い意志を持って生きられたら、あのような笑顔で日々を過ごせるのだろうか――そんなことを直人は思いながら、画面の向こうで流れているアニメの、ヒロインがアップで笑顔を見せているオープニングの一幕を横目で見ていた。
「でも、直人くんはすごいな。今から自分の人生とか考えたりしてるんだ?」
「……いや、別に僕は……」
「ううん、分かるよ。そういう顔見てたら。お姉さんもお兄さんも、皆若いうちから色々やってるもんね。直人くんなりに色々、考えちゃうよね」
「……」
違います、とは直人は言えなかった。
華耶も海も決して自分を誰かと比べたわけではない。誰かと比べているのはあくまで自分だけなのだ。それでも、自分も何かしなければ――と直人は焦ってしまう。
真結や広乃だって、中学生に入ってすぐに自分も晴留を追って東京へ進学する、とずっと言っていた。それまで二人は極端に成績がよかったわけではないが、結果的に三年かけて啓皇へ推薦で進学を決めたのだから、よほど晴留の姿を見て思うところがあり、行動に移し続けてきたのだろう。
自分は、姉を追って進学できるほどのエネルギーはない。姉が居なくなってからの生活はつまらないが、だからと言って別に、姉についていって生きていったとしても、姉にだって姉の生活がある。いくらきょうだいとはいえ、いつまでも自分に構っていられるわけではない。
だからこそ自分の人生は自分の形として考えなければならないのだが――直人は、自分と同じ13歳の時には見えていた姉たちのビジョンが羨ましくてしょうがなかった。