「おかしいでしょうが!」
東京からわざわざ飛んできた木村は、集合場所にしていた吹田のなじみの洋食屋にくるなり、テーブルをバン!と叩いた。
マスターが奥で驚いた表情をしながら、木村を一瞬見つめ、ちょっと困るなあ、といった表情で木村を見つめていた。
「よせよ。お前、このテーブルがどこ行っても見つからなかったらお前、他の座席のテーブルと柄合わせなきゃいけないんだから、全部入れ替えないといけないんだぞ、テーブル。お前の感情ひとつで店に打撃与えていいわけじゃない。このテーブルが好きで店に来てる客だっているかもしれないってのに」
海は立ったまま自分を睨みつけている木村を座るよう促し、脇から顔を覗かせてマスターへ申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「よせって……俺、先輩のことで怒ってるんですよ!?……なんでそんな冷静でいられるんですか。なんでそんなに――なんでそんなに黙っていられるんですか、先輩!」
「……きょうの昼も、お前とここまで大体同じ流れをしてくれた奴が一人いたからね」
両手を怒りで震わせながら、自分のことのように悔しそうにする木村。海はそんな木村を軽くいなしながら、首を振った。
〈なんで海さんがこんな目に遭わないといけないんですか!〉
球団公式HPからの速報を見てジェネルがたまらず自分に対して電話をかけてきたのが、今日の昼前のことだった。
海はその電話に対しても放った言葉を、木村に対しても放つことになった。
「そんなに文句があるなら、球団に直接言えばいいじゃないか」
『ええ、言ってやりますよ。もう私は一丁前の選手に自分ではなったつもりですから。こんなこと、あっていいわけありません――』
「ええ、言ってやりますよ。僕はこう見えても一丁前に中央紙の記者ですからね。こんなこと、あっていいわけありません」
「……まったく同じような返しをありがとう」
海は木村には聞こえるか聞こえないかくらいの声量とテンションでつぶやき、アイスコーヒーをすすった。
『コーチ人事について』――そう書かれたニュースには、ごく淡々と
来季から佳井海選手は打撃コーチを兼任することになりましたのでお知らせいたします。
とだけ書かれており、そこには海からのコメントすらも掲載されていなかった。
まるでそのニュースと合わせるかのように球団のニュース欄には『来季のスタメン発表について』というニュースが隣に居座っており、来季からスタメン発表時には、人気有名漫画家・エルキャンプが手がけたアニメーションに、大阪出身で全員がチーターズファンだという人気ロックバンド・オーバーハンズが手がけた新曲がバックで流れるらしい。
早くもニュース欄にはそのサンプルムービーが置かれていて、専用ページには自分なりに所属選手を組み替えてスタメンを自由に組み合わせてムービーを視聴できるおまけ要素まで実装されていた。
これによって、これまで15年使われ続けた海の楽曲は、その球場から姿を消すことになった。
「こればっかりはしょうがないだろ。ニコもマルコも俺に構ってられないくらい忙しくなってしまったんだから。同じ曲を15年も使ってくれただけ、ありがたいと思わないと」
「でも、先輩今自分で言ったばっかりじゃないですか。先輩が球場にいて、先輩が自分のバンドで作った曲に合わせてスタメンとして出てくる――それを見たくて球場に来てる人だっていたはずなんです。これじゃまるで、来季から先輩を干しますって言ってるようなもんじゃないですか」
「干すつもりなんだろう」
「だから……分からない人ですね、先輩も!なんでみすみすそんな、自分で自分に不利なものを受け入れる準備をしてるんですか!おかしいでしょう、コーチ就任だって……FA、使えばいいじゃないですか!コンドルスはチームの建て替えが急務だから、きっと喉から手が出るほど先輩をほしがってますし、先輩の地元のライガーズだって内野が手薄だから――」
「木村」
次々とチーム状況について語っていこうとする木村を海は静止した。
「残念ながらね、俺は埼玉に住んでた時期は6年あるかどうかくらいしかない。今じゃ、"その辺の草"の味だって忘れかけてる。きっと、テレビかなんかで連れてでもいかれない限り、俺は川口にも、春日部にも行かないと思うよ。確かに、俺の第二の故郷、という扱いに埼玉はなるかもしれないけど……そのたびに親父のことを思い出すのはね、つらい。だから、埼玉のことを俺の地元なんて言うのは……やめてくれ。俺には、今の生活のほうが大事なんだよ。もちろん、だからってここを俺の地元だとも、心のふるさとだとも思っていないけども」
目を伏せながら淡々と、でも寂しそうに語った海に対して、木村は首を振った。
「今の生活が大事なら……なおさらでしょう。埼玉を思い出したくないなら――コンドルスだけじゃないです。ホーンズだって内野は手薄ですし、コンドルスもホーンズも立地の問題がーって言うなら、スカイクロウズだって、今まさに先輩が必要なくらいチームの再建が――」
「木村――」
「遮らないでくださいよ。干される予感がしてるのに、今まで散々辛い辛い言ってきた人間が、黙って干されることを受け入れようとしてるの……腹立つんですよ。まさかこの期に及んで自分の代ではダメだったから、コーチとして日本一を目指すとか言ったりしないですよね。んなクソなことあってたまりますか。何です?今からコーチになっておいて、あとで何年かしたら、先輩には実績があるからって球団が泣きついてくるのを待って、それでいずれ監督になって、自分が果たせなかった夢をその時改めて叶えようってんですか。違うでしょう。あんたは……先輩は、クールでスマートなナリのくせに案外泥臭いから、皆これまでついてきたんですよ。やるからには、最後まで泥臭くあってくださいよ。何この期に及んで、万策尽きたみたいな顔してるんですか」
早口でまくし立て、息を上げる木村。落ち着くためにコーヒーをぐっと飲み込み、荒っぽくため息を吐いて、そのままじっと海を見つめている。
「……俺は万策尽きたなんて、思ってないよ。どうにかしないといけないとは思ってる。思ってはいるんだよ。でも、今更よそでは泥臭くやれないよ。だから、どうにかしてここで、もう一回這い上がらないといけないと思ってる。干せるものなら、干してみろって――そう思って、頑張るしかないんだよ、もう」
海はコーヒーを飲みながら、なかなか顔を上げない木村を見て、再び口を開いた。
「……悔しくないわけないだろ。監督が球団にどんな声かけたかは分からないし、球団だってどんなつもりで監督の言うこと聞き続けてるかだって分からない。チームを見渡せば、どいつもこいつも、何のために生きて、何のためにプロやってるのか分からない奴ばっかりだ。正直、こんな何もかも噛み合ってない状況で優勝だとか、日本一だとかなんて、一生できるわけがないとも内心思ってるよ、正直言って。……それでも、じゃあ思うようにいかないからって、黙って引き下がれるかって言ったら、できないんだよ。0.1%でもそこに勝機がある限り……勝負してる人間は、戦う前から諦めたら、いけないんだよ。俺とジェネルとだけで試合に勝てるわけなんかないって本当は二人とも分かってる。それでも、戦わなきゃいけないんだよ。勝負の世界に生きるっていうのは、そういうことなんだ」
海は手を上げてマスターを呼び、人差し指を立て、くいくい、と動かした。コーヒーのおかわりをくれ、というサインだ。
マスターは笑顔で厨房の店員に声をかけ――バイトだろうか。女子高生ほどの少女がゆっくりと近づき、替えのコーヒーをテーブルに置き、空になったグラスを回収した。
「……俺だって、辛いよ。辛いけど……もうどうしようもないんだよ。来季コーチやれって言われた時点で、ここから出て行くという最後の切り札すら奪われてしまった。お前らなら、よく分かるだろ。ここでいったんコーチを兼任してしまった選手がチームから出て行くってことが、どれほどのことか」
「……」
「別に、俺は世間のために野球をしてるわけじゃない。でも、世間は人を殺しかねないことを俺はこの一年、よく見てきた。なるべく、自分の意思で選んでるから俺はここにいるんだ、って思うようにしてる。世間がそう望んだから俺が来年もここにいるわけじゃない。だから……来年はコーチなんかじゃなくて、選手に専念させてくれって、結果で示したい。……まんまと諦めたくなんてないからね。……とでも言ったら、お前、やってくれるんだろ」
木村はふと顔を上げ、海を恐る恐る見つめた。何かを理解したような表情で、しばらく考えた後――木村はゆっくりと頷いた。
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「なーんか、お正月休みって凄く楽しいはずなんですけどね。あと一ヶ月もしたらまたあの忙しい日々が来るんだなーって思うと、やってられなくなるんですよね。夏休みもそうじゃないですか。お盆始まる頃って夏休みまだまだあるって思ってるのに、たった3日経っただけで、あー!夏休みもう終わっちゃう!どうしよう!ってなりません?」
「……そもそも俺は夏休みって、6月から7月、8月にかけてのものってイメージだから、その……お盆がどうとかいうの、分からないんだよな」
ジェネルがカレンダーを見ながら足をじたばたさせるが、海はあまりジェネルの言っていることが理解できないまま、ぼんやりしていた。
「やっぱ国が違うと夏休みなんかも違うもんねー」
「夏休みは宿題がー、自由研究がー、とか言うお前や華耶の言うことがあんまり理解できなかったからね。子供を持ってからは『ああ、日本ってこういう夏過ごしてるのか』ってなったけどさ。慣れはしたけど、やっぱあんまりなじんではないな、俺の中では」
「あーあ、私もフィンランドで生まれてたら海さんともっと長い時間過ごせたのになー」
「仮にお前がフィンランドで生まれてても、お前が生まれる頃には俺はフィンランドにいないぞ」
「あっ――」
くすくすと笑いながら華耶はジェネルの隣に座り――
「残念でした」
と舌をぺろりと出した。
〈――さて、ここで速報です。イギリスサッカーの名門、ヘビーガンFC所属の佳井新選手ですが、先ほど、レンタル移籍で日本サッカーの1部リーグ、大宮テルミナーレに移籍することが決まったとのことです――〉
「は?」「えっ?」「……」
三者三様のリアクションがそこにはあった。つい今まで何を話していたかなどどうでもよくなるような――手に取っていたクッキーを呆然と持ち上げたままのジェネル、コップに替えのお茶を注ごうとしてポットを持ち上げたままの華耶、そして、コーヒーを口に運ぼうと口の近くまでグラスを近づけたままの海――。
別に、何か悪いニュースだというわけではないのだが、あまりに突然のニュースに三人とも固まることしかできなかった。
〈――今季ここまでリーグ戦において3試合出場にとどまっていた佳井選手ですが、ビルブロック監督とかつて同僚だったシュバルツゲレヒト監督が指揮を執るテルミナーレへの移籍ということで、狙いとしましてはやはり……?〉
〈そうですね、佳井選手に試合勘を取り戻してほしいというところもあると思います。大宮は昨シーズンも2部リーグへの降格スレスレで、得点で見たら20チームで一番、それもダントツで少ないチームでしたから、1年間貸してやるからたくさん試合に出してやってほしい、っていう双方の狙いがあったのではないでしょうか――〉
「……実際、どうなんだろうね」
「どうって」
華耶が時間を再び動かすように声を発した。ジェネルも海も、思い出したかのようにして再び体を動かし始めた。
「レンタル移籍ってことは、一応、あとで返して、ってことなんでしょ?」
「まあ、そうだね」
「要らなくなった、とかいうわけじゃないんだよね?」
「逆に、日本ですらも得点を挙げられないようなら帰る場所もなくしそうだけどね。わざわざ向こうの2部リーグじゃなくて日本のチームに移籍させるってことは、色々思惑がありそうだけど」
「色々?」
ジェネルが口を挟んだ。海は真横のジェネルを向き――
「メンタル的な理由でアイツが不調なんだとしたら、日本で一度揉まれて来い、ってところがあると思う。単に出場機会を増やすだけなら、向こうの2部とか、向こうのちょっと低迷してるところにレンタルすればいいだけのことだから。それをわざわざ、リーグの時期すら違う国にレンタルするっていうことは、ある意味、向こうのトップリーグで今後使い物になるかどうかの最終判断をしようとしてるところもあるんだと思う」
「で、その日本でも潰れるようなら、今度こそ新くんは終わりかもしれない、ってことですか」
「まあ、そういうことだね」
「そういうことって……」
ひどく冷淡な海の分析にジェネルは辟易したが、海は淡々と事実を話し続けた。新がどんな状況にいるのかを海なりによく理解しているからこそ、海の言葉は途絶えなかった。
「背がでかくて足が速いだけなら、そこらじゅうにいるからね。そりゃあ、世界中から選手が集まってくるんだから、こっちでいうところの、あまり変化球が投げられなくてコントロールもよくない素材型の速球派投手みたいなもんだよ、新は。アイツはもともと前に出て自分本位なプレーをするだけじゃなくて、それでまあまあ点を取れてしまっていたからかろうじて評価されてたっていうところがある。そのアイツが、まあまあ得意なはずのパスを生かすでもない、なのに点も取れない、そのうちドリブルも調子を崩す――なんてことなら、日本ですらもやっていけない。それでいて、ただ背が高いだけでポストプレーが出来るわけでもないとなると、あとはもうディフェンダーに転向するとかでもしないと無理だろうね」
海はシビアな表情でコーヒーをすすった。
「海くんはどう思ってるの?」
「どうって?」
華耶が口を挟んだ。別に笑ってもなければ怒ってるでもなく、率直な疑問を浮かべて海を斜め前から見つめていた。
「新は日本で通用すると思う?」
「それはアイツの心構え次第だと思うよ」
海は一旦即答し、テレビの向こうに移った新のプレーを一瞬眺めた。自己中心的なプレーで強引に切り込んでシュートを決めた派手なシーンばかりが映っているが、それはあくまで新の長所を都合よく切り抜いただけだ。華々しいプレーの裏でどれほど新がそのプレーについて叱責されているかを考えると、海は改めて新の置かれている状況はとても厳しいように感じた。
「代表戦で周りの選手を見て、何を感じたかによると思う。もし自分ひとりの力で点を取れたものだと本気で思ってるようなら、アイツはこのまま終わっていくと思う。まだ19歳、まだ19歳だなんて思ってるなら、なおさらだね。今年一年ダメなら素直に次の人生を考えなきゃいけないくらいの気持ちでいなきゃ、まずいと思う。大宮も苦しい状況だろうから、きっとアイツはワンマンプレーに走るだろうけれど、ちゃんと周りを見て動けるかどうかによるね。アイツが一人で王様になるようじゃ、何も変わらないと思う」
「ふふっ」
「何がおかしいんだよ」
華耶が笑いながら海を見つめた。ジェネルも少し笑っていた。
まじめに分析し、自分の意見を話したはずなのに笑われるのは、海としては心外だった。
「海くん、ほんと自分に厳しく生きてきたんだなって。ずっと海くんを見てきたつもりだったけど、『まだ19歳って思ってたらダメだ』って。きっと海くんが19歳のときもそうだったんだろうなー、って」
「……どうだろうね。19歳のときのことなんて……生きるのに必死だったから、あんまり覚えてないよ」
「そう言うと思った」
「バカにしてるだろ、お前ら」
「ううん?」「全然」
華耶とジェネルの表情に海は不機嫌さを一切隠さず、コーヒーのグラスを叩いて
「おかわり、くれるかな」
と華耶を睨んだ。