海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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181・佳井神話の人工的な終焉へ

「ジェネルさん。ちょっといいですか」

「んー?何かな?」

遠くで練習を見ていた真悟が、軽く素振りをしながらフォロースルーのチェックを行っていたジェネルを呼び止めた。

 

「二人の練習見てて、本当に疑問でならないっていうか……その、なんって言うんですかね。そこまでこだわる必要があるのかな、って思ってたんですけど……」

と、真悟が打席に立っている海へと視線をやった。

 

「薫。もっと内角ギリギリに投げてくれ。遠慮するなって言ってるだろ。ストライクゾーンから少し外れるくらいを意識してほしい」

「わ……分かりました!」

 

「なんで佳井さんもジェネルさんも、あんなに内角ギリギリばっかり意識するんです?」

「あれはねー、ああいうボールを実戦で投げられたときにちゃんと避けるための練習でもあるんだよ」

「避ける練習?ははは。何言ってるんですか。来るって分かってる球は避けられて当然でしょう」

自信を前面に出しながら、思わず笑みをこぼした真悟。もっとちゃんとした理由があるものだと思っていたから、真悟はその答えに笑わざるを得なかった。

 

「ちっちっち。分かってないなー、真悟ちゃんは」

「分かってないですかね」

「分かってないよ?」

「俺は自分ではそう思ってないつもりなんですけど」

「いーや。分かってないね。薫ちゃんの球、ちゃんと見たことないでしょ。薫ちゃんね、ストレートがどうしてもシュート回転しがちなんだ。アレでも、前よりはだいぶよくなったんだけどね。シュートやシンカー、ツーシームなんかを意識して投げてるうちに、ストレートがどうしても指ひっかかったり、変な癖がついちゃったみたいで」

「そのシュート回転がどうしたんですか」

真悟ちゃん、という呼び名に少しムっとした表情を見せながらも、真悟はジェネルの話を続けさせた。

 

「薫ちゃんも左投手でしょ?海さんは左打者だから、内角に投げて、って要求するってことは、思わぬ変化をしてぶつかるリスクだってあるわけだよ。しかも気持ちは打つ前提でいるから、そうしたときに、いかに薫ちゃんが投げた球がちょっと抜けたり、微妙にコースを外れたときに避けられるか……っていうやつ。薫ちゃんも別にぶつけたくて投げてるわけじゃないけど、いつどう、ストレートに変に指がかかって、ぐにゃあって曲がるか分からないところがあって投げてるからさ、打つほうも投げるほうもまあ大変なんだ、あれ。もちろん、薫ちゃんもそうならないようにストレートのクセは直そうとしてるし、針に糸通すようなコントロールを磨き続けてるわけだけどね。真悟くんも左打者だから、その辺もちょっと考えて練習したほうがいいよ」

「俺の場合は、外に逃げるスライダーなんかの対策なんかをしたほうがいいと思うんですけど。そういうのやられてばっかりですし」

「分かってないなー。真悟くんなんかはガタイがいいでしょ。いざというときガタイが大きくて一発があるもんだから、率先して狙われるんだよ。で、真悟くんがその内角をビビった瞬間、終わりってわけ。……って、私は海さんに教えられたけどね」

「はあ、なるほど」

分かったような、分からなかったような、気の抜けた返事をしながら真悟は、海に手招きされてることに気がつき、しぶしぶ打席へと向かった。

「ま、真悟ちゃんの場合、いざというとき内角に向かって投げられたら絶対カっとなるからそういう意味でもやったほうがいいと思うんだけどなー、って言ったら絶対怒るしなあ」

ジェネルの独り言が、遠ざかる背中には全く通らずに球場の風にかき消された。

 

「俺、もっと普通の練習のほうがいいと思うんですけど」

「ガタイが大きい分、内角を捌けるほどの器用さがないって思われたら、内角にしか投げてもらえなくなるよ」

真悟はあまり乗り気じゃなさそうにして、長い髪をかきむしった。

 

「そりゃ、そうですけど。別にいいじゃないですか、内角が苦手なら、苦手で。投手だってみんな、内角にズバズバ投げられるわけじゃないです。当てるのが怖いから内角に投げてこない投手だっていること、俺はキャッチャーやってるからこそわかってるつもりですし」

「じゃあ、今から外角だけ練習して、確実に打てるようになるのか?外角に逃げていく変化球は、外から食い込んでくる変化球は、お前の好物か?むしろ、苦手だったから今まで打率が振るわなかったんじゃないか?」

「……」

昨季1軍出場、わずか9試合9打席。2軍でこそ本塁打王と打点王にこそ輝いたが、前の年は52試合出場していた。首脳陣からも『当たれば飛距離はいいがいかんせん、当たらない』なんて言われていて、確かに、何かを変えなければいけないときには来ていることくらい、真悟だって分かってはいた。分かってはいたが、自分が苦手だと思っているコースを漠然と打ち続ける意義があるようには真悟にはなかなか思えなかったのだ。

 

「困るんだよね。コーチが選手を困らせちゃ」

今野が舌打ちをしながら真悟と海の間に割って入った。

「期待の若手をいきなり潰すようなチームとは思われたくないなあ、僕は。悪いね、マサトくんだっけ」

「朝土です」

「ああそう。浅野くん、悪いね」

面倒なので真悟は二度目は「朝土です」とは言わないでおいた。恐らくこの人物は、人の名前を覚えられないタイプなのだろう――と判断したからだ。

 

「この人、コーチになったばっかりでね、まだよく分かってないんだ。そのくせ選手兼任だから、自分よりも秀でた選手が出てくるのが怖いんだ」

海はなるべく平静を装いながら今野を睨みつけた。自分のあずかり知らない所でこんな勝手なイメージを吹聴されては困る。

 

そうもしてまで自分を干さないと気がすまないのか、こいつは――そう思った海だったが――

「俺――やります。若手若手って言われてるのも、せいぜい今年くらいでしょうから。佳井さん。俺にさっきのやつ、教えてください」

と、真悟は真剣な眼差しで海を見つめた。

 

とても、空気を読んで場を収めようとしたようには見えない。じっと、海を見つめ、一切目をそらそうとしない真悟。今野のことなど一切視野に入っていなさそうな、そんなまっすぐな目線で海を見続けていた。

 

今野は勝ち誇った表情から一転、思わず真悟と海とを二度、三度見返し、一体どうこの場を収めたらいいのかを悩んだ様子を見せ――「ああ、そう」と、少しばかり悔しそうな表情をしながらベンチへと下がっていった。

「別に、無理してやるもんじゃないからいいんだよ」

「いえ。内角に投げられてゴロだけ打って帰ってきた打席のこと考えたら、自分に腹が立ってきたので。それに俺、人の名前をいじってくる人、嫌いなんですよね」

「そうか」

海は真悟の真剣な眼差しを見て、いったんマウンドから薫を呼びつけてから真悟と三人で話を始めた。

 

~~~

 

「――で」

「で、ってなんだよ。で、って」

「そりゃあ、最近の状況ですよ。俺たちは人の情報で飯食う職業ですから」

「最近の状況、ったってなあ」

オープン戦を控え、大阪に戻った海を出迎えるようにして木村は大阪へと来ていた。練習非公開ではなかった日のキャンプも、木村以外の誰かしらが来ていたが、木村はどうしても自分の足で大阪に来たかったらしい。もっとも、競馬の取材も兼ねていることも海は分かっていたが――。

 

「真結と広乃の二人の映画がなんか、まあまあいい滑り出しだってことは聞いたよ。なんか、水着のシーンがずいぶん評判だって。娘の水着姿を見るのは、複雑だけども」

「いい身体してましたよね。奥さんもちっちゃい身体に大層なものぶら下げてましたけど、二人ともその遺伝子を十分すぎるくらいというか120%受け継いでるというか」

海は一瞬木村のデリカシーのない言葉に睨みをきかせながら、話を続けた。

 

「海水浴のシーンが物語の上でどうしても外せないのは分かるんだけど、ああなるとみんな、水着のことしか入らなくなるからな。調子乗ってグラビア写真集なんかも作るってさ」

「作るどころか、なんかDVDまで作るところまで決まってるらしいですよ。ほら、これなんかもう、男知ってる顔じゃないですか。これはDVD、売れますよ」

 

木村が悪気なく携帯で、販促用のポスターの一枚を見せる。『映画・デュアルな恋戦線』とポップな字体で書かれたタイトルが控えめに左上に寄せられていて、水着姿の二人が、誘うような目つきでカメラを見つめている姿からどうやっても目を逸らせないようにしてあった。

 

「いやな言い方するね、お前。人の娘を男知ってるだのなんだのと。まるで俺の子供が枕してるみたいな言い方を」

海は深い、深いため息をついて、指の関節を鳴らしながら木村を睨みつけた。

「あ、いえ……。そんな言い方したつもりは。ただもう17、18じゃないですか。恋くらい、したことあるんじゃないかな、って思って」

「どうだろうな。業界のなんかやばい人間だとか、その辺の売れないやつ食い物にしてる悪徳Pだとかに食われてなけりゃ、別に」

「じゃ、俺が二人のお相手なんかだったら」

「冗談でも許さないぞ」

「ですよねー」

木村は場の空気を切り替えようと、追加で頼んだコーヒーを海へとすすすと差し出し、いったん海を落ち着かせようとした。

 

「まあ、娘さんに関しては、俺もまあまあ東京に来ていろんなところと顔が知れ始めてるので、変なことは書かないようにちゃんと釘刺してあります」

「お前の言うことがどこまで信用できるかどうかだけどね。お前の顔なんて、メディア界でどのくらいなんだよ」

「見ての通りです」

「じゃ、あんまり期待しない」

「あ、そうですか」

海はコーヒーをすすりながら、備え付けの砂糖をアイスコーヒーの入った大き目のグラスに二つほど入れた。

 

「珍しい。コーヒーに砂糖なんか入れるタイプじゃなかったのに」

「今の会話で無駄に糖分使った気がするからね。……ああ、甘ったるい」

「砂糖二つくらいじゃそんなに変わりませんよ」

木村は苦笑しながら、自らは砂糖を五つ入れたコーヒーを口にした。海からしてみたらそんなに砂糖を入れたら舌がおかしくなるぞ――という気持ちになった。

 

「で、娘さんが変なとこにくっついたりとかしない保障も俺ができる範囲でするってことで。DVDだって、別にキツめのイメージDVDなんかじゃないから、そこらの似たようなチェック柄の薄汚い服をパツパツに着て、整ってもない天然パーマなんかかかったりハゲ散らかした坊ちゃん刈りの、歯並びの悪い悪臭撒き散らしてるブサイクどもの夜のお供にはならないわけです」

「口が悪いな、お前は。偏見がすぎるぞ」

海は木村の、微妙に自分の中でイメージがしづらい姿に対して釘を刺しながら首を振った。とりあえずものすごく貶しているということだけは分かったから、それ以上は言ってやるなと海は木村を睨みながら時計を指差した。用がないなら早く帰らせろ、という合図だ。

 

「そんなことより俺が聞きたいのは、先輩の話ですよ。実際、どうなんですか?コーチとして。なんかこれといった仕事とか、役割とか。……そもそも打撃兼任コーチって言うけど、打撃コーチは他にいるんですよね。確か、生駒コーチ。別に先輩は二軍扱いってわけでもないから、生駒コーチがいるのに一軍打撃コーチを兼任するんでしょう。俺、それがずっと気にかかってたんです」

「お前の疑問どおりだよ。肩書きだけコーチってのがそこにあるだけで、別に作戦とかに積極的に口を出せるわけじゃない。とりあえずオープン戦だってベンチにいて、選手に対して声をかけられるタイミングなんかがあれば声をかけろ、くらいの。でも生駒が、監督からケツでも叩かれてるのか……今のキャンプ、ずいぶん張り切ってて、やたら声なんか出したりしててさ。でも、声だけ出してるだけで、あんまり具体性がないっていうか、なんか、今までやってきたことをちょっと強めにアピールしてるにすぎないっぽいけど。でも、結局俺が出る幕がないから、コーチとしての俺は、存在感が死んでいる」

「じゃ、指導なんかは」

木村からの問いに海は首を振った。

 

「まともに指導聞いてくれるのは、朝土くらいかな」

「浅尾?」

「朝土」

聞きなれない苗字でこそあるが、そこまで間違えられるものだろうか――と海は真悟のことを少し不憫に思った。

 

「他の若手や中堅は、俺がスタメンから落ちたもんで、スタメンの枠だとか、あるいはベンチの枠だとか……来年以降は一軍の椅子が1つ空きそうだってんで、そこばかり考えてて、練習や動きに具体性がない。内角を打ち捌く練習だって、ちょっと説明してもまともに話を聞いてくれない」

「まあ、言い方悪いですけど、打撃コーチ雇うなんかより守備コーチ雇ったほうがいいですもんね、チーターズ。でも別に先輩に守備の話ができるかって言われたら……」

「……できないわけじゃないよ。これでも、ゴールデングラブだって獲ったこともあるし、内野の全ポジションを年間通して守ったことだってある。……でも、世間体的に俺が守備コーチなんかやったら、笑いものだからね。先に打撃だろうが、ってさ」

「ま、そうなりますよね」

木村はため息をつき、こめかみの辺りをぐりぐりと指でねじった。そうして、眉間の間を指で何度かこんこんと叩き、もう一度ため息をついた。自分のことのようにして考え込みすぎているような様子を見せているが、ため息をつきたいのはこっちの気分だ――と思いながら海はその様子を見ていた。

 

「で、オープン戦も、休養も許されずに一軍帯同をして、試合の様子を見続けるだけにとどまって、ですか」

「試合に出してくれるかどうかも、分からない。紅白戦すらまともに出させてもらえないからね」

「でもこないだの紅白戦はスタメンだったじゃないですか。全く実戦形式に入れてもらえないわけじゃないでしょう」

「中継が入ってるからだよ。コアなファン向けに、紅白戦なんかも最近はライブ中継したりしてる。でも、選手の調子を公にすることになってしまうから、当然全部の試合をネットに流したり、BSなんかで中継してもらってるわけじゃない。なかなかずる賢いことをするものだよ、チームも」

海は引きつった笑みを浮かべながら腕を組んだ。

 

「で、中継してない試合の打席は」

「……指で数えるくらい……かな」

手のひらで指を折り数えてみるが、なかなかその次の一本が折られないのを見て、木村は「別に試合の数数えろって言ってるわけじゃないんですよ」と言おうかどうか迷った。

だが、海に限ってそんな初歩的な聞き間違えをするわけがない。木村は結局、二本しか折られなかったその指をとうとうテーブルの下にしまった海を見て目を丸くした後、表情を沈ませた海に同調するかのように、木村もまた少しだけ落ち込んだ。

 

「……そんな露骨に干されてるんですか?」

「まあ、仕方ないよ。腐らないようにし続けるのも、きついもんだよ。それこそ、そのうち娘の水着姿くらいしか見るものがなくなりそうだ」

「だからって娘さんまで食べないでくださいよ」

「食べるかよ、バカ。俺のことを何だと思ってるんだ」

海はそう言って、コーヒーをすすった。コーヒーが普段より苦く感じられているのではなく、本当に辛いのか、ずっと眉間にしわをよせたままだった。

 

「薫にでもいっそ泣きつきたいくらいだよ。ジェネルのやつは今のキャンプの間、体調不良気味で一軍から離れている。さすがに春には間に合わせてくるだろうけどね。でも今、俺の話をまともに聞けるのはきっと、薫くらいだ。でも、その薫だって、ジェネルよりも強く俺に憧れてこの世界に入った人間だ。俺の都合であまり薫を失望させたくはない」

「だったら、俺もカウントしてもらえます?」

「お前は、男じゃないか。男とこんな話したって、どうしようもない。歳だって離れてる。大体、お前は部外者なんだから」

木村は黙って目を伏せ、ため息をついた。

 

「なんでちょっと露骨に落ち込んでるんだよお前」

「……いや、別にいいです。全然気にしてませんから。まあ、とりあえず……先輩の今の状況が分かっただけでも、よかったです。ちょっと球団のほうにも、探りいれてみます。ありがとうございました」

木村はやや足早にその場を去って、テーブルにコーヒー代を置いて行ってしまった。

試合中、ベンチに華耶でも居させてもらえればどれほどいいものだろうと海は思いながら、一人になった喫茶店でひとり天井を見上げた。

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