〈――ここで袴田のスルーパスにうまく反応した佐倉穣尋、ダイレクトでこの技ありシュート!スペイン1部サンセバスティアンで昨シーズン18得点を挙げた実力を見せ付けます!ワールドカップ、それも開幕戦の舞台でも尋常ではないゴールを決めてくれました!〉
〈これは先に前に飛び出していた佳井選手に対して完全にディフェンダーがつられましたよね。うまく佳井選手を囮に使ってフリーになったところを冷静に決めましたよね――〉
「……」
風呂から上がった直人は、そのまま居間のテレビで漠然とスポーツニュースを見ていた。冷蔵庫から缶ビールを取りに来た華耶はふとその姿に気づき、まったく気配に気づいていなさそうな直人の顔にビール缶を当てた。
「うわっ!?」
思わずソファから滑り落ちそうになる直人は慌てて振り返り、華耶を睨む。
「な……何するんだよ、母さん」
「えへへ。なんかぼさっとしてるなー、って思って」
「……べ、別にぼさっとしてるわけじゃないよ」
「お風呂上がってからずっとここでテレビ見てたんだ?」
「まあ……うん。携帯もいじってはいたけど」
「一応、新の試合は気にしてるんだ?」
華耶の問いに新は少し戸惑った様子を見せた。何か咎められているような気がして、どう答えるべきかを少し迷って――
「べ、別に、新の試合だけ見てたわけじゃないよ。ついさっきのお父さんのサヨナラタイムリーだって中継で見てた。……僕が気にしてる、ってわけじゃないよ。周りが気にするんだよ。……周りが新の話してるのに、僕がまったく試合なんか見てない、なんて言えないから」
と、しどろもどろに答えた。
「じゃあ、義務感で見てるってこと?」
「義務感ってほど……嫌々見てるわけじゃあ、ないけど」
歯切れの悪い言葉で、最後はしぼむような声で口を閉ざした直人。華耶は直人の斜め向かいに座って、ビールを開けながら直人をじっと見つめた。
「応援はしたいの?」
「それは……まあ……」
「家族だからとりあえず応援しなきゃいけない、みたいな感じになっちゃってない?」
「……」
黙ってうつむいた直人。華耶は特に咎めるでもなければ慰めるわけでもなく、表情を変えずに再びビールに口をつけた。
〈――日本!デンマーク相手に5対1!日本、これ以上ない好スタートを切りました〉
〈まあ今の日本の実力で言ったら、このくらいはできてもまったくおかしくないですからね。ゴールを決めた佐倉選手、佳井選手、そして袴田選手だけでなく、他の選手も積極的に前に出て行ってグループ首位を狙ってほしいですね〉
〈さてこの試合2得点を挙げた佳井選手ですが、今日はお父さんであるプロ野球チーターズ所属の佳井海選手もやってくれました!ここからはプロ野球のコーナーです!〉
ニュース番組のスタジオに、特殊効果で大きく映し出された海の姿がアップになる。
華耶も直人も、ニュースの音はただの環境音になっているようで、海の姿には特に振り向くでもなく、互いに見つめ合っていた。
「父さんのことは、尊敬してる。頑張ってプレーしてほしい、って思ってる。でも――」
「ニュースを見ちゃうと、自分が野球辞めたことをちょっと気にしちゃったり、学校で周りから比較されることを気にしちゃったり、自分で勝手に比較しちゃって、その度にもやもやしちゃうわけだ?」
直人は首を振り、うつむいた。華耶は少し意外そうな表情をして、ビールをテーブルに置いた。
「……それだけじゃないんだよ。母さんのことも、父さんのことも、家のことも……僕はまあまあ見てきたつもりだから……これだけ父さんが必死でプレーしても、兄さんには一体何が不満なんだろう、とも考えちゃうんだ。兄さんだけじゃないよ。僕が思っていた以上に、お父さん、あれだけ打っても、あれだけ今まで打ち続けてきても、世間からたくさん文句言われてるみたいでさ。でも僕は……新や世間に対して何か言えたり、発信できるような"何か"を持っていない。世間はともかくさ……自分がいつか、子供を持ったときに、兄さんみたいな子供を持ったら、そのとき僕はどうするんだろう?とか考えちゃうんだ。……おかしいよね、ずっと先の先のことなのに」
「ふふっ。心配性だなあ、直人は」
華耶は微笑みながら、直人の伸びた前髪をぐしゃぐしゃと撫で回し、笑顔を向けた。髪質は海に似たようで、ひどい癖毛ではないが、軽くウェーブがかった前髪を左右に分けてやった。
「新だって、いつか……そのいつかがいつになるかは分からないけどね。そのうちさ、分かる日が来るんだよ。強がりや意地だけで生きてられない日が来る、って」
「そうかな……」
「そうだよ。新に言わせたら、きっとお父さんも強がりや意地だけで生きているように見えてるんだろうけども、お父さんは自分のしがらみ全部が全部を自分の責任だと思っちゃってる。新は、自分の責任や、自分の人生のことしか考えていないから、お父さんにあんなに強く言えるだけなんだよ。みんないつか、自分のことだけで生きていられなくなる日がくるんだよ」
華耶はビールをぐっと飲み込み、喉の刺激をくーっと抑えながら、再び直人を見つめた。
「新のことがリスペクトできそうにないなら、無理して見なくてもいいと思うんだ、お母さんは。もし、真結や広乃のことを自分と比較しちゃって辛くなるなら、別に無理して二人の……二人だけじゃないよ。みんなのBUZZtterとか、BE-ntarestingとか、FACEGOODとか見なくていいと思うんだ。本当に応援したかったら見ればいいし、もし辛かったら別にしばらく自分が気になることだけ調べてたら、いいと思う」
「でも――」
「別にさ、お父さんも真結も広乃も、そんな思ってないよ。自分のことは何まで知っててほしくて、四六時中情報を追いかけててほしいなんてさ」
「……」
「そりゃあ、追いかけててくれたら、嬉しいだろうとは思うよ。お父さんも自分の口から試合見に来てほしいとか、試合見てくれた?とかはいちいち言わないタイプだし、全試合見ててほしいなんてはさすがに思ってないと思うけどさ。ふとしたときに自分の試合のこと話されたら、悪い気はしないだろうけど……これからもきっと、強制はしないと思う。だから、直人も自分のペースでいいんだよ」
直人は理解したような、理解できないような――あいまいな表情で頷いた。
華耶もまた、一度で全てを理解しろとは思ってもいないし、すぐに解決するような話題ではないと思っていたから、それ以上は言わなかった。
「――へぇ、そんなことが」
試合を終えて帰ってきた海は、自分が帰ってくるまで風呂を待っていた華耶に浴槽の中で肩を揉まれながら、直人とのやり取りの顛末を聞いていた。
もうじき40代も中盤に差し掛かろうというのに、相変わらず肌はガサついたりパサついてなく、出会った頃のようにきめ細かい肌の感触があったことにいつもながら関心し、話の内容が時折飛びそうになったが、さすがに話題が話題だけに海はなんとか華耶の話を適当に流さないように聞き続けていた。
「悪いね。いつものことだけど、家のこと全部任せちゃって」
「ううん。いいんだよ。今年は特に大事な一年だってあたしも分かってるから」
「その大事な一年も、いつも通りに収束しちゃいそうなんだけどね。口ではどれだけ大事だとか、頑張ってるとか言っても、結果が伴わなきゃ意味がない。俺一人がどれだけ奮起しても、チームスポーツってのは、そんなもんだ」
海は首を振って苦笑いを浮かべるが、華耶は背中越しにでも分かるほどの笑顔を見せ、海の言葉を否定した。
「それでも海くんはようやっとる。よーやっとるよ。もうすぐ43歳の誕生日迎えようとしてる男が、未だに打率4割前後をうろうろしながらさ。しかも、まだシーズン半分だっていってないのに今季もう20本目前でしょ?4割40本、またやれちゃいそうな勢いじゃん。それだけ打ってダメならさ、もう周りのせいにしないとどうしようもないよ。3番の仕事は十分すぎるくらいやってるでしょ?」
「ジェネルが塁に出てプレッシャーかけてくれるおかげだよ」
「だとしてもだよ。ランナーが塁に出てるほうがシフトに隙が生まれるから打ちやすいなんて思ってる打者、あんまりいないよ。普通はゲッツーを恐れたりゴロを恐れてチキっちゃうもんだもん。あれで海くんがチャンスに弱いとか思ってる人がまだ一定数いるのがむしろおかしいんだよ。ネガキャンもいいとこだよ」
チキる、という言葉の意味が海には一瞬分からなかったようだが、なんとなく言葉の流れから意味を汲み取り、そのまま海は話し始めた。
「そりゃ、ゲッツーは怖いよ。仕事したチャンスの打席の数だけ、ゲッツーを打ってるし、俺のせいで潰したチャンスは数知れない。でも……得点圏で5割を超えたシーズンだって3年ある。俺なりに、ランナー置いてから相手がどう打たれたら嫌かをちゃんと考えて打ってるつもりだし、それが数字としてちゃんと出てるからね。ゲッツーや凡退ばかりみんな面白がって取り上げてるけどさ……」
「強打者ならではの悩みというやつだね」
「……まあ、ね」
海は強打者という言葉に薄ら笑いを浮かべ、否定しようと思ったが――華耶の言葉をそのまま否定するのも申し訳ないと思い、黙って受け取ってやった。
「……ところで、中間考査の結果はどうだったの、直人の」
「横ばい。合計点で学年2位。休みがちな割には、ようやってるよ。別にグレてるとかでもないし、今のところは安心かな」
「小遣い、何に使ってるとかは?」
「……何に使ってるんだろね。別に服とかめっちゃ買うでもなく、ゲーセン行くとかでもなく。習い事だって辞めちゃったから、直人の分のお金だけ溜まっちゃう。本人なりに学費のアテにしたいと思ってるような……単に無趣味なだけなのか……」
「……まあ、変なことに金使ってるとかじゃないなら、別にそれでいいよ。点数だって維持してるなら、何も文句もないし」
海はそう言いながらも、少し直人のことを案じているような表情を見せた。
「明日も試合あるんだからさ、海くん。あんまり、シケた表情なんかしてても、明日にひきずるよ。新だって今日ゴール決めてるんだから、せめてワールドカップの間だけでもギラギラしててよ」
「俺は別にそんな顔なんか……」
背中越しに表情を読み取った華耶を海は必死で否定した。
翌日、田中と軽めのキャッチボールをしていた海は、球場に鳴り響いている今年のワールドカップのテーマソング『シューティングスター』に思わず振り返った。
この数日、聞かない日などないくらい何度も耳にするフレーズに、海は思わず嫌味を吐いた。
「どこもかしこも、お前の彼女の歌ばっかりだな」
「大阪じゃ、同じようなことをみんな佳井さんに対して思ってますよ。球場に来れば佳井さんの歌。テレビ中継でも佳井さんの歌。バス乗ってても佳井さんのワンフレーズと佳井さんのマナー啓発。ある意味、ナオよりも佳井さんのほうがよっぽど大阪を侵食してますよ。大阪の町から佳井さんの影響力が消えてなくなるのは、まだまだずっと先のことです」
「バカ言え」
アメリカでの活動に一区切りをし、再び日本での活動を再開したNaOtomoは、帰国してすぐにワールドカップのテーマソング、そして大人気のアニメ映画のテーマソングに声優デビューと、その勢いを再び加速させていた。
アメリカでの活動が決して失敗に終わったわけではない。日本からでも海外に歌を発信できるからこそ、再び活動拠点を日本に戻して、今度はアメリカ以外の国にも積極的にセールを行っていきたい――そんな方針らしい。
Na0tomo自身、自分がアイドル的な歌手だということを知っているからこそ、精力的に活動できて自分に勢いがあるうちにやるべきことをやり終えてしまいたい――という側面もあるようだ、と田中は言っていた。
『死んだフリ作戦』――。
田中はシーズン開幕まで本当にその調整具合をチーム内外に一切明かさないままマウンドに戻ってきた。
主にビハインドの場面や敗戦処理といった場面でロングリリーフも辞さない起用をされ続けている田中。時々まったく肩が上がらずに乱調を起こすこともあるが、今のところはそれでも大体は2イニングを無失点でなんとなく抑えてしまいながら時折炎上をするが、また次の日には何事もなかったかのように抑え込む――。
そんな、傍から見たらとても肩を壊した人間とは思えないような技術で押さえ込むようなピッチングを繰り返していた。今年一年を何とかやり過ごしたいというチーム方針にとっては、十分すぎるだろう。
「……でも、悔しいものですね。体力だけには自信があったのに、肩がこんな風になっちゃったせいで、今や先発も任せてもらえない。完璧に抑えることはできなかったかもしれませんが、先発で試合を最低限作ることに俺は自分の存在意義を見出していたわけですからね。体はいくらでももつのに、肩がついてこないんです。今こうやって投げさせてもらえてるだけでも、全然いいですけど」
田中に負けの理由をなすりつけたい、という今野の思惑ほど、田中の投球は荒れなかった。かといって田中に先発を任せられる状況ではないことは誰だって分かっていたし、仮に肩に不安材料のある田中を突然先発転向なんてしたら、自分が責められることを今野だって分かっているから、そこまで愚かなことはしなかった。
「お前、間違ってでもそれで自分の口から先発やりたいなんて言うなよ。あの監督、何するか分からない奴だから」
「分かってますよ」
田中はそう言いながらも、寂しげな表情を浮かべて甲子園の高く聳え立つスコアボードを見つめた。
「……でもやっぱり、考えちゃいますね。もう一度先発で全力で投げられたら――って」
「お前、そんなことしたら今度は本当に肩が使い物にならなくなるぞ」
「たった数年使い物にならなくなるくらいなら、何だってしますよ。腕を切らないといけないなんてことになるわけじゃないんだから、人生の中でちょっと数年棒に振るうことくらい、今更怖くはありません」
「死にに行く奴みたいなこと言うなよ。たった数年って言うけど、俺たち、あと何年生きられるかだって分からないんだぞ」
海は少し乱暴にスローイングをし、田中の構えた正面に鋭いボールを放った。
自分でも驚くくらい正確な送球だったものだから、海は思わず笑みがこぼれた。
「……これも、歳取ったってことなのかな。乱暴に放ったつもりのボールが真正面だ。あれだけキャッチボールは不得意で、今でも送球が乱れるってのに」
「これからは乱暴にスローイングしたらいいんじゃないですか」
田中は軽口を叩いて、海をからかってみせた。