海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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165・二つの祖国という皮肉(前)

〈――突然のことで驚いていますが、呼ばれたからには自分の役目をしっかり果たしたいと思います。決して話題性のために呼ばれたわけではないと思っているので、周りにそう言われないようにも頑張りたいと思います〉

〈――さて、高校3年生。それも、サッカー留学で現在はイギリスの高校に通っているという佳井新選手。記者会見でもまったく表情を変えることなく、毅然とした態度で我々の前にその姿を見せました。既に来年のワールドカップには出場が決まっている日本代表ですが、佳井選手は2週間後のカナダ、そしてフィンランドとの国際親善試合に出場予定です〉

〈日本代表のフォイヤベルク監督は『若く貪欲な選手だと聞いている。彼の今後のキャリアという点においてもこの2戦、少しでもきっかけがあれば積極的に使って行きたい』と話していますからね。ひょっとしたら、現役高校生ながらフォワードとしてスタメン起用されることもある!……かもしれません!注目しましょう!〉

〈以上、スポーツのコーナーでした。……さて、速報です。羽田野智哉教授の学歴詐称問題について――〉

〈――ショーちゃん。死んでほしいんだ。死んだら全部許してあげる〉

 

「……」

海は深いため息をつきながら、テレビのチャンネルを変えた。

「物騒なドラマだな、開口一番」

「この台詞だけ有名になっちゃったけどあたしはそんなに嫌いじゃなかったよ」

「ふうん。……見る?」

「別にいいや。一回見ちゃったし」

「あ、そう」

海はそう言って、世界の町並みを歩き回りながら現地の人たちに生活を聴いて回る番組へチャンネルを変えながら、華耶の実家から送られてきたりんごを食べていた。

 

「アイツ、絶対周りからの視線嫌がるだろうな」

「どうだろう、かえって闘争心に火がついたりして」

海はふと新のことを考えながら、ウサギ型に切ってあるりんごの次の一切れを口へ運ぶのを躊躇い、黙った。

「何でこんなことになっちゃったんだろうな」

 

はぁ、とため息をついた海の次の挙動は、重たく、なかなか身体が動かなかった。何をするにも億劫で、あと数切れ残ったりんごを食べるのも果てしないように感じられた。

 

「大体、なんで俺なんだだろうな。断るわけにもいかないから、仕方なく引き受けたものの」

「またその話に戻るのー?いいじゃん。名誉なことじゃない」

「名誉かもしれないけど、複雑なんだよ。複雑だから、嫌なんだよ。なんだか、俺を利用されてる気がして」

「利用されてやればいいじゃない。一応、憧れのピッチに立てるわけなんだから。本当は選手として立っていたかったんだろうけど」

「……それはそうだよ。でもやっぱり……なんか納得いかない」

「……海くん?もう断れないところまできちゃってるんでしょ?だったら、腹決めないと」

「……ああ、そうだよ。もう、退くに退けない。いいや、最初から逃げ道なんてなかったんだよ」

「海くん……」

 

海は頭を抱えながら、憎たらしそうにもう一度テレビの画面を睨んだ。もうそこには映っていない新の姿を頭によぎらせながら――ガシガシ、と頭を両手で何度も抱え込んだ。

 

暦だけが夏の終わりを知らせはじめていた頃、海のもとに、球団を通じて一通のオファーが届いていた。

12月のはじめに横浜の国際競技場で行われる予定の、サッカー日本代表対フィンランド代表の親善試合。その国歌独唱を、日本、そしてフィンランド両方にルーツのある海に、両国の友好の架け橋として担当してほしい――というものだった。

 

確かにルーツこそあるが、もう自分にはフィンランドの国籍だって残っていないことを海は反論材料に、このオファーをはじめ断ろうとした。

断ろうとはしたのだが――『片方だけ断ったら"そういうこと"なんだな』と様々な人に思われてしまうということや、両方断ったら両国に角が立ってしまうということを球団や主催の広報担当に泣き落としをされてしまった。

最初から自分に拒否権がないことを分かっていて球団も主催も話をつけていたことをなんとなく察し、海は両者を睨みつけながらもしぶしぶこの話を引き受けることにした。

こんなことになるなら、音楽などやらなければよかった――そんなことを激しく海は後悔した。どのみち、ここに自分が呼ばれた時点でもう引き受けなければいけないことになってしまっていたのだ。今まで自分が立場を理由に物事を断れない状況が続いていたものだから、今回もまた、そうして自分を利用するつもりでいるのだ。

 

なにが『国のために』だ。

 

本当に守りたいのは『国のために』ではなく、もっと別なもののくせに――。

 

海は応接室から出た後、今一度、そうして『国のために』なんて言葉を盾に使ってきた球団代表を壁越しに睨みつけた。それくらいしか、できることがなかった。

今更フィンランド人に向けて『自分はフィンランドの国家を歌う資格があります』なんて顔をどうしたらできるのだろう。フィンランド側が快諾してくれているなら別に勝手にしたらいいが、自分としては、もはやフィンランド人だったことを名乗ることすらはばかられるというのに、どうしてかつての祖国が、国籍を無くしたまま一度も国に帰ることのなかった自分を暖かく迎えることだろう――。

 

海はしばらく憂鬱でたまらなかった。

憂鬱で憂鬱で仕方がなく、シーズンが終わってこうして本番が近づくに散れ、再びめまいや寒気なんかに襲われたりするようになった。そんな中、まさかの新の代表入りのニュースが舞い込んできた。

 

さすがに代表側も、これを狙って新を代表に召集した――とはさすがに思えないが、何かとこの手の試合の実況やメディアは親子の絆がどうこうだの、好き勝手にドラマを演出し、過剰に盛り上げたがるきらいがある。それは新のためにもならないし、自分だって、せっかく独り立ちして生活している新の邪魔をしたくはない――。

 

「はぁ……!!っ……!!」

「海くん、発作?大丈夫?」

 

突然胸を押さえて苦しむ海を見て、華耶はばたばたと駆け足で薬を取り出し、海のもとへ駆け寄る。青白い顔と、じわりじわりと沸き立つ冷や汗。海は華耶に介抱されながらなんとか薬を飲み、華耶に促される形で深呼吸を二度、三度行い、そのまま華耶のひざに頭を乗せられ――額に濡れタオルを乗せて横になった。

 

「……嫌になるね。考え事してたら、年々ひどくなる。年々症状が悪化してるっていうよりは、歳取るたびに背負うものが大きくなりすぎてるってことなんだろうけど。こんなものすら背負えないくらい、俺の背中は小さかったってわけだ」

「いいから、喋らないで。……ごめんね、あたしもずけずけとモノを喋って」

「いいんだよ。俺が自分で地雷踏んだだけだから」

海は濡れタオルを顔にぶわっとかけなおし、顔全体の汗をふき取りながら、再び額にタオルを乗せなおした。

 

~~~

 

海は国歌独唱にあたり、二つ条件を突きつけていた。

 

一つは、自分が国歌を歌うその日にあわせ、日本、およびフィンランドのユニフォームを家族全員分名前を入れて作ってほしい、というもの。

父親らしいことをしてやれずにいたという後ろめたさから、大阪に残った家族総出で東京の新居に泊まった上で、東京に住んでいる晴留、そして真結と広乃を含む全員で試合を見に行くことを決めた海。そのために、もう一つの条件として、一般席とは別の席で家族全員分の席を手配してほしい、ということ。

そのくらいであれば――と主催側はすぐに手配をしてくれた。

 

幸いにも自分が国歌を担当する試合は金曜日の夜の試合だったから、海だけが前の日から東京入りしておき、華耶たちは金曜の午後に東京入りして、世田谷の新居に荷物を置いて晴留たちと合流し、そのままタクシーで現場入りする――というのが当日の流れだ。

一足早く新居で身体を休めていた海は、手際よく料理をする晴留と真結と広乃の三人を見て、改めて、年に数回あるかどうか分からない顔合わせのたびに皆、大人の女性になっていることに気づかされた。

 

「でもさ、家族総出でお父さんの試合なんて見にいくようなこともあんまりなかったのに……っていうか、たぶん全員で見に行ったってことは一回もなかったと思う。それなのに、一家全員で試合を見に行くのがまさかお父さんの試合なんかじゃなくて、新が出るかどうかの試合だなんて思いもしなかったよ。まさか、新があのままトントン拍子で代表入りまでするなんて思わなかったし」

晴留が揚げ物を作りながら、明日に控えた試合のことを話し始める。

 

「でも私はどちらかというと」「お父さんが歌うのを見に行くようなものなの」

「……あんまり新のこと悪く思わないであげてほしいな」

「でもお姉ちゃんだって」「あんまりお兄ちゃんとうまくいってなさそうなの」

「それは……まあ……」

「私たちも別にお兄ちゃんが嫌いになったわけじゃないの」「ちょっとギクシャクしてるだけなの」

「皆、よせよ。新は実力で代表をつかんだんだ。現役高校生で代表入りなんて、そうそうないんだよ。それも、運動量が求められるサイドとかならまだしも、新はフォワードとして選ばれたんだ。フォワードっていうのはとにかく点を取りにいくのが仕事だから、そこに新が選ばれたっていうのは、新がそれだけ前線でプレーして得点を狙っていくことに期待されてるってことなんだよ」

 

海が晴留たちをなだめたが、晴留も、真結も広乃も、どこかそれぞれがそれぞれ、新に対して何か色々な感情を抱いている――そんな雰囲気が見て取れた。きっと、自分も同じような顔をしていただろう。海は話題を切り替えるように――

「ところで、ユニフォームはもう届いたんだよね?」

と、名前が入っているはずのユニフォームの話を切り出した。

 

「届いてるよ。どっちの国のやつも届いてる」

「気に入ってくれた?」

「明日これ着て試合見に行くんだよね。なんか……いいなあ。これ、公式で作ってくれたやつなんだもんね?レプリカとかじゃなくて、本当に代表が着てるやつなんだよね?」

「そうだよ」

「さすがにサッカー見に行くのにチーターズのレプリカユニフォームなんか着ていけないもんね」

「サポーターにタコ殴りにされるよそんなことしたら。ふざけてるのか、って」

「しないよ」

晴留は笑いながら、コロッケと唐揚げとチキンカツとが乗せられた豪華なワンプレートを運んできた。多少揚げ物のジャンルこそ違うが、それが華耶からレシピを教わったトルコライスだということはすぐに見て取れた。

 

「じゃーん。お母さん直伝。お母さんほど上手じゃないかもしれないけど、これを食べて明日頑張ってほしいな」

「なんか手柄全部お姉ちゃん一人のものみたいな顔されるの嫌なの」「コロッケの下準備とかも私たちがやったの」

真結と広乃が不満そうに晴留を揺さぶりながら頬を膨らました。

海は三人が作った料理を一口頬張り――確かにその味が受け継がれていることを確認した。

「お母さん、妬かないといいな」

と笑うと、三人とも嬉しそうにしながら自分の分をテーブルへと運び、自らも夕食を食べ始めた。

 

「……でもさ、さっきの話――」

居間でテレビを見ていた海は、先に風呂を済ませてきた晴留に話しかけられ、思わず後ろを振り向いた。

「さっきの話?なんだっけ」

「新の話」

「……ああ」

海は道中で買ってきたノンアルコール飲料を飲みながら晴留の声を聞いていた。

 

「新には、明日行くこととか伝えてあるの?」

「伝えるわけないだろ。お父さんのほうから連絡して変に新にプレッシャーをかけたくない。大体、お父さんが言わなくても誰かしらが国歌斉唱を誰がやるかくらいどこかから話が漏れてるだろ。それに――」

「……それに?」

「……新は、自分の意思で一人で修行したくて家を出たんだ。俺たちが新に声をかけるタイミングは、今じゃないと思ってる。新がお父さんに話しかけたいと思ったときが、その時だと思うんだ。自立したくて家を出たんだから、変に干渉すべきじゃない」

「そんな日は来ないよ」

晴留は笑いながら海の言葉を否定した。

 

「そうかな」

「そうだよ。確かに、そこに新の意思があったのかもしれないけどさ。でも、新は自分はお父さんよりもっとすごいんだ、っていう、そういうのの見せつけのために自分を磨いてるにすぎない。その前提が崩れない限りはきっと"その時"はこないよ」

「だとしたら、お父さんがそれだけ新をダメにしてしまったってことだね」

「違うよ。新が勝手にお父さんにムキになっただけ。リスペクトの欠片だってない」

晴留は珍しく言葉を尖らせながら、きつい目線で海を見つめた。同級生の悪口なんかを言うこともなければ、まともにきょうだい喧嘩というものもほとんどしてこなかった晴留のことだから、海は晴留のそんな表情や声色をとても珍しく思いながら聞き入っていた。

 

「でもそれは、お父さんが父親らしくできなかったからだよ」

「ううん……きっとお父さんがもっと家に時間を割いても、変わらなかったと思うよ。いずれ、どこかでこうなってたと思う。たぶんね」

「晴留は、新をリスペクトはしてやれないのか」

「今はね。私にももし"その時"が仮に来たら……私にも、来ないと思うけどね」

海の言葉に対して、晴留は精一杯自分なりに新を受け入れようとしている笑みを一瞬見せたものの――どこか寂しそうに、ただ、新を追いやるような表情も入り混じりながらやんわりと否定した。

 

「……そっか」

「私は、お父さんのことリスペクトしてるから。今でも、三人で東京での試合なんかがあるとデイゲームたまに見に行くくらいだもん。こっそり」

「それはどうも」

海は少しだけ気恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、頭をかいた。

 

「いつか、お父さんが野球辞めたとして……他に一緒に趣味を楽しめる相手なんかいなかったら、寂しいでしょ?だからさ、お父さんくらい弾けるようになれるかどうかは分からないけど……お父さんの暇つぶし相手になれたらいいなって思って、最近ギターも始めたんだ」

「おいおい。別に、結婚を急かすわけじゃないけど……晴留だってお父さんばかりの相手してるわけにもいかないだろ」

晴留のこうした気遣いに海は苦笑を浮かべながら、ややありがた迷惑な気持ちを素直に告げた。ジェネルもそうであるように、皆、いつまでも自分にばかり構っているべきではないのだ。

 

「仮に結婚したって、家に遊びにくることくらいは出来るでしょ?」

「そりゃ、そうだけどさ」

「それにさ、音楽って年齢を選ばない趣味じゃない。お父さんがもうちゃんとしたバンドとか組まないとしてもさ……セッションする相手くらいは、いたほうがきっといいでしょ?」

「そんな義務感で組まれるのも、お父さんはちょっと嫌だけどね」

「義務なんかじゃないよ。私がそうしたいだけ。なかなか一緒になる時間もとれなかったから」

「義務感や同情じゃなきゃ、別にいいけど」

晴留の悪びれない笑顔に海は苦笑を浮かべながら、缶に中途半端に残ったノンアルコールビールを飲み干した。気を遣われている――そんなことに少しやりづらさを覚えながら、中途半端な飲みごたえに海は苦い表情を浮かべた。

 

「でも、ギターなんて安い買い物じゃなかっただろ。お父さんに相談してくれたら、お父さんのお古だとか、安いやつくらい買ってあげたのに」

「今はネットでもバイトが出来る時代だからね。バイト代でなんとかしたよ」

「何買ったの?」

「お父さんと同じやつ」

「SGかな」

「たぶんそれ」

「高かったでしょ」

「まあ、うん。学生が買うにはちょっと高かったかな。でも、仕送りはいつかちゃんと返さなきゃって思ってるから、私なりにうまくやりくりしてあるよ」

「別にいいのに、そんなことしなくても」

海は天井を見上げながら、ふう、と深呼吸した。

 

「晴留に引退後の心配までされちゃうなんてね。引退したらむしろお父さんがもっとお父さんっぽいことしてやるために、こんな大きい家買ったのに。ごめんね、すぐに引退できなくてなかなかこっちに引っ越せなくて」

「ううん。いいよ。花嫁修業してるもんだと思ったら楽しいし、かえって勉強とかにも集中できるし」

「そっか」

海は晴留の笑顔を見ながら、もう一缶のプルタブを開けた。

 

「野球を辞める頃にはきっと、晴留もお酒が飲める歳かな。義務感や同情でお父さんを見てないなら、お母さんが仕事で忙しいときとかは、代わりに一緒に飲んでもらおうかな」

「楽しみにしてるから」

「そりゃ嬉しいな」

海はお世辞ではない晴留の言葉に安心感を覚えながら、つまみとして出してくれたチーズの詰め合わせを食べ、いっそこのまま、明日試合になんか見に行かず、家で全員してのんびりしてようか――などと一瞬悪い考えがよぎったりもしたが、いくらなんでもそれは新に失礼だ、とすぐに振り払った。

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