海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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155・右肩に24年の重みを乗せて

「もう何年も何年も、同じことの繰り返し。やんなっちゃうよね。俺をもっと使え、アイツを使うな、俺にもっと投げさせろ、俺をこんな場面で投げさせるな――。8年かかって、引き留めの下手くそな球団代表にも負けず、自我の持ち方を履き違えた選手諸君にも負けず、すぐにでもブタ箱行きにしてやれる自称ファンや野球評論家どもにも負けず、最悪だったこのチームをAクラスにのし上げ続けてきた。そのAクラスを維持するのも、今年で7年目。その間、優勝わずか1回。いいね、よそにはお金や選手を引き込めるだけの人脈と人身掌握力があって。うちも、もっとよそみたいに派手なユニフォームにしたらいいのかしら。それとも、チーターっていう、『ズルしてる感じ』みたいな響きがよくないのかしらね。それとも、最終的にはファンの荒っぽさが原因なのかしらねぇ?我々のあと一歩足りない最大の原因は」

「……」

 

今野が不機嫌そうに寿司を次々と口に運びながら、皿以上に文句を重ねていく。脇で生駒が黙ってその言葉を聞き、皿に盛られた寿司には自分では手をつけないままでいた。ただただ気まずそうに、黙って口をつぐみ、じっとその文句を聞き続ける生駒は、胃が締められるような思いだった。

 

「今年も、もうダメだろうね。いかんせん、神奈川とは差が開きすぎてる。君、あそこまであいつら【バトルシップス】に独走を許してる原因って何だと思う?パっと選手層を見た感じはね、10ゲーム以上引き離される理由がね、見当たらないんだよ、僕には」

今野は声色こそ普通にしているが、先ほどから握りではなく軍艦巻きを山ほど大将に握ってもらい、それを勢いよく口にしていた。

よほどバトルシップスを目の敵にしているようで、この日は一貫も握りを食べようとはせず、普通は握りで食べるようなネタも軍艦巻きにしてもらうほどには今野は徹底していた。

 

「得点も、打率も、本塁打も、うちらはよそを圧倒してる。守備だって、別に神奈川のものが物凄くいいわけじゃあない。じゃあ投手力か、って言われたら、別に、うちらだって別に、そこまで先発もリリーフもここ数年と比べたら壊滅的なわけじゃあないでしょう。そりゃあもちろん、神奈川と比べられたら、二段も、三段も質も層も落ちるかもしれないけど、その分点数を取れるように、僕はね、うまいこと頭を使ってるつもりなんだよ」

「……」

「あ。言っとくけど、だからと言って別に、投手陣はよくやってる、なんて投手を擁護するつもりはないからね。ただ、神奈川だって別に球界随一の守備があるわけでもないのに、うちとは違ってうまいこと抑えてるんだから、我々の投手陣にだって同じくらいのことはしてもらわなきゃ、面白くないわけ。まぁ、でもね、Aクラスにさえ入れば、下克上のチャンスはいくらでもあるじゃない。短期決戦は相手打線を抑えたもの勝ち、って言うけど、やっぱり僕としては、野球って点が入らないと勝てないスポーツだから、攻撃力が大事だと思ってるわけ」

今野はなおも寿司を口いっぱいに詰め込んでからそれを茶で流し、不機嫌そうに口を拭った。投手にも野手にも不満なのか、今野の論点はブレていたが、生駒は黙っておいていた。今変に口を挟むと、とんだとばっちりを食らいそうだったからだ。

 

「ところが、ポストシーズンなんかだと、毎年のように投手は抑えるどころかかえって打たれてばっかりで、打線は打線で、人質でも取られたかのように縮こまってばっかり。で、ポストシーズンは毎年のように負けが込んでるもんだから、あの最悪なチーム状況から俺がここまでうまいこと立て直してやったのに、それも忘れて毎年のようにメディアやらファンやらからボロクソ言われる。これが私はね、面白くないわけ。だってそうでしょう。選手を守ってやれない監督やコーチはダメだ、なんて言うけど、じゃあ僕らのことは誰が守ってくれるわけ。いないよね。君だって、どちらかというとボロクソ言われる側でしょう。それを僕以外の誰かが守ってくれた?」

「……ええ、まあ」

生駒は静かに首を縦に振った。今野の一人称がブレるときは、苛立っているときだ。

感情をなるべく押し殺そうとしているものだから、暴力などには出ない代わりにきつい言葉と同時に、一人称のズレが起きる。それを分かっていたからこそ、生駒は下手に自分の意見を言って火に油を注がないように気をつけていた。

内心、お前だって俺のことをさほど守ってくれなかっただろうが――という思いはあったが、生駒も明日が惜しいものだから、うっすら貧乏ゆすりをしながらその話をただただ黙って聞き続け、相槌を打ち続けていた。

 

「あーあ、面白くないよね。俺はいつになったら、名将と言われる日がくるのかしら。就任した頃はまだギリギリ40代だったのが、今や60代。前髪だって、ずいぶん下がってしまった。せめてね、こんなつまらない仕事辞める前に、一度くらいは頂点を見たいんだけどね、僕も。最近は選手の分際で、我の強い連中が、せっかく僕なりに気を遣って全体のバランスを考えて動いてるところを、すぐに自分の都合で自分にとって都合のいいほうに空気を乱したがる」

 

生駒は今野の本性は前野とはさほど違わず、むしろ表向きが違うだけで本当は二人とも似たような気持ちで采配していたのではないかと感じはじめていた。

長いことチームが勝てずに居ると、このように歪んだ性格になるのだろうか――そう思いながらも、では、自分はこの20数年間、全く変わらずに居たかと言われれば、自分も似たようなものだ――と生駒は思った。

自分も歳を取って、若い頃のような落ち着きがなくなったり、ふと突然、気分が荒れたりするようなことも度々起きるようになったし、前野のような人間があまりに近くに居たからか、いつしか自分も前野のような言葉を発するようになってしまった。

 

その結果、何度も海にもきつい言葉を浴びせてしまったし、今やただの嫌味で気分屋なパワハラ中年になりつつある自分が、嫌になった。

嫌になったからと言って自分を変えられるかと言ったら、変えられないし、つい口が思考より先走ってしまうから、今の自分がいるし、きっと、反省したところで自分はきっと同じことを繰り返すのだろうけれど――。

 

「ないものねだりなんかしても、しょうがないのだけどね。我が強くなくて、こっちの言うことハイハイ聞いてくれて、それでチームの流れを作ってくれる選手がそのへんの畑から生えてきたら、僕も楽できるのにね。……もっとも、我が強くないかわりに、軟弱なタイプのはそれもそれで、お断りなんだけど」

「……」

そうですね、とも、違います、とも、決して言葉を出してはいけないピリついた空気に生駒は冷や汗をダラダラと流しながら、早く気が済むまで食べつくして、自分を家に帰して欲しい――そう思わずにはいられなかった。

 

~~~

 

「……どうした。食べろよ」

「……」

「じゃあ、私が食べます」

「お前はちょっと空気を読めよ」

時を同じくして、海とジェネルは田中を連れて個室のある焼肉店で夕食にしていた。

厚切りのタンが食べごろだが、田中はなかなかトングで取ろうとしない。海は少し焼け過ぎたような香りを出し始めるタンを見つめながらジェネルを無言で肘でつつくと、ジェネルは少し嬉しそうな表情を浮かべながら自分の皿に盛り付け、それを無言で食べ始めた。

 

「……ベンチから下がるときに、監督から言われたんです。『お互い、歳だね』って」

 

田中の言葉が、いやにテーブルに響いて、しばらく耳から離れなかった。

海は黙って肉を焼き続けた。ジェネルは一瞬、食べているその箸を止めたが――再び肉を食べ始めた。

 

「……『分かってると思うけど、このままじゃ俺が許しても、球団が許さないよ』って。そりゃ、そうですよね。打たせて取るタイプのピッチャーが、打たれっぱなしじゃ……年を越せる首なんて、ないですよね」

田中はわざとらしく手を水平にしながら小指の腹で自らの首を何度か叩いてみせたので、海はそんな田中を静かに睨んだ。

 

「……自分ではまあまあ年の割にはうまくやれてるつもりなんですけど、いったん火がついてしまったときの打たれ方をたぶん、言われてるんだと思うんです。ゼロ封は出来ないにしろ、毎回のように6回2失点くらいに収めるのが俺の仕事ですから、あんな風に収拾つかないような打たれかたをしちゃ、監督の計算が狂うんでしょう。……早い話、来年の監督の構想に、もう俺は居ないんだと思います」

「……」

「……」

そんなことはない、と否定したいジェネルだが、海はジェネルのわき腹を肘でつつき、首を振った。余計なことを言うな――と海は目で訴え、ジェネルは渋々田中の顔を心配そうに見つめた。

 

「……でも、7月の時点でそう言ってくれるなら、俺は俺なりに、自分の幕引きについて考えるいいきっかけになると思いますから……今年が最後だと思って、全力で投げてやってみようと思います。それでもしうまくいって、監督の気が変わるなら見返せばいいことですし、それでダメなら、もう、諦めようと思います。……最近、自分でもみっともないな、って思うんです、スピードガンの数字見て。よくて130ちょいあるかどうかです。悪いときは、ストレートが120届いてないこともあります。パームでうまくタイミングをズラすことは出来るかもしれませんが、少なくとも、ムービングファストはもう、今の俺のストレートじゃほとんど使い物になりません」

 

かつて清兵衛に散々茶化されたムービングファストボールが使い物にならない――その言葉にジェネルは悲痛な表情を浮かべた。自分の武器が使えなくなってしまうことの深刻さに、どう言葉をかけていいか分からなかった。

 

「無理矢理変化を増やせないかとも思ってちょっと縫い目変えたり、リリースポイントを変えたりしてみたんですけど……ダメでした。そしたら今度はストライクゾーンに入らなくなるんですよ。低めに集めるには垂れちゃうし、変化量が安定しないから落ちる球みたいにしようとしても、時々すっぽ抜けたカットボールみたいな軌道なんかにもなって……一球一球をギャンブルでは攻められません。あれじゃ、ダメです」

田中は精一杯の笑顔を見せながら、海を見つめる。

 

「……別に、俺がすすんで自分から引退したいって言ってるわけじゃあ、ないんですよ。ただ、今全力で投げないと、本当に監督の構想からは外れてしまうだろうから、今年が本当に最後のつもりで投げないといけないなって思ってるだけです。あと3ヶ月――その間に俺は、自分の進退を考えるチャンスを監督から与えてもらったんです。10月に突然言われるのと、今言われるのとでは、意味が違います。だからこれは、監督なりの温情だと思って……俺なりに、今の俺が出来る全力投球をしたい、って思ってるんです。いつまでも俺も、プロじゃいられませんからね。そうやって現実を突きつけられて気持ちを改めるなんて、遅すぎるのかもしれませんけど――」

「遅すぎるなんてこと、ないです――」

がたん、と椅子を引きずってジェネルは立ち上がった。

立ち上がって、悔しそうな顔をしながら――田中を見下ろす形で見つめるジェネル。

 

否定はしようとしたが、では、田中にどんな言葉をかけるべきなのか――どうしたら田中の励ましになるのか――ジェネルにはそれが見つからず、次の言葉がないまま、海に腕をつかまれてジェネルはゆっくりと椅子に座らされた。

 

「……ありがとう、大爺さん。でも……自分のことは、自分でもよく分かってるつもりですよ、俺は。常時自分なりの全力投球ができるほど、俺の肩はもうそんなに若くないんです。だから、自分なりにターニングポイントを見定めてうまいことのらりくらり、やろうとしてました。でも、その結果が今日の6失点です。監督にはそれが気に入らなかったんでしょう。監督、ここ最近ずいぶん投手陣のことでイライラしてるようでしたから。こないだタブレットで、他のチームの選手の情報、色々と仕入れてたのを見ちゃったんですよ、俺。たぶん、前にFAで先発を何枚か補強したときみたいに、なんとか投手をテコ入れしようといろいろフロント相手に材料を集めてるところなんだと思います」

 

田中は力なくふっと笑いながら――

「監督が今なんとかしたいのは、先発でしょう。……分かってるんですよ。俺が、監督からすらも消去法エースなんて言われてたことも。きっと監督からしてみたら、長年、俺に対して積もり積もった感情があるんでしょう。お前さえもっとしっかりしてたら、みたいなの。……俺に周りを見返せるほどの力があれば、って若手の頃からずっと言ってきましたけど……とうとう、見返せないまま正念場を迎えようとしてるみたいです」

と呟き、自分の情けなさに打ちひしがれているような田中。

それに対して、突き刺すような目線を海はずっと向け続けていた。咎めるつもりでいるというよりは、嘘を言っていないかどうかを確かめるような――そんな表情のようにジェネルには映っていた。

 

「一応、これだけは誓ってくれるか」

「……なんです?」

海は少し言葉を選ぶようにして天井を見上げ――そして再び田中の顔をじっと見つめた。

 

「これでやっとおとなしく結婚できるな、なんてこと思ってないだろうな、お前。これで彼女を追ってアメリカに行く理由ができたな、とかさ。監督から言われた言葉を理由に、二人の今後について本気で考えるきっかけなんかにしようとなんか、してないだろうな」

「……はい、とは言えません。でも――」

田中は気まずそうにうつむいた後、海へ気まずそうな笑顔を向け――

 

「……たぶん、俺がどう考えていようと、俺はもう、今年で終わりにさせられる気がします。他の球団行ってまで、俺は現役を続けたくありませんし――そう考えると、ちょっとくらい、引退した後のこと考えたくなりますよ」

「……」

「俺なりに頑張ってきたつもりですが――俺の最後の散り際、しっかり見てくださいよ。……俺、決して手を抜いて投げるつもりなんてありませんから」

 

ふざけるな――と海は田中に言うことなど、できなかった。

自分だって常々、引退した後のことばかり最近は考えている。自分は引退した後のことを考えていいのに、相手にはそんなこと考えるな――など、誰がどうして言えるだろう。

 

田中にはこの戦争をやめる理由ができたかもしれないが、自分はまだ、その時ではない。できるならば、引退するタイミングは一緒でいたかったが――田中の肩が限界なのは、海もよく知っていた。肩がなかなか上がらず、時折ほぼサイドスローのような投げ方で投げていることがあることも、海はよく見ていた。

 

これまで何度も田中に檄を飛ばしていた海だったが、とうとう、田中に何か言葉を浴びせられなくなった自分がそこにはいた。自分もそれだけ歳を取ってしまったということだ。田中をそろそろこの戦いから降ろしてやるべきがきたのだ、と、このとき海は思ってしまっていた。

 

このチームで絶対に頂点をつかむ、という思いで清兵衛と共に続けてきた戦争だが、元はと言えば、田中が後から加担してきたのだ。その田中を縛り付けてきてしまったのは、他でもない、自分だ。自分がこの歳までチーターズにこだわり続けて現役にしがみつき、それでもなんとか頂点を目指して戦ってきたから、田中をここまで巻き込んでしまったのだ。

その田中が今野からの言葉で何かを悟ったのであれば、もう、それをとどめる事は自分にはかなわない――。

 

歳を取ったのは、自分もだな――と海は思いながら、あれほど好物だったタンに全く手をつけない田中を見て、年月の経過を思い知った。

 

先に田中が店から出た後、ジェネルは海を半分涙目で見つめてきた。

「海さんは……海さんは、まだ、海さんで居てくれますよね。海さんはまだ……私と一緒に、現役でいてくれますよね」

「俺は……そう簡単に、要らないって言われないようにするだけだよ。俺には俺のやることがある。それが終わらない以上、黙って衰えてなんていられない」

「田中さんが辞めるなら自分も、みたいなこと言ったら……私、海さんを押し倒して、私も現役を辞めなきゃいけない理由作ってやりますから」

「……言わないよ。言えたなら、楽だっただろうけど」

 

大粒の涙をぐっとこらえながら見つめるジェネルを海は軽くあしらいながら、余った肉を食べ始める海。

田中を連れて焼肉に行くことが、あと何度あるだろう――そんなことを海は思いながら、先に帰ってしまった田中が一切焼くこともなく手をつけないままでいたタンを、田中がかつてそう食べていたように二人は何枚も手繰り寄せ、一気に頬張った。

二人とも、いつもよりもその塩味が妙に苦々しいように感じていた。

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