海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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182・まだ終われない、終わる物語

「なんだかなあ、嫌になるなあ。いずれは必ず起きることだってのに、これじゃあまるで、僕が悪者みたいじゃない」

3月末、今年の開幕戦はあいにくの雨だった。試合を中断するほどの雨ではないが、晴れの間から時折風に殴られたような雨が、一瞬降っては止み降っては止み――まるでそれは今日の球場のどよめきをあらわしているようだった。

 

スタメンが発表された時、やはりそのスタメン発表に佳井海という名前は上がらなかった。

試合開始前から応援団は抗議でもするかのように、今年海がレギュラー剥奪らしいという噂を聞きつけて新たに書き下ろした代打時専用の応援歌と通常の応援歌とを交互に演奏していた。

それを今野は表情にこそ示さなかったが、言葉にははっきりと不快さを出しながら、隣で立っていた生駒に話を振った。

 

 燃え尽きぬその瞳が

  栄光をつかむまで

   佳井海 佳井海

    夢乗せて飛ばせ――♪

 

  唯一の高みを目指し

   羽ばたけ佳井

    海の彼方へ――♪

 

オープン戦、海は結局代打で3試合の出場にとどまっていた。

『世代交代を図るため』という大義名分こそあったが、昨季、終盤こそ大きな失速をしたものの、中盤までは4割30本を見据えた成績を残していたにもかかわらず、特に故障があったわけでも、メディアが一般人に伝えた世界では表立った対立があったわけでもない――なのにここに来て突然の海をスタメンから降ろしにかかったことに対し、当然一般人だけでなくメディアも大きくその采配を糾弾した。

 

もちろんそれに対して今野としても黙ってはいなかった。

 

『中盤までは中盤の話。その後大きな失速をし打率をあそこまで下げたのであれば、もはや佳井は1年を通して戦える体ではないということ。シーズンを戦い抜くにあたって総合的な観点からの判断』

 

『結果的に中盤以降大きく失速した佳井の打撃によって落とした試合がどれほどあったか考えると、こちら側もいつまでも佳井を使ってはいられない。今後数年を見据えるならば、佳井はバックアップに回ってもらわなければいけない時期に来ている』

 

『40半ばにもなろう男が3番を打っているという事自体が既に球界のお笑いになっている。お笑いを見たいなら難波にでも行けばいい。うちの球団は新喜劇をやっているわけではない』

 

『佳井、佳井、と佳井だけ見に来ている客には悪いが、うちは佳井チーターズではなく兵庫チーターズ。いつまでも自分がチームの中心で、自分が率先してチームを引っ張っていけるものだと思っているようではいけない』

 

『若手は佳井に萎縮している。佳井がいつまでも上位打線を打っているようでは若手も中堅も伸びないし、腐る。いつまでも自分がグリーン車に乗っていられるものだと思われては困る』

 

『使うか使わないかはこちらが決めること。佳井がどれほど自分は調子がいいと言っていても、去年調子を落とした時だって調子が悪いとは決して言わなかったのだから、調子のよしあしは選手ではなく自分が決める。監督とはそういうもの。今後数年は育成の年とこちらだって割り切りたいのだから、本来なら、ベンチ外におとなしく下がってもらって若手に出番を譲ってもらいたいくらいだ。それが嫌ならFA権でも何でも使えばいい。それを分かっているのに向こうが権利を使わないのだから、こちらの意見を受け入れているということ』

 

少し周りが海についてのコメントを求められれば、今野は徹底して海を干すことを遠まわしに宣言していた。

地元紙よりもある意味熱心にそんな今野の言動を糾弾したのが、大和スポーツ――通称・大スポだった。他でもなく、木村が勤めている大手スポーツ誌だ。

 

『ペンでベンチを動かすことならできます――』

 

かつて海に対して放った言葉を、木村は成し遂げるべく奮闘していた。コラムとして木村本人の名で、Eリーグ所属の6チームの評論を行った上で、チーターズに関してはその采配だけでなく、海の起用に関しても強く、今野へ対する批難を隠さず木村は書き記した。

 

『――新卒以来10年以上にわたってこのチームを追いかけてきたが、ファンも、監督も、コーチも、フロントも、我々メディアも、そしてチームを見守る側の人間も、勝てない理由を常に佳井海という一人の男に押し付けてきた。実力でファンや我々の信頼を勝ち取った佳井海に対して、一度たりとも監督やコーチはその評価を改めるでもないまま、とうとう用なしだと言って批難しはじめた。選手兼任コーチという形だけの肩書きで封じ込め、表向きだけは誰もが納得するような引き際を用意しているのかもしれないが、何らかの思惑によって終わらせようとしているのは、球界の損失を招きかねない。ファンも、我々も、本来まだ戦えるはずの佳井がこうしてキャリアを閉ざされようとしているのであれば、やがては球団そのものへの不信感を募らせ、取り返しのつかない事態になるだろう。いち野球ファンとして、首脳陣へ私は強く異議を唱えたい。そこまでして佳井を干さなければならないのであれば、せめて、佳井本人の意思が介入できる余地――移籍という手段を残してやるべきではなかったのだろうか、と』

 

「――どこだったっけ。あのふざけたまねをしてくれた記者は」

「大スポです」

生駒はやや巻き気味にして答えた。今野はふうん、と、本当は分かっていたのに、わざとらしい声を出して足を組んだ。

生駒はなるべく今野を刺激しないよう、必要最低限のことはせず、ガムを口にして口の中のものにだけ意識を集中させることを選んだ。

 

「大スポねえ。馬とプロレスと女の尻と、UFOだのオカルトばかり書いて、黙って通販で冷凍餃子でも売ってればいいものを。あんな記事書かれたら、酒のあてにあそこの餃子とから揚げなんて食べるの、僕、やめちゃうよ。今、佳井はスタメンとして1年を戦い抜けるような状況ではありません、って言ってるのに、どこも僕の言うことを信じてくれない。せいぜい、うちの地元紙くらいだよね。ポジティブな記事を書いてくれるのは」

「……ええ」

生駒は慌ててガムを上あごに舌で貼り付け、そっけなく返事をした。

 

「佳井一人がいなくてもね、うちらは大して変わらないよ」

今野はそう言って、少し薄くなり始めた頭頂部をかきはじめた。

 

「結局ね、ホームランが出ればね、試合なんてのはあっさり動いちゃうわけ。僕もね、もともとは、佳井のような奴が何人もいれば、相手打線を蹂躙できると思ってたよ。きっと、佳井の背中を見て、同じような打者が生えてきてくれるとも思ってたけどね、結局、ああいう打者は見た目の率ばかり残すものだから期待しちゃうけれど、決まって肝心なときに打たないじゃない。それでいて周りほど一発が期待できないから肝心なときに役に立たない。それでいて、本人なりの打撃理論があるから、誰も佳井の背中を追ってこれない」

生駒は遠まわしに自分の指導法を非難されているような気がして、胃が痛くなる思いだったが、黙って愚痴をこぼし続ける今野の言葉を聞き続けていた。

 

「あの木村って記者、こないだ、データを使って反論なんかもしてきたけど、データなんてのはね、所詮ね、データなんだよね。アイツが打たなくて落とした試合がそこにある。客も、僕らも、目に見えたその分かりやすいシンプルな事実だけが大事なんであって、佳井が本当はポストシーズンでたくさん打ってるなんてことはね、そんなに事実として重要じゃないんだよ。大体、アイツが打って勝ったポストシーズンの試合なんて、誰も思い出せないでしょう。けど逆に、アイツが打たなくて負けた試合なんかは皆すぐ思い出せる。人の印象なんて、案外ね、都合いいようにできてるんですよ。佳井は過大評価されていた天才打者――その評は、今更覆らないよ」

今野は不機嫌そうにして足を組みなおし、ため息をついた。

 

そこからちょうど反対側の端で、海は無表情でその応援団の演奏を見つめていた。席からでも分かる、自分の名の入ったタオルだとか、横断幕だとか、自分を待つ人の数の多さに改めて気づかされた。

ただ、どれほど人々が自分を望んでも、きっともう世間の願いほど自分は羽ばたけないことを海は知っているから、少し目を細めて、バットを握った。

 

代打では使うつもりだとは今野は言っていたから、きっと大体の試合、どこかで自分は代打で呼ばれるだろう。ただ、その代打だって、いつどう真悟に出番を追い抜かれるか分からない。真悟には一発がある以上、今野は真悟に対しても信頼を寄せてない一方、さじ加減一つでその扱いを変えることだって考えられるのだ。

 

真悟に偉そうなことを言っている以上、自分はヘマなどしていられないし、追い抜かれでもしたらもう自分は真悟に対して上から指導なんかできないだろう。

 

「寂しいですね、やっぱり」

体調不良でキャンプ中盤から一旦戦列を離れていたものの、オープン戦中盤からメンバーに合流したジェネルが隣に座り、口を挟んだ。バックスクリーンには、先ほどまでスタメン発表時の曲を担当していたバンドのメンバーが映し出されていて、何やらインタビュー映像を流れている。

 

「オーバーハンズ、好きなんですけどねー。さわやかな曲、書いてくれたなーっては思うんです。思うんですよ。でも……なんかやっぱり、あからさまじゃないですか。海さんを干してすぐ、BGMまで変えるなんて」

「まだそんな話してるのか。いいよ、別に。時代だって変わるし、人はね、そのうち忘れるんだよ。俺の曲なんて、今に、さっきの……なんだっけ」

「オーバーハンズです」

「そのオーバーハンズの歌で上書きされて、いつか忘れられる。時代の流れなんてそんなものだよ。あの漫画家の絵だって、凄いじゃないか。さっきのバット振ってた奴の絵、お前をもとにしたやつだろ、多分。綺麗に描いてもらえてよかったじゃないですか」

「……でも、あのアニメーションにも海さんはいませんでした」

ジェネルは寂しそうにしながらバックスクリーンを見上げた。きっと、明日以降も同じことを考えるだろう。

 

「まあ、仕方ないよ。そういう風にしてくれ、って上がきっと頼んでるだろうから。あの漫画家が俺をハブりたくてハブった訳じゃない」

「そりゃー、そうなんですけどー……」

不満を露わにしながら、唇を尖らせては首をひねり、落ち着かない様子のジェネルを海は鬱陶しく思った。

 

「じゃあ、お前が監督に頼み込んで俺を使ってくれって言ってくれよ。あの映像、作り直してくれって上に頼んでくれよ。それでお前の思うようにことが運ぶのか?そんなわけないだろ」

「そ……そんなこと言わないでくださいよ。私は、ただ……」

「お前は、お前のことだけ心配してればいいんだよ。3番なんだろ。去年のがまぐれだって言われないようにお前、今年が踏ん張りどころだってのに、俺のことばっかり気にして」

海の正論にジェネルは言葉をなくし、顔を蒼くした。自分では海の言葉に寄り添って、気晴らしに言ったつもりの言葉がかえって海を傷つけていることに、どう言葉を返していいか分からなかった。

 

他人のことを心配していられる場合か、と言われれば、確かにそうなのだ。海を干して自分を3番で使うということは、来年以降――あまり考えたくないが、本格的に海がここから去った後は間違いなくしばらく自分は3番を任されることになる。

 

自分が3番として不甲斐ない成績を残すということは、ファンだけでなく、何より、海に失礼だ――ジェネルはそう思うと、一言「ごめんなさい」とだけ言って、一度ベンチの奥へ下がることしかできなかった。

海の顔を直視して、心を覗き込むのが怖かった。

 

試合に出たい、という気持ちをどれほど汲み取ろうとしても、自分には何もできない。何度も何度も、海から、自分に何かを変える力がないのにでしゃばろうとするなと言われていたのに、つい他人の心に中途半端に寄り添ってしまう。

野球人として海を見ているだけでなく、どうしても一人の男として海を見ているからこそ、つい自分には海を癒すことができると自惚れてしまう――。

 

「……はぁ」

髪をかきむしり、前髪を後ろに流す海。

海もまた、ジェネルに対してつい強い言葉で言ってしまうことがあるのは否めなかった。華耶という一生を共にする女性が隣に寄り添っていながら、一年の半分はジェネルという女性が、自分はその"二号"だと自負してやまずに隣に寄り添ってくる。

 

ジェネルがもし男だったなら、何とも思わずに、もっとナチュラルにジェネルに接することができただろう。どこまでいってもジェネルが女だからこそ、自分の心が揺らがないように、ついジェネルには鋭い言葉を放ってしまう――。

もっと素直に、自分の代わりに3番なんだから頑張れ、というニュアンスの言葉をごく自然に出すことができればよかったのだろうけれど――と海は思わずにはいられなかった。そこに自分の男としての限界があるのだ。きっと、華耶にだって、自分が意識してないだけで、強い言葉を放っているのだろう。

「……何やってんだろうな、俺」

 

こんな調子だから、干されようとしているときに、何も打破できずにずるずると時間だけが過ぎようとしているのだ。海は自分の情けなさや無力さに、地団駄したい気分だった。

「……佳井さん。試合前にこんなこと言うのもなんなんですけど」

「……なんだよ」

いつの間にか海の隣に立っていた真悟が、海を見下ろしながら腕を組んだ。

 

「ジェネルさんと佳井さんって、キャラでやってる、とかじゃなくて、マジでデキてるんですか?」

「見てのとおりだよ」

「いや、見てのとおり、って……」

真悟は海と同じく、髪を後ろにかき流しながら海をもう一度見つめた。

 

「友達っていうガラでもないし、恋人っていうガラでもないだろ。そういうことだよ」

「ははぁ……?」

「……俺、何か間違ったこと言ったか?」

何かを察してニヤけた真悟を見て、海は真悟に確認を取った。海自身、事実そのものを告げたつもりだったが、真悟は何か複雑な笑みを浮かべながら、うんうんと頷いて

「難しい立場ですもんね」

と、よく分からないことを言い始めた。

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