海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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160・悲哀を南には向けられずに(前)

「……うん。うん。……ごめんね。……うん。それじゃあ」

海は華耶との通話を終え、数日ほど――何日になるかは分からないが、少し大阪への帰還が遅れる旨を伝えた。華耶も、海が今どんな気分でいるかを分かっているようだったし、付き添いがジェネルだということを知ると声色を明るくして、ジェネルが同伴するなら別に構わない――といったそぶりで話していた。

 

「海さん、一応……海さん、知らなさそうなので言っておきますけど」

「うん」

「きのう、札幌でも、函館でも、って言ったじゃないですか」

「うん」

「たぶん、海さんが思ってる北海道って、こんな感じだと思うんですけど」

と、ジェネルが携帯の画面でざっくりとした手書きの図を見せる。海はうん、と頷きながら、何かおかしいことでも言っただろうか?といった表情を浮かべている。

 

「まず、札幌と函館がこの距離あります」

ジェネルはおおよその所要時間と距離の書かれた画面を海に見せ、海は思わず画面を二度見した。

「海さん、たぶん飛行機でしか北海道来たことないでしょうし、試合以外で北海道なんてろくに回ったことないでしょう」

「そりゃあ、そこまで暇じゃないからね」

「観光地が地図の中の存在だけだと思ってたと思うので言っておきますけど、北海道に抱きがちなイメージの街と街って、結構距離なんですよ」

「……それは分かったけど、それがどうかしたのか」

「いや……なんかこう、分かりません?」

 

何がだよ、というような表情を浮かべながら海はホテルの朝食を食べ続けていた。考えてみたら、北海道の名物だって噂ではいろいろと聞いたことがあるが、土地勘がないからどこが何の名物なのかは具体的に分からないし、バイキングのメニューにことごとく『北海道名物』と書かれていたが、あまりに見るもの全てが名物なせいで、逆に何なら名物じゃないのか――という気にさえなった。

 

「だーかーらー。移動がメインになっちゃうんですよ。北海道にいる間は。あちこち回りたいって簡単に思ってるかもしれませんけど、ここから函館でもこの距離です。仮に海さんがさらに北上したいとか言い出したら、それだけ移動がメインになっちゃいます。移動の間って、結構何もすることないじゃないですか」

「そうだね」

「しかも、車内じゃあんまりアレコレと喋り辛いですし。一応……海さんが誘ったデートですよ、これ」

「デートって」

「デートはデートじゃないですか。これをデートとして言わず、何をデートと言うんですか」

「……」

すっかり調子を戻したジェネルの言い草に、海は頭をかいた。そう面と向かってデートだなんだと言うものではない――という気持ちにもなったし、自分では別にそういうつもりで言ったわけでもない。なんなら昨日『慰安旅行』と言ったはずではないか――と海は思ったが、きっとジェネルにとってはもうそんなことなどどうでもいいのだろう。

 

「移動ばっかりのデートって、最悪じゃないですか」

「そうなの」

「当たり前じゃないですか」

「どう最悪なんだよ」

「そりゃあ、こう――大体、函館からどう戻るかとか、考えてないですよね?」

ジェネルはふと、この男がそれなりに気を配る人間ではあるもののどこか人間的にズレていることを思い出し、首を何度かかきながら話題を変えた。

 

「……まあ、あんまり。……家にすぐには帰りたくない、くらいのつもりでしかなかったから」

「別に私は移動がかさんでもいいっちゃ、いいんですけど」

「いいんだ」

「……私も今はちょっと……野球のこと、あんまり考えたくない気分ですし、冷静になる時間が欲しいですから。もし、海さんが別に本当に大阪まですぐに帰りたくない、くらいのつもりなら、この旅、私に任せてくれませんか?海さんきっと、デートコースとか考えるの、あんま得意じゃないでしょうから」

「何だよその言い方。俺だって華耶とデートしてたときは――」

 

反論しようとした海によぎったのは、果たして、自分からどこかに行きたい、と行って華耶を連れたことがあっただろうか――という疑問だった。

 

華耶は年上だったこともあるし、華耶の方からどこかに行きたいと言って出かけたり、大体は華耶の希望でどこかに遊びに回ったり食事に行ったり……ということが多く、ドライブしにいったときだって結局自分からはあまり目的地を設けずに高速道路を走らせていることなんかも多かった。

父親としてだけでなく、そもそも自分は華耶の彼氏としてもあまりろくでもない男だったのではないか――そんな現実を突然突きつけられた海は、口に運びかけていた唐揚げを皿に置き、黙り込んでしまった。

 

「……ごめんなさい、なんか……地雷踏んじゃい……ましたよね?これ?」

「……結構大きめのやつをね」

海は心配そうにこちらを見つめるジェネルを睨みつけながら、この沈んだ気分のまま、残った朝食をいかにして食べきるかを考えていた。

 

「……」

綺麗だ、と言ってしまったらそれはいよいよ本当にラインを越えたような気がするから、海はジェネルの私服姿に何も言わなかった。

 

昨日、今日の話で突然こうしたしっかりとした服装が出てくるということは、おそらくジェネルはシリーズが終わったら何かと理由をつけて自分や田中とどこかに出かけるか、あるいは一人ででも観光にでも行こうとしていたのだろう。

普段、部屋にいる間なんかはそのはじけ飛ぶような女性的な身体を全面的に出すような服しか着ないし、私服もピンク多めの派手なものが多いから、一丁前に秋風にも耐えられるような、落ち着いた色合いの薄手のコートに身を包んだジェネルの姿に海は思わず見とれた。

 

本人なりに少しは他人の目も考えたのだろう、普段トレードマークにしているツインテールも解き、まっすぐなロングヘアーを腰の位置で束ね、ウェリントンの伊達メガネを合わせたいでたちのジェネルは、海の知っているジェネルよりよっぽどしっかりした大人のように見えていた。

 

「海さんは……普段どおりですね」

腰のあたりまで丈がある、コートのような革ジャン。なかなか合うサイズのものがないものだから、CMに出演するにあたって数着作ってもらったオーダーメイドのジャケットだ。海が監修したモデルではあるものの、市販されているジャケットにはない特注のサイズ感のそれはやはり、海以外の人間には似合わないであろうものだ。

スーツのような黒いパンツを合わせ、黒いハット帽を合わせたそのいでたちは、その目力の強さもあって、時代が違えば暗殺者のような風貌だった。

 

「こんな格好以外できないんだよ。こんな背をしてるから、合う服を探すのだって一苦労だ」

「伊達メガネでもかけます?」

「男物もあるのかよ」

「そりゃあ、いつどう海さんと出かけることになるか分かりませんからね」

「バカ言ってるんじゃないよ」

「マジなこと言うと、たまにメンズのメガネとかファッションも取り入れてるので」

「ああ、そう」

ジェネルはバッグからメガネのストックを取り出し、ああでもない、こうでもない……と、海にスクエアのメガネを渡した。海も一応聞いたことのあるブランドのメガネだが、フレームの装飾がやや派手で海は首をかしげた。

 

「……本当に似合ってるのか?これ」

「私の好みなだけです」

「他のにしてくれ」

「似合ってますってばー。もとからイケてるんですから、メガネなんて何かけても全部似合いますって」

海はしぶしぶジェネルの渡したメガネを一応つけたまま帽子を深く被り、タクシー乗り場へと向かった。

 

ホテルからタクシーで雪色の彼女パークへと向かい、開園間もないその空間に二人は降り立つ。北海道名物の菓子の工場が併設されたテーマパークらしい。

「お菓子ばっかり作ってるわけじゃないんだな、ここ」

「そうですよー。遊ぼうと思えば割と半日くらいは潰せちゃうと思います」

「それは盛ってるだろさすがに」

「えー。だってここ、あれですよ。ナマラオーレ札幌の練習場も併設してあるんでそっち目当てに来てる人だっているくらいですから。ほら、あのへん皆練習見に来てる人たちですよ。あの赤と黒のストライプのシャツ着てる人たち。あのへん全部レプリカユニフォームです」

「いやに詳しいね」

遠くにいる地元のサッカーチームのファンを指さしたジェネルを、海は関心したような様子で見つめた。

 

「そりゃあ、北海道で続けて2試合じゃないですか。引き分けにでもならない限り、今年のシリーズ戦はここで決着つくわけですから。……予定、私に任せてくださいって言ったじゃないですか。あれ本当は制覇できたら、私なりにいろいろ見て回りたいところがあったので」

「やっぱりな」

「やっぱりってなんですかー、やっぱりって。ここに関してはマジで私、一人だけでも絶対来ようって思ってたんで。いろいろ写真撮れるようなスポットも多いですし」

「ああ、そう」

海は辺りを見回しながら、物珍しそうな様子で――それなりに興味関心があるのか、きょろきょろと目線が泳ぎ、しばらく落ち着かなかった。

 

「なんならここ、カフェとかレストランとかも結構あるんで、全部食べようと思ったら一日だけじゃとても回りきれな――海さん?……一応、結構私たち目立つ格好してるっていうか、割と皆気を遣って話しかけずにいる感じもあるんで、あんまりきょろきょろしないほうが」

「……ああ、悪いね。なんか、こう……いわゆるお菓子の製造工場をテーマパーク化させた施設なわけじゃないか。結構ちゃんとしてるんだな、っていうのもあるんだけど……」

「?」

ジェネルは言葉を濁した海を見ながら少しばかり考えたあと――

 

「昨日の今日でこんなことしてる後ろめたさ、ですか?」

「それは、まぁ、うん。それもある。それもあるんだよ」

「なんですか、もう。たまにはハッキリ言ってくださいよー」

なかなか真意を言おうとせず歯切れの悪い海。ジェネルはそんな海の優柔不断な口元を指でつんつんとつつき、海にその手を払われてしまった。

 

「……お前が言う、15年早かったらっていう世界は、こんなもんだったのかなと思ってね」

「どういうことですか?」

「……おかしいよな。髪を解いたくらいで、妙にお前が大人びて見えるっていうかなんかさ。考えてみたら、華耶だって寝る前だとか、夜なんかはたまにこうして髪解いてるもんだから、そういうギャップには俺は慣れてたつもりなんだけど。……背の問題かな。華耶は背が小さいから。きっと15年早くても、華耶を選ぶ未来だったとは思うんだけどさ。こういうところ、俺は自分の父親のことを笑えないなと思う。妙にお前が、お前以上に見えていけない」

そう言って表情に暗い影を落とした海とは対照的に、ニヤァ……とジェネルは笑みを浮かべ、海の腕をがっちりと組んだ。

 

「そりゃー、そうですよ。私は今華耶さんから海さんを借りてるわけですからね。海さんが大阪に帰りたくないって思ってる間、私が代わりに、とびっきりの、最ッッッ高の彼女でいてあげてるわけです。後ろめたさなんか感じずに、私のことを存分に彼女扱いしてくれてかまわないんですよ?」

「なんかそういう顔でそういう言い方されると途端にああやっぱお前はお前だわ……ってげんなりするから、やめてほしいんだけど」

「……照れるじゃないですか、いきなりそういうこと言われると。そうやって、華耶さんにも時々ナチュラルに口説き文句なんかささやいて、激しくしちゃってるんですか」

「お前、まだ朝10時半だぞ。やめろよ、そういうのは」

「夜ならいいんですか」

「……」

 

海はジェネルが組んだ腕をぐい、と引っ張りながらずかずかと歩き始めた。

途端に、ジェネルにリードされてるような感じが嫌になったので、海は近くの売店でソフトクリームを二つ頼み、ジェネルに押し付けるようにしてソフトクリームを渡した。

 

多少、自分から動きでもしなければ、ジェネルに大阪に戻るまでの主導権をすべて握られてしまうような気がした。

同じ悩みや思いで大阪に帰ることをためらっているのに、なぜだか自分だけが帰りたくないような意味合いにすりかえられてしまうような気がして、海はそれから1時間近く、不機嫌でいた。

 

現在はメンテナンス中だが来年には復活予定の、園内を往復する鉄道の駅でポーズをとってみせたり、かたや海とのツーショットをねだったり――ジェネルはまだこの旅の一軒目だというのに、随分とはしゃいでいた。そうでもしないとやっていられないのだろう。海は、そうしていやにハイテンションなジェネルを特に諌めることはしなかったし、ジェネルの要求にはなるべくこたえてやるようにしていた。

 

未だに球団から発表のない田中の症状。せめて、公式発表よりも先に、可能なのであればチームには伝えてほしい――海はそう思っていたが、少し発表が遅れているあたり、別に命にかかわるほどの負傷ではないにしろ、あまり思わしくない怪我であることは容易に想像がついた。

それと同時に、明らかに限界が見えていた田中の進退は結局どうなるのか――そんなことばかり海は考えていた。田中もあれが最後のつもりで投げているというところはあっただろうし、きっと大怪我なら現場復帰まで何ヶ月とかかることは容易に想像がつく。

そうなったとき、まさかろくに引退試合の場なども設けないまま自由契約、もしくは引退扱いとする――そんなことが果たしてあるだろうか――いや、いくら球団代表が変わって少し補強に手を回すようになったとはいえ、その本質が変わっていないのであれば、この球団ならやりかねない――と海は思った。

 

ただ負けただけではなく、最後の最後に肩の限界を迎えてああして現場を去ろうとしている田中に何のねぎらいもなく最後とするのか――そんなことを考えていたら、自分のキャリアの最後のことも少しは意識してしまう。

海はそうした思考の泥沼化から、少しでも逃げたかった。ジェネルもまた、同じように、田中のことだとか、いろいろなことを考えているのだろう。田中のことはおろか、野球のことだって一言も口にしなかった。昼食を園内のカレー屋で食べていたときも、一切そんな話なんかせず、ずっと流行の歌がどうだとか、最近気になっている動画配信者のことだとか、シーズン中はあまり二人とも話さないような、プライベートのことばかり話していた。

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