海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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166・二つの祖国という皮肉(後)

《野球がダメだからって歌手にでも本格転向するつもりかよ。その歌手だって中途半端だったくせによ》

 

試合前に日本代表のもとへ案内された海は、新からそんな言葉を投げつけられていた。

手を差し出しながら、笑顔で――それでも、その口から出てくる言葉は悪辣なものだった。

《必死に生きてるような顔しながら、何やっても中途半端な生き方なんかしてるから、何やっても1番になれないんだよ、親父は》

「……この3年、向こうでしっかり英語叩き込まれてきたみたいだね、新。立派になった。背も俺より……いや、まだ同じくらいか。立派になったよ、新は」

《俺の言葉から逃げるなよ、親父。人の晴れの舞台まで邪魔しに来て、そんなに楽しいか?》

 

置いてきぼりにされている他の選手たちや海の付き添いらがポカンとした表情で、新が何を言っているか分からない素振りをしている。数人の通訳だけが、何かを理解したような微妙な表情で、交互に海と新とを見ている。

「あの……佳井さん。息子さんはいったい何を佳井さんに……?」

「今日の試合、僕が国歌を歌う歌わないにかかわらずにいつもどおり頑張ると言っています。人の目もあるので、周りに気を遣って英語で話してくれてるんでしょう」

「それはそれは」

海は、新が言わんとしていることのいくらかは正しいことをスタッフに伝えながら、笑顔のままこちらを睨み続ける新を黙って見つめていた。

 

《お前なんかがこの試合来てくれたせいで、俺はまた息子、息子、親父の息子だ。親父が今日ここに来たせいで、俺が必死で積み上げた3年を全部壊されたんだよ、俺は。国歌担当が親父だって決まってから、俺がいったいここでどんな目で見られてるもんか――》

《言っておくけど――》

悪辣な言葉を笑顔で吐きながら右手を差し出した新に、海もその手を差し出す。

 

《お前が今日の試合、出るか出ないかにかかわらず、俺は今日ここで歌うことが決まっていた。そう――夏の終わりの頃くらいだ。だから、お前が代表に決まったのは、それからだいぶ後のことだよ。……ひとつ、お前に言っておくことがある。俺が来たくらいでお前の3年間全てが無駄になるくらい、お前は無駄な留学生活をしてたのか?違うよな?……そうだと言ってくれないと、俺も少し困るよ。自分の学費のことが全く分からない歳じゃないだろ》

海は笑顔で握手を応じるが、新は少し力んだ様子で海の差し出した右手を潰すほどの勢いでギリギリ……と強く強く握り締めた。

 

《向こうの国の国籍だってもう持ってないくせに向こうの国の国歌歌って、さぞいい気持ちだろうよ、親父はな》

《言いたければ、どうとでも好きなように言えばいいよ。そこに関しては、偉そうなことは何一つ言えないから》

新からその握手を解き、海は少しだけひりついた右手の痛みを隠しながら――

 

「久々に会って話をすると、アメリカ英語っていうよりは、少しイギリス英語っぽくなってましたね」

と周囲に軽く冗談を交わし、その後日本代表全員と写真を撮ったり、軽く挨拶をした。

メンバーの中には、年末のアスリート系のトーク番組や対談番組で一緒になった選手もいくらか混じっていた。『まさかこんな姿でお会いするとは』なんてことも言われたがそれは海にとっても同じことで、海もまたぎこちない笑みを浮かべながらそれに応じた。

 

「さっきの映像――」

「はい?」

何人か自分の後ろをついてきている取材班に海は振り向き、話しかける。

「さっきの、僕と新の会話なんですけど」

「はい」

「ニュースだとか、裏で原稿読んでいる間に直接会話の音声が流れないような形で使うのは大丈夫ですけど、ドキュメンタリーとかでもし会話そのものを使おうとしてるなら、音声カットするなりなんなりしてください」

「何かまずいことがあったんですか」

「おたくらからしてみたらこれ以上ない材料なんでしょうけど、あまり、新は僕のことをよく思っていないんです。いつか時間が解決してくれると思ってはいますが――僕のことを大事に思うなら、新のことも大事にしてやってください。アイツはこれから、日本のチームなのか、それとも本当にそのままイギリスのチームに拾ってもらえるか分かりませんが……アイツの今後のキャリアを考えると、あの会話の内容はとてもじゃないけど流せるもんじゃありません。アイツの今後を本当に期待してるつもりなら、僕に対して話した悪辣な言葉は、くれぐれも使わないでください」

海はそう言って取材班に頭を下げた。

 

「でも、さっきは二人とも笑顔だったじゃないですか」

「笑顔だったけど、まあ、あまり皆さんには聞かせられないような言葉だったんですよ」

「はあ」

「とにかく、使わないでください。僕だけのためにじゃなくて、アイツのためにも。お願いします」

海は取材班にもう一度深々と頭を下げ、通路を歩いた。

 

〈 豚の反対って何だと思います?

既読

17:06

 

タブ 〉

既読

17:23

 

〈 豚の反対はシャケですよ

〈 豚は怠惰な生活をしてますけど、シャケは流れに逆らって進むものですからねー

〈 ウサギトラライオンヒツジシカウシサルトラキリン

〈 シャケ!! シャケ!!

既読

17:26

 

バカか? 〉

17:43

 

いったん控室に戻り、ジェネルからのBINEに返事をしてやっていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

と答えて海は客を招き入れた。

歓迎するような声色だったが、内心、控室での休憩時間くらい休ませてほしい――そんなことを考えながら組んでいた足を解き、客が入ってくるまでの間、ほんのしばらく訪れた静寂をどこか尊く思った。

 

《ちょっとお邪魔するよ。私、フィンランドでドキュメンタリーとか作ったりしてるオルガ・シルタネンっていうんだ。よろしく》

入ってくるなり、遠慮なくドカッとイスに座った、自分と同じような金髪で、前髪の一部に青いメッシュを入れた女性。砕けたようなフィンランド語を使いながら、すらっとした長い足を組み、タブレット端末を持って海をじっと見ている。

 

《よろしく》

海もずいぶん久しぶりに使ったような気のする、砕けたような挨拶を交わす。ややラフすぎるオルガの態度に内心『なんだこいつは』とも思ったが、まともに会話でフィンランド語を使ったのは、いつ振りだろう――という気持ちのほうが今は強かった。

 

《佳井っての、なんか言葉に合わないんだよね。ヨッシでいいよね》

《まぁ、勝手にしたら》

どうせ言っても聞かないタイプの人間だろうから、海はオルガの砕けた言葉をどうともしなかった。

 

《あ!そうだわ、英語のほうがいい?フィンランド語のままでいい?》

《別に、どっちでも》

《じゃ、このまま話すわ。なんか、すごい人なんだってねーヨッシ。日本記録なんかも二つ持ってるとかって》

《その辺は調べてあるんだ》

《ま、一応取材するにあたってそのくらいはねー》

オルガは海をじっと見つめながら――

 

《実際、どーなの?日本とフィンランドの国歌両方歌うってのは》

と、いきなり返答に困りかねない言葉を突きつけてきた。オルガは悪意なく純粋に気になっているようで、目を輝かせながら、イスから前のめり気味にしてタッチペンを指先でくるくると回している。

 

《気まずいよ、そりゃ。もう大体のことは調べてあるからきっと分かってると思うけど、俺は両親ともに日本人じゃない。親の仕事の都合で日本に引っ越して、まんまと帰化させられただけの立場だ》

《その辺は調べてるよ》

《ならよかった。どれだけ周りが俺のことを日本人と認めようと、俺は本当の意味での日本人にはなれないでいる。周りがそうは思ってなくても、俺が自分でそう思ってしまうんだ》

《まー、そうだよね》

そうだよね、と寄り添うような言葉とは裏腹にペンを回したまま前のめりで話を聞き続けるオルガに、こいつはそういった人間なのだろう――と思いながらも海は言葉をやめなかった。

 

《かといって、国籍を失ってしまった以上、俺はもうフィンランド人でもない。だけど、何かしなくちゃと思って大使館なんかに問い合わせて、同じ血を引くやつらと音楽活動なんかもしたりした。そうして、どこか身近なところにフィンランドを感じて生きていればと思ったりもしてたけど……滑稽だよな。そのもともとの苗字だって、俺は捨ててしまった》

《まー、日本で生きるってなったら、そりゃーねぇ》

《もちろん、俺は別にフィンランドを捨てたかったわけじゃない。親父の都合で日本にやってきて、気がついたら帰化させられていたっていう事実だけを俺は捨てたかったんだ。でも、結果的に俺はフィンランド人であることも自分から捨てて、日本人として生活することを選んだわけじゃないか。だから今更フィンランドには帰れないし、帰って何かできるわけでもない。何事もなかったかのように日本で生きて、きっとこのまま、日本で死ぬと思う。食文化の一部だとか、ほんのわずかな部分にフィンランドの血がまだ体に流れてるけど……それでも、日本に着てからのほうがフィンランドにいた頃よりも倍近く生きてるから、最近じゃ、納豆の香りなんかがそんなに気にならなくなった。相変わらずまともには食べられないけど》

《納豆!?マジで!?あんな洗ってない便所みたいなやつを!?》

《……異国の料理をそんな言い方するのは感心しないな》

海はぐいぐいと突っ込んだリアクションをしてほしかったのはそこではなかったのだが――と思いながら、必死でメモをとるオルガの様子を黙って見つめていた。

 

《それが今、まさか両国の架け橋になってくれ、なんて言って、もう国籍もないフィンランドの国歌を歌ってほしいって言われた。体のどこにも日本人の血が流れてなくて、ただ、ガワだけが日本人であるだけの俺が、日本の国歌もずけずけと歌おうとしている。こんなこと、二つの国に失礼なんじゃないか、って思ってるよ。でも、きっとお前も知ってるように、俺の置かれてる立場っていうのは、簡単にNoとは言えない立場だ。俺がひとつ、YesかNoを言うだけで多くの金が動くような人間になってしまった。俺は、こんなことになるために野球をし続けてきたわけじゃないのに》

《フィンランド代表とは会った?》

《一応》

《どうだった?なんか変なこと言われたりした?》

《思ってたより、好意的に受け入れてもらえたよ。大変だったね、なんても言ってもらえた。どっちの国も応援しないといけない立場で大変だと思うけど、俺たちのことも応援してくれよ、とも言われた》

《よかったじゃん》

《ああ。安心したよ、心底ね。ネットで俺のバンドの曲を聴いて、CDを買ってくれたって人もいた。でも……俺が気にしすぎてるだけなのかもしれないけど、向こうだって、社交辞令で俺に話してるのかもしれないなんて考えると、とたんに怖くなってくる。控え室に入ってから、何本ミネラルウォーターのボトルを開けたか分からないよ》

 

海はゴミ箱を指差し、そこに数本散らかってるボトルをオルガに見せびらかした。オルガはふうん、と海ほどは感心なさそうな様子を見せながらペンを走らせ――

《機会があったら国には戻りたいと思う?》

と特に悪気もないようなさばさばとした表情で海を見つめた。

《いいや。いまさら、帰る場所なんてないからね。離れた30年近くの間に変わってしまった景色だって、あまり見たくない》

《気にしすぎだと思うけどねー。ま、いいや。何か、フィンランドの人々に向けて伝えたい言葉とか、ある?》

《何か、って言われてもね……》

海はしばらく考えこんだが――

 

《こんな、中途半端な人生を歩んでいるけど……それでもなんとか生きてる。合わせる顔なんかないから、国には今更戻れないけど……それでも、フィンランドのことを自分からは積極的に忘れようとしてるわけじゃないんだ。いずれ、何かの形で恩返しか何かできたらいいなとは思ってるけど……それこそ、フィンランドには本格的な野球の施設なんかがないだろ。施設のひとつくらい建てて、野球のPRなんかできたらいいなとは思う。でも……どうだろうね。指導者がいるわけでもないから、施設だけ建てても、どうしようもないよな。まあ、その……なんだ……いつか、戻れる日が来たら……そのときは温かく迎えてほしいと思う。……悪いね、しどろもどろで》

海は気まずそうにしながらハンカチで汗を拭った。一応取材という体なものだから、言葉ひとつひとつに気を遣ってしまう。これらをどう切り取られるかなんて、出会ったばかりのオルガの性格が分からない以上、どうとでもなってしまうからだ。

 

《まあ、しゃーない。ヨッシが複雑な立場で生きてることくらい私だって分かってるし》

そう言ってオルガはポケットから名刺ケースを取り出し――

《あー、そうそう。名刺、渡しておくね。縁起のいい話じゃないことだって分かってるけど、ヨッシは普通の人ならもうとっくに引退しなきゃいけない歳に近づいてるのも知ってるから、もしそういう時が来たなら、そのときは国の英雄として取材させてほしいからね》

《英雄って》

押し付けられた名刺よりも、押し付けられた言葉のほうに戸惑った海はオルガの気ままさに動揺した。海はなんとか気を取り直してポケットから自分の名刺をオルガに渡したが、あまりにオルガのペースに振り回されていることに戸惑いを隠せなかった。

 

この国に来てからずいぶん不遜な人間を見てきたが、それが一部の人間であって、大体の人間は――それこそ、どれほど不親切な人間ですらある程度は相手の間を読んで行動することが多い。

オルガがてきぱきと自分の用件だけ告げてそそくさと動き回っていく様子についていけないのを見て、海は改めて自分が日本人としての社会規範に慣れてしまったことに気づかされた気がした。

 

《それじゃ、本番前にあんまり邪魔しちゃ悪いからこれで》

自分によく似た、少し癖の強い長髪を歩きながら手で振り払い、長い足をツカツカと音を立てながら遠ざかっていくオルガ。歳は20代後半くらい――大体ジェネルと同じくらいだろうか。

「……騒がしいやつだったな」

海はもう一度名刺を手に取り、それを名刺入れにしまった。

 

~~~

 

「いやー!すごかったね、あの5人抜き!ニュースとかだと大体あちこちカメラが動き回るから分かりづらいけど、新、あんなに足速かったんだね。ゲーム見てるみたいだったよ」

未だに興奮冷めやらぬような様子で、華耶が家に帰るなり、試合を回顧し始めた。

新に対して辛辣な思いを自分に打ち明けることはあったが、やはり素直に息子の活躍はうれしいようで、なんだかんだで家族の中で華耶が一番喜んでいるようだった。

 

「足が速いっていうよりも……いや、まあ足も見た感じ純粋にかなり速いんだけどね。ドリブルのタッチがかなり繊細なんだよね、あれ。よく言うと超前線向きの1トップでもなんとかなるタイプのフォワード。最近でいう0トップ、みたいなのもたぶんいけるやつだね」

「じゃ悪く言うと」

晴留が質問する。

 

「典型的な俺様。自分でなんとかできちゃうもんだから、2トップじゃ、もう片方のフォワードをあまり生かせない場面が出てしまいがちだろうね。ウイングが両サイドにあるタイプの3トップだったらワンチャンあるかもしれないけど」

晴留は海の回答に、分かったような、分からないような――表情だけはしっかりと自信を持っているが、なんとなく本当は分かっていないけど返事をしたような素振りで答えた。

 

「ひょっとしてお母さん、サッカーも好きなの?」

「そりゃあ。水野がケガする前、ほんとに『ハマのプリンス』って言われてた頃なんかは下手したら野球選手より好きだったくらいだったし。今じゃ水野、バラエティ番組でイジられキャラになっちゃったけど。そのちょっと後の銀河系イタリア代表も大好きだったなー、イケメン揃いで」

「……お母さん昔から面食いだったんだね」

晴留は華耶の浮かれた表情を半分呆れた様子で長めていた。

 

まさかのスタメン起用にスタジアム中――いや、おそらく日本中が沸いたであろう今日の試合。4-3-3の攻撃的なフォーメーションのフォワード――その左ウイングに、その背番号25はいた。

奇しくも、海がプロ入りからずっと背負い続けている背番号と同じ番号を背負った新は、前半から積極的にドリブルを仕掛けていった。

 

監督はその新の貪欲さをあえてチームに入れることで活性化を図ったらしく、新が個人技に走りがちなことは承知で今日の前半、新を半分好きにさせていた。

クロスを上げるべき場面で強引に切り込んで一人でシュートを打つ場面なんかもあり、海からしてみたらとても見ていられるものではないプレーも何度もあったが、運動量やスピードという点で新は他を圧倒しており、前半37分にはドリブルで5人を抜いた後、ついにそのシュートはネットを揺らし、得点を挙げた。

身勝手なプレーの割になかなかゴールを奪えずにいたことに鬱憤がたまっていたのか、チームメイトからはやや手荒い祝福を受け、肩だとか頭だとかを軽く叩かれている様子が海にはしっかりと映っていた。

 

「あれでゴール決めちゃうから、みんな新に期待してしまう。あれ、ゴール決めてなかったらたぶん今日のプレーは相当厳しい目で見られてたと思うね。実際、前半終わった時点で下げられてるから。特別パスが下手とかいう感じでもないし、仮にプロに進むなら、個人技だけじゃなくてパスだとかクロスだとかの精度やそういう広い視野を育てないと、あの手のタイプは怪我や加齢で前線を張れなくなったときがつらい」

海はそんなことを分析していたのだが、華耶や子供たちにとってはゴールシーンのことのほうがよっぽど大事なようで、家のテレビでその得点シーンをずっと巻き戻して繰り返し見続けていた。

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