海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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161・悲哀を南には向けられずに(中)

テレビ塔で一般客にツーショットを撮ってもらい、お礼にサインをしてやったら物凄く世転ばれたことにジェネルは上機嫌だった。

 

「だって、まさか札幌でチーターズのファンに合うなんてなかなかないじゃないですかー」

「俺らだけじゃなくて球界そのもののファンだろ、ああいうのは。12球団どこも追ってるタイプだよ」

「なんでそう夢のないこと言うんですかー。仮に12球団追ってるとしても、私たちの顔と名前までちゃんと把握できてるファンなんて、なかなかいないでしょー?」

「ただでさえ目立つ顔と姿してるんだから、別にチーターズのファンじゃなくてもちょっと野球かじってる連中なら分かるだろ、俺たちのことは。本当のファンっていうのは、突然街で見かけても誰だかわからないような地味な顔してるやつを見てもすぐに名前と顔が出てくるようなやつのことを言うんだよ。たとえば、田中みたいな――」

海はそこから先の言葉を出せずにいた。ジェネルも思わず目を伏せ、そこで黙り込んでしまった。

 

夕方、仕事を終えた社会人だとか、帰宅途中の学生だとかいった少しずつ人の波が、時折こちらに気づいた様子で振り返ったり、ひそひそと話をしながら『どこかで見たことあるような』だとか『モデルさんかな?』だとか、こちらをちらちらと見つめるようになってきた。特段野球に詳しくなさそうな者たちも、何かしらただならぬ人間が歩いていることにいちいち注目をし始める。

ここで変に立ち止まってしまったら、自分たちに気づいた者たちに話しかけられでもしてしまうだろう。一瞬会話は止まってしまったものの、その歩みを止めることなく二人は駅へと向かっていった。

 

17時直前の特急で函館へと向かう。ジェネルは昼食の間にせわしなく携帯電話をいじっていたが、その間に特急の予約だとか、函館での宿の準備を全部済ませてしまったらしく、海はこの旅の道中、本当に何もしなくてよかった。それはそれでジェネルに申し訳なく思ったが、だからと言って自分が果たしてジェネルほどてきぱきと旅の段取りを出来るかといったら、そうではないだろう。

 

グリーン車の二人がけの席に座り、当たり前のようにジェネルがその隣に座る。特急とは言うものの、ジェネルが言ったように北海道の地はあまりに広く、着くのは20時半すぎになる。

平日の夕方――それも、グリーン車ということもあってか、席はがらりとしていた。

 

「難しいよな。試合があるわけでもないし、今寝ると、夜寝られなくもなる。かといって、4時間何してればいいかと言われると、何もない。携帯なんかいじってたら、ニュースが気になって、しょうがない」

「ゲームでもします?『激闘!オールスターファミリー』持ってきてますけど。私、アカリちゃんとイブキちゃん使わせたらなかなかですよ?」

ジェネルはバッグの中から携帯ゲーム機――poconeを取り出し、海の前でひらひらと泳がせた。

 

「……」

 

海の中で、少しだけ苦い記憶が蘇る。

 

日本に着たばかりの頃、自分では日本で流行っているものは大体知っているつもりだった。ただ、一部のゲームは日本版とそうでないかでキャラクターの名前が異なる――というところまでは、その頃の海には理解が及んでいなかった。

 

母親から買ってもらった『最近人気らしいゲーム』に登場するダブルヒロインというのが、このアカリとイブキだった。しかし、海の中では今でもこの二人の名前というと、SoleiaとFroziaというイメージが根深くこびりついていた。母親が買ってきたのは、父親からの日本文化の押し付けばかりで疲れるだろう、と、気を遣って英語版を買ってきていたのだ――。

厄介なことに主人公の名前は各国版で共通だったから、"ソレイア"と"フロージア"という名前が日本で通称しないと知ったのは、引っ越してきてからこの『オールスターファミリー』を同級生とプレーしたときのことだった。

 

「ソレイア?『それ嫌』ってこと?」

「そんな冗談言うタイプのキャラじゃないだろ、カイは」

「ハハハ」

「いや、違うんだよ――俺のやってたゲームじゃ、こいつの名前はSoleiaで――こっちはFroziaだったんだよ」

「それ……カイが遊んだゲームって本当に『A to Z Xross』だったのかよ?」

「そうだよ。主人公の名前は――主人公の名前はVixだった。間違いない」

「……確かに主人公の名前、ヴィックスだけど……」

 

日本の映画も、ドラマも、よく知ってるつもりだった。自分が知ってる映画も、大体は通じた。

映画やドラマの場合は大体キャラクター名は同じなのだが、タイトルが異なる映画があることを知らされたり――中途半端に日本の映画やアメリカの映画の知識があるから、日本に来てから『内容も作品も知っているのに、自分の知ってる名前やタイトルではない』というだけでこれほどの疎外感を感じるとは海は思っていなかった。

それでも、日本に来てしまった以上、こちらの文化に合わせるしかない。キャラクター名が違うなら、覚えなおすしかない。

 

人気シリーズのモンスター育成ゲームも、半分近くが日本版と英語版とでは名前が違っていたものの、フィンランドにいた頃から日本版をプレーしていたから、そこの認識のズレがなかったのが幸いだった。それに、違和感なく日本版をプレーしていたものだから、海外版と日本版とでキャラクター名が異なるなんてことを考えもしなかったのだ。

 

ここで躓いていたらきっと自分は間違いなくクラスではなじめなかっただろう――。それでも、自分の中ではやはり――母親がある日突然買ってきてくれたゲームということもあって、SoleiaとFroziaという名前で覚えてしまったものを引き剥がすことは母親の否定にも繋がるから、できずにいた。

 

「……海さん?」

「……ああ、すまない。ちょっとね、昔……いろいろあったんだよ。そのゲーム。そのゲームっていうか、実際にはその……なんだっけ、アカリと……イブキってキャラをめぐって」

「あー」

ニヤニヤしながらジェネルは海をじろじろと見つめ――

 

「アカリちゃんをつかみ技で攻撃して遊んでたのを他の人に見られてたとかですか。アカリちゃん、子供が遊ぶゲームにしてはめっちゃやらしい身体と衣装してますもんねー。私はどっちかというとイブキちゃん派なんですけど」

「……」

海は思わず『お前は何を言ってるんだ』という、心底軽蔑したような眼差しをジェネルに向ける。

 

「……その顔はよほど図星か、よほど場違いなこと私が言ったかの二択ですね?」

「後者だよ」

海は不機嫌そうにしてバッグからpoconeを取り出し――

「お前が言い出した勝負だからな。ボコボコにしてやる」

と、海もまた、その電源を入れた。

 

「考えてみたらさ」

「はい?」

「お前ん家にもまあまあ行ってるし、お前だってうちに結構来てるはずなんだけどさ。……いや、この場合どちらかと行ったら、俺がお前の家に行ってるときのことのほうが当てはまるか」

「そういえばそうですねー。あー、ハメ技は卑怯ですよー。いやマジで海さん、女の子相手にハメ技仕掛けながら話しかけてくるのやめてくださいよー。華耶さんにも普段そうしてるんですか?」

「今その話はどうだっていいだろ」

海がなかなか手加減をしてくれず、かれこれずっと苦戦を強いられているジェネルは少しだけ声色が普段よりも強気になっていた。極端に苛立ちが声に出るタイプではないのだが、ゲームをしてるときはまあまあ意地っ張りになるようだ。

 

「よく考えたら俺たち、こうやって落ち着いてゲームなんかしてることだって、ほとんどなかったよな。何度かはあったかもしれないけど。どうだろう、俺があんまり思い出せないだけかもしれないけど」

「あー、言われてみれば確かに、そうです……ねえ"え"え"え"っ!!」

「お前、一応公共の場だぞ。他に誰も乗ってないとはいえ」

海にコンボを決められあっさりと敗北したジェネルは思わず勢いで力んだ声を上げ、周囲を見渡した。顔を少しだけ赤面させ、咳払いをしながら海を見つめ――poconeをいったんテーブルへと置いた。むう、と頬を膨らませ、どうして手加減してくれないんだ――と言わんばかりの表情を向けている。

 

「……まあ、とにかく。お前の家に行ってるときは大体……その、なんだ。俺が極限状態になってるか、よほど暇かのどちらかだけど、大体そういうときって、シーズン中の話だとか、あとはお前があることないこと喋るし、そりゃあ、確かに二人して別々のゲームして時間潰してたこともあるかもしれないけどさ。あんまり、こういう感じの時間の潰し方、俺……あんまり記憶にないんだよな」

「それはたぶん、海さんが疲れてるからだと思いますよ、うちに遊びに来てるときの精神状況的に。海さんがゲームしてないだけで私はまあまあゲームしてたこともありますし、海さんにゲーム誘ってもあんまり乗り気にならなさそうだったから誘わなかったりしたこともありますし。いや……でも、なんだかんだいって、まあまあ遊んでたと思いますよ。やっぱ、海さんがあんまり覚えてないだけですよ。普段、それ以外のことで頭使ってるからきっと、落ち着いて時間を過ごしてたときのことなんてあんまり記憶に残ってくれないんだと思います」

「……そんなもんかな」

 

海は記憶をいろいろ探ってはみたのだが――言われてみれば、そもそもジェネルの部屋で何か印象深い『落ち着いた精神状況』の場面があったかと言われると、確かにあまりない。

ジェネルとの時間だけではない。家に居る間だって、華耶と二人で過ごしていた時間なんかはすぐに思い出せるが、その中で何か、華耶とリラックスして時間を過ごしてたときのことをピックアップして思い出そうとしても、なかなか思い出せない。華耶とだってまあまあゲームをしてきたはずなのだが――では、何をして遊んだかだとか、そのときどんなことがあったかと言われると、なかなかかいつまんで説明ができない。

 

振り返れば、いつも自分の記憶にはいつも野球の場面があって、それらはたいてい、うまくいかなかったときのことばかりだ。自分が野球を続ける限り、それが終わる事だってないだろう。

華耶と数年前ちょっとした旅行をしたときのことだって、あれほど楽しかったはずなのに、振り返れば野球の思い出にすべて上塗りされてしまって、鮮明には思い出せない。

きっと、この旅行――もとい、逃避行だって、どこに行ったかなんてことはあまり記憶に残らないのかもしれない。あるいは、逃避行だからこそ、旅行の動機がネガティブからなるものだから、逆に、根深く残ってしまうかもしれない――。

 

〈まもなく――登別です――お降りの際は――足元にご注意ください――〉

 

「登別、ですか。……温泉旅行なんかもいいですよね」

「お前絶対別のこと考えてるだろ」

「やですよ、海さんったら。そんな、薄い本だとか大人な動画サービスの見すぎですよ。……で、どういうのが好みなんですか?」

「やっぱりお前別のこと考えてるだろ。お前、すぐ思考をそっちに持っていくの、やめろよ。まるで俺がいつもそういうことばかり考えて生きてるような」

「でも実際、子供は野球できそうなくらいいるじゃないですか」

「……」

海は少し不機嫌そうにpoconeを持ち、ジェネルに対戦の続きを急かした。

窓から見える外の景色はすっかり陽が沈み、外は暗くなってしまっていた。ここでやっと道のりの半分くらいだ、という事実に海は少し手足を伸ばしたい気分だったが、ジェネルを軽くあしらってやれば残り半分だってあっという間だろう――そう思っていた。

 

電車が長万部へ向かう頃、海のもとに一通のBINEが届いた。一通の通知音の後、立て続けに何通かその通知音が鳴ったものだから、海はいったん勝負を止めた。

「ごめん。ちょっと、通知がきたから」

「あー、今いいとこなんです。終わってからでいいでしょう?」

「お前、ちょっと自分が有利に進められるチャンスだからってなあ」

 

海は華耶からお土産か何かの催促だろうかと思い、携帯の画面を開いた。

珍しいことに、田中からだ。海は一瞬横を向き、ジェネルの表情を伺った。その様子を見るに、ジェネルにはまだ同じようなメッセージを送っていないようだった。

おおよそ、よくない報せだということだけは海は想像がついたものだから、意を決してそのトークルームを開いた。

 

次々と送られてきたメッセージの締めの部分が先に開かれたものだから、海は思わず目をかっ開き――天を仰いだ。結論から先に言ってくれ、と、長い話をする人間に対し時々海は思うことではあったが、こうして結論を先に見てしまった海は、ただ言葉を失い、先に送られてきた文章すべてを読む勇気がすべて削がれてしまった。

 

メッセージの全てを読むべきだとは思ってはいるが、結論を先に見てしまった以上、上に文章をスクロールしたところで、内容が変わることは決してないのだ。

自分でも、田中からメッセージが送られてくるということは、それがどういう内容であることかは覚悟していたのだが――それでも、いざ現実を突きつけられると、海は心を抉り取られたような、胸が痛み出すような感じがして――うまく呼吸ができず、しばらく浅い呼吸を繰り返した。

 

〈 引退会見は今のところ週明けに開く予定です 長い間本当にお世話になりました

 

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