海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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168・内部分裂はシャボン玉のように

カコン!と耳心地のいい、乾いた破裂音のような快音が球場に響き渡る。

内角の球を早めに引っぱたき、外野スタンドの奥へと次々放り込む海の姿がそこにあったが、海はまだまだ足りないといった様子で薫に向かってもっと内に投げ込むよう指示を出している。薫もまた、気合十分といった感じでその投球を続けていた。

 

「佳井のやつ、いやに飛ばしてますね」

「変に気合だけ入れられても迷惑なんだけどね。うちにはうちの戦い方があるし、俺には俺の考え方があるわけで。それで4割また打てるようになるなら別だけど、彼が4割打ったからって勝てるようになるもんじゃあないでしょう。困るんだよね、自分だけがこのチームを引っ張ってます、みたいな顔されるのは」

「……ですが、事実として彼が長年我々を引っ張ってきたのは事実ではないですか」

今野が頭をかきながら吐き捨てるようにつぶやくと、小室が割り込むようにして口を挟んだ。

落ち着いている表情ではあるものの、今野と小室の間には静かに火花が散っていた。なぜ所属選手のことをそういう言い方しかできないのか――という思いの小室と、いまさら何を突っかかってくるんだ――という今野の視線のぶつかりあいが、コンマ数秒ほどの世界で激しくせめぎあっていた。

 

「それが困るって言ってんの。結局、彼一人で何ができたのかな。彼一人がチームを背中と実力で引っ張り続けてきて、それで誰がついていったわけ。結局、一人だけでしょう。佳井のやり方、佳井の哲学、佳井の打撃論についてこれたのは。打撃が持ち味のチームのくせに打ち勝てないし、若手も中堅もろくなのがいないからせめて個々の力だけでもゴリ押せないかと一発にこだわる選手集めてもらってるのに、結局、誰も佳井以上に打てない。そのうち、彼ほど歳には勝てずに怪我したり衰えていく奴ばっかりだから、未だにチームの顔として居続けてる。彼ももう42でしょう。おとなしくとっとと後ろに譲って、自分の力だけじゃ何もできなかったことを認めればいいものを、まだ自分には流れを変えるだけの力があると思ってる。こっちだって彼を今更トレードだとかで出すわけにもいかないし……この際、大きな怪我でもしてもらったら、血の入れ替えもできるのかしらね」

「……ご自分が何を言っているかお分かりですか、監督?」

「このチームの悪い流れを断ち切るため――大々的な補強策をするだけの大義名分を得るためにも、アイツにはそろそろ居なくなってもらわなきゃ困るんだよねと僕は割と本気で思ってるんだけど。君は、僕の考えとは違うのかな」

「……チームを率いる者として、そういう言い方で選手を論じるのはどうかと思いますが」

小室の軽蔑したような目線を感じ取り、今野は苦笑しながら守備コーチに詰め寄る。

 

「じゃあ聞くけど、君、自分が監督だったらアイツを、佳井をどう使うわけ。まさか、今までどおり3番で使い続けるべきとか言わないだろうね?それは幻想の抱きすぎですよ、君」

「いいえ。僕ならやはり佳井くんを3番で使います」

「ハッ……」

思わず失笑が漏れる今野をものともせず、小室は話し続ける。

 

「彼は選ぼうと思えば四球だってしっかり選べる打者です。一発に賭ける打線にこだわるのであれば、なおさら、彼を上位で打たせるべきですよ。大爺くんと佳井くんとの出塁率の高い打者とを並ばせて、佳井くんには今までどおり、タイムリーを狙ってもらいつつ、後ろには好きに一発を狙わせるべきです。今、我々には足で稼げるタイプの打者がいませんから、いっそあの二人を先頭打者で使ってもいいと思ってるくらいです。佳井くんはバントも決して下手ではありませんから」

「……君はどう思うわけ。彼と同意見?」

今野の試すような目線を向けられ、黙って小室の反論を聞いていた生駒が反応しづらそうにして頭をかき――

 

「……監督の意見にも、こいつの意見にも両方メリットとデメリットがあると思います」

「あ、そう。君はそういうスタンスなわけね」

興味がなさそうに監督は冷たい目線を生駒に送り、腕を組んだ。

 

「ま、いいでしょう。君の作戦にも利点があることは私にもよーく分かりました。まあ、考えてやってもいいでしょう。その代わり――」

監督は表情をピクリとも変えずに小室にもう一度近づき――

 

「君の意見を、私が聞いてやるわけだからね。佳井にもう一度上がり目があると思っての意見なわけだよね、それは。投手がどれだけ打たれても、この作戦なら打ち勝てるというわけだ。じゃあ、賭けてみようじゃないの。それでダメなら――分かってるよね?」

「投手のことまで僕に責任を押し付けられても困るのですが。監督」

「分かってないねぇ、君は。投手もダメ、野手もダメ、派手にダメなほうがチームとしては『このままじゃいけない』って大きい補強をしやすいわけ。大リーグなんかもそうでしょう。あのへんはこの国以上に、野球というスポーツがマネーゲームですから。それに、中途半端に勝って、中途半端に負けてるほうがね、上はお金を出してくれないわけ。これまでも何度もそうだったでしょう。フロントが変わって少しは変わるかと思ったら、やっぱりなかなか変わらなかった。君だってそのくらいは分かってるでしょう」

「だからと言って、そのために田中くんと佳井くんを犠牲にしろというのは、僕は違うと思います。そのために、育成そのものを放棄するというのは……指揮を執る者の言葉としては僕は到底受け入れられません」

「違うよ」

今野は小室の声を遮り――

 

「君もだよ。話の流れで分かるでしょう。君の首も撥ねてしまったほうが、上に要望を出しやすくなるわけ。今のままじゃあ、僕の望む野球ができない、ってね」

「……あなたは変わってしまわれた。チームが勝てない責任を選手や他人に押し付けて、自らの職務を放棄するほどの人ではなかったはずですが」

小室は落胆したように、それでも鋭い眼差しで――軽蔑を伴いながら監督を睨み付けた。

 

「君、時代は人を変えるよ。君の知ってる好球必打の佳井が、時間をかけて年間2桁打てるようになって、そして今度は4割から遠ざかりながらもなんとか必死に20本打ち続けながらしぶとく勝負する打者になったように、時の流れはどうとでも人を変える」

「僕には、ご自分の言い分を都合よく摩り替えるための言い訳にしか聞こえませんが」

「おい、やめておけ」

小室が冷静な表情のまま今野へ遠慮のない言葉を投げつけ続けるので、生駒が思わず割り込んで腕を差し込んだ。

 

「いつまでも変わらないものなんてないのに、自分だけは変わらずに生きようとする――立派なことだと思うけどね。変わらなきゃいけない時が来てるって時に、自分だけは変わらなくていいって思ってるっていうのは、君、傲慢だと思うよ」

「その変わり方の選択肢を誤ったあなたが、何をおっしゃいますか」

小室は鼻で笑うようにして今野を笑顔で睨み、二人の間にはうかつに割って入ったら首を切断されてしまいそうなほどの激しい火花が散っていた。

 

「お前も、再就職先をそろそろ考えたほうがいいね。最近、独立リーグのコーチなんて引く手あまたらしいじゃない」

今野は小室ではなく生駒の肩を叩きながらそう言って、一度ベンチの奥へと下がっていった。生駒はなぜ自分にまで飛び火したのか――と不快感を小室に向け、そして肩を払いながら不機嫌そうにグラウンドの砂を蹴った。

 

「気合十分って感じですねー、海さん」

「今年で全部出し切るくらいのつもりでいるからね」

「やめてくださいよ、縁起でもない」

ジェネルが海の取り皿から、今まさに食べようとして切ったばかりのステーキをフォークで奪い取って頬張った。

 

「でも田中と二人で優勝して引退なんてできたら、キリはいい」

「毎年言ってるじゃないですかそれー。アレですよ、毎年卒業シーズンにバラエティ番組を卒業する卒業するって言って辞めないのがお約束になってるやつみたいになってますよ」

「……でも、確実に今年本当に田中は居なくなる。アイツも、一年限りの復帰って言ってるからね」

 

海はどうせもう一枚もらってくればいいやと思ったのか、もう一切れステーキを切ってジェネルに見せびらかすようにステーキを指差し、皿から取らせた。ジェネルは一切れのほうではなく半分ほど余ったステーキをフォークで拾い上げたので、海はあっけに取られたような表情を見せた。

 

「……じゃー聞きますけど。田中さんが今年いなかったら、海さんどうするつもりで居たんですか?後追うつもりで今みたいにガンガン振って、今年で燃え尽きるつもりで居ました?」

「ああ」

「ええー……」

思いのほかそっけない返事が返ってきたことに、ジェネルは口に運ぼうとしてたフォークの動きを止め、一度皿にステーキを置いた。

 

「ひどいじゃないですかー、私という存在がいながら」

「お前がいるから心苦しいんだよ。昔ほど、お前に偉そうな言葉だって言えるような男じゃなくなってしまったよ、俺は。お前だって、いつまでも俺のことなんか追いかけてないで、FA権でも使って、もっと自分らしくプレーできるチームにでも行ったらいいよ。何も、ここじゃなくても野球はできるだろ。俺みたいに、全てが重苦しくなってどれだけ戦い続けることが苦しくなっても、雁字搦めになって、身動き取れなくなるよ。チームからも、なんなら、俺からも」

「私は別に、海さんに雁字搦めにされるなら構いませんよ。なんなら、しっかり固められてキメられても」

「そういう意味で言ってるんじゃねぇよ」

海はジェネルの額を軽く小突き、咳払いをした。

 

「……とにかく。俺という存在がお前の人生そのものを縛ってしまってる気がするんだよ。何回も言った気がするし、お前はそれでも構わないって思ってるかもしれないけどさ」

「私はそれでも構いませんもん。それなりに腹くくってここまでやってきたつもりです」

「……あのなあ。……こう、人の幸せの形なんて人それぞれだから、俺もあまり干渉したくないけど……いつかはお前も一人になるんだぞ。そうなる前に、こう……」

海は言いづらそうな感じで、頬をかきながらどうしたものかと唸った。

 

「……分かれよ。これ以上直接的な表現をしたら、今の世の中、何ハラスメントになるか分からないんだから」

「じゃあ責任とって、最後まで私を海さんの二号にさせてくださいよー。華耶さんが私をそう認めてくれるなら、私は二号でも何でもいいです」

「二号ってお前――何バカなこと言ってるんだよ。自分で何言ってるのか分かってるのか?本気で心配してるんだぞ、俺は」

海はもう一度額を小突き、席を立っておかわりを盛り付けにいった。

 

〈――さて、今日先発出場の佳井。中盤、横に大きく取ったダイヤモンド型の4-4-2のシステムを採用したヘビーガンFC。今日はフォワードではなく右のサイドハーフで起用されています。蝶野さん、これをどう見ますか〉

〈若くて運動量があって速さもある佳井くんをサイドハーフで使うというのはビルブロック監督の思い切った采配だと思いますねー。本人がこれをどう思ってるかはまた別ですけども……〉

〈佳井は『自分は点を取るのが仕事だと思っている』『前線を任せられるように信頼を勝ち取りたい』と言っているようですが、実際のところどうなんでしょう。フォワードとしての起用はこの先あるんでしょうか?〉

〈ええ、十分あると思いますよ。ただ多分、何をやらせても前に突っ走りすぎてますからね、佳井くん。ドリブルでの切り込みはすさまじいんですけど、クロスなんかもあまり上げたがらないので、監督なりのお灸なんだと思いますね〉

〈はあ、お灸ですか〉

〈いずれフォワードで使うことは前提としても、まだ若いですからね。日本人選手としてはだいぶ珍しいレベルの個人技が目立つ選手ですから、いいところは活かしつつ、悪いところは改善しながら、周りを生かすプレーをしっかり体験させながら育てていきたいっていうのがビルブロック監督の考えなんだと思います〉

 

夕食後、録画放送されていた新の所属するヘビーガンFCの試合の様子を眺めていた海。

これまでろくに守備もついたことのないだろう新。右でパスを待ちながら、一応は守備に参加していながらも位置取りが少し悪く、守備の対応が遅れがちな様子が画面に映し出されていた。

ディフェンダーがボールを持つなり、空いたスペースへすぐさま走りだすのだけれど気づいてもらえず、ラインを割るなり激しくパスを求めるしぐさが画面を通じて漂ってくる。

「おいおい」

 

再びディフェンダーがボールを奪い取ると、自陣の深いところまで攻め込まれている状態から半ば強引なアピールでボールを受け取った新は、ドリブルを仕掛けてすぐさま敵陣めがけて切り込んでいく。

右サイドを駆け上がっていく新のスピード感はダイナミックだった。世界大会なんかでも名を連ねるような歴戦の戦士たちがわずか18歳のドリブルに追いつこうと必死で戻っていったりプレスを仕掛けてくる様子は海の胸を熱くさせるものこそあったが、前線で待っているフォワードが見えていないのか、中央まで切り込みながらもなかなかパスを出そうとしない新。ペナルティエリア付近から強引にシュートを放ち――キーパー正面。

 

パスを出せよ、と不満そうにフリーになっていたフォワードがジェスチャーをするが、新は意に介さず守備のために再び自陣へと駆け戻る。

もともと、自分が90分フルで使ってもらえると思ってないのだろう。出ている間に自分をアピールしたい――そんなつもりなのだろうけれど、海からしてみれば――いや、きっと試合を見ている者も、現場の人間も、皆思っているだろう。

 

個人技が過ぎる、と――。

 

〈ああ、ビルブロック監督がちょっと……怒ってますね……。苦笑いこそ浮かべてますが、ペットボトルを蹴りました〉

〈今のは佳井くんよくなかったですねー。前線で待ってたレオナルドが完全にフリーでしたからね。仮に今後、今日みたいにサイドハーフやトップ下なんかを任されるようになったら、ああいう得点の嗅覚をしっかり見極められる選手になってほしいですねー。……ふふっ、多分ね、試合の後めちゃくちゃ怒られると思いますよ。ビルブロック監督が怒らないなら多分レオナルドかあるいはそのすぐ下で控えてるJ・D・メッサーあたりがめちゃくちゃ怒るんじゃないですかね。メッサーは責任感の強い選手ですから〉

〈ボールがグラウンドから離れました。あー、メッサーがちょっと佳井を小突いてますね。少しヒートアップしているようです〉

〈まあこれも経験ということで、一つ一つ成長していってほしいですね〉

 

世界大会だけではなく、海外トップリーグで得点王を経験したことのある選手や、代表でキャプテンを任されている選手たちから自分の息子が叱責されている――その光景に海は少しだけ恥ずかしさを覚えた。

 

入団以来3試合の途中出場で早くも1ゴールを決めるなど、それなりに華々しいデビューを飾った新だったが、こうしたことが続くようならば新は試合にすら出させてもらえなくなるだろう。

確かに18歳にありとあらゆる視野があるかと言われればそんなことなどないし、自分だって18歳の頃は周りが見えていたかと言うと――どうだろうか。果たして新のことを恥ずかしく思えるほどの資格があっただろうか……。

 

少し自分のことを棚にあげるような考えになってしまうことは重々分かってはいたが、自分のことだけ考えてプレーできるようなスポーツをやっているわけではないんだぞ――ということをなるべく早いうちに学習してほしい――海はそう思いながら、新がピッチから出て行くまでの60分と少しの間を見続けていた。

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