海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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175・本当に燃えたものはなんだったのか

〈――さて、サッカー日本代表、佳井新選手およびその家族への誹謗中傷問題で続々と逮捕者が出ていますが、今日新たに、佳井選手の母親、および佳井選手の叔父が経営しているヨシイ・エンターテインメントに対して1ヶ月にわたり虚偽の情報の流布や中傷を繰り返したことなどから、名誉毀損罪および信用毀損罪で東京都の会社員、中松基子容疑者49歳が逮捕されました。また、佳井選手の父親であるプロ野球選手、佳井海選手の所属する兵庫チーターズに対し、執拗にいたずら電話を繰り返した疑いと、球団事務所を爆破するといったメールを何度も送った疑いから、大阪府内に住む会社員4名と元兵庫チーターズ所属、自称ホストの横嶺文偉容疑者45歳が逮捕されました――〉

 

「……」

 

〈――この他、昨晩佳井選手の自宅の外壁に着火剤と大量の木くずを撒き自宅に火をつけようとした疑いで、主にyoureTUNEにて動画を配信していた自称・プロ野球評論家の中井戸正崇容疑者26歳と、迷惑系youretunerとして活動していた乾睦慎容疑者25歳がそれぞれ現行犯で逮捕されました。警察はいずれも余罪を追及中です。佳井選手への誹謗中傷関連で逮捕されたのはこれで全国38名になりましたが、一連の逮捕を受けてさらに一部で過激化するネット上での書き込みや行動に対し、日本プロ球団連盟と日本プロサッカー連盟はさきほど合同記者会見で――〉

 

華耶の実家の会社……正しくは、華耶から見て叔父の家系にあたる大企業、ヨシイ・エンターテインメントからの協力で複数のボディガードやSPをつけてもらい、家の内外ともに厳重警戒状態がまだ続いていた世田谷の新居。そのリビングで晴留はニュースを睨みつけるようにしながら見つめていた。

 

しばらくの間は長野の華耶の実家で避難していたものの、晴留の『自分が何かしたわけでもないのにいつまでも逃げているのは嫌だ』という一言で世田谷に戻ってきてから数日。高い塀があるから外の景色はさほど気にならないとしても、実際に塀を乗り越えて家の敷地内にドローンを飛ばしてきた事例もあって、一日中締め切ったカーテンから外が見えることはない。ほとぼりが冷めるまでこのカーテンが開き、日の光を浴びることはないだろう。

「お姉ちゃん、夕飯は?」「まだなら手伝うの」

「ああ、別に――」

別に、と言いかけたところで、晴留はハッとした表情をし、真結と広乃とを交互に見つめた。

 

「炊飯器に炊き込みジャンバラヤが入ってるよ。スープはもうちょっとしたら煮えるけど、サラダとかはまだだから、それ代わりに作ってもらえるかな?寒天、もうすぐ戻るところだから。作りかけのタルタルソースもちょっとお願いできる?」

「わかったの」「任せてほしいの」

 

真結と広乃はハンガーにかかったエプロンを取り、いそいそと準備を始めた。晴留はそれをしっかりと見届けながら、地下室へと向かった。

立てかけられたギター、スピーカー、ヘッドフォン、そしてパソコンといった、第二の自室のような環境になった地下室で、晴留は携帯を取り出した。

「……」

眉間にしわを寄せ、晴留はBINEの画面を開いた。何度か躊躇って、画面を開いたり閉じたりを繰り返していたが、決心したような表情で、晴留は携帯を耳に当てた。

 

〈――なんだよ、姉さん〉

「なんだよじゃないでしょ!!」

これまで実生活において、ここまで大きい声を出したことがあっただろうか。晴留は防音のしっかりした地下室で、自分の声がこもって響き渡ったことに自分でも少し驚いた。

 

〈……うるさいな。そんな大声出さなくても電話はできるだろ〉

「なんとも思わないの!?ねえ!!一人でのうのうと生きてて!!少しでも何か感じることとかないの!?皆に対して申し訳なさだとか、自分なりに何かひっかかることだとかさあ!!!!」

新の無神経な声色に晴留は顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。新が画面越しにどんな顔を浮かべているかくらいなんとなく晴留も想像がついたが、文句のひとつでもつけなければ気がすまなかった。

 

〈あー……なんか大変らしいね、日本は〉

「誰のせいだと思ってるのさ!?」

〈おかしいもんだよな。たかがシュートひとつ外したくらいでガタガタとさ。他に娯楽がないのかよ。それとも、自分の人生がうまくいかないから、スポーツの応援ごときに陶酔してやがるのか〉

「……」

〈別に勝手に応援するなら、それでいい。でもあいつら、自分の声援があったからチームが勝ってるもんだと思ってる。で、ちょっと勝たなかったら選手のせい。ちょっと勝ってみたら、自分たちのおかげで勝ってるんだからお前らは結果を出して当然。だから、期待に添えなかった選手は死ぬまで叩いていい――くだらねぇよな。だから俺は日本のサッカーチームなんかに入りたくなかったんだ。……イギリスに戻ってからは楽なもんだよ。日本の頭の悪いマスコミどもだってそうそう俺を追い掛け回さないから、俺は自分のサッカーのことだけ考えていればいい。地元のマスコミなんか、もう俺がシュート外したことなんかいちいち引っ掻き回さないで、試合の出来ばかり聞いてくるよ。ファンだって別に優しいわけじゃないけど、いつまでもズルズルと一つの話を引きずってはこない。ま、俺はここんところあんまり試合に出れてないから、マスコミだってそこまで近寄ってこないけども〉

 

まるで他人事のような態度に晴留は顔を真っ赤にしながら――涙をぼろぼろと落とし、何を言ってもきっと無駄なのだろうという事実に打ちひしがれていた。

こんな人間のために今この国が――国が、というよりも、もっと身近な自分の身の回りが、そして自分がどれほど大変なことになっているかなど、きっと知らないのだろう。

 

「そっちはそれでいいかもしれないけどさ、今日本がどうなってるか、全然知らないんでしょ。今私たちがどんな日々を送ってるか、知らないんでしょ。この夏がどれほど私たちにとって辛いものだったかだって――」

〈ああ、なんか大変だとは聞いてるよ〉

「なんかじゃないでしょ!!!!!!なんか、って何よ!!!!なんかって!!!!!!家燃やされそうになったり、壁をスプレーで落書きされたり!!!!ドローンで盗撮されたり!!!!!!それをどうにかしようとお父さんが記者会見開いてメッセージを発信しなきゃいけなくなったり!!!!!!」

〈それは俺のせいじゃないだろ。知能指数の低い勘違い野郎どもが、自分の感情に自制がきかなくなって、俺たちに八つ当たりをしただけにすぎない〉

「自分のことだけよければいいってわけ!?ねえ!!!!」

今までになく理知的ではなく感情的に詰めてくる晴留に新は徐々に押され始めていた。押されている、というよりは、むしろ、今自分が置かれている状況なんかよりも、そうして冷静さを欠いている晴留に若干の狂気を感じていた。

 

新だって海がこれまでどれほどマナーや選手に対する言動について注意をしてきたかは分かっている。分かっているが、それで世界は何も変わらなかったのだ。

被害を受けたからといって憤って、そんな憤りを見てやめてくれるような人種ではないから、こんなところで争っていることに新はまるで価値を見出せなかった。

 

……そんな態度含めて晴留に責められているということについてはまるで分かっていないようだった。

 

〈……なんだよ。『こわいのでやめてください~』って俺が言えばやめてくれるのかよ。そういう人種じゃねぇだろあいつら。あんな奴ら、変に刺激してどうにかなるもんでもないだろ。裁判だってやるんだろ。金でモノ言わせて、弁護士使って死ぬまで全力で追い詰めれば終わるだろ?さすがに〉

「チームには相談したの?家が大変なことになってるって」

〈なんで言う必要があるんだよ。俺は何も大変じゃないんだよ。困ってるのは姉さんたちの世界なんだから、そっちが問題提起してこの話はあとは終わりのはずだろ〉

「その他人ヅラが気に入らないって言ってるの!!!!何なの!?!?その態度はさあ!!!!お父さんに守られてることに何も思ったりしないわけ!?!?自分ひとりだけ安全な場所でサッカーしてさあ!!!!」

 

いちいち神経を刺激するような言葉――それも、正論なのだから仕方がない。晴留だって、新が言っていることはそれなりに合っていることだって理解している。それでも、新に対して自分ひとりだけが安全圏でぬくぬくと暮らしていることが、許せなかった。何より、それでいて新なりにスランプに陥って、そのうちレギュラー争いからも後退していることに腹が立って仕方がなかった。そこまで自分の世界に浸りたいならば、完膚なきまでに世界の頂点に立てばこちらにも諦めがつくものを――と思わずには居られなかった。

 

だからこそ、どんな形でもいいから日本に引きずり出して、一度この惨状を目の当たりにしないと気がすまなかった。

多くの人々が逮捕されはじめている。ワールドカップが終了してからしばらく経ったこともあって、ようやく事件も下火になりつつある。きっと、新が日本に来る頃には事件だって収束しているであろうことも晴留は分かっていた。それでも、新自身は家族から距離を置く生活をしているというのに、実際に被害に遭っているのは新ではなく、日本に住んでいる自分たちだということが晴留はどうしても気に入らなかった。

 

〈……悔しかったら姉さんもイギリスにでもアメリカにでも移ればいいじゃないか。これで分かっただろ?親父の家族ってだけで、辛い目に遭うのは俺たちなんだよ。親父が日本にいるってだけで、俺たちは何をするにも――〉

「じゃあ佳井の名字を名乗るのをやめなさいよ!!!!嫌ならさあ!!嫌だ嫌だって言ってるのに佳井を名乗っておいて、籍もまだ残しておいて、都合が悪くなったら全部お父さんのせいって、虫が良すぎるでしょ!!!!お父さん、新のためにいくら払ったと思ってるのさ!?」

〈…………〉

受話器からやってられなさそうな深いため息が聞こえた。晴留はぼろぼろととめどなくあふれてくる涙をハンカチで拭きながら、しゃっくりが出そうになっているのを必死でこらえていた。

 

〈じゃ、何だよ。俺が佳井を名乗るのを辞めたら全部解決するのかよ?それが望みか?何だよ。どうしたらいいんだよ。たったシュート一本外しただけでこれだけボロクソ叩かれて。よせばいいのに親父が勝手に記者会見まで開いて、家のコネ使って裁判もするって言ってんだろ。じゃあ俺はあと何したらいいんだよ。どうしようもねえだろ。他人の人生、骨の髄までくさしてないと気がすまないバカで溢れ返った薄汚ぇ国に帰って『叩くなら俺を叩け』とでもキザなセリフでも言えばいいのか?動画サイトなり、あるいは球団通じて『俺がシュートを外したせいですぅ~もうやめてください~』ってメソメソと女々しく詫びでも入れたらいいわけ?俺がシュート外しただけのことで勝手に騒いでるクサレ脳みそ共に向かって俺が頭下げてってか?馬鹿馬鹿しい。今騒いでるのは、自分の人生を何かにすがってないと生きてられない、自分の人生を自分でケリをつけられないだけのクズでゴミムシ以下のダニみたいな奴だけだろ。それが今の日本人っていう国民性なんだろ〉

ふっ、と晴留は鼻で笑い――

 

「そのシュート一本さえも決められなかったくせに、よく言うよね。お父さんを見返すために、自分は世界で戦えることを証明するために海外出て行ったくせに、いざワールドカップで3得点なんて挙げても、肝心なときにシュートなんか外すようじゃね、お父さんのことバカにできないよ、新は。お父さんのこと肝心な場面で役に立たないとか散々バカにしといてさ。お父さんだってそういう悔しい場面を何度も何度も乗り越えてきたのに、何?たかがひとつシュート外しただけじゃないか、とか言って現実逃避。私、知ってるんだから。イギリスに戻ってから、枠内シュートの数がやたら減ってるせいで試合に出させてもらえなくて、それで最近またサイドハーフで起用されてて、ゆくゆくはサイドハーフ一本に絞ろうかとかコーチたちに言われ始めてるってこと」

〈なっ――!!〉

受話器の向こうで、うろたえて動揺する新。晴留に反論しようとした言葉が見つからず、新はしばらく黙りこんだ。

 

サッカーにさほど詳しいわけでもなければ、あまり外に出ているはずではないはずの情報が日本にまで届いていることに新は気が動転した。

もっとも、晴留はイギリスサッカーのニュースを原文で読むことができるから、日本にはまだ伝わりきっていないニュースを自力で読んだに過ぎないのだが、新は既に自分のそうしたニュースが日本に広まっているのではないかという焦りが受話器の向こうから伝わってきた。

 

「正直言ってさ、めちゃくちゃダサいよ。何?本当に気にしてるのは自分じゃん。シュート外したくらいで、とか言っといてさ。自分が世界で戦えることの証明?笑わせるよね。1月から数えてたった半年くらいの間、ちょっと調子よかっただけでさ。そのくせ自分が叩かれてることからも目を背けて、バカが勝手に騒いでるだけだって?何?本当は自分が今まで経験したことがないくらいボロクソ叩かれて、帰る場所も本格的になくして、余裕なくしてるからイギリスに戻ってからもうまくいってないだけなんでしょ!?」

〈うるさいな!!海外のサッカーのことなんか何も知らないくせに、何を知ったような口で俺に向かって口利いて!!俺はイギリスサッカーの第一線を一番の名門で戦ってるんだぞ!!〉

「でも結局レギュラーにさえなれてないんでしょ!?何ちょっと自分は既に世界で通用しますみたいな顔でいるのさ!!お父さんみたいに10年、20年と戦い続けたわけでもないくせに、何大物ぶってるのさ!!」

〈うるさい!!〉

ぷつん、とそこで電話は切れてしまった。

晴留は顔を紅潮させたまま、充血した目からは再び大粒の涙がこぼれ、そして肩で息をしながらテーブルに両手をついた。

 

感情をぶつけることだけなら誰にでもできる。ぶつけたところで何も解決しないことだって、分かっている。結局、行き所のない感情を新にぶつけて自分が気持ちよくなりたかっただけだ。それで結局、自分が新を言い負かせたかと言うと、せいぜい、互角か、やや劣勢くらいだろう。

新にだって、世界のことはよく見えている。考えこそ歪んでいるかもしれないが、それと同じくらい、自分たちを取り巻く世界が歪んでいることだって理解している。

「……最低だ、私」

 

姉として、弟にただ自分の不満をぶつけただけの姿。それは、姉としてはあまりにみっともない姿だっただろう。真結や広乃には見せるまいと思って地下室で電話したが、自分の行動の浅はかさが後から打ち寄せてきた波のように襲い掛かってきた晴留は、しばらくそこから動けなかった。

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